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2021 11/24 『いまむかし旧中山道 <巣鴨地蔵通り商店街>』

巣鴨地蔵通り(旧中山道)の巣鴨駅出入口側に昔のこの付近の写真パネルが飾られていた。
一番上のは旧中山道と新中山道が分岐するあたりだろうか、線路が敷設されているので新道を撮影したものだと思われる。
その下は旧中山道を撮ったものだろう。今よりも幅員が狭く見られるのは商店が歩道により迫っているからだろうか。ここまでとは言わないが、今から30年前にはこのようなクラシカルな商店がまだ僅かに残っていたように記憶している。40年前くらいまで遡ると、このような昔の面影を残した商店が大山の3つの商店街や巣鴨ももう少し多かった。

その下の写真は商店街入口の江戸六地蔵で有名な真性寺があり、その参道隣にある薬局で売っている商魂高い真っ白な地蔵タオル。プリントしてあっても良いように思うが、商店街の中程にあるとげぬき地蔵を洗うには真っ白な方が良いのだろうか。(写真は約10年前のもの)

その下は四の付く日の縁日でのキューピー人形の屋台。心のニッチなところに浸透するのだろう。最近はあまり見かけない。(写真は約10年前のもの)さきイカの屋台では、次々と作られる試食のイカを店主が目をそらした隙に、おばあさんが手のひら目一杯にグラブして巾着バッグに放り込んでいるのを見た時に、店主には迷惑だけど、頼もしいなと思った。店主が目にした時にびっくりキョロキョロあたりを見渡していた。そりゃそうだ、作り立てのイカがごっそり消えているのだから。

その下、とげぬき地蔵(高岩寺)や真性寺付近には常に辻立ちが居たが、最近はほぼ見かけない。(写真は約10年前のもの)
これも10年近く前だが、片手を片足を失ったように見受けられた若い男が嫌なのか恥ずかしいのか不機嫌なのか微妙な面持ちで、真性寺の近くでシートを歩道に敷き土下座をして、まるで傷痍軍人かのよう座っていた。しばらく見ていたら、「てめぇこのやろうしっかりやれよ」と彼よりも年上と見受けられる人が近くから登場し、彼の体を起こしひっぱたいていた。
これが何なのか分からないが、何かトラブルを抱えて彼はソコに土下座して座って物乞いをしていたように見えた。

人が集るところには様々な出来事が起きる。
もう数十年も経つような気がするが、庚申塚交差点付近にあったトンカツ屋(定食屋)の店主が事件に巻込まれて、未解決事件になっていると記憶している。この商店の近くには通っていた学校があったこともあって、この事件を今も憶えている。

【関連記事】
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■巣鴨薬園跡 <豊島市場>
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■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■旧丹羽家腕木門と蔵 染井霊園<藤堂家の墓所>
■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群

■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件
■巣鴨の名の由来<古池> 府中藩松平播磨守抱地・下屋敷跡 旧宍戸子爵邸<その後廃兵院(改称されて傷兵院)> 現 巣鴨公園

■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■中仙道か中山道か
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道

■豊島区西巣鴨 旧中山道沿い かつてあったパチンコ天国

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2021 11/19 『板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>跡にすむネコ』

地図の黒丸部分に天祖神社がある。
板橋区立郷土資料館のtwitterより、「上板橋西方長命寺北より天祖神社の一 二丁の処に畑中に見ゆ」 <猫塚>と<狐塚>があったという。

天祖神社のご由緒より引用ーーーーーーー

天祖神社は、旧上板橋村の産土神として古くからおまつりされている神社です。

「上板橋の石橋を越へ右へ曲り坂を上りゆく、岐路多くして判りがたし、左の方に一丁あまり松杉のたてたる所あり、この林を目当てに行けば神明宮あり」(大田南畝『武江披砂』外編)

寛政9年(1797)丁巳4月17日、江戸時代の文人・大田南畝(おおたなんぽ)は、当社を訪れた時のことをこのように記しています。「石橋」とは石神井川にかかる現在の「下頭橋」(げとうばし)を指します。また、明治5年まで当社は「神明宮」という社号で、「神明さま」と称されていました。

上板橋村は、板橋地域のなかでも古い村のひとつでした。江戸時代以前の古道である川越街道が村内を通っていることや、付近一帯が豊島氏によって開拓されたことをなども考えると、鎌倉から室町時代にかけて集落が形成され、村人達によって当社が創建されたかのではないかと推測されます。伊勢の神宮、すなわち内宮の「天照大神」と共に、外宮の「豊受大神」が同殿にまつられており、末社には神宮の別宮の一つである「月読神」をまつる「月読社」があり、伊勢の神々への信仰が色濃くみられます。

当社の創建に関する二つの伝承があります。
一つは、後深草天皇(鎌倉時代)の頃に、伊勢神宮でお祭りされている天照大御神を勧請したというもの、もう一つは上板橋村字原(神社周辺の地)に天照大御神のお姿が現われたという「影向跡(ようごうあと)」があって、そこに「伊勢神社」を勧請したというものです。(『北豊島郡誌』)この「伊勢神社」は現在境内に「末社」としておまつりしていますが、この影向跡がどこにあったのかは詳らかではありません。

かつては村内のどこからも、うっそうとした神社の杜が見えたといいます。この神社を地形からみると、石神井川に南面する緩やかな丘(標高32米)に位置しています。古代からこの川の近くに人々が住んでいたことを考えると、今のような神社の形態が整えられる以前からここは聖地と考えられていたかもしれません。

さて江戸時代、当社の境内はどのようであったのでしょうか。大田南畝の地誌『武江披砂』の続きにはこうあります。

「古杉老松を交えて大なる柊(ひいらぎ)もあり、宮居のさまもわら葺きにて黒木の鳥居神さびたり」

昭和11年、東武鉄道によって分譲された「ときわ台」の地名は、常磐なる松―当社のこの「老松」にちなんだといわれています。柊は当社の神木です。このような木々に囲まれた神社のたたずまいは、江戸時代にはすでに「神さび」を感じるようなものであったことがわかります。神社の入り口は現在よりももっと石神井川よりで、約200m近くの参道があり、松・杉を主体とした樹木が繁茂し、昼でも暗いと言われる程でした。

時代の移り変わりとともに、現在では境内地も約半分になりましたが、駅の付近に位置しながら、いまなお境内には、かつての杜の面影が色濃く残っています。
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天祖神社へお参りに行くと、最近アメリカンショートヘア?の眷属が出迎えてくれる。人懐っこくてとても可愛いんです。
犬は散歩している子を触らせてくれる機会も多いけど、猫って家にいるか、ノラだったりで、あまり触れることができないので割と貴重だったりする。
なので、ここぞとばかりに触り巻くって。

かつて猫塚があったように、今でも身近に猫にご縁があるのでしょうね。

【関連記事】
■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2021 11/18 『水戸徳川家上屋敷跡にて SARS-CoV-2 ワクチン接種』

高齢の親ら、医療介護従事者の家族は早々にワクチン接種をし、定期的にPCR検査もしている。
うちはワクチン接種開始時期に、家族のことでちょっとあれこれあって接種する機会が遅くなっていた。副反応や後遺症の情報を見るたびに不安になっていたのも事実で、僅かな怖さのようなものを感じていた。
まぁ予約が全然とれないという状況でもあったので、秋口に東京ドームでの予約(ファイザー)をとってもらえて結果的に良かったのかなと。
で、10〜11月に渡ってようやく2回終わり、腕が痛いくらいで微熱も出ずラクで良かった。
若いプロ野球選手が練習中に亡くなったニュース...接種した後の運動だったことが原因ではないかという憶測があり、一回目の接種後、数日はランニングはしなかった。で、その後恐る恐る走ってみた。大丈夫で良かった。

2019年の12月、自分のまわりで高熱に酷い咳が止まらない症状で受診したけど、インフルエンザではなかったと診断された人が何人かいた。先生もインフルエンザのような症状だけど、インフルではない患者が最近とても多くて不思議なんですと言っていたと。今思うとまったく不思議ではないが、日本にも新型コロナウイルスが流入し、流行りだす初期だったかもしれない。
自分は今まで罹っているはずだけど、インフルエンザで寝込んだ記憶がなく、十代から風邪もほとんどひいたこともないが、先に書いた通り、2019年12月の年末あたりに、一度でたらぜんぜん止まらない酷い咳と発熱に悩まされた。38.6℃という見たことも経験したことも発熱にびっくりし、何日も大汗かいて寝込み、回復後は喉もつぶれて声がほぼ出なくなった。これもほぼ記憶が無い経験で、しばらく会話もたいへんだった。
その後、声も回復したが、一旦咳が出るとしばらく止まらない症状は続き、飴が手放せない日々が続いた。ようやく咳が収まって飴を手放したのはもう桜が咲く時季になっていたのを今でもよく憶えている。
この症状は何が原因なのか分からないが、高熱と咳が出るということは、異物を体が排除しようとしていたことは間違いないことで。

これから病院や高齢者施設での面会規制緩和が始まると報道されていて、条件としてはワクチン二回接種済みは必須になる可能性が高く、自分の場合はそういう施設や病院にも行くこと大変多いので、副反応もほぼ出ずに終えたことに安堵しているところ。

東京ドームでのちっくん後、ジャイアンツの専属チアがボンボンを振って「お疲れさまでした!」と言ってくれた。
36年ぶりに立ち入った球場、30年前別れ話中に花粉症を発症した水戸徳川家上屋敷の庭だった小石川後楽園、良い所です。

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ニューバランスのアウトレット公式サイトで60%オフになっていた良いシューズを手に入れた。硬さと柔らかさがちょうどいいアウトソール。久しぶりに買ったニューバランスのランニングシューズ、これも私服にも合わせやすくてgood。

【関連記事】
■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸

■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■印刷博物館<武士と印刷> 徳川慶喜終焉の地(文京区春日(小日向))
■文京区春日二丁目(小石川小日向第六天町) 徳川慶喜邸と新坂(今井坂) “徳川おてんば姫” 井出久美子
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水

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