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2015 7/29 『身体が熱い』

まだ暑さに慣れないという方もいるでしょうか...
食欲がないという人も多いでしょうね。自分は食欲がないというのではないが、今はこの暑さのせいで食が細い状態だ。
暑い室内で熱いたぬきうどんなんか平気で食べられていた去年だったが...
痩せてしまうので、食べて下さいと言われるからムリして食べるけど...
そうめんはカロリーが高いので夏になると太る人も多いとか...
こんなにも暑いと運動もできなかったりしますしね。
自分がチビだった35年前よりも確実に夏がどんどん暑くなっているのがよく分る。今日は30℃を越えるらしいよ〜というのが昔で、今はふつうに35℃越えるとよく聞くようになった。

暑中お見舞い申し上げます

夏は一気にはじまり、あっという間に終わるので、夏が嫌いな人はあと1ー2ヶ月の辛抱、好きな人は存分に楽しんでくださいね。

週末は板橋の花火大会が開催される。
いつもは焼きそばを作ってくれるお兄さんがいるけど、今年は欠席のために自分が作ることになった、6人前くらいかな....自分が作る焼きそばって、キャベツ・タマネギ・ニンジン・ピーマン・もやし・豚肉の具だくさんで、二人前でもすごく重いから大変だけど、あまり具を入れなければそんなに重くならないか。ま、汗だくだな。

暑い時季にいつも思うけど、ランニングウェアを普段着にしたいくらいだ。そんだけ機能的だと思う。走らない人にもオススメです。

壁掛け扇風機を強風にして唸らせておもいっきり風を浴びながらカレーうどんを早く食べられるようになれますように...

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2015 7/27 『猛暑の日』

セミの鳴き声を今季初めて聞いたのは2週間前、梅雨の中休みのように晴れたと思ったら、なんだか一気に真夏になった。
目にする℃が30から一気に36、列島はエンジ色に染まって、通りすぎる人々はみなびっしょりだ。中には恐ろしいほどベッチョベチョの人もいる。
通りすぎる人に愛想をいつもふりまいている毛むくじゃらな真っ黒野良猫もこんな暑さじゃもうぐったり。

内陸部では40℃に達することもあり、今日は一番暑い日となるでしょう、厳重に警戒してくださいのアナウンス....なくなった米5kgを抱えて、でかいリュックには肉野菜どっさり背負ってテクテクと2kmのポーター。
その後は、スイカとぶどうを取りにきて欲しいというので、ピックアップ。
炎天下、スイカを背負ってテクテクと2kmのポーター、のどを潤す焼酎ハイボールがうまいももうぐったりだ。
ジジジジィ〜....ミンミンミンミンミーンミーンミンミンミー、何も悪くない彼らの鳴き声が癇に障る。

一日いったいどんだけ麦茶を飲んでいるだろうか...

こんなにも暑い日曜日の日中にランニングをしている人を何人かみかける。
早朝や夜間に走れないという人だろう。
日中の皇居もロードランナーもさすがに早いペースで走っている人はほぼいない。
自分も1kmあたり7分〜6分半のゆっくりペースで日影を走っている。
公園の蛇口で冷やす、立ち止まって休憩、その繰り返し。
向こうから来る人、ビッチョビチョどころじゃないほどずぶ濡れの男に、目を細めて少し避ける。
屋台で買ったであろう焼きそばが地面に散乱して、鳩とスズメが夢中で食べている、こんなにあったら腹一杯だろう。
死にそうな顔でゼイゼイハァハァのランナーとすれ違う、すごいふくらはぎをしている。
家を持たない人、遊歩道で仰向けになって泥のように眠っているその姿、自分にはホモ・エレクトスかのように映る....冬季よりも痩せて、大丈夫かなと心配にもなる。
ブルゾンを着こんで座って寝ている人、大丈夫かな...人は我を忘れるくらい大変な思いをしていると体温の感覚が麻痺してくると、幼い頃に実母が言っていたと思いだす。
ハンパない量の買い物袋を何袋も車道に置いている爆買い中国人ファミリーを横目に、涼しい店内で小休止、寒い寒い。
上空、鳩の生暖かい落とし物の直撃に遭って、公園の蛇口で脱いで洗うも、目の前すぐソコには猛烈に臭いトイレ、口で息をする。
交番の前を通る、アゴを上げた若い警察官がジロっとこちらを見る、なんだか無性にイヤな感じだ。
追い越すママチャリの席からチビが顔をだしてこちらをジッとずっと見ている、どこが気になるのだろうか。
牛歩のように前を歩く散切り頭のおじさん、長袖のネルシャツもズボンも汚れ、目が座っている、町を彷徨っているのだろうか。
マセラティが唸りを上げて人通りもある大きな交差点を爆走、良い姿を披露したいのだろう。
車に引かれてしまった可哀想な鳩がすぐそこに、隣で信号を待っているチビが「なんでハトさんこわれちゃったの?」。
前を歩くセクシーな白パンの女子に目が奪われる、それが男の性だ。
こんなク◯暑い真夏の都内、東京5輪のマラソンは危なすぎるんじゃないのか、バタバタとランナーは倒れるんじゃないかと、体感してそう思う。
フィニッシュ、あっちの樹こっちの樹からミーンミンミンミーミーンミンミンミーミーンミンミンミーミーンとセミが鳴きわめいている公園のベンチでレモンサワー休憩、鳩が足元にものすごく集ってくるも、今は全身の塩とレモンサワーしかないからどっか行ってくれと心で思う。

どうでもいいことを思って結局何も考えてなく、どうでもいいことをこうして書いている。
それがその人それぞれのランニングスタイルだ。

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2015 7/16 『俯瞰』

少し前に発売されて、今は絶版の小学館85周年記念“日本の歴史”全16巻の一番目、列島創世記。
著者である松木さんがBS歴史館 古代史最大のミステリー 邪馬台国の魔力に迫るに出ていて、考古学からの観点から解説されて、とてもおもしろい先生だと気になってたところ、古本屋で新古を発見。
旧石器・縄文・弥生・古墳時代の4万年の歩みを、人工物や社会をつくった人間の心に注目する認知考古学も取り入れて、従来の今まで読んだこの時代の歴史解説を俯瞰的に書かれている。
amazonレビュー.....あたり前だけど、書いている人の文章に感心する。そういえば、読書感想文の宿題ほど大嫌いだったものはなかったなぁ。

まだ読みはじめの縄文時代草創期らへんで感想になってないが、とてもおもしろく読めている。字も大きいし優しく分りやすくかかれている。
ごく小さい地域の歴史を知って大小様々な発見におどろき、さらにこの歳で初めて日本史に興味を持つようになり、さらに大昔のことまで知りたいと思い、旧石器時代やそれ以前のことを読んでいると、俯瞰で物事を考えることが出来るようになった気がする。
奈良飛鳥.....戦国時代、幕末から今、短い時間だと思うし、今の政治家の一部の人を見てるとなんとも言えない気持ちになる。
発掘調査によってかつての人々を知ることができる。
これから先に生きる人々、今の時代の自分達が残している遺産の一部はアンタッチャブルな負の遺産になることはもう避けられないが、減らすこと増やすことは避けられると思う。

縄文式土器でビールを飲んでいる人っているのだろうか...読んでいてふと気になった。

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2015 7/14 『江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)』

子供の頃から東京に住んでいる方は豊島氏、その名を必ず聞いたことがあるだろう。
豊島氏は平安時代から室町時代に南武蔵(今の東京都らへん)を支配していた武家で、現在の東京都北区豊島町が発祥の地だとされている。

そんな豊島氏、石神井城主の豊島泰経ともう一方の勢力である江戸城を拠点としていた太田道灌が激戦を繰り広げた場所が、現在の江古田・沼袋で、哲学堂公園そばの江古田公園に江古田古戦場の碑がある。
妙正寺川と江古田川が合流し、地形的にも起伏があるので、戦いをするには都合が良かったのだろう。
結果は太田道灌が勝ち、豊島一族は敗北し、石神井城・平塚城(北区 平塚神社)・練馬城(としまえん)は落城し滅亡する。
長い間、豊島氏の強い力でもって、のどかな地方だったのが太田道灌によって荒らされてしまったとも言えるのだ。

案内板から引用--------------------
このあたり、哲学堂公園から野方六丁目にいたる新青梅街道沿いの一帯は、文明九年(一四七七)太田道灌と豊島泰経らが激戦をしたところです。
ここでの合戦は、享徳の乱(一四五四 ー 一四八二)という長期にわたる内乱の中の戦でした。
享徳の乱は、古くからの豪族に支持された関東公方足利成氏と、太田氏が仕える関東管領上杉氏とが対立するなかで、結城・武田氏により管領上杉憲忠が殺害されたことがもとで起きました。
この乱により関東は二分され、幕府などの支援をうけた上杉方は、武蔵・相模・西上野をおさえましたが、そのとき、江戸城を根拠地とした道灌は、武蔵国の領主たちを支配下にまとめ、戦を有利にすすめるために重要な役割をはたしました。
ここでの合戦は、武蔵野の開発を行って来た豊島氏にかわって、太田氏が武蔵野支配を確立するうえで、大きな意味をもっていました。
昭和五十七年二月
中野区教育委員会

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豊島氏は紀伊国(和歌山)から熊野権現を勧請し、郡内に多くの熊野神社を設け、その最大のものが王子神社(王子権現)で、自分のルーツのひとつは和歌山で、かつて王子に10年ほど住んでいたが、氏神様は王子権現であり、その前の幼少期に住んでいた町のそばにも熊野神社があって、今でもよく通るので月に1回はお参りしている....こういうのをご縁というのだろう。

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2015 7/13 『エナジー系』

あんなに降り続いていた雨がひとときあがった週末、晴れ上がってかなりの暑さに。

日曜日の午後、走る前に時計と携帯を設定してたら、横断歩道をショートカットして斜めに歩いている高齢者がいて、一瞬見た時に大丈夫だろうか渡りきれるかなと思ってまた画面をいじって、気になって再び見たら、白杖をついているのが見えて、あっ間違って車道を歩いていると分って、向おうとしたらおじさんが手を引いて誘導して、ことなきを得てホッとした。

杖で点字ブロックを頼りにゆっくりと歩いているけど、歩きにくそうに見えて、心配で横をゆっくりと並走、赤信号の横断歩道、「赤信号ですよ」と、「どこに行くのですか?」「◯◯の先のところ、◯◯の手前の不動産屋近くへ」「一緒に行きましょうか」
路面の状態を伝えて、ゆっくり歩いて会話を....「今日は調子が悪くて車道に出ちゃって。杖がないと何倍も早く動けて助かるわ」「うん、そういう時もありますね」
「急に暑いね、身体大丈夫ですか?」「ほんとねぇ参っちゃうわね」
「ジョギング中だったんだよね」
「暑くないんですか?」「いやぁ暑いけど、身体が動かせて気持ちよくてね」 「あぁそう気持ちいいでしょうね、私も目が見えていたら自転車に乗ってみたいわ、走っているところわざわざすいませんね」
「母も歩くのが大変でね。大丈夫ですよ、自分の母達も他者によく助けてもらっているから、その分を返しているだけだから」と....あえて素直に気持ちを伝えてみた。
それは、おばちゃんが「自転車に乗ってみたい」と言った時に、想念が手から伝わってきたから。たいへんな苦労をして、おそらく念の強い人なのだろうと、そう感じたから。
10分もなかっただろうけど、他にも色々と話してたら到着。何階かを聞いてEVボタンをポチっと、笑顔でさようなら。

...あたり前だけど、なかなか暑くて、日影を選んで水分補給もしっかりと、ちょいちょい歩いて。 NIKE+runningではJOG 15kmで、GPS時計だとJOG 10km+2kmのウォーキング。
走った直後にストアでみつけた、ビタミン7種入り一石二鳥ノーライフガードのLIFEGUARDチューハイ、微妙だった。炭酸がキツければいいかも。

全身が塩でざらっざら、シャワーで流してレモンサワー飲んで、夜になり、ウォーキングで家系ラーメン屋へ。
すごくしょっぱく感じるので最近は家系ラーメン屋にはあまり行かないけど、飲んでたから思っていたよりも大丈夫だった。でも濃い、でもやはりおいしいな家系。
これでもかと塩が吹きだし、これでもかと濃いラーメン、両方の塩分がどんだけなのか気になる。

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2015 7/9 『NIKE+ running アプリ』

NIKE+ running アプリケーションを使いはじめて2ヶ月が経った。

ウォーキングが3−4回あるので、ランニングは20回ほど計測したと思う。

1kmの最高記録は04:33、つまり1kmを4分33秒で走れたということなんだけど、走らない人にはまったく分らないことなんで、イメージ的に言うと、信号が変わっちゃう!っておもいっきりダッシュする時に近いかな....そんな感じのような気がする。
このくらいの速度だと1km走るだけで精一杯、心拍数が上がりすぎてあぶないというところ。
酒もぜんぜん飲んでなくて調子がイイと、1kmあたり4分30秒のペースで6kmくらい走れたことがあった。

まぁ分りにくいですね。
ふだんJOGをしていない人が、じゃぁ走るかとあまり息があがらないペースだと、1kmあたり7分〜6分くらいじゃないかな。

まぁそれはおいといて、

このアプリを2ヶ月ほど使ってみて、なかなかの誤差がある時がある。
走ったコースの軌跡を拡大してみると、ちがうところを走っていたり、カクカク走っていると計測されている。
この前、いつもの7.2kmのコースを試しにこのアプリで計測してみたら、8.04kmと計測されていた。
誤差は約1kmで、なかなかだ。

エラー発生、バグ、計測不良もちょいちょいある。
計測中にその記録が飛んでなくなったり、3kmくらい走って計測したら、5時間走ったと記録されていた。
20回中、エラーで中断とかも含めると計測不良は約5−6回くらいだったかな。

ここらへんはアップデートで改善されていくのだろう。

そんなこんなであまり精密じゃないけど、ゲームしているような感覚でおもしろい。

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2015 7/7 『渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道』

旧山手通り、ハリウッドランチマーケットの斜め向いに猿楽塚古墳がある。

ここにあるこんもりした築山は、6〜7世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種です。
ここにはその円墳が2基あって、その二つのうち高さ5mほどの大型の方を、むかしから猿楽塚と呼んできました。
この塚があることから、このあたりを猿楽といい、現在の町名の起源となっております。
ここにある2基の古墳の間を初期の鎌倉街道が通っていて目黒川へくだっていました。
渋谷区にように開発が早くからはげしく行われた地域に、このような古墳が残されていることは非常に珍しいことです。

この塚、古墳には現在、猿楽神社が造営されている。
絵馬には合格祈願や愛している人への想いが綴られている。
静かな境内に時おり響く人の笑い声が、何とも都会らしい。

代官山のど真ん中に、1400年前の古墳があるとは、ショッピングをしている人のほとんどが知らないかもしれない。
ヒルサイドテラスのオーナー、朝倉家の尽力によって今も存在しているのだろう。

もうひとつ古墳あって、対になっているらしいが、副墳の存在は分らなかった。
この2つの古墳の間を通るのが鎌倉街道だという。
写真一枚目の左側の道がそうだ。
鎌倉街道:古道としての「鎌倉街道」とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、鎌倉時代の関東近郊の主要道の意として用いられている。

写真下から2枚目、目黒川を渡ってきた鎌倉街道は写真のあたりからグッと曲がり、古墳の間を抜けて、現 旧山手通りを渡り、一番下の写真の道へと続いている。
一番下の写真の道は、ハイスタンダードオクラなどがあり、代官山でも昔から人通りが多い道、聖林公司ストリートだ。
今も昔も変わらずに、古道には人が集り通って繁栄しているということだ。
まぁ、だから今でも残っているのだけど。

この先の鎌倉街道は、オクラのところで一部消滅して、ちょい先の現 八幡通りになり、並木橋交差点で渋谷川を渡り、金王神社前、青山通りから表参道、表参道の伊藤病院とAPPLE STOREの間をとおり、まい泉青山本店前、外苑西通りを渡ってその先は千駄ヶ谷から新宿御苑真ん中をぬけて明治通りの一本裏あたりをとおり、神田川を渡り、雑司ヶ谷、東池袋へ、R254帝京平成大学池袋キャンパス横をとおり、明治通りになり、西巣鴨交差点のファミマ&ネットカフェの建物の裏に続く。
一部は消滅しているが、開発が激しい都内でも今でも鎌倉街道は残っている。 しかも、代官山〜青山あたりなんかは昔からまぁよく通っている道だし、池袋から西巣鴨の道も便利でたまに使っている。

長い年月を経て、新しい道がどんどん増えても、古い道は変わらずに便利ってことだなと思う。
その証しに、今でも人通りや車の通行量が多いなと、通ってみるとよく分る。

ちなみに、この鎌倉街道は中道というルートのうちのひとつだという。

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2015 7/3 『日本人のルーツ』

欧米人からみたら韓国人や中国人、日本人の外見のちがいはあまり分らないと聞いたことがある。

DNAの解析がすすんできて、東アジアの民族の遺伝的分布がかなりちがうと分ってきたという。1枚目の画像。

縄文人の遺伝の方に日本人は引っぱられているという。
アイヌは遺伝的にかなり縄文人よりだと。

女性はXX染色体、男性はXY染色体なのはご存知の通り。
この男性特有のY染色体の情報は父から受け継がれるので、はるか遠い父、先祖を追っていくことができるという。

Y染色体の種類は20種ほどあり、A,B,C,D,Eタイプはアフリカの人々にみられるように古いタイプで枝分かれして新しいタイプが出現したのだと。

で、日本人のY染色体タイプはOとDとその他に分けられ、Oは53.9%、古いタイプのDは32.2%ほどいるという。

Dというグループはアジア大陸では、韓国、中国ともにほとんどみられないのだと。

かつて日本列島に住んでいた縄文人はDタイプで、弥生時代になると大陸から弥生人のOタイプがやってきたと。

で、Dタイプをもつ人々はじゃぁどこにいるかというと、なんとアンダマン諸島の原住民族とチベットの人々なのだという。
つまり、私たち日本人には縄文人のDNAが受け継がれていて、3割の人は遺伝的に縄文人色がつよく、このDタイプの日本人の父をずっとさかのぼっていくと、世界で2ヶ所このDタイプの人々が多いのがアンダマン諸島とチベットの人々で、共通の父に辿り着くのだと。

大昔、かつての東アジアの大陸にはDタイプの人が多く住んでいたところ、Oタイプの人々がアジアを占めるようになり、取って代わられたのではと。
日本やチベットやアンダマン諸島は島国だったり、山間部に属していることから、他のグループとの交流が限られていたために、現代でもかなり高頻度で残っているのだという。

人類みな兄弟とはよく言ったもんです。

いつだったか、行きたいなと思ってアンダマン諸島があるアンダマン海に遊びに行ったことがある。
縄文時代や縄文人のことを知れば知るほど惹かれて、とてもおもしろくて好きになった。

新宿に縄文人現る

自分はOタイプかDタイプかその他タイプか気になるところだ。

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