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2023 2/27 『板橋区大山西町 千川上水跡<河川管理地>』

地図の青丸部分、田崎病院の向かいに千川上水跡<河川管理地>がある。40年以上前から手つかずのままとなっているので、転用など使い道がないのだろうか。管理地には点検口の鉄の蓋が設けられているので、この下には何かがあるのだろう。遺構だろうか。
千川上水は新川越街道を越え、末ッ子という中華屋の横を通って旧川越街道(ハッピーロード大山商店街)に架けられていた大山橋を潜り、養育院前を流れていた。
国道17号線から続く都市計画道路開通のために、商店街もこの管理地付近も街が様変わりしている。大山駅付近も含め、私が知っている40数年前の町並みはもうしばらくしたら見られないようになる。泣く々立ち退きした商店主も多いことと思う。

ところで、幼い頃5歳くらいだっただろうか、この管理地付近の道に凹みがあり、割ばしに巻かれた綿アメをくわえていた私はその凹みにつまずいて、地面に顔から突っ込んで喉に割ばしが刺さって血だらけになったことがあった。血だらけのまま家に帰ると、母が自転車に私を乗せて田崎病院へ行ったが処置が出来ないということで、日大板橋病院に搬送されて緊急手術となった。病室のベッドに横たわって見た窓の外の光景を今も憶えている。刺さった場所が悪かったら喉が潰れていただろうし、呼吸が出来ずに死んでいた可能性もあったとのことだった。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2023 2/24 『NIKE オニオンタ サンダル』

少し前にNIKEのセールで買ったサンダル。¥7700が¥2799ってどういうことでしょう。

日も少しずつ長くなってきている。
早く暖かくなって欲しい。

そうなると、花粉の症状が出てきて大変な方も多いと思います。
自分もこの時季は鼻水ズルズルくしゃみ連発お目目かゆかゆで大変だったんですが、14年前にランニングを生活に取り込んで以来、薬も飲まずに今では少しくしゃみが出るくらいでまぁ花粉症の症状は軽減している状態が続いています。因果関係というか効果があるのかどうか分かりませんが、ランニングって良いような氣がしないでもないと感じています。

【関連記事】
■NIKE <Dri-FIT UV チャレンジャー ハイブリッド ランニングパンツ>と<GYAKUSOU GIRA[NIKE×UNDERCOVER]>
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2023 2/22 『古道<長崎道> 板橋区熊野町 白昼堂々男4人組の強盗 現金約900万円奪取 そして3ヶ月後逮捕』

都内も多くなっているように、あちこちで強盗事件が頻発している。
この事件はフィリピン絡みの事件と関連があるのだろうか。
潤沢な資産を持っていたりする方々は今怖い思いをしているのではないだろうか。潤っている生活や身なりをSNSでオープンにしている方々も注意ですね。

この事件では古道<長崎道>沿いの会社が被害に遭われたとのこと。多額の現金を会社に置いておかないとならない商売だったのだろう。現金一括で安く大量に売買する会社もありますからね。
ニュース映像でも言っていたように、この道は古い時代から生活道路で人の往来が多い道。強盗も人の往来も気にしていたようだが、「まさか昼にこのような場所で」ということが盲点なのだろう。

政治経済もそう思うけど、日本がどんどん良くない方向へ進んでいるのではないだろうか。
福祉、介護関係も速やかに改善しなければならないことも多いとよく感じる。

※3ヶ月後逮捕。(2023年8月加筆)

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■古道<長崎道> 板橋区“子易神社前 高田道の辻〜熊野町 熊野神社前”
■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“要町一丁目〜高松二丁目 出桁造りと延命地蔵尊 ”
■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り<庚申通り商店会>“高松一丁目〜板橋区南町 出桁造りと南町の庚申塔(大辻の庚申塔)”
■豊島区目白三・西池袋三 西武池袋線<V型 二股踏切> 廃止された長崎道踏切(古道 長崎道)と第二中里踏切

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2023 2/21 『うまみ調味料は好き?嫌い?』

背脂がのった無化調のにぼしラーメン、これがとてもおいしい。

炒飯やラーメンを作っている映像をみると、ビックリする程どっさりとうまみ調味料が入れられている。そうしないと、ある一定のおいしさを感じるラインをクリア出来ないのだろう。
否定しているわけではなく、うまみ調味料をたっぷりと使った食事で育ってきた世代なので、入っているのが当たり前で、料理にもよるが、入れるのと入れないのでは、コクが、確かにうまみが増しておいしく感じる。
うまみ調味料が入っていないラーメンは最初はどこか物足りないように感じるが、入っていないのに慣れると、入っているラーメンを食べるととても濃く感じる。

入りor無し、どちらもおいしい。これは人それぞれの好み。
過度に気にする必要はないように思うが、使い過ぎや食べ過ぎは避けるのが良いですね、当たり前ですが。

そんな無化調のおいしいラーメン屋さんでテイクアウトしたチャーシューが、これまた優しいお味で柔らかくでとてもおいしいのです。
カップヌードルしょうゆ味に分厚めにインすると、これまた一段とおいしくなるんです。

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2023 2/16 『洋紙発祥の地<洋紙発祥の碑> 王子 <武陽王子飛鳥山真景>』

王子駅前、石神井川旧流路の横にスポーツ・グルメ・ショッピング等の複合施設<サンスクエア>があり、敷地内この洋紙発祥の碑と説明板が設置されている。

ーーーーーーーーーーーー写真上から1−2枚
洋紙発祥の碑
日本の洋紙生産は、明治六年(一八七三年)ヨーロッパの先進文明を視察して帰国した渋沢栄一が「抄紙会社」を設立し、ここ王子に製紙工場を作ったことから始まりました。
田園の中、煙を吐くレンガづくりの工場は、当時の錦絵にも描かれ、東京の新名所になりました。その後日本の製紙業に大きな役割を果たしましたが、昭和二十年
一九四五年)、戦災によりその歴史を閉じました。
この碑は、工場創立八十周年を記念し、昭和二十八年、その跡地に建てられたものです。
日本製紙株式会社
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ーーーーーーーーーーーー写真上から3−4枚
「洋紙発祥の地 王子」
渋沢栄一は明治維新後、訪れたパリ万博博覧会で「日本の近代化産業を盛んにするために知識を高める新聞などの印刷物の普及が必要であり、洋紙製造事業をすべき」と考え、江戸時代からの両替商三井組・小野組・島田組に、資本を集めて製紙業を起業するよう説得。
自ら代表取締役となり、欧州で学んだ「合本組織」による「抄紙会社」洋紙製造工場をスタートさせました。

日本初の洋紙製造工場が誕生した地
明治8年6月には洋紙工場が完成し操業、12月には開業式を挙行しました。翌年、大蔵省印刷局抄紙部の工場が隣接地に設置され、社名を「製紙会社」に改称。その後、明治26年には王子製紙(株)王子工場となり操業を続けました。しかし、第二次大戦中の昭和20年4月、工場一帯は王子地区への東京大空襲で大部分が戦火で焼失し閉鎖。戦後、24年に占領政策で王子製紙は苫小牧製紙、十條製紙、本州製紙の3社に分割。工場は十條製紙が引き継ぎ、昭和47年工場跡地に十條ボウルがオープン。平成5年には、日本製紙(株)となり、歴史的産業遺産として継承しています。

近代産業の条件を満たした歴史的産業遺産の地
渋沢栄一の近代産業の地の条件に叶っていたのは、豊富な水源と工場思想の情報発信ができる東京近郊の場所で、江戸の観光名所・風光明媚な王子・飛鳥山・滝野川でした。水源は石神井川(音無川)、千川上水を利用、物資運搬も船で石神井川から荒川(現・隅田川)へ。製紙会社が操業すると近代化・産業化が隆盛となり工場群ができ、人達が集まり、店ができ、王子は近代産業の中心地となり浮世絵にも描かれています。
渋沢栄一も飛鳥山に住み民間外交の場として、晩年は国際協調を願う世界中の人達から“グランド・オールド・マン”(偉大な老紳士)と讃えられました。往時の足跡は飛鳥山3つの博物館で偲べます。

明治8年(1875)から大正期に王子界隈に出現した製紙関連工場群
「抄紙会社」が開業されると工場が次々と建設され、日本の近代化産業発祥の地となりました。戦後、工場は次々と郊外へ移転し、跡地には団地が建設された地もあります。

豊富な水源石神井川、千川上水が製紙関連工場群を造り、近代化産業に導く
千川上水の水は、音無川(石神井川)に流し入れ、この川から水を引き農業用水としていた地元王子と23か村。抄紙会社工場内と国立印刷局内には石神井川上に掛樋(木樋)で渡して千川上水を工場に引いていました。
かつては江戸幕府が滝野川村に反射炉と水車を設置後、石神井川の川幅広げ、川底を下げる堀継ぎ工事が行われていた地域。製紙工場が水路利用するための証書や嘆願書等が多く交わされています。その貴重な資料は紙の博物館に保存されています。
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ーーーーーーーーーーーー1番下の写真
「武陽王子飛鳥山真景」
この錦絵が描かれた明治21年(1888)頃は、渋沢栄一が抄紙会社を製紙業界の先駆者的位置にした全盛期でした。

※拡大写真はこちら
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渋沢栄一の飛鳥山邸の一部は現存しているが、残念ながら多くは焼失している。
王子近辺は見所がとてもたくさんあるので、あちこち見てまわったら大変面白いです。

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■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
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■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標

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2023 2/7 『板橋区東坂下 出井川<新中山道(国道17号)に架かる新小袋橋>』

地図の黒丸部分、新中山道(国道17号線)に新小袋橋の橋桁と親柱が架かっている。
ここにはかつて出井川が流れていたが、現在は暗渠となり、遊歩道として整備されている。またここよ

り少し北には蓮根川がかつて流れていて、こちらも遊歩道として整備されている。

いたばしの地名より引用ーーーーーーーーーーーーー
小袋
(三丁目)郡 志村大字小豆沢小字・・・志(志村)の小字峡下の内にある小区画の土地で、志村の台地下にあります。台地下に沿って、至る所から清水が湧き出て、この内のいくつかが低地に集まる湿地でした。この東隣りにも志村屋敷と呼ばれる湿地があります。

小袋
(二丁目)郡 志村大字本蓮沼小字・・・荒川が大きく輪を画き湾流している川べりに沿った地域で、出井川が荒川に流入する処でもあります。地域の西側を中山道が通り出井川を跨いでいたので石橋が架けられていました。
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地図の赤丸部分、旧中山道にはかつて小袋橋が架かっていたようだ。
石神井川を跨ぐ旧中山道に板橋が架けられていて、新中山道(国道17号線)に新板橋が架けられているのと同様ですね。

上記のいたばしの地名から分かるように、かつては至る処から清水が湧き出していて、その中でも大きな丸池があったが、埋め立てられたという。

志村台地下には現在も豊富な湧水があることもよく知られている。

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■板橋区泉町 出井の泉跡(出井の泉公園)〜出井川跡  “清水講中<大山不動明王>石碑”
■<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校 清水稲荷神社“出井泉(酒泉渓)”と“清水氏・板橋氏”
■板橋区宮本町 出井の泉跡から清水稲荷神社へ移設された“清水講中<大山不動明王>石碑” 消滅した最東端の有力な支流の谷頭
■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)

■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
■志村城山公園の湧水と志村城跡
■板橋区 小豆沢公園の湧水
■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #1
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)

■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■蓮根川緑道 ヘビ公園
■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池
■板橋区高島平8丁目 徳丸ヶ原公園 <平太郎沼と呼ばれた沼を模した名残の親水設備>

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2023 2/6 『さようなら<ホープ軒本舗 大塚店>』

コロナウイルスのせいで、営業時間や営業日が変わったり、しばらく休業したりしていた名店ホープ軒が撤退とのこと。残念ですね....近くを通って、食べようかなと思うとほぼ休みで。従業員の確保も難しかったようですけど。
大塚店で初めて食べたのは近くの都立高校に通っていた頃で、確か土曜日の授業後だったように記憶している。その後も仕事帰りにバイクでたまに食べに行っていた。カップも袋麺もよく食べた。
環七の高円寺店?にはまぁよく通っていたし、吉祥寺店もよく食べた。
各店舗で味は一緒なんだけど、微妙にコクのようなものが違うなと思っていたら、社長が取材で言ってたのは、各店舗で出る数が違うために豚骨の量も異なるから微妙に違うだと...なるほどそういうことかと思った。大量の牛肉を使って仕込む牛丼と少量で作る牛丼では味が(コク)が違うように。大量に仕込まないと出せない味。
飲んだ後の深夜の緑色をしたニンニクダブルがまぁ美味しいけど、家族にはまぁ臭い臭いと嫌な顔をされたのも懐かしい。

外は32℃のオープンエアで汗だくで食べる猛者も多かったですね。

完全閉店まであと一か月弱あるが、営業せずに終わるのだろうか。
行きやすい場所にある大塚店での一杯をまた食べたいな。

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2023 2/2 『ペット霊園 東京家畜博愛院』

日曜日には久しぶりに愛猫の元へ....何年ぶりだろうか。
亡くなってからは母をバイクの後ろに乗せて行ったり、あまり長い距離を歩けなくなってからは母の代わりによくお参りに行っていた。
霊園に入ると、野良猫が何匹もそばにやってくるけど、行くたびに猫が変わるのは寿命が短いからだろう。
お参りから帰って母に霊園の様子を報告すると、とても喜んでいたのを思い出す。
この日は風もあってちょっと寒い日だったけど、あちこちうろついて到着。「そういえば、6年前に亡くなった、徳丸が原のスケート仲間の親父と継母を納骨堂で見かけたことがあったなぁ」と思い出した。可愛いビーグルを飼っていて、ボクらのサッカーチームのマスコットキャラだった。
ここはニュースでもよく見かけるが、警視庁警察犬のお墓もあるんですよね....荒れたお墓もいくつかあって、人と同様になかなかお参りに来れない生活状況になっているんだろうなと思う。墓じまいや実家じまいもさかんなように、この霊園にもそれがやってくるのだろう。
お墓参りも良いし、毎日祈ることもいいし、それが出来なくても亡くなった方々を思い出すことが大切ですね。年齢を重ねると、毎朝供えるお水の数が多くなり、祈る時間も長くなります。

これにて、昨年の11月から二か月かかった、あちらこちらへのご報告お礼参りも終了。

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■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば

■構成要素
■あぶないランプ
■メイク
■思いでの撤去
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT -大切なひととき-
■スケートボード道
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■やすらかに
■久しぶりのお墓参り
■第三回目

■走る理由 「母の分まで、母のために」 ランニングバッグは介護用に

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