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2024 8/30 『防水型といっても完全防水ではないケースの使い方』

これ、35年くらい前にたぶん池袋の上州屋か今は無き東急ハンズ池袋店で買ったケースで、真ん中の筒をクルクル回すとパカっと開けられて、空洞部分にマッチを入れて使うもの。30年くらい前によくやってたキャンプでは実際にどこでも擦れて火がつけられるというマッチを入れて使っていて、キャンプじゃない時にはメディスンケースとして重宝していた。頑丈、堅牢なボディなので潰れたりめちゃ濡れになったら困るなという物を入れると結構良いんです。お線香なんかもいいですかね。
今はどうか知らないし疎いけど、キャンプでマッチはよく使うのだろうか?チャッカマン的なライターが主のような気もするがどうでしょうか。

百何十年も生産されてて売れているだけあるように、簡単な作りで丈夫なんです。今でも旅行などの際に携行している。

先々週に続いて今回の台風にも気が気でなく....引き続き地震や台風などに気をつけて。
GORE-TEX素材を使ったトレイルランニングシューズなど家族全員分用意しても良いですね。自分は雨の日の普段使いとして7年履いている。加水分解はしていないから結構保っている方では?

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2024 8/28 『オフロードのバイク・小排気量のバイク <有事の際の強いツール>』

体の大きな人やロング走行する人は排気量が大きい方が良いだろう。
中肉中背で主に都内や近県をうろつくぐらいだと、200CCとか250CCのバイクが良いだろうと思う。その中でも都内だとオフ車の機動力はなかなか良いとも思うし、地震や豪雨などのこの大変な時代だとよりオフ車が良い、最適かとも思う。軽くてテクがあれば悪路などどこでも走れるトライアルバイクが特にとても強い味方だろう。私は30年前に3台分のトライアルバイクを所有していたこともあった。とにかく身軽でとても便利なのです、特に都内は。荷物は積めないのででっかいバックを背負うと良いし、有事の際にも適応できると思う。
1枚目が長いこと乗ってたトライアルバイクでいじっては戻してなどを繰り返して楽しんでいた。合計で10万キロ近く乗ったけど、最後はフレームのクラックが酷くなってしまい、知り合いのバイク屋でバイクを新車で購入した際に車体やパーツも引き取ってもらった。
一度所有したいのは2枚目のバイク...とてもすてき。乗りこなせるかどうかはおいといて。

3枚目のは友達が乗っていたやつDT200WRで、これもなかなかかっこいい。結構速かったと思う。
その下のはTDR250で、TZRだったかな、レーサーレプリカと同じエンジンだったと思う。第三京浜で乗らせてもらったけど、これはとても速かった割には運転しやすかった。
その下のはこれも友達が乗ってたもので、カワサキのZシリーズの最小排気量のZ200というバイク。トコトコ走るようなものだけど、キャブトンマフラーに変え外装も悪い感じにしていたので、とても好きだったし乗りやすかった。一緒によく夜にあちこち走りに行ったし、ハンバーグ屋やラーメン屋にもよく行った。隣りの隣り町に住んでいる彼にはもう20年くらい会うことはできていないけど元気だろうかと、彼の家の前などをランニングで通る時によく思う。
一番下のは自分が乗っていたトライアルバイクの兄貴分のようなもので、少し遠出する時にぴったりのバイク。少し前に川沿いでこれに乗っているおじさんを見かけたけど、とても格好良かった。座らずに立って乗っててね。

もうあれこれすべての物の値段が上がっているから、これらのバイクももう結構良い値段なんですよね。嫌なもんですが、これからもバイクの値段もどんどん上がっていくことでしょうね。

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■本田のバイク
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■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り<米屋伊勢五などの出桁造り> 90年代中頃の新中山道(国道17号線)を走る大型三輪トラック(オート三輪)
■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば

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2024 8/24 『道の真ん中に落語家さんのような佇まいで座っているヒキガエル そっと胸に抱えたボクの夏 「お母さんお姉ちゃん、持って帰ってきたよ〜!」』

有吉クイズで彼が六本木で蛙を探していた。
都心だから見つからない思ってたら出現した。ビックリしていたMCなどはいないと思っていたからだろうが、カエルどころかハクビシンや狸など結構住んでいるので見かける人も多いだろう。すぐ近くには皇室の大きな自然が都会のど真ん中にあるので、生息しててもいたって普通のことかと思う。

私が子の頃には都会のど真ん中ではないけど、たくさんの生物が闊歩していた。6−8歳頃だったと思うが、道のど真ん中にドでかいひきがえる、ガマガエルが落語家のように座ってこちらを見ていた。動く気配もしないので、ボクは家に持って帰ることにして、胸に師匠を宝物かのように大切に抱えてゆっくりと歩いた。ガラガラと玄関の引戸を開け、「ただいまー!お母さんおねえちゃん、あそこの空地のところで拾ったから持って帰ったきたよ〜。飼いたい!」と言ったすぐあとに「ギャーあぁ〜!!!来ないでこっち!」と2人の絶叫が家屋に響きわたった。胸に抱かれた師匠も驚嘆して地面へとジャンプしようとしたが、ボクは少し力を入れてハグした。目の前にはへの字顔で小刻みに揺れる2人に、「ん?何で?」と疑問の念を持ちながらも状況を理解し、踵を返し引戸を閉め直して我が家から去った。テクテクと来た道を戻り、同じ場所へ師匠をそっと置いた。何だか虚しい思いが心を占拠して、いつもの大きな公園と遊びに向かった。

小さい体のボクとガマガエルの対比は、まるで大ヒキガエルかのように写ったことだろう。
・・・お母さん、お姉ちゃん、びっくりさせてごめんね。あまりにも大きくて可愛かったから。
「ボクにとっては拾ってきた猫のチロと変わらなかっただけなんだぁ」

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2024 8/20 『2024年8月 人類はどこから来て、どこに向かうのか <人類学に起きた革命など>』

核DNAの解析が可能になり、この十何年かで様々なことがより深く細かく分かりだして、ガラッと変わったという。少し前まで、ネアンデルタール人とホモサピエンスは交雑してなかったと考えられていたけど、日本人には2−4%の彼らのDNAが入っている。そしてデニソワ人のも入っていると....同じ時代に何種類もの人類が生活をしていたということですね。
茂木さんには2.7%だったかな、ネアンデルタール人の遺伝子があるという。日々走りまくっていたり何だか力強いのはそのDNAの影響なのだろうか?

縄文時代から弥生時代になって、大陸から多くの人々が日本にやってきて古墳時代にかけて、縄文人のDNAはだいぶ置き換わって薄くなったという。大和政権が出来て人々の往来も激しくなったということなんだと。なるほどなるほど。
人類皆兄弟と習ったように、そうよく言ったものですが、我々のルーツはアフリカであるということはDNAの解析によって分かったこと。
何人だからどうこうということではなく、攘夷思想的なものも持ってはいないが、やはり大切なのは道徳、他者を思いやる心、慮ることではないかと思う。

これからさらにアップデートされていくと思うが、現時点での人類の話にとても興味を持つ。日本人のルーツとなる人々、親類はタイの密林にいるマニ族というのも大変に興味深い。(NHK フロンティア その先に見える世界#1 「日本人とは何ものか」より)

見ていない方、ぜひ。
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(【人類はどこから来て、どこに向かうのか】国立科学博物館館長・篠田謙一/ノーベル賞受賞研究が明らかにした人類の起源/「日本人」の起源とは/「科博クラファン」の裏側と目的)

【関連記事】
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■新宿に縄文人現る
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道

■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)

■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
■上野恩賜公園 摺鉢山古墳
■駒込富士神社と古墳群
■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
■北区王子 飛鳥山1号墳
■北区赤羽西5 大塚古墳 周辺の古墳(天王塚古墳、稲付台古墳群など)

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2024 8/15 『戦没者を哀悼し平和を祈念する日 ー浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たちー 九段下<昭和館>建設時の仕事』

今日は終戦の日。

30年弱前、学生だった頃に床屋(内外装の床貼り屋)で働かせてもらったことがあった。宮前平の集合住宅、どこかの商業施設、池尻大橋の住友銀行の電子計算センター更衣室、陸上自衛隊十条駐屯地,他にも様々な現場に行った。それらの現場の中に、地図の白赤四角部分、当時建設中だった九段下の昭和館の詰所だったか、屋外の施設の一部の床を貼りに行った。親方が「建設に反対している人も周りにいて、監視しているから周りのビルを見るな」と言われたことがあった。黙々と下地に糊(合成ゴム)を大きく塗布して、長尺シートを貼り、シートの継ぎ目には熱で圧着した養生棒をカットしていく仕事を納めた。
短い期間だったが、机上での勉強、スタイロフォームやスチレンボードなどでこしらえる仕事とは違う、大きな現場の勉強・経験として貴重なことを学んだ。

私が子の頃は都心や繁華街に、傷痍軍人(装った人もいただろう)がよく地面に空き缶をおいてその前に座っていたり、ラッパを吹いていたりした。故郷にあった古い写真にうつる親族や近所の兵隊さんの凛々しい姿に目が離せなくなり、変わらずに今もその写真に毎朝お水をお供えしている、誰かは分かりませんが。
多くの命があっての今の私たち。たくさんのことを大切にしなければならないですね。

写真のこの本を読んだのはもうだいぶ前ですが、涙が止まらなかった。Youtubeなどでも浮浪児だった方々の映像も上がっています。詳しく知らなかったことをこの本で知りました。

2024.08.18加筆 あげ忘れていました。

昭和館
1979年(昭和54年)に、財団法人日本遺族会から、戦没者遺児への慰藉のため、「戦没者遺児記念館(仮称)」を建設して欲しいという要望が、当時の橋本厚生大臣に提出された。これを契機として、戦後の繁栄の礎となった戦没者の遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦を後世代に伝えることを目的に、戦没者遺族に対する援護施策の一環として、各界有識者の参加のもとに、「戦没者遺児記念館(仮)」建設の検討が進められた。1993年(平成5年)に「戦没者追悼平和祈念館(仮称)」として厚生省(当時)予算に建設費が計上された。その後、有識者等からの意見の聴取しつつ1998年(平成10年)末に竣工した。

【関連記事】
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野 <闇市 残飯シチュー>
■上野公園 時忘れじの塔
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑

■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡

■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)
■東京第二陸軍造幣廠(板橋火薬製造所)と陸軍兵器補給廠を結ぶ軍用トロッコが環七(富士見通り)をくぐっていたトンネルの遺構
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所
■石神井川の緑橋にある水車の説明板<加賀藩下屋敷にあった水車 [その後は火薬製造や製紙などの軍事・工業用の動力へ ]>と川底から沸き出すのは自噴水か?
■北区立西ヶ原みんなの公園(東京外国語大学跡地)<御薬園 谷田川の水源となる湧水>と下瀬坂 巣鴨庚申塚にあったファイト餃子<学生多数参加の大食い早食い大会>

■東武東上線 大山駅 駅前木造密集地域 飲屋街<闇市(ヤミ市)の名残り> 駅前広場整備事業
■JR板橋駅前 木造密集地域<ほろよい横丁>と昭和20年代初め頃<板橋駅前の闇市(ヤミ市)> ラーメンストリート
■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など

■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災

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