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2019 4/19 『HOGWILD スナップウォッチ』

12年くらい前、シーカヤックに乗ったりするのに、無くしても良くて、ある程度の防水で安価な時計を探していたところ見つけたのがのHOGWILD。
千いくらかだったと思う....チープカシオと同じくらいかな。
時計ボディの左右がスナップボタンになっていて、パチんと留めてブチんと外すベルト構造で、時間と日にち交互表示と時間のみだけのモードが選べる。
濡れてもOKですぐに乾き、邪魔なら持ち物に取付ければ良いので、とても使い勝手が良い。
わりかし早くに電池が無くなるので、小さい々ドライバーさえあれば、自分でも簡単に電池交換が出来る。
って、今は製造中止になっているようで、見かけることはあまり、というか、ないけど、なかなか良い製品だと思う。

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2019 4/16 『蒙古丼』

かつて練馬鑑別所近くにあった蒙古タンメン中本本店へ....町のあちこちにあって、有名なお店だけど初蒙古、ラーメンを食べずに入店。
汗だくでステイし、二つ抱えて帰宅。
辛いのがあまり得意ではないけど、そんなに美味しいなら大丈夫だろうと思ったが.....自分には辛過ぎで、一口で眉間にシワが。半分食べてもう辛くて辛くて,、断念。で、時間をおいてからトライ.....何も考えずに完食。
辛くてほとんど味が分らなかったけど、こんなに人気があるのだから、相当おいしいのだと思う。なんだか、真っ赤っかのラーメンを食べているのをテレビでたまに観たけど、いやぁ凄い味覚だと思う。いや自分が弱すぎるのか。。
店内でラーメンを食べなくて良かった....ほぼ残していると思うから。
このデフォルトの辛さの三分の一くらいだったら、ぱくぱく食べれると思うけど。

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2019 4/15 『板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り』

板橋区上板橋、新川越街道と旧川越街道が分れる付近の旧川越街道沿いに出桁造りがある。(地図の黒丸部分)
(手前の青丸付近にも出桁造りがあるが、今回は掲載せず)
この商家は比較的新しいように見受けられ、現在でも商売(たばこ屋)をされており、住まわれている。
旧川越街道が新川越街道に吸収されずにいたためにこの商家は残ったのだろう。きれいな状態なので、この先も残ってもらいたいと思う。
ところで、この先の赤丸付近に「軽食・中華 こだまや食堂」がある。
こちらは出桁造りではないが、なかなかノスタルジックな佇まいで、とても印象的。
現在も食堂は営業をされている。
入店するには若干勇気がいるかもしれないが、あちこちのブログ等では評判が良いようで。
(2020年3月31日加筆、こだまや食堂は閉店とのこと。お疲れさまでした。)

この先2kmほど川越方面に進んで行くと、下練馬宿(東武練馬駅付近)に入ってゆく。逆の江戸方面に進むと上板橋宿となるのだが、京都に近い方を“上”といい(つける)、江戸に近い方を“下”とつける。
ちょっと分りにくいのだが、江戸に近い旧中山道の板橋宿(上宿<板橋本町付近>・仲宿<文字どおり仲宿>・平尾宿<板橋駅付近>と3つからなる)は下板橋宿と言われ、旧川越街道の京都に近い方が上板橋宿となる。
そもそも、板橋警察署付近の旧中山道から分れたのが旧川越街道なので、それぞれに“下”と“上”をつけたということ。
と言っても、旧川越街道の方が、旧中山道よりも古い時代から整備されて、江戸城へと繋がっていたので、旧川越街道から分岐した旧中山道とも言えるのだろう。ややこしいが、さらに、中板橋という町の隣にあるのが弥生町で、その町を通る旧川越街道沿いに上板橋宿がかつてあったということになる。
【過去記事】
案内標識と庚申塔
上板橋宿と大山福地蔵尊
平成三十年に新しく設置された旧上板橋宿の案内板はこちら
かつてと今を比べた旧上板橋宿の拡大写真(3MB)はこちら

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2019 4/12 『国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先』

案内板から引用

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慶長九年(一六〇四)二月、江戸幕府は、江戸日本橋を基点として全国の主要街道に一里塚を築き、街道の道程を示す目安とすることを命じました。
西ヶ原一里塚は、本郷追分の次の一里塚で、日本橋から数えると日光御成街道の二番目の一里塚にあたります。都内の日光御成街道は現在の本郷通りが主要なルートにあたりますが、岩淵宿から船で川口宿に渡る鳩ヶ谷・大門・岩槻の各宿場を北上して幸手宿で日光街道に合流しました。
将軍が日光東照宮に社参する際の専用街道として使用されたので、この名称が定着しましたが、岩槻藩主の参勤交代や藩の公用通行路に使われたので岩槻街道とも称されました。
旧道をはさんで一対の塚が現存していますが、これは旧位置に保存されている都内の一里塚として貴重な文化財です。
車道の中に位置する方の塚には「二本榎保存之碑」と題される大正五年六月の記念碑があります。
西ヶ原一里塚は当時、東京市電の軌道延長路線上に位置したために、この工事に伴う道路改修工事で撤去されそうになりました。
碑には、こうした経緯と、渋沢栄一や東京市長・滝野川町長を中心とする地元住民の運動によって保存に成功したことが刻まれています。
西ヶ原一里塚は、大正時代に文化人と住民が一体となって文化財の保存に成功した例としても記念的な意義をもつものといえます。

平成七年三月 東京都北区教育委員会

二本榎保存之碑の案内板の拡大写真はこちら

【過去記事】
現存する都内の一里塚
旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
駒込富士神社と古墳群
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々

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