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2020 8/10 『稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底』

地図の灰色丸部分、環七の地面レベルからかなり深くに稲付川が流れ、高低差は5〜6m位となる。
緑色丸部分は十条台(稲荷台)を切り通して稲付川を流した跡で、ほぼ手つかずで現存している。
その下の写真は、高低差から考えて、この切り通し付近を撮影したものだと思う。
架かっている橋が姥ヶ橋だろうか。
灰色部分は十条台(稲荷台)から元々湧きだしていた湧水による谷頭浸食で、その湧水の流れを利用して、十条台(稲荷台)を削り切り通して、石神井川から水をひいてつなげたように思う。

自治体が歴史と緑をめぐる散歩道として『稲付の小径』の案内をしている。
案内板から引用ーーーーーーーーーーーー

この小径は、都指定旧跡の静勝寺(稲村城跡)から、スダジイ・イチョウのしげる香取神社をぬけて、姥ヶ橋延命地蔵までの、歴史的文化財と緑をめぐる散歩道です。
この散歩道は、坂が多いのも特徴のひとつです。木々につつまれた静勝寺の坂や、昔は湧水が湧いていたといわれる中坂、水車小屋があった水車の坂。そのほか真正寺の坂、野間坂など坂道のつくりだす独特の雰囲気が、静かなたたずまいを演出しています。
緑と歴史にふれながら、なにげなく見過ごしてきた北区の魅力を再発見する散策をお楽しみください。

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低地の神谷や赤羽付近の農地を潤した稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)は、北部の農家にとってはなくてならない大切な川だったことがわかる。

国道17号線の向う、板橋区双葉町の日曜寺から隣接する智清寺に現存する稲付川の橋桁・親柱をスタートし、旧中山道の板橋本町交番横から続く稲付川跡の道を通って“稲付の小径”を散策コースもおすすめです。

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■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2020 8/8 『稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂』

地図の黒丸部分に水車の坂と呼ばれている階段(坂)がある。
とても見晴らしが良いことが分るかと思うが、ここは大きく窪んだ谷底から台地へと上り下りするための階段で、かつては階段の下に水車があった。
この水車は、今は暗渠となり消滅した稲付川(根村用水、中用水、北耕地川とも呼ばれていた)の水を利用していた。
そして、この水車の坂の対面に『游鯉園の坂』があり(地図の赤丸部分)、大正時代から戦前まで、坂下の川下にあった川魚料亭の遊鯉園(ゆうりえん)から名付けられた。
戦前の游鯉園は政財界の要人が集う場として有名だったそうで、飛鳥山に邸宅を構えた渋沢栄一に代表されるように、昔も今も飛鳥山・王子付近は一等地でもあり、観光名所として有名で、石神井川沿いには料亭、日光御成道沿いには茶屋がたくさんあった。
この稲付川跡に足を運ぶとわかるが、大きな谷底ゆえに、どこかひっそりとした雰囲気が漂っていて、政財界の要人は、人手が多い飛鳥山・王子や赤羽(岩淵宿)から少し離れた十条のこの遊鯉園を使ったのではないかと思う。

案内板から引用ーーーーーーーーーーーーーー

現在は石段(北区西が丘二ノ二七ノ一二地先)となっていますが、昔はこの下に水車小屋があり、近くの農家が利用していました。
水車に荷を運んできた馬が坂の途中から落ちて死んだこともあり、お稲荷さんと馬頭尊とが並んで立っていました。
現在は稲付川も暗渠となってしまい、水車もありませんが、石段は西が丘から十条銀座を通って十条駅へ向かう通勤の人でにぎわっています。
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水車の坂、階段の入口横には“清水”家があり、偶然だがおもしろい。
写真下から3〜5枚目、谷底にびっしりと住宅が建ち並んでいることがわかる。
また、暗渠につきものである猫がわんさかいる。(写真には写っていないが、十数匹見かけた)
地形図に北区立梅木小学校が読めるが、低地や埋め立て地でよく使われる“梅”は“埋”を表している。大阪の梅田は“うめだ”、“うめた”から埋田であまり良い印象がないので、埋を梅に当てたと言われる。

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■赤羽自然観察公園の湧水
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2020 8/6 『王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
いわゆる『王子七滝』は『東京名所図会』の内容をアピールするための手段だと、『王子七滝考』では書かれている。

7つ以外の滝にも触れており、また古地図などからも引用して地図に記載してみたら、15の滝があったことが分った。

1:権現の滝
2:王子大堰(王子大滝)
3:不動の滝
4:弁天の滝(辨天の滝)
5:稲荷の滝
6:名主の滝
7:見晴の滝
8:飴屋の滝
9:山本家の滝
10:大工の滝
11:醸造試験所の滝
12:湯滝
13:水滝(木滝)
14:桶勘の滝
15:末広の滝(扇屋の滝)

12『湯滝』と13『水滝(木滝)』は絵図に描かれているために正確な場所は不明(石神井川の流れに合わせるとこの付近)。
11『醸造試験所の滝』と14『桶勘の滝』は推定の位置で、11の醸造試験所の滝はかつての石神井川の名残である逆川沿いとも考えられるが、石神井川(音無川)沿いに落ちていた方が自然だと思う。

『見晴の滝』と『山本家の滝』は水量があったようだ。

※2020年8月14日 『16の滝があったことが分った。』→『15の滝があったことが分った。』に修正。

調査報告 第4号 王子七滝考より引用ーーーーーーー

見晴の瀧
滝の水量はかなりあったらしく、滝壺もそれにつれて大きく深かった。
『広さも四〜五坪はあって、それが池として昭和になっても残っており、木が茂って日もあたらないような所になっていた』との話もある。
この滝は明治後期に、湯島に住んでいた豪商、「小栗兆兵衛が台地の上と下のあわせて三千坪ほどの土地を滝と一緒に買取り、別荘とした」ため、名称や所在地が次第に忘れ去られていってしまったものであろう。
この別荘を『長尾園』と呼び、芝坂の上、南側の台地のところに見晴台があった』というので滝の名前はこれから取ったものと思われる。
崖下の滝壺から流れ出る水を利用して別に池が作られてあり、『十坪(三十三平方米)近い広さがあって、舟遊びができたし、木の太鼓橋がかけられていた』という。
これらの名前がつけられていた滝だけでなく、前途の「飴屋の滝」の北、「見晴の滝」の南には、この岸町にまだ残っている「十七夜待」のグループでは最も大地主であった山本家の広い屋敷があり、そこにも滝があったという。
『落差は二間(三・六メートル)ぐらいはあって、小栗さんの見晴の滝より水量はあった』という話もある。
台地の東縁であるとはいっても、これより先(北)には、滝と呼べるほどの水が落ちているところはなく、せいぜいポタポタ程度か、清水がにじみ出るぐらいである。
つまり、滝の北限は芝坂の南ということになる。
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7の『見晴の滝』の先、写真下から2枚目、『井頭まちかど広場』の奥には崖があり、階段上になっていて、個人の住宅の庭に池がある。
これは湧水を貯めているように思われる。
向かいには家の壁にパイプが這わせてあり、水の音がよく聞えてきて、これも湧水なのだろうか。
この先には、北区岸町2丁目の湧水があり、地表近くから湧き出しているために、滝のように落ちないが、今も昔も絶え間なく流れ出している。
高さがあれば滝と成りうる。
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水

滝の写真は『名主の滝』 2013年3月2日撮影

一番下<絵本江戸土産 十條の里 女滝男滝>
十條の里 女滝男滝 
この辺 すべて瀧多し 近来 或人この地の案内として滝の図を著はせるものあり その数十何箇所となん 貴賎この辺に集會 滝を浴て夏月の炎暑を避る

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2020 8/5 『東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
七滝以外にもその他いくつか滝があったことも分っているので、十いくつかになるという。

地図の青丸部分、低地から武蔵野台地(十条台)の日光御成道へと上る坂は南橋トンネルで、その坂道の上にJR線を跨いで南大橋が架かっている。
この南大橋は架かってまだ若く(30年も経ってないだろうか)、開かずの踏切を使わずに、十条と王子を行き来できるようになって、岸町や王子などの住民にとってはとても便利になった。
北本通り(国道122号線)を赤羽方向から王子方面に向かう時、南大橋を渡る際には右折が出来なかったのだが(とても不便だった)、10年くらい前だろうか、右折レーンができて、南大橋を上って渡れるようになり、とても便利になった。というか、なぜ不便にしていたのか不明だが。

話が反れたが、この南橋トンネル部分はかつて土手になっていて、東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道軽便線が通っていた。
廃止になってからは、バラックが建ち並び、主に在日韓国朝鮮の人々が住んでいたという。王子スラムとも言われていたようだが。
この土手すぐそば、岸町に住んでいた友が、幼い頃はあそこの方にはあまり行かないように言われていたと言っていた。
差別ではなく、何かトラブルになることを避けていたように思う。
北区十条周辺、板橋区大山周辺に住んでいる人々は、かつて教師や親に喧嘩になるようなトラブルは避けるようにと幾度となく言われていた。現在はどうなのかは分らないが。

その土手は崩されて整備され、土手を抜けるトンネルにあったアーチは『ちんちん山児童遊園』に保存されている。(写真1番下と2枚目)
そして、十条台の崖際あたり、この南橋トンネルに沿って豊富な水量の湧水が溢れていて排水溝へと消えてゆく。(写真下から3枚目)
この湧水を使って洗車をしている人をみかけたことがあり、そしてこの湧水で遊ぶちびっ子もいる。
この湧水の先、赤羽方面に進むといたる所の武蔵野台地の崖線から水が溢れ出している。
※北区公式チャンネルYoutube<北区鉄道物語3〜かつての鉄道風景をたどる〜>で上記のトンネルや築堤、線路跡などが見られます。

調査報告 第4号 王子七滝考より引用ーーーーーーー

現在の南橋の下には「飴屋の滝」があった。
この滝は、「屋根屋の滝」と誤り伝えられていたこともあった。
名前の由来である「飴屋」とは、岸町二ノ三ノ一五に住んでいる小西家のことであるが。屋敷地が造幣廠の連絡鉄道(いわゆるチンチン電車道)にかかったので現在地に引っ越してきたそうで、昔の屋敷地はずっと崖の近くにあり、滝はその屋敷地内にあった現在の南橋の下あたりになるという。
『遊びにくる客に碁や将棋も何組か用意してあり、食事も出した』とのことで、『涼みにきた人々には座敷にあがってもらったり、縁台で休んでもらい、一日のんびりして家に帰ってもらった』そうである。
水量は『馬の小便ぐらい』という話もあり、大工の滝と大差はない小さい滝であったらしい。

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王子七滝のひとつである“大工の滝”はこの南橋の湧水のすぐ近く、岸町2−2ー3あたりの崖から落ちていたという。
写真上から2枚目、階段がある崖から数十メートル南まで三平坂あたりの崖がこの住所地で大工の滝が落ちていた場所にあたる。
飴屋の滝・大工の滝とこの南橋トンネルの湧水はずいぶんと近くに湧いていたということになる。
この南橋のトンネルの湧水は、飴屋の滝と同じ湧水の可能性もあるのだろうか。

現在の南橋トンネルの湧水の映像をリンクさせている。(720×1280 29.2MB mp4 こちら

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2020 8/4 『音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
七滝以外にもその他いくつか滝があったことも分っているので、十いくつかになるという。

地図の青丸部分と写真の青四角部分、音無橋の手前(ほぼ橋の下と書かれているのを目にするが、橋の上流方向のすぐ手前)にかつて王子大堰があった。
歌川広重の絵には大滝と書かれており、庶民も王子の大滝と呼んでいたという。
堰が大きくて、水の流れがはやければ、昔の写真や絵、絵葉書などをみると、轟々と水が滝のように流れ落ちていたことがわかる。

“古写真はわたしたちに何を伝えるのか”から引用ーーーーーー
写真師ミヒャエル・モーザーの作品はコロジオン写真貼付英字新聞『ファー・イースト』に多く掲載されている。
「茶屋の庭園から望む王子の大滝」の大堰の対岸斜面付近には、万延元年(1860)に焼失した旧金輪寺将軍家御座所の懸崖基壇部分の痕跡が確認され、幕末から明治にかけての王子の変貌の一端を示している。
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調査報告 第4号 王子七滝考より引用ーーーーーーー
歌川広重の絵にある「王子大堰」は用水をひくために、石神井川を堰止めた結果、あふれた水が堰を乗越えて流れるさまを見て云ったままで、いわゆる「滝」ではない。しかし、世間では広重がいうとおり「王子大滝」と呼んだらしい。
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写真下から2枚目、現在の石神井川はこの大堰跡あたりから切り離され、飛鳥山の下を通り、隅田川へ合流する。
左を流れているのが石神井川で、この飛鳥山のバイパス(人工掘削水路)によって水害は大きく減ったが、何年か前の豪雨で石神井川が溢れ、北区堀船一帯は水浸しになり、倉庫が水没して煙草が駄目になったり鯉が道路に上がった。
このバイパスによって、魚は遡上出来なくなったという。

※一番下<名滝尽 王子音無川大滝> 坂東彦三郎
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また、この大堰から分水された用水は北側(神谷・赤羽方面)や東側(台東区・荒川区)の農業用水として大いに役立った。
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2020 8/3 『王子七滝 王子 権現の滝』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
七滝以外にもその他いくつか滝があったことも分っているので、十いくつかになるという。
名も無き滝のうちのひとつには、醸造試験所の中にも小さな滝があったという。

地図の青丸部分、王子神社へ上る階段の参道、石柱と街路燈の間に“権現の滝”が音無川(石神井川)に落ちていたという。

調査報告 第4号 王子七滝考より引用ーーーーーーー

王子神社(昔の王子権現、滝の名称はこれをとった)の右手、石神井川沿いの崖の上にある中央工学校は、昔の神社の宮司・大岡氏の屋敷跡であるが、その裏手、神社との堺にあたり、現在も神社南側の崖にある石段の上り口の左側あたりにその滝は落ちていたという。『そこは「滝場」と呼ばれ、広さは四・五帖ぐらいあった。』
『大正末頃まで行衣をきた修行者が夜、滝にうたれていた。滝は五メートルぐらいの高さから消防ホースぐらいの太さで流れ落ちていたという。』

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下の古写真は権現の滝より十数メートル下流の料理屋、扇屋とその庭を写している。

古写真の上、現在の権現の滝跡に滝を合成した。

現在の王子 権現の滝跡の映像をリンクさせている。(720×1280 41.8MB mp4 こちら

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■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・木タキ

■石神井川 河川争奪
■かつての石神井川
■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近

■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神

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