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2020 10/12 『ナイキ リアクト インフィニティ ラン フライニット React Infinity Run Flyknit 運動後の無化調ラーメン』

怪我ゼロを目指して開発されたシューズ。
名が長いな。。
26cm、2Eサイズのラスイチ。
ぴったり。
いわゆる厚底シューズというジャンルで、すごくフカフカしていて自分にはとても走りやすい。慣れるまで少しこのクセが気になるけど、走っていると調子良い。前傾姿勢になるような作り。
4年くらい前のシューズらと比べると日進月歩の進化なんだなと感じる。
いやぁ良いシューズだ。

ところで、私は化学調味料たっぷり使った食べ物で育った世代で、友の食卓にあがるキュウリには白い結晶がパラパラパラパラかかっている、そんな感じだった。
ラーメンなんて大体うまみ調味料が入っているように感じるが、先日、うまみ調味料を使わないいわゆる無化調のラーメンを食べた。
最初は物足りないように感じるけど、食べて出汁(スープ)を啜っていくと、なるほどなるほどこういうラーメンなら超大盛りでも食べられるくらいにおいしかった。
化学調味料は使っていなから、塩分も少し低いのではないかな。
で、とてもおいしいチャーシューをお持ち帰りして、炊きたての白飯を使って炒飯に。
もうチャーシューがおいしいから、作る前においしい炒飯に仕上がることは間違いない。
うん、とてもおいしかった...うまみ調味料はパラっといったけど。
そういえば、料理人に聞くと、いの一番が効くんだよと聞いたことが結構ある。
白い結晶って悪く言われるけど、実際にはどうなんでしょうかね。

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2020 10/7 『上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札』

地図の日大病院入口の交差点から石神井川に架かる下頭橋あたりまでの旧中山道はかつては上板橋宿で賑わっていた。
旧中山道の板橋宿(京から上宿・中宿・平尾宿)の平尾宿から分岐した旧川越街道は、古道の高田道と交わる四つ又交差点をすぎ、その先は遊座大山商店街、ハッピーロード大山商店街となり、商店街が終わった辺りで鎌倉街道と交差し、その先が上板橋宿となる。

その上板橋宿の黒丸部分の商店に、板橋宿の石神井川に今架かっている板橋のひとつかふたつ前だと思われる木の親柱と距離の札が移設されている。
お店の人に聞かないとわからないが、本物かもしれないと言われている。

板橋の案内板から引用ーーーーーーーーーー
江戸時代の板橋は、太鼓状の木製で、長さは9間(16.2m)、幅3間(5.4m)ありました。
少なくとも寛政10年(一七九八)と天保年間の二度修復が行われたことが分かっています。
近代に入ると、大正9年に新しい橋に架けかえられましたが、自動車の普及に対応するため、昭和7年に早くもコンクリートの橋に架けかえられました。
現在の橋は、昭和47年に石神井川の改修工事の際、新しく架けかえられたものです。
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現在の板橋は写真下から2枚目で、一番下の写真が石神井川の改修工事(直線化など)で、公園になった旧河道に架かる橋がかつての板橋で、こちらの橋に設置されていた親柱と距離の札だとすれば、上板橋宿の商店に保存されている物と考えられる。
こういう物は個人の手に渡るということは通常は考えられないので、あくまでも真相は不明。
板橋区教育委員会も真相は分からないのだろうと思うので、情報がほぼないのだろう。
揮毫がとても綺麗なのがなんとも言えない。

【関連記事】
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋

■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図

■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
■池袋 四面塔尊 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 辻斬残骸 無縁仏の供養 
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道

■板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)

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2020 10/5 『北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟』

王子神社に上る権現坂の手前、石神井川から分水した上郷用水に岩槻街道(日光御成道)の橋が架かっていて、三本杉橋と呼ばれていた。
昭和五年、昭和初期、上郷用水は暗渠化し、稲荷通り(現 森下通り商店会)の拡幅工事を行った際に、この三本杉橋の下を約3メートル掘ったところから丸木舟が出土したという。
丸木舟の長さは五間(約9m)、小縁の厚さは七寸(約21cm)、底までは五尺(約1.5m)の大きな丸木舟だったので、引き上げることは出来ずに、工事関係者は滅茶苦茶に壊してしまったという。
丸木舟は泥炭化して茄子色で、その後その付近の井戸はしばらく紫色の水が湧いて困ったという。

その後、昭和59年(1984)6月に、東北新幹線建設に伴う発掘調査に際し、海抜3.3mの砂層中から、縄文時代中期初頭のものとみられる丸木舟が完成品として出土した。
こちらの丸木舟は全長5.79メートル、最大幅0.72メートル、最大内深0.42メートルの大きさで、厚さは舟べりで2センチメートル、舟底で5センチメートルと薄く、丁寧な作りとなっている。
これと比べると、三本杉橋下から出土した丸木舟は大きかったことがわかる。
時代が若ければ遺跡調査もしているはずで、現存していれば、十条台遺跡群の範囲は広がることになるだろう。とても残念なことだ。

地図、上から3枚目、これが現在の地図で赤い文字部分“現在地”が三本杉橋跡の向かいで、権現坂と王子大坂の分岐地点となる。
王子大坂のふもとには子育地蔵尊が祀られていて、縁日になるとそれはそれは賑やかで有名で、現在の巣鴨地蔵尊の縁日よりも大規模で多くの人出だったという。

写真上から1枚目、石神井川の王子大堰から引水した上郷用水は矢印の方向から流れていき、上から2枚目の三本杉橋跡をくぐって北の農地を潤した。石神井川のもっと上流から引いた北耕地川(根村用水・稲付川・中用水とも呼ばれた)と共に重要な用水であった。

下から1〜2枚目、中里遺跡出土丸木舟
史跡 中里貝塚 総括報告書 2018 東京都北区教育委員会より引用ーーーーーー

第86 図 第1地点 出土遺物(丸木舟)(東京都教育委員会2004 年より転載)

丸木舟(第86 図)
 丸木舟は、田端微高地上にあたるP地区の砂層(B2層)中より出土している。出土した丸木舟は、全長579cm、最大幅72cm、最大内深は中央部で42cm、船体の厚さは、舷の上端で2cm、船底部で5cmを測る。舷内部の上端がオーバーハングしているのが特徴的であり、また内面の一部には炭化した箇所が認められる。
 使用された樹種は、ニレ科ムクノキである。ムクノキは、泥炭層における木材遺体の同定結果をもとにした縄文時代後〜晩期の森林植生の復原でも、崖の斜面から西の台地上にわたって生育していたと推定されている。硬質で靭性があり割裂しにくい性質を備えており、近接する台地上に生育する樹種のなかから、丸木舟の製作に適したものとして選択されたと考えられる。
 共伴する遺物はないが、丸木舟は砂層(B2層)に完全に埋没する形で出土しており、同層位からは中期初頭の五領ヶ台式土器が出土していることから、丸木舟についても同時期のものであると推定されている。丸木舟の出土は、まだ中里貝塚における貝層形成の前段階で、近接する台地上においても集落形成が認められない中期初頭という時期において、すでに低地に人々が降り立ち、活動を始めていたことを示唆するものであるといえる。
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今でも残る三本杉橋の親柱の保存には、王子稲荷参道内の老舗久寿餅店の石鍋秀子さんが尽力したという。
また、三本杉橋下から出土した丸木舟の出来事も石鍋秀子さんの著書『王子に生まれて』を参考にしました。
かつての王子や石神井川(音無川)の画、当時の王子様子や身の回りにおきた出来事などの貴重なお話がつづられているので、とてもおもしろい内容となっている。

※昭和五年に丸木舟が三本杉橋下から出土し、(その後、昭和四十五年これと同じ舟が飛鳥山のすそ近くで出土し、四千五百年前の縄文時代のものわかり、三本杉橋下からから出土した丸木舟の残骸と比べ、同年代の物と分かったという。)・・・という記述があるが、調べてみてもその年や近年には丸木舟の出土を確認できなかったので割愛し、昭和59年に中里遺跡から丸木舟が出土したという、時系列にしました。

【関連記事】
■北区 中里遺跡出土丸木舟

■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道

■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔

■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線

■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■北区十条仲原 稲付川に架かっていた游鯉園橋
■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)

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2020 10/1 『東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)』

地図の黒丸部分、東板橋公園の向かいの集合住宅前に、黄色く塗り分けられた東京第二陸軍造兵廠の境界壁(支柱)と言われる物が遺っている。
そして、この先を少し進むともうひとつ遺っていて、こちらは塗り分けられていない。
この付近の住宅街には他にも陸軍の痕跡が点在しているという。

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■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡

■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)

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