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2017 8/29 『谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>』

暗渠となり消滅した谷端川は、豊島区の粟島神社の弁天池を水源として、旧水戸藩上屋敷(現 東京ドーム)を通り、神田川に注いでいた。

地図の左から右へと流れ、下板橋駅のところでクランク状に流れを変えているのだが、 地図の赤丸のところにかつて田楽橋が架かっていた。
昭和8〜9年の河川改修工事まで使用されていた橋桁が、近くにある子易神社の境内に2本移設され、ベンチとして使われている。
橋桁には“田楽橋”、見づらいが“明治四三年七月竣成”と刻まれている。
長さは約3m10cm、幅は約45cm、厚さは約23cmだという。
橋の名の由来は、川が二つ流れていて、それをつなぐ橋があり田楽豆腐のようになっていたので、田楽橋と名付けられてという。
埋もれた歴史にならずに、こうして有効活用されている.....地域住民の熱意だ。

一番下は昭和35年の谷端川の様子で、地図の“谷端川北緑道”と書かれたあたりを望んでいる。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2017 8/25 『CHOP STICK CHOPPERS』

西巣鴨、明治通り沿いにチョップスティックチョッパーズというハーレーのカスタム屋さんがある。社長はKAZさん。
チャボエンジニアリングの木村さんが、かつて日本でやっていたゼロエンジニアリング時代に創り出したバイクをKAZさんが集めて写真集を出版した。
それがこのZERO CHOPPER SPIRIT.....世界中から注文がきて、ゼロのカスタムハーレーを世界中に広めた写真集だ。名前は書けないけど、このハリウッド俳優も木村さんのハーレーを乗っている。via 
日本だと某ミュージシャンが何台か持っていることでも有名。youtube
.....と、郵便局でKAZさんと10年ぶりくらいにばったりと会って、短い時間だったけど、いろいろ話をした。
最近、昔よく会っていた方々とよくばったりと会う。不思議なものだ。
久しぶりにお店にも遊びに行ってみよう。

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2017 8/23 『都電庚申塚駅 旧中山道 延命地蔵堂の石造物群』

都電荒川線の庚申塚駅のすぐ近く、旧中山道を明治通り方面へ進むと、左手の道の少し奥まった場所に延命地蔵堂の石造物群がある。旧中山道からでも旗が見えるのですぐにわかる。

------------------------------------案内板から

江戸時代の中山道巣鴨庚申塚付近には、巣鴨町近辺で行き倒れた人馬の共同墓地があった。
その墓標として延命地蔵が建立された。
以来、さまざまな供養塔が集った。
かつてこれらの像は、現在の都電庚申塚駅の場所にあったが、明治四十四年(1911)、王子電気軌道(現 都電荒川線)の停車場建設により移転された。
その後、現位置に再移動し、大正期に参道と堂が整備された。
昭和二十年(1945)四月十三日の空襲により、延命地蔵堂のすべての石造物が大きな被害をうけた。
終戦後、土地の守り地蔵尊として信仰されている延命地蔵を再興するため、同三十五年に地元住民による奉賛会が発足し、毎年八月二十四日に法要が行なわれている。
平成二十四年(2012)十一月、地域の民間信仰を示すものとしての重要性が評価され、豊島区登録有形民俗文化財となった。

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写真の右から、徳本名号塔、題目塔、延命地蔵塔、地蔵像庚申塔、馬頭観音塔。
ひと際大きい題目塔の正面には、“加越能住民”、“為道中安全”とあることから、北陸と江戸を結ぶ街道として中山道を往来した者が建立したのであろう.....と案内板に書かれている。
この庚申塚の1.5km先の板橋には加賀藩下屋敷もあったことから、加越の旅人は特に多かったのだろう。
それぞれの石造についてはこちらをクリックしていただくと、大きな写真が立ちあがります。(2021.1.29リンクさせるのを忘れていました。案内板の写真が立ち上がります)
お参りに来られている高齢者や石造物を見ていると、地域の皆様にとても大切にされていることがよくわかる。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2017 8/22 『もうすぐ8月も終わる』

“図解でわかる ホモ・サピエンスの秘密”
人類700万年史.... 生命の進化を激変させたホモ・サピエンス、20万年の道のり。
私たちはどこからきたのか?からはじまり、狩猟採集生活宗教、国家、数、法律、株式会社、そして最後は人類の幸福は脳みそが握っているという内容。とても分りやすかった。知っているようで知らないことや忘れてたことを学べる良い本だった。

“脳はどこまでコントロールできるか?”
これは読みやすかった。
脳みそのことをもっと知りたくなった。
幸福脳内物質セロトニンを増やすにはタンパク質と炭水化物も一緒に摂ることが大切だという。
レビュー
中野さんの他の本も読んでみよう。

8月に入ってからずっとぐずついている。
気温が低い日が何日かあってジョグすることができたけど、いかんせんこの湿度と蒸暑さで、2kmも走れば具合が悪くなるので、ほとんど走っておらず、ウォーキングを少しだけといった生活になっている。
ウォーキングだけでもびちょびちょになる...一杯がおいしい。
もう少し涼しくならないとランニングはできないかなぁ。

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2017 8/17 『巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷』

巣鴨の旧中山道である地蔵通り商店街の入口に、すがもん広場があったのだが、少し前に改修工事に入ったようだ。
その際に、工事に先立って遺跡調査を行なっていた。
ペリーの黒船が初めて来航した翌年である、嘉永七年(1854年)頃の絵図に調査地点がマークされていた。
逆さなのでよく分らないので回転させてみると、“ 柳沢弾正少弼 ”と書いてある。
越前三日市藩の柳沢家の屋敷だということが分るが、年代から探ると7代藩主 柳沢泰孝の屋敷だろうか?
上屋敷は現 台東区小島1らしいので、下屋敷だろうか?よく分らないが。
どのようなものが出てくるだろうか。

2017.10/6追記
写真一番下の遺物が出土したそうだ。

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2017 8/16 『一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地』

千石緑地は小石川一丁目にある。
かつては七軒町と称し、明治になって小石川林町と改称し、一橋家(御三卿)、三宅対馬守、林大学頭、松平周防守、近藤縫殿助、酒井兵庫助など多くの武家屋敷を合併したという。
林町の由来は、武家屋敷跡地の林、小石川後楽園(植物園)などの樹木の多い地域であったからというものと、林大学頭の屋敷があったので、その林をとって町名にしたとも言われる。
林家は幕府の儒官で、湯島の昌平坂学問所を総括し、儒学の最高権威であったという。
この緑地は、元は一橋徳川家所有の樹林地であり、12代故徳川宗敬氏は、国土緑化推進機構の理事長として活躍され、都市内の自然林の保存に努められ、平成元年10月に、出来るだけ樹林を末永く残すように配慮することを条件に、区に寄付したという。
区ではその意向に従い、都市内の貴重な樹林を保全すると共に、平成6年から、区民の方が自然に親しんでいただけるように、緑地として限定開放しているという。

緑地にはデッキが架けられていて一周することができる。
緑地内にあるムクノキは、区内でも有数の巨木で、写真ではなかなか伝わらないが、ものすごく迫力があり、薄暗いほど樹木が繁っている。
ぐるっと一周、わずかな距離で終わってしまうが、ベンチなどあれば良いのかなとも思うが、この時季は蚊の襲来に遭い樹木を楽しむどころではないか。
緑地の隣、というか大きな敷地の一部が緑地だが、徳川マンションが建っている。
かつて、徳川慶喜が巣鴨に屋敷を構えていたのは、松平家下屋敷があったことや、至近距離にあるこの一橋徳川家の屋敷があったことも関係しているのだろう。

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2017 8/9 『板橋区泉町 出井の泉跡(出井川) “清水講中<大山不動明王>石碑”』

板橋区の泉町・清水町付近で首都高5号線が中山道(国道17号)と分れていくが、首都高の下をしばらく進み、左へと少し行くと“出井の泉公園(出井の泉跡)”がある。地図の赤で囲ったところで、地形的にぽっかり開いている。
写真3〜5枚目を見るとわかるが、高低差がかなりあり、崖がそびえている。

---------------------------公園内の案内板より

この場所は古くから水が湧いており、出井川の主な水源となっていました。
今から約六千年前の縄文時代前期には、すでにここを囲むように集落が形成され、江戸時代には、かつてここに立っていた寛政11年(一七九九)造の大山不動明王と刻まれた石碑により、富士山や大山参拝時のみそぎの場であったことがわかります。(昭和53年、宮本町稲荷神社境内に移設)
また、文化文政期一九世紀前半の紀行文「遊歴雑記」には、この泉を清水村酒泉渓と称し、貧しさでふだんは酒を飲むことが出来なかった老父がこの水を飲むと酒になったという故事と、水質のよさが紹介されています。
その後、このあたりの知名「出井」より出井の泉と呼ばれ、戦前までは、出荷する野菜の洗い場としても利用されていました。
このように豊富な水量をほこり、さまざまに活用された清泉も、以降都市化に伴う水量の減少とともに埋め立てられてしまいました。
ところが、平成11年の改修工事に先立ち実施したボーリング調査の結果、まだ地下の水が湧いていることがわかりましたので、その様子が見られるように、湧水池と地下観察井戸をつくりました。
泉の歴史に思いをめぐらしながらご覧ください。

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このあたり一帯の崖から清水が湧き出て泉をつくり、この付近にはこの他にも多くの湧水があり、清水の地名の由来ともなり、また、民俗学者の柳田国男も、その著書にこの泉を扱っているが、このようにここは名高い泉だったようだ。(写真は語るより)
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写真6枚目、地下観測井戸だけど、あまりコンディションが良くなく、残念ながら湧き水は観られない。
水面が光っているような気がしないでもないような感じでもあるが。

写真7〜8枚目、湧き出た水が流れていた川跡だが、ここも高低差があり、かつては川が流れていたことが分る。
谷底に降りて行くような雰囲気。

写真9から10枚目、出井川は角度を変えて首都高の下を流れていた。というか、首都高が出井川の上に造られたと言った方がいいですね。

一番下の写真、宮本町稲荷神社境内に移設される前の大山不動明王と刻まれた石碑。これは昭和40年頃の写真だそうだが、崖が露出している。
昭和40年、出井の泉跡に立つ大山不動明王碑(『写真はかたる』)より引用

出井川はいくつかの支流を合わせて、志村三丁目駅前を流れ、クネクネと方向を変えて、中山道を越えて新河岸川へと注いでいた。
写真はないが、中山道には今でも橋の欄干が残されている。
数年前の集中豪雨で、冠水した坂下エリアは暗渠となった出井川付近だった。

立ち寄った時季はちょうど梅雨で、あじさい祭りが開かれていた日だった。
別名あじさい公園とよばれるだけのことがあるが、たくさんのあじさいが咲いていた。

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2017 8/3 『久しぶりに6分/km前後で』

今朝なんか寒いくらいだった。
過しやすくていいけど...
そんな涼しい日にはジョグを。
久しぶりに6分/km前後で走れた....涼しいとはいえヘトヘト。

走る時間帯によるけど、よく会うおじさんランナーが3人いる。
クラシックなウェアで長髪を結んだおじさん....独特なストレッチ。
こんなにも暑いのに、クラシックな長袖長ズボンのウェアに軍手のおじさん....テケテケテケの脚運びで、結構速い。
もう2人とも長年走り込んでいるのだろう。
なんとも不思議なオーラを出しているので、向こうから来るとすぐにわかる。
しかしまぁ走り始めて丸8年、色々コースを変えているけど、近所を走るのは飽きてきたなぁ。
近所と言っても、ぐるっと7km〜10kmだから2〜3区に渡るので、正確には近所ではないけど。

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2017 8/1 『巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊)実弟<幸世>を重ねて』

巣鴨の地蔵通り商店街入口横に眞性寺がある。
ここには江戸六地蔵のひとつがあり、旅人の安全を見守ってくれている。
そしてその江戸六地蔵の横に小さなお地蔵さんがいる。
巣鴨を通る度に、自分はこの小さなお地蔵さんに年子の弟のことを重ねてお参りしている。
それは年子の弟が産まれ生きることが出来なかったから。
弟の名は“幸世(ゆきよ)”という。

もう何年も前だが母と巣鴨に行き、このお寺さんの前を通った時に母が頭をさげ「お母さんね、巣鴨に来た時にはね、いつもあの小さなお地蔵さんを幸世のことと思ってお参りしているの」と言った。
とてもびっくりした。
母と全く同じ想いで同じお地蔵さんにお参りしてたとは。
「僕も家族みんなと共に生きているんだよ」、そう幸世が言っているんだと、ハッと思って、改めて気づかされた。ただたんに姿が見えないだけなんだなと、そう思った。
脚が悪くヨチヨチ歩く母の隣で、涙をふきながら共に歩いた。

自分にとって大切な地蔵菩薩。

最近気づいたのだが、子育地蔵尊だったのですね。※2020年8月3日 写真追加

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