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2023 10/27 『上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷 エンガ堀支流<向原の溜池> 釣堀跡』

地図の黒丸部分は深い谷の底で急なV字になっている。子供の頃、チャリンコでノーブレーキで駆け下りて惰性でどこまで上れるかという危険な遊びをよくやっていた。 上から3枚目、深い谷底だと分かるだろう。4枚目、かつて谷底に流れていた<向原の溜池>から流れ出した支流跡で暗渠となっている。
地図の青丸部分、この谷にはかつて溜池があり<向原の溜池>と呼ばれていて、湧水以外にも千川上水の漏水を利用した釣り堀があったという。

■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡

いたばしの地名 向原の溜池(二丁目)より引用ーーーーー
大正七年の『北豊島郡誌』には「上板橋に溜池三ヶ所の内、二は宇向原にありて面積三九〇坪で向原の用水となる」とあります。その下流は洗場になっていました。昭和の初期、釣堀を営業していて、戦後千川上水が暗渠化されたとき釣堀ができなくなったのは、水源が千川上水からの漏水であったのであろうかといわれています。大正昭和の初め頃迄、毎年梵天祭が行われていました。向原では千魃の年には雨乞いの行事をしていました。それは群馬県の榛名神社から頂いた水を、この溜池に入れ雨乞をしたといいます。
ーーーーー
向原の昔 向原の溜池より引用(三原寿太郎/著)ーーーーー
溜池は冷たい湧水を温めることと田植え時期に使う貯水を目的とする。『北豊島郡誌』は上板橋村には「上板橋村三池」と呼ぶ大谷口の溜池、向原の溜池、小竹の溜池があったとする。
向原の溜池の上には発掘後住宅を建築した記録遺跡だが向原遺跡があり(『向原発掘調査書』)、茂呂遺跡と同じ形式の旧石器が発掘され、一万数千年前溜池に狩りに来た人類がいることから、この溜池の湧水は暗渠化された今も下水に流れる豊かな湧水量で、当時は動物を狩るのに最適な地だったのだろう。その後縄文創早記や弥生後期、中世初期の住居や遺物が発掘され人々の営みが続いていたことを示している。
先ず湧水部が鯉の釣堀に、昭和三十年(一九五五)頃には溜池が鮒の釣堀になり中ノ島の大山不動像が八雲神社へ遍座された。
(略)
ーこの溜池では大山講の水垢離、降雨祈願行事などをしたという。ー
また堤防は道路になっておりその下の吐水口は野菜などの洗い場になっていたのを筆者も記憶している。流れは暗渠化されたが洗い場を想像できる形態を今も残している。
(略)
この溜池からの流れは大谷口氷川神社北側の麓を迂回して流れ、大谷口の溜池の湧水を合流する。そして現大谷口小学校脇を流れ、昔は山崎田圃を潤したのち、山崎橋の所で石神井川に合流している。
ーーーーー

<向原の昔>三原寿太郎/著:自費出版だろうか。各図書館に寄贈されている。貴重な昔の向原の写真が多数掲載されていて、地域の歴史がよくわかる。

【関連記事】
■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)
■板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道)  補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備(2022年2月22日加筆・写真追加)
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所

■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
■千川上水 水神様 <大山西町発展史>

■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■練馬区 ふじ大山道
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去

■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
■田柄川の水源と茂呂遺跡
■板橋区 根ノ上遺跡

■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2023 10/24 『板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡』

前記事から引用ーーーーー
■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>

・・・・このような部落や違法なバラックは板橋区大谷口の石神井川近くや大山、豊島区要町・千川の千川上水付近にもつくられていた。
大谷口の木造密集地域のバラックは石神井川の支流のエンガ堀のさらに支流であった溜池を埋め立てて造ったという。
大谷口の木造密集地帯はつい20年弱前まで存在していたこともよく知られていて、かつての溜池の源泉である湧水が今も健在。(板橋区役所 湧水地点一覧より:板橋区大谷口上町61番 しみだし程度)

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第2表 東京都区部における「バタヤ」地区の概要
区 所在区域 住居数 世帯数 人口 面積(m2) 不良度 地区類型 土地特徴 形成時期

豊島区要町 236 217 536 1,400 A 仮小屋適正 1954 年
板橋区大谷口町 24 24 106 1,357 C 仮小屋適正不明

※ジオグラフィカ千里第1 号(2019) <戦後東京,「バタヤ」をめぐる社会と空間 本岡拓哉>より引用
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この地域は以前から問題視されていた。
板橋区による住宅地区改良事業によって立ち退きにあった人々は改良住宅へと入居し、木造密集地帯は消滅し、区画整備や道路整備も行われて完成入居となったのは2007年とのこと。写真は2023年10月に撮影。

地図1枚目、溜池が描かれているのがわかる。これが大谷口の溜池と呼ばれ、溜池の谷が大谷口地名の由来とされ、大谷道沿い(鮫洲大山線)の“さんみせ(三軒の店)”裏の谷頭部分からの湧水は滝のように落ちてこのような急峻な谷をつくった。
戦後、家を失った人々がこの大谷口の溜池の谷に集まり、溜池を埋めて崖沿いにぎっしりと木造住宅を建てて密集地域が造り、いつしか部落とよばれるようになった。
※かつては上板橋村には溜池三ヶ所ありと書上帳などに記され、<上板橋三池>と呼ばれる大谷口の溜池・向原の溜池・小竹の溜池あった。大谷口の溜池は面積1396坪あり、農業用水として使われていた。谷頭には白竜弁財天(石造)が祀られていが、大谷道(鮫洲大山線)を挟んだ向いの大野さんの屋敷へ移されたという。

写真上から1−2枚目、二股の左の細い道の崖の左右に住宅が密集していた。そこに住んでいた人々は2枚目の左に建てられた<かみちょう住宅>改良住宅へと入居したという。
写真3枚目以降、谷の底へと続く道から崖を撮影。

写真3枚目以降、谷の底へと続く道から崖で、ここに木造住宅がびっしりと建っていた。火災が発生したら消防車も入れないために、あっという間に燃え広がって大規模火災になり、多くの人命が失われることになっただろう。そのような地域はたくさんあり、東日本大震災以降に、今まで眠っていた都市計画道路などの計画がぐっと動き出したように思われる。

写真上から11枚目以降、写真1枚目の二股の右の道を奥から撮影。
長い年月と多くの予算をかけて整備されたことがわかるし、居住者や自治体も大変だっただろう。

整備前の状況は検索を。

今から45年くらい前、大山に住んでいた私は向原に行く時に、もうひとつ先の谷(地図の西側のもっと深い谷)を通って行くようにと言われたことがあったとうっすら記憶している。あそこは人がたくさん住んでいるから騒ぐと迷惑になるからね、とのことだったと思う。
当時、同じ施設で生活をして育った幼なじみ家族が向原団地へ引越し入居してよく遊びに行っていた。そのお家では、ハッピーロード大山にあったおもちゃ屋のヨシオカヤ(吉岡屋)で入手したロボダッチのプラモデルを、TVから流れているマッチの<ギンギラギンにさりげなく>を聞き、変で賑やかな唄だなと思いながら、手脚が細くボディが丸い奇妙で可愛いキャラをいくつも製作したのをよく憶えている。眼帯をした?海賊のキャラとか島になっているものもは高額ゆえに手が出なかったと思う。
いつだったか15年くらい前だったかなぁ...どこかのお店でロボダッチのプラモを見かけ、今見ると何ともちゃちい作りで笑ってしまったのを思い出した。

※地図の西側のもっと深い谷は急なV字になっていて、チャリンコでノーブレーキで駆け下りて惰性でどこまで上れるかという危険な遊びをよくやっていた。

【関連記事】
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
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■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>
■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など

■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件

■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)

■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)
■板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道)  補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備(2022年2月22日加筆・写真追加)
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所

■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔

■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。