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2021 6/22 『板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 上板橋宿 下頭橋六蔵祠の扁額<博愛> 子爵 渋沢栄一』

地図の黒丸部分、旧川越街道が石神井川を渡る橋の袂に下頭橋の六蔵祠が祀られている。
この場所は上板橋宿の上宿にあたる場所で、宿泊機能はなかったそうだが、休息をする旅人で賑わったという。当時を思い起こさせてくれるような建物などはほぼ無いが、明治十年頃に建てられた出桁造りの商家の藤野家が僅かに当時の面影を残している。この藤野家は、かつて「三春屋」という米穀商の店で、大正末期に説教強盗が押し入った家としても知られている。
押し入った強盗にセキュリティが甘いので犬を飼った方が良いと家主を説教したと言われている。

いたばしの地名から引用ーーーーーーー
下頭橋
川越街道が石神井川を渡る地点に架けられた橋の名前です。
江戸時代の寛政年間(一七八九〜一八〇一年)までは、土橋や丸太を並べた橋で、しばしば出水し難渋したので、寛政十(一七九八)年に石橋に架け替えられました。明治三七年木橋、大正十三(一九二四)年石橋、昭和三年鉄筋コンクリート橋を経て同五七年欄干擬宝珠付きの現在の橋となりました。
橋の名の起こりは、川のほとりで長年旅人からの喜捨を貯えて石橋を架けたという乞食六蔵の伝説、出府下向する川越藩主を送迎して藩士がここで頭を下げたという説などがあり、かつて橋畔にありました「逆さ榎」に因むともいわれております。
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郷土資料館 展示説明板から引用ーーー
下頭橋六蔵祠の扁額
年代:昭和5年(1930)
所蔵:個人
旧川越街道と石神井川が交差する下頭橋の六蔵祠にかけられている扁額です。
左下には「子爵渋沢栄一」と彫られています。
渋沢栄一は書を嗜みますがこうした彫り物を嗜んでいたか不明で、具体的な関わりがあったのかは今後調査をする必要があります。
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前回の記事とも共通するが、これも確かな資料が無いようで、渋沢栄一が彫った扁額であるとは確定していないという。
この下頭橋の六蔵(上宿)から中宿〜下宿を進み、旧川越街道から少し反れて千川上水沿いを進むこと約1.5km、すぐそこには渋沢栄一が運営に尽力した養育院があった。
他者の為に役立つように力を使った六蔵の言伝えからも、渋沢栄一が奉納をした可能性も高いのではないかと思うがどうだろうか。

上宿を過ぎてしばらく進むとお東山という場所となり、長命寺がある。
かつてここに板橋城があった場所のひとつと伝えられている。
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【関連記事】
■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸

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■王子十五滝に加えて 旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘跡)下 今も残る飛鳥山の小さな滝(十六滝)

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■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>
■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡

■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2021 6/17 『板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸』

新型コロナウイルス感染症の蔓延、緊急事態宣言でもって開催したと思ったら早々に休館。
6/1からショートで再開されたので、時間をとって見に行った。
西高島平駅で降りたが、二輪四輪とレインボーモータースクールに通って以来でなんだか嬉しかった。

広大な田んぼだった徳丸ヶ原は都市計画によって、住宅地に変貌し、西高島平駅周辺の新しい道を進んでいくと、方向感覚が狂う人も多いかもしれない。
楽しかった思い出はいくつかあるが、その中でも暗渠になった前谷津川は緑道として整備され、35年前に緑道の補修工事をしていて、誰でも入れるような工事の入り口が緑道の地面に開いていた。
セキュリティが甘すぎだったので、近隣住民の子供達は前谷津川に降りて探検をして遊んでいた。雑排水や汚水が流れていて、大変臭いトンネルでも何とも幻想的な光景だった。
荒川にも飛び込んで遊んだのも懐かしい。全身悪臭を放ち、高島平の中華屋(珍来だったか)で、腹ペコで貪り食うように食べたラーメンがとてもおいしかった。
(※法に触れるし、大変危険な行為。時効として記述しました。40年近く前は、まだまだゆるい世の中だった。)
通っていた中学校は荒れに荒れて有名だった。その頃はスケートボードをしている以外、ほぼ楽しくない日々を過ごしていた自分は、定時制高校にも進学ができないような状態だった。
しかし、都立の普通の高校に進学することができ、「あいつが変わった」と職員室ではいつも自分の話で持ちきりだったと、後に担任から聞いたことがある。
暖簾に腕押しのような、どれもこれも当たり、感触がない生活で、どうして良いのか悶々としていた。
何かのきっかけで人は大きく変われる、生きているという感触を得ることができると、この時に学んだ。

話がずれだが....
さて、今回の展示会は大河ドラマに関係して、幕末の重要人物でもある高島平の名の由来となった高島秋帆と幕臣から経済界の重鎮となった渋沢栄一の功績を讃えた内容だった。
資料館では撮影はOKで、SNSでの投稿も大歓迎とのこと。

展示物で興味を持ったのは、志村の武蔵野台地の際にあった邸宅が渋沢栄一のものだったかもしれないということ。
渋沢栄一の邸宅として有名なのは飛鳥山にあったものだが、志村と同様に大変眺望が良いということ。どちらも縄文時代から栄えている一等地。
決定的な資料がないのだろうが、おそらく渋沢栄一が所有していた別邸であろうと思う。
地図の青丸と四角部分が渋沢栄一の別邸があっただろう位置。

説明板から引用ーーーーーーーーーーーーー
最新志村案内図
年代:昭和6年
昭和6年ごろの志村地域・板橋本町の案内図です。
現在の蓮根や西台周辺が田んぼであったことが分かるだけでなく、中央の志村城址東側に「渋沢別邸」と書かれた住宅が記載されています。この邸宅が渋沢栄一とどのような関わりをもっていたかは不明です。また、志村城址西側の志村小学校北側には渋沢運動場(グランド)がかつて存在しました。
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板橋に撮影によく来ていた徳川慶喜も板橋にあった養育院の運営に尽力した渋沢栄一ものどかな郊外であった板橋が好きだったようですね。
※最新志村案内図の拡大写真はこちら(解像度が良くないですが)

終了は20日までとのこと。職員に聞いたら、今回は図録はないとのことで、貴重な資料を見に行かれることをおすすめします。
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■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
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■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション

■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■板橋区志村 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔
■板橋区志村2丁目(志村坂上)の住宅にある庚申塔

■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集

■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚

■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
■志村城山公園の湧水と志村城跡

■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■蓮根川緑道 ヘビ公園
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起

■ボクらのホームグラウンドの前谷津川<前谷津川と宮下大山不動明王> 2022年1月19日加筆
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流 梶谷津川
■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷

【過去記事】
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2021 6/14 『板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂』

地図1枚目、都立赤塚公園内に低地から武蔵野台地に上る階段状の坂道がある。
これがしったり坂と呼ばれていて、古道 鎌倉街道中道の支道として知られている。
地図2枚目、赤丸部分にかつて早瀬の渡しがあり、南に下って行くと緑丸部分にしったり坂がある。この道筋が鎌倉道。

いたばしの地名より引用ーーーーーー
しったり坂
諏訪神社の西から「くの字」形に田んぼに下りる急坂で、かまくら道の道筋とされる要路でした。
現在は都立赤塚公園に編入されて坂は残っていますが、一般道路ではありません。呼称は上体をそらせ腰を下げ、尻を垂らすように下るので「尻垂り」、また坂の途中から清水が湧き湿気がこもるので「湿ったり」の二説があります。
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現在でも、階段の右の崖線から水が湧き出している。
また、このしったり坂付近の崖下は、東京都板橋区の区の花であるニリンソウが群生している。かつての姿を今も残している貴重な場所だろう。

※映像は下記。
(720×1280 75.8MB mp4 こちら
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