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2020 11/10 『鎌倉街道 中道 北区中十条』

地図の赤丸部分、鎌倉街道と言われる道が残っている。
南方面、陸上自衛隊十条駐屯地から北区滝野川まで鎌倉街道は消滅しているが、国道17号線と明治通りの西巣鴨交差点の少し手前からまた残っていて、その先は明治通りに吸収されている。
さらに南下すると、暗渠になった谷端川跡でまた出現し、ここに鎌倉橋が架かっていた。近くのバス停名は鎌倉橋と名付けられていたが、現在は変更している。

【関連記事】
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し

■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)

■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>

■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2020 11/9 『池袋に置かれている高級外車』

たまたま通ったお宅のガレージに長年放置されていると思われる高級外車があった。
右のはカバーがかけられているので車種は分からないが、車高が低くて、リアウイングの姿が見える。
これはランボルギーニのカウンタックだろうか。色は黒に見えた。

左のはカバーがかけられていないので姿が見えていて、特徴的な姿なので、チューンドカー、ケーニッヒのポルシェ928と思われる。
80年代から90年代のバブル期にケーニッヒの手によってカスタムされたフェラーリやベンツを街でも雑誌やテレビでも多く見かけることができた。
とても大きなオーバーフェンダーと太いタイヤ、サイドのエアインテークが特徴。
自分が高校生の頃、FUJIMIのケーニッヒの車両をいくつか作ったことがある。
その頃、 そう言えば、ひとつ上の先輩がケーニッヒのフェラーリ テスタロッサを乗っていた。
その当時、自分はゲンバラのポルシェ911フラットノーズが好きだったなぁ。

バブル期を象徴するようなチューンドカー。
動かすとなると費用が結構かかるのではないのだろうか。

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2020 11/6 『王子七滝 見晴の滝の名の由来』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
いわゆる『王子七滝』は『東京名所図会』の内容をアピールするための手段だと、『王子七滝考』では書かれている。

7つ以外の滝にも触れており、また古地図などからも引用して地図に記載してみたら、15の滝があったことがわかった。

1:権現の滝
2:王子大堰(王子大滝)
3:不動の滝
4:弁天の滝(辨天の滝)
5:稲荷の滝
6:名主の滝
7:見晴の滝
8:飴屋の滝
9:山本家の滝
10:大工の滝
11:醸造試験所の滝
12:湯滝
13:水滝(木滝)
14:桶勘の滝
15:末広の滝(扇屋の滝)
加えて、飛鳥山の小滝

12『湯滝』と13『水滝(木滝)』は絵図に描かれているために正確な場所は不明(石神井川の流れに合わせるとこの付近)。
11『醸造試験所の滝』と14『桶勘の滝』は推定の位置で、11の醸造試験所の滝はかつての石神井川の名残である逆川沿いとも考えられるが、石神井川(音無川)沿いに落ちていた方が自然だと思う。

『見晴の滝』と『山本家の滝』は水量があったようだ。
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調査報告 第4号 王子七滝考より引用ーーーーーーー
「飴屋の滝」の北、芝坂の南に「見晴の滝」があった。地番でいうと、岸二ノ六ノ一四あたりで現在の宇田川整形外科の南側になる。
滝の水量はかなりあったらしく、滝壺もそれにつれて大きく深かった。
『広さも四〜五坪はあって、それが池として昭和になっても残っており、木が茂って日もあたらないような所になっていた』との話もある。
この滝は明治後期に、湯島に住んでいた豪商、「小栗兆兵衛が台地の上と下のあわせて三千坪ほどの土地を滝と一緒に買取り、別荘とした」ため、名称や所在地が次第に忘れ去られていってしまったものであろう。
この別荘を『「長尾園」と呼び、芝坂の上、南側の台地のところに見晴台があった』というので、滝の名前はこれから取ったものと思われる。
崖下の滝壺から流れ出る水を利用して別の池が作られてあり、『十坪(三十三平方米)近い広さがあって、舟遊びができたし、木の太鼓橋がかけられていた』という。
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一枚目の地図の7部分、2枚目の地図の青丸付近の武蔵野台地の崖線に、かつて王子七滝のうちのひとつである“見晴の滝”があったという。
その滝の名の由来は、滝の上に見晴し台があったからだという。

低地から急な芝坂を上がって行き、地図の赤丸の台地上から低地を撮った写真が下のもので、今でもとても見晴らしが良いことが分かるかと思う。
写真二枚目、階段の右には崖を背負った空き地があるが、売りに出されている形跡も無いので、寝かされているのだろう。
見晴らしを獲得することが出来るだろうが、建設するには大変なのだろう。

高い建物が増えた今でも素晴らしい眺望ですね。
昔はもっと素晴らしかったのでしょう...かつては田畑、農地でほぼ手つかずだった地域だったから。

【関連記事】
■王子七滝 見晴の滝跡の湧水と芝坂

■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
■王子七滝 名主の滝
■王子七滝 名主の滝公園の湧水 (2020年8月8日)
■王子七滝 王子 権現の滝
■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
■王子十五滝 醸造試験所の滝
■王子十五滝 料亭扇屋 末広の滝
■王子十五滝に加えて 今も残る飛鳥山の小滝

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2020 11/4 『東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)』

石神井川の根村(双葉町)から分水された稲付用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)沿いにはかつて稲付射場があった。
写真の黒で囲った部分が梅木小学校で、台地にあるが南側には川(用水路)の崖を背負っている敷地で他よりも低い。
埋める...梅、から名称が付けられたとも考えられるがどうだろうか。

その小学校の地図の赤丸部分に上部が欠けた陸軍用地の標柱が今も残っている。
こういう物はほぼ気づかれない遺構だが、日本の近・現代史を学ぶ上ではとても大切だと思う。自分もたまたま気づいたくらい小さな物だから。

だいぶ前になるが、梅木小学校の向かいあたりに第二入管?があったと記憶している。一時期、大量の外国人が長蛇の列をなしていたのを目にして、何事かと思ったことがあった。 何かの法改正や事件のことで、パクられる前に出頭したのだったのだろうか。
そういえば、手続きに訪れた外国人相手に商売をしていたお店もいくつもあった。

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■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)

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