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2021 12/13 『富士塚古墳<十条冨士塚(冨士神社)> 調査後の現在の姿 鳥大の一個十円のチキンボール』

一番上、赤丸部分に富士塚古墳<十条冨士塚(冨士神社)があり、前面道路の日光御成道(岩槻街道)の整備・拡幅工事によって一部解体され調査が行われた。
埋葬品が出たかどうかは分からないので、今後の調査報告が楽しみ。
しかし、本当に小さく削られましたが、古墳・塚という物体は変化しても、信仰心や風習は残るので(残らないことも多いが)、今後も大祭<お冨士さん>を楽しみにしている人々も多いことでしょう。

引用ーーーーーーーーーー
十条冨士塚(じゅうじょうふじづか)は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信仰にもとづく祭儀を行って来た場です。
現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、頂上の石祠(せきし)を参拝するに先だち線香を焚きますが、これは冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、30数基あります。銘文(めいぶん)によれば遅くとも、天保11年(1840)10月には冨士塚として利用されていたと推定されます。
これらのうち、鳥居や頂上の石祠など16基は明治14年(1881)に造立されています。この年は、冨士講中興の祖といわれた食行身禄(じきぎょうみろく)、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当りました。石造物の中に「冨士山遥拝所再建記念碑」もあるので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、その記念に建てたのが、これらと思われます。
形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の五合目近くの小御岳(こみたけ)神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られます。

冨士神社は都内七冨士巡りの1つ(十条冨士)としても知られる神社です。毎年6月30日と7月1日の「十条冨士神社大祭」は、「お冨士さん」と呼ばれ、たくさんの人や露天でにぎわいます。
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十条冨士塚の横の道を進むと十条の商店街につながる少し手前に<鳥大>という精肉店があり、このお店のお惣菜はどれも美味しいなか、一個10円というチキンボールが名物となって、ひとりで30個、50個と買って帰る方が多い。酒のおつまみに合うが、おかずにする家庭も多いのだろう。チキンボールの親子丼を作ったらおいしいと思うので、今度作ってみよう。

町には精肉店も鮮魚店も減ってしまったが、35〜40年前、精肉店でよく買った1個15円の小さな揚げジャガイモが、遊びの途中で腹を満たしていた。これがとてもおいしくて々。
皆それぞれ思い出のお惣菜ってありますよね。

【関連記事】
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) その後7月・10月と“おふじ道”

■駒込富士神社と古墳群
■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
■北区王子 飛鳥山1号墳
■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
■北区赤羽西5 大塚古墳 周辺の古墳(天王塚古墳、稲付台古墳群など)
■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
■北区滝野川3 滝野川古墳(都立王子総合高等学校敷地/旧王子工業高等学校跡地)

■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀の主<ヌシ>の大蛇がまつり込まれている庚申さま(<庚申塔>神谷橋庚申通り商店会) 古墳 観音塚

■豊島長崎の富士塚

■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>

■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群

■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道

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2021 12/9 『王子神社 末社 関神社<髪の祖神>と毛塚』

一番上、赤丸部分に王子神社がある。
石神井川の下流、武蔵野台地(本郷台)を流れていた石神井川が、台地を突き破って低地へと流れを変えて急流となっている。これは河川争奪と呼ばれる現象。
その台地の突端部に造営されたのが王子権現(王子神社)で、境内に髪の粗神の関神社があり、毛塚も建立され、髪にまつわる生業の人々によって大切にされてきたという。

王子神社 御由緒から引用ーーーーーーーーーー
末社 関神社

全国でも珍しい「髪の祖神」。御祭神は百人一首でも有名な蝉丸公で、姉「逆髪姫」のために髢・鬘を作ったという伝説により、髢、鬘や床山業界の方々の信仰厚い神社です。また蝉丸公は琵琶の名手でもあり「音曲諸芸道の祖神」としても崇敬されています。戦災で焼失したものを、髢、鬘、床山、舞踊、演劇などの関係業界の御尽力により、昭和34年に再建されました。境内には毛髪報恩のための毛塚も建立されています。
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遺伝的影響も大きい男性の頭髪問題だが、少しでも長く髪の毛が元気でありますようにとお参りしてもよいのではないだろうか。

【関連記事】
■王子七滝 王子 権現の滝
■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
■王子神社東側の崖線と上郷用水(石神井用水)に架かる三本杉橋の親柱
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟
■王子神社のイチョウと王子大坂のおっぺし(立ちんぼ)
■飛鳥山公園 飛鳥明神 飛鳥山の隠れ狛犬(2021年3月12日加筆)

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2021 12/6 『花月通りとその付近図<昭和十年前後の町並み> 花月通<千川上水に架かる花月橋>現在の花月橋跡』

一番上の地図<いたばしの昔ばなし>より引用。
花月通り(地図の赤く囲った部分)や板橋第二小学校へと続く道には商店が連なっていたことが分かる。しかし、 昭和二十年四月十三日のB29爆撃によってこの地帯はほとんど消失したと書かれていて、その後、商店街は復興せずに住宅が建築されていき現在に至るようで、一部有名な飲食店があるくらいでこの付近は静かな通りとなっている。
付近図の青丸部分、この千川上水が流れる花月通りには花月橋が架かっていて、木製の欄干だったと書かれている。これも貴重な絵図ですね。

いたばしの地名から引用ーーーーーーーーーー
花月通

板橋郵便局の東側道を南へ下り旧板橋貨物駅に至る道の名です。
初代板橋町長の花井源兵衛さんにあやかり「花月通り」にしようと提唱しましたが源兵衛さんは、それは余りにむき出しすぎると云って「花月」と風流な通り名になったと云われています。
花井氏は板橋町根村の小農に嘉永五年(一八五二)年に生まれ地方自治の政治家として八六歳まで生きられ、北豊島郡や東京府全体に貢献された人です。
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写真の青丸部分にかつて花月橋が架かっていた。
付近図の左下に金井窪駅が描かれているが、この駅も空襲で消失し、下板橋駅に近いという理由で再建されなかったという。

【関連記事】
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■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石

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■板橋区大山西町の用水路
■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
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■千川上水 水神様 <大山西町発展史>
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■千川上水分水 石神井川氷川町・栄町支流 旧河道の氷川つり堀公園
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■池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚
■池袋東貝塚遺跡

■東光寺 加賀藩下屋敷跡 宇喜多秀家の子孫が供養の為に建立した秀家の墓(移設された供養塔) 宇喜多秀家とその一族

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2021 12/1 『弘法大師にまつわる伝説の水 弘法水 大分県豊後高田市黒土<椿堂 遍照院>』

全国各地に伝わる水の伝説はいくつもあるが、その中でも弘法大師にまつわる水が特に有名だろう。
弘法大師が地面を杖でつついたら水が湧いたというのが一般的な言い伝えだろう。
都内でもいくつもあるようで、港区元麻布にある善福寺の<柳の井戸>が有名だという。
湧き水と弘法大師をむすぶことによって、水は貴重で尊いものであるから大切にすべしということを後世に伝えているのだろう。

写真の寺は大分県豊後高田市黒土にある<椿堂 遍照院>。
豊後四国八十八ヶ所 第四十九番札所 椿堂(守り本尊、釈迦如来、弘法大師)は、弘法大師ゆかりの名刹で、古来より西の高野山と称せら、弘法大師ご修行の霊窟がある。
空海(弘法大師)が椿の錫杖でついて湧き出したというご霊水は有名で、ご霊水をいただきに全国各地から参拝者が訪れている。
写真のものは、今から15年ほど前に参拝した時に持ち帰ったご霊水で、使い道がわからずそのままずっと冷蔵庫にあるけど、弱った観葉植物にまいてみようかなと、今思った。でも、枯れたら嫌ですね。

本堂の上部にぶらさがっているのは髪の毛で、一瞬ぎょっとする。
椿堂 遍照院のウェブサイトから引用ーーーーーーー
国東半島の宗教文化財、庶民信仰の殿堂として、ご祈願ご供養を厳修し不思議な力のある椿大師ご霊水は多くの人々を救い、願の叶った御礼として捧げた長い黒髪(約3000人)が 本堂の軒下に吊るされ信仰の深さとご霊験を感じざるを得ない。
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35年前に亡くなった私の祖母がこの椿堂で修行をした。
うちの家系は男があまりおらず、生まれたとしてもすぐに死んでしまうことが続いて、それを嘆いた祖母が、私が無事に生まれて育つようにと願掛けをしたという。
様々なことに悩んでいた12〜13の時に、なんとも不思議な経験をいくつもしたことは今でもはっきり覚えている。それが願掛けや何かに関係あるかはわからないが。

今は情報が豊富だし、第六感のようなものが鋭い人が減ったように思う一方、大震災後には逆に敏感な人が増えたとも思う。
大正生まれの祖母と明治生まれの曾祖母はクラシックな質の人だったと思う。祖母曾祖母のもとには、外の集落からもたくさんの人々が家を訊ねてきていて、アルバムには知らない人ばかりの写真がとても多かった。
祖母が亡くなって母の時代になっても村の人々から海苔や葱、スイカなどがたくさん届いていた。「わしの目が見えるまでは送ちゃる」そういつも言っていた。5年くらい前からもう届かなくなった。母のその時が来たら知らせようと思う、もういないかもしれないが。
曾祖母祖母の他者への無償の奉仕、そのお礼が母や私たち子の世代にまでまわってきたということ。
自分は宗教を持っていないし、これからも持つこともないと思うが、弘法大師にまつわる出来事や出会いが多かったりする。弘法大師がむすんだご縁でもあるということだろうか。弘法大師にまつわる、そういう人も多いのでしょうね。

繋がりで....祖母の妹は、勝新太郎さんのタニマチというか、今でいうファンクラブをつくり、熱心に応援していた。(初代私設ファンクラブ代表ということか)若い勝新さんを囲んだ写真にはたくさんの女性がにこやかに写っていた。
そしてやり手女性実業家でもあり、逸話、武勇伝のような話を母からたくさん聞いていた。

酒場 田賀>  j-wave B'z

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■『愛情の重さ』
■『一方、誰の心にもあるワル』
■『猛暑の日』

■石神井川 金剛寺(滝野川城)にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡

■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて

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