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2023 4/25 『板橋区赤塚四丁目(成増) 蓋をされた23区内最大の崖 <成増露頭>と貝の化石 板橋区板橋1と加賀1からはナウマンゾウの化石』

地図の黒枠部分に高低差20m以上の崖が続いている。23区内最大の崖で、東は大東文化大学手前の六の橋交差点(前谷津川跡)手前の徳丸7丁目まで続いており、今は暗渠となった前谷津川が崖を削ったため、そこで一旦崖が終わる。
今はその姿を見ることができないが、かつては成増露頭と呼ばれる都内では貴重な崖、地層が露出していた。写真は約45年前で、土留め工事以降は一気に宅地開発されていったのだろう。迫力のある写真ですね。
ストリートビューは現在の崖線の姿。

板橋区立郷土資料館の解説シート<いたばしの成り立ち>から引用ーーーー
板橋区の地形は、大きく南側の武蔵野台地と北側の荒川低地に分けられます。この間には、今でも高低差20m以上の崖が続いています。
中でも武蔵野台地を代表する成増露頭は、古生物学や地質学など様々な学問分野の実習の場でした。昭和54年(1979)に成増露頭の土留め工事をおこなう時は、地質標本の製作や貝化石の採集をおこないました。

・・・板橋区内の大半が海であった頃の地層である東京層からは、貝の化石が見つかっています。成増露頭以外にも、都営地下鉄三田線の開通に伴う工事や石神井川の改修工事でも貝の化石が見つかっています。
また、東板橋体育館や板橋法務局の近くにおいて、火山灰層の1つである下末吉ローム層からナウマンゾウの化石が見つかり、区内の動物相を明らかにする発見となりました。
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下の地図の茶色丸部分、上が東板橋体育館で目の前を石神井川が流れている。また、下が板橋法務局で石神井川と谷端川(暗渠となり消滅)に挟まれた台地となっている。
ナウマンゾウの化石は都内各地で発見されるので、居心地が良い地域だったのだろう。

【関連記事】
■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)

■板橋区若木 中台馬場崎貝塚

■板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し

■板橋区赤塚 不動の滝<記念物(史跡)> 令和3年
■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
■板橋区赤塚四丁目 板橋区No.135遺跡<赤塚氷川神社富士塚>
■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>

■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
■前谷津川(前谷津川緑道) <赤塚しのがやと公園(篠ヶ谷戸)>と<橋ぎわ>
■前谷津川の支流 梶谷津川の源流付近と暗渠蓋
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川<前谷津川と宮下大山不動明王> 2022年1月19日加筆

■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視>

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2023 4/20 『1982年 監督 柳町光男 <さらば愛しき大地> と幼い頃の茨城の思いで』

配給元が決まらずに自主上映の末に、支援者が増えて高い評価を受けて全国各地順次公開された作品とのこと。
もうずっと暗くてどうしようもなく、悲惨というかなんとも後味が悪い内容だったけど、愛情って何か、というかなんというか・・・なるほど、良い作品だった。
舞台は鹿島臨海工業地帯で、狂っていくダンプの運転手とそれを支えた女の話。濡れ場もあって、秋吉さんがとてもきれいだった。
40年前の日本のことや日々の生活のことを思い出した。

幼い頃は茨城(土浦、筑波研究学園都市)にもよく行ったし、同じ施設のいくつかの家族と連れ立って常磐ハワイアンセンターにも行った。ムームーを着たふくよかなおばちゃんが寝転がり、小さな凸起の滑り止めが効いた青いプールの床をぬめらせるつぶれたポテト。万博も懐かしい...はじめてピザを食べて「なんてこんなにおいしいの?」と思ったもので。クーラーが無く窓を開けっ放しにした電車内で食べた冷凍みかんと半透明のプラッチックボトルのお茶。多種多様な列車が走っていた常磐線。自分達家族が乗るのは鈍行で、列車の中には<平>行きという随分と短い駅名をよく憶えている。そして九州の大分から胃がんの入院手術のために上京して、茨城の病院で亡くなった祖母。
最近、自分が幼い頃の出来事や懸命に生きた家族をふと思い出すんです。
年齢を重ねるということでしょうね。

※アマゾンプライムビデオで観られます。

【関連記事】
■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 銭湯浴室に掛けられた[つり堀り 加賀園]の看板(旧 加賀浴場だろうか?)
■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>

■電話番号の表札 ◯◯方・◯◯◯◯◯呼出 ◯◯ 電報
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。