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2016 7/29 『元地元のお話 わたしたちの大山町会史 補助第26号線』

放送作家の高須さんの本、あまりかん。
ダウンタウンの軍師とも言える方で、彼らの番組のほぼ全てや有名な番組も手がけている。
ま、策士や戦略家のような方で、偉大な裏方のような感じだろうか、ダウンタウンはトリオだと個人的には思っている。
地元尼崎の同級生でもあって、ダウンタウンが東京に進出して頑張っている頃に、たまたま就職がうまくいかずに、松ちゃんに連絡をとって、吉本の大崎さん(現社長)に「オレのブーレーンや」と紹介して、「松本がそう言うなら仕事しな」と放送作家の道に進むことになったエピソードは有名な話。

図書館で借りて、2時間くらいで読めたかな、一気読み。
放送室という以前やっていたラジオで話していた尼崎の人々や出来事をまとめたような内容で、吹いたり涙も流れたり、めちゃくちゃおもしろかった。
勝木という同級生は、小6で身長172cm、パンチパーマをあて、あつらえたスラックスを履き、たばこを吸ってセカンドバッグを持ち、麻雀をやって、喧嘩に負けたことがない凄い小学生.....そんな小学生は見たことがないですよね。。

自分が小5まで育った“板橋区大山(大山宿)”、おおやまん。も個性的な人がたくさんがいたなと、今でもはっきりと町や人や出来事を思いだす。

その中でもゾッとするお兄さんに会ったことがある。

いつしかふらっと交通公園に現れるようになって、奇妙な笑顔と共に懐に偲ばせた心霊写真やホルマリンい漬けられた奇形児の写真をボクらに見せて喜んでいる。
彼はいつも自転車をギィコギィコと漕いで、千川上水方面(中野方面)からやって来た。
ある日、ゴムボールで壁打ち野球をしようよと誘ったら、笑顔から突然悲しい顔をして「お兄さんね、手が不自由で動かないからボールを打つことが出来ないんだよ」と言った。
全く普通に見える腕で動かすことができているのだが、ある動きが出来ないんだと言う。
「ごめんなさい」・・・その日以来、お兄さんは現れなくなった。
それから10年弱経ったある日、テレビから世間を震撼させた残忍な連続殺人事件の犯人が捕まったと流れ、趣味は猟奇的な内容の漫画やビデオなどを所持することだったと。
「なんか見たことがあるような」そんな印象をもった。
そしてその犯人は手が不自由で手のひらを上に向けられないと知った。
「あれっ?よく来ていたあの人に顔も特徴も趣味も似ている」.....奇妙な感覚のまま年月が流れ、高校大学と、たまに友にこのことを話していた。
何年か前にたまたま見たサイトで、その犯人は中野にある高校、中野にある短期大学画像技術科に通っていたと知った。
交通公園のすぐ近くには鮫洲大山線(補助第26号線)という板橋区大山と中野などを通る道があり、大山から中野までは自転車でも近い距離にあり、道一本でアクセスがしやすい。中野では中野通りと言われる。
その当時の自分は8〜9歳、そのお兄さんは大学生のような感じだった。
そのサイトに書いてあった犯人の年齢は、自分と11の歳の差があることがわかり、特徴がまたひとつ増えて、ゾッとした。
そのお兄さんが誰だか一切分らないが、特徴がいくつも重なるということは事実。

さて、今から43年前に発行された“わたしたちの大山町会史”を読んだところ、人や町のことが点と点がつながり、これはとても面白かった。
かつての大山の様子がよくわかり、貴重な資料ではないかと思う。
旧川越街道であるハッピーロード商店街(案内図の赤い線)は特定整備路線 補助第26号線(案内図の青い線)の整備で、商店街が分断されることになり、反対運動が昔から起こっている。
最近になって着々と(建築)工事も行われており、何十年後かの将来は一変するだろう。
川越街道に面して大山町交番があるが、その向いに続く道には、かつて大山西銀座商店街があって、30数年前よく走り回って遊んだこじんまりした商店街だったのだが、この補助26号のために、商店街は消滅してしまった。
案内図の右上の青い線部分はもうすでに開通しており、左下の部分が大山西銀座商店街があったところで、数年前に開通した。
幸いにして、千川上水の水神様は今も大切に祀られている。
17号や山手通りから川越街道に抜ける道としては便利になるし、防災面では良いのだろうが。
昔っから今でも、ドライバーはうまいこと川越街道に抜けているんだけど。
防災面で致し方なし....か。
インフラはアップデートされるものだろうけども、歴史ある街道が分断され、新しい道に飲み込まれて姿を変える....山中(現 仲町・大山町一帯)で育った自分としては寂しい思いがある。

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2016 7/27 『HONDA TL125 & TLR200 トコトコと』

MC FUNNYさんの小排気量のバイク。
TL125の初期型かな。via
これはいわゆるトライアルバイク。
トレールバイク(トレイル)ともいうのかな。
山道はもちろん、足としてもとても便利なバイク。
スケートボードを積んでいる姿がとても格好いい。
めちゃくちゃ楽しいと思う。
スケートパークへとひとっ走り。
いいな、小排気量車。

写真3枚目、18歳の頃に不動車で手に入れたTL125。後期型かな。
フリクションディスク(クラッチ)、スプロケなどの箇所を直すことからはじめて、どうだろう....10万キロは乗ったほど楽しいおもちゃみたいなバイクだった。
TLR200などのパーツ取りも合わせると3台分を持っていた。
このバイクにスケートボードを乗っけて、夜な夜なパークへと滑りに行っていたのもいい思い出だ。

池袋代ゼミや大学への通学の足として毎日乗っていたし、四国1周もしたし、道志村、秩父や佐野、長野や日光あたりにも行ったなぁ。
高速は乗れないからトコトコと下道で....楽しかった。
熊谷で給油して再始動する時、キックアームが折れて、何回も押しがけして帰ったり。
車重も軽いし、整備は全部自分でやっていた。
パワーフィルターにしてジェット類も変えて最高速をあげたりして。
土手で遊んだり、直管にしてみたり。ハンドルもゼファーのにしたりとか。
タンクは知り合いのブランドのステッカー貼って。

大排気量に乗っている人は最後には小排気量に行きついたりするとか。
そこらへんのちょいのりに便利だし、なにせ保険やら維持費がとてもやすいのがいいものです。

またトライアルバイクに乗りたいな、そんなことを思った素敵な車両です。

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2016 7/25 『見っけ』

ポケモンGO....みな夢中になって町をウロウロして『発見』して楽しんでいる。
副都心の元闇市跡の公園にはたくさんの人がプレイしてた。
ランニングしていると、すれ違う人の多くが歩きスマフォでポケモンをやっている。
猛者はチャリンコに乗ってノールックでポケモン....あぶなすぎる。
急に立ち止まったり、急に振り返って方向を変えたりもするし...
いゃぁ〜歩きスマフォの人、グッと増えましたね。
とにかくより走りにくくなったかな。

“発見して楽しむ”

これって、町のあちこちにある庚申塔や板碑、暗渠になった川跡や古道、神社や寺、どら猫や渡り鳥、出桁造り、古墳や貝塚や富士塚、道標、さまざまな遺跡に気がついたり、新しい発見をしたりして、こんなとこにこんなのがあったのかと、おもしろいなと思うのと同じようなことだと思う。
ただキャラやツールが違うだけ、スマホかランニングシューズか。

ポケモンやってみようかな....って、そもそもポケモン自体が何なのかよく分らないけど。
元々ゲームが好きだから、どっぷりハマったりするかも。

ランニングシューズでウロウロ徘徊して、いろんなキャラを見つけて、見ず知らずの人と話したりもいいものです。

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2016 7/21 『田柄川の水源と茂呂遺跡』

田柄川は練馬区と板橋区を流れていた川で、今は暗渠となって下水道になった。

水源は光が丘公園にあって、今は池として整備されて、かつてをイメージさせるような光景を目にすることが出来る。(写真1枚目、光が丘団地の一角にある秋の陽公園)
現在は主に雨水を石神井川に流す役割となっていて、水源は雨水だ。

暗渠を歩いて行くと、田柄川幹線水位状況という掲示板があり、現在の水位を確認することが出来る。
これは下水管の埋設されている位置が、地面の浅い場所にあるために、ゲリラ豪雨発生時、幹線水位が急激に上昇し地盤の低い地域等では、床下床上浸水などの被害が集中しているそうで、そのチェックのためだろう。
そのような被害を回避させるべく、既存の下水管のさらに下に新しい下水管を埋設させるとのこと。via

田柄川は川越街道を2回渡り、城北公園の脇を流れて、桜川で石神井川に合流する。
開口部は大きいので、水量がなかなかあることが分る。
土砂降りになると一気に雨水が集ってくるのだろう。
いつでもちょろちょろと水が流れ落ちているのを見ることができる。

石神井川と田柄川が合流する水が豊富な場所故に、太古の昔、旧石器時代の人々や縄文人も生活がしやすかったのだろう。
その証拠に、栗原遺跡と茂呂遺跡がある。
前者は城北公園内に竪穴住居(奈良時代)が復元されている。
一番下の写真、後者の遺跡は合流地点の向いの小高い丘にあり、非常に重要な遺跡。
この丘の関東ローム層から黒曜石製のナイフ形石器が発見されて、南関東地方で最初に確認された先土器時代遺跡として学史的に有名で、群馬県岩宿遺跡に次ぐ全国2例目となり、縄文時代より古い旧石器時代の文化が、日本に普遍的に広がっていることが分かったという。
良質な黒曜石が採れる場所は、信州や伊豆箱根や神津島などと限られているので、旧石器時代の人々は石を求めて、各地に赴き、想像以上に社会的関係を発達させていたことがわかる。
この雑木林的な丘が、日本列島の旧石器時代を解明した記念すべき遺跡で、東京都指定遺跡として管理されていて、今後は公園として整備されるとのこと。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2016 7/19 『大勝軒の中華そばとお持ち帰りチャーシュー』

すごく久しぶりに大勝軒に...3年ぶりくらいかも。
大勝軒といえば、自分はもりそばではなくて中華そば。
やっぱりおいしい。
なかなかの量だから、酒でも飲んで少しマヒというか食欲をわかせないと、ちょいきつい。
この日は10kmランニングして軽く飲んだあとに行った。しかも一日一食これのみで。バランス悪いですね。。

大勝軒と千石自慢らーめんとホープ軒、あと家系ラーメン(こだわりはないのでどこでもいい).....こんなクラシックなラーメンがやっぱり好き。

ココは持ち帰りチャーシューをやっていたので、300円/100gをテイクアウト。
大勝軒のチャーシューはおいしいので、これで炒飯をと。
100g3枚だったか4枚だったか.....たぶん安いと思う。
で、鍋を振って、しっとり手前系炒飯が完成。
めちゃくちゃおいしかった。
炒飯はやっぱりチャーシューが命だと思う。

大勝軒のチャーシューを使った特製炒飯、オススメです。
手土産的な感じでお持ち帰りも良いかもですね。

分裂したみたいでちょい悲しいけど....via
いつまでも食べたいラーメンです。

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2016 7/16 『稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋』

今から350年位前に、石神井川の中板橋手前から水を引いてつくられたのが稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)で、1枚目の地図の石神井川の少し上に引いている赤いラインがそれ。
稲付川は左下から右上に流れていた。

旧中山道にある史跡 縁切榎の前を通る道がこの稲付川で今は暗渠になっている。

北耕地川という名からも分るように、台地にある板橋を通り、低地(現 神谷・赤羽周辺)へと水を流して、農地を耕していたからだという。
石神井川は王子方面から隅田川に注ぐために、北にある神谷や赤羽にとって、この稲付川は貴重な用水路だったことがわかる。
かつて、板橋の住人と下流の住民とで水を巡って争いが起こったことがあるというのも納得。
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中用水については明治五年(1872)年の春、上十条村以下七か村と板橋宿の農民が、水の取り入れ口の問題で誤解が生じて対立、板橋宿の農民総出で智清寺に立てこもり殺気立った十五日間をここで炊き出し、竹槍小脇ににらみあいましたが、東京府の裁決をみ血をみることなく解決したという事です。
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地図と高低差がわかる地形図の青丸部分、ここは環七と本郷通りの交差点で姥ヶ橋。

2枚目の地形図をみていただくと、低い石神井川部分は薄緑色で青丸部分は黄緑色で標高が少し高く、台地になっている。
地名は稲荷台という。
当然、川はここを突破して流れることはできない。
写真上から2枚目を見ていただくと、こんもりと高くなっているのが分るかと思う。(上流方面をのぞむ)
そこで、台地を削って川を流すことになる。いわゆる切り通しだ。
写真1枚目が現存している稲付川跡で、高さがあって切り通したことがわかる。
稲付川跡の向こうには環七に架かる姥ヶ橋陸橋が見えていて、その先は一気に深い谷になっている。
地形図を見ていただくと、深い谷が入り込んでいるのが分るかと。
環七の交差点に階段があるのだが、実際に降りて歩いてみると深いことがわかる。
白黒の古い写真、明記されていないが、切り通して深いのでこの青丸付近で、架かる橋は姥ヶ橋かもしれない。
昔、誤って幼子を溺れ死なせてしまった乳母が、この橋から身を投げたという伝説があるのだが、この古い写真をみる限りでは高さもあるので、本当だったのかもしれない....姥ヶ橋と名付けられ、供養のために地蔵菩薩が祀られてもいるし。

20年も前からだが、この付近(道が環七に接続されておらず、本郷通りにも抜けづらい)やこの空き地はなんだろうかと思っていたのだが、ここが稲付川跡だと分ったのは数年前。
U字溝がなんだか川っぽくも見えなくないし、今でも川跡の面影を残しているので、これは貴重なものなのではないだろうか。
1枚目の地図の左下に日曜寺と智清寺があり、どちらの境内にも稲付川に架かっていた橋(欄干)が今でも現存しているし、この稲付川跡に案内板を立てて整備してもいいのではないかと思うが.....350年の歴史として。
一番下の写真は、日曜寺前で大根を洗っている様子を撮影したもの。

なかなか見どころのある暗渠で、板橋方面から赤羽方面へは便利な抜け道です。

*国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用。

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2016 7/14 『板橋区 根ノ上遺跡』

板橋区指定記念物(史跡・遺跡)
平成10年3月27日指定 平成4年2月28日登録

根ノ上遺跡は、昭和10年代からその存在が知られていましたが、昭和29年(1954)に考古学者の芹澤長介氏が、日本にも旧石器文化終末に細石器(さいせっき)文化の存在を予想した論文中に、当遺跡の採集資料を掲載したため、当遺跡名は全国に知れわたりました。
昭和59年〜61年、小茂根一丁目5・6番の住宅建替えに伴い、発掘調査が実施され、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、平安時代、太平洋戦争時などの遺構や遺物が発見されました。
中でも縄文時代早期は、主に関東地方に中心域を持つ撚糸文(よりいともん)土器様式分布圏でありながらも、中部地方に中心域を持つ押型文(おしがたもん)土器様式が数多く伴うという特徴が把握されました。
また、弥生時代後期には「むら」の周りに溝をめぐらせた環濠集落(かんごうしゅうらく)が形成され、遺物出土状況の分析などから、極めて限定された一時期の集団の社会的な行動が復元できました。

2万年前からずっと人が住み続けている場所....住みやすくてまさに一等地とでも言えるだろう。
近くには石神井川が流れていて、この付近は湧き水も豊富だったので生活がしやすかったのだろう。
案内板から、関東地方から中部地方まで、縄文人の行動範囲が広かったことがわかる。
彼らはガラス質でナイフのように切れる黒曜石という石を求めて、舟を作り海を渡り、神津島まで採取しに行っていた。まさに命がけの行動だ。

小茂根図書館の内部にも遺跡の一部があることから、床のタイルカーペットの色分けで遺跡部分を表現していて(経年変化で一部は無くなっていた)、発掘品のミニ展示コーナーもある。

地形が読めるようになってくると、歴史がより楽しくなります。

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2016 7/11 『梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに』

猛暑日もあれば肌寒い雨の日もあり、しっかりとした梅雨の日の連続もあり、なかなかスケートボードを嗜むことができていなかった。
ということで....COLTの拳銃がプリントされたタンクトップを着て、スケートボードを抱えて投票所に行き、その足で5週間ぶりにスケートを。
この日もなかなか暑く、たぶん31℃...軽くオーリーしてプッシュするだけで汗だく。でもココの良いところは、地下の施設からの冷気が、そよそよ吹き出してくるので少し涼しいが、30分ほどで終わり。
楽しいけど暑いからなかなか疲れる....感覚でいうと5kmをランニングするのと同じような感じ。
戻ってシャワーしてランニングウェアに着替えて、炎天下の中、なるべく日影を通って7km先の宴会場へと向った。
町には暑いのに同じように走っている人をちょくちょく見かけた....みんな好きなんですね、走るの。
....選挙結果も出て、次は都知事選。さてどうなるだろうか。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT -大切なひととき-
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
■GET RAD
■マドンナエア
■YouTube 作ってから1年半
■過ぎ去った夏 スケート仲間の親友の二周忌呑み会
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB
■東京オリンピック 新種目スケートボードと日本人のDNA
■池袋スケートパーク 試験運用
■HIDDEN CHAMPION #71 <HITOTZUKI -KAMI->@UNIque 恵比寿西
■新プロジェクトX スケートボード 頂点へ“日陰者”たちの逆転劇 <スケートボードは日本のお家芸>

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2016 7/8 『MoMA』

社会人になってからしばらくスケートボードがある生活とは離れていたので、ウェブでもショップでも雑誌やらほとんど見なくなっていた。
しかし、去年から27年ぶりにまたスケートボードがある生活になっているので、スケートボード(カルチャー全部)のことが気になってしょうがない。
スケートボードというカルチャーに絡んだことがない人には、「スケートボードなんて子供の....」とか「まだそんなのしてんの?」とか思われるかもしれないが、心身共にとてもいいものなのです。
やったことがない人にはもちろん分らないことだけど。

東京オリンピックの追加種目にスケートボードが追加されたように、スケートボードのスポーツ性やカルチャーが見過ごせないということ。
80年代のスケートボードカルチャーにどっぷり浸かって、たくさんのトリック(エア:ジャンプランプで飛ぶこと)をメイクしてきた者としては、スケートボードはスポーツでもあり、道でもある....そういう意識で滑ってきたのです。そこにファッション性も加わるので、より一層誇らしくもあった。「オレたちはスケーター」だぞって、「すごいっしょ」って。

これからもスケーターっぽく見られないんだろうなぁ。
ま、昔からスケーターとは見られないことが多かったケド。
それが自分らしいかなと思う。
ま、なんでもいいと思う、人それぞれ。
プライベートの名刺がわりのような備忘録的なスケートボードのYouTubeチャンネルを作ってみました。AND SKATEBOARDING

ところで、
MoMAストアからウォーホルとバスキアのグラッフィックのデッキが発売された。via
最後の晩餐...いいな。
歌川国芳や広重のデッキもあるんですよ。
個人的には江戸名所図会とか江戸名所百景のデッキが欲しい。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT -大切なひととき-
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
■GET RAD
■マドンナエア
■YouTube 作ってから1年半
■過ぎ去った夏 スケート仲間の親友の二周忌呑み会
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB
■東京オリンピック 新種目スケートボードと日本人のDNA
■池袋スケートパーク 試験運用
■HIDDEN CHAMPION #71 <HITOTZUKI -KAMI->@UNIque 恵比寿西
■新プロジェクトX スケートボード 頂点へ“日陰者”たちの逆転劇 <スケートボードは日本のお家芸>

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2016 7/7 『豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り<米屋伊勢五などの出桁造り> 90年代中頃の新中山道(国道17号線)を走る大型三輪トラック(オート三輪)』

我が母校の都立文京高等学校から、王子と大塚をむすぶ折戸通りと交差し、千石方面へ不忍通りまで古い道が通っている。
その通りは山手線に架かる“江戸橋”から名付けられ江戸橋通りという。
ちょうど中山道の一本裏道にあたるような道筋だ。
出桁造りの商家が何軒か残っていて、現在は店じまいをしているのが目立つも、かつては賑やかな商店街だったのだろう。
中には登録有形文化財になっている老舗の米屋 伊勢五もあり、存在がひときわ目立つ。明治初期の建物だそうだ。
このことからも歴史のある道だとわかる。
商家が立ち並び、坂の下には千川(谷端川)が流れて、近くには徳川慶喜巣鴨屋敷もあり、女中さんも買い物に来ていたことだろう。
伊勢五さんは屋敷にお米を納めていたかもしれない。
通りの先すぐ近くに一橋徳川家の屋敷(現 千石緑地)があるので、徳川慶喜公は巣鴨に屋敷を構えたのだろうか。
屋敷の隣に山手線が開通し、目の前に巣鴨駅ができることとなり、騒音を嫌った慶喜公は文京区 小日向へと引っ越して行ったという。

ランニングしてて偶然通った道、とてもいい雰囲気でした。

バイクや車ではなかなか気づくこともない“歴史”が、ランニングだと分るのでとてもおもしろい。
それがいいところだし、ただたんにランニングしているのもつまらないのもあるんだけども....トレーニングしているわけでもないから。
ログ(軌跡)を録っていたら、うちから半径7kmくらいのマップはあちこちの道、古道も真っ青のラインで埋まっているだろう。
やっぱり古い道の方がいろいろとおもしろい。
住宅街にぽんぽんと商店があったりする道は古道であることも多い。
インフラはアップデートされるものだが、古道が新しい道に吸収されたり分断されるのもなんだか寂しい気がする。
本郷の追分から板橋本町まで、今でも出桁造りの商家が十数軒あるかないかだが、僅かに残っている....自分が高校生の頃はもう少し多かった。
R17の上空に首都高を建設している頃、90年代中頃だっただろうか、新中山道で何回も大型のオート三輪を見かけてそのつど興奮したものだ。
確か西巣鴨〜新板橋付近(滝野川)でちょいちょい見かけたので、その近辺に住まわれていたおじいさんだったのかな、道をふさいで転回してて、皆“おっ!”みたいな顔をして大注目を浴びていたのを憶えている。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2016 7/6 『手相とホクロ』

手相....
手相は変わるという。
そりゃそうだ、皮膚のシワだし。
ホクロも消えたり増えたりする。

手相に意味を持たせたかつての人々。
そしてそれを信じた人々。
手相は統計学でもあるだろう。

松っちゃんと同じところにホクロと手相がある。
“人一倍性欲が強く、運が強く直感力に優れ、繊細な感性の持ち主”....だそうだ。
そして、左の親指に仏眼の相がある、右にもあるが。
これは“霊感が強い”と言われているのだそうだ。

もしそういう意味があるなら、もの凄く疲れますね、、、この手相だと。

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2016 7/5 『普段履き』

2016春夏モデルのVAZEE PRISM
サブ4ランナー向けの製品。
VAZEEラインはつま先が上がっているので足さばきがよく、スピードが出しやすいので頻繁に履いている。

このブラック×ホワイトカラー、ブラックのショーツにブラックのランニングシャツでも渋くていいし、トップスだけ明るめの色にしても具合が良さそう。
普段履きにも調子が良さそう。
交通機関が麻痺しても、コレでコーディネイトしてたら23区内だったらどこからでも走って帰宅できそう。
普段履きを兼ねたある意味防災グッズ。
いやぁコレいいな、ランニングにも普段用でも。

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2016 7/4 『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野 <闇市 残飯シチュー>』

東京大空襲で家族を失った下町育ちの金物屋のジイ....生前、居間でホッピーを交わしてたくさんの話をした。空襲で浮浪児になった子が上野にはたくさんいたと...上野の山、上野駅の地下。

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ここに、今から六十五年前に書かれた遺書がある。
太平洋戦争終結から間もない頃、少年が路上で自殺を図った際に遺したものだ。当時その少年は、浮浪児と呼ばれていた。

遺書
母、母を求めて死んで行く。現在の私には死よりほか、苦しみを救ってくれるものはございません。
私には母も父もいないのです。私の過去四年間の生活は、本当にさびしいものでした。
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起承転結の “起” 部分が想像もできない描写で考えさせられる....戦争が残した冷酷なもの、闇に葬られた歴史。

空腹のあまりに犬を食べる浮浪児。
飢餓に苦しみ、犬のク◯を食べて死んでいった浮浪児もいたという。
進駐軍がゴミとして出した肉や野菜の残飯を貰って、ぐつぐつ煮込んだ“残飯シチュー”は驚きの旨さで闇市に行列ができたと。中身を確認せずに鍋に放り込んでいたために、時にはゴキブリや蛆や煙草や猫の死骸などが入っていたと。
おにぎりひとつのために体を売る女の子。
パンパンに声をかけられて一緒に暮らした浮浪児....母性本能と寂しさがそうさせたのだろう。
浮浪児を家に連れて帰り、風呂に入れ腹いっぱいにご飯を食べさせて、次々と引き取り、孤児院 愛児の家 を作ったママさんと家族。たくさんの浮浪児が巣立って行ったという。

一気読み、涙がとまらず辛かった。。。
ライターさんも言っているが、戦後70年、浮浪児だった人たちが語ることが出来るギリギリのタイミングでよくぞ取材、出版できたのではないだろうか。
上野でたくましく生きた人の話、大人からチビまで皆に読んで欲しい貴重な良い本です。via

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2016 7/1 『強引のようだけどその通り』

食べなければお腹は空かない
好きなものを食べても太らない
なんでもおいしく感じる
痩せるには食べる回数を減らすしかない
食べると疲れる、疲れると眠くなる

と、74歳の三枝成彰さんが言っている。ライフハッカー

結果的に1日1食になることもあるけど、いや、腹は減る。
最近は朝JOGをしていないので、朝飯を食べずで1日2食が多いかな。
たばこをやめて7年になり、同時にランニングをし始めたからもあるのかなぁ、寝ている以外は軽い空腹感がずっとある感じだけど、それも慣れた。

ジャンクもんもちょいちょい食べるけど、野菜もたくさん食べる。
なんでもおいしく感じるけど、やっぱり一番なのは、ランニング後のレモンサワーと寿司かラーメン。
うまいビールを飲むためにランニングをする、そういう人はすごく多いのも納得だし、スケートボードをやってビールをおいしそうにアップされているのも、同じようなものですね。
1日1食とか腹八分とか大変そうだけど、やっぱり何かしら運動を生活にとり入れて、何食かは人それぞれでバランスよくでいいのではと思う。バランスよく....これがいちばん難しいですかね、やっぱり。
難しいようであれば予算が少しかかるけど、1日2食をほっともっとのタニタ監修弁当ってのも手だろうか。それもムズイか、いや飽きるか。
まぁ、ライザ◯プのように、糖質を徹底的に制限して筋トレしたら、そりゃ森本卓郎さんも痩せて糖尿病も改善されますよね。

健康は金で買え....いつだったか、そう友が言ってたけどそれも納得。