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photo2013 7/30
『地形と歴史文化暮らし』

【古地図とめぐる東京歴史探訪】と【江戸東京の地名散歩】
【凹凸を楽しむ 東京スリバチ地形散歩】と【江戸・東京地形学散歩 災害史と防災の視点から】、【江戸名所図会を読む】
写真上2冊は江戸の地名の由来から見えてくる歴史や文化、庶民の暮らしなど。
写真下左と真ん中は地名の由来と歴史文化を谷や川などの地形から詳しく解いている。右は江戸の名所、江戸庶民の暮らしぶりなど....とてもおもしろい本です。

《道玄坂の地名は、盗賊にちなむ。鎌倉初期の武将和田義盛は源頼朝が挙兵したのち、つねに従い功を立てたが、1213年(健保元年)には、北条氏の挑発に乗って挙兵したところあえなく敗死。その後一族の大和田道玄が残党と共に逃れ、洞穴にひそみながら盗みを働いていた。道玄は坂の上にあった松の大木に登って物見をしていた。坂道をゆく旅人を見つけると、手下たちに合図して金品を奪わせたので、松の大木は道玄松、坂は道玄坂とよばれるようになった》....有名どこだとこんな内容、散歩がまたグッと楽しくなります。

photo2013 7/30
『NHKスペシャル』

生きたダイオウイカ、鮮明な映像に驚嘆したのはもう1年前。
潤沢な資金がなせる技だろうか、おどろき楽しませてもらった。
世界の不思議・伝説の本に載っていた巨大なタコやイカに襲われる帆船、
巨大なおっかない三白眼と金属ライクな光沢がある皮膚、実に気持ちが悪い...

今回、第一部は去年の内容を踏襲した構成、第二部は深海のサメの特集。
すんごい映像で食い入るようにみて楽しいけど深海サメ、気持ちわるい...
おとり餌であるマッコウクジラ、真っ先に発見するも一口食べていなくなる。するとまた現れてまた消える....
そうしていくと、ちぃこい魚やカニ何かが群がってきて食べる、
パトロールしてその様子を見守り、自分はまた少しだけ食べる、
食べやすいようにひとかじりして餌を食べ分け与えてる王者らしき姿に驚いた。
それは、ちぃこいのが育ってくれて自分も餌にありつけるという食物連鎖の頂点にいることの意味で。
まぼろしのサメ、メガマウス、深海にいるけど実は水深が浅いところまで上がってきて桜海老を食べているってこと、真っ暗な時間にそっと浮上しだれにもその姿を見せることなく。ぜんぜん鋭くない平たい歯、でっかい口で海老を飲みこみ、どこかぬけた愛くるしいフェイスで気性はおとなしいようだ。via

人は上には行けるけど、陸や海のずーっと深くまでは行けない。
深海とは水深200mより深い太陽光線も届かなく海流も違う海のこと。
直線で200m先は目の前という距離、隣の駅まで1000m走っていくと5分半。
たったそんな距離ほどの深さの深海のことはあまりわかっていない。
上もだけど何にもわかっていない深海や地殻、興味が尽きません。

photo

2013 7/29 『高島平の名の由来 高島流』

板橋区の北部に高島平という地域がある。(赤線で囲んだ地域)
その高島平はかつて徳丸ヶ原といわれていた湿地帯、氾濫する荒川によってしょっちゅうびっちょびちょだったよう。

長崎の町役人で砲術家だった高島秋帆(たかしましゅうはん)は
オランダ人らを通じて、洋式砲術を学んでいたので日本砲術と西洋砲術の格差を知っていた。
高島秋帆はアヘン戦争で大きな衝撃を受け、
日本を防衛するために洋式砲術を採用すべきだと国防の重要性を訴えた意見書を幕府に提出。
幕府の命令で江戸にやってきて、赤塚にある松月院に本陣をかまえ、眼下に広がる徳丸ヶ原(高島平)で歩砲2隊の演習と馬上発射と大砲の実弾射撃という洋式の砲術演習を行った。
幕府ははじめて洋式の火砲の威力におどろき、この演習は当時の国際情勢からも話題をよんで、幕府は多くの大名や鉄砲方にも見学をさせている。
勝海舟などもこの様子をコッソリ見たと記している。
これにより幕府の高島流砲術採用が決まり、
幕臣らに高島流砲術をおしえて長崎に帰ったと。

幕府から重用されてその功績を妬んだ幕府町奉行の鳥居耀蔵(とりいようぞう)は周りの人とグルになって、
高島秋帆は 「密貿易をしている」と謀反の罪を着させて、
幕府に訴え、逮捕・投獄されてしまう。
洋式の砲術の必要性を感じている人も多く、
幽閉先では諸藩は秘密裏に高島秋帆に接触し教わっていたという。

幽閉されること10年、ペリー来航による社会情勢の変化によって
赦免されて出獄し、高島秋帆はふたたび幕府に対して、
このままではアメリカとは戦えないと意見書を提出、
その後幕府の砲術訓練の指導に尽力した。

そんな高島秋帆の高島流砲術。
坂本龍馬が高島流の砲術家徳弘孝蔵への入門する時の起請文、
龍馬の血判が確認されたとの先日のニュース、
【竜馬の血判を発見=砲術入門時の起請文で−高知】
坂本竜馬の血判や直筆の署名などが記された、 高島流砲術家への起請文=24日午後、高知市の高知県立坂本竜馬記念館。
記念館は24日、竜馬の血判や直筆の署名などが記された文書が見つかったと発表した。
入門していた高島流の砲術家徳弘孝蔵への「起請文」で、記念館によると竜馬の血判が確認されたのは初めてという。
起請文は、行いにうそや偽りのないことを神仏に宣誓する文書。
この書で竜馬は、入門後に学んだことを外部に漏らさないことや、新しい流派をつくらないことを誓約している。
「高島流砲術入門誓書一巻」起請文は、竜馬が同砲術へ入門した安政6(1859)年9月のもので、直筆とみられる署名の上に血判が押されている。
巻物には竜馬の他、幕末に尊王攘夷運動を行った土佐勤王党の武市半平太や岡田以蔵ら、216人分の名前も記されている。

と、男の恨み妬み嫉みほど怖いものはないと美輪明宏が言ってたけども...

その演習で幕府は洋式の砲術におどろき採用したわけだが、
幕府が崩壊したあと明治新政府はそのまま踏襲し、
のちの日本陸軍創設の元となった。
本陣を構えていた松月院とこの徳丸ヶ原が日本陸軍発祥の地ともいわれている。

スケートボードにあけくれた10代前半を過ごしたこの徳丸ヶ原、
やんややんやと直管爆音を轟かせ、ゴッドファーザーをラッパで奏でて徳丸ヶ原を爆走する夜、室内から見る建物の間を流れてゆく単車たち、いつもの光景。
10代後半20代前半ブロックタイヤのバイクを楽しく乗り回した徳丸ヶ原、
米の産地として有名だったけど、 発展にともなって民家から流される汚水によって川が汚れ、農作物を作ることができなくなった徳丸ヶ原の農家の人々...
それに目をつけた大規模開発をすすめていた住宅公団に農家の人は水田を売却し、
昭和40年代に開発されていき、地下鉄も通り首都高も開通、かつて戸田筋として将軍の鷹狩りの場になり、演習の場になり、水田になり、古くから住んでいる高台の赤塚・西台村(徳丸)の下に開発整備によって新しい人々が流れ込み多種多様。
自分が通っていた徳丸ヶ原にあった学び舎は子供の減少にともなって廃校になってしまった。
そんな徳丸ヶ原、高島秋帆の名をとって高島平と名付けられて今にいたる。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
photo2013 7/26
『正しいペン字の書き方 #10』

Fの使い捨て万年筆¥210を買って、
練習すること3週間、こんなにはやくもうインクがなくなっちゃったので、
今度はカートリッジ式の03(細字)を購入、¥210+インク2本¥105。


03といってもしっかり線が描けるので書きやすい。
本格万年筆とうたっているだけあって、こだわりがあちこちに見られてすごい。
プラチナ万年筆 preppy、たったの¥210、これで十分使い続けられそうです。ウン十万の万年筆の良さも知りましたが、コレにはおどろきました。
All About ステーショナリー・文房具/長く使いたい万年筆 via

今まで何回も挫折し....ほんとに綺麗になんのか?と全く自信が持てずいて...
綺麗な字をかけるようにするんだと、あきらめないぞと是正しはじめて早6ヶ月。

もともと手紙を書くのが好きだったけども、
いかんせんゴシック体と明朝体のあいのこに製図文字が入ったクセ字...
このPCの時代、一筆きれいな字で心をこめた文をそえることの大切さ、
きれいに添えられるかもしれないと、少しずつだけど怖くなくなってきている。

いつも使っているシャーペン、パーカーのボールペン、やっすい万年筆、
ずいぶん前に買った¥370の本、ずいぶん前に買ったコピー用紙、
プロには習っていないけども、
たったこれだけど大変身とまではいかないけど、だいぶ良くなったように思う。
何年も続けて習得したいと思う、綺麗な字。

名を体を表す、字は体を表す...自信はなく上手ではなくともきれいに書こうとしている姿は通じると思う。


photo2013 7/24
『うなぎ』

鎌倉の小町にある名店浅羽屋さんが今年の初めに閉店したと最近知った。

友が言った、「普通のつまみ料理と飲み放題に5千円出すんだったら、
おいしい料理を食べた方がいいよね」って。
ま、コミュニケーションをとるための代金だけど、お料理としてだけだと、
そのとおりですかね。

A5ランクの分厚いステーキとうな重があったら、後者をいただく。
A5ランクの分厚いステーキと特選海鮮丼があったら、後者をいただく。

鶏蒲焼きひつまぶし、っていう新しいのを食べてみましたけど、
なかなかおいしい鶏料理でした、あなどれません。source
高騰ですけど、安くて美味しいうなぎ屋さん周りにまだまだたくさんあります。

photo2013 7/23
『足回り強化』

名作996が足回りを強化して新登場。

クラッシック、オーセンティックなデザインのままで、
ソール部分を走りにもう少し適応させたモデルが欲しいなと、
足回りをカスタムした旧車KawasakiZ1マッハのように、
そんなモデルでないかなと思ってて前にも書いたことがあるけど...

ミッドソールにREVLITEっていう従来よりも30%軽量で心地よいクッション性がよい素材とのこと。
今メインではいているシューズ(3枚目)にもREVLITEが使われています。

アッパーの形状は見直したみたいですが、踏襲したデザインと機能性を向上させたモデル、かっこいいな。

ガンガンに走ることには他のモデルに勝らないと思うけど、5kmをちょくちょく、10kmたまに走るくらいなら問題なしな感じでしょうか。

タウンユースからJOGちょいとまで、重宝しそうなアップデートでしょうか。

source

発売後、レビューみてみたい。


photo2013 7/22
『煩わしいけど』

選挙、投票率は52%だったらしいけど、
まったく信じられないのですが...
投票に行かない人、意味がわかりません。

ひどい暑さがわずかながら弱まってきて、
掃き出し窓全開、扇風機強風でぐっすり眠れるこのごろ、
朝方寒くて目がさめるのもよし。

以前からレーシックに関心があるけども、
家族からダメと言われて、いつかはと思っていたけども、
結局のところ、術後何年かたってまた低下したという人を
多くみかけるようになって...
かつては煮沸消毒が必要でしたが、使い捨てもあり、通常レンズでもお手入れの煩わしさあまりなくなってラクに、
やっぱりコンタクトレンズでいいわと思うように。
昔のレンズ、お手入れはホント毎日大変だった...

走る時もだいたいメガネを...冬はいいけども、
夏場は汗や水でレンズが汚れるけど、やっぱりメガネはラク。

キャリアの長いメガネさんがメガネをとると、だいたい目ぐりぐりしててするどいけど、メガネってフィルターを一枚かませると、眼光するどい人はやわらかい印象になりますからね。

目も歯も、健康であることは宝だとつくづく思います...

投票に行く前、ひとっ走り10km。
久しぶりに走ったあとメプシ、ノドを紙ヤスリ400番くらいでこすったかのような鋭い刺激、こんなにもさらにおいしくなるのだから、走られることは宝です。


photo2013 7/18
『夏のメシ』

焼きとうもろこし。
とうもろこし12本で200円、
1本16.7円、しょうゆ+ちょいバターで+0.8円、
燃料はのぞいて、1本あたり18円くらいでできあがり。

ぶっかけ冷やし讃岐うどん。
かきの木茸(エノキの原種だそうな。歯ごたえとぬめあり。)12円
オクラ24円
大根おろし6円
たまご10円
納豆19円
讃岐うどん53円
ネギわさび味のり揚げ玉半すりゴマ6円、出汁18円
燃料はのぞいて、一人前148円くらいでできあがり。

と、原価計算したらどうなんだろうと初めてやってみたところ、こんなかんじに。
超大盛りで激安のお店、荒川区の光栄軒とかどうなっているんでしょ...

食欲が減退気味だったのでモロコシもぶっかけもウマイ、やっぱり。
だれでも作れますね、ぶっかけは。

一人親だったので、チビん時から自分でよく料理を作っていたので、
というか、裁縫、大工仕事、野良作業とか自分でできることは
なんでもやらないとなんなかったので、それはいいことだったのだろう。

昨日なんてエアコンなしでちょっと寒いくらいに感じた夜、
この◯ソ暑い二週間、そしてこれからまだまだ、厨房は過酷ですね。
ご自愛下さい。


photo2013 7/17
『お帰りなさい、また逢う日までパーティー』

シカゴとニューヨークから友が研究と夏休みでやってきた。

場所はというと、新宿に2店舗を展開している友がつい最近、
浅草の浅草食通街に満を持して構えたお店“すみお”

浅漬けきゅうり一本串刺し、これでもうお腹いっぱいに...
んで、会津馬刺登場、赤身でおいしかった。
自分は牛と馬は好んで食べなくて、生肉はちょっと...
馬刺っていうと熊本だけど、
会津のはサシがないので食べやすかった。
刺身盛り合わせ、
続いて鮭と鯖の原始焼きに
出し巻き玉子 蟹あんかけ、
〆は寿司職人の店長が握るお鮨、
ネギトロ軍艦巻きとマグロ赤身とわすれたけど白身魚。
日本酒と共にがいいのだなと。

N.Y.C.からやってきた友のバイオリン、楽しくおもしろい演奏。

と、色々な友とも久しぶりにあったり、はじめましてでお話したりして、
とても楽しい晩となりました。
また逢う日まで。

都内に住んでいて浅草に行ったことがないという人、
意外と多いみたいですけど、とてもいいところです。

NOエンジン、自転車でもよしランニングでもよしウォーキングでもよし、上野のちょい先。

NOエンジンの楽しさがわかってきたら、エンジンの魅力にふたたび気づく、ホントそうだなって。
それの繰り返し、人生そうなんだと。source
なるほど。
体質改善からのきっかけで、NOエンジンの楽しさが結果的にわかったけども、
かわらずにずーっとONエンジン?の生活だったら、この魅力を逃してたところだった、それを得たのも収穫のひとつですかね。

だって、走るのも(チビん時は好きだったけど)自転車乗るのも、ウォーキング???歩くなんてもう論外というか絶対になし、
さらに電車やバスに乗るのも、ぜんぶキライだったから。

photo2013 7/16 #12
『徳川家宣』

連休最後の朝、ちょっぴり涼しさを感じたので、
速攻でランパン+ショートタイツとランニングシャツに着替えてひとっ走りに。

ぜんぜん走れていなくて、だるーくて元気もちょっと衰退する日々が続いていて...
胃もムカムカするし、腸も不調、食欲もちょい減退、呑み飲みすぎか...
夏バテなんだろうけど、ラクな間隔で朝に走れていれば、
ぜんぜんそんなことはないのは分っているのだけど、こんなク◯暑いとあぶないし、そもそも走りたいとそんな気にもならなく。。
走るワケは日々の身体の調子をよくしたいのとおいしくメシと呑みたいからで、
走らないと逆に不調になってくるのが自分でもよくわかる、
って、走れないくなったら心身共に大丈夫なのかと不安にもなるけども...

と、朝は高度が低いので都心ではビルディングに遮られて、昇ってきてもけっこう日影があるんで、日影ちゅう日影をなるべく通って走ります。
この朝もほぼ日影を通ってゆっくりペース6分〜6分30秒/kmで根津神社へ。
氏神様の神社では夏越の大祓をして頂きましたが、
根津神社には茅の輪が設えてありましたので、くぐりお参り。
なじみがない方にはなんのこっちゃですが、夏と冬の半年ごとに、知らず々に犯した罪や心身のけがれをはらい清めて正しい本来の姿に戻るための行いです。

徳川の屋敷跡に根津神社を造営して今にいたるとのこと。
なので、徳川家宣はここで誕生したので胞衣塚があります。
エナは生児の分身と考えられ、大切に扱われたと。
健やかに立派に育って欲しいという民俗ということなのですね。

水分補給、水で少し汗流して...帰路はなかなか暑くなってきたけども、
どんどん体調が良くなってくるのがわかる、体も脚も軽くなってくるし。
途中、朝マック買って、10km
出る時はちょっとだるいな〜だったけど、
帰宅後、水シャワーして、amもpmもずーっと胃腸の調子も良く元気。
元気になったので夕刻前に、3つ先にある図書館へ。
近場の図書館にはなかった区の郷土史の本を5冊借りて、お土産のアイスをどっさり買ってちょっぱやペダリング、そっこうで溶けちゃうからね。
涼しくなった夜は呑みながら郷土史を学んで、就寝。

遺跡や遺構めぐり、神社仏閣お参り、
区の郷土史が気になって々、さまざま調べ続けて2年は経つだろうか、
点と点が線になってつながっていって、それらや気になっていたことが自分の住まいにつながってていたり、母が東京に出てきて初めてお世話になった町の氏神様、地蔵菩薩に、今はご縁があって自分が居住しお参りしている、その理由も分りつつあって、知らなかったことがたくさん様々つながっているんだなと実感し、あらためて感謝せよと、不思議なものだなと思っている。
自分でページを開けてみないと分らなかったことだから...
興味がわいて調べまくっている、それには意味があったということだろう。

ランニングもそう、全く興味がなかった事が面白くて仕方がない、それも一興。

photo2013 7/16 #1
『ヌルヌル』

ネコに小判...
無知でよく知らずですが、
すんごい万年筆で暑中試し書きをさせて頂きました。
クリップに蛇と宝石が留められていましたが。
インクがヌルヌル出てきてそれを楽しむのだそうだ。
少しだけわかったような...
実にたのしい。

と、
すれ違う人々、
短パンに半ズボンの男、
軽くて薄い生地でなんとなく着ているような格好の女、
なら、うんざり火照ってまだ溶けそうな感じではないけども、
Yシャツにビジネスバッグ、長ズボンにシャツ、つらそうな姿に
お疲れさまですと労いの思いもでます。

暑い朝に走ると具合わるくなりそうだなと一週間、
ク◯暑い一週間勃発で、走る気も完全に消滅、
食欲もちょびっと減退...
今月はまだ7kmだけ。

4年前、炎天下のもと、ワルい方の汗が尋常じゃないくらいふきだして、
体ヌルヌル....2km、3kmと嘔吐しそうになりながらも、
距離をのばして走れるようになっていったこの季節。
走りはじめてすぐの4年前の今頃、7.3kmは90分で、
今はいつものペースで走って42分くらい。

木々が生い茂って緑がたくさんあるところを走れたら、
朝暑くても気持ちいいんだろうな、いいなと毎年つくづく思う夏。

photo

2013 7/10
『板橋区東山町 板橋城跡(長命寺) 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)』

1−2−3枚目、板橋城跡と伝承されているうちのひとつである長命寺。
環七と川越街道の交差点にあって、住所は東山。
地名のとおりなだらかなであるが台地になっていて、
そばには石神井川が流れている。
板橋区の名になった板橋氏は豊島氏の庶流で、
板橋城は板橋氏の居城、川越街道を押さえる要衝として築かれたそうな。
地形を生かし、石神井川は水堀として機能していた。
太田道灌vs豊島氏で豊島氏が衰退滅亡したあとも存続し、
その後板橋氏は後北条氏(小田原北条氏)に仕え、
後北条氏の有力な家臣として活躍した赤塚城の武蔵千葉氏に属した。

4−5−6枚目、赤塚城跡。
築城主は千葉自胤(ちば よりたね)でその家系を武蔵千葉氏という。
よりたねは武蔵へ逃れて太田道灌を頼った。
それから太田道灌の支援をうけて勢力を拡大し、武蔵千葉氏の地盤を確立した。
その後太田道灌が暗殺され、後北条氏が武蔵へ勢力を伸ばすと、
よりたね(武蔵千葉氏)は後北条氏(小田原北条氏)に属した。
小高い丘に本丸があり、下にため池があって内堀として機能していたと、こちらも地形を生かしている。
二の丸跡には東京大仏で有名な乗蓮寺がある。
余談だが、この乗蓮寺は現板橋区役所の向かい側(仲宿)にあったのだけども、
国道17号線中山道拡張、首都高5号線開通のために、
40年近く前に移転を余儀なくされて赤塚へと移られました。
乗蓮寺は徳川家康から10石の朱印地を拝領し、
徳川吉宗が鷹狩りにの際にはご飯の休憩所として使われていた
徳川ゆかりの由緒正しきお寺です。
今から約40年前、赤塚城はほぼ手つかずで空堀なんかの遺構が残っていたそうだけども、いわゆる高島平団地の宅地開発、公園化の際にほとんどがなくなってしまったそうで。
開発という錦の御旗でもって赤塚城の遺構は反故にされてしまったのだろう。
現在の赤塚城本丸跡は野原になっていて、向こうにはかつての徳丸ヶ原が広がり、手前には首都高5号線が、さらに向こうには都営三田線の高架が突っ切っている。

上でもふれたが、赤塚城主の武蔵千葉氏は
後北条氏の有力な家臣として活躍していたが、
1590年の豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、
後北条氏に仕えていた武蔵千葉氏も所領を没収されて落城となり、
その流れで武蔵千葉氏に属していた板橋城も落城となった。

板橋城も赤塚城も北条氏と運命を共にし、落城し滅亡した。

 

都内の古城址について

子供の頃何回かお城のプラモデルをつくったな、そういえば。
組立ても着色もむつかしかったような記憶があるけども。
完成させて、眺めてよろこんで、
でも、あたりまえだけど動かないから、
すぐに飽きちゃって落城させちゃう運命だったなと。

潜水艦、戦艦、戦車、戦闘機、車、バイク、ロボダッジ、ガンプラ、電車、
動くの中心でプラモデルはまぁよく作ったな。
セロテープのみでガンプラ作ってたぶきっちょな同級生、
可動部はうごかないガッチガチの拘束ボディに大爆笑したものだ。

今、城のプラモデル作ったら邪魔ですよそれ、と言われるだろうな。

ひどい暑さにげんなりされている方も多いかと思います。
ご自愛下さい。

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photo2013 7/9
『守るに易く攻めるに難い』

去年映画化された“のぼうの城”、
戦国時代の小説を初めて読んでいるけど、おもしろい。
物語となるのは関東七名城に数えられる忍城。
周囲が湿地帯という立地から「守りやすく攻めにくい城」という。

城跡を巡って、その土地も含めた歴史を知るのはとても楽しい。

自然の地形を利用し、敵が容易に近寄れなくする...
中世までの戦は弓と矢で、守るに易く攻めるに難い土地を選んで城を築いていた。
一族が立てこもれる母屋、食料庫、武器庫、見物やぐら、空堀に土塁、周囲に柵を設けただけの質素な城だった。
城というイメージは白い壁の楼閣、石垣、水がある壕という城郭だけども、
それは外国からやってきた圧倒的な武器である大砲や鉄砲から守るために生まれた知恵ということ、大砲や鉄砲にはごっつくて堅固なつくり、施設が当然必要になってきたから...だから、えっ?これが城と思うのもムリはないですね。
石神井城のCG

渋谷城があったとされる金王八幡宮、六本木通りと明治通りの交差点付近で、
六本木通りは坂で下っていて、明治通りからは坂をのぼるという地形的には台地の突端のような場所。
お客さんのお店と会社があったのでこの場所(金王八幡宮付近)はよく通っていました。

今まで巡った都内の城は、
渋谷区:渋谷城|千代田区;江戸城|練馬区:練馬城、石神井城
板橋:赤塚城、志村城、板橋城(お寺)|北区:平塚城
世田谷区の世田谷城と奥沢城、こんど寄ってみようと思う。

photo2013 7/8
『炎』

土曜日の朝、ひどい暑さ....
でも、風がまだあったからよかった、
10kmウォーキング。
買出し中に梅雨明け。
平年よりも15日くらい早いようだけど、水ガメは大丈夫なのだろうか??

日曜日、夕方からの宴会前にちょっと一っ走り、
7km。
暑くてあぶないので日影を走って、
休憩もいれて、
お参りもして。

人の欠点ならちょっとしたものでもみえるが、
自分の欠点は、大きなものでも自分にはみえないものだ、
という意。

 

と、夏、
えだまめ一袋75円!
ストアで買うと300円くらいかな。
ビタミンCを多く含んでいて、
肝臓の働きを助ける優秀な野菜。
プリン体も豊富、
痛風には気をつけて、食べすぎはよくない。source

 

やっぱり、
普段から暑さに慣れておくことは
身体に優しい。
ランニング、ウォーキング効果はすばらしいと思う。
走ったあとにシャワーしてエアコンつけないでいると、
ぜんぜん汗ひかないけど。。

ひどく、
きびしい日が
3ヶ月くらい続きますが、
ご自愛下さい。

 

使い捨ての万年筆¥210にて、
暑中お見舞い申し上げます。

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2013 7/5 『板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄』

練馬区と板橋区、両区にまたがる広大な公園、都立城北公園。
高校生の頃にスポーツ大会で恒例の800m競争というのがあって、
この公園に遠征に行ったことがあった。
この800mという距離が身体に一番負荷がかかってこたえるらしく、
酸欠で撃沈者が続出するというあぶない大会だと、
「そんなのやめればいいじゃない」と先生に言ったけど、ムリすんなよって。
心肺が強ければ、足の速さが普通でも速い人に追いつけるとかなんだったか。

そのとおり、顔面蒼白、まったく動けない人が続出。
思い出しただけでも◯ロでそうです...

と、そんな公園はスポーツマンスポーツウーマン、老若男女、
みな元気に体を動かし、ピクニック的にもなっていたり、とてもいい公園。
かつて立教学院の総合グラウンドとして東京都から貸し出されていた時期があって、セコムしてますか長嶋茂雄さんもここに通って汗を流していたそうな。

園内の一角に栗原遺跡がある。
整備していた時に竪穴式住居跡が発見されたそうな。
地面を50cmほど掘って、それを壁にして、丸太を建ててその上に梁としてまた丸太を渡して組んで茅をふいて屋根に。掘っているから水の侵入とか大変だったのだろうなと思うけど。
見た目は茅のテントみたいだけど、そういう構造になっています。

この公園は台地になっていて、台地をはさむように、
今は暗渠になって消滅した川、田柄川が流れ、一方には石神井川が流れ、
生活にかかせない水が豊富だったことがわかる。
土地の地形や川を知ると大昔の大昔の歴史がみえてきます。

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photo2013 7/4
『赤羽線』

S50年代中頃、池袋のホーム端っこに、ローカル線のように佇む黄色の赤羽線。
いつも止まっていて、扉が閉まるとどこか遠くに行っちゃう感じがしていた。
もちろんクーラーなんぞはついていない車輛、屋根には桶のような丸いのが規則正しくならんでいて、それがクーラーなしの扇風機車輛のアイコンだった。
当時、山手線は前後3両ずつはクーラー車で中間の4両は扇風機車輛という編成が多かったと記憶している。
東武東上線には秩父からセメントをごっそり積んでやってくるちっこい茶色の機関車が日に何回か通り、通学に使っていた都営三田線は当然扇風機のみで激暑地下鉄だった。
豊島園へと運んでくれる西武鉄道は年に数回の夢の列車として、ハレの日には先頭を陣取ってゆっくりながれゆく前方の景色を楽しんだものだ。
と、気づくと浮間舟渡〜赤羽近辺は高架工事がはじまっていて、赤羽線が埼玉までずーっと延びるんだよと教えてもらった、それが今の埼京線だ。
池袋〜板橋〜十条〜赤羽という4つしかなくて短距離だったが、その赤羽駅も立体高架になって、線路も延びてニュースにもなった。と同時に東北上越新幹線が大宮まで暫定で開通し、上野と大宮の間には新幹線リレー号だっただろうか、そんな電車がゴーっと大きな音をたてて突っ走っていた。
そんな埼京線、揺れてうるさく加齢臭かのようにちょっとくさい車輛が新しく快適な車輛に置き換わっていく。
あっちをみてもこっちをみてもどの車輛も帯の色ちがいで同じ表情ばっかりになってしまって、もれなく埼京線も新宿湘南ラインや東北・東海道線とおんなじ?ようになってゆく。
快適になってゆくのはいいが、金太郎飴的デザインには寂しさを感じる。

photo2013 7/2
『正しいペン字の書き方 #9』

しつこいですね、おペン字。

空白に言葉を書いてみて、思ったよりも書けたので、
次は白紙に文章を書いてみようと、ステップアップ。

一番上、これが今まで普通に書いていた文字。
年賀状に一筆添える時は間違えないようにと緊張して、
なるべくきれいに書こうとしても、この字にヒゲがついた汚い明朝体というレベルです。
手帳や方眼紙に書いた打合せのメモ書きなんかは他者には読なんとなく読めるかなというレベル。

美輪明宏名言botから引用...
どーだろう、書けるかな...と、
数行書いてみて、
あれっ、書けている、しかも斜めってない...と。
とってもおどろいて。
シコシコシコと続けて書いてみて、
A4一枚終了、
あ”、おっ...ウソっ...
行間、なるべく真っすぐだし、わるくないんじゃない?、と。
まったく自信がなかったゆえに、汚すぎゆえに自身がおどろいて。

白紙に文字を書くということが一気にたのしくなってきました。

原稿用紙のきちっとしたグリッドにシコシコ書いて練習してたのが、
良かったのか。

ま、きれいな言葉は書いてて気持ちがいいものです。
怖い文字や恐れるような文字はやはり書いててイヤなもんです。
だいぶ前に、自分のムスコに悪魔という名をつけようとした、
クルクルパーな父がおって世間を驚かせたことがありましたが、
名が発するわるい感じ、雰囲気に染められて人格が悪に形成されるだろうと、
世間の皆、分別のある人は思いましたよね。

字が元々もっていて発するパワー、それを丁寧に扱うかえるかどうかで、
心も様々な姿勢もかわるものですね、と、
書道の時間が苦手でしょーもなかったけど、
大人になってそう今学んでいます。

苦手でどうにもこうにもきらいだった読書と字、
読書は6年かけて、ペン字は五ヶ月かけて、
今ではどちらも大好きになりました。

大げさなペン字訓練はつづく。

photo2013 7/1
『パン一(パンイチ:パンツ一枚)で食べるとさらにおいしい焼きそば みっちゃん総本店』

夏場の父はランニングシャツが似合うのは、
昭和も平成も同じ、だと思う。
というか、ランニングシャツを着ていればまだいい方だとも言える。
暑がりさんだけど、エアコンが好きではない父らは、
いわゆるパン一(パンイチ:パンツ一枚)でzzzしているご家庭も多いかと。

夏至もすぎて梅雨も終盤?
あとは酷い熱さの夏が攻めてくる。
なるべくきれいな汗をかいて、その時に備えて。
昭和50年代よりも確実に暑くなってきている、確かに。

普段、公道をランニングしている人にとってはパークランも魅力のひとつ。
その中でも、なんとなく許されているような環境だったら、
いわゆるパン一(パンイチ:パンツ一枚)でジリジリと日射しにさされて、汗だくになって走ってみたいもの。
と、思いつつ、発見したグラウンド...
ベテランのランナーのおじさん方があちこちパン一で休憩・お昼寝を、
コースにはパン一で走っている方も、
倣ってパン一で走ってみた、ってもタイツをはいていたので、
ランニングシャツだけ着ていないだけなんだけども、
これは気持ちいい。
というかゆるいだけでダメなのだろか?
緑もあるし照り返しも少ないので意外と暑く感じないし
と 、たまに来てみようと思いつつ。

この日は14kmくらいでおわり。

...自分が子供の頃はパン一おじさん、町にごっそり居たけどね。
今はまず見ないのは時代の流れか。
というか、父らはほぼステテコだったような時代ですしね。

パン一はおいといて、
スナップエンドウ一山どっさりで¥100というびっくり入手。
小さくみえるけど、写真はラーメンどんぶり。
ガリガリバリバリという音が響くリビング、いいものです。

運動をさけたいなら食べる順番で...
まず野菜から食べる、そしてご飯はちょっとにして、まちょっとガマンすれば、
徐々に体重は減っていきます。

そして、
みっちゃん総本店の焼そばを、
野菜も多めにいれて。
これは美味しかった。

一番下の新天地のみっちゃんのお好み焼き。
量が多かったけど、おいしかったな。

みんな好きでしょ、焼きそば。
ハレの日、お祭り縁日でも地べたに座って食べて、
花火大会で観ながら食べたり、海で食べたり、遊園地動物園で
ケの日、父が休みの日につくったり、お弁当にもなったり。

みんなが好きな大衆料理の幹部。
夏。