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2017 6/29 『本』

この半年くらいで読んだ本の一部。
読んだ本を写真に撮って備忘録的なものとしている。
家には読んでいない本が30冊以上あるが....

暗渠マニアック!
文字どおりの内容で、消えちゃった身近にあった川のことなどが、深く掘り下げられている。都内、今ではほとんど無くなった湧き水を調査している章がおもしろかった。
入門編というよりも応用編というような感じだろうか。via

悪意とこだわりの演出術
水曜日のダウンタウンのプロデューサーの方の本。
人気番組を数々作ってきた方....人物像もよく分っておもしろかった。
“演出”は日常生活でも役にたつ。

山口組 顧問弁護士
長年名だたる組員の顧問弁護をしてきたそうで、あの事件の背景にはこういうことがあったのかとかが分った。顧問料はたしか20万/月だったかな....失念。組員への愛情が強くなっていったように感じた。少し前に、元弁護士となったという。おもしろかった。

BORN TO RUN
前々から読もう読もうと思っていて、ようやく手にしたが、まぁ〜翻訳が読みにくくて、人類の進化や研究のところ以外はほぼすっ飛ばした。洋書って独特の言い回しや文体があるから、先になかなか進まなかった。
猿にはアキレス腱がなく、ホモサピエンスにはアキレス腱があって進化して生き残ってきたと。良いランニングシューズは脚にとってはいいことなしだったり、人は裸足で走るようにできているというが...
走る人にはおもしろい内容。

私の恋人
又吉さんかだれかがおもしろいと言っていたので手にとってみた。
好き嫌いが分れるような内容....壮大なスケール、時間軸で振り回されておもしろかった。
『遥か10万年前、クロマニョン人だった私は、並外れた想像力でその後の世界情勢や人類の営みを予見し、洞窟の壁に書きつけながら、いつしか未来に息づくひとりの女性を思い描いていた。その後、第二次世界大戦前のベルリンに生まれ変わった私は、ユダヤ人であるがゆえに時代の波にのまれ、ナチスの強制収容所の独房で、太古からの記憶を反芻し、今でもここでもない場所から私の身を案じている、たまらなく可愛い私の恋人のことを想い続ける。そして、現代日本にふたたび生を受けた私、井上由祐の前にひとりの女性が現れた―。はるかなる人類史と、その先に待つ未来と驚きあうかつてなく壮大でどこまでも親密なラブストーリー。第28回三島賞受賞作。』

昭和からの伝言
著者は昭和一けた世代。当時を知る人もこれからどんどん少なくなるから、当時はどんな出来事や景色が広がっていたのか知りたくて手にとった。
小説家の古老のお話、おもしろかった。
『昭和の高度成長期にだけ焦点を当て、日本の素晴らしさを強調する論調が増えている。昭和1ケタ生まれの著者は、それが戦前戦中に自分が教え込まれたものと似通っていることを危惧し、自分が体験してきた昭和の姿を書き残しておくことを決意した。本書は、次世代に向けて、自らの人生と昭和史を重ね合わせながらつづった実感的昭和史だ。  昭和5年に東京で生まれた著者は、高田馬場でモダンガールだった母親に自由主義教育を受けて育った。7歳で中国と、11歳で米国との戦争へと進んでいくなか、学校も軍事色に染まっていく。その後、終戦を境に手のひらを返したように世の中が変わる。空腹のなかの東大受験、学園紛争、金融業界に就職して組織の功罪に直面し、脱サラの道を探り作家へと転身した著者の人生は、昭和の歴史そのものを映しだす。  最終章「日本の自壊を食い止めるために」では、これからの日本人に向けての具体策を提言。若者に向けてエールを送っている。』via

これでいいのか板橋区
%とかの数字とかは知らなく、7割くらい知っている内容だったけど、おもしろかった。

しかし、まったく読書感想文にはなっていないが、手にとった本は興味があるということだから、そらほぼおもしろい。。

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2017 6/28 『adizero Boston boost 2』

少し前に買ってみたランニングシューズ。

boostという素材は....引用
“クッション性と反発性を両立した革新的ミッドソールテクノロジー。バネのような新感覚クッションで、少ない力でどんどん前へ進みます”

感覚的にはスーパーボールのように跳ねる、そんな弾力だろうか。
初めて履いて走ってみた時にビックリした.....こんなに弾むんだと。
トントンと前に進む感覚で、気づくとスピードが出ている、そんな感じ。
普段は1kmあたり6分前後でゆっくり走っていて、それくらいが心肺にもちょうどいいけど、比較的ラクに1kmあたり5分前後で走れていた。
足にもよくフィットするし、とてもいいシューズなんですね、boostって。
普段履きしている人が多いのも納得。

そういえば、日常生活にランニングをとりいれて8年が経った。
早い。

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2017 6/22 『田端 東覚寺 赤紙仁王』

偶然通りがかった人は一瞬びっくりするかもしれない。
何年も前だが、自分も「ん?なんだこの赤い紙の塊は??」と、目を奪われたことがあり、案内板を読んでお参りをした。
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参詣客が赤色の紙を貼るため “赤紙仁王” の名で呼ばれるようになった。
東覚寺の金剛力士立像は、吽形像の背中になる銘文から、寛永18年(1641)8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって造立されたことが分ります。
一説によれば、当時は江戸市中で疫病が流行しており、宗海は、これを鎮めるために造立したのだそうです。
参詣客が赤紙を貼る理由は、そのようにして祈願すれば病気が治ると信じられてたからで、具合の悪い部位と同じ箇所に赤紙を貼るのが慣わしです。
また、祈願成就の際には草蛙を奉納すべしとされています。
ただし、赤紙仁王に固有のこうした習俗が発達したのは明治時代のことで、その背後には、仁王像を健脚や健康をかなえる尊格とみなす庶民独自の信仰があったと考えられます。
なぜなら、かつて日本各地には病気平癒を祈願して行う類似の習俗があったからです。
そのために、赤紙仁王は、文化形成における庶民の主体性や独自性を強く表現した作品でもあるのです。
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このお寺さんと、隣にある八幡神社には何回かお参りに行っているが、赤紙仁王には人が絶えない。
たくさんの人の想いが赤い紙の積層となってこうして目に見えるように、人が絶えずお参りをしている地蔵菩薩など、目には見えないが、たくさんの人々の想いが、この赤い紙と同じように幾重にも重なっているのだろうと、この金剛力士像を見て、改めてそう思った。
良くなるように、思いが届くように。

【過去記事】
幕末を巡って
復活 上野清水観音 堂月の松
散歩JOG
身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
榎本武揚から緒方洪庵へ
高島流
大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
千葉周作の墓 木戸孝允の駒込別邸
板橋城跡 赤塚城跡
遺されたものが語ること#2 石神井城跡
仙がい義梵
赤穂浪士ゆかりの寺
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
時忘れじの塔
浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
板橋宿平尾脇本陣豊田家
新選組 沖田総司 逝去の地
雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
日本人のルーツ
縄文人の核DNA解析
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
中山道 齋藤商店
本郷肴町 棒兼
池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
現存する都内の一里塚
散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
千石緑地
延命地蔵堂の石造物群
観明寺 左甚五郎作の龍
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
王子稲成神社 御石様
JR貨物北王子線と廃線跡
醤油電車(東武東上線)
陸軍板橋火薬製造所跡
加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜
加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
旧中山道 縁切榎
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
蓮根馬頭観音縁起
四ツ又馬頭観音
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
電話番号の表札
小松屋横町道
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡
板橋区赤塚 鎌倉古道
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
西池袋 自由学園明日館
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック
江戸城 松の大廊下跡
中仙道か中山道か
醤油電車(東武東上線)
下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
同潤会 上野下アパート
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水
北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り

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2017 6/19 『日暮里富士見坂』

何年か前、通りかかった時に運良く富士山を見ることができて、たまに見に行っていた日暮里富士見坂。
地上から富士山の姿を綺麗に見ることができる坂として有名だったのだが、 数年前に集合住宅が建って富士山を見ることが出来なくなった。
名所故に、かつては人がたくさんいたのだが、今ではもうほとんどいない。
景勝地、道灌山から望む富士山....ビルディングが建替えの時にまた姿をみることができるか、どうか。
かつて住んでいた集合住宅は13階で、さらに高い場所に建っていたので、天気の良い日には自分の部屋から富士山が普通に見えていた。
朝や夕刻に富士山を見るのが日課で、元気をもらっていたような感覚だった。
引っ越すことが決まって、富士山が見える日に写真を撮り、今でも大切に保管している。
懐かしい“写るんです”カラーの写真、時代を感じる。

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来
神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
谷端川のお多福弁天
谷端川 田楽橋
谷端川 大塚にある瀧不動
板橋区大山西町の用水路
石神井川
かつての石神井川
石神井川 旧河道
石神井川 旧河道の露頭
昭和の石神井川
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川に佇む不動明王 安全の祈願
石神井川の付け替え
石神井川 東宮降誕植桜之碑
石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
下野谷遺跡
王子七滝
長池跡(谷田川源流)
谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
不忍池
池袋の川 水窪川
田柄川
ボクらのホームグラウンド、前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
玉川上水
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
水無橋 神南2丁目1番先
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
鎌倉街道 中道 並木橋
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
新選組 沖田総司 逝去の地
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
赤塚不動の滝と大根
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
のぞき坂
巣鴨遺跡
駒込富士神社と古墳群
猿楽古代住居跡(代官山)
東池袋遺跡
庚申塚 巣鴨遺跡
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
須藤公園
根ノ上遺跡
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)
田柄川の水源と茂呂遺跡
豊島区の湧き水と池
稲荷台遺跡
赤羽自然観察公園の湧水
公開された茂呂遺跡
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 游鯉園の坂
逆川(古石神井川の流路)
今宮神社駐車場の湧水
赤羽台第3号古墳石室
巣鴨遺跡 町屋跡
巣鴨遺跡 柳沢家
出井の泉跡(出井川)
板橋区 清水坂
北区 道音坂
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々
北区赤羽西 真正寺坂
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区滝野川 狐塚の坂
庚申塔 恵比寿西二丁目11番7号
弥生式土器の発見地
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
日暮里富士見坂
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区・北区 御代の台

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2017 6/15 『逆川(古石神井川の流路)』

現在の石神井川は武蔵野台地を削って(河川争奪)、隅田川へと流れているが、古石神井川は不忍池に注いでいた。
1枚目の画像、デジタル標高地形図画像データを見てもらえると分るかと思う。
左上の青い線が石神井川で、台地を切って低地へと流れていることが分る。
そして、かつての流路は薄い緑色から濃い緑色なって、その先には不忍池がある。
流れを変えた石神井川だが、旧流路に残った川が一部注いでいたのだという。
それが逆川といって、赤い線部分で、高低差の関係から本来は低い不忍池方向へと流れていなければならないのだが、この川は逆方向へと流れていたことから逆川と呼ばれている。
なんらかの現象で高低差が微妙に変わったからなのだろうか。

地図2枚目、赤い線が逆川の流路跡で、その下の写真をみてもらうとクネクネしていることが分る。

地図3枚目、明治通りを越えるとさらにクネクネと蛇行していることが分る。場所によっては急激に180度も流れを変えているが、ほんの僅かな高低差だったためなのだろう。

川跡は見事な蛇道として存在しているが、いつだったか....高校生の頃だったか大学生の頃だったか、なんでこんなに蛇行している道があるんだろうかと、車両で通った時に、カーブを攻めて楽しかったのを憶えている。
長い時を経て、この道が暗渠となり消滅した逆川だと知った時に、なるほどと思ったもので。
久しぶりに通ったけども、やはりおもしろい道、暗渠だった。

*国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来
神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
谷端川のお多福弁天
谷端川 田楽橋
谷端川 大塚にある瀧不動
板橋区大山西町の用水路
石神井川
かつての石神井川
石神井川 旧河道
石神井川 旧河道の露頭
昭和の石神井川
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川に佇む不動明王 安全の祈願
石神井川の付け替え
石神井川 東宮降誕植桜之碑
石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
逆川(古石神井川の流路)
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水
中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
下野谷遺跡
王子七滝
長池跡(谷田川源流)
谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
不忍池
池袋の川 水窪川
田柄川
ボクらのホームグラウンド、前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
玉川上水
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
水無橋 神南2丁目1番先
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
鎌倉街道 中道 並木橋
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
新選組 沖田総司 逝去の地
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
秋葉原 神田柳森神社 力石
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
神楽坂ラン 赤城坂
赤塚不動の滝と大根
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
新宿歴史博物館
のぞき坂
宝竜寺坂と念仏坂
本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
駒込富士神社と古墳群
猿楽古代住居跡(代官山)
東池袋遺跡
法明寺 威光稲荷堂
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
須藤公園
横網公園
本郷給水所公苑
東京都水道歴史館
椿山荘 古香井
根ノ上遺跡
田柄川の水源と茂呂遺跡
豊島区の湧き水と池
稲荷台遺跡
赤羽自然観察公園の湧水
公開された茂呂遺跡
栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 游鯉園の坂
今宮神社駐車場の湧水
赤羽台第3号古墳石室
巣鴨遺跡 町屋跡
庚申塚 巣鴨遺跡
巣鴨遺跡 柳沢家
出井の泉跡(出井川)
板橋区 清水坂
北区 道音坂
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々
北区赤羽西 真正寺坂
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区滝野川 狐塚の坂
庚申塔 恵比寿西二丁目11番7号
弥生式土器の発見地
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
消える富士見坂と豆まき
消えた日暮里富士見坂
いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地)
健さん 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区・北区 御代の台
古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)

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2017 6/13 『地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)』

地図の赤丸、代官山の交番の隣に地蔵・道しるべがある。

-----------------------案内板から
地蔵尊が現世と来世の間に出現して死者の霊を救済するという信仰は、民衆の間に広く信じられてきました。
また、小児の霊の冥福を祈る意味でも地蔵尊が造立されました。
道の辻などに建てられた場合には、道路の安全を祈ることのほかに、道しるべになることもあります。
この地蔵尊は、文政元(一八一八)年の造立で、台座正面には、「右大山道、南無阿弥陀仏、左祐天寺道」と刻んであります。
地蔵堂の背後の坂道は、見切坂または暗やみ坂といい、この坂を下って目黒川を渡ったあと、南へ進むと祐天寺方面に達し、北へ進むと大山道(国道二四六号線)に達します。また、堂前を東へ進むと並木橋に達します。
江戸時代には、人家もまばらな、さびしい道で、旅人はこの道しるべを見て安心したことでしょう。
-----------------------

地蔵道しるべの隣にはかつて富士塚があったそうだが現存せず、そしてかつては三田用水も流れていた場所だ。
渋谷川と目黒川に挟まれた尾根であるために、当時はとても見晴らしが良かった場所に佇む地蔵道しるべだけに、案内板にも書いてあるように、旅人はこの道しるべを見て安心したんだろうなと思う。
地図の緑色の線が鎌倉街道で、ヒルサイドテラス内の古墳である猿楽神社と向かい合ったもうひとつの古墳との間を鎌倉街道は通っていたそうで、この目切坂で合流する。真っすぐ行けば、大山道(246号 池尻大橋付近)、目黒川を渡れば、そのまま鎌倉街道となる。
今でも近くの住人の方に大切に祀られている。
ショップ巡りも楽しいが、町に点在する史跡を巡るのもいいものです。

【過去記事】
幕末を巡って
復活 上野清水観音 堂月の松
散歩JOG
身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
榎本武揚から緒方洪庵へ
高島流
大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
千葉周作の墓 木戸孝允の駒込別邸
板橋城跡 赤塚城跡
遺されたものが語ること#2 石神井城跡
仙がい義梵
赤穂浪士ゆかりの寺
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
時忘れじの塔
浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
板橋宿平尾脇本陣豊田家
新選組 沖田総司 逝去の地
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雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
日本人のルーツ
縄文人の核DNA解析
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
中山道 齋藤商店
本郷肴町 棒兼
池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
現存する都内の一里塚
散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
千石緑地
延命地蔵堂の石造物群
観明寺 左甚五郎作の龍
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
王子稲成神社 御石様
JR貨物北王子線と廃線跡
醤油電車(東武東上線)
陸軍板橋火薬製造所跡
加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜
加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
旧中山道 縁切榎
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
蓮根馬頭観音縁起
四ツ又馬頭観音
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
電話番号の表札
小松屋横町道
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡
板橋区赤塚 鎌倉古道
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
西池袋 自由学園明日館
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック
江戸城 松の大廊下跡
中仙道か中山道か
醤油電車(東武東上線)
下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
同潤会 上野下アパート
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水
北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り

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2017 6/9 『宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵』

東武東上線のマイナーな北池袋駅からすぐ近く、地図の旧癌研通り沿いの赤い◯印のところに宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵がある。上池袋交番のすぐそば。
宝永というと、宝永地震と富士山の宝永大噴火を思いだしますね。
宝永の庚申塔は区の有形文化財に登録されているそうだ。
お茶あがれ地蔵は、結婚に反対されて病を患った女性がこの付近で倒れ、それ以降人々がこの地を通ると、この女性の霊が現れて、「お茶あがれ〜、お茶あがれ〜」と呼びかけるようになったそうで、鎮魂の意を込めて、昭和になってから村の人々によって、このお茶あがれ地蔵を建立したという。
お茶碗を持っているそうだが、隠れていて見えず。
何とももの悲しい物語と地蔵尊だが、女性は浄化したことだろう、たぶん。
そんなことから、心霊スポットなる名を付けられているようだが....かわいそうに。
便利なものに囲まれていない昔は、祈りが治すことだったり、いわゆる勘が鋭い人が多かっただろうから、こういう声が聞こえてしまったり、遭遇してしまったりしたのだろうと、そんな風に思うのだが。

ところで、このお茶あがれ地蔵と宝永の庚申塔があるところは、五叉路になっていて、いわゆる古道で、かつては交通の要衝だったところ。
板橋宿〜滝野川〜池袋村(池袋本町)〜新田堀之内村(上池袋)を結ぶ道で、地図の黄色い線。青い線は暗渠となり消滅した谷端川。
ここでもそうだが、やはり、こんなところに交番がという場所に接する道は古道だったりする。
今でも生活道路として機能していて、人の往来が多い道だ。
かつてはこの庚申塔に人々が集り、そして道標の役割を担っていたのだろう。
お茶あがれ地蔵が面する幅員がわりとある道は、今は移転したが、かつては癌研病院があったことから(たしか....今、スーパーとフィットネス、マンションが建っているあたり)ガン研通りと呼ばれていた。
この道もアップデートを続けていて、お茶あがれ地蔵があるあたりから、幅員が狭くなっているのだが(ここまでは開通しているということ)、今後は黒い二本の線のように道は拡幅されて、池袋本町の住宅街を突き抜け、金井窪あたりで山手通りに接続する予定になっている。

【過去記事】
幕末を巡って
復活 上野清水観音 堂月の松
散歩JOG
身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
榎本武揚から緒方洪庵へ
高島流
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幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
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板橋城跡 赤塚城跡
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浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
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板橋宿平尾脇本陣豊田家
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雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
日本人のルーツ
縄文人の核DNA解析
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
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経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
同潤会 上野下アパート
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北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り

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2017 6/7 『Tommy Guerrero×UT』

ユニクロからトミーゲレロのTが出た。
いろいろと話題になるものを出してきますね。

トミーゲレロってだれ?....
スケーターで今はミュージシャンでいろいろやっている人。
80年代、少年たちの心を鷲掴みにしたスケーターのうちのひとり。
スケートスタイルが軽くて格好良かった。

写真3枚目、ぼくら西台・高島平のスケートチームも、彼をマネして、壁にジャンプランプを置いて、高い高いウォールウォーク(当時はそう呼んでいた)を競いあって楽しんでいた。
写真4枚目、トミーゲレロモデルのデッキ。ぼくらのチームは8人くらいいたけど、皆それぞれかぶらないように、それぞれ違うスケーターのモデルをチョイスしていた。

そんなゲレロさんももう50歳。
今でもサンフランシスコの坂をスケートしている。
そして今のスケートスタイルを見ても、やはり渋い。

旧車(二輪、四輪)が中年男性に流行っていて、楽しんでいるのと同じような感覚で自分はスケートをしているんだけど.....50歳になっても、自分もスケートが出来ているようにしたいなぁと。
半年ほどスケートが出来ていなくて、先日スケートしてみたら、一年半コツコツと練習してきたけど、動きがもう振り出しに戻っちゃってたのには、やれやれと思った。まぁ当然なんだけど。
先輩スケーターに聞いたら、自分のようの人が増えているんだよと言っていた。(80年代、猛烈にスケートしてて、しばらくしておらず、中年になってまた復活したスケーター)
歳を重ねて、体力の低下に気づき、アレレ?と思うようになって、じゃぁよっしゃと、また真剣にやってみるかという感覚になって、実際にスケートをやりはじめたら、当たり前だけど、まぁ身体が動かなくて、当時できていたトリックもできず、悔しくて一年半黙々と練習したら、また当時の動きに近いところまでもってこれたのが楽しくて.....と言った具合。

【過去記事】
構成要素
オールドスクール
オールドスクール #2
生まれる
あぶないランプ
クルーザー
メイク
思いでの撤去
オールドスクール #3
あぶないランプその2
中年スケーター
JT
スケートボード道
スケート祓い
28年前のクルーザー
レールバー
やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
IXLオイルとガッツレーを流用
クルーズにもいいデッキ
中年スケーターのブルース
もう一度
#14
HILAQUE
VANS 50 YEARS Kickflip
MoMA
OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
AND SKATEBOARDING
Zorlac Todd Prince 高い??
梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
UNIqueでスケートボードのレクチャーを
スケートをする意味
我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
また出会って、共に生きましょう
自分のためにスケートを
オヤジスケーター
この1年半のスケートボードの練習まとめ
SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
家でスケートを MADE IN VENICE
やすらかに
スケートボードのホームグラウンド
GET RAD
マドンナエア
YouTube 作ってから1年半
久しぶりのお墓参り
第三回目

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2017 6/5 『星座百景』

昨日は神田にあるライブハウスへ、懇意にしている娘が所属しているアイドルのライブとパフォーマンスを観に行った。
その名も“初代IWGPブロンズ級選手権”というものだ。

この日の為にみっちり練習を積んでファンの皆様を迎え、勝者が決まった。
しかし、チャンピオンになれなかったメンバーも素晴らしいパフォーマンスだった。
皆で切磋琢磨して、一目をおかれるグループになって欲しい。

via星座百景

初代IWGPブロンズ級チャンピオン(yahooニュース)

次回は8/5、後楽園のラクーアでのステージとのこと。
チャンピオンベルトは志し高くあれ!ということで、謎の2人組に奪取されてしまったので、次の目標は200人動員だそうだ。
何はともあれ、いろいろと楽しいこの年齢、楽しくがんばってほしい。
自分が彼女らの年齢の頃は、とにかくア◯なことばかりして、スケートボードと勉学に勤しんでいたなぁ。