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2020 8/31 『十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡』

一番上の地図、後に環状7号線となる富士見通りと日光御成道から分かれた道(王子稲荷道)が出合う交通の要衝に、旧幕府時代に関所が置かれたという。
王子稲荷道は関所を越えて西へ向かうと、中山道(旧中山道)につながり、中山道を江戸方面(石神井川方面)へ向かうと、上宿の石神井川を渡る手前に、板橋大木戸が設けられていて、この(仮称)稲付の関所も同様に江戸御府内の北部の防衛として機能していたと思われる。(上から2枚目の地図)

この関所が置かれた追分は稲荷台と言われる場所で、稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)は台地を切通して水をひいた。(一番上の地図の赤丸部分)
十条板橋道には橋が架けられ、姥ヶ橋と呼ばれていた。
上流の板橋宿の住民と、この関所より下流の稲付・神谷・赤羽の農民との間で、血を見る寸前の水の利権争いが起ったことがある。
それほど、下流域の住民にとってこの農業用水が重要だったことがわかる。

北区の古い道とみちしるべより引用ーーーー

十条板橋道(富士見通り)

王子下(志茂)道から自性院のあたりで分かれて西に進み、馬坂を登って日光御成道に合する道であり、そこに造立された延命地蔵を「出合い地蔵」とも呼ぶのは、この二つの道がそこで出合っていたことを物語っているのである。
この地点は江戸時代の交通の要所だったらしく王子町誌によれば、旧幕時代に関所が置かれていたとあり、次のように記されている。
「旧幕時代若干の人員を置いて、此処に関所を構え、近郷の村役人を輪番に詰めさせて往来の旅人を改めたのであるが、明治初年に取払ひとなった。」とある。
明治二十年の頃には山林だったというが、それから百年たった今日では、交通渋滞の名所に変貌してしまっており、姥ヶ橋も名前だけが残っているに過ぎない。
この道筋の大部分は、現在環七通りの大路に中に埋もれてしまい、僅かに中十条と十条仲原とに旧道を残しているだけで、馬坂さえも上部が階段化してしまい昔の面影をなかば失ってしまった。
神谷の自性院門前にある道標に、「右十条通」とあるのがこの道で、そのあたりから分かれていたのであろう。
姥ヶ橋の延命地蔵の標石の根元に添えてある小さな角柱型文字庚申塔で、その側面に「これより右王子」「これより左川口」とあって、川口への交通路としても利用されていたことがわかる。

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その後、板橋や十条・赤羽には陸軍の施設が多く作られ、東京第二陸軍造兵廠板橋製造所では火薬を製造していた。
各軍用施設には軌道が敷かれ、通称トロッコ電車が走って各施設を結んでいた。
その遺構はまだ残っているので、【関連記事】を参考に。

東京第二陸軍造兵廠板橋製造所と東京陸軍兵器補給廠を結んでいた軌道は、前記の稲付川を渡る必要があり、一番上の地図の青丸部分の、赤羽根火薬庫道に橋が架けられた。
写真一番下がこの青丸部分ほぼこの付近で、詳細は不明だが、この赤羽根火薬庫道の可能性もある。(姥ヶ橋の可能性もあるだろうか)

写真1〜2枚目が、稲荷台でこの付近だけ地面が盛り上がっていることがわかるだろう。
写真3〜7枚目、現在も残る稲付川の暗渠部分で、奥に姥ヶ橋が見えていて、撮影した場所が赤羽根火薬庫道の橋の上となり、稲付川の両岸から覗くと橋脚の遺構の一部を見ることができる。
写っている2つの橋脚はそれぞれ太さが違うが、脚がそれほど太くないので、橋が架けられた頃はそれほど深くはない切通しだったのだろうか。

※国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 『1945年〜1948年 USA-M470-10』『1948年〜1956年 USA-M470-10』にも、この赤羽根火薬庫道の橋が写っている。Link

【関連記事】
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
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■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋)のトンネルの湧水

■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>

■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”

■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水

■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標

■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)

■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ

■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2020 8/27 『王子十五滝 料亭扇屋 末広の滝』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
いわゆる『王子七滝』は『東京名所図会』の内容をアピールするための手段だと、『王子七滝考』では書かれている。

7つ以外の滝にも触れており、また古地図などからも引用して地図に記載してみたら、15の滝があったことが分った。

1:権現の滝
2:王子大堰(王子大滝)
3:不動の滝
4:弁天の滝(辨天の滝)
5:稲荷の滝
6:名主の滝
7:見晴の滝
8:飴屋の滝
9:山本家の滝
10:大工の滝
11:醸造試験所の滝
12:湯滝
13:水滝(木滝)
14:桶勘の滝
15:末広の滝(扇屋の滝)

12『湯滝』と13『水滝(木滝)』は絵図に描かれているために正確な場所は不明(石神井川の流れに合わせるとこの付近)。
11『醸造試験所の滝』と14『桶勘の滝』は推定の位置で、11の醸造試験所の滝はかつての石神井川の名残である逆川沿いとも考えられるが、石神井川(音無川)沿いに落ちていた方が自然だと思う。

『見晴の滝』と『山本家の滝』は水量があったようだ。

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扇屋(地図の黒四角部分)の庭に造られた人工の“末広の滝”(上記の15)は、石神井川をはさんで北側にあったと、王子七滝考に書かれている。
明治中期頃に撮影された扇屋の庭園の写真は、石神井川をはさんで南側にあり、扇屋の建物がある北側に造られたということになる。
滝の源水は石神井川からひいた上郷用水か千川上水(王子分水)だったと記述されていることから、石神井川をはさんで南側に向いた客室は、庭園と石神井川を楽しむことができるが、北側の崖の方に配置されていた客室に通された客には、庭園を楽しむことができないので、あえて北側の崖の方に滝を造ったと考えられる。また、扇屋へのアプローチ沿いに末広の滝を造って、来客を楽しませたとも考えられる。(配置図や平面図があればわかるが...)

現在の扇屋の写真から、石神井川をはさんで北側から東側に変わる崖線が青四角部分なので、この付近に末広の滝が造られていたのではないだろうか。
しかし、“料亭扇屋の入口”と“料亭扇屋とその右奥に料亭海老屋”の写真をみると、この写真を撮った当時には “末広の滝“はもうなかったことも考えられるが、入口やアプローチ部分に“末広の滝“があったのだろうか。
対岸の庭園に“末広の滝“が造られた方が景色としては自然だと思うがどうだろうか。
それとも、入口の門をくぐった左側に小さな庭のようなスペースがありそうなので、そこに “末広の滝“を造り、来店時にお客様を楽しませたことも考えられる。 そう考えると、これが一番自然かもしれない。

< ※2020年9月17日加筆。 王子七滝より引用 『扇屋の庭に造られた末広の滝やこの桶勘の滝の水は、石神井川から分流した上郷用水か、その上を木樋で流して印刷局の用水として利用した千川上水のどちらかを利用し、高低差がない庭なので、恐らく庭の池から石神井川に落として「滝」と称していたものであったと推測される。作られた年代は、これも推定であるが明治に入ってからであろうと考えられる。』>

この古い写真を見る度にいつも思うのだが、当時の石神井川(音無川)はこの扇屋の先で90度曲がって流れているので、石神井川の護岸の際に建っている扇屋は、大雨で増水して度々床上床下浸水して大変だったのだろうと。

【関連記事】
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