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2021 4/12 『石神井川 割烹音無川<音無川温泉> 音無さくら緑地』

石神井川の下流域は音無川とも言われている。
地図の黒丸部分の湾曲した場所は、かつての石神井川の流れの跡で、石神井川を直線化工事をした後に緑道として整備された。
現在の石神井川の流れと、昔の流れに挟まれたようになった黒丸部分に、かつて割烹音無川<音無川温泉>があったという。
吊り橋を渡ったところで、風情があったと想像が出来る。自治体の遊び?により吊り橋にしたという。
割烹料理と温泉があることから、自治体も観光地としても押していたのだろうか。

第14章 北区の思い出 より引用ーーーーーーー
音無川温泉
(音無川周辺の地図を見ながら)あそこに崖があるじゃないですか。
ドイツの学者かなにかが発見して、何つったかな。俺もくわしいことがわからない。昔のなんだか沖積層かなんか。昔、川が曲がってたわけだから。その上の崖が表面に出ていて地層がわかると。
音無川は流路を変えてまっすぐにしてますが、緑地帯って、元々は川ですよね。今、公園として管理しているのは区ですよ。区の緑地ですね。
昔あった音無川温泉です。湯沸かし湯。あの辺りに音無川温泉ていう看板が出ていたのが写真に残ってますけど、音無川温泉のあった場所はあそことは違う。あれよりずっと離れてる。千川をあそこが渡っていたわけね。それでこっち側に来てるわけだから。それで王子権現の下のところを通って。
(音無川温泉を経営していた)遠山さんは何で止めちゃったんだろうね。採算取れなかったのかな。今の遠山さんのお父さんの時はね、あそこで白墨工場かなんかやってたんです。区長選が始まった頃、一時、区長選にね、遠山さんのお父さんが立候補するなんて言われたことがありますよ。なかなか弁の立つ人でした。
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※本のタイトルは失念。
※千川上水はこの緑地のさらに下流にある音無橋の手前、石神井川上に樋を架けて王子権現下に流していた。
※遠山氏が経営していた音無川温泉は、洪水の被害により廃業し、昭和四八年に「石神井川の自然を守る会」の会長に就任した。

狩野川台風による石神井川の氾濫で大変な被害が出たのが昭和33年。
写真一番下、この場所に吊り橋が初めて架けられたのは昭和29年とのことで、同時に新聞広告もうったのだろう。その後吊り橋は台風により崩壊したという。
なので、初代吊り橋は4年程の寿命だったことがわかる。
割烹音無川<音無川温泉>は90年代初期に廃業したようだ。

【関連記事】
■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
■石神井川 音無さくら緑地 石神井川沿いにあった紅葉園(滝野川園と楓楽園)

攻撃斜面(露頭)からいつも水が滴り落ちていて、昔の姿のままなのだということがよく分かり、とても良い雰囲気なんですよね。
温泉に入ってみたかったなと思う。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2021 4/8 『王子七滝 名主の滝公園 <今様文覚上人の群れ?ー名主の瀧でグロな刺ヨ競べ>』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
いわゆる『王子七滝』は『東京名所図会』の内容をアピールするための手段だと、『王子七滝考』では書かれている。

7つ以外の滝にも触れており、また古地図などからも引用して地図に記載してみたら、15の滝があったことがわかった。

1:権現の滝
2:王子大堰(王子大滝)
3:不動の滝
4:弁天の滝(辨天の滝)
5:稲荷の滝
6:名主の滝
7:見晴の滝
8:飴屋の滝
9:山本家の滝
10:大工の滝
11:醸造試験所の滝
12:湯滝
13:水滝(木滝)
14:桶勘の滝
15:末広の滝(扇屋の滝)
加えて、飛鳥山の小滝

12『湯滝』と13『水滝(木滝)』は絵図に描かれているために正確な場所は不明(石神井川の流れに合わせるとこの付近)。
11『醸造試験所の滝』と14『桶勘の滝』は推定の位置で、11の醸造試験所の滝はかつての石神井川の名残である逆川沿いとも考えられるが、石神井川(音無川)沿いに落ちていた方が自然だと思う。

『見晴の滝』と『山本家の滝』は水量があったようだ。

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名主の滝とは(地図の6番):
江戸時代に王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培して避暑のために一般に開放したのが始まりで、名前の「名主」はそこに由来する。
明治中期には貿易商垣内徳三郎の所有となり、栃木の塩原の風景を模して庭石を入れ、ヤマモミジなどを植栽、渓流をつくり一般に供した。

1938年(昭和13年)には株式会社精養軒が買収して食堂やプール(名主水泳場)などを営業していたが、戦災で焼失。その後は荒れ果てていたが、東京都が土地の買収と橋や東屋などの修理を進め、1960年(昭和35年)に都の有料公園として開園した。1975年(昭和50年)には北区に移管された。

園内は回遊式の庭園となっており、男滝(おだき)、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)、湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝が復元されている。
これらの滝は地下水をポンプで汲み上げて水を流しており、滝から流れた水は小川となって園内を巡り大小の池に注いでいる。
一時、園内に人工飼育し放流されたヘイケボタルが自生していることが確認されていた。夏にはホタルの観察会も催されていたが2011年(平成23年)以降中止となっている。

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<名主の瀧でグロな刺ヨ競べ>
※引用させていただいたのはこちら(見られない場合は「名主の滝 刺青」でググってください)とこちらから。←まず飛んで見ていただくと写真があるので、その当時の様子などが分かります。

1961年8月13日、北区岸町の名主の滝(地図の6番)で、天保(1831年〜1845年)から続いているという刺青の画柄を競う集まり『江戸彫勇会 納涼会』が行なわれたという。

<今様文覚上人の群れ?ー名主の瀧でグロな刺青競べー>

◇これは瀧にうたれる今様文覚上人の群れの群れ-ぢやない、けふ廿日王子『名主の瀧』で催されたグロ味たつぷりな昭和刺青競べの光景なのである。

◇主催は刺青に江戸ッ子兒の氣を負(お)ふ彫友會、會長格の浅草區阿部川町の「鈴木の福」さんを先頭に集つた「お父ッつあん」や哥兄連ざつと五十名、不動明王だの、瀧夜叉だの、鬼若だの、文覚上人だの、イサマしくもまたモノすごい連中に伍して下谷二長町笹岡万次郎さんのおかみさんお妙さんらの姐御も自慢の肌を披露して瀧にうたれながらその艶を競つたのだから

◇忽ちあたりの涼み客の人氣を奪つてしまつたが、かくと聞いてびつくりした警視庁保安部では無粋にも「公衆の面前で裸になるとは怪しからん」ときついお叱り主催者を招致する騒ぎに折角の趣向もおぢやん、仕方なしに家族納涼會と看板を塗り代へて一同自慢の肌をさずりさずり髀肉の嘆を洩らしてゐた
【寫眞は瀧の下で刺青の艶を競ふ天狗連】

上記の記事はリンク先から引用したもので(旧漢字で読みにくいが)、警視庁から注意を受けて渋々看板を塗り替えたというから、この当時からも刺青に対しては厳しかったのだろう。しかし、現在でも宿坊に泊まり、お参りをして滝行をしている人々もいるという特集をリンクさせておく。こちらVICE YOTUBE

昔の写真を見ると皆体はそれほど大きくなく痩せているのは、食生活環境などの影響だろう。

下から二枚目の写真集<原色日本刺青大鑑>は池袋でみかけたもので、刺青分野では有名な本だという。お値段もなかなか。
※一番下、<大山 御瀧の水ごりの図

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※男滝の映像は下記。
(720×1280 12.5MB mp4 こちら
(720×1280 12.5MB mp4 こちら

上から3枚目、傾斜した地面からのわきだす湧水。
写真がぶれぶれで見にくいので、湧水の映像を。
(1280×720 30.4MB mp4 こちら

【関連記事】
■王子七滝 名主の滝
■王子七滝 名主の滝公園の湧水 (2020年8月8日)
■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>

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2021 4/6 『2021年3月末 音無こぶし緑地の豊富な湧水』

地図の青丸部分、旧河道沿いの崖下から水が湧いている。
地図の首都高速の新板橋と滝野川と書かれている真ん中あたりが、御代の台という急な崖を持っている場所で、石神井川を挟んだ対岸にあたるのが、この音無こぶし緑地で、こちらも急な崖になっている。
埼京線(赤羽線)は板橋駅を出ると、切通したこの御代の台通り、石神井川を渡る。

この湧水は枯れることも無く、ひっそりと見えにくい場所から常時湧き出ている。少し北側にある北区中央公園や十条自衛隊駐屯地の土地に染み込んだ雨水などがこの音無こぶし緑地の崖に流れついているのだろうか。

※ 映像はこちら(mp4、38.5MB、720×1280)

【関連記事】
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■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
■石神井川 音無こぶし緑地の豊富な湧水 カラッカラ乾燥の都内
■石神井川 2021年3月末 音無こぶし緑地の豊富な湧水
■石神井川 2024年2月末 枯渇した音無こぶし緑地の湧水

■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)

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