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2022 1/28 『文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種のスラム街』

地図の黒丸部分、小日向台地へ上り下りできる急な階段の鼠坂がある。

案内板から引用ーーーーーーーーーーーー
鼠坂 音羽一丁目10と13の間

音羽の谷から小日向台地へ上る急坂である。
鼠坂の名の由来について『御府内備考』には「鼠坂は音羽五丁目より新屋敷へのぼるの坂なり、至てほそき坂なれば鼠穴などいふ地名の類にてかくいふなるべし」とある。
森鴎外は「小日向から音羽へ降りる鼠坂と云ふ坂がある。鼠でなくては上がり降りが出来ないと云ふ意味で附けた名ださうだ・・・人力車に乗って降りられないのは勿論、空車にして挽かせて降りることも出来ない。車を降りて徒歩で降りることさへ、雨上がりなんぞにはむづかしい・・・」と小説『鼠坂』でこの坂を描写している。
また、“水見坂”とも呼ばれていたという。この坂上からは、音羽谷を高速道路に沿って流れていた、弦巻川の水流が眺められたからである。
ー郷土愛をはぐくむ文化財ー 
文京区教育委員会 平成17年3月
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今から50年ほど前の本から。
『生きている江戸の歴史 東京の坂道 石川悌二』より引用ーーー
鼠坂

小日向二丁目と三丁目の境を西へ音羽一丁目の旧都電通りに下るコンクリートの急な石段坂。
「新撰東京名所図会」には「鼠坂は小日向台町三丁目の北、音羽五丁目十七番の下に下る急坂路をいふ。
此辺を鼠ヶ谷(ねずみがやつ)と称したるを以て此名あり」と記し、また鼠ヶ谷については「府内備考」の町書上が「町内里俗鼠ヶ谷と相唱え候地は、西北の方にて当時御武家屋敷辺を一円唱来り申候。
尤も御武家屋敷に相成らざる以前、小日向村の内にて鼠谷村とも相唄え、畑地の由に里俗申し伝え候」としており、その鼠谷へ降りる坂なので鼠坂とよんだものである。
音羽通りは江戸の前期にはかなりにぎわっていた町通りだったようで、鼠坂下には私娼窟などができて「花知留作登(はなちるさと)」(高柴英著)に「音羽鼠坂 局見世ばかりにして竈二軒、玉口十(金魚増ガチャ金)寛政のころ取払に相成り候也。ガチャ金、母と口論いたし、つひに打殺せし故、ガチャ金召捕に相成り、御仕置に相成り候ところ牢死致し、此一件に付斯取払になるとかや。」とかかれている。昔は一種のスラム街だったようである。

鼠坂の上の小家の蚊やりかな  喜舟
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上記にもあるが、音羽には江戸時代に岡場所(私娼窟)があり、江戸有数の盛り場だった。
江戸切絵図のピンク丸部分あたりが岡場所だったという。

写真下から2枚目、鼠坂という名から、鼠をモチーフにしたグラフィティ(ペイント、落書きとも言われる)があちこちに塗られている。グラフィティアートは好きだが、落書きは好きではない。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2022 1/26 『湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>』

地図の青四角部分、板橋区にある赤塚溜池公園溜池のすぐ隣りに湧き水を使ったビオトープ 赤塚トンボ池がある。昆虫の自然観察ができるという。

案内板から引用ーーーーーーーーーーー
湧き水のビオトープ(biotope)
昔の赤塚ため池には、湧き水が流れ込み、ヨシやガマが茂り、生き物がいっぱいいました。
そんな自然を再生しようと1990年春に区民参加で作った小さな土の池がこの赤塚トンボ池です。
池の水は赤塚城址の台地から湧き出た水を引いています。
この池にトンボやカエルがやって来て卵を産み、小さな虫などを食べて育っていく。
そんな生き物たちの小さな宇宙が広がっていくことを願っています。この場所の生態系が壊れないようにそっと見守ってください。
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案内板の地図を見ると、湧水点は区立美術館の少し先で、一番上の地図の青丸部分あたりだろうか。
青丸部分あたりは、台地に上がれる階段があり(最近綺麗に整備されたという)、その周囲から湧き水が流れ出していて、崖の下には水路(排水溝)のようなものもある。
<板橋区の湧水地点一覧>より引用
1:名称 赤塚公園 所在地 5丁目28番 利用状況 水路、ビオトープ池
2:名称 民有地 所在地 5丁目 利用状況 水路、ビオトープ池
3:名称 赤塚公園斜面 所在地 5丁目29番 利用状況 水路、ビオトープ池
上記のとおり、この湧水の一部も引いていると思われる。

階段の整備で湧水の水脈が絶たれないように対策をしているようだ。
貴重な湧水ゆえに大切にしたいところですね。

※20221月15日の赤塚 不動の滝の映像はこちら。(mp4 720×1280 43.8MB)

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2022 1/25 『水窪川 鳩山会館隣りの水路の遺構 今宮神社前に残る石橋(橋桁) 小日向台の崖からの湧き水』

地図の黒丸部分、鳩山会館の表玄関の隣りに駐車場があり、そこに水窪川の水路の跡がある。
地面が整備される少し前までは、穴が開いていたというが、現在は水路の穴は塞がれて遺構の一部だけ確認できる。

ここから少し下流へ進むと、地図の赤丸部分に今宮神社があり、境内の前に水窪川に架かっていた石橋(橋桁)が残されている。
今でも小日向台地の崖からは湧水があり、湧き水であちこち濡れている。

※小日向台の崖からの湧水の映像はこちら(mp4 720×1280 13.9MB)

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2022 1/21 『徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事』

古地図と航空写真の赤丸部分、三田線の新高島平駅の少し西にかつて弁天塚があった。一面の田んぼの中にぽっこりと塚があって目立ちますね。
しかし徳丸ヶ原一帯の開発、三田線の開通に伴い、弁天塚の真上に高架(線路)が通ることになり、弁天塚は消滅し、記念碑は近くの公園に移設されることになった。
弁天塚があった場所は高架とトラックが写ったこの付近だと思われる。

※弁天塚の写真は<いたばしの地名>から引用させていただきました。

案内板から引用ーーーーーーーーーーー
徳丸ヶ原

徳丸ヶ原は板橋区中西部、現在の高島平、新河岸、三園などかなり広い地域の荒川南岸低地一帯の総称です。
徳川幕府の鷹場でしたが、八代将軍吉宗の時代から鉄砲の試射場となり、寛政四年(一七九二)に幕府の正式な大筒稽古場となります。
徳丸ヶ原は、天保一二年(一八四一)、江戸時代後期の砲術家であった高島秋帆によって西洋砲術の実射訓練が行われたことで一躍有名になりました。
天保一一年(一八四〇)、アヘン戦争などの情報を得た秋帆は西洋砲術の採用などを幕府に建議、砲術の実力を確認するための洋式調練と実射がこの地で行われました。
この徳丸ヶ原での調練の成功で、高島流砲術の名声が高まりました。
この碑は秋帆が訓練の際に指揮した弁天塚に建てられていたものを移したものです。
平成二四年三月 建設 東京都教育委員会
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現在の高島平一帯の低地に住む人々は、赤塚地域や中台・西台から降りてきた人(地主など)や縁もゆかりもない地域からやってきて発展してきた。
一時期、私たち家族も高島平に住み、小学5年生の半年間は西台駅から板橋区役所前駅まで三田線に乗り、徒歩で大山小学校に通っていた。
駅から学校まで往復約3kmを毎日通った。子供の足では大変だっただろうと先生によく言われた。
転校した高島平の小学校は問題児が何人かいて、学級崩壊を起こし、家庭科の女性教師はいつも泣いて体調を崩して休暇をとることも多々あった。
授業中に教室を飛び出し、廊下を大きく奇声をあげて走り回り制御不能だったり、授業で使う二層式洗濯機に水を入れて洗濯槽に全身を入れてクルクル回ってニコニコしていたり、先生の言うことを全くといっていい程聞かなかったり.....しまいには担任は授業をボイコットをして、私たち学生に、何故このようなことになっているのか、何が原因なのか、学校生活をどう変えていかなければならないのかをよく考える課題を出し、徐々に元通りの学校生活、日常に戻っていった。
このような問題児や意地の悪い子も多く(もちろん良い子も多かったが)、閉店間際のストアに忍び込み、窃盗をしていた子や、引きこもりの子もいた。また、いじめも横行していた。
えらいトコに引っ越してきたなぁ....やっかいだなとよく思ったものだった。。
中学生の頃は毎日スケートボード三昧で、全く楽しくなかった学生生活において唯一の救いだった。
尊敬出来る教師との出会い、良きスケートボード仲間との出会いで、何とかやり過ごしていたような中学生生活だった。
生活態度が悪い素行不良の子の巣窟だったような中学校は、今では優良学校となっていると、地元の友に聞いて大変驚いた。
当時の先生は本当に大変だっただろうと思う。
しかし、かんしゃく持ちの暴力教師や変◯教師も何人もいて、今でもその先生のことはよく憶えている。まぁ何発殴られ投げられたことか。。もちろん素晴らしい教育者もたくさんいたが。
素行不良の子たちを家に集らせて問題になった母親。教師たちは素行不良の生徒たちを一切学校に入れず、校門に大勢がたむろしていた。多くの生徒の勉学、学校生活に支障をきたすということだったのだろうが、義務教育としてはどうなのかともよく思ったが、学校生活は静かで他の生徒はビクビクすることなく過しやすかったのも事実だった。
意味が分からなかった『タイマン大会』というのにもよくよばれ、自分が相手だったら嫌な顔をされ、不要な喧嘩もよくした。
集団で群れると良くないことになるが、タイマンで一人一人付き合うと皆悪いことないから、個別に友達付き合いをしていた。
このような環境、当時は反社◯勢力からのスカウトがNO.1と言われた地域で多くのことを学んだ。自分のことではないが、書けないこともとても多い。
「あの中学校の生徒とは付き合ってはならない。争いごとをしてはいけない。」というお達しが地域の各中学校に通達されていたとも、その後地元の他の地域の生徒だった友によく聞いた。
ホント先生や保護者は大変だったと思う。自分よりも10歳以上の先輩方の時代もより大変だったのだろうと思う。
13歳の頃の自分は定時制高校にも行けないような状態だったが、スケートボード三昧の傍ら奮起して勉強をしはじめ、一般的な都立高校に進学することができ、また西台駅から西巣鴨駅まで三田線に乗って高校に通った。
その当時、ようやく三田線にも冷房を搭載した車両が登場し、板橋本町駅だっただろうか、ホームにも冷房が設置された。
今とは違い、遅延による回復運転で、石神井川をくぐるあたりで速度をかなりだす運転士もいたし、オーバーランもちょくちょくあった。
....切符の写真、なぜもらってとっておいたのか....切手集めをするような感覚だったのだろう。残しておいた切符の中には硬券があった。

そんな思い出が多い高島平・西台地域のスケートボード仲間の友ともこの2年、新型コロナウイルス感染症のまん延で会っていないが、皆元気そうでなにより。

昨年の大河ドラマで注目もされた徳丸ヶ原、陣を取った赤塚の松月院やこの弁天塚、その他自然もあり、遺跡もあったりと見所が多く、食べ物ではおいしい焼きそば<あぺたいと>もあり、蓮根から高島平に移転してきたホワイト餃子、近年では二郎系ラーメン屋もいくつか出店していたりと楽しい地域です。

※一番下のサンドは新高島平駅の高架の隣りにある人気のパン屋さん<Do monsieur高島平店>のもので、これで¥220。他のパンもおいしいとのこと。

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■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■蓮根川緑道 ヘビ公園
■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
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■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 養育院の始まりと渋沢栄一

■電話番号の表札 ◯◯方・◯◯◯◯◯呼出 ◯◯ 電報
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊

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