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2015 2/27
『マックのマウス』

ウインドウズ95を使いはじめて、2000年にMACにのり換えた。
その当時のモデルはクラッシック環境にあとからOS Xをインストールすることもできて、お好きな方を使ってねっていう仕様だった。
過渡期っこともあって不具合がこわいので、ずっとクラッシック環境で使ってた。

2006年に、MACがインテル搭載モデルにするっていうので、初期のインテルMacに乗り換えた。
で、ここからマウスの動きに悩まされ続けてきていた。
マウスとポインタの連動した動きがウインドウズやMACのクラッシック環境とでは異なっていて、初動のゆっくり動かした時にマウスとポインタの動きが遅れるのだ。
ある一定の速度ではまったく違和感はなくてマウスとポインタは同じ動きだけど、、ポインタをゆっくり動かすとマウスとポインタにタイムラグが生じて、ものすごく使いにくいのだ。ゆっくり線を描いている時には、マウスパッドからマウスがはみ出るほどで、ぜんぜんゆっくり描けないっていう状態だ。
5cmほどマウスをゆっくり動かすとポインタは牛歩もいいところ、2cmくらいか??ぜんぜん進まない、そんなイメージ、使い勝手だろうか。
ま、そんなものだと思って、気休めにマイクロソフトの細かい調整ができるマウスを使っているけど、使いにくいことには変わりなくて。
このタイムラグに慣れているユーザーなら気にならないが、手先をよく使う仕事をされている方やウインドウズユーザーだったら、Macを触った時にほぼ必ず感じる違和感ではないだろうか。

まぁそんなもんだろと慣れようとしても自分は一向に慣れないので調べていたら、
『Mac OS Xに存在する32ミリ秒のマウスカーソル遅延を解消してくれるアプリ「SmoothMouse」を使ってみた』という記事を見つけて...
Macのマウスの動きには加速度というものが存在していると、それも知った。
で、他にもないかなと、これ発見。
早速インストールして...
感激、タイムラグがないかつての使いやすい昔のMacやウインドウズのような動きになった。
手の動きとまんまポインターが連動して動いてくれる、使いやすすぎだ。
けど、慣れないタイムラグにも手は馴染んでいくもので、使いやすい環境にも慣れが必要で。
知ったの遅すぎだったかな、でもそれだけ嬉しさ倍増だ。
いやぁいいわ、ほんと使いやすくなった。

図書館にある検索用のウインドウズPC、どこの館でも感じるけど、ポインターが速すぎるんだなぁアレ。
画面に映る“あいうえお”のボタンにぜんぜんポインターが合わなくて、諦めることもちょいちょいある。

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2015 2/25
『パクチーラーメン』

カルディってストアで妻が見つけたパクチーラーメン
FBの友のポストでうまいとその存在は知ってたけど、すっかり忘れてたパクチーラメン。
インスタントものはだいたい味を濃く感じるので、これもお湯は+100CC多めでちょうどいい。
思ってたよりもずっとよくできていた、かなりうまい。
納豆ご飯と合わせたけど、ぜんぜんOKだ。
生のパクチーをどっさりトムヤムラーメンに入れてうまかったように、生パクチーパクチーラーメンにしたらもっとうまいことだろう。

東南アジアの味って、この10年くらいで知ったような感じ...おいしいもんだ。
一般的に男は新しい味(料理)にはあまりトライしないという。
男性は同じお店で大体同じものを食べて、自分の顔を売ってそのお店の常連となって、他者に教えて優越感を持つという。だから取引でも最初はガードが堅くて受けつけないけど、一旦心を許し受け入れるとずっと変えずにお得意様になってくれると。安定しててよくやってくれる、それを求めているのだろう。
女性はあちこちのお店に新しい味を求めていくという。受け入れるのも早いが、サービスを提供する方は飽きさせないように次々と新しいものを提供し続けないとならないという。アイデアの泉となり、よく気づくことが大切だろう。
だから、男性女性どちらのお客さまを多く持っているかによって、サービス、戦略が全く異なるということ。

以前取引をさせていただいていた会社の社長は、カップラーメンは失敗がないからと“赤いきつね”オンリーで、ランチで使うお店は週5回ほぼ3店舗をローテーションで、どこも安定の美味しさだった。

新しい味の商品を見つけてもまず買わないなぁそう言えば。
新しい味にほぼ挑戦しない、そんな男は男の中の男だと胸をはっていいのだ。

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2015 2/24
『着るもので』

着るもので気分はあがるもの。
趣味が多いと、着るものもどっさり増えますね。

GYAKUSOUの春夏が発売された。
春や夏らしいカラーで、グラフィックも元気な感じ。
個人的には去年の秋冬のミニマルでシャープな方が好み。
毎回とても楽しませてくれますね。

少しずつ春っぽさも感じるようになってきた。
朝走ると、気温と湿度で季節よく感じることができる。
高い建物に囲まれているうちの近くは、GPSがなかなかキャッチしてくれないので、12月〜2月はブルブル震えて耐えるのが辛い。
すぐにキャッチして、性能もすごく良いというエプソンのGPS時計に変えてみようかといつも思う。
なんでエプソンからランニングウォッチが発売されたのかと思ったら、セイコーエプソンだったのねと気づく。そうですよね、だからさすがですね。

....雨上がりの朝、湯気で霞む前方、太陽に照らされて地面からも湯気がゆらゆらと上ってとても気持ちがいい。
春が近づいてきているなと感じる瞬間だ。
湿度も高くて暖かさも感じると7kmも走れば汗びっしょりになる。
ホント気持ちがいい。
ただそれだけ。

今朝もソファーには寝間着、ランニングウェア、洋服と次々と着替えるので、着るものだらけでこんもりだ。
布は少ない方がいい、色々と。

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2015 2/23
『幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓』

台東区谷中に全生庵に山岡鉄舟の墓がある。

鉄舟、身長190cmm、体重は100kgというのだからその当時としては大男だ。

こちらから引用

今から147年前、駿府城下にて山岡鉄舟(てっしゅう)が西郷隆盛と会った。
江戸無血開城へ向け、下交渉を行なった日である。

幕末、上方における鳥羽伏見の戦いは、新政府軍が錦の御旗を掲げたことにより、旧幕府軍に圧勝し、その拠点である江戸を一気に攻め潰そうと東へ進軍していた。

旧幕府軍の首魁・徳川慶喜はすでに上野寛永寺で謹慎していたが、その恭順の意を新政府軍は受け入れず、武力討伐で決しようとしていたのだ。

幕臣の勝海舟は江戸無血開城を決意して、江戸攻撃を思いとどまらせるための策をめぐらす。
結果、幕臣らは高橋泥舟(でいしゅう)を新政府軍のもとへ派遣し、慶喜の恭順の意を改めて伝えようとした。

しかし泥舟は慶喜の身辺警護のために動けず、代わって義弟の山岡鉄舟をその役目に推薦、鉄舟を慶喜に謁見させて派遣が決定された。
このとき、刀がないほど困窮していた鉄舟は親友の関口艮輔に大小を借りて官軍の陣営に向かった。

3月6日、勝海舟から西郷に宛てた書面を携えた山岡は駿府への道を急いだ。
途中幾度なく新政府軍の誰何を受けたが、薩摩藩士と偽って潜り抜けるも、清水の手前の由比の街道は官軍の関所が出来ていて通ることができなくなっていた為に、最後の手段として街道一の大親分清水の次郎長の助けを借りる事になった。
駿府城下に着き西郷と面会を得たのは、翌々3月9日のことだ。

鉄舟は「朝敵・徳川慶喜の家来、山岡鉄太郎、大総督府へ罷り通る」と大声で叫び通ったという。

すでに江戸城進撃の予定は3月15日と決定していたが、西郷は勝からの使者と聞いて山岡との会談に応じた。

西郷は江戸城総攻撃の回避条件として7つの条件を出した。
うち第1条は「徳川慶喜の身柄を備前藩に預けること」だった。

山岡は7ヶ条のうち6つは受け入れるが、
第1条のみは絶対に受けられないとして断固拒否。問答が続いたが、山岡は「もし立場を入れ替え西郷殿が島津の殿様を他藩に預けろと言われたら承知するか?」と詰問。
これに西郷も理解を示しひとまずは保留として、江戸へ先乗りして海舟との会見に応じることを決めた。

そして、江戸城総攻撃予定日のわずか2日前の3月13日から、いよいよ江戸開城交渉が田町(東京都港区)の薩摩藩江戸藩邸において行なわれたのである。

江戸無血開城の陰の立役者、鉄舟について後に西郷は、こう語っている。

「あんな生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、というような男はどうにも始末に困る。だがそいういう男でなくてはともに天下の大事は語ることができない」

勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟、「幕末の三舟」と呼ばれる彼らなくして江戸無血開城はなかったかもしれない。
そして、鉄舟を無事に西郷の元に送り届けたヤクザ清水の次郎長の行動も大きく関わっていたのだ。

死ぬ思いで西郷の元へとやってきて、薩長、徳川だけではなく、日本の将来を必死に思って道理を説いた山岡鉄舟。
西郷がどうやって来たかと問うと、官軍の陣営を突破して「歩いて来た」と言った鉄舟に西郷は呆れたという。

無骨で真摯で熱い侍 、人としてとても好きだ。

本郷・谷中・上野・浅草 Running 20.24km 2:02'16''

【過去記事】
■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
■復活 上野清水観音 堂月の松
■上野東照宮
■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
■上野公園 時忘れじの塔
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板箸一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■板橋区仲宿 文殊院 子の権現
■板橋遊郭 新藤楼
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■中仙道か中山道か
■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
■王子新道の由来と花月通
■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
■加賀藩と黒作り
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
■加賀藩前田家の駕篭
■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔
■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
■練馬区 ふじ大山道
■清戸道の名家
■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
■新宿に縄文人現る
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
■切支丹屋敷跡地からシドッティ
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
■田端 東覚寺 赤紙仁王
■本郷肴町 棒兼
■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
■北区十条四軒道路にある出桁造り
■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
■北区王子3・4丁目の出桁造り
■北区王子本町の出桁造り
■目白通りにある出桁造り
■渋谷川 庚申橋供養碑
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
■JR貨物北王子線と廃線跡
■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
■北区中十条3丁目の出桁造り
■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
■本郷追分と追分一里塚跡
■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■電話番号の表札
■谷中、上野桜木の出桁造り
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
■北区西ヶ原の出桁造り
■文京区根津の出桁造り
■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘跡
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■滝乃川学園跡
■西池袋 自由学園明日館
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック
■江戸城 松の大廊下跡
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
■経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
■同潤会 上野下アパート
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り
■駒込名主屋敷
■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
■護国寺惣門
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
■北区上十条2丁目の出桁造り
■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地

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2015 2/20
『明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓』

豊島区巣鴨、染井霊園の隣に本妙寺がある。
本妙寺は江戸の大火事、明暦の大火(振袖火事)の出火場所のひとつだと言われていて、外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失したという。
死者は諸説あるが3万から10万人と記録されている。江戸城天守はこれ以後、再建されなかった。
この火災の特記すべき点は火元が1箇所ではなく、本郷・小石川・麹町の3箇所から連続的に発生したもので、ひとつ目の火災が終息しようとしているところへ次の火災が発生し、結果的に江戸市街の6割、家康開府以来から続く古い密集した市街地においてはそのすべてが焼き尽くされた点にある。

出火元や原因には諸説あるが.....寺ウェブサイトから引用

明暦の大火は通称振袖火事とも 呼ばれ、史上最大の火事で歴史上では本妙寺が火元とされている。 この火事により十万八千人の命が失われた。しかし、本当は本妙寺は火元ではない。幕府の要請により火元の汚名をかぶったのである。
理由は、当時、江戸は火事が多く、幕府は火元に対しては厳罰をもって対処してきたが、当山に対しては一切お咎めなしであった。
それだけでなく、大火から三年後には客殿、庫裡を、六年後には本堂を復興し、十年後には当山が日蓮門下、勝劣派の 触頭に任ぜられている。
(触頭とは、幕府からの通達を配下の寺院への伝達や、本山や配下の寺からの幕府への訴願、諸届を上申達する役)
これはむしろ異例な厚遇である。さらに、当山に隣接して風上にあった老中 の
阿部忠秋家から毎年当山へ明暦の大火の供養料が大正十二年の関東大震災にいたるまで260年余にわたり奉納されていた。
この事実からして、これは一般に伝わる本妙寺火元説を覆するものである。
(大火の供養料なら、大火後幕府が犠牲者のために創立した両国の回向院へ奉納すべきである。)
大火の当日は朝から北西の強風が吹き荒れていたことは記録により明らかである。
真相は、本妙寺に隣接して風上にあった阿部家が火元である。
老中の屋敷が火元とあっては幕府の威信失墜、江戸復興政策への支障をきたすため、幕府の要請により本妙寺が火元の汚名を引受けたのである。
そして、その結果として阿部家を失火の責任から救うということになり、それに対するお礼と解するのが妥当である・・・と説明している。
幕府崩壊後に、お寺さん自身がそう言うのだからそうかもしれない。
幕府、阿部家との間には何かしらあったことが分るが真相は不明。
古地図から本妙寺は現在の東京大学本郷キャンパスの向いにかつてあって、菊坂あたりかな??、阿部家は旧中山道と本郷通りの交差点(追分)近くだと分ります。

そして、遠山の金さんのお墓もありました。
東京都知事と警視総監と東京地方裁判所判事を兼務したような存在だと。
本当に刺青背負っていたのだろうか??

休日にはあちこちのお寺で、御朱印帳を片手の参拝者を多くみかけます。
おしゃれでかっこいいデザインの御朱印帳
南禅寺と建仁寺、西院春日神社もすてきだな〜。

【過去記事】
■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
■復活 上野清水観音 堂月の松
■上野東照宮
■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
■上野公園 時忘れじの塔
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板箸一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■板橋区仲宿 文殊院 子の権現
■板橋遊郭 新藤楼
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■中仙道か中山道か
■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
■王子新道の由来と花月通
■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
■加賀藩と黒作り
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
■加賀藩前田家の駕篭
■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔
■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
■練馬区 ふじ大山道
■清戸道の名家
■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
■新宿に縄文人現る
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
■切支丹屋敷跡地からシドッティ
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
■田端 東覚寺 赤紙仁王
■本郷肴町 棒兼
■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
■北区十条四軒道路にある出桁造り
■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
■北区王子3・4丁目の出桁造り
■北区王子本町の出桁造り
■目白通りにある出桁造り
■渋谷川 庚申橋供養碑
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
■JR貨物北王子線と廃線跡
■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
■北区中十条3丁目の出桁造り
■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
■本郷追分と追分一里塚跡
■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■電話番号の表札
■谷中、上野桜木の出桁造り
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
■北区西ヶ原の出桁造り
■文京区根津の出桁造り
■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘跡
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■滝乃川学園跡
■西池袋 自由学園明日館
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック
■江戸城 松の大廊下跡
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
■経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
■同潤会 上野下アパート
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り
■駒込名主屋敷
■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
■護国寺惣門
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
■北区上十条2丁目の出桁造り
■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地

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2015 2/19
『教え』

朝にいつも走っているコース、河津桜が咲きだしていた。
早く暖かくなれ。

十善戒
不悪口 ふあつく 悪口を言わない by 弘法大師 空海 真言宗豊山派

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり
上杉鷹山

僧侶のストラップ、笠がとれちゃったのでガッチリ留めてやって。

神社、寺、教会の掲示板、趣味でやられている川柳や短歌、それぞれの教えがためになるし、おもしろい。

一神教の人々には日本人の宗教観がよく分らないと。
他国から入ってきて、長い時間をかけて独自に変化してきたから、なかなか理解できないのかもしれない。

イスラム過激派組織「イスラム国」による邦人人質事件など、世界中でテロが相次ぐ中、22日に迫った「東京マラソン2015」は、かつてない厳戒下で開催されるという。
計3万6000人の参加者はペットボトルなどの持ち込みが禁止され、金属探知機や防犯カメラの増設、さらにランニングポリスも。

何事もないように。

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2015 2/17
『文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓』

建国記念の日、新宿や皇居方面をさけて上野へランニング。

日光御成街道(本郷通り)と言門通りの交差点に高島秋帆の墓のサインを偶然にも発見し、探してみた。
でもあれだな、何十回どころじゃいほど通っている交差点の歩道だけど、初めて気がついた。 自分のように寺や地域史、歴史人に関心がある者でも気がつかなかったから、そこを通る人々にはその存在はなかなか分らないかもしれない。
ここらへんは寺がとても多く、谷中あたりもとても多い。
その多くはたび重なる江戸の火災や震災で移転してきたのではなかろうか。

本郷通りから小道を入ってすぐに大円寺を発見。
お参りして、墓地がある区画へ。
一番奥に国指定史跡 高島秋帆の墓がありました。
もう150年も経つとのこと。いや、わずか150年と言うところか。

高島さんってだれだ?

過去記事引用

板橋区の北部に高島平という地域がある。
その高島平はかつて徳丸ヶ原といわれていた湿地帯、氾濫する荒川によってしょっちゅうびっちょびちょだったよう。
長崎の町役人で砲術家だった高島秋帆(たかしましゅうはん)はオランダ人らを通じて、洋式砲術を学んでいたので日本砲術と西洋砲術の格差を知っていた。
高島秋帆はアヘン戦争で清がイギリスに敗北したことに大きな衝撃を受け、
日本を防衛するために洋式砲術を採用すべきだと国防の重要性を訴えた意見書を幕府に提出。
幕府の命令で江戸にやってきて、現 板橋区赤塚にある松月院に本陣をかまえ、眼下に広がる徳丸ヶ原(高島平)で歩砲2隊の演習と馬上発射と大砲の実弾射撃という洋式の砲術演習を行った。
幕府ははじめての洋式火砲の威力におどろき、この演習は当時の国際情勢からも話題をよんで、幕府は多くの大名や鉄砲方にも見学をさせている。
勝海舟などもこの様子をコッソリ見たと記している。
これにより幕府の高島流砲術採用が決まり、幕臣らに高島流砲術をおしえて長崎に帰ったと。
幕府から重用されてその功績を妬んだ幕府町奉行の鳥居耀蔵(とりいようぞう)は周りの人とグルになって、高島秋帆は 「密貿易をしている」と謀反の罪を着させて、幕府に訴え、逮捕・投獄されてしまう。
洋式の砲術の必要性を感じている人も多く、幽閉先では諸藩は秘密裏に高島秋帆に接触し教わっていたという。
幽閉されること10年、ペリー来航による社会情勢の変化によって赦免されて出獄し、高島秋帆はふたたび幕府に対して、このままではアメリカとは戦えないと意見書を提出し、その後幕府の砲術訓練の指導に尽力した。
坂本龍馬も高島流砲術を学び、ついこの間、坂本竜馬の血判や直筆の署名などが記された、高島流砲術家への 入門時の起請文が発見されたばかりだ。
起請文は、行いにうそや偽りのないことを神仏に宣誓する文書。
この書で竜馬は、入門後に学んだことを外部に漏らさないことや、新しい流派をつくらないことを誓約しており、巻物には竜馬の他、幕末に尊王攘夷運動を行った土佐勤王党の武市半平太や岡田以蔵ら、216人分の名前も記されている。

その演習で幕府は洋式の砲術におどろき採用したわけだが、幕府が崩壊したあと明治新政府はそのまま踏襲し、のちの日本陸軍創設の元となった。
本陣を構えていた松月院が日本陸軍発祥の地ともいわれている。

現在の板橋区高島平は自分にとってもうひとつの地元で、元は徳丸が原という地名だったが、高島秋帆の功績を讃え、高島平と改称したと。

....高島秋帆の功績は我が国にとってとても大きなものだ。

敬意を表して辞去。

最後の将軍 徳川慶喜、幕臣 榎本武揚、高島秋帆、彼らの墓所がそれぞれ近くにあるのも縁なのだろう。

【過去記事】
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■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
■上野公園 時忘れじの塔
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板箸一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■板橋区仲宿 文殊院 子の権現
■板橋遊郭 新藤楼
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■中仙道か中山道か
■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
■王子新道の由来と花月通
■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
■加賀藩と黒作り
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
■加賀藩前田家の駕篭
■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔
■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
■練馬区 ふじ大山道
■清戸道の名家
■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
■新宿に縄文人現る
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
■切支丹屋敷跡地からシドッティ
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
■田端 東覚寺 赤紙仁王
■本郷肴町 棒兼
■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
■北区十条四軒道路にある出桁造り
■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
■北区王子3・4丁目の出桁造り
■北区王子本町の出桁造り
■目白通りにある出桁造り
■渋谷川 庚申橋供養碑
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
■JR貨物北王子線と廃線跡
■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
■北区中十条3丁目の出桁造り
■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
■本郷追分と追分一里塚跡
■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■電話番号の表札
■谷中、上野桜木の出桁造り
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
■北区西ヶ原の出桁造り
■文京区根津の出桁造り
■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘跡
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■滝乃川学園跡
■西池袋 自由学園明日館
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック
■江戸城 松の大廊下跡
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
■経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
■同潤会 上野下アパート
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り
■駒込名主屋敷
■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
■護国寺惣門
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
■北区上十条2丁目の出桁造り
■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地

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2015 2/17
『村上さんのところ』

村上春樹さんが読者らの質問に答えてゆく企画、村上さんのところ、ある記事を見て、のぞいてみたところおもしろい。

落語なんかを聞きながら走っています
マラソンを始めて良かった
フルマラソンと同じです
何のために走らなくてはならないのか
脱「なんちゃってランナー」
皇居を走っていますか
iPodに入っているもの
箱根駅伝に付いて
走る目的を変えたい
実家の寺を継がなければいけません

妻の匂いフェチが不安です
これは奥様が夫のことを我が子のように、というか、母が子への愛情、健康の確認で嗅ぐのと同じような母性のことなんだろうかな??

と、キリがないけどおもしろい。
小説を書くために走る...
走るというのは裸の自分と向き合うことだし、その意味はタイムや順位とは関係なく、いつまでも(永遠にとは言いませんが)続いていくものです....

ま、走り始めの頃になんとなく皇居を7周して、「おお、けっこう走れるじゃん」と思って、すぐにフルマラソンを走ったというからすごいですね。

村上さんはアンダーカバー×NIKEのGYAKUSOUを着て走っていると。引用
かもな〜と思っていたけど、やはり。

走ることについて語るときに僕の語ること、また読んでみよう。
走っている人にはとても共感できる内容だし、走らない人にはなかなか入ってこないと言ってたけど、でも、おもしろいんですよね。
真夏のアテネ、パンツ一丁でフルを走って全身で塩を精製しながら酷い日焼けで水疱で大変になったエピソードやリスが冬支度をしているとか。

 

よくストイックに走っているねーとか言われる。
やれやれ、どうやらそういう風にうつるみたいだ。
でも、たんに気持ちいいからなんだけど。
走る=辛い、という意識、これは走らない人にほぼあると思うけど、走る=気持ちいい、という風になるんですよね。

突然走り始めてもうすぐ6年だ。

今、足腰をエクササイズとかジョグでよく使っていると、50代〜70代になった時にずいぶんとちがうそうだとよく聞く。日常生活があまり辛くなくて比較的ラクだと。
だれしもいつまでもなるべく自分の脚で動きたいとそう思っていますしね。

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2015 2/16
『思いでの撤去』

フリーマガジンHIDDEN、ライフスタイルを彩る大切な要素として、音楽、アート、ファッション、エクストリームスポーツ、エンターテインメントなど、様々なカルチャーをミックスして配布する「ミックスカルチャー・フリーマガジン」。
豊富なコンテンツ、とてもおもしろい。
目にはしてたけど先日はじめて読んでみて、最近知りました。
若い子にもとても人気があって集めている人も多いのも納得ですね。
囚人服でスケートしているゴンザレス、いい写真だ。

2014 12/17 より引用

27年前...
毎日日が暮れるまで、晩飯食べた後もスケートをしていた。
ある日、光が丘でスケートした帰りだっただろうか、仲間が「ちょっと遠いけど、ランプある公園があんだよ、行こうぜ!」と。
どんだけの距離をプッシュ(地面を蹴って進むこと)しただろうか。
結構ヘトヘトになって到着。
「ランプがある〜〜!、ってなんだ〜、一回しか滑れないじゃん!」
たぶんそんな会話だったと思う。
怖いもの見たさ的、チャレンジ精神は強かったので、トライ。
ドロップイン、段差部分手前でオーリー、コーピングにデッキを引っ掛けて...
・・・おもいっきりスッ転んだ、あたり前だ。
※ オーリー:ジャンプ、コーピング:Rの終わりのエッジ部分、ドロップイン:上の平な部分に立ってRに滑り入ること。

「じゃぁあのデカイのは?」
「これは超〜あぶねーよ、Rが急過ぎるよ!大けがするぜっ ゲラゲラケタケタ」

中学生はア◯な世代だ。でも猛烈に楽しかったな。

たまに立ち寄る縄文人がかつてどっさり暮らしていた公園...
何かコレ見たことあるなぁと、つい最近思いだした27年前のこと。
しかし、この遊具はちびっ子はどうやって遊ぶのだろうか、座ってゲームしているのは見たことがあるけど。

----------------------
昨日また通りかかったあぶないランプがある公園...
すっかり解体撤去されて姿を消していた。
どうやって遊ぶのかわからない遊具らはついに役目を終えたわけだ。
なんだかすごーくショックだった。
今度ははどういう遊具が設けられるのか、はたまた、あぶない!という理由でどんどん撤去されている遊具と同じ運命で、今後は何もなくなってしまうのだろうか。

...27年前のあの頃、川越藩主の参勤交代で整備された川越街道、みなごろしや極悪という暴走族のメインストリートだった川越街道を、ケガして痛む身体にむち打って往復約10km、石神井川が流れる台地のなかの低地から高台へ、東武練馬から武蔵野台地を一気に下って低地の徳丸が原(高島平)へ鬼プッシュして帰ったのもいい思い出だ。

豊島区池袋では、有志らがスケートパークを作ろうと奔走している。
渋谷の宮下公園のように、駒沢公園のように、もし整備されたらたくさんの人々が遊びに訪れるだろう。
当時中学生だったスケーターが親父なり、子供と一緒にすべるシーンも珍しくない。親父は80年代の当時の重いスケートボードであえて加齢に華麗にメイク、それもなかなか格好いいだろう。
かつてのあの身体の柔さはもうないので、いちばん怖いのはケガだ。
ケガの治りがもうかなり遅いし...
ま、池袋にスケートパークがぜひできて欲しいなと心から思います。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド
■GET RAD
■マドンナエア
■YouTube 作ってから1年半
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB

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2015 2/9
『おいしいものをアップ』

うな重じゃなくて....

庶民の味方で最近知ったヤツ、醤油とんこつ生ラーメン、これはとてもよくできていると思う。スープも太麺もなかなかクオリティが高い。これで¥189だ。
ただスープが250ccという、麺に対してあまりに少なすぎる量で、たぶん塩っぱい濃いだろうなと350ccにかた麺とおろしにんにくでちょうどいい。
家で醤油豚骨が食べたいなって時にいい製品だ。

で、通った商店街でみかけた子供だまし的な“ハンバーグカツ”、一旦通りすぎるも良いトコ取りなそのネーミングに、また引き返して購入。
メンチカツとはちがうのかどうなんだろうか気になるでしょ。
で、実食....
かたいハンバーグに衣をつけて揚げたのだったので、ソースかけて。

と、激安でおもしろいのや安くてクオリティが高そうな惣菜を見かけると、なんだか楽しい。庶民はそういうものだ。
高いのはうまくてあたり前。
先日移動してて発見した東池袋の日出優良商店街でみかけたお肉屋、“こだわり”のその文字と小さくないその容姿に、一旦通りすぎるもまた引き返して、ハムカツを購入。その値段はえっ!おどろきのなんと40円。
すごいですねほんと、企業努力に感心するから、どうしても買ってしまうというのもある。
ハムカツを熱々の讃岐うどんに入れるのもうまくていいものです。

庶民の味方、格好いいです。

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2015 2/5
『小銭』

消費税が8%になってからというもの、小銭が増えまくって財布がぱんぱんになっていることが多くある。
そんな人、特に男性はそういう人は多いのじゃないだろうか。
あと1−2円足らないことでどんどん小銭が増えてくる。
でも、うまく計算して小銭を出せばいいのだけど、レジでちまちましているのがとてもイヤで、結局札や100円などで払って、結局どんどん増える。
「ヘタだね〜」と妻にも言われるが、ヘタなのではなく面倒なのだと反論。
女性はストアにはよく行くからそりゃうまいし、小銭をだすのが面倒ではないのだろう。

お休みの日、ランニングしたその足でスーパーに寄ることが多いけど、¥389のその表示、手がかじかんでもうぜんぜん小銭が出せなくて、レジの人に横目でチラ見のプレッシャーにちょい焦るも、ぜんぜん動かない、しまいにゃぁ薄く苦笑だ。

例えば¥498とかを小銭でぴったり払えることがある時なんか嬉しいものだ。

町の中にはたくさんの子育て地蔵尊や不動尊、馬頭観音、神社、寺がある。
正月や祭り以外はほぼ参らない人も多いし、道端に祀られている地蔵菩薩に手を合わせることもあまりないだろか。
我が子が亡くなって、地域の子供たちが安心安全に暮らせていけるようにとこの場所に地蔵菩薩を祀りました....と、そういうのを知るとなんともいえない気持ちになる。お地蔵さんの維持管理になるお賽銭を、鼻水をちょっと吸ったグローブを脱いで、ぜんぜんいうことをきかない手先で入れて、手をあわせる。

都内をあちこちランニングして、小銭はお賽銭になっていく。

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2015 2/4 #2
『JT』

ひとのときを想うJT

大切なひととき、たばこを手放してよくそのことが分って感心したコピーだ。

80年代中頃から後期、アメリカからプロスケーターがたくさん来日して、池袋などでは大会も開かれてめちゃくちゃ盛り上がっていた。
自分も西武デパートやサンシャインにも遊びにいった。
日本のスケートをしたことがないであろう大工さんが作ったでかいランプに、これは釘も出ているし危ないとあちこち指摘し直していたのを憶えている。

そんなスター、その中でもクリスチャンホソイというスケーターが特に好きだった。日本だと細井さんだろう。
彼がまたすごい高いエア(ジャンプ)をするのだ。
西武デパートの納品ターミナルでよく滑っていたのだけど、そこにHOSOIさんがやってきてすべって、その姿にとても興奮した。
自分にとって、握手をした初めてのスターだ。

ま、そんなHOSOIさんだが、紆余曲折いろいろあって...
SNSの時代、今でも彼の近況を垣間見ることができて、当時を懐かしく思いだすのです。

マッチョ姿でJTエアをきめるHOSOIさん...
昔から、なぜアメリカ人はパン一(パンツ一丁)でランニングやスケート、スポーツをするのだろうかと思っていた。
今でもよくわからないけど、汗がどうこうというよりも、綺麗な身体をみせたいということなのだろうか?
...真夏、パン一で街をランニングできたら気持ちいいだろうなぁ、よく思う。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド
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■YouTube 作ってから1年半
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB

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2015 2/4 #1
『共用部分』

マンションや団地の集合住宅、廊下やエントランスに階段室エレベーターにベランダは共用部分。
共用部分ではたばこを吸ってはいけないとほぼ規定している。
子供も居るし、クロスが汚れるから外で吸ってと言われてしかたなくホタル族になった人も多いだろう。
この5年くらいでたばこを吸う人にとってはよりゴリゴリ吸にくい環境になってきたのではないかと思う。急な値上げもありましたね。
ベランダで吸うと苦情が来る....じゃぁどこで吸えばいいんだよ。
室内の換気扇の下で吸っても排気は外だから、結局臭うと苦情がくる...じゃぁほんとどうすればいいんだよと。
密閉した居室をひとつ設けて、換気は一切しないというのがベストなのだろう。
吸う人には吸わない人の気持ちが分りにくいことも、分ってはいるけどなかなか配慮できないこともあるだろう。
吸わない人が上下左右に居住していたら、それ相当の配慮、いや、苦情がでないように徹底的に配慮すべき時になったということだろう。web

たばこを18年間吸ってて、手放して5年半になる。
一日に1箱半がいつものペースで、飲みに行ったら2箱では足らずだった。
吸う人の気持ちも吸わない人の気持ちも、今はよく分る。
そこまで厳しく....とも思うが、そういえない時代なのだろう。
我が子が他者の副流煙吸ってしまって身体が心配、受動喫煙をさせたくない、そう思う親がほとんどだと思う。

そういえば、自分が子供だった頃はどの部屋もすべてモクモクしてた。
ネコが入れてくれと戸をカリカリする。
開けてネコが顔を出したら、目をしばしばさせてすごく辛い顔をして、リターンしていった。
「ごめんね、そうだよね。。煙いよね...(寒いけど窓をあけて換気しよう)」
そんなことがいつもだった。吸わない人の気持ち、それがネコの表情だった。

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2015 2/2
『ゆっくり走ること』

なるほどと思って引用...

200万年前、アフリカのサルが樹上から地上に降りてきて、直立二足移動(ランニング、ジョギング、ウォーキング)をするようになり、足の速い四足動物が捕まえた獲物を横取りして食べるようになったのが、私たち人類のスタートでした。
この行動のおかげで脳が大きくなって、体は長距離を走れるように変化し、ついにはヒトは地上の覇者となることができたのです。
われわれは、走ることで側座核が働いて気持ちよくなることができます。側座核が働くと腹側被蓋野が働いてドーパミンを分泌し、前頭前野、運動前野、運動前野、運動野、海馬がよく働くようになり、記憶力が増して長く走り続けられるようになります。しかし、走っているのを見ているだけでは側座核は働きません。実際に走ることが重要なのです。また、ドーパミンによって前頭前野がよく働くと思考力や決断力や注意力が、運動前野がよく働くようになると運動のスキルが、運動野がよく働くと細かい微妙な動作が素早くできるようになります。つまり、走ると頭がよくなるのです。
私は46歳のときにジョグングをはじめて、それ以来走ることを習慣にしてきました。79歳の今も毎日欠かさず走っていますが、これまでに走ることで失ったのは皮下脂肪ぐらいで、あとは得たものばかりでした。走ることで、脳や体が丈夫になり、疲れにくくなるから脳研究に使う時間が増え、研究の業績も上がりました。

世界中でたくさんの脳機能の実験が行われ、現在では「走ることで脳の機能が向上する」だけでなく、「脳の構造が変化し、神経細胞の数が増える」ことまでもが証明されています。
また、走ることが生活習慣病などによる脳機能の低下を防ぎ、不眠症やうつから脳を守り、さらにはアルツハイマー病の症状を軽くし、発症を遅らせることもわかってます。
スロージョギングを行うために朝30分早起きする。
たったこれだけの投資で、これからの人生に大きな財産を獲得できます。

勉強でも仕事でも運動でも、まずは“動く”こと。実際に行動すると脳に刺激が与えられ側坐核が活発に働きだし、「やる気」が出るのです。
そして、一度、側坐核が働き出すと、どんどん「やる気」は出てきます。

....とりあえずやってみる、作業してみる、そして脳みその側座核を働かせてドーパミンをどんどん出そうということですね。
スロージョギングや息が上がらない速さでのジョグはとてもラクです。Amazon

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2015 2/2
『文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓』

文京区の本駒込、日光御成街道(本郷通り)沿いに吉祥寺がある。
かつては現水道橋交差点近くに建立されたそうだが、江戸の大半が焼失した明暦の大火などで現在の地に移転したと。
吉祥寺の門前町に住んでいた住民が武蔵野市東部に移住し、吉祥寺に愛着をもっていたために吉祥寺村と名付けて、発展して現在の吉祥寺にいたる。

吉祥寺に幕臣 榎本武揚の墓所があると知っていたので、日曜日の朝にランニング途中に初めて訪れてみた。
【先人たちの底力 知恵泉より】
幕臣として函館・五稜郭で最後まで新政府軍に抵抗した榎本武揚。
敗北後は一転して新政府の高官となった。
なぜ彼は生き残ったのか。
そこには一つの秘められた思いがあった。
テーマは「負けても生き残れ!」。
榎本武揚ほど波乱万丈の人生を送った人も少ないだろう。
幕臣として、函館・五稜郭で最後まで新政府軍に抵抗。
敗北後は一転して新政府の高官として登用された。
なぜ彼は生き残れたのか。
いや、生き残ろうと思ったのか。
ともすれば「転向した」と非難される榎本。
その人生を探ると、すさまじい能力と決意が明らかに。
新政府側の人間を感動させた榎本の行動とは?埋もれた榎本の功績に光を当てる。

とてつもない知識欲、たくさんの学問を修めて、処分するにはあまりにも惜しい人材、新しい日本には彼が必要だと、敵である薩摩長州らをも凌駕する先見の明に才能と経験が自身を救ってくれた。
幕臣、武士として敗北し、一回死んだその命、新政府のため日本のために外交官、政治家としてただひたすらに尽くしたと。

「どんな人でもだれかに必要とされている。」
本当にそう思うし、彼の生き方にもとても学ぶことがあります。

二宮尊徳のお墓もありました。(2枚目)

【過去記事】
■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
■復活 上野清水観音 堂月の松
■上野東照宮
■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
■上野公園 時忘れじの塔
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板箸一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■板橋区仲宿 文殊院 子の権現
■板橋遊郭 新藤楼
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■中仙道か中山道か
■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
■王子新道の由来と花月通
■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
■加賀藩と黒作り
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
■加賀藩前田家の駕篭
■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔
■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
■練馬区 ふじ大山道
■清戸道の名家
■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
■新宿に縄文人現る
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
■切支丹屋敷跡地からシドッティ
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
■田端 東覚寺 赤紙仁王
■本郷肴町 棒兼
■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
■北区十条四軒道路にある出桁造り
■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
■北区王子3・4丁目の出桁造り
■北区王子本町の出桁造り
■目白通りにある出桁造り
■渋谷川 庚申橋供養碑
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
■JR貨物北王子線と廃線跡
■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
■北区中十条3丁目の出桁造り
■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
■本郷追分と追分一里塚跡
■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■電話番号の表札
■谷中、上野桜木の出桁造り
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
■北区西ヶ原の出桁造り
■文京区根津の出桁造り
■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘跡
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■滝乃川学園跡
■西池袋 自由学園明日館
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック
■江戸城 松の大廊下跡
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
■経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
■同潤会 上野下アパート
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り
■駒込名主屋敷
■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
■護国寺惣門
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
■北区上十条2丁目の出桁造り
■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地