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2024 8/14 『先輩たちが言ってたこと「なんだか飲めなくなったきたんだよね」』

年齢を重ねて行くと、周りの大人達やTVの向うの初老男性が、50−60歳になると「飲めなくなるんだよ」とよく言っていて、飲めないって具体的になんだか分からなかったけど、あれですね、臓器クオリティが低下してくたびれてくるから、アルコール分解能力も低下して、いつも飲んでいた量だと二日酔いになりやすいということだったんだと、最近わかった。自分は胃もたれなんかまったくなったことがなかったけど、ご飯もしっかり食べているのに、酔ったなと思う量だと次の日は胃もたれ(吐き気ですね)を起こすようになった。350ml6缶くらいなんでもなかったんだけども。

さて、こんなにも酷い暑さで走ると危ないので、手にはスポドリ持って日影ではゆっくり走って、日向ではウォーキングしている。どうにもこうにも外で運動がしたいという、それもちょっと困ったことで。。
運動後はプリン体+プリン体摂取するのもとてもおいしくて。添加物ばりばり摂取したり、まぁあまり良くないですね。

・・・運転免許の更新予約日に関東は台風が直撃だと。開いているのだろうか?というか、コロナ対策なのかな、今年の2月から予約制になったけど結構不便に感じる。行けそうな時にさっと行けた方が自分には便利かな。

【関連記事】

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ここをクリックすると下に【過去記事3<四方山話など>】のリストが展開します。
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2024 8/12 『石神井川の緑橋にある水車の説明板<加賀藩下屋敷にあった水車 [その後は火薬製造や製紙などの軍事・工業用の動力へ ]>と川底から沸き出すのは自噴水か?』

地図の青丸部分、石神井川の緑橋の袂に水車の説明板がある。かつてこの付近に農業・工業にとって重要な水車があり、この水車の利用遍歴について書かれている。

説明板から引用ーーーーー
水車
石神井川の流域には、所々に水車が作られ、米や麦などの精白・製粉に利用されていました。幕末から大正期にかけては、火薬製造や製紙などの工業用の動力としても利用されました。
板橋区内の下流に設立された火薬製造所では、明治9年12月に水車動力を利用した黒色火薬の製造が開始され、これは、日本における黒色火薬の西洋式工業生産の始まりとされています。
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上から1−2枚目、加賀藩江戸下屋敷絵図の大池と大山(築山)の西の方に立派な水車が描かれている。

下屋敷跡内に現存する都立北園高等学校の教師だった奥山正先生の著書“加賀藩江戸下屋敷”から引用(加賀藩前田家下屋敷についてとても詳しく書かれている貴重な本です)ーーーーー
寛政の古地図によると、それから鶴の首と称する湾曲の流れになるのであるが、ここにはそのつけねのところに二つの仮橋がかけられている。更に降って車橋がある。これは水車があるからの名であって、『江戸下屋敷絵図』には美事な水車が描かれている。この水車は、石神井川の流れを巧みに利用して作られたもので当時としては最も有力な動力源である。下屋敷の水車は、大池の西の方、石神井川が大きく曲屈した処にあり、即ち車橋のある処である。本流から流れを分水して水車に導いているが幾段にもつくられた落差を見ると強力な水車のように見える。この動力によって、ここで収穫したものの精米や製粉を行っている。

明治七年になって、沢太郎左ヱ門設計の兵部省火薬製造所が石神井川の水流を利用して火薬製造に必要な圧磨機の巨大な圧輪を動かしたのも、その先駆はこの下屋敷に既に設けられていた水車と水流に眼をつけていたからに外ならない。これがやがて陸軍省の板橋火薬製造所になり戦前の第二僧兵廠になった理由ともいえる。この火薬製造所の水車の巨大な圧輪は、沢太郎左ヱ門がかつて幕府の命によってオランダに留学して火薬の製造を学び、黒色火薬の製造に必要な圧磨機の大理石の圧輪をベルギーから購入して帰国したものである。実際に石神井川の水力によってこの巨大な圧輪が廻転して火薬を製造するのは、明治九年でこれから明治三十九年十一月まで実に三十余年の間、圧磨機は活躍する。この圧磨機のあったところは下屋敷の西の方で、現在の資生堂の敷地にあたる(加賀二丁目二五番)。勿論、昔の石神井川と大きく水路も変わり江戸時代の水車のあった場所と違っている。 石神井川が下屋敷内に流れ入るこのあたりは、古い絵図には「筝番所車場御座候此所ニ引置申候」とあり、水車小屋・紙スキ小屋などの水利用が多い。
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この緑橋の下の川底から自噴水?がこんこんと絶え間なく湧きだしている。(再生水の放流かもしれないが)映像はこちら。(mpg4 58.1MB 720×1280 00'52)

かつて石神井川には多くの水車が架けられ、千川上水にも多くの水車もあったという。水流も多く流れがあるこの下流域では軍事利用で活躍した水車についてはよく知られていて、上記の通り、時代の違う地図を見比べてみると水車の位置も移動しているようですね。

余談だが、鶴の首と称する湾曲の流れの西北に稲荷台地区があり、かつてここに板橋城があったのではないかという説がある。また縄文時代早期 稲荷台遺跡(稲荷台式土器が発見当時最も古い時期の縄文土器として注目された)も古い遺跡として知られている。

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■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
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■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所

■千川上水 喜内古屋水車跡
■千川上水 板橋宿(仲宿・中宿) 割烹・待合<喜内古家>跡にある出汁の自動販売機 <遊郭 岡蔦楼と岡蔦山>
■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔

■板橋区 稲荷台遺跡

■板橋区東山町 板橋城跡の候補地のひとつ長命寺 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>

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■板橋区赤塚四丁目(成増) 蓋をされた23区内最大の崖 <成増露頭>と貝の化石 板橋区板橋一丁目・加賀一丁目からはナウマンゾウの化石

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2024 8/7 『2024年7月31日 東京・埼玉 1時間に100ミリを超える記録的短時間大雨 <板橋区徳丸 前谷津川暗渠氾濫(前谷津川緑道)> <谷頭部にあった食べ放題のすたみな太郎と東武練馬駅改札入口横にあった立ち食いスタイル 名店ジョーイハンバーガーという100円バーガ>ー』

7月末、埼玉県の南西部と板橋区・練馬区、北区などに1時間に100ミリを超える大雨が短時間に降った。ここまでの短時間の大雨は都内ではそれほど多くはないように思う。
狭い範囲に短時間集中的に大雨が降るとその影響でかつて存在していた川が姿を現す。それが今回、暗渠となった前谷津川の中流域から下流域にかけての徳丸地区から西台地区、すぐ先の首都高速5号線あたりの高島平でも氾濫した。その映像がSNSに上がっていて、膝下から場所によっては膝上まで冠水したようだ。
前谷津川は普段は穏やかだが、ひとたび大雨が降ると暴れて、川沿いは冠水してしまう川だったと古老が言っていたという記事をよく目にする。
私が12歳の頃はもう既に暗渠化後何年も経ち、古くから西台に住んでいる友らは親に「雨が降ったら川には近づかないこと」と言われていたと聞いた。どこかで見かけた写真で、暗渠化前の大雨後の高島平を流れる前谷津川はもう溢れんばかりの激しい水面で目を見張った。
今回の冠水では大きな被害は免れたようでも、宮下地区(地図の青丸あたり)の隧道が冠水により被害を受けて通行止めになったようで、その他も床下(基礎部分)まで水が上がってきたようだ。不動通りのどん突き(前谷津川支流の谷頭部)の東武練馬駅下あたりからも、そして不動通りの左右を見て分かるように急な崖になっていて、支流も含めて急な流れだったことがよく分かる。

余談だが、昔は不動通りのどん突き部分に橋は架けられておらず、階段が今ほどはなくて上がったところには<すたみな太郎>があり、味的にはあまり評判は高くなかったが1−2度食べに行ったことがあった。友が食べすぎて便所で吐いていたのを憶えている。あと、東武練馬駅の改札入口に細長くて狭く横並びに立って食べるスタイルの<ジョーイハンバーガー>という100円バーガー屋があって、とても好きで150円だったかなエッグバーガーをよく食べていた。で、真緑のメロンソーダーをつけると豪華な昼メシとなった。

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2024 8/2 『買ってきたよー、ポッカリ...ポッカリぃ?ポカリ!<ぼくのポッカリスゥエットと母のデイズニーランド> 大塚の名店<中華屋 喜楽のメニューにあったフアンタとコカコラー>と大塚の今』

今から9年前のFacebookより。
一級河川の橋の袂にあった自動販売機で買った缶のポッカリスエツトはとてもおいしかったのを憶えている。

幼い頃まわりの大人の中には小さい字の発音が苦手だった人が多かったが、昭和が終わり平成になり世代交替もあり、小さい字が言いづらい人も減ってきたが、今でも高齢者にとっては言いづらい人も多いように思う。我々の祖父祖母よりも前の世代はみんな言えなかったんだよと、親から聞いたことがあるし、地方色もあるのだろうけど。
ぃ、ぅ、ぁ、ぉ...ティ、ファ、フォ、デュ....色々ありますね。

私が通っていた高校の近くにあった中華屋<喜楽>に貼ってあったメニューは<フアンタ><コカコラー>などの表記で笑ったし、ラーメン丼ぶりのつゆの中に親指が浸かって配膳されるというサービス付きでそれも楽しかった。 この頃、30数年前はまだおむすび屋<ぼんご>も列をなさない名店だった。
かつて三業地として繁栄した大塚という街は池袋駅の開業と共に、街の中心は池袋へと移り変わったものの、駅前には風俗店が林立し、◯◯性病科の大きな看板を車窓から眺めることもできた。小さく古い駅舎は今となっては駅ビルへと変わり、たくさんの東南アジア人、特にベトナム人を中心とした外国人が多く集い生活を営む街へと変わっていったが、風俗店の多さは今も変わらずに賑やかである。
2022年の正月早々にベトナム人20代男が無免許で車を運転して街路灯に突っ込んで破壊し、女性が怪我をするという事件があった。その後も、ベトナム人とネパール人による乱闘事件(包丁で切り付け、ビール瓶で頭を殴打)もあった。隣町の巣鴨ではコロナ禍に不法滞在ベトナム人による、クラブのようなカラオケバーで薬物使用売買(MDMAなどの合成麻薬、覚醒剤)をして10人が逮捕され、薬物使用により死亡者も出た。先日は豊島区で窃盗転売目的で繰返し入国したベトナム人2人が高級自転車窃盗で逮捕された。もうやりたい放題のような印象を受ける。
知人の解体屋で、祖国で親方をしていて、実習生で来日して肉体的にとても厳しい建築解体現場で懸命に働いているベトナム人がいる。そういう人の顔に泥を塗るような素行不良は日本には不要だが、これから先も不良外国人による犯罪は増える一途をたどることと思われる。
日本の良いところを共に守っていければ良いが。

 

・・・さっ、今日も酷い暑さだ。グリンダカラを飲もう。

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■さようなら<ホープ軒本舗 大塚店>
■豊島区西巣鴨 旧中山道沿い かつてあったパチンコ天国
■北区立西ヶ原みんなの公園(東京外国語大学跡地)<御薬園 谷田川の水源となる湧水>と下瀬坂 巣鴨庚申塚にあったファイト餃子<学生多数参加の大食い早食い大会>

■ルポ アンダーワールド池袋 <守られた私たち 〜池袋駅東口乗用車暴走事故〜> わたしのランニングコース&パークドランカーズ
■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
■池袋駅 東口五叉路(グリーン大通り)<キリン堂薬局>

■谷端川 2(池袋本町から小石川)
■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件

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