『人の倍やって人並み』
急に寒くって体が適応しきれていない...
うんざりしたク◯暑い夏もピタッと終わり、だいぶ走りやすくなってきた。
夜22:30頃走っているとT一枚だと寒いくらいの日もあり。
この一ヶ月あんまし酒も呑まず、調子いい日々が続いているのも+だろう、脚がよく動くし心肺もアップアップしにくい。
秋晴れの午後、ペダル踏むこと30分で3ヶ月ぶりの皇居へ。
白山通りの皇居の交差点は平川門、
その平川門は不浄門といわれ、城内で罪を犯した者や死人はこの門から外へ、大奥女中の通用門として機能していたという。勝手口のような存在でしょうか。
なので、松の廊下で吉良上野介を斬りつけた浅野内匠頭もこの門から出たという。
自転車の回転運動からランニングになるから、使う筋肉が違うんだろうからなんだかしばらくはふわふわした感覚で走ることになる。
一周目は05'30/km前後のいつものペースで...
途中に寄ったレストルーム、ポリスもルーム内を巡回中、
無事に帰れたのだろうかと心配するくらいの大失敗した人がいたようでえらいことになっててどんよりいや〜な気分になりつつも...
二周目からはペースをあげてみて、あんまし辛くないのでけっこう頑張って進んでみたらよく動くのでどんどんペースあげて...
こんなにも脚動かして走れているのは高校生以来だろうかと思い出しつつ、時計みて時間がなくなってきたので10kmで終わり。
ぜんぜんあってないけど、 10km 0:51'38" 11.6 km/h (05'09 /km)、1kmあたり10秒台を切れてベストタイムだと。5分10秒台切れるのだろうかと思っていたところクリアなので、次は35kmのLSD(ゆっくりとながい距離を走ること)をやってみよう。35kmすごく辛くなければ次はフルマラソンかな。
時間がなくなってきたので、ストレッチをして平川門をあとにする。
神保町交差点、重宝してたスーパーが閉店...
これから東京を半縦断なので体力温存で...
ひたすらペダル踏んで...
どでかいタッパーに詰まったおふくろの味の煮物その他色々ピックアップして、
ひたすらにまた踏んでおふくろの味栗ごはんその他色々ピックアップして、PORTERのでかいショルダーバッグぱんぱん。
家出てから動きっぱなしでしんどくなって帰宅19時。
Bike 34.770 km 1時間57分01秒 17.8 km/h (03'21 /km)
赤いキャップのオリジナルのマヨネーズでつくられたすっぱくて味の濃いハムキャベツサラダと栗ごはんはとても合う母の味。
毎日たくさん食べて3−4日はかかる煮物は重いほどの母の味。
『あなたの知らない世界 ベジタリアンナイト』
自分のまわりにベジタリアンがいないので、
この番組でベジタリアンのことが少しわかった。
すべらない話で知った小薮さん、彼は魚は食べるペスコ・ベジタリアンという類で、生まれた時から豚・牛肉は食べない生粋のネイティブベジタリアン。
真木蔵人さんは16歳の頃に豚・牛肉はやめて、チキンは食べるセミベジタリアンにしたという、後天的な類。
さまざまな考え環境によって肉類をやめてベジタリアンになった人が多いのかもしれませんね。
真木さんは母親と離れて暮らしていた十代の頃、
栄養管理などしっかりするようになって、食べるものを選ぶようになって、サプリメントでも他のビタミンを補っていると。
それには大きな理由もあって、自分に占めるサーフィンの割合がとても大きかったようで、尊敬するサーファーもそういう食生活だったとか。
なんでチキンは食べるかというと、おもしろいなと思ったけど、
海で生きる魚はもちろん食べるけど、鳥って海でも生活してるじゃんと。
海鳥のことですね、確かに海のもの魚貝類食べて生きている。
思想というか、幹にあるのが海で、そこから派生したものはチョイスして口にするということ。
山に住んでいる猿は山のものを食べているし、海のそばに住んでいる猿は魚や貝類を食べてるでしょ、住む環境によって違うだけ、自分は海のほうだからと。
豚や牛肉を食べると体の具合が悪くなると、真木さんも小薮さんも。
小薮さんは祖父からの影響で小薮家自体が肉を一切食べないという、思想、洗脳の世界で育ってきてもともと肉を食べないから、肉を食べたいとも思わないし受け付けないと。一般的な食生活の人となにが違うのか分らないと、いたって普通で何も変わらないと、それはそうだなと思った。
後天的ベジタリアンの人はさまざまな理由で肉を食べなくなって、ビフォアアフターで比較ができるけど、彼は比較できないわからないと。
後天的ベジタリアンの人は、例えばヨーガから入って、食にも拘るようになったりして比較できて思考もがらっと変わったり、
ベジタリアンで野菜のみの生活で生きてきたわけではなく、思想はあとから形成されてきたのだから、そう色々な変化などが分るだろうけどもと、小薮さんいわく。
肉を食べなくなってベジタリアンになってそういう思想になったのであって、自分はそうではないと。
そういう彼は、周りの人に迷惑をかけていると言う。
生活がしにくいから、彼の子供にはそういう食生活にはしていないと。
って、
ヨーガの彼女達の変化が面白かった。
五感が鋭くなって、敏感になったと。
あっちのそういうことが好きになったと。
...それほど変わるものなのでしょうか。
で、食に気を遣う男は=人にも気をつかえる、という意見もありで。
ベジタリアンの男性は体はあまり臭わないと。
食も含めて気をつかう人はアッパーなのではというふうにも聞こえた。
生活はシンプルになって、食も場所も着るものもシンプルになったと。
肉を食べる男には嫌悪感をもちながらも、好きになった人が肉を食べる人でもそれはその人の人格を好きになったことだからと。
後天的な人には死肉がだめ、フレッシュではない食べ物がだめだというのが根本にあるのだろうかと、そういうふうに思った。
小説を読んでいてもそう、
人を殺めてしまった時、魚を含めて肉がダメになってしまって、
定食を食べていてもどしてしまう...というシーン。
死=肉というふうに結びついてしまうのだろうか。
自分は牛肉の牛牛した味と匂いが苦手なので、ステーキのたぐいはほぼ食べないけども、薄切り肉のすき焼きや牛丼なんかは好きで食べる。
チャーシューや角煮なんかも好き、焼き鳥も大好きだけども、
肉肉した肉肉しい感じはやはりあまり得意ではないので、
クリスマスのぶっといモモ肉なんかは食べたいとはあまり思わない。
かといって野菜が大好きなわけでもないけども、なるべく野菜を多く食べるように
している。
身体は口に入れる食べ物で作られるから、取捨選択をして自分にとってイイものをそれぞれ取り入れることが大切ですね。
肉よりも野菜の方が値段が高いので、ある程度余裕のある人の方が野菜中心の生活にしやすいのは彼らが言っているとおりだろう。
歳を重ねていけば、ジャンクも食べられなくなるのだろうし....
と、巣鴨のマックにはバーガー類を美味しそうにたべる高齢者が多いけども。
ジャンクも食べるし、牛・豚のいわゆり肉中心生活ではないけども、
補うように野菜などの食べ物もおおく取りたいところ。
ビタミン12、鉄・亜鉛、タンパク質が少ないと、
疲れやすく体がだるくなり、冷え性貧血になりやすく、肌荒れ・記憶力の低下、タンパク質の不足によりエネルギー不足となりやすいという栄養学的意見も。
植物性よりも動物性タンパク質の方が効率よく体に吸収されるという。
逆の意見や考えもあるので一概にはいえないところでもあるらしいが...
バランスよく食べられればと思う。
野菜の食べすぎはよくないとはあまり聞かないけども、
肉の食べすぎはよくないとよく聞く。
“肉類を食べ過ぎると、コレステロールや飽和脂肪酸の摂取量が増え、脂質異常症や動脈硬化症の原因になります。” source
ま、われらの先住民は川っぺりや海っぺりに住んで、貝類や小魚を食べ、木の実や野菜中心の食生活だったのだろうから、戦前の日本人もそうだったようだから。
真木さんが最後に
「ベジタリアンの男の精◯は味がちがうんだってよ」って言ってた。
彼の彼女らがそう言ってたのでしょうね。
肉肉しく生々しくも爽やかな内容でとてもおもしろかった。
ひさしぶりに豚の角煮つくってみようかな。
『稲村 腰越中学から鎌倉高校までの急な峠の坂路、日坂』
朝4時、稲村クラシックが24年ぶりに開催されると知る。
サーフィンをしているわけでもなく、
湘南地域に由来があるわけでもなけど、
ひっかかるのは十代の頃に公開された映画 稲村ジェーンの影響で。
海っぺりに住んでいない人にとっては、
海は夏休みに遊びに行くスゴく楽しいハレの賑やかな場で憧れも抱く人も多い。
三浦や江ノ島、鎌倉由比ガ浜、逗子、葉山と夏のたびにあちこち電車で行ったし、それが車へと変わっていった。
えらい人気だった稲村ジェーン、
レンタルで観たけど内容を憶えていない...
切り通し?のようなローカルなトコをオート三輪でトコトコ走って、
龍だかおばけ出てきて、最後に桑田さんがでてきて、みたいな内容だったような??
妙に色っぽい売れっ子女優の清水美沙とローカルの雰囲気抜群、
曲はとってもよかったなと憶えている。
今は昼前、
大会はどうだったのかな、波はよかったのかな。
大船方面、腰越中学から鎌倉高校までの急な峠の坂道は日坂という...
鎌倉攻めの新田義貞軍がこの坂を越えたことからとも伝えられるが定かではない。
しかし重要な道であったことは確かで、峠の頂上鎌倉高校正門前に馬供養塔や馬頭観音塔が祀られているとのこと。
目の前に広がる海、
鎌倉幕府攻め、稲村ケ崎突破はこの峠を越えてか?
ぶつぶつと現存する鎌倉街道を巡ってみるのもいいもです。
知らずに歩いていたりしますけど。
『色の訴求力』
コーポレートカラー
JALは白と赤、
ツタヤは青と黄色、
フェラーリは赤、
マクドナルドは赤と黄色、MUJIはエンジか、
ハーレだったら黒とオレンジか、
HONDAだったら個人的にはロスマンズカラーの青白赤の組み合せのイメージが、
キリがないけども。
色によって、これはあれだと分ることはとても大切。
色別が重要なインフラは電車。
山手線だったらグリーン、中央線だったらオレンジ、京浜東北線はブルー
総武線だったら黄色。
新宿線はグリーン、三田線は青、丸ノ内線は赤に銀座線はオレンジ。
鉄道模型メーカーのカツミから国鉄カラーの色エンピツが発売。
お値段大人価格の3780円。
あ、常磐線は青緑だったと気づく...二十数年乗ってないような。
モーター壊れるんじゃないかと思うほど唸りを上げて、もう脱線しちゃうんじゃないかというくらい跳ねるわ揺れるわで経験したこがないくらいでものすごく怖かったのを憶えているエメラルドグリーンの電車。
ツートンだと...
一番下のは新幹線か
電気機関車もか...??いや、ちがう青か、横須賀線か?
微妙なちがいにみえるけど、分る人には全く違うツートンですかね。
クリーム色とエンジの特急電車には九州で一回だけ乗ったことがあるような、今でもたまに新宿で団体専用でみかけるけど。
国鉄カラー、あたりまえだけどすごく懐かしい。
郊外へと向うボックス席、冷凍みかんとお茶に弁当、カチャカチャ音がするフタの灰皿が付いていて、たばこでもっくもく。
30年ちょい前、東武東上線沿線に住んでいた頃、
クリーム色で木製の床に扇風機だけのボロッボロの電車、それがまたやつれているんだけど無骨で渋い顔で...
それと置き換わるようにステンレスの車体の新型が登場してきたあの時、
それはカッコいいような寂しいような思いで...
そのド渋なファイスのボロッボロの電車がやってくるとものすごく嬉しかったのを憶えている。それが鈍行ではなく威風堂々たる赤文字を掲げた急行だったりしたらそれはもう興奮したものです。
....
けど、大人達は快適ではない車輛ゆえに、なんだよっチッ!っとすごく嫌な態度だったけど。
スピードだすと絶叫モーター音、大人にとっては不快な激しいゆれを楽しみながら、ハレの日の乗り物ジェットコースターと同じような感覚の乗り物、荒川の上流の玉淀の鉄橋まで乗って行くのが冒険のようでとっても楽しかった。
チャリンコに乗るのと同じくらい電車に乗って遠出するのも好きだったなと。
なんか、チャリンコが単車に変わっただけのような二十代だったかもな、
それが今も続いているのだろうな。
『色の力』
ランニングの時にも意識することが大切な丹田、そこが体の重心でもある。
丹田っていうツボは元気の氣、気分の氣、気持ちの氣の発信地っていわれている。
お腹が弱ると、痛いとなにもできないように、この丹田がとっても大切で、冷やしちゃいけないともいわれているんだかって。氣を強くする方法はいろいろあるらしいけども、ふつうの人はなかなかうまくできないので、
そこで赤いパンツをはくことで丹田に力を入れるのと同じような効果が得られるんだそうな。
色の力というものは体や精神にすごく影響を与えるといわれているけども、
おもいっきり分るのが、食べものの色、
真っ青なケーキや煮魚が出されたら食べたい!と思う人はまずいないはず。
牛丼屋の看板が青と黒で構成されていたらまったく入るきにもなりません。
会議室なんかの部屋は基本色として青を中心としてグレーや淡い色なんか使われています、色の効果で冷静さを引き出すということ。
寝室の色が真っ赤だったら血圧もあがってまったく落ち着かず寝づらいし、
逆に青や黄色、緑や淡い色だったらなんとも居心地がいいので爆睡だと。
紫って昔から高貴な色、位の高い人が用いる色で、ある人にとっては緊張したりする色でもあるけども、逆に落ち着くという人も多い色。
しかし寝室には用いない方がいいともいわれている。
仕事やスポーツ時なんかでガンガン攻める時には、その人によって青中心か赤中心か分れるところ。
たまに街でみかける真っ赤っかなおばちゃんやおじちゃんもいるけども、いつまでも元気でパワフルに生活を送って行こうということなのだろう。
ペーパーさんのように全身ピンクピンクの方もよくみかけるけど、温和で元気元気な日々を過ごしたいということの現れなのだと思う。
逆に真っ青な人はまず見かけないのは、真っ青に包まれていると体温も下がり、気も弱くなりすぎちゃって、日常生活ではそこまで常にそうであると良くないということだろうか。
つうことで、白や黒グレーなどのモノトーンや渋めの色の服が多い人は肌着やパンツを明るい色にしたらよいよってこと。
そんな赤いパンツで有名な巣鴨のマルジで温度調節機能が優れているっていうアウトラスト素材の靴下を購入。
これはNASAの為に開発した(まぁよくありますね)素材で、炎天下の日でも、寒さの厳しい場所でも、人間がいちばん快適だと感じる温度(31℃〜33℃)をキープしようと働きかけるんだと。ヒートなんとかやクールなんとかで暖かいな!とか冷えて寒!と感じることができるように、このアウトラストはどうなのでしょうか。
ぴっちりとサポート力がかなりいいので、うたっている効果がわからなくてもいいかなと。
シューズの次に大切な靴下、その靴下のコンディションで走りやすさがまるで違うと分ってきたのは成長の証しなのだろう。
『大量のマヨネーズを被ったコンビーフ』
コンビーフ、最近食べたはいつだっただろうか全く記憶にない。
10年そこらじゃないような...
ある日の夜に仲間と遊んでいた時、
友が「あー腹へったっ、なんか食べよう」とストアへ向った。
友が手にして買ってきたものは、マヨネーズとコンビーフ。
まさかのコンビーフ....
マヨネーズをどっさり盛ってパクパク食べる友、
幼い頃食べ過ぎて、一緒に生きてた我がネコの餌にもちょっと似ててあまり好きじゃなかったけど...
あまりにもおいしいおいしい連呼でパックパクの友。
牛脂とマヨだから合うよなと思うも、なかなかのパンチだよなぁ〜と。
彼が好きだった傷だらけのショーケン、薄目でみると完全にショーケンで。
いつだったか、家に長いこと眠っていたのか新規で買ってきたのか...
マヨどっさり盛って食べたけどもすんごいあぶらパンチ、
そうだわ牛は得意じゃないし...で、
一口でごちそうさま。
菅野美穂がジャガイモに大量のマヨネーズを盛ってガブってるCMをみて、コンビーフを思い出し。
OFF系のマヨじゃなく、赤いキャップの大元の純正を大量塗布だったらものすっごく酸っぱいだろうなと思いつつ.......にしても、ちょっと多いかなー
タルタルソース、スパゲティサラダ、ポテトサラダ、
マヨは多めがうまいのはどこんちも同じでしょうか。
ロースハムに多めのマヨネーズ、大盛りほうれん草のおひたし、
この2つさえあれば完璧な大好きなおかず。
時間がなくてちゃちゃっと出してたおかずだったんだろうと今は思うけど、
力持ちポパイの影響か、肉肉しい肉が苦手ゆえの加工肉ハムだったのだろうか、
チビん時からずっと変わらない。
鉄板にじゅうじゅうしている分厚いステーキと
ロースハムマヨが目の前にあるなら、迷わず後者....安いもんです。
『22:30』
平日は基本朝に走ります。
予定がない休みの日は日暮れる前のラクな時に。
目が悪いので、チビの時から日暮れるとぐんと見えにくくなって目が疲れる。
物や距離などの認識能力ががくっと下がってしまうので。
車輛を運転するのもなるべく夜を避けてきている...とは言っても夜が更けてくる時間に運転することもよくあるので、そういう時はさらにゆっくり慎重に々に、
そしてメガネも運転用に視力を補正できるギリまであげてきついのにかけかえる。
それでもギリ1.0出ているかどうかかな。
なので、夜にランニングすることもほとんどない。
ま、呑んでいることも多いしと。
だけど、イレギュラーで夜に走ることもあって、
昨晩は寝る前にひとっ走りしたくなって、10km。
歩道橋を下って、前を走るがたいのいいあんちゃん、
かなり速い、どんどんペースを速くしていくのでビルドアップ走だろう。
抜かしてみようと思いつつも、追いつけずにぐーんと先へと走り去って行って...
涼しい夜、月がきれいで中秋の名月かと思い出し、脚もどんどん動くのでペースを少しずつあげていって。
5.2km先でUターン、1kmあたり05'30で折返。
残りの5kmはいつもよりペースupしても辛くならずに、1kmあたり05'11。
たまに走れる5分10秒台、今の耐力では不可能だけど、42.195kmをこのペースで走りきれたら3時間40分くらい。
信号で時計を止めて流してそのまんまコンビニのアイスケースへ。
走ったあとのアイス、ビールの方がうまいけど、これはこれでおいしい。
ストレッチしてシャワーして歯を磨いて、
肉体的には疲れるけど精神は元気になって癒されて。
夜走るのもいいものだなと思いながら瞼がおりて就寝。
街灯に照らされる町内の掲示板、五明さんの“おかえり。”
歩道に佇む掲示板、気がつかない人も多いかもしれないけど、
このポスターに癒されるわという人も多いと聞く。
CMや雑誌でだれもが一度は目にしているだろう時を超越する美女。
、matome
朝晩寒いくらいですけど、
あのア◯みたいな暑さからやっと開放されてより元気に。
『ゾワゾワ』
首もとがゾワゾワする意匠。
四輪バギーのインスパイアされたランニングシューズ。
アウトフィールド、砂地草地砂利道などの厳しい条件の地形に、
様々な角度からグリップグリップぎゅっぎゅっぎゅ。
オンロードでもOKなのだろうか?
マウンテンバイクなどのブロックのタイヤだと抵抗がかなりあるので、
アスファルトの道路を長い距離漕ぐとぐったり疲れるのと同じだろうか?
ふつうに歩くくらいならさほど疲れないだろうけど。
にしても、幼虫のようでかなりのインパクト。
ぶつぶつ恐怖症の方はムリですかね。
『団地ついでに』
前の記事で団地についてふれたけど、
自分は、木造二階建て集合住宅→一軒家の1F→大規模団地→大規模団地という住まい遍歴がある。
まぁ大規模団地に住んでいた期間が長いのだけど、
地域によって造りによってそれぞれの団地群ごとの生活環境は違っていて、
他の地域の友らの団地群に行ってその団地に住まうこと、自分のとこの団地とはまたぜんぜん違うのを感じたりと多種多様で、そんな文化も面白いなと思って少年期を過ごしていた。
かの有名な団地マニアの方、マツコのTVに出ていた時のVはこちら。
外から眺めるのはいいけど住みたいくはないと。
東雲の有名建築家設計の団地には住みたいと言ってたけど。
「住まうことはNO」って...
築30年越えでも住めば都。
「立て替えが進んでいる赤羽台の団地、一棟くらいは古いのを残して欲しいなって、一般的なマンションは居住者以外立ち入り禁止だけど、団地は立ち入り禁止せずにオープンであるべし」と...
住んでみないとわからないことが多くあると思うけど、階段の踊り場にえらいもんが放置されていたり、変なおじさん出没したり、身を投げる人もいたり、いろいろあるもんでしたけど。
...分るような気もするし、嫌ぁな感じもしてしまう人もいいかもしれない。
便利できれいな環境がいいのはみなそうですね。
初めて大規模団地に住むことになった時、
それはそれはなんて立派なコンクリートで大きな大きな住まいなんだろうと思ったもんです、花火みえるし富士山もみえるしと...30年以上前のこと。
2013 9/17 『散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社』
台風が過ぎ去った午後、夕刻前に。
南からの湿った空気でとても蒸暑い日曜日、
本番は明日未明から昼までとの予報。
横殴りの雨風が掃き出し窓を打ち付ける。
13時もすぎれば徐々に回復し、ひとっ走り。
都営三田線は巣鴨ー志村間(現 高島平)がまず最初に開通。
チンチン電車は地下鉄の開業でもって廃止された。
その後高島平ー西高島平も開通し、
西高島平から先は東武東上線に連絡する計画だったようだ。
東武とメトロ(有楽町線)と三田線も連絡していたら、
それはそれで便利だったような気もしないでもない。
ダイヤぐっちゃぐちゃか。
脱線、
中山道の志村坂上駅のところに、志村の一里塚が現存している。
都内で現存する一里塚は北区西ヶ原とここのみで、
大変重要な史跡として指定されている。
日本橋から3つ目の一里塚で、
一番目は本郷で言門通り・本郷通りと旧白山通りの交差点のところ、
二番目は板橋で近藤勇の墓付近の旧中山道のところ、
そして三番目は志村。
距離の目印として約4kmごとに設けられて、旅人の休息の場となっていた。
榎などが植えられて、日影で旅人は疲れを癒していたと。
饅頭やらおむすび、お茶なんか飲食していたのだろうか。
ここから先は台地も終わって低地になっていくが、
その途中に清水坂という坂があって、
街道筋では唯一右側に富士山を望むことができたといい、
うねった急な坂は今もその当時の姿を残している。
荒川が氾濫したら渡れないので、宿や休憩茶屋もあったと。
ながーい坂を下りちゃうと戻るのが大変なので、赤羽方面へと脚を向ける。
蒸暑い風は涼しい風におきかわり快適で脚もよく動く。
気づくと桐ヶ丘団地という都内最大規模を誇る団地群が現れる。
エリンギのようなぶっとい給水塔は団地群のアイコン。
桐ヶ丘団地ととなりの赤羽台団地は建物の老朽化でもって、
スクラップアンドビルドの真っ最中、
団地らしいデザインはもう今となっては廃れたもの、
今の団地のデザインは瀟洒なマンションのよう。
タワーマンションを途中でぶったぎったようなデザインのタワー型団地も
それは住みやすいのだろう。家賃えらい高いような気もするけど....
かつてのデザインの団地、
暗いエレベーターホールにはほぼ高齢者でチビの姿はほとんどみかけない。
それはどこの団地群でも同じような現象がおきているように思う。
チビにかわって猫が闊歩。
シーンと静かな敷地、夜の帳が降りたらそれはちょっと、
いや、知らなければかなりコワイ雰囲気でもある。
臨海地区のタワーマンションしかり、タワーマンションが人気の現在、
窓が開けられてエレベーター渋滞もないならばより快適なことだろうか。
上へ上へと派、地べた派に大きくわかれるけど、
低層のむかしの団地はそれはそれで贅沢な使い方だったように思う。
阿佐ヶ谷住宅なんか住戸へと続く小径は草木でしげって、
個人的にはタワーよりも古い低層の団地郡の趣が好きだけど。
メゾネットだったらなお。
阿佐ヶ谷テラスハウス
阿佐ヶ谷住宅、建替え。
代官山の同潤会アパートには銭湯があったように思うけど、
赤羽台の団地、単身者用は風呂トイレ別で共同浴場があったという。via
星型のスターハウスもあったと。
護国寺の裏にもスターハウスがあるけど、
今となってはとても貴重な造りです。via
テクテクと走って、公園で水分補給水浴び休憩をしていると
ママチャリのおかあちゃんが派手に転倒、
チャイルドシートの娘も横倒し...「ママぁ大丈夫ぅ?・・・」
声も出ずにうずくまる母、娘はウェーンと泣き出し...
膝小僧を少しすりむいたけども、母子共に大丈夫とのこと。
お母さんは脚を少し引きずりながら押して帰路へと...
大丈夫だったけど、心配でしばらく後ろ姿を見届けて。
なにもない歩道でも、ズルッと真横に倒れてたから砂なんかが浮いてたのかな...
メットは必須だと改めて思って、
またアシストママチャリって重いから転倒すると起こすのも力がいります。
緑道を下って行く...
台地の上からずーっとくだった緑道なので、たぶん暗渠になった川跡だと。
緑道が終わったところにノラ猫らとおばちゃんら、
ノラいじりをしているといつの間にかおばちゃんらと談笑。
ここらへん走っているの?という会話から、
あっちからずーっと走ってきたと言うと目が点にびっくりだと。
東京マラソンの話題から
健康ネタ、なんで走っているの?質問には歳を重ねていってもなるべく体動けるようにしたいしなるべくラクでいたからと返答、
猫から団地と高齢者のこと、
夫婦でマラソンしている人も多いわよね、
奥さんはマラソンしてないの?、
季節ネタ時事ネタから、
カラスと猫のエサの問題まで...
元気ねー、女性のような脚できれいだわとかなり微妙な褒められを。
20分くらい話しただろうか、
じゃぁ行くねと、また逢いましょうとーどうもありがとう、と後にして。
走っているとまぁよくおばちゃんおばあちゃんらと話すことになるけど、それも一興。
どんつき、ぶっかると新幹線の高架下。
赤羽駅のちょいさき、
赤羽の八難神社のところに出てきて。
この八幡神社は武蔵野台地のちょうどはしっこ。
神社の境内下にトンネルが掘ってあって埼京線と新幹線が通っている。
標高は20mくらいあるみたいで、
参道は心肺が口からでる級なキツイ坂になっている。
振り向けばすばらしい眺望である。
向こうから色とりどり多種の新幹線がこっちへ向って静かにやってくる。
当然、撮り鉄さんのスポットにもなっている。
蚊に喰われまいと足踏みして、
タイツの上からでもおかまいなしに刺してくる。
ひっきりなしにやってくる新幹線、
多くはE2系だったけど、たまにMAXっていう二階建て。
緑やレッドの新型は一本だけみれたけど。
200系や二階建てに乗って家族が住んでいた仙台に行ったのはだいぶ昔。
牛タン太助うまい。
埼京線よりも本数が多いのだろうか、ひっきりなしにやってくる新幹線、
東日本と東北を結ぶ大動脈、
東北から機関車で上野へはもうだいぶ昔のこと。
SNSの先輩のジョグ仲間は集団就職列車で上野にやってきたという。
北の玄関口である上野、もうすぐ上野と東京がつながって、
北や西への玄関口はもう消えようとしているのかもしれない。
熱海発黒磯行き、はたまた、いわき発小田原行き、
そんなロングランの在来線も運行されるようになるのか、東北縦貫線計画。
上野発の寝台特急は東京発になるのだろうか。
というか、全然埼京線こね〜な〜と思いつつ、神社をあとにして。
赤羽で呑んだことは何回かあるけど、
近年のうなぎ高騰でもって、あんなに安かったうなぎ弁当は
もれなく今一般的な価格へ。
立ち飲みしながらおでんもそれもいいもの。
日光御成街道沿いにあった同級生の友の家は呑み屋で、
さんざん呑ませて雑魚寝させてもらったけど、
出世払いする前にママが亡くなってしまった。
20数年くらい前までは、中山道から赤羽へと向う時、
途中まで開通して途切れた環八を通ったけど、
朝なんかはもうえらい渋滞でぜんぜん進まない環八であった。
片道一車線、動脈である北本通りの信号はあっというまに青になるので、
環八は当然混むわけで...二輪でもすり抜けはあまりできず大変だった。
で、赤羽駅を東と西と渡るのもこれまた大変だった。
今はもう高架になっているけども、
その当時はまだ一部が高架になっていなくて開かずの大踏切があって。
赤羽から東十条手前までは貨物線に東北本線・京浜東北線・赤羽線という、
そりゃ踏切開きませんね状態で、線路をまたぐのがとても大変だった。
と同時期には、
明治通りの池袋手前五叉路、貨物線と明治通りには踏切があって、
朝の渋滞時に貨物が通るとこれまた大渋滞になって大変だったと思い出し...
東北・高崎線が池袋に乗り入れるにあたって、
貨物線の線路は掘り下げされて立体になって踏切は廃止、踏切渋滞は解消された。
その後湘南新宿ラインも開通するわけだが、
開通当時は本数も今よりも少ないながらも、
赤羽〜横浜は一本で行けて大変便利になったものだと感激したものです。
あちこちの路線、開かずの踏切は渋滞の元でもって路線は地下化されて、
たくさん廃止になって、駅も地下へそして線路が撤去されて不思議な土地が出現している。
確かにあぶなくないし渋滞は減るのでいいことばかりだけども、
街をゆっくり走る電車というシーンにはそれはそれの良さがあったけども。
なんだか電車のはなしになっちゃったけど、
起伏とインフラ、
体力を温存しつつ効率よく距離をかせがないようにと地図をみるのは、
昔も今も同じ。
エンジンやモーターを使わないと、
よりラクになるべく効率よく避けられるようにと
地図で起伏を意識するようになった。
この赤羽台の八幡神社のお隣のさきっちょには学校があるけど、
古墳群が見つかって、ずーっと前の大昔はここは中心の場所だったという。
突端には史跡や城跡が多くあるのは安心安全という先人の知恵ということだろう。
新幹線が下を通る八幡様、見晴らしがよくきっつい坂と階段があるけど、
とてもいいところです。
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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
- ■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
- ■経王寺 彰義隊を攻撃した山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
- ■復活 上野清水観音 堂月の松
- ■上野東照宮
- ■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
- ■上野公園 時忘れじの塔
- ■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野 <闇市 残飯シチュー>
- ■戦没者を哀悼し平和を祈念する日 ー浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たちー 九段下<昭和館>建設時の仕事
- ■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
- ■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■印刷博物館<武士と印刷> 徳川慶喜終焉の地(文京区春日(小日向))
- ■文京区春日二丁目(小石川小日向第六天町) 徳川慶喜邸と新坂(今井坂) “徳川おてんば姫” 井出久美子
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区千石 簸川神社(氷川明神) 氷川下町会史<小石川区俯瞰図(鳥瞰図)>
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
- ■高島平の名の由来 高島流
- ■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
- ■“青天を衝け” 高島秋帆 松月院<高島秋帆先生紀功碑>と西洋砲術の演習地 徳丸ヶ原
- ■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
- ■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
- ■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
- ■江戸城 松の大廊下跡
- ■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
- ■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
- ■仙がい義梵(仙p和尚) <東輝庵> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■横浜市歴史博物館 横浜の禅 近世禅林のルーツ<東輝庵展> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■板橋区東山町 板橋城跡の候補地のひとつ長命寺 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
- ■板橋区 志村城山遺跡・志村城址 <熊野神社に残る空濠>
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■志村熊野神社所蔵絵馬・扁額・付寄進札 <絵馬殿>
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区前野町 <常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)>と板橋区小豆沢 <龍福寺建長七年板碑>
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板橋一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
- ■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
- ■北区滝野川・JR板橋駅前 新選組隊長 近藤勇が葬られた無縁塚(無縁塔) <近藤勇隊長の死と無縁塚> 寿徳寺住職 新井慧誉 著 (現住職 新井京誉) [近藤勇の墓と寿徳寺]
- ■新選組の局長 近藤勇が着用したと伝わる甲冑発見 富山県高岡市 徳川家ゆかりの古刹・国泰寺<山岡鉄舟が寄進>
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
- ■北区西ヶ原三丁目 西谷戸新道の石碑 谷戸川(谷田川・逆川/古石神井川流路)と鎌倉街道(浅草道)の外輪橋 千川上水(王子分水)に架かる観音橋
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
- ■板橋区仲宿 文殊院 子の権現 遊女の墓
- ■板橋遊郭 新藤楼
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
- ■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
- ■板橋宿(上宿) “諸国道中商人鑑”江戸時代のファストフード 即席 御休泊所 御料理 [旅籠<吉野屋>] その先岩の坂を上ると縁切榎と稲付川
- ■板橋区本町 旧中山道 <榎大六天神 縁切榎> ー絵馬は自動販売機へー
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍と加賀藩下屋敷の裏御門だった山門
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺の<寛文の庚申塔> 平尾一里塚附近にあった<加賀藩前田家下屋敷 裏御門>を移設した<山門>
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏(庚申塔・馬頭観音など)
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■板橋区蓮沼町 古道 稲付道に立っている庚申塔
- ■中仙道か中山道か
- ■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
- ■旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道 清水種苗店の本家 清水権右衛門・清水金蔵商店 <清水夏大根とその種>
- ■旧中山道<種子屋街道のあゆみ 滝野川三軒家の町並み 日本農林社のあゆみ>
- ■旧中山道 大正大学校内 日本農業を支えた種子屋街道 <中山道の種子屋[滝野川三軒家の一つ榎本家 屋号“枡屋”]>と<江戸東京野菜> <江戸・東京の農業 滝野川ニンジンとゴボウ>
- ■旧中山道はタネ屋街道 <創業明治五年 滝野川種苗株式会社>解散
- ■旧中山道 西巣鴨 庚申塚商栄会 出桁造り<伊勢屋紙店>閉業
- ■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
- ■いまむかし旧中山道 <巣鴨地蔵通り商店街>
- ■大正大学 すがも鴨台観音堂(さざえ堂)<鴨台観音結縁御手糸>
- ■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟<幸世>を重ねて
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨薬園跡 <豊島市場>
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■巣鴨遺跡 巣鴨の町屋跡 既調査地点か
- ■都電庚申塚駅 旧中山道 延命地蔵堂の石造物群
- ■豊島区巣鴨5 将軍徳川綱吉より建てる許可を受けたョ禅寺(總禅寺/そうぜんじ)の赤門 朝日通り
- ■旧丹羽家腕木門と蔵 染井霊園<藤堂家の墓所>
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■巣鴨 染井霊園 彫刻家 <高村光雲墓所(高村家)>
- ■豊島区駒込六 染井稲荷神社<染井の泉跡>と<恩賜上野動物園 ソメイヨシノの原木の候補)
- ■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
- ■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
- ■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り<米屋伊勢五などの出桁造り> 90年代中頃の新中山道(国道17号線)を走る大型三輪トラック(オート三輪)
- ■豊島区南大塚一丁目<東福寺 疫牛供養塔> 巣鴨の牧場(豊島区の牧場)
- ■豊島区南大塚一丁目<東福寺 道標 二基> 真性寺、護国寺へ 巣鴨監獄道・大塚道(折戸通り)
- ■北区立西ヶ原みんなの公園(東京外国語大学跡地)<御薬園 谷田川の水源となる湧水>と下瀬坂 巣鴨庚申塚にあったファイト餃子<学生多数参加の大食い早食い大会>
- ■文京区千石 簸川神社(氷川明神) 氷川下町会史<小石川区俯瞰図(鳥瞰図)>
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
- ■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
- ■旧中山道 平尾宿(板橋宿<上宿・中宿・平尾宿>)創業107年の銭湯 花の湯
- ■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
- ■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
- ■秋葉原 神田柳森神社 力石
- ■板橋区立大山小学校廃校<様々な家庭の子と色んな先生たち> そして板橋区高島平から大山へ半年間の通学
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
- ■板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道) 補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備(2022年2月22日加筆・写真追加)
- ■東武東上線 大山駅 駅前木造密集地域 飲屋街<闇市(ヤミ市)の名残り> 駅前広場整備事業
- ■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
- ■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
- ■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
- ■東京第二陸軍造兵廠の石碑
- ■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■JR板橋駅前 木造密集地域<ほろよい横丁>と昭和20年代初め頃<板橋駅前の闇市(ヤミ市)> ラーメンストリート
- ■王子駅前 飲食店街<柳小路商店会>
- ■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
- ■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
- ■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第二陸軍造幣廠(板橋火薬製造所)と陸軍兵器補給廠を結ぶ軍用トロッコが環七(富士見通り)をくぐっていたトンネルの遺構
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
- ■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡1 <旧野口研究所1>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡2 <旧野口研究所2>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡3 <旧理化学研究所 板橋分所1>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡4 <旧理化学研究所 板橋分所2>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡5<旧理化学研究所 板橋分所3 東京第一・第二陸軍造兵廠 電気鉄道(トロッコ) 戦前のレール跡(線路跡) >
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡6<旧野口研究所[燃焼実験室と爆薬製造実験室]>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡7<旧理化学研究所 板橋分所[物理試験室C・D・E棟]その他>
- ■王子新道の由来と花月通<千川上水に架かる花月橋>
- ■花月通りとその付近図<昭和十年前後の町並み> 花月通<千川上水に架かる花月橋>現在の花月橋跡
- ■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
- ■加賀藩と黒作り
- ■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
- ■加賀藩前田家の駕篭
- ■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
- ■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
- ■中山道 平尾一里塚(板橋一里塚) 一里塚まんじゅうと史跡
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■加賀藩江戸下屋敷 御表御門道(旧中山道入口)と宇喜多一族 小字(下板橋)浮田
- ■東光寺 加賀藩下屋敷跡 宇喜多秀家の子孫が供養の為に建立した秀家の墓(移設された供養塔) 宇喜多秀家とその一族
- ■東光寺 平尾一里塚上に造立された石造地蔵菩薩坐像
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
- ■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 【2023年3月10日 加筆:<「何か落したのですか?」と、奇妙なことを尋ねる日傘の女性>】
- ■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
- ■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■板橋区板橋2丁目・大山金井町 高田道 金井窪の峠(高稲荷山の切通し)
- ■東京府北豊島郡金井窪村 今も残る金井窪村の痕跡
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■昭和29年の雑司が谷隧道(東京都豊島区西池袋一丁目 現 ウイ・ロード) 古道<高田・雑司ヶ谷道>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■豊島区目白三・西池袋三 西武池袋線<V型 二股踏切> 廃止された長崎道踏切(古道 長崎道)と第二中里踏切
- ■古道<長崎道> 板橋区“子易神社前 高田道の辻〜熊野町 熊野神社前”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“要町一丁目〜高松二丁目 出桁造りと延命地蔵尊 ”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り<庚申通り商店会>“高松一丁目〜板橋区南町 出桁造りと南町の庚申塔(大辻の庚申塔)”
- ■古道<長崎道> 板橋区熊野町 白昼堂々男4人組の強盗 現金約900万円奪取 そして3ヶ月後逮捕
- ■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
- ■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
- ■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■TOKYO MX<江戸東京野菜の雑司ヶ谷ナスと雑司が谷の関係は?> 江戸東京野菜と種屋
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■池袋環状第5の1号線(雑司が谷・雑司ヶ谷)/明治通り(池袋駅前)迂回ルート
- ■歌川広重 [江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) 雑司ケ谷之図 茗荷屋] 豊島区雑司が谷 鬼子母神参道 欅並木<雑司ケ谷之図 茗荷屋 考>
- ■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
- ■文京区目白台 腰掛稲荷神社
- ■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
- ■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
- ■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
- ■池袋駅 東口五叉路(グリーン大通り)<キリン堂薬局>
- ■ルポ アンダーワールド池袋 <守られた私たち 〜池袋駅東口乗用車暴走事故〜> わたしのランニングコース&パークドランカーズ
- ■豊島区東池袋4丁目 再開発でも残った住宅密集地にある小さな木造集合住宅<松風荘> 昔の日出町(現 東池袋)
- ■西池袋 自由学園明日館
- ■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
- ■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
- ■板橋区志村2丁目 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔
- ■板橋区志村2丁目(志村坂上)の住宅にある庚申塔
- ■練馬区 ふじ大山道
- ■体の中にいる虫 旧川越街道にある庚申塔・板橋宿観明寺の青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔・千川上水と中丸川の分水地点の庚申塔
- ■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
- ■旧川越街道 下練馬宿
- ■板橋区上板橋2 下練馬宿近く 馬頭観世音
- ■練馬区田柄二丁目 (旧)川越街道と所沢道の追分に立つ庚申塚(庚申塔・道標) 鎌倉街道
- ■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
- ■文京区音羽一丁目 目白通り(清戸道) 目白坂(別名 不動坂)
- ■清戸道の名家
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■新宿に縄文人現る
- ■日本人のルーツ
- ■縄文人の核DNA解析
- ■2024年8月 人類はどこから来て、どこに向かうのか <人類学に起きた革命など>
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■新宿区 花園神社 内藤新宿<下宿茶屋中>の石碑
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
- ■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■旧鎌倉街道 中道編
- ■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
- ■鎌倉街道 中道 北区中十条
- ■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■板橋区赤塚 鎌倉古道
- ■板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂
- ■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
- ■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
- ■鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)
- ■上板橋宿と大山福地蔵尊
- ■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
- ■瀬田家跡地 集合住宅新築工事に伴う大山福地蔵尊改修工事
- ■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■板橋区弥生町 上板橋宿 豊敬稲荷神社の玉垣に刻まれた瀬戸川牧場
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■文京区小日向 切支丹坂に間違えられた庚申坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■現存する都内の一里塚
- ■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
- ■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
- ■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
- ■北区十条四間道路にある出桁造り
- ■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
- ■北区中十条3丁目 出桁造りを改装したセブンイレブン
- ■北区上十条2丁目の出桁造り 木田酒店
- ■北区上十条にある出桁造り<川端商店>と再開発により撤退した創業110年の<八百市 橋本青果店>
- ■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
- ■北区王子3・4丁目の出桁造り
- ■北区王子本町の出桁造り
- ■北区滝野川 三軒家 御代の台仲通り商店街の出桁造り
- ■北区西ヶ原の出桁造り
- ■目白通りにある出桁造り
- ■谷中・上野桜木の出桁造り<旧吉田屋酒店 [台東区指定有形民俗文化財]>
- ■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
- ■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
- ■文京区根津の出桁造り
- ■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
- ■文京区大塚5丁目 坂下通りにある出桁造り
- ■王子稲荷神社 御石様
- ■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
- ■北区王子二丁目 装束稲荷神社<王子の狐火と装束榎>
- ■JR貨物北王子線と廃線跡
- ■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
- ■JR貨物北王子線の廃線跡 線路撤去工事
- ■東十条駅 下十条運転区検修庫解体
- ■都営トロリーバス 東京都北区王子<王子駅前 飛鳥大坂>
- ■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
- ■文京区向丘二 光源寺境内<庚申待百万遍講中庚申塔>
- ■本郷肴町 棒兼
- ■本郷追分と追分一里塚跡
- ■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
- ■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
- ■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘(あいいそんそう)跡
- ■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
- ■滝乃川学園跡 三代目理事長 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 上板橋宿 下頭橋六蔵祠の扁額<博愛> 子爵 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 養育院の始まりと渋沢栄一
- ■洋紙発祥の地<洋紙発祥の碑> 王子 <武陽王子飛鳥山真景>
- ■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■北区上十条四丁目 姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■板橋区加賀 帝京大学医学部附属病院前 都市計画道路補助第87号線 北区上十条3丁目<本郷通り(本郷赤羽線)>へ開通 十条駅西口再開発と補助73号線
- ■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
- ■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災
- ■東日本大震災から11年 当時のこと今のこと
- ■醤油電車(東武東上線)<東上鉄道記念碑> 玉淀<荒川橋梁 樋の下>
- ■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地
- ■同潤会 上野下アパート
- ■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
- ■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
- ■駒込名主屋敷
- ■田端 東覚寺 赤紙仁王
- ■護国寺惣門
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚 泉福寺所蔵板碑
- ■板橋区成増4丁目 <愛される身代わり庚申>と<みその果樹園>
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)
- ■渋谷駅〜恵比寿駅 八幡通り<猿楽橋>の架け替えによる長期工事期間中の渋滞 迂回路と抜け道・<四反道跨線人道橋>の移動架替
『元気の源』
家庭の医学的なTV番組が最近多いと、
母から来るメールから知る。
採血によって判明する暴飲暴食によるえらいこっちゃを越えた数値らに
驚きを隠せないタレントや人間ドックや特化した脳ドックになどによって、
自分のこれからの人生の終焉を突きつけられてアワアワする俳優、デザイナー、元プロ野球選手たち。
ドクターからはまずはタバコをやめて、というようなアドバイスから始まり、
アルコール摂取をひかえるようとだいたい言われているような。
尿酸値が高くて、もういつでも発症してもおかしくないと言われて、
とりあえずまずは食欲のコントロールと食の改善から節酒、禁煙します宣言で経過観察とあいなりまして。
心臓の手術をうけてもうすっかり元気にフェイスの血色もよく、
TVの前のぼくらはすごいなぁ....と思うばかり。
でも人ごとではないわけで。
あなたはまだ若いから、元気だからと医師に言われるけど、ほんとそうなの?
そんなに薬どんどん増えて飲んでいっていいの??と、そういう人も多いと聞く、いや、まわりにそういう人が多い。
走りすぎはよくないと医師が言うのはわかる。
やってみないと分らないけど、走る習慣をとりいれている自分がそう思うから。
ただ、何か知らないけど知らない間に気持ちがいいと感じるように経てしまったので、有害という見解もあるようだけど、シリアスにならずにもう走れないと感じるまで走ろうと思う。そのうち動けなくなるのだろうからその日まで。
好きなことはずっとしてたいのはみなだれもが一緒だと思う、種類がちがうだけで。
←ま、この先生が言うように生活習慣病などは
薬に頼らずに済むようなこともあると思うので、
おいしい酒やご飯がずっと食べたければよくないところを改善したり、
摂生すればらるべくラクにずっと楽しめるようになるのだろうし。
食べすぎ呑みすぎですい炎になってもう好きな食べ物や、
たぶん一番すきだった酒をもう生涯一切呑めないようになるのは想像を絶するつらさのような気がする、そんな芸人さんは中川家兄、おまえにくわせるタンメンはねぇの河本、チュートリアルの福田だっただろうか。
堰が決壊してもう元には戻らないようになる前に、若い若くない関係なしに過信はいらないということだろうか。
血の数値があまりよくないなら、まずはちまちま時間かけて改善するのも自分を見つめ直すいい機会と思えればよし、だろうか。
ごぼう茶飲んで、暗い早朝に真冬でも水シャワーするドクターもいるように、
ちょっと過激な、イクストリームなドクターの方がおもしろいのは確か。
生涯の鼓動の回数は決まっているから激しい運動をして心臓をよく使って鼓動を早めるのはだめだといってJOGはせずに早歩きウォーキングを実践、推奨と。
はたまた、優れた脳外科医は、ストレス発散に自分で細かなルアー制作をしてキャンパーで釣りに各地に出かけるという。手先を非常に緻密に使うドクターはストレス解消でも違う脳の回路にスイッチして趣味でも細かい作業をして発散と。
普段、薬はほぼ飲んでいない生活をずっとおくってきているので(ビオフェルミンと改源をのぞく)、鎮痛剤?的なやつとか飲むとえらく効く、ような気がする。
この数年でたまに飲むようになった胃薬なんかもえらく効く。
薬は好きではないので、ここぞという時にはたいへん重宝。
お金があればより質の高い予防の医療受けられる。
健康はお金で買えることも多々あると。
朝から夫がトップギアのご家庭は、
あなたのところ、
あなたの周りにいらっしゃいますか?
朝からトップギアの妻を持つ夫は幸せなのでしょうね。
朝4時に起きてもしっとりふっくらなおいしい飯が食卓に並んでいるのだろうから。
via 40歳過ぎのランニングは「元気の浪費」:日経ビジネスオンライン
『夏の終わり』
この一週間、朝が涼しいというよりも寒い。
足のさきっちょとランニングシャツから出た肩が冷たい。
季節はいきなり変わるもの、梅雨前線が北上したら一気に夏、
南下したらあのク◯暑いのがウソのように涼しくて23℃の朝、
寒暖の差がはげしいからより寒く感じる、あ、エアコンはあまり使わないから余計そう感じるのかもしれない。
ダークグレーな空と澄んだ青い空に鱗雲が交互にやってくる9月、
水シャワーオンリーだったけど、一昨日からレギュラーに戻りお湯シャワーに。
...というか、23:30には寝て、あ〜よく寝たと時計をみると1:40には目が覚めて起床というかなり規則正しいような不規則な日々がもう一週間は続いているので、
五輪決定も新iPhoneら&docomo発売もリアルタイムでみられている。
iPhone 5Cは2年しばりで99ドル、企業間の価格サービス競争に期待して通信費をもっと下げて欲しいなと思う。
...すこぶる元気で、まっそのうち戻ると思うので秋の夜長を楽しもうと思う。
朝4時すぎ、台所に立っていると後ろが一気に明るくなるのを感じた。
ふりむくと
リビングが赤く反射している。
外を見上げると空一面、みたことがあっただろうか...
橙色の朝ぼらけ。
幾ばくかの時で赤みがすっと引き、透明になって日常に戻っていく。
強い日射しが現れる前にシューズをはいて玄関を出る。
朝早い時間、街を走るランナーを多く見かけ、
朝型生活の方がなんだか気持ちがいいよなやっぱりと改めて思いつつも、
朝方や午前中にポックリ逝く人が多いって聞くよなぁあぶないんだよなぁと無理せずゆっくりと脚を踏み込む。
夏のお祭り、
そして秋のお祭り。
じゃがバターのバターはつけ放題というけど、
バターじゃなくてあれはマーガリンだろ、とつっこむ書き込み。
イカ焼きはゲソ部分がないからどでかいイカをイカの形に切っているんだよ、とつっこむ書き込み。
あの原価はやれいくらだ、それは暴利だとやんややんやと書き込み。
高額なゲーム機を獲得するために多額の銭をつっこむも、実は外れクジしか入っていなくてそれは詐欺だとおもちゃの露天商を訴えて逮捕と。
ハレの日のこと、つっこまないでもいいことは多くある。
透明なパックに入った焼きそばはいつもよりも数倍うまい、お好み焼きしかり。
おいしい型抜きは型抜かずにバリバリ食べるセレブな友、
要らないから端っこみんなにあげるよー、
わーいわーいちょうだい!と喜ぶ友もいる。
100円あげるからこれから遊ぼうよと、
その日の晩飯までの時間を買収するセレブな友はきっと寂しいんだろうなと、よく思ったあの頃。
今日遊ぼうようち来ない?とエアコンがんがん効いた子供部屋へ誘い、おじゃますると必ずガリガリ君だっただろうかソーダアイスをくれる友。
ある日、札束のようにどっさりと両手に型抜きをわしづかんで登場する友、
経緯を聞くとなんでも、自分ちのアパートの下の物置場のブルーシートを剥がすと、露天商のおいちゃんのであろう型抜きやおもちゃなんかが大量に隠されていたんだよ!と、すごいっしょ!あげるよーと。
友はこっぴどく怒られたのは言うまでもないが、だれでも通れる屋外に保管するおいちゃんもどうかと思うと申し立てをして、友の罰の軽減に力を注いだあの頃、もう30数年も前のこと。
その万札ライクな型抜きの束の友ん家に行く時に通る◯◯西銀座商店街は幅員6mほどだったけど、道路拡張によって三十数年経た今は3車線に様変わりして、商店街は完全に消滅してしまった...その道を南下すると名称が次々と変わり、世田谷区では三宿通りと言われている。
汗だくで辛そうにしてお好み焼きを作っている店主に、
「暑いですね、頑張ってください。1つ下さい。」
「あぁどうも、チビがいるからさ、頑張んねぇとさっ、まいど!」と。
超ロングなフランクフルトをぶるんぶるん揺らして遊んで頬張る男子学生ら。
お互いに照れくさそうに祭りデートを楽しんでいる中坊、暗いとこでチュウするのも時間の問題。
・・・ハイボール1L飲酒後、業務用エアコンの直下にてキツ目の冷エアを燦々と浴びながらのあっつあつっ大勝軒も心地いい夜、のどカラッカラの食後はレモンサワーで悪循環それも一興か。
日中のひどい暑さをのぞいて、昔の夏と今の夏も変わらないもの。
いつの時季でもお祭りはいいものです。
『五重塔』
近場で思いつく五重塔は...
上野と浅草、池上だろうか。
かつて谷中にも五重塔があったと。
太平洋戦争時、谷中付近は幸いにも火から逃れられて、お寺さんなどの古い建物も数多く残っている地域である。via
谷中の五重塔は関東で一番高い塔として、谷中のランドマークになっていたが、
あるおじさんと若い娘の不倫関係でもって、
彼らの不倫の清算をはかるために身勝手にも道連れで焼失させられてしまったという悲しい出来事、もう戻らず。via
残念ではあるが、
不幸中の幸いにも実測図が残っているので復元は可能とのことだが、
莫大な建設費がかかるために自治体レベルでは難しいことだろう。
そんな谷中の五重塔は幸田露伴の“五重塔”のモデルになっている。
ということで、
明治文学はほとんど読んだことがないから、
たった20数ページということなので義母から借りて挑戦を。
....初っぱなからよくわからずで、、
ググッてあらすじを読んで内容がわかったところで、再挑戦を。
読んで読書感想文を書きなさい、と言われた学生の頃...
羅生門、坊ちゃん、我が輩は猫である、蟹工船、蜘蛛の糸、斜陽、人間失格、
何ひとつとして完読できなかった。
窓際のトットちゃんを読んで感想文を!といわれたけど、全く憶えていないので、フィニッシュできたのだろうか?提出できたのだろうか??
正直、先生から授業などで教えてもらった作品はたのしいとは思えなかった。
そんな人多いような気がするけど...
しいていえば、走れメロスが記憶にあるけど、友のために制限時間以内に懸命に走ってなにかを届けるんだか、成し遂げるっていう内容だったかな。
30〜40代だと、小説は赤川次郎でしたかね。
ショートショートの星新一作品も次郎と同じくおもしろくて何冊か読んだけど。
小説よりもなにがなんでも図鑑typeな少年ら、哀川翔のように...
家には親戚や友達からもらった図鑑がたくさんあって、とても大切にして読んでいた。図鑑を読書感想文で書いてたような記憶があるけども。
...にしても目がチカチカする文字の五重塔の文で流し読んだらさっぱり何も入ってこずにでも何度も挑めよか。
『CB250』
大きな車体で悠々と、
なるべく小さな車体で軽快にと、
大きく分けてそうなるでしょうか。
400ccでも大きく感じるので、二台持っていた頃でも、
いつも200ccのバイクによく乗っていた。
都内や近郊だったら十分だったし。
だから400ccのバイクは2年も乗らずに手放した。
重心が低くて重かったし、その対極で200ccのは重心が高くて軽かったから。
だもんで10万kmくらい乗っただろうか。丈夫でよく回ってくれるエンジンだったし。
なるべく軽くて小さいのが好きなのには理由もあって、
トラブル時、一人でもあまりゼイゼイはぁはぁせずに押せること。
停めやすくて、ひょいひょいひょいと小径を走れて、なんならちょっとした悪路もOKっていう。
スピードもさほど求めないので速い車輛でなくても十分。
パンパンパンパン、トコトコ走るのが楽しい。
だから、車検もない軽い250ccくらいの車輛が一番ぴったしなような。
←このバイクなんか乗ってみたい。
大排気量でもカスタムして車体がとても小さくてなるべく軽いのだったら、すごく楽しいのでしょうね。
2013 9/6 『加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな』』
“敗者の豊島氏(板橋氏)がやがて歴史上から忘れ去られようとしている。
それに対し太田道灌は都市開拓の功労者として銅像が建ち輝いている。
現在、豊島氏と太田道灌が戦争犯罪の裁判をしたら、
侵略者はいずれであるか陪審員である読者は判断するであろう。
真の歴史を知るには、名将の誉れのみであってはならない。
当時の庶民は、一人の貧しい老婆や自分の子供、孫の幸福のために、
権力もなく弓も刀も持たず、自然の中で作物を作っていた。
なんの野心もなく、
小川の流れに梅の花を咲かせてクワを洗う農民こそ平和な自然の歴史であり、
それを乱し己の繁栄のために城を造り天下をめざしても、真の名将とはいえない。
それは自分の欲望のためであるからだ。”
(板橋城と板橋氏 浅沼政直著 より)
・・・と太田道灌をバッサリきる著者に己の郷への想いの強さをかんじます。
豊島氏とその一族は太田道灌との戦いにやぶれ落城、
ほとんどが滅亡させられてしまったが、板橋氏は生きのびてその後活躍する。
通説によると、板橋城は環7と川越街道の交差点にある長命寺、
あるいは北区十条の稲付付近ではないかと...著者によると後者だと推測とのこと。
ちなみに前者なら国道245号線川越街道で河越城へとつづく道、
後者なら国道122号線岩槻街道(日光御成街道)で岩槻城へとつづく道。
太田道灌死後、後北条氏の支配下となった板橋氏、
板橋親盛とその養子である親棟は後北条氏に戦いの功績を認められ、
北関東に出陣し、旧今市市(現 日光市)の砦の遊城坊綱清(宇都宮氏一族)を追いだして自らこの地に広大な板橋城を築き、今も現存する板橋という名の地区を残したと。
国道121号線、栃木県日光市に何で?“板橋”という交差点があるのだろうと、
かつてそう思ったことがあるが、板橋氏と関係があったというわけで...
(写真3枚目)
板橋区にあった板橋城は豊臣秀吉による小田原征伐によって小田原城が落城し、板橋城も廃城になったとされている。
そして、今市の板橋城は徳川家康の近臣として仕えた松平一生が入城したと。
図書館にある貴重な本、とてもおもしろい。
あれやこれやで頭こんがらがるけど。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
- ■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
- ■経王寺 彰義隊を攻撃した山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
- ■復活 上野清水観音 堂月の松
- ■上野東照宮
- ■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
- ■上野公園 時忘れじの塔
- ■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野 <闇市 残飯シチュー>
- ■戦没者を哀悼し平和を祈念する日 ー浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たちー 九段下<昭和館>建設時の仕事
- ■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
- ■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■印刷博物館<武士と印刷> 徳川慶喜終焉の地(文京区春日(小日向))
- ■文京区春日二丁目(小石川小日向第六天町) 徳川慶喜邸と新坂(今井坂) “徳川おてんば姫” 井出久美子
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区千石 簸川神社(氷川明神) 氷川下町会史<小石川区俯瞰図(鳥瞰図)>
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
- ■高島平の名の由来 高島流
- ■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
- ■“青天を衝け” 高島秋帆 松月院<高島秋帆先生紀功碑>と西洋砲術の演習地 徳丸ヶ原
- ■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
- ■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
- ■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
- ■江戸城 松の大廊下跡
- ■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
- ■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
- ■仙がい義梵(仙p和尚) <東輝庵> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■横浜市歴史博物館 横浜の禅 近世禅林のルーツ<東輝庵展> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■板橋区東山町 板橋城跡の候補地のひとつ長命寺 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
- ■板橋区 志村城山遺跡・志村城址 <熊野神社に残る空濠>
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■志村熊野神社所蔵絵馬・扁額・付寄進札 <絵馬殿>
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区前野町 <常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)>と板橋区小豆沢 <龍福寺建長七年板碑>
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板橋一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
- ■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
- ■北区滝野川・JR板橋駅前 新選組隊長 近藤勇が葬られた無縁塚(無縁塔) <近藤勇隊長の死と無縁塚> 寿徳寺住職 新井慧誉 著 (現住職 新井京誉) [近藤勇の墓と寿徳寺]
- ■新選組の局長 近藤勇が着用したと伝わる甲冑発見 富山県高岡市 徳川家ゆかりの古刹・国泰寺<山岡鉄舟が寄進>
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
- ■北区西ヶ原三丁目 西谷戸新道の石碑 谷戸川(谷田川・逆川/古石神井川流路)と鎌倉街道(浅草道)の外輪橋 千川上水(王子分水)に架かる観音橋
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
- ■板橋区仲宿 文殊院 子の権現 遊女の墓
- ■板橋遊郭 新藤楼
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
- ■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
- ■板橋宿(上宿) “諸国道中商人鑑”江戸時代のファストフード 即席 御休泊所 御料理 [旅籠<吉野屋>] その先岩の坂を上ると縁切榎と稲付川
- ■板橋区本町 旧中山道 <榎大六天神 縁切榎> ー絵馬は自動販売機へー
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍と加賀藩下屋敷の裏御門だった山門
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺の<寛文の庚申塔> 平尾一里塚附近にあった<加賀藩前田家下屋敷 裏御門>を移設した<山門>
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏(庚申塔・馬頭観音など)
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■板橋区蓮沼町 古道 稲付道に立っている庚申塔
- ■中仙道か中山道か
- ■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
- ■旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道 清水種苗店の本家 清水権右衛門・清水金蔵商店 <清水夏大根とその種>
- ■旧中山道<種子屋街道のあゆみ 滝野川三軒家の町並み 日本農林社のあゆみ>
- ■旧中山道 大正大学校内 日本農業を支えた種子屋街道 <中山道の種子屋[滝野川三軒家の一つ榎本家 屋号“枡屋”]>と<江戸東京野菜> <江戸・東京の農業 滝野川ニンジンとゴボウ>
- ■旧中山道はタネ屋街道 <創業明治五年 滝野川種苗株式会社>解散
- ■旧中山道 西巣鴨 庚申塚商栄会 出桁造り<伊勢屋紙店>閉業
- ■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
- ■いまむかし旧中山道 <巣鴨地蔵通り商店街>
- ■大正大学 すがも鴨台観音堂(さざえ堂)<鴨台観音結縁御手糸>
- ■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟<幸世>を重ねて
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨薬園跡 <豊島市場>
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■巣鴨遺跡 巣鴨の町屋跡 既調査地点か
- ■都電庚申塚駅 旧中山道 延命地蔵堂の石造物群
- ■豊島区巣鴨5 将軍徳川綱吉より建てる許可を受けたョ禅寺(總禅寺/そうぜんじ)の赤門 朝日通り
- ■旧丹羽家腕木門と蔵 染井霊園<藤堂家の墓所>
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■巣鴨 染井霊園 彫刻家 <高村光雲墓所(高村家)>
- ■豊島区駒込六 染井稲荷神社<染井の泉跡>と<恩賜上野動物園 ソメイヨシノの原木の候補)
- ■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
- ■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
- ■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り<米屋伊勢五などの出桁造り> 90年代中頃の新中山道(国道17号線)を走る大型三輪トラック(オート三輪)
- ■豊島区南大塚一丁目<東福寺 疫牛供養塔> 巣鴨の牧場(豊島区の牧場)
- ■豊島区南大塚一丁目<東福寺 道標 二基> 真性寺、護国寺へ 巣鴨監獄道・大塚道(折戸通り)
- ■北区立西ヶ原みんなの公園(東京外国語大学跡地)<御薬園 谷田川の水源となる湧水>と下瀬坂 巣鴨庚申塚にあったファイト餃子<学生多数参加の大食い早食い大会>
- ■文京区千石 簸川神社(氷川明神) 氷川下町会史<小石川区俯瞰図(鳥瞰図)>
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
- ■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
- ■旧中山道 平尾宿(板橋宿<上宿・中宿・平尾宿>)創業107年の銭湯 花の湯
- ■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
- ■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
- ■秋葉原 神田柳森神社 力石
- ■板橋区立大山小学校廃校<様々な家庭の子と色んな先生たち> そして板橋区高島平から大山へ半年間の通学
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
- ■板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道) 補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備(2022年2月22日加筆・写真追加)
- ■東武東上線 大山駅 駅前木造密集地域 飲屋街<闇市(ヤミ市)の名残り> 駅前広場整備事業
- ■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
- ■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
- ■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
- ■東京第二陸軍造兵廠の石碑
- ■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■JR板橋駅前 木造密集地域<ほろよい横丁>と昭和20年代初め頃<板橋駅前の闇市(ヤミ市)> ラーメンストリート
- ■王子駅前 飲食店街<柳小路商店会>
- ■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
- ■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
- ■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第二陸軍造幣廠(板橋火薬製造所)と陸軍兵器補給廠を結ぶ軍用トロッコが環七(富士見通り)をくぐっていたトンネルの遺構
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
- ■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡1 <旧野口研究所1>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡2 <旧野口研究所2>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡3 <旧理化学研究所 板橋分所1>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡4 <旧理化学研究所 板橋分所2>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡5<旧理化学研究所 板橋分所3 東京第一・第二陸軍造兵廠 電気鉄道(トロッコ) 戦前のレール跡(線路跡) >
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡6<旧野口研究所[燃焼実験室と爆薬製造実験室]>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡7<旧理化学研究所 板橋分所[物理試験室C・D・E棟]その他>
- ■王子新道の由来と花月通<千川上水に架かる花月橋>
- ■花月通りとその付近図<昭和十年前後の町並み> 花月通<千川上水に架かる花月橋>現在の花月橋跡
- ■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
- ■加賀藩と黒作り
- ■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
- ■加賀藩前田家の駕篭
- ■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
- ■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
- ■中山道 平尾一里塚(板橋一里塚) 一里塚まんじゅうと史跡
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■加賀藩江戸下屋敷 御表御門道(旧中山道入口)と宇喜多一族 小字(下板橋)浮田
- ■東光寺 加賀藩下屋敷跡 宇喜多秀家の子孫が供養の為に建立した秀家の墓(移設された供養塔) 宇喜多秀家とその一族
- ■東光寺 平尾一里塚上に造立された石造地蔵菩薩坐像
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
- ■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 【2023年3月10日 加筆:<「何か落したのですか?」と、奇妙なことを尋ねる日傘の女性>】
- ■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
- ■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■板橋区板橋2丁目・大山金井町 高田道 金井窪の峠(高稲荷山の切通し)
- ■東京府北豊島郡金井窪村 今も残る金井窪村の痕跡
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■昭和29年の雑司が谷隧道(東京都豊島区西池袋一丁目 現 ウイ・ロード) 古道<高田・雑司ヶ谷道>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■豊島区目白三・西池袋三 西武池袋線<V型 二股踏切> 廃止された長崎道踏切(古道 長崎道)と第二中里踏切
- ■古道<長崎道> 板橋区“子易神社前 高田道の辻〜熊野町 熊野神社前”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“要町一丁目〜高松二丁目 出桁造りと延命地蔵尊 ”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り<庚申通り商店会>“高松一丁目〜板橋区南町 出桁造りと南町の庚申塔(大辻の庚申塔)”
- ■古道<長崎道> 板橋区熊野町 白昼堂々男4人組の強盗 現金約900万円奪取 そして3ヶ月後逮捕
- ■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
- ■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
- ■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■TOKYO MX<江戸東京野菜の雑司ヶ谷ナスと雑司が谷の関係は?> 江戸東京野菜と種屋
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■池袋環状第5の1号線(雑司が谷・雑司ヶ谷)/明治通り(池袋駅前)迂回ルート
- ■歌川広重 [江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) 雑司ケ谷之図 茗荷屋] 豊島区雑司が谷 鬼子母神参道 欅並木<雑司ケ谷之図 茗荷屋 考>
- ■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
- ■文京区目白台 腰掛稲荷神社
- ■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
- ■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
- ■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
- ■池袋駅 東口五叉路(グリーン大通り)<キリン堂薬局>
- ■ルポ アンダーワールド池袋 <守られた私たち 〜池袋駅東口乗用車暴走事故〜> わたしのランニングコース&パークドランカーズ
- ■豊島区東池袋4丁目 再開発でも残った住宅密集地にある小さな木造集合住宅<松風荘> 昔の日出町(現 東池袋)
- ■西池袋 自由学園明日館
- ■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
- ■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
- ■板橋区志村2丁目 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔
- ■板橋区志村2丁目(志村坂上)の住宅にある庚申塔
- ■練馬区 ふじ大山道
- ■体の中にいる虫 旧川越街道にある庚申塔・板橋宿観明寺の青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔・千川上水と中丸川の分水地点の庚申塔
- ■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
- ■旧川越街道 下練馬宿
- ■板橋区上板橋2 下練馬宿近く 馬頭観世音
- ■練馬区田柄二丁目 (旧)川越街道と所沢道の追分に立つ庚申塚(庚申塔・道標) 鎌倉街道
- ■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
- ■文京区音羽一丁目 目白通り(清戸道) 目白坂(別名 不動坂)
- ■清戸道の名家
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■新宿に縄文人現る
- ■日本人のルーツ
- ■縄文人の核DNA解析
- ■2024年8月 人類はどこから来て、どこに向かうのか <人類学に起きた革命など>
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■新宿区 花園神社 内藤新宿<下宿茶屋中>の石碑
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
- ■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■旧鎌倉街道 中道編
- ■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
- ■鎌倉街道 中道 北区中十条
- ■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■板橋区赤塚 鎌倉古道
- ■板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂
- ■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
- ■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
- ■鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)
- ■上板橋宿と大山福地蔵尊
- ■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
- ■瀬田家跡地 集合住宅新築工事に伴う大山福地蔵尊改修工事
- ■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■板橋区弥生町 上板橋宿 豊敬稲荷神社の玉垣に刻まれた瀬戸川牧場
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■文京区小日向 切支丹坂に間違えられた庚申坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■現存する都内の一里塚
- ■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
- ■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
- ■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
- ■北区十条四間道路にある出桁造り
- ■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
- ■北区中十条3丁目 出桁造りを改装したセブンイレブン
- ■北区上十条2丁目の出桁造り 木田酒店
- ■北区上十条にある出桁造り<川端商店>と再開発により撤退した創業110年の<八百市 橋本青果店>
- ■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
- ■北区王子3・4丁目の出桁造り
- ■北区王子本町の出桁造り
- ■北区滝野川 三軒家 御代の台仲通り商店街の出桁造り
- ■北区西ヶ原の出桁造り
- ■目白通りにある出桁造り
- ■谷中・上野桜木の出桁造り<旧吉田屋酒店 [台東区指定有形民俗文化財]>
- ■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
- ■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
- ■文京区根津の出桁造り
- ■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
- ■文京区大塚5丁目 坂下通りにある出桁造り
- ■王子稲荷神社 御石様
- ■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
- ■北区王子二丁目 装束稲荷神社<王子の狐火と装束榎>
- ■JR貨物北王子線と廃線跡
- ■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
- ■JR貨物北王子線の廃線跡 線路撤去工事
- ■東十条駅 下十条運転区検修庫解体
- ■都営トロリーバス 東京都北区王子<王子駅前 飛鳥大坂>
- ■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
- ■文京区向丘二 光源寺境内<庚申待百万遍講中庚申塔>
- ■本郷肴町 棒兼
- ■本郷追分と追分一里塚跡
- ■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
- ■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
- ■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘(あいいそんそう)跡
- ■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
- ■滝乃川学園跡 三代目理事長 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 上板橋宿 下頭橋六蔵祠の扁額<博愛> 子爵 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 養育院の始まりと渋沢栄一
- ■洋紙発祥の地<洋紙発祥の碑> 王子 <武陽王子飛鳥山真景>
- ■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■北区上十条四丁目 姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■板橋区加賀 帝京大学医学部附属病院前 都市計画道路補助第87号線 北区上十条3丁目<本郷通り(本郷赤羽線)>へ開通 十条駅西口再開発と補助73号線
- ■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
- ■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災
- ■東日本大震災から11年 当時のこと今のこと
- ■醤油電車(東武東上線)<東上鉄道記念碑> 玉淀<荒川橋梁 樋の下>
- ■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地
- ■同潤会 上野下アパート
- ■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
- ■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
- ■駒込名主屋敷
- ■田端 東覚寺 赤紙仁王
- ■護国寺惣門
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚 泉福寺所蔵板碑
- ■板橋区成増4丁目 <愛される身代わり庚申>と<みその果樹園>
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)
- ■渋谷駅〜恵比寿駅 八幡通り<猿楽橋>の架け替えによる長期工事期間中の渋滞 迂回路と抜け道・<四反道跨線人道橋>の移動架替