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2014 12/30
『町を守る』

町を守る連合。

今年もお世話になりました。
ありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。

暴飲暴食年末年始...
皆様良いお年をお迎えください!

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2014 12/29
『石神井川の付け替え』

かつての石神井川は武蔵野台地の上から本郷通りの下の低地、音無渓谷へと流れてガードをくぐり、明治通りをヘアピンカーブして、都電と並んで流れていた。
しかし、たび重なる洪水によって、被害がすごくて駅前もびしゃびしゃになり、住民は困っていたという。
昭和30年代になって、またもや台風の洪水被害によって、いよいよもうこれはダメだということで、川の流れを変える工事、つまり川の付け替えを行った。
音無渓谷の手前からバイパスを作って、飛鳥山の下へと通して一直線に低地へと流れを変えさせた。
一枚目の写真、右側が元々の石神井川で、左手のトンネルがバイパスで、現在はこちらのバイパスが石神井川だ。
このバイパスのために、上流から下ってきた魚はいるけど魚が遡上できないとか。
ヘアピンカーブ2ヶ所流れることなく一直線に流れるようになった為に、大分水害は減ったというが、今でも洪水被害は続いている。
何年か前のゲリラ豪雨で1時間で水位が7mも上昇して、川が溢れてここ一帯が水浸しになって、たばこの倉庫が床上浸水になり数億円分の被害が出たという。鯉が道路に打ち上げられたり、それは酷い光景だった。HP

想定外は時代によって刻々と変わっていっているということなのだろう。
今もまさに流れを変えつつある低地の石神井川、これからもずっと続くであろう異常気象、今後も注意が必要だ。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2014 12/26
『ポーターのステイン』

使ってもうすぐ10年になるポーターのショルダーバッグ。
裏はコーティングしてあるので中はあんまり濡れないのが◯で、しかも大容量なので色んな物を入れられる。
多少の雨ならばなんら問題ないので、二輪で動きまわる時には最適。
仕事道具達から買い物まで大活躍で、あちこちすり切れてきて、色も飛んできたけどけそこは吉田カバン、まだまだ使える。
ダメになったらもう一回コレを買うだろう。
メッセンジャーバッグにも似ているから二輪にはぴったりあうデザイン。
夏場、汗でぐっしょり濡れて塩をふくバッグですけどね。

...毎日さむいから、早く真夏になって欲しい。。

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2014 12/19
『石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺 』

練馬区の豊島園のそば、石神井川にかかる大橋という橋の袂に、交通の安全、村人の安全を祈って不動明王が大切に祀られている。
神奈川県伊勢原の大山へ詣でる(阿夫利神社)人々がここで禊を行ったという。
江戸時代後期には大橋はもう架けられていて、ふじ大山道へと至る要衝だったのだろう。
この道辿って行くと板橋区の赤塚にある不動の滝にも通じる。
地図の青い点が不動の滝で、この滝も大山へ詣でる人々が禊を行ったという。
下赤塚までは鎌倉街道と重複する。
江戸時代に大流行した富士大山詣で、気軽に登れるために大山詣では特に人気だったという。
明治になり、交通網も発達してもっと気軽に登れるようになった為に、大山への道標・庚申塔や、禊をした湧水も宅地開発によって減ったり枯れたりして、その役目を終えた。
しかしながら、江戸期の歴史やインフラを知る意味でも大切な史跡として、今も大切にされている。
200年も前からこの場所で人々を見守るお不動様、人々の信仰心、祈りが宿っているのだろう、威風堂々たる姿。

案内板から引用---------------------

石神井がわに架けられる「大橋」は、江戸時代後期には存在しており、埼玉道(さいたまみち)から現在の新桜台駅辺りで分岐して北西に伸び、ふじ大山道へ至る旧道(田中道)が通っていました。
向かって中央の不動明王坐像は、文政四年(一八二一)二月二十八日に旧下練馬村早淵(現在の早宮二丁目および早宮一・三・四丁目の一部)の念仏講中が建立したものです。正面には「不動明王を造立し奉り村人の安全を祈る所」と刻まれています。
向かって右側の敷石供養塔は、完成四年(一七九二)閏(うるう)二月十一日に八日講中・念仏講中
によって建立されたもので、その後享和三年(一八〇三)二月に宮ヶ谷戸(現在の早宮三・四丁目の一部および練馬三・四丁目の一部)の玄覚(げんかん)という人が金三両一分を寄進したことも刻まれています。正面には上部に不動明王を表す梵字「カーンマン」の一字が刻まれ、その下に「建立し奉る舗石供養塔」と刻まれています。
言い伝えによれば、相模の大山(神奈川県伊勢原市)へ詣でる人がここで禊を行なったといいます。かつて早淵や宮ヶ谷戸の人々が、「大橋」のたもとで交通の安全を祈願し、道や橋に敷石を行って整備していたことがわかります。

平成二十四年七月
練馬区教育委員会
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古道ならまだ何かあるかなと、大橋を渡って進んだ。
臨済宗大徳寺派 廣徳寺があった。
立派なお寺さんだなと掲示板を読んでいると、作務衣を着た若いお寺の方が出ていらして、声をかけてくださって少しお話を。
恐れ入谷の鬼子母神 びっくり下谷の広徳寺、そのお寺ですと。
なんでも、関東大震災で焼けてしまって、その後、上野の下谷からこちらに移転してきたですよと。
ここら辺もよくランニングしているし、上野もよくランニングで通るんですと言うと、でしょうね〜って....なんか読まれてた感がして笑えたけど。
またお会いしましょうと辞去。

何かとご縁がある加賀藩、加賀藩前田家や織田家も檀家で大寺院となったと。

そういうコミュニケーションも一興。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2014 12/17
『あぶないランプ』

27年前...
毎日日が暮れるまで、晩飯食べた後もスケートをしていた。
ある日、光が丘でスケートした帰りだっただろうか、仲間が「ちょっと遠いけど、ランプある公園があんだよ、行こうぜ!」と。
どんだけの距離をプッシュ(地面を蹴って進むこと)しただろうか。
結構ヘトヘトになって到着。
「ランプがある〜〜!、ってなんだ〜、一回しか滑れないじゃん!」
たぶんそんな会話だったと思う。
怖いもの見たさ的、チャレンジ精神は強かったので、トライ。
ドロップイン、段差部分手前でオーリー、コーピングにデッキを引っ掛けて...
・・・おもいっきりスッ転んだ、あたり前だ。
※ オーリー:ジャンプ、コーピング:Rの終わりのエッジ部分、ドロップイン:上の平な部分に立ってRに滑り入ること。

「じゃぁあのデカイのは?」
「これは超〜あぶねーよ、Rが急過ぎるよ!大けがするぜっ ゲラゲラケタケタ」

中学生はア◯な世代だ。でも猛烈に楽しかったな。

たまに立ち寄る縄文人がかつてどっさり暮らしていた公園...
何かコレ見たことあるなぁと、つい最近思いだした27年前のこと。
しかし、この遊具はちびっ子はどうやって遊ぶのだろうか、座ってゲームしているのは見たことがあるけど。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT -大切なひととき-
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
■GET RAD
■マドンナエア
■YouTube 作ってから1年半
■過ぎ去った夏 スケート仲間の親友の二周忌呑み会
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB
■東京オリンピック 新種目スケートボードと日本人のDNA
■池袋スケートパーク 試験運用
■HIDDEN CHAMPION #71 <HITOTZUKI -KAMI->@UNIque 恵比寿西

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2014 12/16
『奥田英朗』

奥田さんの新作、数年前のだけど。
たまに行く図書館でたまたまあってラッキー。
人気のある新作、最新作ともなると予約が200件とかえらい待ち時間になっていつ読めるのかと...最長で2週間*200人。
文庫、買うとまぁまぁ値段しますからね。
待っている人のためにすぐ読まれる方が多いのだろうけども。

沈黙の町で
中学生のいじめについての話、どういう経緯でいじめをするように、されるようになったかをさまざまな人の気持ちから描いている。
いじめている気はないけどいじめ。
たのしい内容ではないけど、ノンフィクションな感じで読めた。
どこの世界でもどの歳でも必ずあるいじめ、些細なこと死にまでもいたらしめること。
しかしすっきりしない結末で。

噂の女
ある地方都市で生きる女の話。
さまざまな人の噂で物語れている主人公の女。
たくましく生きている女。
あくまでも全部噂なので真実は誰にも分らない女。
わるいニュースで画面に出てくる女のような噂の女。
近寄ったら食べられてしまうかもしれない女。
バカなのは男だ。
奥田さんらしいあっというまに読める作品だ。

奥田さんの作品、エッセイは読んでないけど、ほぼ読んでいる。
巧み、本当におもしろいですね。

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2014 12/12
『目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸』

1枚目の写真は目白通りから新宿方面を見る。
激しく急な坂の下には神田川が流れていて、
とっても見晴らしが良く、富士見坂とよばれている。
ビル群が建っていなかった昔はすごい眺望だったのだろう。
この高台は目白台とよばれて、
台地はちょうど南に面して遮るものもなく、
陽当たりも眺望も抜群だったがゆえに、
屋敷を構える権力者が多かったのだろう。

2枚目の赤丸部分、
田中角栄邸がある。
角栄邸前を通る目白通りと
その先につながっている関越自動車道を使えば
故郷まで一本で帰れるとも言われる。

2枚目の青丸部分、
現在の椿山荘の土地は
長州藩士 奇兵隊 国軍の父 山縣有朋邸跡で、
本人はこの土地をとっても気に入っていたという。

2枚目の黒丸部分は
早稲田大学でこの土地は神田川に面する低地にあって、大隈重信邸跡。
政治家であり教育者でもある大隈重信、
庶民や学生にも親しみやすい方だったのだろうか。
一方、国民に人気がなかったともいわれている山縣とその山縣邸や、
圧倒的で善くも悪くもの田中角栄とその角栄邸は
大隈重信や庶民が暮らす低地を見下ろしているのだろうか、
と、そんな構図にも見えてしまう。

3枚目の青四角部分、
目白駅をはさんで西側には、
貴族政治家 公爵の近衛篤麿(第34-38-39代 内閣総理大臣 近衛文麿の父)が邸宅を構えた土地。

3枚目の黒四角部分
すぐ近くには尾張徳川家 徳川義親邸があり、
現在も高級住宅街 徳川ビレッジとして存在して有名。

3枚目の緑四角部分
崖に面しておとめ山公園があるが、
江戸時代にこの一帯が徳川家の狩猟地で
一般庶民は立ち入りを禁止されていたために、
おとめ山は御禁止山と書かれるそうだ。
そういう土地の縁もあって、
麻布富士見邸(現、駐日フランス大使館)からの景観に
煙突が増えたことを嫌った夫人の為に
昭和初期に目白へ引っ越してきたのだろう。

patagonia日本の第一号店として
目白の住宅街にオープンしたのはかれこれもう25年前だ。
オープンしてすぐにピンク色のシンチラと赤いスイムショーツを買い物に行った。
買い物客が通る道沿いにストアがあるのではなく、
あえて目的地となる店(デスティネーションストア)として
存在させるという考えからだと。
決して安くはないその価格、
環境に優しく品もあるアウトドアウェアメーカーだなと、
そして渋谷とかではなく、なんで目白の住宅街に出店したのだろうと思ったが、
高級、品のあるというイメージ戦略だったわけだ。
で、その通り、とりあえずpatagoniaを着ておけば
お洒落に見えるから安心だという風潮も
広がっていったと記憶している。
ジャケットもシンチラもスイムショーツも
昔の大きめサイズで、
今では普段着としてはあまり着ることがなくなってきたが、
過酷な天候の際には今でも大活躍するたのもしいウェアだ。

ノラ猫でも品よく見える目白界隈、とてもいいところです。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2014 12/11
『おひゃくど』

先日日曜日の早朝に、撮ってあった“おひゃくど〜東大阪 祈りの道”をみた。
涙も流ながれる。via

東大阪市の石切劔箭(いしきりつるぎや)神社。
20mほど離れた石を100回まわる。約4kmだ。
手に持った“こより”をひとつずつ折っていく...早歩きで1時間、祈って歩いて2時間ほどだと。取材をしようにも、人それぞれ心の中にある祈りはあえて人に言うこともないから、断られる。
早朝まだ真っ暗な時間に片道25km、車でお参りに来て、突然倒れてほぼ意識がない息子の回復を一心不乱に祈り続ける母...残された子供4人と妻に両親。
自分だったらどうするのだろうかと思った。
自分がそうなったらどうなるのかと思った。
祈ることで人々は癒されてゆくという。
名前も知らない、お互いの祈りも知らないもの同士が励ましあう。
参拝者に飲み物をたくさん差し入れする近所のおじさん。
10年間欠かさずお参りをする男性...どうしょもないことだけどと、通勤途中にゴミ拾いをしているという、しかも素手だった。

何か大変なことがあったらお参りに行く人がほとんどだと思う。
何か気持ちがいいからちょいとお参りにいくような人もいる、人それぞれ。

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2014 12/10
『ウェリントン』

どうにもこうにも自分がけると偽の正義の味方みたいになっちゃう感があるいわゆるランニングサングラス....使う時もあるけど、結局カチューシャ用途になって意味がなくて。いろいろ見てもいいなと思うものがなく...
忙しく走らないファンランだったら、もう普通ので良いかなと思って、ウェリントンを。メガネをかけて走ることが多いし、そんなに変わらないなと。
サイズが顔に合っててテンプルの長さもちょうど良くてきつめだったら、モダン(耳にひっかかる曲がった部分)も耳にジャストで喰ってくれれば、ずり落ちることもないし...っていうか、走ってても頭は上下にはほとんど動かない静かな動きだから大丈夫で。って、たまに覗く眼鏡屋でいいのあって入手。
ウェアも大人しい色で、仰々しくないサングラスだから、町中でもそれほど浮かないかなと、普段でもかけられるし。
買って帰って、かけて見せたら爆笑されて、タモさんだ〜いつかけるの??って。
ヘアーもロン毛ぎみになってきたので、みうらじゅんさんにも似てたのかな。

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2014 12/9
『石神井川 沼』

明治通りと中山道の交差点、西巣鴨から王子飛鳥山方面へと進むと、飛鳥山交差点の手前数百メートルほど坂になって少し下っていて、交差点部分が底で窪地のような地形になっている。
クネクネと流れてきたずっと昔の石神井川が、台地の縁の飛鳥山にぶつかって、それまでの東西方向とは違う南北方向へと変えて不忍池へと流れていた。
1番上の地形図をみると、流れてきた水がこの窪地に少し溜まって沼沢地のようになって、あふれて流れていたような感じにもみえる。
ある時に台地の薄くなった赤丸部分が崩壊して、石神井川は10数メートル下の低地へと流れを変えた。いわゆる河川争奪というできごと。
急激な高低差によって渓谷ができあがり、それが音無渓谷で今は親水公園として整備されている。
2枚目の写真は明治20年頃の音無川とお茶屋で、3枚目が現在でほぼ同じ位置。だんご食べて茶して楽しんでいたのだろう。

流れを変えても、巣鴨の染井霊園にあった長池の湧水も豊富だったために、石神井川がかつて流れていた川筋は残ったという。枝分かれしているその筋が谷田川(藍染川)で不忍池へと注いでいた。
流れを変えたあと、地形図の黄色い線の方向にも川が残って流れていて、かつての石神井川の流れとは逆に流れたために逆川と言われたと。
明治通りを挟んで左右にくねくねの小道が現在も残っているが、それが逆川跡のようだ。
遅かれ早かれ、薄くなった台地の縁は川に浸食されて崩壊して流れを変えていたのだろうけど、もしも河川争奪がなくて、石神井川が今も不忍池方面へと流れていたら、この飛鳥山付近は滝野川とよばれていていくつもの滝が石神井川に流れ落ちて湧水も豊富だったこともあって、今の石神井公園の三宝寺池のような、自然たっぷりの飛鳥山公園になっていたのかもしれない。
台地に暴れ川が流れて、大きな水だまりがあって、すぐ横は崖で10数メートルの高低差となるから、なかなかスリリングな光景だったのではないだろうか。

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2014 12/8
『軍師はもう最終回をむかえる』

20代の頃、この位の時季はネルシャツにカーディガンでも平気なくらいア◯なほど薄着だったけど、信じられない。
バイクに乗るときは、その上にフリースと薄手のウインドジャケットでもうばっちりだった。
「寒くないの?」ってよく驚かれていたし、ダウン着て電車乗ったらのぼせるので脱いでいたし。B3は凶器にしかみえなかった。
ムダにあった筋肉と脂肪はいちばん保温がいいアウターだ。

...筆ペンの練習を。
むつかしい。。。筆圧があるほうだから向かないんだろうな。

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2014 12/4
『生まれる』

すっかり凹むほど寒くなってきた朝...
NIKEのサーマルグローブがあたたかくてモロ快適。
2kmくらいはぜんぜん汗をかかないけど、30分も走れば、あえてのチョイスでグレーのコンプレッションウェアの背中胸脇はダークグレーに、身体もぽっかぽか....ものすごく気持ちがいい朝。

自分が1歳の頃、児童福祉施設か教会か詳しくは聞いていないけど、一時期シスターに預けられ育ててもらったことがある。この世に生を受けてすぐにイエスキリストとシスターが救ってくれた。
今でも心から感謝している。
その後も、地域の方が僕ら家族に手を差し伸べて守ってくださった。赤の他人、考えられないことだった。遠くの親戚よりも近くの他人とはこのことだと。
弘法大使や氏神様や書ききれないので割愛するけど、たくさんの方々が救ってくれたことに心から感謝している。

んなもんで、自分は宗教をもっていないけども、物心がついた時から毎日祈っている。二日酔いでたまに忘れるけど。

毎日悶々として心が晴れなかった中学生の頃、スケートに出会って、一気に元気になった。スケートに出会ってなかったら全く違う人生になっていただろう。
スケートに救われた。大げさ?いや、自分の原点だから。
だから昔の板は宝物で、ツールの一つだけど、それとはまた違う想いがあって。

一番最初にできたメソッド。(一番下の写真)
この半分くらいまでの高さまでは飛んでたと思う。
ものすごく気持ちがいい、これもそう。
早いコらはチェリー卒業...こんなに気持ちがいいことがあるんだと、13歳で初めての経験だった。

【過去記事】
■構成要素
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■オールドスクール #2
■生まれる
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■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
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■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
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■池袋スケートパーク 試験運用
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2014 12/3
『丼もの』

丼もの、男はみんな好き。
玉子でとじたのもみんな好き。

メンチの玉子とじ丼、コロッケの玉子とじ丼、買ってきたのをとりあえずとじてみるのもよくやる。

とじる必要もないのにとじた“つくねの親子丼”をこちらでみて、おいしそうだったのでやってみた。
味見できないけど、だいたいの感で味付けして焼いて、出汁入れて、たまねぎとつくねを煮て、とじて完成。うまかった。

簡単すぎるので、これもよく作るまぐろのプリン体づけ丼。
食べすぎてちょい飽きてきたので、余分な塩分を排出してくれるけど腎臓に負担がかかるカリウムアボカドを合わせてうまかった。
発泡酒もうまい。

今度はプリン体高含有鶏の唐揚げ玉子とじ高コレステロール丼やってみよう。

像像を絶する痛さだと聞く痛風....尿酸値は適度な運動の継続と飲食の管理が大変だと...
激しすぎる運動は上がるとも聞くけど...
酒飲みは何かと大変だ。

栄養素のあれこれはぜんぜん知らないけども...
身体に良いものは美味しくなくて身体に悪いものは美味しいとはよく言ったもんですね。