Content
line
2020年1月2月|3月 12|4月 123
|5月 123|6月 1237月8月
9月10月11月12月

line
2019年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
line
2018年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
line
2017年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2016年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2015年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2014年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2013年1月-2月3月-4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2012年1月-2月3月-5月6月-7月
8月-9月10月11月12月

line
2011年1月-2月3月-4月5月-6月
7月-8月9月-10月11月-12月

line
2010年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2009年1月-3月3月-5月6月-7月
8月-9月9月-10月10月-11月12月

line
2008年1月-3月4月-5月6月-9月
9月-10月11月-12月

line
2004年3月〜
  • ABOUT
  • INFORMATION
  • COLUMN
  • WORK
  • CONTACT
  • logo4
photo

2014 12/30
『町を守る』

町を守る連合。

今年もお世話になりました。
ありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。

暴飲暴食年末年始...
皆様良いお年をお迎えください!

photo

2014 12/29
『石神井川の付け替え』

かつての石神井川は武蔵野台地の上から本郷通りの下の低地、音無渓谷へと流れてガードをくぐり、明治通りをヘアピンカーブして、都電と並んで流れていた。
しかし、たび重なる洪水によって、被害がすごくて駅前もびしゃびしゃになり、住民は困っていたという。
昭和30年代になって、またもや台風の洪水被害によって、いよいよもうこれはダメだということで、川の流れを変える工事、つまり川の付け替えを行った。
音無渓谷の手前からバイパスを作って、飛鳥山の下へと通して一直線に低地へと流れを変えさせた。
一枚目の写真、右側が元々の石神井川で、左手のトンネルがバイパスで、現在はこちらのバイパスが石神井川だ。
このバイパスのために、上流から下ってきた魚はいるけど魚が遡上できないとか。
ヘアピンカーブ2ヶ所流れることなく一直線に流れるようになった為に、大分水害は減ったというが、今でも洪水被害は続いている。
何年か前のゲリラ豪雨で1時間で水位が7mも上昇して、川が溢れてここ一帯が水浸しになって、たばこの倉庫が床上浸水になり数億円分の被害が出たという。鯉が道路に打ち上げられたり、それは酷い光景だった。HP

想定外は時代によって刻々と変わっていっているということなのだろう。
今もまさに流れを変えつつある低地の石神井川、これからもずっと続くであろう異常気象、今後も注意が必要だ。

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
谷端川のお多福弁天
谷端川 田楽橋の橋桁
谷端川 大塚にある瀧不動
谷端川下水道幹線 SPR工法
谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
板橋区大山西町の用水路
石神井川 河川争奪
かつての石神井川
板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
石神井川 金剛寺にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
北区滝野川 金剛寺 冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
石神井川 板橋いこいの森
石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
石神井川 音無こぶし緑地の湧水
石神井川 正受院 不動の滝跡(瀧不動の碑)
石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
昭和の石神井川
板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願
石神井川の付け替え
石神井川 東宮降誕植桜之碑
石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神
石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
石神井川上流 下野谷遺跡
古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
弥生式土器の発見地
縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
板橋区 根ノ上遺跡
板橋区 稲荷台遺跡
王子七滝
逆川(古石神井川の流路)
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
北区 中里遺跡出土丸木舟
武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
赤羽自然観察公園の湧水
北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水
旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
台東区 須藤公園
田柄川の水源と茂呂遺跡
田柄川
石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
池袋の川 弦巻川
豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
豊島区の湧き水と池
池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
今宮神社駐車場の湧水 (水窪川の崖)
東池袋遺跡
ボクらのホームグラウンドの前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
板橋区 赤塚不動の滝と大根
板橋区 出井の泉跡(出井川)
板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
板橋区 中台馬場先貝塚
江古田川 不動橋と垢離取不動尊
江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
巣鴨遺跡 町屋跡
庚申塚 巣鴨遺跡
巣鴨遺跡 柳沢家
巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
玉川上水
新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
鎌倉街道 中道 並木橋
猿楽古代住居跡(代官山)
渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
目黒元富士跡 上目黒1―8
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
池袋富士塚と池袋貝塚
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
豊島長崎の富士塚
下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
駒込富士神社と古墳群
赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
北区赤羽北 稲成の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
秋葉原 神田柳森神社 力石
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
神楽坂ラン 赤城坂
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
新宿歴史博物館
新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
豊島区 のぞき坂
豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
豊島区 法明寺 威光稲荷堂
墨田区 都立横網町公園
本郷給水所公苑
東京都水道歴史館
椿山荘 古香井
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
北区赤羽西 真正寺坂
北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
文京区小日向 茗荷坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
消える富士見坂と豆まき
消えた日暮里富士見坂
いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
健さん 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
板橋区・北区 御代の台
北区 中十条(東十条) 地蔵坂
北区 中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
北区 岸町 三平坂

photo

2014 12/26
『ポーターのステイン』

使ってもうすぐ10年になるポーターのショルダーバッグ。
裏はコーティングしてあるので中はあんまり濡れないのが◯で、しかも大容量なので色んな物を入れられる。
多少の雨ならばなんら問題ないので、二輪で動きまわる時には最適。
仕事道具達から買い物まで大活躍で、あちこちすり切れてきて、色も飛んできたけどけそこは吉田カバン、まだまだ使える。
ダメになったらもう一回コレを買うだろう。
メッセンジャーバッグにも似ているから二輪にはぴったりあうデザイン。
夏場、汗でぐっしょり濡れて塩をふくバッグですけどね。

...毎日さむいから、早く真夏になって欲しい。。

photo

2014 12/19
『石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願 』

練馬区の豊島園のそば、石神井川にかかる大橋という橋の袂に、交通の安全、村人の安全を祈って不動明王が大切に祀られている。
神奈川県伊勢原の大山へ詣でる(阿夫利神社)人々がここで禊を行ったという。
江戸時代後期には大橋はもう架けられていて、ふじ大山道へと至る要衝だったのだろう。
この道辿って行くと板橋区の赤塚にある不動の滝にも通じる。
地図の青い点が不動の滝で、この滝も大山へ詣でる人々が禊を行ったという。
下赤塚までは鎌倉街道と重複する。
江戸時代に大流行した富士大山詣で、気軽に登れるために大山詣では特に人気だったという。
明治になり、交通網も発達してもっと気軽に登れるようになった為に、大山への道標・庚申塔や、禊をした湧水も宅地開発によって減ったり枯れたりして、その役目を終えた。
しかしながら、江戸期の歴史やインフラを知る意味でも大切な史跡として、今も大切にされている。
200年も前からこの場所で人々を見守るお不動様、人々の信仰心、祈りが宿っているのだろう、威風堂々たる姿。

案内板から引用---------------------

石神井がわに架けられる「大橋」は、江戸時代後期には存在しており、埼玉道(さいたまみち)から現在の新桜台駅辺りで分岐して北西に伸び、ふじ大山道へ至る旧道(田中道)が通っていました。
向かって中央の不動明王坐像は、文政四年(一八二一)二月二十八日に旧下練馬村早淵(現在の早宮二丁目および早宮一・三・四丁目の一部)の念仏講中が建立したものです。正面には「不動明王を造立し奉り村人の安全を祈る所」と刻まれています。
向かって右側の敷石供養塔は、完成四年(一七九二)閏(うるう)二月十一日に八日講中・念仏講中
によって建立されたもので、その後享和三年(一八〇三)二月に宮ヶ谷戸(現在の早宮三・四丁目の一部および練馬三・四丁目の一部)の玄覚(げんかん)という人が金三両一分を寄進したことも刻まれています。正面には上部に不動明王を表す梵字「カーンマン」の一字が刻まれ、その下に「建立し奉る舗石供養塔」と刻まれています。
言い伝えによれば、相模の大山(神奈川県伊勢原市)へ詣でる人がここで禊を行なったといいます。かつて早淵や宮ヶ谷戸の人々が、「大橋」のたもとで交通の安全を祈願し、道や橋に敷石を行って整備していたことがわかります。

平成二十四年七月
練馬区教育委員会
------------------------------------------

古道ならまだ何かあるかなと、大橋を渡って進んだ。
臨済宗大徳寺派 廣徳寺があった。
立派なお寺さんだなと掲示板を読んでいると、作務衣を着た若いお寺の方が出ていらして、声をかけてくださって少しお話を。
恐れ入谷の鬼子母神 びっくり下谷の広徳寺、そのお寺ですと。
なんでも、関東大震災で焼けてしまって、その後、上野の下谷からこちらに移転してきたですよと。
ここら辺もよくランニングしているし、上野もよくランニングで通るんですと言うと、でしょうね〜って....なんか読まれてた感がして笑えたけど。
またお会いしましょうと辞去。

何かとご縁がある加賀藩、加賀藩前田家や織田家も檀家で大寺院となったと。

そういうコミュニケーションも一興。

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
谷端川のお多福弁天
谷端川 田楽橋の橋桁
谷端川 大塚にある瀧不動
谷端川下水道幹線 SPR工法
谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
板橋区大山西町の用水路
石神井川 河川争奪
かつての石神井川
板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
石神井川 金剛寺にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
北区滝野川 金剛寺 冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
石神井川 板橋いこいの森
石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
石神井川 音無こぶし緑地の湧水
石神井川 正受院 不動の滝跡(瀧不動の碑)
石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
昭和の石神井川
板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願
石神井川の付け替え
石神井川 東宮降誕植桜之碑
石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神
石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
石神井川上流 下野谷遺跡
古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
弥生式土器の発見地
縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
板橋区 根ノ上遺跡
板橋区 稲荷台遺跡
王子七滝
逆川(古石神井川の流路)
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
北区 中里遺跡出土丸木舟
武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
赤羽自然観察公園の湧水
北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水
旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
台東区 須藤公園
田柄川の水源と茂呂遺跡
田柄川
石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
池袋の川 弦巻川
豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
豊島区の湧き水と池
池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
今宮神社駐車場の湧水 (水窪川の崖)
東池袋遺跡
ボクらのホームグラウンドの前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
板橋区 赤塚不動の滝と大根
板橋区 出井の泉跡(出井川)
板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
板橋区 中台馬場先貝塚
江古田川 不動橋と垢離取不動尊
江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
巣鴨遺跡 町屋跡
庚申塚 巣鴨遺跡
巣鴨遺跡 柳沢家
巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
玉川上水
新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
鎌倉街道 中道 並木橋
猿楽古代住居跡(代官山)
渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
目黒元富士跡 上目黒1―8
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
池袋富士塚と池袋貝塚
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
豊島長崎の富士塚
下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
駒込富士神社と古墳群
赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
北区赤羽北 稲成の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
秋葉原 神田柳森神社 力石
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
神楽坂ラン 赤城坂
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
新宿歴史博物館
新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
豊島区 のぞき坂
豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
豊島区 法明寺 威光稲荷堂
墨田区 都立横網町公園
本郷給水所公苑
東京都水道歴史館
椿山荘 古香井
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
北区赤羽西 真正寺坂
北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
文京区小日向 茗荷坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
消える富士見坂と豆まき
消えた日暮里富士見坂
いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
健さん 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
板橋区・北区 御代の台
北区 中十条(東十条) 地蔵坂
北区 中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
北区 岸町 三平坂

photo

2014 12/17
『あぶないランプ』

27年前...
毎日日が暮れるまで、晩飯食べた後もスケートをしていた。
ある日、光が丘でスケートした帰りだっただろうか、仲間が「ちょっと遠いけど、ランプある公園があんだよ、行こうぜ!」と。
どんだけの距離をプッシュ(地面を蹴って進むこと)しただろうか。
結構ヘトヘトになって到着。
「ランプがある〜〜!、ってなんだ〜、一回しか滑れないじゃん!」
たぶんそんな会話だったと思う。
怖いもの見たさ的、チャレンジ精神は強かったので、トライ。
ドロップイン、段差部分手前でオーリー、コーピングにデッキを引っ掛けて...
・・・おもいっきりスッ転んだ、あたり前だ。
※ オーリー:ジャンプ、コーピング:Rの終わりのエッジ部分、ドロップイン:上の平な部分に立ってRに滑り入ること。

「じゃぁあのデカイのは?」
「これは超〜あぶねーよ、Rが急過ぎるよ!大けがするぜっ ゲラゲラケタケタ」

中学生はア◯な世代だ。でも猛烈に楽しかったな。

たまに立ち寄る縄文人がかつてどっさり暮らしていた公園...
何かコレ見たことあるなぁと、つい最近思いだした27年前のこと。
しかし、この遊具はちびっ子はどうやって遊ぶのだろうか、座ってゲームしているのは見たことがあるけど。

【過去記事】
構成要素
オールドスクール
オールドスクール #2
生まれる
あぶないランプ
クルーザー
メイク
思いでの撤去
オールドスクール #3
あぶないランプその2
中年スケーター
JT
スケートボード道
スケート祓い
28年前のクルーザー
レールバー
やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
IXLオイルとガッツレーを流用
クルーズにもいいデッキ
中年スケーターのブルース
もう一度
#14
HILAQUE
VANS 50 YEARS Kickflip
MoMA
OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
AND SKATEBOARDING
Zorlac Todd Prince 高い??
梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
UNIqueでスケートボードのレクチャーを
スケートをする意味
我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
また出会って、共に生きましょう
自分のためにスケートを
オヤジスケーター
この1年半のスケートボードの練習まとめ
SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
家でスケートを MADE IN VENICE
やすらかに
スケートボードのホームグラウンド
GET RAD
マドンナエア
YouTube 作ってから1年半
久しぶりのお墓参り
第三回目
TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB

photo

2014 12/16
『奥田英朗』

奥田さんの新作、数年前のだけど。
たまに行く図書館でたまたまあってラッキー。
人気のある新作、最新作ともなると予約が200件とかえらい待ち時間になっていつ読めるのかと...最長で2週間*200人。
文庫、買うとまぁまぁ値段しますからね。
待っている人のためにすぐ読まれる方が多いのだろうけども。

沈黙の町で
中学生のいじめについての話、どういう経緯でいじめをするように、されるようになったかをさまざまな人の気持ちから描いている。
いじめている気はないけどいじめ。
たのしい内容ではないけど、ノンフィクションな感じで読めた。
どこの世界でもどの歳でも必ずあるいじめ、些細なこと死にまでもいたらしめること。
しかしすっきりしない結末で。

噂の女
ある地方都市で生きる女の話。
さまざまな人の噂で物語れている主人公の女。
たくましく生きている女。
あくまでも全部噂なので真実は誰にも分らない女。
わるいニュースで画面に出てくる女のような噂の女。
近寄ったら食べられてしまうかもしれない女。
バカなのは男だ。
奥田さんらしいあっというまに読める作品だ。

奥田さんの作品、エッセイは読んでないけど、ほぼ読んでいる。
巧み、本当におもしろいですね。

photo

2014 12/12
『目白台 台地の屋敷』

1枚目の写真は目白通りから新宿方面を見る。
激しく急な坂の下には神田川が流れていて、
とっても見晴らしが良く、富士見坂とよばれている。
ビル群が建っていなかった昔はすごい眺望だったのだろう。
この高台は目白台とよばれて、
台地はちょうど南に面して遮るものもなく、
陽当たりも眺望も抜群だったがゆえに、
屋敷を構える権力者が多かったのだろう。

2枚目の赤丸部分、
田中角栄邸がある。
角栄邸前を通る目白通りと
その先につながっている関越自動車道を使えば
故郷まで一本で帰れるとも言われる。

2枚目の青丸部分、
現在の椿山荘の土地は
長州藩士 奇兵隊 国軍の父 山縣有朋邸跡で、
本人はこの土地をとっても気に入っていたという。

2枚目の黒丸部分は
早稲田大学でこの土地は神田川に面する低地にあって、大隈重信邸跡。
政治家であり教育者でもある大隈重信、
庶民や学生にも親しみやすい方だったのだろうか。
一方、国民に人気がなかったともいわれている山縣とその山縣邸や、
圧倒的で善くも悪くもの田中角栄とその角栄邸は
大隈重信や庶民が暮らす低地を見下ろしているのだろうか、
と、そんな構図にも見えてしまう。

3枚目の青四角部分、
目白駅をはさんで西側には、
貴族政治家 公爵の近衛篤麿(第34-38-39代 内閣総理大臣 近衛文麿の父)が邸宅を構えた土地。

3枚目の黒四角部分
すぐ近くには尾張徳川家 徳川義親邸があり、
現在も高級住宅街 徳川ビレッジとして存在して有名。

3枚目の緑四角部分
崖に面しておとめ山公園があるが、
江戸時代にこの一帯が徳川家の狩猟地で
一般庶民は立ち入りを禁止されていたために、
おとめ山は御禁止山と書かれるそうだ。
そういう土地の縁もあって、
麻布富士見邸(現、駐日フランス大使館)からの景観に
煙突が増えたことを嫌った夫人の為に
昭和初期に目白へ引っ越してきたのだろう。

patagonia日本の第一号店として
目白の住宅街にオープンしたのはかれこれもう25年前だ。
オープンしてすぐにピンク色のシンチラと赤いスイムショーツを買い物に行った。
買い物客が通る道沿いにストアがあるのではなく、
あえて目的地となる店(デスティネーションストア)として
存在させるという考えからだと。
決して安くはないその価格、
環境に優しく品もあるアウトドアウェアメーカーだなと、
そして渋谷とかではなく、なんで目白の住宅街に出店したのだろうと思ったが、
高級、品のあるというイメージ戦略だったわけだ。
で、その通り、とりあえずpatagoniaを着ておけば
お洒落に見えるから安心だという風潮も
広がっていったと記憶している。
ジャケットもシンチラもスイムショーツも
昔の大きめサイズで、
今では普段着としてはあまり着ることがなくなってきたが、
過酷な天候の際には今でも大活躍するたのもしいウェアだ。

ノラ猫でも品よく見える目白界隈、とてもいいところです。

【過去記事】
幕末を巡って
復活 上野清水観音 堂月の松
上野東照宮
散歩JOG
身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
高島平の名の由来 高島流
文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡
遺されたものが語ること#2 石神井城跡
仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
上野公園 時忘れじの塔
浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
墨田区 都立横網町公園
豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
板橋区仲宿 文殊院 子の権現
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 重蓮寺跡 参道
板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
旧中山道はタネ屋(種屋)街道
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額
旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
中仙道か中山道か
神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
東京第二陸軍造兵廠の石碑
東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚跡
新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
庚申信仰 体の中にいる虫
練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
練馬区 ふじ大山道
清戸道の名家
池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
新宿に縄文人現る
日本人のルーツ
縄文人の核DNA解析
縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
板橋区赤塚 鎌倉古道
豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
本郷肴町 棒兼
池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
現存する都内の一里塚
散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
巣鴨遺跡 町屋跡
庚申塚 巣鴨遺跡
巣鴨遺跡 柳沢家
巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
北区十条四軒道路にある出桁造り
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
北区王子本町の出桁造り
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
王子稲成神社 御石様
王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
JR貨物北王子線と廃線跡
JR貨物北王子線と廃線跡と映像
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
本郷追分と追分一里塚跡
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
電話番号の表札
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
滝乃川学園跡
西池袋 自由学園明日館
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック
江戸城 松の大廊下跡
醤油電車(東武東上線)
下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
同潤会 上野下アパート
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り
駒込名主屋敷
谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
護国寺惣門
北区 中十条(東十条) 地蔵坂
北区 中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
北区上十条2丁目の出桁造り
北区滝野川八幡通りにある出桁造り
東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地

photo

2014 12/11
『おひゃくど』

先日日曜日の早朝に、撮ってあった“おひゃくど〜東大阪 祈りの道”をみた。
涙も流ながれる。via

東大阪市の石切劔箭(いしきりつるぎや)神社。
20mほど離れた石を100回まわる。約4kmだ。
手に持った“こより”をひとつずつ折っていく...早歩きで1時間、祈って歩いて2時間ほどだと。取材をしようにも、人それぞれ心の中にある祈りはあえて人に言うこともないから、断られる。
早朝まだ真っ暗な時間に片道25km、車でお参りに来て、突然倒れてほぼ意識がない息子の回復を一心不乱に祈り続ける母...残された子供4人と妻に両親。
自分だったらどうするのだろうかと思った。
自分がそうなったらどうなるのかと思った。
祈ることで人々は癒されてゆくという。
名前も知らない、お互いの祈りも知らないもの同士が励ましあう。
参拝者に飲み物をたくさん差し入れする近所のおじさん。
10年間欠かさずお参りをする男性...どうしょもないことだけどと、通勤途中にゴミ拾いをしているという、しかも素手だった。

何か大変なことがあったらお参りに行く人がほとんどだと思う。
何か気持ちがいいからちょいとお参りにいくような人もいる、人それぞれ。

photo

2014 12/10
『ウェリントン』

どうにもこうにも自分がけると偽の正義の味方みたいになっちゃう感があるいわゆるランニングサングラス....使う時もあるけど、結局カチューシャ用途になって意味がなくて。いろいろ見てもいいなと思うものがなく...
忙しく走らないファンランだったら、もう普通ので良いかなと思って、ウェリントンを。メガネをかけて走ることが多いし、そんなに変わらないなと。
サイズが顔に合っててテンプルの長さもちょうど良くてきつめだったら、モダン(耳にひっかかる曲がった部分)も耳にジャストで喰ってくれれば、ずり落ちることもないし...っていうか、走ってても頭は上下にはほとんど動かない静かな動きだから大丈夫で。って、たまに覗く眼鏡屋でいいのあって入手。
ウェアも大人しい色で、仰々しくないサングラスだから、町中でもそれほど浮かないかなと、普段でもかけられるし。
買って帰って、かけて見せたら爆笑されて、タモさんだ〜いつかけるの??って。
ヘアーもロン毛ぎみになってきたので、みうらじゅんさんにも似てたのかな。

photo

2014 12/9
『石神井川 沼』

明治通りと中山道の交差点、西巣鴨から王子飛鳥山方面へと進むと、飛鳥山交差点の手前数百メートルほど坂になって少し下っていて、交差点部分が底で窪地のような地形になっている。
クネクネと流れてきたずっと昔の石神井川が、台地の縁の飛鳥山にぶつかって、それまでの東西方向とは違う南北方向へと変えて不忍池へと流れていた。
1番上の地形図をみると、流れてきた水がこの窪地に少し溜まって沼沢地のようになって、あふれて流れていたような感じにもみえる。
ある時に台地の薄くなった赤丸部分が崩壊して、石神井川は10数メートル下の低地へと流れを変えた。いわゆる河川争奪というできごと。
急激な高低差によって渓谷ができあがり、それが音無渓谷で今は親水公園として整備されている。
2枚目の写真は明治20年頃の音無川とお茶屋で、3枚目が現在でほぼ同じ位置。だんご食べて茶して楽しんでいたのだろう。

流れを変えても、巣鴨の染井霊園にあった長池の湧水も豊富だったために、石神井川がかつて流れていた川筋は残ったという。枝分かれしているその筋が谷田川(藍染川)で不忍池へと注いでいた。
流れを変えたあと、地形図の黄色い線の方向にも川が残って流れていて、かつての石神井川の流れとは逆に流れたために逆川と言われたと。
明治通りを挟んで左右にくねくねの小道が現在も残っているが、それが逆川跡のようだ。
遅かれ早かれ、薄くなった台地の縁は川に浸食されて崩壊して流れを変えていたのだろうけど、もしも河川争奪がなくて、石神井川が今も不忍池方面へと流れていたら、この飛鳥山付近は滝野川とよばれていていくつもの滝が石神井川に流れ落ちて湧水も豊富だったこともあって、今の石神井公園の三宝寺池のような、自然たっぷりの飛鳥山公園になっていたのかもしれない。
台地に暴れ川が流れて、大きな水だまりがあって、すぐ横は崖で10数メートルの高低差となるから、なかなかスリリングな光景だったのではないだろうか。

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
谷端川のお多福弁天
谷端川 田楽橋の橋桁
谷端川 大塚にある瀧不動
谷端川下水道幹線 SPR工法
谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
板橋区大山西町の用水路
石神井川 河川争奪
かつての石神井川
板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
石神井川 金剛寺にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
北区滝野川 金剛寺 冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
石神井川 板橋いこいの森
石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
石神井川 音無こぶし緑地の湧水
石神井川 正受院 不動の滝跡(瀧不動の碑)
石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
昭和の石神井川
板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願
石神井川の付け替え
石神井川 東宮降誕植桜之碑
石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神
石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
石神井川上流 下野谷遺跡
古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
弥生式土器の発見地
縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
板橋区 根ノ上遺跡
板橋区 稲荷台遺跡
王子七滝
逆川(古石神井川の流路)
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
北区 中里遺跡出土丸木舟
武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
赤羽自然観察公園の湧水
北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水
旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
台東区 須藤公園
田柄川の水源と茂呂遺跡
田柄川
石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
池袋の川 弦巻川
豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
豊島区の湧き水と池
池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
今宮神社駐車場の湧水 (水窪川の崖)
東池袋遺跡
ボクらのホームグラウンドの前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
板橋区 赤塚不動の滝と大根
板橋区 出井の泉跡(出井川)
板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
板橋区 中台馬場先貝塚
江古田川 不動橋と垢離取不動尊
江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
巣鴨遺跡 町屋跡
庚申塚 巣鴨遺跡
巣鴨遺跡 柳沢家
巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
玉川上水
新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
鎌倉街道 中道 並木橋
猿楽古代住居跡(代官山)
渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
目黒元富士跡 上目黒1―8
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
池袋富士塚と池袋貝塚
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
豊島長崎の富士塚
下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
駒込富士神社と古墳群
赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
北区赤羽北 稲成の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
秋葉原 神田柳森神社 力石
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
神楽坂ラン 赤城坂
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
新宿歴史博物館
新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
豊島区 のぞき坂
豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
豊島区 法明寺 威光稲荷堂
墨田区 都立横網町公園
本郷給水所公苑
東京都水道歴史館
椿山荘 古香井
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
北区赤羽西 真正寺坂
北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
文京区小日向 茗荷坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
消える富士見坂と豆まき
消えた日暮里富士見坂
いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
健さん 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
板橋区・北区 御代の台
北区 中十条(東十条) 地蔵坂
北区 中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
北区 岸町 三平坂

photo

2014 12/8
『軍師はもう最終回をむかえる』

20代の頃、この位の時季はネルシャツにカーディガンでも平気なくらいア◯なほど薄着だったけど、信じられない。
バイクに乗るときは、その上にフリースと薄手のウインドジャケットでもうばっちりだった。
「寒くないの?」ってよく驚かれていたし、ダウン着て電車乗ったらのぼせるので脱いでいたし。B3は凶器にしかみえなかった。
ムダにあった筋肉と脂肪はいちばん保温がいいアウターだ。

...筆ペンの練習を。
むつかしい。。。筆圧があるほうだから向かないんだろうな。

photo

2014 12/4
『生まれる』

すっかり凹むほど寒くなってきた朝...
NIKEのサーマルグローブがあたたかくてモロ快適。
2kmくらいはぜんぜん汗をかかないけど、30分も走れば、あえてのチョイスでグレーのコンプレッションウェアの背中胸脇はダークグレーに、身体もぽっかぽか....ものすごく気持ちがいい朝。

自分が1歳の頃、児童福祉施設か教会か詳しくは聞いていないけど、一時期シスターに預けられ育ててもらったことがある。この世に生を受けてすぐにイエスキリストとシスターが救ってくれた。
今でも心から感謝している。
その後も、地域の方が僕ら家族に手を差し伸べて守ってくださった。赤の他人、考えられないことだった。遠くの親戚よりも近くの他人とはこのことだと。
弘法大使や氏神様や書ききれないので割愛するけど、たくさんの方々が救ってくれたことに心から感謝している。

んなもんで、自分は宗教をもっていないけども、物心がついた時から毎日祈っている。二日酔いでたまに忘れるけど。

毎日悶々として心が晴れなかった中学生の頃、スケートに出会って、一気に元気になった。スケートに出会ってなかったら全く違う人生になっていただろう。
スケートに救われた。大げさ?いや、自分の原点だから。
だから昔の板は宝物で、ツールの一つだけど、それとはまた違う想いがあって。

一番最初にできたメソッド。(一番下の写真)
この半分くらいまでの高さまでは飛んでたと思う。
ものすごく気持ちがいい、これもそう。
早いコらはチェリー卒業...こんなに気持ちがいいことがあるんだと、13歳で初めての経験だった。

【過去記事】
構成要素
オールドスクール
オールドスクール #2
生まれる
あぶないランプ
クルーザー
メイク
思いでの撤去
オールドスクール #3
あぶないランプその2
中年スケーター
JT
スケートボード道
スケート祓い
28年前のクルーザー
レールバー
やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
IXLオイルとガッツレーを流用
クルーズにもいいデッキ
中年スケーターのブルース
もう一度
#14
HILAQUE
VANS 50 YEARS Kickflip
MoMA
OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
AND SKATEBOARDING
Zorlac Todd Prince 高い??
梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
UNIqueでスケートボードのレクチャーを
スケートをする意味
我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
また出会って、共に生きましょう
自分のためにスケートを
オヤジスケーター
この1年半のスケートボードの練習まとめ
SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
家でスケートを MADE IN VENICE
やすらかに
スケートボードのホームグラウンド
GET RAD
マドンナエア
YouTube 作ってから1年半
久しぶりのお墓参り
第三回目
TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB

photo

2014 12/3
『丼もの』

丼もの、男はみんな好き。
玉子でとじたのもみんな好き。

メンチの玉子とじ丼、コロッケの玉子とじ丼、買ってきたのをとりあえずとじてみるのもよくやる。

とじる必要もないのにとじた“つくねの親子丼”をこちらでみて、おいしそうだったのでやってみた。
味見できないけど、だいたいの感で味付けして焼いて、出汁入れて、たまねぎとつくねを煮て、とじて完成。うまかった。

簡単すぎるので、これもよく作るまぐろのプリン体づけ丼。
食べすぎてちょい飽きてきたので、余分な塩分を排出してくれるけど腎臓に負担がかかるカリウムアボカドを合わせてうまかった。
発泡酒もうまい。

今度はプリン体高含有鶏の唐揚げ玉子とじ高コレステロール丼やってみよう。

像像を絶する痛さだと聞く痛風....尿酸値は適度な運動の継続と飲食の管理が大変だと...
激しすぎる運動は上がるとも聞くけど...
酒飲みは何かと大変だ。

栄養素のあれこれはぜんぜん知らないけども...
身体に良いものは美味しくなくて身体に悪いものは美味しいとはよく言ったもんですね。