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2020 9/8 『志村城山公園の湧水と志村城跡』

国道17号線の志村坂上交差点、交番横の旧中山道を進んで行くと、90度ぐるっと曲がった清水坂になる。
清水坂を中山道方面ではない方へ進むと志村城山公園がある。
名の通りにかつてこの場所に志村城があったが、関東を攻めてきた後北条氏によって落城した。
その志村城跡の崖下に志村城山公園があり、ここにも湧水が流れ出していて、池として整備されている。
水量は多くはないが、常時流れて落ちて、途切れることはほぼないようだ。

いたばしの地名から引用ーーーーーーーー
<清水坂>
中山道の台地から荒川低地へ下る坂の名前です。
志村坂、隠岐坂、地蔵坂などとも呼ばれます。
坂を下った先が、荒川べりまで志村の原と呼ばれ、桜草が咲き乱れる原野でした。
坂の途中、カーブの関係で、いつも左手に見える富士山が右手に見え、「右富士」と呼ばれた。
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※志村城山公園の湧水の映像をリンクさせている。
(720×1280 36.1MB mp4 こちら

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■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
■志村城山公園の湧水と志村城跡
■板橋区 小豆沢公園の湧水 #1
■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池
■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
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■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな

■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視>
■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
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■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓

■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
■赤羽自然観察公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2020 9/7 『旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水』

国道17号線の志村坂上交差点、交番横の旧中山道を進んで行くと、90度ぐるっと曲がった清水坂になる。
その先の崖下(地図の青四角部分)に豊富な水量の湧水がある。
映像で見ていただくと分かるが、結構な水量で湧きだしている。
水はすぐに排水口に流れ落ちているが、溜めれば池にでも成りうるような気がする。

武蔵野台地の北側であるこの地域は、現在でも湧水が豊富だが、かつてはもっと豊富だったことだろう。
昔の徳丸ヶ原(現 高島平)は荒川の氾濫源で、下町から洪水を守るために、この一帯を広大な調整池としていたという。
その後は、この地域一面、田畑で東京の米所だったが、高度成長期に、武蔵野台地の上に林立した工場群などの汚水が、この低地に流れこんでしまい、田畑は汚れて農作物は育たなくなった。
その後、大規模な都市開発によって、徳丸ヶ原は高島平という町になり、田畑に巡りはらせていた用水路のほとんどが姿を消し、赤塚に源泉を持つ前谷津川や出井川、蓮根川は暗渠となった。
自殺の名所として有名になった高島平の団地群や、都営三田線の西台駅隣りにそびえる団地は、志村車両検修場の上に人工地盤を造り、その上に建っていることから、よくテレビの取材で取り上げられていた。

余談だが、この湧水の近くにかつてローラースケート場があり、よく滑りに行っていた。その後スケート場は閉鎖され、ゴーカート場になったが、あまり長続きせずに閉鎖となった。

いたばしの地名から引用ーーーーーーーー
<清水坂>
中山道の台地から荒川低地へ下る坂の名前です。
志村坂、隠岐坂、地蔵坂などとも呼ばれます。
坂を下った先が、荒川べりまで志村の原と呼ばれ、桜草が咲き乱れる原野でした。
坂の途中、カーブの関係で、いつも左手に見える富士山が右手に見え、「右富士」と呼ばれた。
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※志村二丁目の湧水の映像をリンクさせている。
(720×1280 15.9MB mp4 こちら

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2020 9/4 『旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水』

地図の右下、国道17号線、志村坂上交差点の左の脇道(旧中山道)を進むと清水坂がある。

いたばしの地名から引用ーーーーーーーー
<清水坂>
中山道の台地から荒川低地へ下る坂の名前です。
志村坂、隠岐坂、地蔵坂などとも呼ばれます。
坂を下った先が、荒川べりまで志村の原と呼ばれ、桜草が咲き乱れる原野でした。
坂の途中、カーブの関係で、いつも左手に見える富士山が右手に見え、「右富士」と呼ばれた。
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清水坂は文字どおり、清水が湧き出し滴る崖を持っている。
坂を下ると、都営三田線が地下から飛び出してきて、その線路脇に志村清水坂緑地(清水坂公園)がある。
武蔵野台地の崖下(崖線)という立地で、今も昔も湧水が豊富でいくつもあることでも有名。
その一つである、志村清水坂緑地(清水坂公園)は、かつては親水公園のように整備されていたようだが、現在はパーゴラがあるくらいの設備しかない。
しかし、園内の線路脇に湧水を使ったのだろうか、水がちょろちょろ流れて水たまりになっている。(写真上から7枚目)
濁って苔だらけで綺麗な設備ではないのが残念。

そして、都営三田線のガード下の排水溝を覗くと、こちらにも豊富な水量の湧水が流れている。
かつてはこの湧水を使った演出の公園だったのだろうが、今は手つかずの寂しい公園となっている。

※都営三田線ガード下の湧水の映像をリンクさせている。
(720×1280 33.4MB mp4 こちら


一番下の写真、この急な坂は平次坂と呼ばれている。
いたばしの地名から引用ーーーーーーーー
<平次坂>
いつの頃か平次と云う人が開いたと言います。
台地の上と下を結ぶ坂道で清水坂を回らなくとも近道なので、農家の人々が利用していました。
急勾配に加えて崖からの清水が道いっぱいに流れているので歩くのに大変でした。
この様なところなので蛇が多く平次が転訛して「へび坂」と呼ばれていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このことからも、この清水坂周辺は湧水が豊富だったことがわかる。

国道17号線(新中山道)の向う側の小豆沢の崖線からも湧水があり、池として整備されていて、子供達が水生昆虫採集の水遊びを楽しくやっている。

余談だが、地図の国道17号線と環八の交差点近く、緑色四角あたりにかつて(35年くらい前)釣り堀小屋があった。銭湯のように地下水を汲み上げた釣り堀だったのだろうか、それとも湧水も使ったのだろうか。
崖下の湧水が豊富な地域ゆえの商売だったのだろうか。なんだかおもしろいなと思った。
その後、釣り堀は閉店し、跡地には背脂多めの豚骨ラーメン屋が入ったが、来客してから釜に火を入れるようなお店で、とってもぬるいスープが特徴的なラーメン屋だった。釣り堀は撤去されていたが、在りし日の釣り堀の中で調理していて、ラーメンを啜っている空間がなんとも不思議な感覚を憶えたのを憶えている。

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■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
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2020 9/3 『国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡』

地図の黒丸部分、加賀公園の隣りに国指定史跡となった陸軍の施設がある。

パンフレットから引用ーーーーーーーー
板橋火薬製造所は、明治9年(1876)、現在の板橋区加賀地域に所在した加賀藩下屋敷の跡地に設置された官営工場です。
明治政府が初めて設置した近代的な火薬製造所であり、昭和20年(1945)まで国内有数の火薬工場として稼働していました。
第二次世界大戦後、火薬製造所はその役割を終え、その跡地には研究所や学校、工場などが入居して活動することになり、現在につながる加賀地域へと姿を変えてきました。
板橋区は、明治初年からの火薬製造所の歴史を、「工都」板橋における工業のさきがけとして位置付けるとともに、その遺構や建造物を近代化遺産・産業遺産として評価しています。また、製造所内に置かれていた火薬研究所による最先端の研究が、戦後日本の科学技術の発展に大きな貢献を果たしたことも重要な点です。
こうした近代的な火薬製造所と研究所の歴史的価値が認められ、平成29年10月、加賀一丁目7および8番の地域とそこに残された火薬製造所の遺構や建造物を含め、国の史跡に指定されました。

延宝七年(一六七九)、加賀藩前田家が板橋宿平尾の地に江戸幕府から屋敷地を拝領しました。
前田家はここに下屋敷をおき、最終的には21万7千坪にも及ぶ、大名屋敷の中でも最大の面積を誇りました。
幕末には、石神井川の水力を動力源として、西洋流の大砲鋳造が行行われました。
明治九年、加賀藩下屋敷の跡地の一部に、国内初の官営の火薬製造所である、陸軍砲兵本廠板橋属廠が発足しました。
黒色火薬の製造には、幕末に幕臣の澤太郎左衛門がベルギーから購入した圧磨機が使用されました。
火薬の性能を確認するため、板橋火薬製造所で電気式の「検速儀」を使った火薬の発射試験を実施しました。このとき加賀藩下屋敷時代の築山が的として転用されました。

明治三十六年、板橋火薬製造所の敷地内に、陸軍火薬研究所が発足しました。
この頃から日本でも新しく作られるようになった無煙火薬の安全性の向上などを研究する、日本初の近代的な国立の理工学系研究所でした。
板橋火薬製造所は、研究所に隣接した工業的実験工場となり、火薬製造の技術の先端を支える中枢的存在となりました。

昭和二十年、終戦により、板橋火薬製造所および火薬研究所の活動が終了し、同製造所は解散しました。
使用していた機械や什器類はGHQに接収され、跡地の建物には民間の工場や学校、研究所などが入りました。
そこに入った工場、学校、研究所などが五四団体自治会を結成し、のちに加賀五四自治会になりました。

昭和二十一年、活動が終わった火薬製造所の跡地のうち、現在の史跡指定地にあたる地区に、野口研究所と理化学研究所が入りました。
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写真1枚目、常温貯蔵室貯蔵室。
写真2枚目、左は銃器庫、右は爆薬製造実験室。
写真3−4枚目、爆薬製造実験室。
写真下から2枚目、弾道管。
写真下から4枚目、加温貯蔵室貯蔵室。
一番下の写真、射?。(しゃだ)

新型コロナウイルス感染症の影響もあるのだろうか、しばらく手がつけられていなような雰囲気。

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