Content
line
2023年1月 1|2月 1|3月 1|
line
2022年1月 123|2月 12|3月 12
|4月 12|5月 12|6月 12|7月 12
|8月 12|9月 123|10月 1|11月 1
|12月 1
line
2021年1月 12|2月 123
|3月 123|4月 12|5月 123
|6月 123|7月 12 |8月 12
|9月 12|10月 12|11月 12
|12月 12
line
2020年1月2月|3月 12|4月 123
|5月 123|6月 123 |7月 123
|8月 1234|9月 123
|10月 123||11月 123
|12月
12
line
2019年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
line
2018年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
line
2017年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2016年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2015年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2014年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2013年1月-2月3月-4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2012年1月-2月3月-5月6月-7月
8月-9月10月11月12月

line
2011年1月-2月3月-4月5月-6月
7月-8月9月-10月11月-12月

line
2010年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2009年1月-3月3月-5月6月-7月
8月-9月9月-10月10月-11月12月

line
2008年1月-3月4月-5月6月-9月
9月-10月11月-12月

line
2004年3月〜
  • ABOUT
  • INFORMATION
  • COLUMN
  • WORK
  • CONTACT
  • logo4
photo

2020 7/17 『皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ』

旧中山道沿い、根村用水のほとりに縁切榎があり、不幸が起きると嫌煙されていた。
公武合体、徳川家茂公へと嫁ぐ皇女 和宮一行も、この縁切榎の前を通ることを避けるために、縁切榎の手前から中山道を反れて大きく迂回をして、中宿の(脇)本陣へと入った。
地図の北から真っすぐのびる赤い線が旧中山道で、南西に曲がった赤い線が迂回路で、すぐそばに清水稲荷神社(橙色丸部分)があり、境内には推定樹齢五百年のイチョウがあり、御神木として地域の村人に大切にされて現在にいたっている。
縁切榎とは逆に、降嫁した和宮一行を見守った御神木とも言える。

案内板より引用ーーーーーーーーー

稲荷神社のイチョウ

樹種、いちょう(イチョウ科)。樹高、約十五メートル。目通り。約三百五十センチメートル、根回り、約六百三十センチメートル。樹齢、約五百年(推定)。
稲荷神社は「清水稲荷」として前野の鎮守として信仰を集めてきた。
大正の頃まで、前野村の雨乞い祭りの際には、藁(わら)で作った竜神が村中を練り歩き、最後に鳥居に向かって左側にある、この神木のイチョウに巻きつけられたという。
木の主幹は直立し、乳も垂れて風格がある。銀杏の落下がないので、雄株とみられる。樹冠は商店街の道路上まで広がり、樹勢は旺盛である。
平成六年度、板橋区登録文化財の天然記念物(名木・巨樹・老樹等)とした。
平成八年三月
板橋区教育委員会

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
迂回路を南へ下っていくと、環七を渡り、石神井川へと下る坂の途中、右手に姿の良い出桁造りがある。周辺にはこの一軒のみ。(地図の黒丸部分)
かつては酒屋を営まれていたようだ。
この道はかつては降嫁の際の迂回路として役にたち、現在は交通渋滞が激しい国道17号線と環状7号線の大和町交差点を避けるための抜け道として多くの車輌が通る道になっている。
今も昔もこの地域にとっては大切な古道として機能している。

【過去記事】
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡

稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)

板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
旧中山道はタネ屋(種屋)街道
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
photo

2020 7/15 『石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)』

一番上、江戸切絵図の巣鴨絵図には、滝野川周辺の音無川(石神井川)、正受院(地図の黒丸部分)の不動の滝(地図の青丸部分)と対岸に落ちていた湯タキと水タキ(湯滝・木滝...木タキと書かれている。黄色丸部分)が描かれている。2021年12月8日現在、修正されて水滝表記になっている。
【過去記事】石神井川 正受院 不動の滝跡(瀧不動の碑)

正受院の案内板より引用ーーーーーーーーー

王子七滝の一つ、「不動の滝」は、泉流(せんりゅう)の滝とも称され、正受院本堂裏の峡から坂道を石神井川に下った所にありました。
『江戸名所図会』は、この地の江戸時代後期の景観を次のように説明しています。

正受院の本堂の後、坂路(はんろ)を廻(めぐ)り下る事、数十歩にして飛泉あり、滔々(とうとつ)として峭壁(しょうへき)に趨(はし)る、此境(このち)は常に蒼樹蓊鬱(おううつ)として白日をさゝへ、青苔(せいたい)露なめらかにして人跡稀(まれ)なり

室町時代、大和国に学仙坊という不動尊の祈祷(きとう)を修行する僧がいた。
ある時、霊夢見て東国の滝野川の地を訪れ、庵をむすんで正受院を草創した。
この年の秋、石神井川が増水したが、水の引いた川から不動の霊像をすくいあげた。
学仙坊は、これを不動尊修法を感得した証しと喜び、滝の傍らに安置した、と伝えられます。
江戸時代には、病気治癒祈願や涼をもとめる人で賑わいました。

初代歌川広重(安政四年)“名所江戸百景 王子不動之瀧”

令和二年三月
東京都北区教育委員会

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

航空写真の赤と青の四角部分は、その下の写真の赤と青に連携させている。

赤部分は正受院本堂と不動堂の裏、石神井川の歩道から崖を写している。
赤部分の先(上流方向)の青部分は、北区役所滝野川分庁舎(旧滝野川中学校)の裏と正受院の間の崖を写している。

案内板には<王子七滝の一つ、「不動の滝」は、泉流(せんりゅう)の滝とも称され、正受院本堂裏の峡から坂道を石神井川に下った所にありました。>と書かれている。
青部分の崖をみると、矢印を書いた部分(位置)の崖がL字型に曲がり後退して凹んでいて、なだらかにまた歩道(石神井川)へ迫ってくる。(写真一番下)
いくつかの史料に正受院西側と書かれていることもあり、断定できないが、この青部分がかつてあった不動之瀧の場所ではないかと思う。(地図と航空写真の青丸部分)
また、青部分の崖から歩道に排水溝が設けられていることから、崖からの湧水が今でも僅かにあるのではないかと思う。
この日は雨上がりの夕刻で、この排水溝が引かれている崖を覗くと、崖の野草の間から水が滴るような音が実際に聞えてきた。
石神井川の下流、この滝野川付近の石神井川の崖線にはまだ湧水がいくつかあるので、現在もまだ湧水(王子 不動之瀧)がたまに姿を現しているのならおもしろい。

一番上の巣鴨絵図、不動之瀧の対岸には『湯タキ・木タキ(水タキ?)』が描かれているが、こちらの崖は護岸改修工事で消滅している。
絵図での情報以外は、この湯タキについてはほとんど情報が出て来ないが、絵図に描かれていることから、有名な滝だったのだろう。
しかし、王子七滝には数えられていない。また、王子七滝と言われているが、周辺には七つ以外にもいくつも滝があった。

人文学オープンデータ共同利用センター 江戸マップβ版 巣鴨絵図
上記サイトで絵図の地理情報などが試験公開されていて、とても便利で見やすい。湯タキ[木タキ]は下の方に掲載されている。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

【過去記事】
石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
石神井川 金剛寺にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
王子七滝 名主の滝
石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
石神井川 音無こぶし緑地の湧水
石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水

武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂

北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
photo

2020 7/13 『GARMIN』

ヤマダ電機のポイントが貯まっていたので、6年ぶりにランニングウォッチを買った。
円安のために、少し前に約¥4000程アップしたらしいけど。
最低限の記録などが分ればいいので、ビギナーモデルを....アプリケーションをmacや携帯にインストールして、あれこれ設定して、早速使ってみたけど、十分すぎる機能とGPSのキャッチのはやさ、そして正確さにさすがだなと少し驚いた。
特に電波をキャッチする時間がなかなかいらつく人も多いと思う....NIKEなどのスマホのアプリとか、ひどい時は広い空の場所でも20分くらいキャッチしないこともまぁよくあるし、キャッチ出来て走るも、ルートがめちゃくちゃだったりすることも多々ありで。
ガーミンだと10秒くらいでキャッチしてくれてとても快適なんですね。
←この日はNIKEのアプリと同時に使って、いつものコースを走ったら、NIKEは9.06km、ガーミンは6.24kmだったけど、えらい違いで、、たまたまだったのかな。
色々な機能があるけど、使うかなどうだろう。
画面も大きくなったようだけど、フォントが、、ちょい小さいので、眼がいいおじさんおばさんにはちょっと見づらいですかね、老眼鏡をかけないと見えないかも。フォントの大きさは設定できそうもないから。。
近眼の自分は、眼鏡を外せば近くの小さい文字などめちゃくちゃよく見えて便利だけども。

そういえば、最近マスクをしていない人がグッと増えました。
ノーマクスのランナーも増えてきていますが。。
今後また非常事態宣言が発令されないように。

photo

2020 7/11 『豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図』

板橋区弥生町の旧川越街道は、かつて上板橋宿だった。
その宿場の中に豊敬稲荷神社が造営され、現在は、旧上板橋宿概要図を掲示し、かつての宿場町の姿を伝えている。

案内板から引用ーーーーーーーーーーー

旧上板橋宿概要図

川越街道は、江戸時代に川越道中・川越往還とも称し、川越と江戸を結ぶ幹線でした。また、中山道の脇往還としても利用され、信州や越後へも通じていました。
この弥生町の旧道沿いは、宿(上板橋宿)と呼ばれ、川越口(下頭橋)から上・中・下の三宿に分かれ、文政六年(一八二三)の「上板橋村地誌改書上帳」には、宿内は「六丁四拾間」(約七三〇m)道巾は「三間」(約五・五m)と記載されています。
宿の中程には名主屋敷と称する建物があって、昭和の初めごろまで遺っていたようです。
名主の河原与右衛門家は明治期には転居してしまいましたが、明治期に副戸長を務めた榎本家には「上板橋宿副戸長」と刻まれた石碑が現存しています。
上板橋村は、町場(宿)と村方に分かれ、その村方の範囲には現在の板橋区の南西部地域と練馬区の小竹・江古田も含まれ、その地域からは人馬が提供され旅客や物資の継立を担っていました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こちらに 『旧上板橋宿復元図(昭和初期)と現在の地図との比較』の拡大図をリンクさせました。(別ウインドウ、1880*2300)

【過去記事】
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂

富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
練馬区 ふじ大山道
体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
photo

2020 7/10 『旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂』

地図の黒丸付近はかつて下練馬宿として栄えていて、黒丸部分に北町観音堂(石観音堂)がある。
旧中山道と旧川越街道の平尾追分(交差点、板橋警察署付近)の次が上板橋宿で、その次がこの下練馬宿だった。

案内板から引用ーーーーーーーーーーー
旧川越街道

この道は、むかし川越と江戸を結ぶ道路でした。
室町時代の太田道灌の頃には、すでに開かれていて、北武蔵と南武蔵とを結ぶ重要な道でした。
江戸時代、参勤交代でこの道を通った大名は川越藩主だけでした。
したがって宿泊の必要が少なく、下練馬宿には大きな旅籠がありません。
庶民を相手とした休み茶屋が数軒あった程度でした。
「栗より(九里四里)うまい十三里」は、川越芋の宣伝文句として有名ですが、江戸・川越間は、九里足す四里の計十三里(約五十一キロメートル)でした。
このあたりは下練馬宿と呼ばれていましたが、交通の要所に石造物や道標があり、むかしの街道の雰囲気が残っています。

平成二十一年三月
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「北町観音堂(石観音堂)」
ここには、天保二年(一六八二)銘の「北町聖観音座像」をはじめ馬頭観音や庚申塔など数多くの石造物があります。
江戸周辺を探訪した小石川の僧が記した紀行文『遊歴雑記』にも、文化十二年(一八一五)にここを訪れた記述があり、往来の人々の信仰や赤塚村への分岐道の目印ともなっていたことが分かります。

写真上から4枚目 「北町聖観音座像」
練馬区指定有形民俗文化財 平成八年二月指定
高さ二七〇センチメートル、区内最大の石仏。
背には「武州河超多賀町隔夜浅草光岳宗智月参所 奉新造正観音四恩報謝也 時 天和二年八月・・・」、台座には川越街道沿いの二十九の地名が刻まれています。

写真上から3枚目 「北町の仁王像」
練馬区登録有形文化財 平成十一年一月登録
向かって右、阿形像、左吽形像。
重厚な造りの像で、両像の背には「天和三年・・・奉立之施主光岳宗智・・・」の銘があり、聖観音座像建立の翌年に建てられたことが分かります。
平成十一年三月

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(不鮮明な写真....撮影は2014年11月)

この北町観音堂の少し先に原価無視で有名な(今は分らないが)、中華たけいしがある。
そして、下練馬宿の中宿から上宿にかけては、肉の『あまいけ』があり、名物なのが北町メンチで、これがとてもおいしいのでおすすめ。
【過去記事】 
ジュラシックワールドと原価無視中華

あまいけ 北町メンチ

【過去記事】
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図

富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
練馬区 ふじ大山道
体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
photo

2020 7/8 『千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り』

地図の赤丸付近、明治通りからL字型に曲がってまた明治通りへと向かう道には、かつて千川上水から分配された王子分水が流れていた。
王子分水とは、幕末期に反射炉を計画し、水車の水力を利用した大砲製造(大砲の芯を削る)のために開削した用水路のこと。
この赤丸部分に、改修によって桁はよく見えないが、少し面影を残したファサードの出桁造りが並んで建っている。
業種は変化してきていはいるのだろうが、おそらくずっとこの場所で商いをして生活をされているのだろう。

【過去記事】
北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉
分水嶺、千川上水調節池跡
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑

石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
石神井川 金剛寺にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 松橋弁財天洞窟跡
石神井川 正受院 不動の滝跡(瀧不動の碑)
北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標

板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田

旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
北区十条四軒道路にある出桁造り
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
北区王子本町の出桁造り
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
北区西ヶ原の出桁造り
北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り
北区上十条2丁目の出桁造り
北区滝野川八幡通りにある出桁造り

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
photo

2020 7/3 『板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)』

日曜寺の手前にはかつて根村用水が流れてて、境内に入るにはこの根村用水の橋を渡らないとならなかった。
今は消滅した根村用水だが、親柱・欄干共に現存していて、昭和二年五月に改修したと親柱に刻まれている。
用水の存在を知らない方には、何故橋が架かっているのだろうかと不思議に写るかもしれない。

そして、橋を渡るとすぐに左右に“平尾町内中”と刻まれた石柱もあり、板橋宿(京側から上宿・仲宿・平尾宿と3つからなる)の中のひとつである平尾宿の人々によって奉納されたものだろう。
旧中山道沿いにある観明寺あたりからJR埼京線の踏切を越えたあたりまでが平尾宿だった。

この“平尾町内中”の石柱には文久二年三月と刻まれていて、皇女和宮が徳川家茂のところへ降嫁したのが文久元年で、婚礼は二年二月であるのと、日曜寺は田安宗武(八代将軍徳川吉宗の第2子)の帰依により寺院として伽藍を整えたことから、婚礼に何か関係があるのかもしれない。
また、徳川家とのご縁や降嫁の際に、中山道にあった縁切榎の前を通らずに、この日曜寺の横を通って板橋宿に入ったことも何か関係があるのかもしれない。

【過去記事】
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水

巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡

旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎

旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚跡

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
photo

2020 7/1 『New Balance FRESH FOAM HIERRO GORE-TEX搭載モデル』

この時季の足元にはかかせないゴアテックス仕様のトレイルランニングシューズはとにかく便利。
雨でもあちこちよく歩かないとならないこともあるので、ほぼ長靴的な使い方をしている。

←ALL TERRAINカテゴリから登場したこのモデルは動きやすそうでいいですね。アウトソール、ヒール部分も今流行りのようにとんがっている。
走りやすそうだ。

そう言えば先日走っていたところ、公園でおじさんに声をかけられた。
「おぉ〜偉いねー!ちゃんとマスクしてジョギングしてんだ。えらいね〜。飛沫感染したらどうすんだよって思って、無責任だなって。偉いね」って、至近距離で。「最低限のマナー、当たり前のことですから」と。
なかなかぜぇぜぇはぁはぁしてたからほっといて欲しかったけど。
マスクしながらのランニングはやっぱりしんどいけど、ランニングシャツにショートパンツの軽快な涼しいスタイルだと、マスクの暑さとしんどさも軽減されるので、1kmあたり5分を切れることもある。
スピードはぜんぜん求めていないけど、よく脚が動くと気持ちがいいのも確か。

ジョグノートっていう記録を保存できていたサイトが閉鎖されて、ずっと記録をとってなかったけど....最近の走行距離は3月は77.91km、4月は62.6km、5月は95,24km、6月は89.63kmで100km以上/月には届いていないですね。数年前は200km/月くらい走れたこともあったけど、最近はマスク着用などで、疲れやすいのであまり長い距離は走れていない。
今、20kmとか走れるかな。自信なしだわ。。