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2004年3月〜
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2018 3/29 『電話番号の表札』

町を歩いていると、たまに見かけるずいぶんと昔の電話番号の表札。
家庭に電話がまだぜんぜん普及していなかった時代のものだろう。
ご近所さんにもこの番号で繋げていたのだろうか。

時代は変わるが、自分が小学校低中学年の頃は、今みたいに一家に一台電話があるという時代ではない...というか、そういう地域だったのだろうか、学級の連絡網には“◯◯方(呼び出し...だったかな?)・・・・”という家庭の子が何人もいた。
自分が小学校にあがる頃に、ちょうど電話が我が家にやってきたように思うが、定かではない 。
小学校に上がる前は、施設に住んでいたので、その頃は“◯◯◯◯◯呼出 ◯◯”だっただろう。
自分が二十歳になった年の成人式の当日朝に、その施設で大変お世話になった先生から、お祝いの電報が届き、母と共にぽろぽろと泣いた。先生、憶えていてくれたんだと....心から嬉しかったのを憶えている。
先生は今生きているか分らないが、生きていてもお亡くなりになっていても、毎朝必ず先生と家族の健康と幸せを祈っている。

話がずれたが・・・
そして、クラスには大家族のために、毎日銭湯にも行けずに、身体が臭う子も何人もいた。
毎日汗だくで、どろんこになるまで汚れて、それで何日も風呂に入れないのだから仕方がないはずで。
逆に、裕福な家庭の子も何人もいたけども。
様々な家庭の子と遊び学び、その子らのたくさんの親にも接して、差別をしない心の機微に触れて安堵したり、見下されてぞんざいに扱われたり、悪態をつかれたり、とか、大人ってこう言う態度をとるんだなぁ....俺はこういう大人には負けないためにも一所懸命勉強して遊んでやるとホントよく思ったものです。

写真、上から2・3・4枚が、その当時(小学校にあがる前まで)住んでいた施設。
木の長い床....好きだったなぁ。
この当時、母はカメラを持っていなかったはずなので、先生か施設関係者が撮ってくれたものだろうと思う。しかもカラーだ。

現在、この施設は廃止され、保育園のみ現存する。
感謝しかありません。

....しかしまぁ〜この当時は、あちこちに散らばるブラウンの地雷との闘いだった。
みんなで銭湯に行く途中で、シューズの裏を包み込むほどの巨大なブラウンの地雷を踏んづけてべっこべこに凹んだり。
砂場で遊びゃぁ、ブラウンの地雷をグラブして、嫌〜な気持ちになったり。
とにかく、ブラウンの地雷を踏まないように気をつけてたなぁ。
今と昔では食べ物が違うからなのだろうか、昔のブラウンの地雷はまぁ〜本当にめちゃくちゃ臭かった。
何回負傷したことだろうか。
そんなの憶えていないくらいだ。
一番臭っていたクラスメイトは、自分だったりして。
ふと、そう思った。
・・・ でも、歴史ある良い町で育った。

当時、母が持っていた電話の権利は、何年か前に、もうお返ししたと言っていた。
携帯電話の普及や、ネットの発達などで、電話の価値が当時と様変わり。
時代の流れですね。

【過去記事】
幕末を巡って
復活 上野清水観音 堂月の松
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幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
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板橋城跡 赤塚城跡
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迷子センター
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時忘れじの塔
浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
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近藤勇と新選組隊士供養塔
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新選組 沖田総司 逝去の地
雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
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富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
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日本人のルーツ
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加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
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田端 東覚寺 赤紙仁王
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池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
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散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
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千石緑地
延命地蔵堂の石造物群
観明寺 左甚五郎作の龍
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
王子稲成神社 御石様
JR貨物北王子線と廃線跡
醤油電車(東武東上線)
陸軍板橋火薬製造所跡
加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜
加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
旧中山道 縁切榎
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
蓮根馬頭観音縁起
四ツ又馬頭観音
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
電話番号の表札
小松屋横町道
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡
板橋区赤塚 鎌倉古道
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
西池袋 自由学園明日館
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック
江戸城 松の大廊下跡
中仙道か中山道か
醤油電車(東武東上線)
下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
同潤会 上野下アパート

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2018 3/27 『桜開花と展示会』

3月のジョグは今のところ17km....ほぼ走れていない状態が続いている。
少し落ちつかないとしばらくは走れないだろうなぁ....前は平均100km/月だったり、調子が良い時には、約200km/月走れていたんんだが。

まぁそれはおいといて...
開花したと思ったら、雪が降ったり、で一気に暖かくなって満開になったりと、何かとビジーな染井吉野。
ソメイヨシノの名の由来は、駒込の染井村が発祥の地だからだ。
染井村はJR巣鴨駅の裏あたりにあり(駒込駅と巣鴨駅の間らへんとも言うべきか)、染井霊園があるあたりも名のとおり染井村で、かつてここに藤堂家の屋敷があり(松平家もある)、庭を手入れする職人さんがたくさん居たと言う。
で、その職人さん達がソメイヨシノを生み出したんだと言う。
今週末くらいまで楽しめそうだろうか、どうだろうか。

少し落ちついたら行こうと思っている展示会“江戸幕府最後の闘い”
----------------- パンフレットから引用
平成30年(2018年)は明治元年(1868年)から満150年を迎える年に当ります。
春の特別展では、明治前夜、幕末期の江戸幕府に焦点を当て、当館所蔵の江戸幕府公文書ではる「多聞櫓文書」を中心に、幕末期の江戸幕府の「文武」改革について取り上げます。
こうした改革が可能になった背景や、維新後に新政府で活躍する幕臣たちのその後も合わせて展示し、明治の近代国家建設の端緒を江戸幕府の側からご紹介いたします。
-----------------
おもしろそうな展示会。

で、やらなければならないことが多過ぎて疲れに疲れていたために、行くことができなかった、水のゆくえ〜荒川の歴史〜.....とても楽しみにしていたから残念だけど、図録もあるので、そっちを読もうと。

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2018 3/19 『北区王子3・4丁目の出桁造り』

北区王子3・4丁目、北本通りの一本裏手にのびる道に出桁造りがある。
古地図1−2枚目の緑丸付近に建っているのだが、1909年以前と1917年以降を見比べてみると、南北に走る道がないので、いまから100年前には、現在地図の赤丸と赤枠で囲った写真の出桁造りは建っていなかったことが分る。
青丸と青枠で囲んだ出桁造りは、それ以前から建っていたかもしれないが、造りが似ているので同時期の建築かもしれない。地場の同じ大工さん(建設会社)かなとも思うが。
隣と続きになっていて、改修されているが、かつては出桁造りだったように思う。

古地図からは、この一帯は田であったと分る。この地域は低地で、かつては海だったところ。

青枠写真の出桁造りの隣は、ワンコインでCP高過ぎで有名な“麺屋 坂本01”のようで。via

上を見上げて探してみると、出桁造りはまだありますが、準絶滅危惧建物であることにはかわりはないかなと。
今となっては寒かったり、住みにくいかもしれないけど、出桁造りはいものです。

【過去記事】
幕末を巡って
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2018 3/15 『北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り』

埼京線の十条駅から京浜東北線の東十条駅へと至る道、東京で最も古い歴史だという篠原演芸場のすぐそばに、出桁造りがある。(地図の赤丸付近)
サイドや一部は手が加えられているが、なかなか立派な佇まい。
篠原演芸場やこの出桁造りが面する道はどうやら古そう。
演芸場で販売されている、アルミホイルに包まれた“おむすび”が、とてもとてもおいしそうだ。ただ、観劇する人の特権なので、食べるには入場する必要があるんだけども。via
大衆演劇って観たことがないので、おむすびを食べて、観てみるのも良いかもしれないですね。

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2018 3/8 『四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)』

--------------------案内板から引用

四ツ又馬頭観音は、享保十九年(1734年)十月十九日に造られ、当初より四ツ又にありましたが、近代以降に板橋区板橋二丁目五十八番の地に安置されました。
ここは、江戸時代に中山道の宿場町であった板橋宿平尾から分岐した川越街道と、板橋宿中宿から池袋方面へと伸びる高田道が交差する地点にあたります。
四ツ又は、交通の要衝であり、この馬頭観音も、道しるべとして知られていました。
馬頭観音とは七観音の一つで、頭上に馬頭をいただいています。
供養の目的は像容からみてわかるように、牛馬の供養と結びつき造立されました。
江戸時代における馬は、交通手段として重要であったために、人間と同様に大切に供養されました。
この石造を建てたのは、六十六部とあり、そのあと何文字かは判読できませんが、願主順貞と続きます。
おそらく順貞は、この地に関係した人物であると考えられます。
その後、現代にいたるまで地域の人々によって大切に守られてきました。
四ツ又馬頭観音は、安山岩製で高さ六十五センチほどです。

--------------------

旧川越街道(地図の赤い線)と中山道が分れる場所(追分)は、いつだっただろうか、首都高が開通した。
地図の黒丸付近に四ツ又馬頭観音がある。
案内板にも書いてあるが、かつては(旧)川越街道と高田道(高田雑司ヶ谷道)が交差する四ツ又にあったそうだ。
地図の青い線の高田道は板橋宿と現 豊島区高田・雑司ヶ谷を結ぶ重要な古道である。また、現 小石川方面にも伸びていたというが、新 川越街道と春日通りに吸収されている。
新 川越街道開通によって高田道は分断されてしまったが、さらに特定整備路線にもかかっている為に、今後一部が吸収されてしまう。
高田道は新 川越街道を越えると、平和通りと呼ばれ、名とは逆に風俗店やホテル、キャッチなどがあり、人によっては夜は少し怖いかもしれない。
古道といえば、交番があることが多いが、平和通り(高田道)にも交番がある。

話が反れたが、今から4年くらい前だっただろうか、マンション建設のために四ツ又馬頭観音は隅に追いやられていたが、3年ほど前に今の場所に移設され、小さいながらも綺麗なお堂におさめられていた。(写真1・2・3・4枚目)

写真5枚目、四ツ又交差点の旧川越街道から撮影したもので、高田道が横を走っている。右へ行くと、板橋区役所や旧中山道の仲宿交差点に続き、左へ行くと池袋本町へと続き、池袋本町の氷川神社横にこれまた交番がある。

モノクロ写真、これはいたばしの古道という本から引用させていただいた。
撮影は昭和58年だと書いてあって、自分が知っている旧川越街道はこの姿だ。
その当時、高島平から大山へと半年ほど電車通学をしていたので、この四ツ又交差点などを憶えている。
都営三田線の西台駅〜板橋区役所前駅、そして駅から小学校までは徒歩で往復3km、旧川越街道をテクテクと歩いて通学していた。なかなか大変だったのをよく憶えている。

一番下の地図(昭和初期の町並みだそうだ)、クリックすると別ウインドウで拡大画像が立ち上がります。
消防署もあまり変わらない位置にあり続けていて、四ツ又交差点に馬頭観音も描かれている。
火の見やぐらやどぶ川も流れていたようですね。

旧川越街道 板橋四ツ又商店街 web

【過去記事】
幕末を巡って
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散歩JOG
身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
榎本武揚から緒方洪庵へ
高島流
大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
千葉周作の墓 木戸孝允の駒込別邸
板橋城跡 赤塚城跡
遺されたものが語ること#2 石神井城跡
仙がい義梵
赤穂浪士ゆかりの寺
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
時忘れじの塔
浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
板橋宿平尾脇本陣豊田家
新選組 沖田総司 逝去の地
雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
日本人のルーツ
縄文人の核DNA解析
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
中山道 齋藤商店
本郷肴町 棒兼
池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
現存する都内の一里塚
散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
千石緑地
延命地蔵堂の石造物群
観明寺 左甚五郎作の龍
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
王子稲成神社 御石様
JR貨物北王子線と廃線跡
醤油電車(東武東上線)
陸軍板橋火薬製造所跡
加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜
加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
旧中山道 縁切榎
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
蓮根馬頭観音縁起
四ツ又馬頭観音
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
電話番号の表札
小松屋横町道
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡
板橋区赤塚 鎌倉古道
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
西池袋 自由学園明日館
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック
江戸城 松の大廊下跡
中仙道か中山道か
醤油電車(東武東上線)
下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
同潤会 上野下アパート

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2018 3/6 『耳栓歴』

就寝時や集中時の耳栓歴はもう30年近くになる。
集中力を鍛えるのなら、あえてファストフードやカフェなど、人がいてある程度賑やかな中で勉強や仕事などをすることが良いと聞いたことがある。
雑踏なんかものともしないほどの精神力の強さを得られる、らしいが...
ぶっといぶっとい図太い精神力を持つ人が、耳栓を使うと逆に自分の鼓動などで、集中力が途切れるとも聞いたことがある。
あまり人が起きていない夜中の3時とか、し〜んと静まり返っている居室で音楽もつけずに仕事をしていることも好きだし、仕事集中時や勉強集中時、そして就寝時には耳栓はかかせない生活なのだが....とは言っても、話し声やら何やら聞こえるから、果たして集中力を得るための効果はあるのだろうかと、ふと思う。ま、騒音軽減という効果はあるが。
いつも使っている耳栓は現場用で、キノコ型かこのひょうたん型か。
どちらも機能的で気持ちがいいものなのです。