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2020 5/30 『ハロ』

この一週間くらいなかなかGPSの電波をキャッチしないので、空が広い場所まで行くけど、それでもぜんぜんキャッチしないこともあって、いらつきながらふと空を見ると、光の輪、ハロが広がっていた。
これは珍しい現象ではなく、あとから知ったけど、大きな輪の中にもうひとつ小さな輪があって、これを9度ハロと言うらしく、SNSなどで話題になっていた。

緊急事態宣言の解除があり、少しずつながら人々が姿を現しはじめていることに嬉しさも感じる。
しばらく避けていた副都心へ走りだした。
人気がある飲食店には列ができ、あちこちのお店から笑顔と笑い声が漏れてくる。
良かった良かった。

塩まみれでホームグラウンドに到着...マスクを解いて、軽く一杯。
マスクをしていないランナーもとても多い。
しかし、 しなければ分別のない人だと思ってしまうし、そう思われるのも嫌なこと。
ノーマスクで走れる日が早く訪れるように、今日も苦しいMASKランに努めよう。

緊急事態宣言が再び発令されないように。

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2020 5/29 『板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋』

旧中山道、板橋宿の中心だったのは仲宿で、本陣をはじめ各施設が揃っていた。

地図1枚目、石神井川に架かる現在の板橋の少し先、大きな赤丸部分あたりにかつて大木戸があったという。
しかし、絵図には描かれていないので詳細な位置は分らない。
その先に暗渠となって消滅した稲付川がかつて流れていて、現在は交番があり、(写真1枚目)江戸の出入口である大木戸ゆえに、門番の名残としてその場所に交番がある可能性もないこともないが、高札場が石神井川の袂にあり、そして近くに自身番もあるので、地図の大きな赤丸部分あたりにあった方が妥当だろう。
上から3枚目の中山道板橋宿跡総図、赤く囲ったところに「この先、板橋宿大木戸(簡易関所)があつた」と書かれている。(文政江戸朱引図<1818年>では、この大木戸があった場所が朱引きの旧中山道の北部地点(線))
また、小さな赤丸部分の上宿の脇本陣板橋市左エ門家(板橋市左衛門家)は、昭和の石神井川の改修工事(直線化、浚渫<しゅんせつ>)によって、敷地(跡地)は消滅したそうだ。
この付近には板橋さんが多く住まわれていて、この脇本陣板橋家の一族もいることだろう。
板橋氏は(武蔵)豊島氏の一族で、末裔にあたる板橋信濃守忠康の墓は、かつて仲宿にあった重蓮寺(板橋区赤塚に移転。東京大仏も有名。)にあり、板橋区登録有形文化財となっている。

地図2枚目に本陣の跡地を描いているが、本陣と脇本陣の関係が少し複雑なので【過去記事】を参考に。
【過去記事】
板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏

上記の過去記事からも分るように、主要な施設が仲宿に密集していたことがよく分る。

ところで、写真上から2ー6枚目、上記の昭和の石神井川の改修工事によって、川の流れが替えらて、かつての石神井川は緑道(親水公園)となり、江戸時代以前から架けられていた“板橋”の京側に新しい“板橋”が架けられた。
本来の“板橋”は仲宿側(江戸方面)であることは、意外と気づかないかもしれない。

wikiから引用ーーーーーーーーーーーーーー

※自身番(じしんばん)は、江戸時代に江戸や大坂などの町人地に設けられた番所。町内警備を主な役割とし、町人によって運営された。自身番の使用した小屋は自身番屋・番屋などと呼ばれた。江戸町奉行所の出張所・町年寄が詰める江戸町会所の連絡所・町内事務所・町内会所・消防団詰所・交番の機能を兼ねた施設であった。ここに詰めた番人は番太と呼ばれた

※問屋場(とんやば・といやば)は、江戸時代の街道の宿場で人馬の継立、助郷賦課などの業務を行うところで、駅亭、伝馬所、馬締ともいった(本項の語意に於ける「問屋」とは、運送業を意味する。)。
業務の主宰者は問屋と称され、その助役の年寄、さらに人馬の出入りや賃銭などを記入する帳付、人馬に荷物を振り分ける馬指などの者がいた。通常の時は交代で出勤するが、大名行列などの大通行があるときは全員が詰めることになっていた。

※高札(こうさつ・たかふだ)とは、古代から明治時代初期にかけて行われた法令(一般法、基本法)を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法である。なお、特定の相手や事柄を対象として制定された法令(特別法)を記した同様の掲示を制札(せいさつ)と呼ぶが、その実際の運用上は厳密に区別されていたとは言い難かったようである。
木の札に、表題・本文・年月日・発行主体が書かれており、これを屋根が付いた人目に目立つ一段高くなった高札に掲げられた。 その起源は確かでないものの、延暦元年(782年)の太政官符に官符の内容を官庁や往来に掲示して、民衆に告知するように命じた指示が出されている。以後、武家政権でも同様の方法が取られている。
だが、これを最も良く用いて全国的な制度として確立したのは江戸幕府及び諸藩であった。 高札制度の目的としては、
・新しい法令を民衆に公示する。
・民衆に法の趣旨の周知徹底を図る。
・基本法である事を明示する(違反者は「天下の大罪」であるとして、違反者は死罪などの重い刑に処せられることが多かった)。
・民衆の遵法精神の涵養を図る。
・民衆からの告訴(謂わば密告)の奨励(特にキリシタン札(切支丹札)などには高額の賞金が掲げられた)。
・幕府や大名の存在感の誇示。
などが挙げられる。

主な代表的な高札としては、寛文元年(1661年)の5枚の高札(撰銭、切支丹、火事場、駄賃、雑事)や正徳元年(1711年)の5枚の高札(忠孝、切支丹、火付、駄賃、毒薬)、明治維新とともに新政府から出された五榜の掲示などがある。
■高札場(制札場)と庶民教育への利用
幕府は人々の往来の激しい地点や関所や港、大きな橋の袂、更には町や村の入り口や中心部などの目立つ場所に高札場(制札場)と呼ばれる設置場所を設けて、諸藩に対してもこれに倣うように厳しく命じた。
これに従って諸藩でも同様の措置を取ると同時に自藩の法令を併せて掲示して自藩の法令の公示に用いた(代表的な高札場としては江戸日本橋、京都三条大橋、大坂高麗橋、金沢橋場町、仙台芭蕉辻などが挙げられる)。
また、宿場においても多く設置され、各宿村間の里程測定の拠点ともされた。
このため、移転はもとより、高札の文字が不明になったときでも、領主の許可なくしては墨入れ(高札は墨で書かれていたため、風雨には大変弱かった)もできなかった。
その代わりに幕府や諸藩では「高札番」という役職を設けて常時、高札場の整備・管理に務めさせ、高札の修繕や新設にあたらせた。
また、この民衆への周知徹底のために高札の文面には、一般の法令では使われない簡易な仮名交じり文や仮名文が用いられた。
更には当時の幕府は法律に関する出版を厳しく禁じる方針を採っていたにも拘らず、高札に掲示された法令に関しては「万民に周知の事」と言う理由で簡単に出版が許されたばかりでなく、高札の文章は寺子屋の書き取りの教科書としても推奨されていた。
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【過去記事】
近藤勇と新選組隊士供養塔
板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
板橋区仲宿 文殊院 子の権現
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
旧中山道はタネ屋(種屋)街道
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
中仙道か中山道か

加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚跡
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【過去記事】
幕末を巡って
復活 上野清水観音 堂月の松
上野東照宮
散歩JOG
身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
高島平の名の由来 高島流
文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡
遺されたものが語ること#2 石神井城跡
仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
上野公園 時忘れじの塔
浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
墨田区 都立横網町公園
豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
板橋区仲宿 文殊院 子の権現
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
旧中山道はタネ屋(種屋)街道
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
中仙道か中山道か
旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
東京第二陸軍造兵廠の石碑
東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚跡
新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔
練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
練馬区 ふじ大山道
清戸道の名家
池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
新宿に縄文人現る
日本人のルーツ
縄文人の核DNA解析
縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅

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2020 5/27 『渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅』』

地図の黒丸部分、旧山手通りからは姿がよく見えなく、通りの賑やかさとは逆に、ひっそりとそして荘厳な姿で旧朝倉家住宅がある。
今から40数年前に住んでいた集合住宅(施設)に、三和土が似ていて、なんだかホッとするような、寂しいような、頑張らないと、そんな気持ちになった。
平面図でも分るが、複雑な造りになっていて、目黒川に向かって開かれた、大広間から見る庭も見事で、当時は素晴らしい眺望だったことだろう。

wikiから引用ーーーーーーーーーーーーーー
旧朝倉家住宅は、渋谷区猿楽町、台地が目黒川の谷に落ち込む南西斜面に、東京府会議長や渋谷区会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919年(大正8年)に建てられた。
大正期の和風2階建て住宅の趣のある建物と回遊式庭園を見ることができる。現在の所有者は文部科学省である。
当住宅は、大正期に建てられた大規模な邸宅であり、東京都心部に所在する数少ない関東大震災以前の和風住宅である。
建物は、主屋が敷地北側にあり、土蔵が西側に、車庫等の附属屋が東側にある配置となっている。主屋の外装材は、屋根が瓦葺き、外壁は下見板張り、部分的に漆喰塗りである。
屋内は、床が殆どが畳敷と、接客と家族のための座敷が統一されているが、茶室等の機能の違う部屋の意匠には特徴がある。
主屋は敷地北寄りの中央に位置し、複雑な平面構成をもつ。
主屋の主体部は南北棟・1階建の部分と、その西に接続する東西棟・2階建の部分からなる。
1階建部分は東面中央に玄関が突出し、これを入ると左手(南)に12畳半の応接室、右手(北)に洋室がある。
その西に接続する2階建部分は、1階に南北2列(各3室)、計6室の居室を設けていた。ただし、南列の3室は現在は間仕切りを廃して広い1室となっている。
2階は西に15畳の座敷、東に12畳半の次の間があり、その東には廊下を挟んで茶室と水屋を設ける。
15畳の座敷は床(とこ)、棚、付書院の座敷飾りを備え、天井は格天井とした格式の高い部屋である。
主体部の南西側には「杉の間」と称する座敷部が接続する。主体部の西、座敷部の北には廊下で囲まれた中庭を設け、中庭の西には別棟の土蔵が建つ。
「杉の間」は3室からなり、化粧材に杉材を用いている。
その北西に接して茶室を設け、茶室の北の小室は大きな円窓を設けることから円窓の間という。
円窓の間の北に接して先述の土蔵が建つ。このほか、主体部の北側に内玄関と台所、中庭の北側に家族室がそれぞれ突出する。
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ヒルサイドテラスに隣接しているのは、ヒルサイドテラスが元は朝倉家の敷地だったため。
敷地内にはもう一基塚(古墳)があるようだが、よく分らなかった。
下記の過去記事にも書いてあるが、二つの古墳の間を鎌倉街道が通っていたという。
今は髪の毛のカットに代官山に行く目的が増えたが、同潤会アパートがあった頃はとても好きでよく行っていた。

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【過去記事】
渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
鎌倉街道 中道 並木橋
猿楽古代住居跡(代官山)
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【過去記事】
■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
■復活 上野清水観音 堂月の松
■上野東照宮
■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■印刷博物館<武士と印刷> 徳川慶喜終焉の地
■文京区春日二丁目(小石川小日向第六天町) 徳川慶喜邸と新坂(今井坂) “徳川おてんば姫” 井出久美子
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■“青天を衝け” 高島秋帆 松月院<高島秋帆先生紀功碑>と西洋砲術の演習地 徳丸ヶ原
■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡>)
■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
■上野公園 時忘れじの塔
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■文京区目白台 腰掛稲荷神社
■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板橋一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
■北区滝野川・JR板橋駅前 新選組隊長 近藤勇が葬られた無縁塚(無縁塔)
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■板橋区仲宿 文殊院 子の権現 遊女の墓
■板橋遊郭 新藤楼
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍と加賀藩下屋敷の裏御門だった山門
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺の寛文の庚申塔 加賀藩前田家下屋敷の裏御門にあり移設された山門 平尾一里塚
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
■板橋区蓮沼町 古道 稲付道に立っている庚申塔
■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■中仙道か中山道か
■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
■旧中山道 平尾宿(板橋宿<上宿・中宿・平尾宿>)創業107年の銭湯 花の湯
■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋)のトンネルの湧水
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)
■東京第二陸軍造幣廠(板橋火薬製造所)と陸軍兵器補給廠を結ぶ軍用トロッコが環七(富士見通り)をくぐっていたトンネルの遺構
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所
■王子新道の由来と花月通<千川上水に架かる花月橋>
■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
■加賀藩と黒作り
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
■加賀藩前田家の駕篭
■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
■中山道 平尾一里塚(板橋一里塚) 一里塚まんじゅうと史跡
■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■加賀藩江戸下屋敷 御表御門道(旧中山道入口)と宇喜多一族 小字(下板橋)浮田
■東光寺 加賀藩下屋敷跡 宇喜多秀家の子孫が供養の為に建立した秀家の墓(移設された供養塔) 宇喜多秀家とその一族
■東光寺 平尾一里塚上に造立された石造地蔵菩薩坐像
■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■板橋区志村 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔
■板橋区志村2丁目(志村坂上)の住宅にある庚申塔
■体の中にいる虫 旧川越街道にある庚申塔・板橋宿観明寺の青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔・千川上水と中丸川の分水地点の庚申塔
■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
■練馬区田柄二丁目 (旧)川越街道と所沢道の追分に立つ庚申塚(庚申塔・道標) 鎌倉街道
■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
■練馬区 ふじ大山道
■清戸道の名家
■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
■新宿に縄文人現る
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
■新宿区 花園神社 内藤新宿<下宿茶屋中>の石碑
■新宿区 花園神社 復活した井戸
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■鎌倉街道 中道 北区中十条
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂
■文京区小日向 切支丹坂に間違えられた庚申坂
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
■板橋区弥生町 上板橋宿 豊敬稲荷神社の玉垣に刻まれた瀬戸川牧場
■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
■田端 東覚寺 赤紙仁王
■本郷肴町 棒兼
■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨薬園跡 <豊島市場>
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■巣鴨遺跡 巣鴨の町屋跡 既調査地点か
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
■北区十条四軒道路にある出桁造り
■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
■北区王子3・4丁目の出桁造り
■北区王子本町の出桁造り
■目白通りにある出桁造り
■渋谷川 庚申橋供養碑
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
■JR貨物北王子線と廃線跡
■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
■JR貨物北王子線の廃線跡 線路撤去工事
■東十条駅 下十条運転区検修庫解体
■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
■北区中十条3丁目の出桁造り
■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
■本郷追分と追分一里塚跡
■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■電話番号の表札 ◯◯方・◯◯◯◯◯呼出 ◯◯ 電報
■谷中、上野桜木の出桁造り
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
■北区西ヶ原の出桁造り
■文京区根津の出桁造り
■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘跡
■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸
■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 上板橋宿 下頭橋六蔵祠の扁額<博愛> 子爵 渋沢栄一
■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 養育院の始まりと渋沢栄一
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■滝乃川学園跡 三代目理事長 渋沢栄一
■西池袋 自由学園明日館
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) その後7月・10月と“おふじ道”
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
■豊島区駒込(染井) 西福寺への道標<大師道> 染井の泉と谷田川(谷戸川)の源泉の長池 染井吉野
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック
■江戸城 松の大廊下跡
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
■経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
■同潤会 上野下アパート
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■北区滝野川 三軒家 御代の台仲通り商店街の出桁造り
■駒込名主屋敷
■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
■護国寺惣門
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
■北区上十条2丁目の出桁造り
■北区上十条にある出桁造りと再開発により撤退した創業110年の八百市 橋本青果店
■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災
■東海道本線 特急型車両185系普通列車と仕事の思い出
■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地
■豊島区西巣鴨 旧中山道沿い かつてあったパチンコ天国