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2019 9/30 『例大祭』

9月に入って、あちこちで例大祭が。
日頃を感謝して。
賑やかでありワクワクしながらも、これから寒い時季に入っていくという、ちょっと寂しさも感じる。

今月と来月、副都心では盛大なるお祭りが行われている。
観光客も多く、一大イベントだ。
池袋本町の氷川神社、池袋三丁目の御嶽神社にお参りをして、副都心をぐるぐるとジョグ。
ナイキのシューズ、ズームライバルフライも足に馴染んできてより走りやすくなって距離ものびる。強いて言うならば、やはりシュータンが少し硬くて短いのが使いにくい。

水分補給もしっかりととって、全身塩まみれのザラザラも良いものです。
その後、晩飯は熱い熱い広東風五目麺を。
多めに走った後は、よりビールと晩飯がおいしい。
こんなことでもとても幸せを感じる。
いや、こんな具合に動けるだけでも十分に贅沢なことだろう。

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2019 9/27 『上野 殉死者の墓』

上野公園から鴬谷駅に向って行くと、右手に殉死者の墓の碑がある。
地図の黒丸あたりの武蔵野台地の縁で崖下には山手線などが崖に沿って走っていて、墓地に入れば眺望は良いだろう。かつての眺望は抜群だったはずだ。

引用---------------------------
慶安四年(一六五一)四月二十日、三代将軍徳川家光が死去した。
その後を追って家光の家臣五名が殉死、さらにその家臣や家族が殉死した。ここには家光の家臣四名と、その家臣八名の墓がある。
堀田正盛(元老中、下総国佐倉藩主)。
阿部重次(老中、武蔵国岩槻藩主)。家臣の新井頼母・山岡主馬・小高隼之助・鈴木佐五右衛門・村片某。
内田正信(小姓組番頭・御側出頭、下野国鹿沼藩主)。家臣の戸祭源兵衛・荻山主税助。
三枝守恵(元書院番頭)。家臣の秋葉又右衛門。
殉死とは、主君の死を追って家臣や家族らが自殺することで、とくに武士の世界では、戦死した主君に殉じ切腹するという追腹の風習があった。
江戸時代になってもこの風習は残り、将軍や藩主に対する殉死者が増加、その是非が論議されるようになった。
家光への殉死から十二年後、寛文三年(一六六三)に幕府は殉死を禁止。その後、この風習はほぼ絶えた。
--------------------------------
義尽くす.....近代でも殉死をする人もいますね。しかし、命がもったいないと個人的には思うが。でも、命を粗末にしているわけではないのだけど。

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2019 9/25 『中仙道か中山道か』

うちのMacで、なかせんどうと打つと“中仙道”とまず変換される。
変換の候補を選んでいくと人偏がない中山道が出てくる。
屋号に“なかせんどう”を使っている飲み屋などを見かけると中仙道という人偏がある方を使っていることが多いような気がする。
←この写真は旧中山道と赤羽線(埼京線)の踏切で、こちらの表記は仲仙道中にも山にも人偏を使っている。
じゃぁ中仙道?中山道?仲仙道どっち??と疑問も湧くだろう。
江戸時代にも人偏を付けるのか?付けないのか?どちらが本当なのだろうかという論争があったと言う。
徳川幕府は正式に“なかせんどう”の正しい漢字表記は“中山道”と決めて、それにならって人偏は消えていったという。
しかし、現在では中仙道でも中山道でもどっちでも良いということになったそうだが、経緯は不明。明治新政府の何かしらの力が働いたのだろうか。
しかし、過去の政府が決めた“中山道”が正式には正しいという方が良いだろう。
ネットで調べれば結論が分るだろうが、大元のルーターが先週の金曜日に壊れて、電話もネットも不通状態でテザリングで仕事をしているが、データをうんと喰うので、来週以降にまた加筆しようと思う.....台風の影響でNTTがすごく混んでいるとアナウンス....しかし不便だ。

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2019 9/18 『前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷』

東武練馬駅から高島平へと続く一本の重要な道がある。
それが不動通りと呼ばれて、道沿いの徳丸2丁目に中尾不動尊がまつられている。
東武練馬駅を利用する人には分るが、地図の青丸部分はこの谷頭で、ホームの下には急な崖になっている。
写真 1枚目、ホームは崖に架かっているような、際に建っているように見える。分りづらいが、ホームの下の隙間から奥の建物の窓が見えるだろう。
この谷をつくったのが前谷津川の支流だが、今はその跡を見つけることができない。しかし、地図の紫色の丸部分とその向いが、写真2枚目以降で、急な崖であることが分るだろう。
早い時期にこの支流の源泉は枯渇したのではないだろうか。
余談だが、青丸部分の線路沿いに現在は道が東西に走っているが、かつてはこの谷の為に、東西(上板橋駅と東武練馬の間)で分断していて、アクセスが悪かった。しかし、二十年くらい前だったか定かではないが、ようやく橋が架けられて東西が繋がり、ときわ台や板橋本町方面から東武練馬駅方面や駅前のサティ(マイカルとか名前を変えて、今はイオン)に行くのにとても便利になった。
橋が架けられる30年以上前は、東武練馬駅からこの道沿いを進むと、不動通りに降りる階段がかけられていて、当時はスケートボードを抱えて、この階段を上り、帰りはスケートボードに仰向けに寝そべって、この谷の急坂を滑り下りるのが楽しみのひとつでもあった。
その階段の手前にすたみな太郎という食べ放題のお店があり、スケート仲間とたまにドカ食いをしに行っていたが、美味しいという記憶がないのが良き思いで。

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2019 9/17 『カプセルトイ ガチャガチャ <妖怪根付>』

海洋堂のシリーズ3なので、人気があるシリーズなんでしょうね、この妖怪根付。(携帯のストラップ仕様)
2015年くらいの製品のようで、たぶん在庫処分品だろう。
2回やってフル着色のレアものも....あと土蜘蛛も。
しかし、よく出来ていますね。格好いい。

根付って、江戸時代に流行ったもので、印籠などを帯びにつるす時の留め具として作られた小さな彫り物のこと。

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2019 9/12 『田端操車場』

上野方面に行く山手線の車窓から見ていた基地、田端の基地。

いつだったか、ランニングしてて、たまたま通った道の先に田端操車場があった。 電気の機関車を見るとなぜだかワクワクするのは子供の頃から今も変わらない。
独ぼっちで爆走する電気機関車を池袋駅などで見かけると、いつもどこに行くの?と思う。
以前は東十条駅付近をよく通っていたけど、貨物列車やいわゆるブルートレインを見るとやはり釘付けになる。確かもうブルートレインは廃止になったと思うのだが、不定期の臨時ではまだ走っているのだろうか?

←これらの写真は3−5年くらい前のものだけど、年代的には国鉄型の意匠の機関車がオールドスクールで特にすてきなデザインだなぁとみとれる。
旧車の二輪や四輪が流行っていて、車体の価格も沸騰中だけど、そういう感覚と同じ。無骨で、今にはない意匠...かっこいいですね。
蒸気機関車やディーゼル機関車は特に興味はないのだけど、ディーゼル機関車の登場でもって蒸気機関車が消えてしまい、電気機関車の登場でディーゼル機関車もぐっと減っていき、まだまだ車輌はあるだろうが、将来的にはディーゼル機関車もさらに減っていくのではないだろうか。

国鉄カラーの車輌はもう大分減ってしまっているのだろうか。
これらの機関車のJRやEFなどのグラフィックには違和感がずっとあって、老体に突っつかれたカラーがなんとも残念に思えてしかたがない。

まぁなにはともあれ、力強い電気機関車、特に旧車はいつまでも残っていて欲しいが。。
....鉄板を曲げてザックリいくほどのごつい有刺鉄線が増設されたのは、新幹線などに落書きの悪戯がされたことによるディフェンスなんだと、友の電気機関車の運転士さんからかつて聞いたことがある。
理解に苦しむ行為。。

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2019 9/6 『読む年表 日本の歴史』

先輩が良い本を見つけたとFacebookにポストしていたので、取り寄せてみた。オールカラーで挿絵も豊富で読みやすい。
歴史の本、年表として優れた図書だと思ったので、アマゾンでポチリ。
ただ右よりな考えの部分もあるので、(日本を愛する歴史家なので当たり前かと思うが)人によっては、微妙に感じるかもしれない。

最近あまり本を読んでいないなぁと思ってたので、久々に楽しい。

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2019 9/4 『江戸城 松の大廊下跡』

皇居の中に入ったことがないという人は意外と多い。
というか、皇居に行ったことすらない....自分は10年前に初めて皇居に入った。その時、天守台跡や皇居の大きさにちょっと驚いたもので。

江戸城があった頃、本丸に松の大廊下があり、かの有名な播州赤穂藩主・浅野内匠頭が、高家・吉良上野介義央に斬りつけた事件が起きた。
その後、赤穂浪士討ち入りにつながって、何故か美化的なお話になっていることでも有名で。
確かに、仇を討つということは忠誠を誓うということでもあるのは分るが、斬ってしまってはいけないと思うのだが...
様々な意見や感情があるので割愛する。
そんな浅野内匠頭は平川門から江戸城を後にしたが、これは平川門が不浄門と呼ばれていて、城内で罪を犯した者や死人はこの門から外へ、大奥女中の通用門として機能していたという。勝手口(門)のようなものでしょう。
その松の大廊下跡は草木が繁って何もないのだが、平川門や北詰橋門から入場すると近くにある。
ちなみに、川がないのに平川門という名称になっているが、これは元々この近くに平川という川が流れて、江戸城(皇居)の目の前の日比谷入江に注いでにいたことに由来し、平川は古神田川でもあり、治水の為に隅田川に付け替えられた。
その後、徳川家康が治水の為(江戸の城下町の洪水防止)に、駿河台(本郷台地)を切り通して平川を神田上水として整備し名称だけが残った。
この大工事(普請)を命じられたのが仙台藩の伊達家(伊達政宗)。なので、この部分は人工で堀として機能していた。
皇居内には他にも様々な見所があるので、行ったことがない人にはおすすめです。
歴史に触れてみて、だだっ広い空がひろがる本丸跡の芝生で、大都会の地面に寝転ぶのも良いものですよ。
(写真は10年前のもの)

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2019 9/4 『作ること』

料理とか手伝いなどぜんぜんやらなそうですよねって言われることが多々あるけど、その逆で自分でよくやる。
これは片親で、幼い頃から自分で工夫して料理(料理と言えるものでもないけど)や裁縫、大工仕事やチャリンコの整備、その他色々、他にやってくれる人がいなかったので自分でやるしかなかった。
なので、必然的にあれこれ出来るようになっていった。
壊れたというか壊してしまったおもちゃや電化製品などは、必ず分解して中を確かめて、どういう仕組みになって動いているのかを確認していた。

そんなこんなで、自分で出来そうなものを自分で作るというふうに、自然とそうなっていった。
凝ったものはできないが、料理も他者の手を借りずに自分で作れる。
一人暮らしが長い男もそういう人が多いだろう。
ツナサンドが好きでたまに作るが、アボカド入りツナメルトはカロリーが高いが、これ、ホントおいしい。
で、久しぶりに作ったネギ油....長ねぎの青い部分が多く余ったら、揚げてしまって冷蔵保存。
3袋入りの生ラーメンなどの仕上げにタラっとかけて焦げたネギを少し散らせば、グンと本格的というか、相当おいしくなる。
少し茶色く揚がってきたら、それからは一気に焦げるので、作る際は要注意。簡単に作れるのでおすすめ。

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2019 9/3 『勝手に計測』

スマホなしでは絶対に生きていけないという子も多いだろう。
そんな話をよく耳にする。
前から次々とくる歩きスマホの人に辟易しながら、歩いている人ばかり?ではないだろうか。
人が多いところに行くのが嫌になる.....そんな人も多いだろう。
突然立ち止まって画面を凝視する人も多い。
そんなにスマホって必要かなとか思うけど....自分の場合は、スマホでは仕事は納められないし、スマホで検索もほぼしないし、買い物はしたことがない....アプリの地図もほぼ不要。
しいていえば、親の存在確認のための確認メールと仕事もメールが重要なくらいで、あとカメラとメッセンジャーなどが必要なくらいで、スマホで動画もほぼ見ないし、音楽もほぼ聞かない。ガラケーでも良いかもしれないとか思いつつ、当たり前だがスマホは便利なので重宝している。じゃぁ必要じゃないかということだけど。。

ところで、勝手に計測してくれているデイリーステップっていうアプリだが、多い月で約20万歩、アベレージで17万歩ほど歩いている(走っているのも含む)と、最近分った....これもあまりスマホに興味がないから知らなかっただけなんだけど。
一般的な40代男性よりは歩いたり走ったりしているのではないかと思う。
結構走っているランナーは200〜300kmとかたぶん普通なんだと思うけど、まわりにランナーの友がほぼいないのでよく分からないが。。

ランニングを生活にとりいれてもう10年と数ヶ月が経った。
大きくなりやすい体質なので、ランニングをしていなければ、たぶん80kgくらいにはなっていたのではないだろうか。
自分のBMIでもわかるけど、60kg前後で普通らしいので、筋肉質でコロッコロのビジュアルになっていたことだろう。
ちなみに、うまれた時の体重は4500gで、その病院の歴代2位だったそうだ。その後も、自分よりも大きくうまれた人には会ったことがなかったのだが、うまれて35年が経過した頃に、5000gでうまれたという子に会った時は驚いた。
彼は自分より大きくうまれた人にはまだ会ったことがないって言っていたのが印象的だった。
....生まれながらにして母に対するいじめっ子みたいなものだが、赤ん坊の頃の自分は泣きも笑いもせず、座った首でいつまでもずっと動かずにいてとても楽だったと母が言っていた。ハシビロコウのようなもんかな。

.....夏ももうそろそろ終わり。
どんよりした空にいくぶん涼しくなった夜、いつまでも明るかった夕刻がいつしか6時半を過ぎるともう暗くなっている。
もう少し涼しくなってきたらまたステンシルTシャツを作ってみよう。
このステンシルTシャツは10年くらい前に作ったもので、ボディは無印の3パックT。1000円くらいだった記憶があるが、値上がりをして2枚で¥1300となり、今は2枚で¥990となった。
様々なものが値上がり、材料費の高騰....
金なんて半端じゃないほどの値上がり。
20年近く前の金の価格は今よりも大分安かったのをよく憶えている。

季節の変わり目、ご自愛ください。

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2019 9/2 『6−7−8月のランニング』

この3年くらいはあまり走れていない状況が続いている。
皇居にもぜんぜん行っていない....3〜4年くらいだろうか。
皇居って、止まることがないから速いペースで走りやすいのが最大の魅力なんだろうと思うし、見ず知らずのランナーから刺激ももらえたりするのも良いもので。
自分は速いペースでは走れないので、速くともキロ5分切るくらいで10kmが心肺機能の限界。あまり心拍数を上げすぎると危ないし。

3年前は月に180kmくらい走れることがあったけど、今は20kmは走れないかな。。少し涼しくなってきたので、夜ジョグをし始めたけど、10kmくらいで脚がずんと重くなってくる。
でもまぁそのぐらいの距離でも気持ちよく走れたら、日常生活がラクになるので、それはそれでよしだろう。

汗だくになって飲ん兵衛さんらを横目に、副都心をあちこち流すのも気持ちがいいものです。
シャワー後は超絶にビールがうまいし。
新しいNIKEの厚底シューズもとても走りやすいから、より走りたくなる。
ファッションと一緒。