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2025 11/5 『<明日の記憶> 認知症<忘れてしまった大切なお薬> ランニングコースで会うおばあちゃん』

先日寝る前にふとTVを付けJCOMに変えると<明日の記憶>がやってて、久しぶりに食い入るようにみた。原作を小説で読んでいたから内容は知っていたけど、映像にするとこれはこれでなんとも切ない気持ちになった。

認知症、これはこれからの日本人の多くの方が今よりも経験することではないかと思う。私のまわり、親族や親など4人いて、一人は3年前にもう一人は1年前に旅立った。前者は中学を卒業していくつかの職を経て、介護福祉課(昔は家庭福祉課とかそのような名称だった)で多くの高齢者と接し、介護福祉の制度などが発足した第一の人で定年の少し前に介護福祉士となった。後者は旧帝国大学を首席で卒業してその後は国立大学教授としてたくさんの論文を発表していた。一時期アメリカの某大学で教鞭も執っていた。どちらも職を退いてからあっという間の十数年だった。
いつだったかもう10年以上前だと思うが、ランニング後に公園で休憩してた時に、おばあちゃんが隣に座った。住んでいるところや故郷の善光寺周辺のことを楽しく喋っていたが、あれこれと会話をしていると辻褄が合わなくなっていき、認知症なんだと分かった。
そしていつもランニングしているコースに、門扉を開けて私が通り過ぎるときに「がんばって!」と声をかけてくれるおばあちゃんがいる。ほぼ同じ時間に通る私を待っているかのように門扉にいたりもして、いつしか会話をするようになった。
「ちょっとお時間ある?」
「はい良いですよ」
「今日は私に何か持ってきているの?」
「いえ今日は何もないよ 」
「あぁそうだったわね」
「じゃぁまた、元気でね」

またある日。
「ちょっとお話しできる?」
「あぁ大丈夫ですよ、どうしました?」
「私の弟のひろしが歌手でね。知っている?今晩NHKの歌合戦に出るから観てね」
「あぁそうなの、分かった観るね」
「ありがとう」
とても嬉しそうに話しかけてくれた。帰宅して念のためNHKの番組欄を見ると歌合戦はなく、その歌手を検索しても見つけられなかった。「まぁそうだよな。分かってはいたけど・・・」と、なんとも言えない気持ちになって、そんな会話を家族としてると、声が詰まり涙が溢れている自分に気づいた。

私は長く言えば20年介護をして生活をしてきた。その中で晩年の8年はよく覚えていないほど月日が猛烈に早く経過していった。
認知症は徐々に姿を現すように、意味がわからない言動をしたり、あんなに毎日細かい内容のメールを朝晩欠かさずに送っていたのに、突然電話をかけられなくなり、その存在も忘れてしまう。1週間で全く顔つきが変わってしまったりもした。そして認知症と診断されて、よりたくさんのことを私が担うようになっていった。病院や高齢者施設の方々にはずっと頭を下げて感謝とお礼、謝罪などの言葉を言っていたように思う。
ただ、私と姉のことは最後まで覚えていたので、より深い悲しみはなかった。

施設のベッドの下でお薬カレンダーにいくつもの薬を詰めて、赤文字で『このお薬は体の痛みを軽くする一番大切だから必ず飲むこと』と出力した手紙を、1週間に2枚入れていると、ベッドからこちらを見て、「洋二がいてくれて、今まで生きてこられた。本当に幸せ。ありがとう。」と言ってきたのを今でもはっきりと覚えている。
「うんうん分かった」ベッドに置いた<大切にしているティッシュ>を数枚取って濡れたお薬カレンダーを拭き、『大切!お薬』と大きく書いたビニル袋に包んで所定の人目につかない大切な引き出しへ戻した。

認知症や介護で大変な日々を過ごしている方にはとても辛い内容ですが、とても素晴らしい映画です。(50歳の働き盛りのサラリーマン・佐伯(渡辺)が突如襲われた病・若年性アルツハイマー)

と、一気に寒くなって体もビジーですが、そんな日にはかきたまおぼろ昆布の水沢うどんでポカポカに。

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