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2018 8/31 『MacBook Pro 2017 Wi-Fiがつながらない症状』

先日、ルーターをsoftbankのルーターにして、セットアップをした。
MacBook ProのWi-Fiだが、最初はつながってホッとしていたけど、すぐにページの読み込み速度がえらい低下して、一切読み込まなくなった。
で、再起動かけたり、ワイヤレス診断をしたり、あれこれやってみたけど、ダメで、画像一枚目のように、「Wi-Fiはオンになっていますが、ネットワークには接続されていません。 」となった。
で、検索しまくってあれこれあれこれ、外付けHDが悪さするとか、USB-3.0が悪さするとか、いろいろやってみたけど、一切うんともすんともつながらなくなった。OSは最新のアップデートをする時間がとれないので、最終的にはこれをやってみようと後回し。
で、携帯はふつうにつながっているので、ルーターの問題ではなく、mac本体の問題だろうと、またあれこれしてみたけど、結局だめで、まぁ有線でも良いかとあきらめかけていたところ、 Type-cのハブを根元から引っこ抜いてみて、設定してみたら、すんなりとWi-Fiにつながって、安定した。
2日かかったけど、MacBook ProはこのType-c、USB3.0をつなぐと電波と干渉することが分った。
基本、マウスを使って仕事をするので、ハブを外してネットをみる意外は、結局有線にしないとならないということだけど。
でもまぁ繋がって良かった。
同じような症状の人は、ハブを引っこ抜くと良いかと思う。
ちなみに、Bluetoothはハブをつないでいても干渉しない。

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2018 8/27 『渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔』

庚申信仰は、江戸時代に盛んに行われ、多くの講(グループ)が作られました。
それにともない、たくさんの庚申供養塔があちこちの路傍に建てられたのです。
その信仰とは、六十日ごとに巡ってくる庚申の夜、うっかり寝てしまうとそのまま死んでしまうことがあると信じられていました。
庚申の日は、一晩中飲んだり食べたりしながら語り明かして、眠らないようにして過ごしたのです。
その仲間を庚申講と呼びました。
ここには五基の庚申塔と馬頭観音が一基あります。
囲いのなか向かって右側より、寛文八年(一六六八)、延宝四年(一六七六)、延宝二年(一六七四)、寛文四年(一六六四)の庚申塔があり、明治三十八年(一九〇五)の庚申塔は馬頭観音と共に囲いの外に建っています。
渋谷区教育委員会

地図の赤丸、住宅街に大谷石で囲まれた丘(塚、古墳だろうか?)に、この庚申塔が立っている。
お供え物のお酒などがあって、今でも近隣住民に大切にされているのがわかる。
1896-1909年の地図を見てみると、村と村を結ぶ重要な道であることもわかる。
上記に「六十日ごとに巡ってくる庚申の夜、うっかり寝てしまうとそのまま死んでしまうことがあると信じられていました。」と説明書きがあるが、詳しくは、人の身体の中には三匹の虫が居て、庚申の日だけ、寝ている間に身体から出るこができ、天に昇り、寿命を司る神に悪行を報告すると、神は人の寿命を縮めてしまうのだそうだ。
腹の虫がおさまらないとか虫の居所が悪いと言ったりするが、この虫のことだという。

【関連記事】
■渋谷川 庚申橋供養碑
■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
■鎌倉街道 中道 並木橋
■猿楽古代住居跡(代官山)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道

ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2018 8/16 『明治神宮 穩田川(渋谷川)の支流』

30年以上前、小学生の頃から原宿にはたまに遊びに行っていた。
素敵なファッションのお兄さん方を観に行っていた。
高校生の時に、初めて明治神宮にお参りデートした....ディナーは決まってじゃんがららーめんだった。
さて、明治神宮には湧水であるかの有名な清正の井があり、いくつか池をつくっている。
溢れ出した水は竹下通りの一本裏、プラームスの小径と言われている細いストリートの下を暗渠で流れて、明治通りを越えて、穩田川(渋谷川)へと注いでいる。地図二枚目。
穩田川(渋谷川)は現在のキャットストリートで、渋谷駅付近で宇田川が合流して、その先は開渠として、恵比寿方面へと流れている。
原宿の竹下口が坂の底、谷底になっていることが分るが、この支流が削った地形。
代々木駅で降りて、北参道から明治神宮へ入るコースが気持ちがいい。

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2018 8/14 『渋谷区神南2丁目1番先 水無橋』

表参道駅方面から神宮前5丁目〜神宮前6丁目を横断し、ここに至る道路は歴史が古く、江戸時代からあったものです。
青山から代々木村に達するただ一つの幹線道路でした。
明治16年(1883)に日本鉄道の品川・赤羽線(現在の山手線の前身)の建設が計画されました。
その線路を敷くために、新たな切り通しがここに作られました。
そのため、今まで使っていた大切な道路が切られてしまうということで、線路の上に架けられたのがこの水無橋です。
陸橋として作られたものでは、東京でも古い方でした。
その後、今の橋に架け替えられています。
渋谷教育委員会

地図一番上、原宿駅のすぐ近くの赤丸で囲ったところに架かっていいるのが水無橋で、今も生活道路として近隣の住民や近くに勤めている方々には重宝がられている。
かつて20年と少し前だが、原宿のプロペラがあった通り(現 ネイバーフッドがある通りで、エイプやアンダーカバー、古着のヴィンテージキングやバナナボート、ヘクティック、ダウンオンザコーナー、スニーカー屋blues、お米屋さんが営んでいる生姜焼きが激ウマだった有名な定食屋などがあった通り。30年ちょい前には悪役商会があった通り。)に友がお店を構えていて、 混んでいる表通りを避けて、よく裏道を使って移動していて、その時にその友に教えてもらった裏道がこの水無橋が架かっている道だった。
渋滞している交差点を避けて、メインストリートに抜けることが出来るためにとても便利な古道だ。
下から2枚目の地図は1896年〜1909年にかけてのもので、赤丸で囲ったところが水無橋で、代々木村へと続いているのがわかる。現在の表参道から続く代々木公園のメインストリートに吸収されているのが、この水無橋に架かる古道。

余談だが、明治通りと表参道の交差点は、常に渋滞をしていて、青山方面から明治通りへと下り、右折するレーンはとにかく時間がかかる。それ故に違反をしない二輪ライダーも四輪も、一端直進して、交差点すぐの左へと入れる一方通行の道を使い、明治通りに出て直進をすると早い。これは原宿を拠点とするドライバーらには昔から広く知れていて、自分もかつてはよく使っていた。少し前に、松本人志の◯◯な話で『捨て左折』という企画で放送していたことがある。
ショップ巡りも良いけど、気付かない歴史がたくさんあるのがともておもしろい町です。

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2018 8/8 『温度差』

昨日は23℃で3日前は37℃.....えらい差だけど、身体には優しい気温。
ロングスリーブとランパンでゆっくり目のジョグを。
少し寒さも感じるのは、日中は扇風機のみで、エアコンはつけていないから。キツイなと思えば少しつけるだけで、寝る時は寝室が暑いのでつけっぱなしにしている。
こんな風になったのも、かれこれ15年は経つ。体質改善をしないと、日常生活があれこれ辛くなってきたからで.....置き型の扇風機よりも壁掛け式の扇風機の方がグンと涼しいのでおすすめです...うちには二台掛けてある。
さて、そんな涼しい日にはもってこいの夜ジョグを....涼しいけど、走り終わったら全身塩まみれ。赤だしの豚汁がおいしい晩だった。
話が飛ぶが、歴史が好きになってかなり経つけど、遡っていくとやっぱり縄文時代や古墳時代もかなりおもしろいし、どんどんエスカレートしていって、人類のルーツにまでいくことになる。それがまたおもしろい。
日本独特のヒトである縄文人ってとても奥が深いんですよね。
気付いていないだけで、身近にたくさんの遺跡があるので、巡ってみるのもとてもおもしろいものです。
東京都遺跡地図情報

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2018 8/2 『電話番号の表札 ◯◯方・◯◯◯◯◯呼出 ◯◯ 電報』

町を歩いていると、たまに見かけるずいぶんと昔の電話番号の表札。
家庭に電話がまだぜんぜん普及していなかった時代のものだろう。
ご近所さんにもこの番号で繋げていたのだろうか。

時代は変わるが、自分が小学校低中学年の頃は、今みたいに一家に一台電話があるという時代ではない...というか、そういう地域だったのだろうか、学級の連絡網には“◯◯方(呼び出し...だったかな?)・・・・”という家庭の子が何人もいた。
自分が小学校にあがる頃に、ちょうど電話が我が家にやってきたように思うが、定かではない 。
小学校に上がる前は、施設に住んでいたので、その頃は“◯◯◯◯◯呼出 ◯◯”だっただろう。
自分が二十歳になった年の成人式の当日朝に、その施設で大変お世話になった先生から、お祝いの電報が届き、母と共にぽろぽろと泣いた。先生、憶えていてくれたんだと....心から嬉しかったのを憶えている。
先生は今生きているか分らないが、生きていてもお亡くなりになっていても、毎朝必ず先生と家族の健康と幸せを祈っている。

話がずれたが・・・
そして、クラスには大家族のために、毎日銭湯にも行けずに、身体が臭う子も何人もいた。
毎日汗だくで、どろんこになるまで汚れて、それで何日も風呂に入れないのだから仕方がないはずで。
逆に、裕福な家庭の子も何人もいたけども。
様々な家庭の子と遊び学び、その子らのたくさんの親にも接して、差別をしない心の機微に触れて安堵したり、見下されてぞんざいに扱われたり、悪態をつかれたり、とか、大人ってこう言う態度をとるんだなぁ....俺はこういう大人には負けないためにも一所懸命勉強して遊んでやるとホントよく思ったものです。

写真、上から2・3・4枚が、その当時(小学校にあがる前まで)住んでいた施設。
木の長い床....好きだったなぁ。
この当時、母はカメラを持っていなかったはずなので、先生か施設関係者が撮ってくれたものだろうと思う。しかもカラーだ。

現在、この施設は廃止され、保育園のみ現存する。
感謝しかありません。

....しかしまぁ〜この当時は、あちこちに散らばるブラウンの地雷との闘いだった。
みんなで銭湯に行く途中で、シューズの裏を包み込むほどの巨大なブラウンの地雷を踏んづけてべっこべこに凹んだり。
砂場で遊びゃぁ、ブラウンの地雷をグラブして、嫌〜な気持ちになったり。
とにかく、ブラウンの地雷を踏まないように気をつけてたなぁ。
今と昔では食べ物が違うからなのだろうか、昔のブラウンの地雷はまぁ〜本当にめちゃくちゃ臭かった。
何回負傷したことだろうか。
そんなの憶えていないくらいだ。
一番臭っていたクラスメイトは、自分だったりして。
ふと、そう思った。
・・・ でも、歴史ある良い町で育った。

当時、母が持っていた電話の権利は、何年か前に、もうお返ししたと言っていた。
携帯電話の普及や、ネットの発達などで、電話の価値が当時と様変わり。
時代の流れですね。

<2018 8/2 加筆>
お世話になった施設の先生から戴いたお祝いの電報....実家を整理していたら出てきたので掲載。

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