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2019 3/27 『五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通』

碑の裏に彫刻文字があるが、読めないので引用

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この付近一帯はかつて「御殿」と呼ばれた土地であった。
後に江戸幕府第5代将軍となる徳川綱吉が寛文年間(17世紀後半)にこの地を鷹場とし、宿泊所として「鷹狩御殿」を建てたことに由来する。
江戸幕府四百年を記念して之を建つ
平成15年(2003)11月吉日  練馬区

Via

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五代将軍、徳川綱吉が鷹狩りの時の宿泊や休憩所として、現在の錦2丁目付近に御殿を建てたことから、江戸開府400年を契機に平成15年に建てられた御殿跡の碑です。

綱吉は兄の四代将軍家綱からこの辺りを鷹場として拝領し、鷹狩の際は下練馬村に訪れていました。
『徳川綱吉にかかわり、練馬といえば全国的に知名度が高い練馬大根発祥の伝説があります』
綱吉が将軍になる前に、脚気を罹い、方角や『馬』のつく土地が病を治すには良いと占い師から言われたことから、練馬に『御殿』を建て養生をしたと言われ、脚気に効くと言われた大根の種を尾張から取り寄せ、土地の百姓金兵衛に作らせました。
素晴らしい大根が出来、味もすこぶる良かったそうです。
綱吉の病気が治って、江戸城に戻り、後に将軍をなっても、練馬の大根を献上させ、諸大名にもふるまった。
やがて下練馬村は日本一の大根村として名声を博すようになりました。
金兵衛は下練馬村の実在の人物です。
ここ下練馬(北町)は練馬大根の発祥と深くかかわっている土地柄です。

Via

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今でも上板橋あたりから赤塚あたりから練馬にかけて、多くの畑が残っており、大根を育てているのを見ることができる。
大根の葉がふっさふさで、とても美味しそうなんですよね。

さて話が変わるが、川越街道は中山道を整備した時代よりも古く、太田道灌が活躍した時代に整備された。
道はアップデートし続けるが、長年の願いだった環状八号線が2006年に全線が開通した。
渋滞の名所のひとつでもあった井荻付近、笹目通りと高島通りを使わないと、志村坂下・赤羽方面へは行けなかったのだが、構想から80年とか60年とかかかり、ようやく整備され、城北付近の住民にとってはとても便利になったという。
この開通によって、遠回りせずにあっと言う間に、荻窪方面に行けるようになったのだから。

下から2−1枚目の地図は、25年くらい前の物で、川越街道と練馬駐屯地付近の環八との交差点はぶっつり切れている。
黒い線が開通した環八(アバウトですが)で、既存の道や住宅街を通って首都高5号線の下の開通部分までつながった。
この新しく開通した若木付近は、今は暗渠になって消滅した蓮根川を飲み込むようにして開削、造られたと。
首都高5号線付近の環八脇には、中台馬場先貝塚があり、かつては水が豊富であって、目の前には遠浅の海が広がっていた。
若木という町の起伏が大きいのは、この蓮根川が削ったからで、環八を通ると起伏の激しさがよく分かる。
武蔵野台地から低地へと上り下り、その間に台地を流れる川が谷をつくるから、自転車や徒歩だとなかなかしんどい土地・地形だと、通るたびによく思う。
今まで、先に書いた北町の徳川綱吉御殿跡之碑がある道を通って、旧川越街道を通り、東武練馬駅の踏切を渡り、現 イオンを曲がって、不動通りを通り、5号線の下や高島通りを通って、国道17号に出て行っていたのが、この環八の開通によって、これまた遠回りせずに済むようになったのは、西台や徳丸や高島平の住民、赤羽や王子の住民にとってもとても便利になったという。
新しい町の計画や道は、反対する近隣住民も多いのは確か。
しかし便利になることも多いし、逆にこれは本当に必要なのか?ということも多かったりする。
とても難しいこと。

話がそれるが、昔はこの地図をバイクにくくりつけて、調べながらあちこち行っていたなぁ。
今は紙媒体の地図ってほとんど使わないから、地図製作会社も大変だとよく目にしますね。
紙媒体の地図で読書、インフラ好きな自分はこれが趣味のひとつとも言える。

【過去記事】
田柄川
中台馬場先貝塚
赤塚不動の滝と大根
田柄川の水源と茂呂遺跡
出井の泉跡(出井川)

【過去記事】
幕末を巡って
散歩JOG
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
榎本武揚から緒方洪庵へ
高島流
大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
千葉周作の墓 木戸孝允の駒込別邸
板橋城跡 赤塚城跡
遺されたものが語ること#2 石神井城跡
仙がい義梵
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
新選組 沖田総司 逝去の地
雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
案内標識と庚申塔
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
御鷹方御組屋敷道
上板橋宿と大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
中山道 齋藤商店
現存する都内の一里塚
東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
千石緑地
延命地蔵堂の石造物群
観明寺 左甚五郎作の龍
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
JR貨物北王子線と廃線跡
陸軍板橋火薬製造所跡
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜
加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
旧中山道 縁切榎
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
蓮根馬頭観音縁起
四ツ又馬頭観音
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
電話番号の表札
小松屋横町道
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡
板橋区赤塚 鎌倉古道
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック

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2019 3/25 『久しぶりのお墓参り』

ほぼ寝ていない晩が明け、早朝からあれこれ私事をこなして、昼すぎに時間がとれたので、地元のスケート仲間の友のお墓参りへ。
毎朝祈っているけど、2年ぶりだろうか....久しぶりのお寺.....うちからはアクセスが良くなくて、結構遠い。
やすらかに。

で、あちこち寄って、元地元の首都高五号線の橋脚.....これも大昔からある有名な四輪二輪スケートボードの暴走対策グラフィックのひとつ。
かつては暴走族が夜な夜な走っていて、迷惑とも元気とも言える町、道でしたが、今はどうなんでしょうか。いわゆる高齢化で旧車でもう若い子は走っていないのだろうか。
その後、赤塚公園で一杯独りでさみしくひっかけて....これはこれで旨いけど。
この日は20kmほど歩いて走って、いい運動になった。
ふくらはぎがずんと重くて、心地よい疲れで気持ちよしだった。

【過去記事】
オールドスクール
オールドスクール #2
生まれる
あぶないランプ
クルーザー
メイク
思いでの撤去
オールドスクール #3
あぶないランプその2
中年スケーター
JT
スケートボード道
スケート祓い
28年前のクルーザー
レールバー
やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
IXLオイルとガッツレーを流用
クルーズにもいいデッキ
中年スケーターのブルース
もう一度
#14
HILAQUE
VANS 50 YEARS Kickflip
MoMA
OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
AND SKATEBOARDING
Zorlac Todd Prince 高い??
梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
UNIqueでスケートボードのレクチャーを
スケートをする意味
我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
また出会って、共に生きましょう
自分のためにスケートを
オヤジスケーター
この1年半のスケートボードの練習まとめ
SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
家でスケートを MADE IN VENICE
やすらかに
スケートボードのホームグラウンド
GET RAD
マドンナエア
YouTube 作ってから1年半
久しぶりのお墓参り

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2019 3/19 『旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近』

池袋駅方面から飛鳥山へと明治通りを走ると、意識をすれば分るのだが、なだらかな坂を下って西巣鴨へと坂を上がる。
そして、またなだらかな坂を下って飛鳥山へとぶつかる。
前者の坂は谷端川が削った谷で、後者は旧石神井川が削った谷だということは、地形や地理に明るい人にはよく知られたことだが、一般的にはあまり知られていないことだろう。
地図2枚目の赤い丸が旧石神井川がかつて流れていた跡で、写真1枚目の赤い丸がその部分で、凹んで谷になっているのがわかるだろう。

今となっては消えてしまった川だが、地形は昔のまま残っている。
意識してみると、さまざまな発見があるので、おもしろいものです。

王子の低地から武蔵野台地を上がって、桜で有名な飛鳥山を通り、いくつか消滅した川を越えて、これまた有名な桜の名所の神田川へと下っていく都電に乗って流し花見をするのもいいのではないかと。

国土地理院より引用

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来
神田川に注ぐ谷端川
谷端川のお多福弁天
谷端川 田楽橋
谷端川 大塚にある瀧不動
板橋区大山西町の用水路
石神井川
かつての石神井川
石神井川 旧河道
石神井川 旧河道の露頭
昭和の石神井川
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川に佇む不動明王 安全の祈願
石神井川の付け替え
石神井川 東宮降誕植桜之碑
石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
下野谷遺跡
王子七滝
長池跡(谷田川源流)
谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
不忍池
水窪川
田柄川
ボクらのホームグラウンド、前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
玉川上水
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
水無橋 神南2丁目1番先
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
鎌倉街道 中道 並木橋
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
新選組 沖田総司 逝去の地
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
赤塚不動の滝と大根
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
のぞき坂
巣鴨遺跡
駒込富士神社と古墳群
猿楽古代住居跡(代官山)
東池袋遺跡
庚申塚 巣鴨遺跡
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
須藤公園
根ノ上遺跡
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)
田柄川の水源と茂呂遺跡
豊島区の湧き水と池
稲荷台遺跡
赤羽自然観察公園の湧水
公開された茂呂遺跡
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 游鯉園の坂
逆川(古石神井川の流路)
今宮神社駐車場の湧水
赤羽台第3号古墳石室
巣鴨遺跡 町屋跡
巣鴨遺跡 柳沢家
出井の泉跡(出井川)
板橋区 清水坂
北区 道音坂
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々
北区赤羽西 真正寺坂
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区滝野川 狐塚の坂
庚申塔 恵比寿西二丁目11番7号
弥生式土器の発見地
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区・北区 御代の台

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2019 3/14 『最近のジョグ』

2/16に10.20km 7'01''/km 1:11:33が最近走ったもの。
アプリの通知で、「今日は走りますか? 前回のランは27日前でした。ランをルーチンにしていこう!」とお誘いがくる。
以前は、月にアベレージで100kmくらい走れていて、結構走り込んだ月は200kmちかくになることもあった。
現在はあまり走れていないけど、大荷物背負って歩いてはいる。
徐々に前のようにしていこう。
そうこうしているうちに、ランニングをはじめてもうすぐで10年になる。
実に早いもので。
トータルで約12200kmだそうだ。
よく「走ると脚が太くならない?」とか聞かれることもあるけど、脂肪が落ちて筋力がつくので、人によってはグッと細くなったり、きれいなラインになるのではないかと思う。走り込めば、筋肉が目立つようになる。

走るって手軽で楽しいものです。
スニーカーさえあれば、いつでも走ることができるから。
心拍数を上げてがんがん走るのはすすめられないけど、ゆっくりゆっくり走るのがいいですね。
仕事後のビールもおいしいけど、走ったあとのビールはそれとはまた違ったおいしさがあるんですよね。

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2019 3/8 『国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一』

飛鳥山公園の南側一帯には、日本の近代経済社会の基礎を築いた、渋沢栄一の自邸が所在していました。
現在、敷地は飛鳥山公園の一部になっていますが、旧邸の庭園であった所は「旧渋沢庭園」として公開されています。
渋沢栄一は明治三十四年から昭和六年に亡くなるまでの三十余りをこの自邸で過しました。
当時の渋沢邸は、現在の本郷通りから「飛鳥山3つの博物館」に向うスロープを上がった付近に出入り口となる門があり、邸内には、和館と洋館からなる本邸の他、茶室や山形亭などの建物がありました。
残念ながらこれらの建物は昭和二十年の空襲で焼失してしまい、大正六年竣工の「晩香廬」と大正十四年竣工の「青淵文庫」、この二棟の建物のみ「旧渋沢庭園」内に現存しています。
「晩香廬」は、渋沢栄一の喜寿の祝いとして、「青淵文庫」は傘寿と子爵への昇格の祝いとしてそれぞれ贈呈されたものです。
どちらの建物も大正期を代表する建築家の一人で、清水組(現 清水建設)の技師長を務めた田辺淳吉が設計監督しています。
当時の世界的なデザイン・美術の運動の影響を受けた建築であることが評価され、平成十七年、「旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫)」として二棟が重要文化財(建造物)に指定されました。
平成十九年三月 東京都北区教育委員会
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この一驍ヘ縄文時代から現在に至まで一等地である。
詳しくは過去記事をご覧ください。
“過去記事”
北区西ヶ原 熊野坂
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々
赤羽台第3号古墳石室

空襲で東京のいたるところの重要な物や人が焼失してしまった。焼夷弾を使って、無差別に焼き尽くす必要が本当にあったのだろうか.....残念でしかたがない。
“将軍が撮った明治”という、最後の将軍 徳川慶喜が撮った写真をまとめた本があるのだが、この渋沢邸やその他たくさん貴重な写真が掲載されている。図書館に置いてあり借りたことがあるが、とてもおもしろかった。

【過去記事】
幕末を巡って
散歩JOG
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
榎本武揚から緒方洪庵へ
高島流
大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
千葉周作の墓 木戸孝允の駒込別邸
板橋城跡 赤塚城跡
遺されたものが語ること#2 石神井城跡
仙がい義梵
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
新選組 沖田総司 逝去の地
雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
案内標識と庚申塔
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
御鷹方御組屋敷道
上板橋宿と大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
中山道 齋藤商店
現存する都内の一里塚
東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
千石緑地
延命地蔵堂の石造物群
観明寺 左甚五郎作の龍
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
JR貨物北王子線と廃線跡
陸軍板橋火薬製造所跡
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜
加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
旧中山道 縁切榎
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
蓮根馬頭観音縁起
四ツ又馬頭観音
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
電話番号の表札
小松屋横町道
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡
板橋区赤塚 鎌倉古道
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック

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2019 3/6 『北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)』

北区西ヶ原、本郷通りの旧古河庭園横になだらかな坂がある。
地図の赤い部分がその坂で、大炊介坂(おおいのすけざか)という。
自転車ももちろん歩いていても説明の碑には長いこと気づかなかった。
歩道に向けてひっそりと建っているので、当然エンジン付き車両では、気づくことはないだろう。
地図の下を東西に青いラインを引いているのは、谷田川(下流の谷中根津では愛染川という。かつては、巣鴨の染井霊園の長池から湧きだし、不忍池へと注いでいた川で、古石神井川の流れでもあった。
その古石神井川(後の谷田川)が削った谷であり、坂として残った。

引用----------------------------
坂の名は、この辺(あた)りに住んでいた中世の武将保坂大炊介にちなんで大炊介坂と呼ばれているが、坂の上の平塚神社にちなんで宮坂(みやさか)とも、樹木に覆われていたので暗闇坂(くらやみざか)とも呼ばれていた。
この道は岩槻(いわつき)街道で、江戸時代には、将軍の日光東照宮社参の行列が通ったため日光御成道(にっこうおなりみち*1)と呼ばれたが、現在は本郷通りと呼ばれている。
この辺りに江戸時代には牡丹園が設けられたこともあった。
--------------------------------

生きている江戸の歴史「東京の坂道」石川悌二 昭和四十六年十二月二十日発行 より引用---------------------
黒闇坂、宮坂の別名がある。
豊島区駒込のはずれの霜降橋から、北区西ヶ原一丁目の古河庭園東脇へ上る坂路で、妙義坂に相対している。
「東京府村誌」の西ヶ原の条には「本村の東南岩槻道にあり、南に下る。長さ一町十間広さ三間、坂勢緩なり。昔保科某(大炊介)此辺に住せし時の遺称なり。また黒闇坂(くらやみ)といふは、もと樹木欝茂せしによるなり。」と記されている。
坂上の古河庭園は明治の富豪古川市兵衛の旧邸で、昭和三十年にその庭園が東京都の公園になったが、建物はまだ移管されていない。
これはジョサイア・コンドル博士の設計した英国ルネッサンス風の明治期西洋建築の代表的遺物として、その庭園の美とともにながく保存されなければならぬ。
-------------------------------
中世の武将保坂大炊介にちなんだ名だというが、調べてもあまり出て来ないので、詳しくは分らなかった。
この大炊介坂の途中に老舗の名店“丸十ベーカリー”が、クラシックな佇まいで営業をされている。安くて美味しいのでおすすめです。

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来
神田川に注ぐ谷端川
谷端川のお多福弁天
谷端川 田楽橋
谷端川 大塚にある瀧不動
板橋区大山西町の用水路
石神井川
かつての石神井川
石神井川 旧河道
石神井川 旧河道の露頭
昭和の石神井川
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川に佇む不動明王 安全の祈願
石神井川の付け替え
石神井川 東宮降誕植桜之碑
石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
下野谷遺跡
王子七滝
長池跡(谷田川源流)
谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
不忍池
水窪川
田柄川
ボクらのホームグラウンド、前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
玉川上水
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
水無橋 神南2丁目1番先
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
鎌倉街道 中道 並木橋
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
新選組 沖田総司 逝去の地
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
赤塚不動の滝と大根
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
のぞき坂
巣鴨遺跡
駒込富士神社と古墳群
猿楽古代住居跡(代官山)
東池袋遺跡
庚申塚 巣鴨遺跡
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
須藤公園
根ノ上遺跡
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)
田柄川の水源と茂呂遺跡
豊島区の湧き水と池
稲荷台遺跡
赤羽自然観察公園の湧水
公開された茂呂遺跡
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 游鯉園の坂
逆川(古石神井川の流路)
今宮神社駐車場の湧水
赤羽台第3号古墳石室
巣鴨遺跡 町屋跡
巣鴨遺跡 柳沢家
出井の泉跡(出井川)
板橋区 清水坂
北区 道音坂
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々
北区赤羽西 真正寺坂
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区滝野川 狐塚の坂
庚申塔 恵比寿西二丁目11番7号
弥生式土器の発見地
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区・北区 御代の台

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2019 3/4 『漬け』

久しぶりにマグロの漬け丼を作ってみた。
とても簡単で....ビジュアルは悪いけど、まぁまぁおいしい。
一冊二人前のマグロ赤身、みりん大さじ2酒大さじ2を飛ばして、醤油大さじ3追加。どうでしょう、漬けるのは一時間くらいがちょうどいいだろうか。数時間だと濃くなりすぎるから。

ようやく確定申告も終わり、わんさか来る書類の整理、方々に電話やメールに、あちこち走り回って....色々追われ、今は一時の一段落。
でも休みはほぼナシ。
久しぶりにLSD(ロングスローディスタンス....長い距離をゆっくりとジョグすること)もしたいことだけど、今どうだろう、15kmも走れるのだろうか。。久しぶりにスケート(スケートボード)もしたいなぁ。
....って、もうすぐ桜の開花ですね、早すぎる。。