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2022 10/28 『栄養を摂ってもうひと踏ん張り』

数日前に、デスクの横に付けている壁掛け式扇風機を外した。
リビングの壁掛け式もそろそろ外そう。

さて、食欲の秋と言うが、あまり酒を飲まず過ごしているととにかくお腹が減るので、早朝からしっかりと沢山食べるサイクルになり、数ヶ月で体重が8kgも増えた。そうなると走りにくいので6kg落した。ランニングをしててもあっという間に体重が増えるので、日頃の運動なしの生活を続けていたらと思うと、えらい体型になるなと再認識。
そんな食欲があるということは幸せなこと。

上から1枚目、鶏ひき肉とごぼうの炊き込みご飯、きゅうりと山芋の浅漬けと大量のすりゴマをかけたピーマンの煮物をのせて。

2枚目、めちゃくちゃおいしい出汁がでる秩父しめじの豚汁。

3枚目、秩父しめじの肉じゃが。

4枚目、のり唐揚げ弁当...それだけだどバランスが悪いので、ピーマンの煮物と塩昆布のきゅうりの浅漬けをのせて。

5枚目、夜になり+100円足すと肉が倍増になるというダブルビッグマック....これはもういいかな。。

6枚目、オクラとしめじとピーマンのグリーンカレーご飯。(鶏肉はナンプラー漬けると味付けにもなるし柔らかくなるような気がする)

凝った料理はしないけど、食べたいなとか好きな食べ物は自分で作った方が早い。外食の時は自分で作れるか作れないかが注文する基準となっているので、好きというのもあるが、外食はラーメン屋になることが多い。

まぁしかし、ありとあらゆる物の値上げで嫌なものですね。
購買意欲がだだ下がり。

この4年間で立て続けに4回引っ越しをしているような状態なので、栄養を摂ってもう一踏ん張り家族のために頑張ろう。

他で暮らしている親にも、好きな料理を食べさせてあげたいなとよく思う。

【関連記事】

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2022 10/26 『板橋宿(上宿) “諸国道中商人鑑”江戸時代のファストフード 即席 御休泊所 御料理 [旅籠<吉野屋>] その先岩の坂を上ると縁切榎と稲付川』

地図の黒丸部分の中山道沿い、日曜寺や智清寺につながる道の角に吉野屋という旅籠・料理屋があったという。

板橋区役所の情報スペースで行われている企画から引用ーーーー
江戸時代のファーストフード 『吉野屋』
江戸時代のファーストフード店、200年後こうなってます。
『諸国道中商人鑑』に描かれた中山道板橋宿の吉野屋。
メニューが牛丼!ではなく、『お茶づけ』だったようです。
旅籠の営業とともに旅人などに料理も提供していました。
本町31番付近
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他にも休憩場や旅籠が多くあるが、吉野屋だけその姿が描かれているので、規模が大きく名がある店だったのだろう。
この先の旧中山道、京方面の岩の坂を上って行くと、吉野屋の右に描かれているように縁切榎がそびえていて、ほとりにはかつて稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れていた。
今でこそ個人情報保護の観点から、縁切榎の絵馬には保護シールが貼られて納められいるが、かつては縁を切りたい人の実名(夫や彼氏、上司などが多かったと見受けられた)や大変に強い言葉でどういう状況に陥って欲しいとかが書かれ、まるで見て下さいと言わんばかりの状態だった。実名ややられた行為を晒すことで、恨みの願いが半分叶い、そして天に届くようにも思えた。実際に恨みが当事者に届くのだろうか。丑三つ詣で(丑の刻参り)という行為、わら人形を御神木に打ちつけて願掛けをすることもかつてはよくあったようだし、少し前に、戦争を指揮しているロシアのトップに災いが起きるようにわら人形を五寸釘で御神木打ちつける行為がいくつも起った。宮司が大変に残念な行為で、許されることではないと言っていた。今も昔も神への冒涜なのだろう。
どうなのだろうか、恨を願う、そして叶うと同じボリュウムで自分自身にも返ってくるようにも思えるのだが。
現在では逆に、病との縁を切りたいとか、人生の悪い流れ、それらとの縁を切りたいなど時代の流れで、信仰が変わりつつあるという。

【関連記事】
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋

■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎

■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件

■旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道 清水種苗店の本家 清水権右衛門・清水金蔵商店 <清水夏大根とその種>
■旧中山道<種子屋街道のあゆみ 滝野川三軒家の町並み 日本農林社のあゆみ>
■旧中山道 大正大学構内 日本農業を支えた種子屋街道 <中山道の種子屋[滝野川三軒家の一つ榎本家 屋号“枡屋”]>と<江戸東京野菜> <江戸・東京の農業 滝野川ニンジンとゴボウ>
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)

■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2022 10/21 『<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校 清水稲荷神社“出井泉(酒泉渓)”と“清水氏・板橋氏”』

<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校から引用ーーーー

十三、傅説・石碑

1、傅説

出井泉(酒泉渓)
清水町の町名は出井泉から湧出する清水から出たとの事である。
江戸時代の遊歴者十万庵釋敬順はこの地の傅説を次の様に其の手記に載せてゐる。
「武蔵豊島郡板橋の驛は御領にして下宿上宿と分れて一驛なり。驛中に板橋あり。
長さ九間之を上下の境とす。此の驛の西の方を前野村といへり。此村の内に清水村等あり。
是小名のよし、一村の廣さを察すべし。これは伴の驛を出はなれ凡一丁ばかりにして街道より左に入る事凡四五丁に清潔の冷泉湧出す。清水の號は之より起るとなん。是は往古此村に貧しき農夫ありて老いたる父を持てりしが、此老父性質酒を好でたのしむといへども家貧しければ飽迄飲んて酔ひたる事なし。しかるに或日老父泥酔して漸く家に歸る。その體甚醉て臭き事酒を煮るが如し。依つて其の子父に尋ねるに答へて曰く、彼所に好美酒湧出して流る。われ不圖爰に到り日頃の志願を遂げて飽く迄飲みしま々に覚えず斯く酩酊すと語りぬ。彼子不審に思ふ事大方ならず、老父と共に其の地に到り見れば、いかにも其の邊甚だ酒臭し、然れ共其子飲む時は水にして老父の飲めば則ち美酒なり。是老父が爲に天より授興し給へしものと見ゆ。故に生涯飽くまで飲酒に富んで死亡せり。依て彼地を呼んで酒泉渓といひ、後又清水村と改めけるとなん。彼濃州養老の瀧の杣苅仁助の類ならん。されど、彼は飛泉にして是は窪き渓澗の池水たり。先その所は往来の北側を一丈餘りなだらかに下れば幅二、三間長さ十餘間池の如く水湛て深さ一丈に過ぎず。西の崖下に水口二ヶ所ありて清水湧出し早魃にも凅る事なし。此水輕く煎茶によしと聞いて、宮田市左衛門及び印東路牛の両氏を爰に同伴し、同所西角百姓利右衛門(新兵衛と號)方にて一煎し、又土瓶に汲んで帰宅し煎茶して楽めり。其後遠山瀾閣、清水一夢の両隠士を伴い、よろづの種物に名高き清水權右衛門が宅に憩ひ、晩飯のもてなしに腹こなして、又候酒泉の舊地を逍遊しける。清水權右衛門宅よりは凡そ三丁餘、又縁切り榎の両建石より左の畠路を入りて、凡そ六丁ばかりあらんか。」
池の周囲の山林は村有地、保安林となつてゐたが昭和七年十月市郡併合と共に清水稲荷神社の付属地となつた。

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板橋宿のうちの上宿付近や清水稲荷神社近辺には板橋さんが多いのは、上宿の名主で脇本陣をつとめた板橋市左エ門家だったこととその子孫が今もお住まいなのだろうと思う。
石神井川に架かる板橋(橋)、河川の直線化の工事で脇本陣板橋市左エ門家跡は消滅してしまったようだ。

※誤字や機種依存文字などもあるかと思いますが、原本から文字を起こしてみました。昭和10年代の書物でしょうか。

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■<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校 清水稲荷神社“清水氏・板橋氏”
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■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■蓮根川緑道 ヘビ公園
■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池

■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ

■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2022 10/17 『出井川の暗渠化と憩いの場 <出井の泉>』

板橋区役所の情報スペースで行われている企画から引用ーーーー

昭和52年(1977)12月、首都高速5号線の開通に合わせ泉町〜前野町四丁目の高速下に新しく区道が開通しました。
この場所には出井川が流れていましたが、首都高の建設により暗渠となりました。
その後、住民の為のための憩いの場所として、緑の植樹帯や遊歩道、子どもの遊び場、人工のせせらぎが設けられ、現在でも区立宮下公園として地域の人々に親しまれています。 前野町四丁目33番付近

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出井川は板橋区泉町のある現<出井の泉公園>の湧水を最大の水源として、新河岸川にそそいでいた。
紀元前5世紀、縄文時代には出井の泉は既に水が湧いており、そこから川が流れていたと思われると。
長い時を経て、生活用水、お茶やお酒にも使われ、大山詣の際にはこの出井の泉で身を清めたという。

現在でも湧水が確認されている。

※下から2枚目、大山不動明王碑は近くの清水稲荷神社に移設されているとのこと。
※一番下:『郷土清水』 板橋区志村第一尋常小学校より引用。古い写真を印刷してあるために、とても見づらいが、左真ん中あたりのまとまった草の下に見える四角いものが反転して水面に反射している。写真の下三分の一が泉とわかる。

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■板橋区泉町 出井の泉跡(出井川)
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■板橋区前野町 <常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)>と板橋区小豆沢 <龍福寺建長七年板碑>
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■蓮根川緑道 ヘビ公園
■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池

■板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■板橋区志村2丁目 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔>
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■練馬区 ふじ大山道

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2022 10/12 『時代を紡ぐ』

広報に掲載しているコラムを集めた総集編<時代を紡ぐ>¥330くらいだったと思う。
それぞれの地域の昔を知る高齢者も綴っている、全部で144のコラムが掲載してあり、大変に貴重なお話ではないかと思う。
これらのコラムの内容は比較的知っている方だが、十代〜三十代の世代の方々には想像も出来ない歴史も多いかと思う。

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2022 10/7 『無化調のラーメン <NO MSG RAMEN>』

化学調味料、うまみ調味料をパラパラ入れる家庭料理をよく食べて育った人々には、なんだか味が物足りないなぁと思う料理にはソレが入っていなことを感じるだろう。
特に町中華やラーメンには必須だったりする。炒飯を調理しているシーンでは、結構ソレをパラパラではなくザッと入れていたりするのでびっくりする。ソレを入れないとうまみが出ないのだろう。
きゅうりのおしんこにはソレの結晶が見えるほどかかっている食卓に同席することも、かつてはよくあった。
なんでもそうだが、良い悪いではなく、摂り過ぎるのは良くないという着地点で良いと思う。

麺屋 はちどり>というラーメン屋が旧中山道沿いにあっていつも並んでいるために入店することはなかったけど、家族がおいしいらしいよというので行ったのが2年前。このラーメンは無化調だと言う。
MSG世代ゆえ、上記のように、最初は、とてもおいしいくて優しい味でもどこか物足りなさまではいかないけどそんな印象だったけど、2回目以降はそのおいしさにハマってしまった....これがソレを使わない味のラーメンなんだと、うまいわと。

とてもおいしいやわらかいチャーシューは持ち帰りも出来るので、100g〜200gほどたまに。(100g/330円くらいだったかな。安いと思います。)チャーシュー炒飯やチャーシュー丼にしてもとてもおいしい。
※一番上が和風冷やし中華だったかな。2番目が背脂にぼしラーメン。
その下のが持ち帰ったチャーシューで作った潤沢なチャーシュー丼。

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2022 10/6 『ぐっと深まった秋 Le minor』

あんなに暑かった6月〜9月.....ずっとノースリーブで過ごしていた。
ジーンズはほぼ穿かずに、ほぼランニングウエア的な、ジャージ的というか、よく言うとアスレジャー、スポーツミックスだった。
そして家は家族優先ゆえにずーっとエアコン付けっぱなしだったので、ようやくスイッチOFFになり嬉しいかぎり。
気温も下がってきた昨日、ダウンベストを着ている方もみかけた。
この時季は25年前に買ったルミノア(サイズは3と4)と短パンと合わせてちょうど良い。シューズは色々合わせやすいけど、ニューバランスのランニングシューズFuelCell PROPEL を。
最近はオーバーサイズ寄りが流行りなので、自分にとっては今は少し大きめのこのサイズもちょうど良い。

これからあれこれまたバタバタ続きになるので、体調管理をしっかりとしないと。
季節の変わり目、ご自愛ください。

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