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2021 4/28 『巣鴨プリズンの遺構 水窪川<排水口> イケ・サンパークに移設・復元)』

かつて造幣局があった敷地は現在イケサン・パークという防災公園となって生まれ変わった。
造幣局の前は巣鴨プリズンの一部(サンシャインの敷地も含め)だったこともよく知られている。

この公園が開園されたのは去年の夏のことで、食事をしビールなんかもあおったりすることができるので、家族連れにはとても人気のある公園となっている。
同じようなスタイルの公園は池袋東口に近い南池袋公園で、こちらも芝生には大勢のファミリーや恋人同士や仲間が集う素敵な公園となっている。オープンエアだが、少し密のように見受けられるが。

そんなイケサン・パークの入口に巣鴨プリズンで使われていた排水口が移設・復元されている。小さくともしっかりとした要石(アーチの一番上の石)も印象的な姿。(地図の青丸部分)

案内板から引用ーーーーーーーーーー
石積みのモミュメントについて

このアーチ状の石積みは、本公園の敷地の隣接道路(都市計画道路補助176号線おとび特別区道41-340)を支えていた石垣の一部で、周辺道路整備で撤去した際に保存し、公園内に復元したものです。
かつてこの地には巣鴨刑務所があり、関東大震災で被害を受けその後縮小され、昭和14年、縮小により空地となった土地の一部に造幣局が移転してきました。この地には長らく貨幣の製造工場や博物館がありましたが、それらの機能は平成28年にさいたま市へ移転し、その跡地に豊島区からの要請を受けたUR都市機構が本公園を整備しました。
そうした歴史から、かつてこの石積みは巣鴨刑務所の排水口として、この周辺を流れていた水窪川(現・暗渠)につながっていたのではないかと考えられています。石垣の石は他にもこの公園で再利用していますので探してみてください。
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上記の通り、今は暗渠となった水窪川へ刑務所内で出た雑排水を流していたようだ。
水窪川については下記の関連記事を参照に....このイケサンパークから水窪川跡を少し進むと下流域になり、谷がかなり深くなっている。
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【関連記事】
■池袋の川 弦巻川
■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
■豊島区の湧き水と池 <弦巻川の水源である丸池跡の元池袋公園の思い出>
■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線) 
■水窪川の擁壁 小日向台の崖線から滲み出す水 八幡坂 江戸切絵図より
■水窪川が削った深い谷と階段 旧大塚坂下町(大塚五丁目)
■複合遺跡 東池袋遺跡 旗本中西家の屋敷地と御鷹方御役屋敷

■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑

■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
■文京区小日向 切支丹坂に間違えられた庚申坂

■オールドスクール
■JT

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2021 4/26 『鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)』

地図の緑色の線が旧川越街道で、旧中山道方面へ向かうと、アーケードが名物であるハッピーロード大山商店街となり、商店街の中程で街道に架けられた大山橋で千川上水を渡る。逆の川越方面へ進むと、この交差点から上板橋宿がはじまり、宿場を越えるとすぐに石神井川を渡る。
一方、桃色の線が鎌倉街道で、北上すると赤羽の岩淵宿となり宝憧院の門前を通り、荒川を渡る。逆の鎌倉方面に進むと、写真一番下の黄色い建築物の右側の細い道になる。

手押しポンプは両街道の交差点にあり、排水口がないので、現在は使われていないように思われるがどうだろうか。
中山道よりも昔から通っている古い両街道の交差点は交通の要衝で、ずっと昔から絶えず人々が通り、集まったことからこのポンプがあるのだろうと思う。
江戸時代後期の文化文政時代に、鎌倉街道にいつの頃からか、おふくさんという行者が来て、街道筋の人々(人馬)の難病苦行を癒し、大山宿の住人から大変慕われていたという。加持祈祷をしていたのだろう。
今も昔も人々が通り集う要衝である故に、水を汲み手押しポンプが付けられたのだろう。
古い時代から拓かれていた交通の要衝のこの地域の人々が、幕府の依頼(命令)を受けて板橋宿を整備したことも知られている。

現在再開発真っ只中である大山は、自分が昔住んでいた子供の頃から徐々に始まっていて、かつての姿をガラッと変えつつある。
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【関連記事】
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
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■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号

■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
■板橋区弥生町 上板橋宿 豊敬稲荷神社の玉垣に刻まれた瀬戸川牧場

■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>

■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又

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2021 4/21 『巣鴨薬園跡 <豊島市場>』

地図の黒丸部分に豊島市場があるが、かつては巣鴨薬園があった。
上から2−3枚目の<復元 江戸情報地図>に御薬園と書かれていて、その隣りに長池(谷田川の水源で、古石神井川の水源のひとつでもあった)という文字も見える。
※ 2−3枚目の地図は天地を反転させているので、3枚目には西側に描かれているように見えるが、実際は東側にある。

案内板より引用ーーーーーーーー

このあたりは、もともと伊勢国津藩主藤藤堂和泉守家の抱屋敷の一部であったが、明和六年(一七六九)に伊奈半左衛門預りの幕府御用林となった後、寛政一〇年(一七九八)頃に幕府に仕えた渋江長伯が管理する巣鴨薬園となった場所である。
薬園というのは、薬用植物を栽培し、疾病治療の用に供する施設のことであり、日本にはすでに八世紀前半期には存在していた。
その後、江戸時代になると、幕府主導のもと薬園制度は急速に発展し整備され、幕府直轄のものでは小石川薬園・駒場薬園などが、藩営のものでは尾張・会津・熊本・長州・薩摩のものなどが知られている。
巣鴨薬園を管理していた渋江長伯(一七六〇〜一八三〇)は、幕府に仕える医師かつ本草学者であり、寛政一一年(一七九九)には幕府により蝦夷地での薬草調査に出かけている。
約一万二千坪(約四万平方メートル)あったといわれる巣鴨薬園は、別名綿羊屋敷とも呼ばれていた。これは渋江長伯が文化一四年(一八一七)に日本で初めて綿羊を飼育し、羅紗織の試作を行ったことから来たものとされている。
明治維新後、巣鴨薬園は廃止されてしばらくの間私有地となっていたが、昭和一二(一九三七)年三月、東京市中央卸売市場豊島分場が開設され、その後東京都中央卸売市場豊島市場となり現在に至っている。

平成十四年三月 
東京都豊島区教育委員会
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■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川

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2021 4/14 『石神井川 染井吉野の桜並木と谷端川下水道幹線<千川上水の放流(停止)>の吐口』

地図の青丸部分、石神井川へ大きな吐口が開いていて、いつも水量が多い。
かつては千川上水の清流復活事業から、この吐口へも千川上水の水を石神井川へ落すことが計画されていたが、板橋区の大山付近の暗渠管が壊れていて、この事業は中止されたという。

撮影したのは3月末。
桜が咲き乱舞する入学式、今は卒業式の光景となった。
小中高、校舎には冷房はなくても平気だった。
電車にも冷房が無かったけど、それも平気だった。

新型コロナウイルス感染症は、変異して再び猛威をふるいだしている。
皆様も十分にディフェンスを。

※映像は下記。
(720×1280 32.5MB mp4 こちら

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■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
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