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2023 10/14 『王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>』

掲示板<王子駅の歴史>より写真を引用ーーーーー
写真上から2枚目〜6枚目、昭和38年と昭和42年の石神井川氾濫による王子駅付近の洪水被害も酷かった様子がよく分かる。
石神井川は武蔵野台地から低地へと流れを急激に変え、王子駅前でほぼ直角に流れを変えることで水の流れが悪くなるため、かつて大雨が降ると度々石神井川が氾濫し、下流域の住民は長年洪水に悩まされ続けていた。
この洪水問題を解消するために石神井川は飛鳥山の下へ流路変更工事(飛鳥山分水路 昭和43年〜58年)をした後、近年も王子駅北側の隅田川合流地点方向の下流域(低地)では、激しく一気に襲う集中豪雨があると洪水に見舞われている。
さらに氾濫洪水問題を解決するために、石神井川をはさんで城北中央公園の対岸にあった板橋自動車教習場を都が買収して、その跡地の下に貯水槽を建設中でもうすぐ完成する。
これによって、前途の近年希に襲われた最下流域での氾濫もほぼ収まるとみられている。しかし、異常が通常になっている現在ではそれでもカバーしきれない事態が、今後無いとは言いきれないかもしれない。

1945年(昭和20年)の終戦後の混乱の中、北区の王子駅西口の石神井川沿いにはバラックが立ち並び、バタ屋(バタヤ)部落が形成されていたという。バタ屋とは屑屋(くずや)とも言い、廃品回収業者のことで、リアカーなどを引いて廃品や不用品を集めて生計を立てていた。在日外国人も多かったという。
東京都が度重なる行政指導、撤去・退去命令を発令するも、この王子駅前のバタ屋の住人に従う者はいなかったという。
このような部落や違法なバラックは板橋区大谷口の石神井川近くや大山、豊島区要町・千川の千川上水付近にもつくられていた。
大谷口の木造密集地域のバラックは石神井川の支流のエンガ堀のさらに支流であった溜池を埋め立てて造ったという。大谷口の木造密集地帯はつい20年弱前まで存在していたこともよく知られていて、かつての溜池の源泉である湧水が今も健在だという。(板橋区役所 湧水地点一覧より:板橋区大谷口上町61番 しみだし程度)

王子音無橋にもどこからかやってきた人々が住みついていたり、橋の下には様々な人が集まると言われてきたし、「橋の下で拾ってきたんだよお前は」というセリフもよく聞いたものだ。今は高速道路の橋梁(橋桁)の下に家を失った人々が集まり生活をしているのをよく見かける。
諸事情で家を持たなくなった人々などは、不思議と辻、交通の要衝の交差点に住まう。それは魂が生へ、生きよう生きようとしているのだろう。そして、バラックは水が流れるところに出来るのも<人が集う>ことと共通している。

※写真一番下の写真、王子駅のガード下から上流の音無橋までバラックが続いていたという。その後、その一部の人々が移ったのが、焼失して今は無い飛鳥山下の線路沿いにあった<さくら新道>で、出火当時にこの飲み屋の二階に若い女性が住んでいたということが報じられ、「“こんな”ところに若い娘が住んでいたのが驚き」というような書き込みを見たことがある。
こちらの日本史講師の先生がX(旧 Twitter)で、王子駅西口すぐの音無川沿い(現 音無親水公園)にあった王子音無川に連なるバタ屋部落の写真を紹介されていた。左岸(写真右手)奥に見えるのは『料亭 扇屋』だろうか?

昭和33年狩野川台風襲来による石神井川の氾濫による大規模な洪水によって、王子駅から音無橋付近まであったバタ屋(バタヤ)部落はすべて流されたという。その後は部落も形成されずに、音無親水公園として整備されることとなった。
親水公園へと整備される前の無機質で何も無い音無渓谷の映像を、映画<十九歳の地図>で見ることができ、セットの建て込みかもしくはその当時建っていて営業していたか不明だが、音無橋下あたりに飲み屋が出てくる。昨年この飲み屋あたりに建てられたビルの1階にカフェが営業を開始し、同じような営業形態としてクラフトビールや渋沢栄一ゆかりの地の酒なども飲めるそうだ。

縄文時代から近現代にいたるまでずっと栄えている王子、今も良いところです。
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第1表 東京都区部における「屑拾い」および「拾集人」数の推移
地域/年 1932年 1939年 1955年 1957年 1959年 1961年 1963年 1967年 1971年

千代田・港・中央 48 114 83 214 181 199 79 74 39
文京・新宿・渋谷・豊島 256 81 274 682 844 685 571 240 106
台東・墨田・江東 184 591 346 676 672 219 330 396 210
足立・荒川・江戸川・葛飾 2,933 3,443 927 1,053 1,049 784 492 262 116
品川・目黒・大田 21 281 125 255 359 300 227 229 57
世田谷・中野・杉並・練馬 14 218 61 191 273 398 172 60 41
北・板橋 19 47 39 141 190 165 206 103 30
合計 3,475 4,775 1,855 3,212 3,568 2,750 2,077 1,364 599
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第2表 東京都区部における「バタヤ」地区の概要
区 所在区域 住居数 世帯数 人口 面積(m2) 不良度 地区類型 土地特徴 形成時期

豊島区要町 236 217 536 1,400 A 仮小屋適正 1954 年
北区王子町 54 56 206 500 A 仮小屋公共戦後
板橋区大谷口町 24 24 106 1,357 C 仮小屋適正不明

※ジオグラフィカ千里第1 号(2019) <戦後東京,「バタヤ」をめぐる社会と空間 本岡拓哉>より引用
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●整備された板橋区大谷口の部落跡や大山駅線路沿いの闇市跡と板橋駅線路沿いの闇市跡(名残り)は今後掲載します。
●参考映像(Youtube)
東京のバラック小屋と住人のインタビュー音声【昭和49年・1974年】
バラック小屋 に引越しする老夫婦【昭和36年】
ドキュメンタリー 新住宅難時代(1967年NHK)
団地に引越し/2DKが夢だった昭和の東京都民

【関連記事】
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>
■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など

■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件

■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)

■音無渓谷 音無川(石神井川)に架かる舟串橋と扇屋の洋食部の洋館 ー絵葉書よりー
■<王子に生まれて>石鍋商店 石鍋秀子 “石神井川の思い出”
■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>
■石神井川の付け替え
■石神井川飛鳥山ずい道(生物の遡上不可と言われている) 久保田橋・緑橋付近<令和3年の生物調査の概要>
■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神(稲荷社 2021年4月7日加筆)
■江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) <王子 扇屋「狂句合 扇屋へ馴染になつた三の午」> 歌川広重
■王子 飛鳥山 さくら新道 共同洗い場

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2023 10/11 『あ、いいですねコレ』

7年くらい前だったかな...デスクで細かい作業、カッターで出力したデザイン画をスルスルっと切ろうとした時に、「あれぇ、見えにくいなぁ(二重になる)」と突然気付いて、というか気になったというのか...手元が遠くなるとピントが合うが見にくいなぁ、これが老眼か?
ある日、親の介護で実家に泊まり込んでいた時に、布団の中で眼鏡を外してスマートフォンを見たら、あらよく見えるなと。

進行はするが徐々にという速度なので、気になった時がスタートみたいなものでしょうか。
今もまだあれこれよく見えるけど、手元のデスクとの距離で、小さな文字の読み書きに支障が出つつあったので、度を二段階さげたメガネを新調したら、細かい字が良く分かるほどなかなかよく見えるようになって、嬉しいような悲しいようなところで。
筆ペンも太いボールペンも細いボールペンも書いた文字がはっきり見えるようになったが、この<許容するよく見える>ラインはどこまで続くのだろうかと。自分は眼鏡を外すとよ〜く見えるので、まだ良いような気がするが、目が良い人は眼鏡をかけないと手元が見えないと何かと不便だろうと思う。
俳優のムラジュンさん(元プロスケーターでモデルでもある村上淳さん)やモデルの五明裕子さんの老眼エピソードもおもしろいし、セントフォースの役員になったフリーアナウンサーの望月理恵さんが「ぼんやり生きている」と言ってたのもおもしろかった。彼らは50歳くらいなので、日常生活に支障が出始めたのだろう。

眼鏡はいくつも持っていて、5年ぶりに新調したものはランニング時以外に普段使っているメガネのフレームよりも太めで、雰囲気が少し濃くなる印象で、いいですねコレ。

ちくわの孔にツナが詰められパンの生地に巻かれたお惣菜パン。
おつまみに、いいですねコレ。

【関連記事】
■2017 2/22 『黒縁』

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2023 10/4 『<昭和二十年 東京地図><続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など』

前から<読みたい本リスト>に書いていた本を借りたらおもしろかったので、ウェブ検索してメルカリで入手。全然読んだ形跡がない新古のようで、2冊で1000円というびっくり価格だった。土曜日朝7時半にポチったら、出品者さんが速攻で10時に発送してくれてさらにびっくり。日曜日の昼すぎに届いてさらにびっくり。そんなことを家族に話したら、「早っ、おじいちゃんなのかもね」と。自分はおじいちゃんではないけど、毎日3時くらいには起きているので、同じようなものか。

今から約40年前の昭和61年に発行されたもので、内容がその当時の写真を交えた40年前の昭和20年前後(戦前戦後)のがらっと変わった都市の記憶が書かれている。専門書ではないので、都市計画やドキュメンタリーが好きな方にはとてもおもしろいのではないかと思う。懐かしい写真や貴重な写真もたくさん掲載されている。

「昭和20年8月15日を境として分かたれた戦前と戦後。その境を越えて失われたものと残されたものとを、現在の東京のなかに訪ね歩く。
ーーーーーーー
戦前と戦後の断絶と連鎖の断片をつむぎつつ、いま40年を経て東京の町を歩いてみる。戦前の記憶をとどめる建物・景観の写真と文章でつづるもう一つの東京論。」

上から4枚目、池袋二丁目にあった消滅寸前の百軒店(三業地)で、立ち退きの際に出たであろうか、廃材などを燃やしている。荒廃した光景。ここは劇場通りを開通させるために消えたという。(現在はほんのわずかに料理屋などの痕跡が残っている)また、東池袋の日ノ出町の商店街も活気があってとてもよい写真が掲載されている。
1番下、右ページは軍用線がかつて走っていた場所で、王子スラム(王子バラック)と言われた土手で、ここも荒廃した立ち退き直前の光景が見られる。

秋の夜長に読んでみよう。

池袋三業町会ともに生きる

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■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>

■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件

■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)

■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
池袋三業町会ともに生きる

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2023 10/2 『十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工』

地図と写真の黒丸部分、都市計画道路(岩槻街道拡幅工事)の整備に伴い、冨士神社の冨士塚(富士塚古墳<この付近は十条台古墳群でその一部>)も整備されることになった。
地図の岩槻街道の左側(西)が立ち退きとなって整備されているのは、右側は武蔵野台地の崖がすぐ目の前で際だから余地無しとしてだと思う。
何年もかけてようやくほぼ全容が見えてきた。計画通りに元の富士塚の多くは削られてしまいこじんまりとした姿となったが、それでも尊く大きな存在だ。正面以外の三面は擁壁で囲まれて安全になったが、少し無機質な雰囲気になったように見える。
コロナウイルスのまん延なども重なってしばらく中止していたお祭りは、今年は山も開かれてお祭りが開催されたそうだ。(去年は縁日はあったような気がするが)以前は自由に登頂して参拝できたように、今後も自由に登れるのだろうか。(この時は閉鎖していた)

なにはともあれ、ようやく整備もほぼ完了というところだろう。

<十条冨士講>ウェブサイト

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