2014 4/30
『ランニングだけでないサングラス』
太陽がギラッギラの厳しい下でも街を長い時間を走るので、目ん玉の保護のためにもサングラスしないと、と思いつつコンタクトつけるのめんどいし...
バリバリのランニング用のサングラスでもいいし、ランニング用でないウエリントンのサングラスでおしゃれに軽いかんじで走っている人も多い。
ランニング用のは値段もピンキリだし、速い人にみえるし、自分の身の丈にあってないし、なんかラフなのないかなとずっと思っていたところ、よさげなのを発見、右上のキャッツアイなやつ。
目ん玉の保護と集中できるというけど、走りにあまり集中して走っていないファンランなのでちょっとじゃまになっちゃうかな...と思ったりもするけど。
メガネ5本、だいぶ処分したけどぜんぜんかけないサングラス5本。
レーシックしたいけど再び視力低下する方も多いし術後の後遺症に悩む人のことを聞くと...やりたいと思っていたけど、メガネもコンタクトもわずらわしいけど、一生コンタクトとメガネでいいかな。
2014 4/29
『トラック』
ホームグラウンド...
だいたい河川沿いだとか元川だったところとか、水に沿って走っていることが多いけど、皇居もお堀沿い。
環状一号線沿いを走る皇居ランナー...
真緑色をしたお堀の水は抹茶のようで。
スズメが上空の枝や足元で大げんかをしている。
じっとしていると鳩がやってきて顔をのぞいてくるのはどこでも一緒。
ひとりで行ってひとりで走って、あちこち寄り道して昼ちょいすぎには帰って、
午後は二人で買い物に行ったりしてまたよく歩くというのがいつものパターン。
日曜日の朝、久しぶりのトラック、皇居へ...自分の自転車を降ろすのめんどいので6段変速のミニベロママチャリで。
7年乗っていてけっこう走っているのでリアタイヤはスリック気味で、空気圧はかなり高めにして乗り心地は良くないけどキビキビ進んでくれる。
この日の皇居は気温も上昇してなかなか暑いし、
まだ本調子じゃないから左足首右足首あちこち痛みはじめ気味で早々におわり。
だいぶ混んでいて走るの気をつかったけど、やっぱり気持ちがいい。
早めに戻って買い物へ。
シンプルでタイトなつくりでジャストサイズ、一発で気に入ったジャージを入手。
ジャージはトラックジャケットと名をかえて...
ジャージ、ラクだわほんと。
そしてそのあしで、ちょっと行きたかった豊島区立郷土資料館へ。
この資料館の目玉は明治から昭和の豊島区の地図がセットになっていて、なんと¥900で買えること。
地図好きにはなんてたまらないんだろうって思うハズ。
鎌倉街道はここに通っていたのか!とか.....それぞれの時代を見比べてかつてと今を回想してあれこれ妄想するのはなんて健全なんでしょう...
って、家族に隠れてコソコソあそこに行って遊んだり、結構お金つぎ込んだりというのと比べたらと。
と、偶然みかけて、もしや?!と思って手にするとなんと...
Nike x Undercover GYAKUSOU 2013 SSのランニングシューズだった。
定価からマイナス¥8000と信じられない金額で。
いつ見ても素敵なカラーだなと思います。via
ま、街にあるものをよく見て歩いているといいことがありますね。
って、なんだか洋服がどんどんラクで動きやすいなのになっていっている。
だからたまにはくブーツがこれまた良かったりするんだよなぁ。
2014 4/23
『ラーメンの鬼』
先日、ラーメンの鬼が亡くなられた。
有名なラーメン評論家も少し前に亡くなられた。
誰かが言う。
ラーメン、たばこ、酒....三大ワルだと。
彼らに共通しているのはラーメンだけど、なかなかお酒も呑まれる人だったと。
たばこは病気のリスクが上がるというが、70歳すぎてもたばこを普通に吸っててもいたって健康な方も多くいるのは、そういう方々は身体に悪いものが入ってきても排除する強い特殊な遺伝子があるからだと医師が言っていた、なるほどと。
先日は一年ぶりにこってこての博多ラーメンを、おいしいくて麺2たま弱おかわりしたけども食後はずーっと口ノドがからっからだったなぁ。
と、よく登場する生めん的ラーメン。
鶏チャーシューを入れてみたらなかなか。
しょうゆと酢と砂糖だいたい同量(肉の量によって大さじ2−3くらい)、ネギの青いところと生姜スライス数枚、鶏でも豚でもいいけど投入して弱火で蒸し煮して、水分がなくなったら完成。
すごくかんたんに出来るのでたまに作るチャーシュー。
もうなんか、この袋麺でもういいかもと思うような思わないような。
だって、味玉とメンマとネギ油入れたら中華屋のとあまり変わらずにウマイし。
お湯は100ccくらい薄めてちょうどよし、1−2週に一回食べてあきないちょうどよさ。
激安な豪徳寺の満来のしょうゆラーメン、北千住のりんりん....
こういうお店もいつまでもがんばって欲しいほっとするラーメン屋ですね。
でもなんでこんなに安く提供できるのでしょう。。
2014 4/22
『声をかけられる』
まぁほんとうによく人に声をかけられるのだけど...
家の前で少し立っている時も多いし、繁華街や都内の観光スポットでも多い。
ランニングウェア時が多いけど、その場で道に迷っている人でその時に地元にみえる地元でないランニングウェア姿の人が現れるからなのかな??
今朝は20日ぶりに朝ランを...新緑がすごい道を走って交差点でとまると、背後から「すいません ちょっとすいません〜」と電動車いすのおばあちゃんが。
「ん?なに、どうしたの?」「◯◯駅へはどうやっていったらいいですか?」
「えぇ”!!ここから2kmくらいあるよ、遠いよ〜大丈夫なの??」と。
なんでも、銀行に行くと...本当に大丈夫だと言うので、段差ありの信号がない交差点を2ヶ所越えないとならないこと、横断歩道へ迂回してと、エレベーターがあるところを伝えて...大丈夫なのは15km走れる電動車いすを新調したからだと。
心配なので少し並走、世間話をして、別れ際「またここを通るから逢いましょうね♪」と、おばあちゃん。じゃぁね気をつけてまたねと。
つい先日は、門扉の前でネマキ姿のおばちゃんが立ってて「すいませ〜ん、助けてください」と。なんでも、鎖がフックにとどかなくて引っ掛けられないと...鎖のコマ数を調節したらとどくからやるけど大丈夫?と、で調節して試してもらって、もう大丈夫だよと、じゃぁねとあとにした。
全く爽やかでない風貌だし、声をかけて尋ねたりしやすい感じでもないのに何でかな不思議.....って、やっぱり朝ランは身も心も爽快になる、最高。
2014 4/21
『徳川慶喜 第六天町 屋敷跡』
文京区の小日向(春日2丁目)に徳川慶喜一家がかつて暮らしていた屋敷跡がある。
山手線が開通してうるさくなるからと、巣鴨から水戸徳川家屋敷跡(現 東京ドーム、後楽園一帯)に近いこの地を選んで引っ越してきたという。
敷地は台地と低地にまたがる傾斜を持つ。
低地の先には神田川が流れている。
今井坂(新坂)をのぼっていくと碑があって、敷地内には大銀杏の樹が威風堂々とたっている。
屋敷があった頃、ここは玄関だったという。
下にあるかつての屋敷の写真に写っている樹がこの大銀杏だろう。
歴史や町の変貌をみてきた銀杏...
屋敷のとなりには丸ノ内線がひっきりなしに通っている。
開通にあたって台地を切り通したのだろう。
結局、うるさい電車にご縁があったということで。
まだあまり建物もなかった明治大正昭和初期...
傾斜を持つ敷地に建つ屋敷から、台地から低地にかけてすごく壮大な景色がみられたことだろう。
台地の上に住んで、向こうの下には神田川がさらさらと、時には荒々しく流れている。
慶喜が引っ越してくる前に、お隣には松平容保が住まわれていたという。
こちらが詳しい。
慶喜も容保も互いに苦労し、第六天町で終焉と...
と、写真を撮りまくっていたところに、
セレブにちがいない若い夫人が連れた飼い主の言うことをまったくきかずに全力でリードを引っぱるミニチュアダックスに威嚇されて...「◯◯ちゃん、だめでしょぉ〜」
写真が趣味だった慶喜は、農村地区だった板橋にもよく撮りにきていた。
石神井川、収穫された大根、用水路で洗っている写真や
日曜寺というお寺さんの写真も撮っているが、山門前を通る道は和宮が中山道をとおって徳川家茂のところに降嫁する際に、中山道沿いに生い茂っていた不吉な“縁切榎”を迂回したルートで。また紹介したいと思う。
と、慶喜の記事をちょくちょく書いているけど、
慶喜が好きということではなくて、
慶喜が行動していた地域をたまたまよく通っているから親近感があって。
しかし、ここらへんの地域は特に坂だらけで昔も今も移動が大変ですね。
...足首をグネって回復をまつこと2週間。
95%回復といったところか、痛みはほぼないけど違和感はあるから...
18日ぶりにしっかり走れて、かなり寒かったけど気持ちが良かった。
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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポ・四方山話など>】のリストが展開します。
- ■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
- ■経王寺 彰義隊を攻撃した山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
- ■復活 上野清水観音 堂月の松
- ■上野東照宮
- ■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
- ■上野公園 時忘れじの塔
- ■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野 <闇市 残飯シチュー>
- ■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
- ■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■印刷博物館<武士と印刷> 徳川慶喜終焉の地(文京区春日(小日向))
- ■文京区春日二丁目(小石川小日向第六天町) 徳川慶喜邸と新坂(今井坂) “徳川おてんば姫” 井出久美子
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
- ■高島平の名の由来 高島流
- ■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
- ■“青天を衝け” 高島秋帆 松月院<高島秋帆先生紀功碑>と西洋砲術の演習地 徳丸ヶ原
- ■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
- ■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
- ■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
- ■江戸城 松の大廊下跡
- ■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
- ■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
- ■仙がい義梵(仙p和尚) <東輝庵> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■板橋区東山町 板橋城跡の候補地のひとつ長命寺 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
- ■板橋区 志村城山遺跡・志村城址 <熊野神社に残る空濠>
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■志村熊野神社所蔵絵馬・扁額・付寄進札 <絵馬殿>
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区前野町 <常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)>と板橋区小豆沢 <龍福寺建長七年板碑>
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板橋一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
- ■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
- ■北区滝野川・JR板橋駅前 新選組隊長 近藤勇が葬られた無縁塚(無縁塔) <近藤勇隊長の死と無縁塚> 寿徳寺住職 新井慧誉 著 (現住職 新井京誉) [近藤勇の墓と寿徳寺]
- ■新選組の局長 近藤勇が着用したと伝わる甲冑発見 富山県高岡市 徳川家ゆかりの古刹・国泰寺<山岡鉄舟が寄進>
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
- ■板橋区仲宿 文殊院 子の権現 遊女の墓
- ■板橋遊郭 新藤楼
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
- ■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
- ■板橋宿(上宿) “諸国道中商人鑑”江戸時代のファストフード 即席 御休泊所 御料理 [旅籠<吉野屋>] その先岩の坂を上ると縁切榎と稲付川
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍と加賀藩下屋敷の裏御門だった山門
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺の<寛文の庚申塔> 平尾一里塚附近にあった<加賀藩前田家下屋敷 裏御門>を移設した<山門>
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏(庚申塔・馬頭観音など)
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■板橋区蓮沼町 古道 稲付道に立っている庚申塔
- ■中仙道か中山道か
- ■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
- ■旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道 清水種苗店の本家 清水権右衛門・清水金蔵商店 <清水夏大根とその種>
- ■旧中山道<種子屋街道のあゆみ 滝野川三軒家の町並み 日本農林社のあゆみ>
- ■旧中山道 大正大学校内 日本農業を支えた種子屋街道 <中山道の種子屋[滝野川三軒家の一つ榎本家 屋号“枡屋”]>と<江戸東京野菜> <江戸・東京の農業 滝野川ニンジンとゴボウ>
- ■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
- ■いまむかし旧中山道 <巣鴨地蔵通り商店街>
- ■大正大学 すがも鴨台観音堂(さざえ堂)<鴨台観音結縁御手糸>
- ■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟<幸世>を重ねて
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨薬園跡 <豊島市場>
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■巣鴨遺跡 巣鴨の町屋跡 既調査地点か
- ■都電庚申塚駅 旧中山道 延命地蔵堂の石造物群
- ■豊島区巣鴨5 将軍徳川綱吉より建てる許可を受けたョ禅寺(總禅寺/そうぜんじ)の赤門 朝日通り
- ■旧丹羽家腕木門と蔵 染井霊園<藤堂家の墓所>
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
- ■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
- ■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り<米屋伊勢五などの出桁造り> 90年代中頃の新中山道(国道17号線)を走る大型三輪トラック(オート三輪)
- ■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
- ■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
- ■旧中山道 平尾宿(板橋宿<上宿・中宿・平尾宿>)創業107年の銭湯 花の湯
- ■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
- ■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
- ■秋葉原 神田柳森神社 力石
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
- ■板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道) 補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備(2022年2月22日加筆・写真追加)
- ■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
- ■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
- ■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
- ■東京第二陸軍造兵廠の石碑
- ■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
- ■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
- ■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第二陸軍造幣廠(板橋火薬製造所)と陸軍兵器補給廠を結ぶ軍用トロッコが環七(富士見通り)をくぐっていたトンネルの遺構
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
- ■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所
- ■王子新道の由来と花月通<千川上水に架かる花月橋>
- ■花月通りとその付近図<昭和十年前後の町並み> 花月通<千川上水に架かる花月橋>現在の花月橋跡
- ■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
- ■加賀藩と黒作り
- ■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
- ■加賀藩前田家の駕篭
- ■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
- ■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
- ■中山道 平尾一里塚(板橋一里塚) 一里塚まんじゅうと史跡
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■加賀藩江戸下屋敷 御表御門道(旧中山道入口)と宇喜多一族 小字(下板橋)浮田
- ■東光寺 加賀藩下屋敷跡 宇喜多秀家の子孫が供養の為に建立した秀家の墓(移設された供養塔) 宇喜多秀家とその一族
- ■東光寺 平尾一里塚上に造立された石造地蔵菩薩坐像
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
- ■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 【2023年3月10日 加筆:<「何か落したのですか?」と、奇妙なことを尋ねる日傘の女性>】
- ■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
- ■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■板橋区板橋2丁目・大山金井町 高田道 金井窪の峠(高稲荷山の切通し)
- ■東京府北豊島郡金井窪村 今も残る金井窪村の痕跡
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■豊島区目白三・西池袋三 西武池袋線<V型 二股踏切> 廃止された長崎道踏切(古道 長崎道)と第二中里踏切
- ■古道<長崎道> 板橋区“子易神社前 高田道の辻〜熊野町 熊野神社前”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“要町一丁目〜高松二丁目 出桁造りと延命地蔵尊 ”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り<庚申通り商店会>“高松一丁目〜板橋区南町 出桁造りと南町の庚申塔(大辻の庚申塔)”
- ■古道<長崎道> 板橋区熊野町 白昼堂々男4人組の強盗 現金約900万円奪取 そして3ヶ月後逮捕
- ■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
- ■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
- ■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸 - ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■池袋環状第5の1号線(雑司が谷・雑司ヶ谷)/明治通り(池袋駅前)迂回ルート
- ■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
- ■文京区目白台 腰掛稲荷神社
- ■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
- ■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
- ■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
- ■池袋駅 東口五叉路(グリーン大通り)<キリン堂薬局>
- ■西池袋 自由学園明日館
- ■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
- ■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
- ■板橋区志村2丁目 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔
- ■板橋区志村2丁目(志村坂上)の住宅にある庚申塔
- ■練馬区 ふじ大山道
- ■体の中にいる虫 旧川越街道にある庚申塔・板橋宿観明寺の青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔・千川上水と中丸川の分水地点の庚申塔
- ■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
- ■旧川越街道 下練馬宿
- ■板橋区上板橋2 下練馬宿近く 馬頭観世音
- ■練馬区田柄二丁目 (旧)川越街道と所沢道の追分に立つ庚申塚(庚申塔・道標) 鎌倉街道
- ■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
- ■文京区音羽一丁目 目白通り(清戸道) 目白坂(別名 不動坂)
- ■清戸道の名家
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■新宿に縄文人現る
- ■日本人のルーツ
- ■縄文人の核DNA解析
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■新宿区 花園神社 内藤新宿<下宿茶屋中>の石碑
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
- ■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■旧鎌倉街道 中道編
- ■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
- ■鎌倉街道 中道 北区中十条
- ■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■板橋区赤塚 鎌倉古道
- ■板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂
- ■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
- ■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
- ■鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)
- ■上板橋宿と大山福地蔵尊
- ■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
- ■瀬田家跡地 集合住宅新築工事に伴う大山福地蔵尊改修工事
- ■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■板橋区弥生町 上板橋宿 豊敬稲荷神社の玉垣に刻まれた瀬戸川牧場
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■文京区小日向 切支丹坂に間違えられた庚申坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■現存する都内の一里塚
- ■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
- ■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
- ■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
- ■北区十条四間道路にある出桁造り
- ■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
- ■北区中十条3丁目 出桁造りを改装したセブンイレブン
- ■北区上十条2丁目の出桁造り 木田酒店
- ■北区上十条にある出桁造り<川端商店>と再開発により撤退した創業110年の<八百市 橋本青果店>
- ■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
- ■北区王子3・4丁目の出桁造り
- ■北区王子本町の出桁造り
- ■北区滝野川 三軒家 御代の台仲通り商店街の出桁造り
- ■北区西ヶ原の出桁造り
- ■目白通りにある出桁造り
- ■谷中・上野桜木の出桁造り<旧吉田屋酒店 [台東区指定有形民俗文化財]>
- ■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
- ■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
- ■文京区根津の出桁造り
- ■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
- ■文京区大塚5丁目 坂下通りにある出桁造り
- ■王子稲荷神社 御石様
- ■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
- ■JR貨物北王子線と廃線跡
- ■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
- ■JR貨物北王子線の廃線跡 線路撤去工事
- ■東十条駅 下十条運転区検修庫解体
- ■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
- ■本郷肴町 棒兼
- ■本郷追分と追分一里塚跡
- ■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
- ■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
- ■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘(あいいそんそう)跡
- ■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
- ■滝乃川学園跡 三代目理事長 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 上板橋宿 下頭橋六蔵祠の扁額<博愛> 子爵 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 養育院の始まりと渋沢栄一
- ■洋紙発祥の地<洋紙発祥の碑> 王子 <武陽王子飛鳥山真景>
- ■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■北区上十条四丁目 姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■板橋区加賀 帝京大学医学部附属病院前 都市計画道路補助第87号線 北区上十条3丁目<本郷通り(本郷赤羽線)>へ開通 十条駅西口再開発と補助73号線
- ■十条銀座商店街にかつてやってきていた、屋号は分からない名店<屋台のおでん屋さん>
- ■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
- ■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災
- ■東日本大震災から11年 当時のこと今のこと
- ■東海道本線 特急型車両185系普通列車と仕事の思い出
- ■山手線唯一の踏切の廃止 踏切問題
- ■醤油電車(東武東上線)<東上鉄道記念碑> 玉淀<荒川橋梁 樋の下>
- ■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
- ■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地
- ■同潤会 上野下アパート
- ■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
- ■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
- ■駒込名主屋敷
- ■田端 東覚寺 赤紙仁王
- ■護国寺惣門
- ■豊島区西巣鴨 旧中山道沿い かつてあったパチンコ天国
- ■千石自慢らーめん<閉業> 通学往復路で「いただきま〜す」
- ■ボリュームがこだわりの名店の唐揚げ弁当
- ■文京区大塚六丁目 豊島区東池袋五丁目 スターハウス
- ■自分のルーツ1 <鞆淵荘(鞆渕荘)和歌山県紀の川市[鞆淵八幡神社 国宝 沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじらでんこんどうそうしんよ)]〜大阪市都島区友渕町>
- ■自分のルーツ2 <武士の活躍と信仰 鞆淵動乱[鞆淵氏と神人・高野山]>
- ■自分のルーツ3 <京都府福知山市三和町友渕 友渕川と別名 友渕城(東ノ古城跡、西ノ古城跡)>
- ■弘法大師にまつわる伝説の水 弘法水 大分県豊後高田市黒土<椿堂 遍照院>
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚 泉福寺所蔵板碑
- ■板橋区成増4丁目 <愛される身代わり庚申>と<みその果樹園>
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■形から ランニングの場合
- ■楽しいことでラクになる
- ■苦境
- ■結果、42.3km ビルドアップ
- ■走る理由 「母の分まで、母のために」 ランニングバッグは介護用に
- ■母を訪ねて1里28町 大分県豊後高田市呉崎から<すいか>の贈り物
- ■電話番号の表札 ◯◯方・◯◯◯◯◯呼出 ◯◯ 電報
- ■検査 青いフィルムを使う時の姿勢
- ■家族が好きなミートソース 母へ<ひじきと厚揚げの煮物>を
- ■母の日、栄養をつけて痛みよ飛んで行け<超大盛り豚汁 (豚バラ、にんじん、大根、ごぼう、たまねぎ、ジャガ、きゃべつ、もやし、油あげ...味付けは適当、出汁はよくきかせて味噌うすく)・大盛りにんじんしりしり・カブの浅漬け・大盛りサラダ・キャベツ焼き
- ■たんこぶが出来るほど頭をど突く意地悪な可愛い女性保育士 「ぼく、ウルトラ警備隊の<ポインター>もってるもん!」
- ■栄養を摂ってもうひと踏ん張り
- ■怒濤のごとく過ぎた長月神無月霜月
- ■怒濤のごとく過ぎつつある師走
- ■ス〜っと・・・狙われているのか 2
- ■二年前の夏の君たちと今の僕たち
- ■喫煙ウォーキング、あたられる蛇口
- ■警戒して・・・スリーピースに革靴イガグリ頭パワーストーンのブレスのあんちゃんに道を訊ねられて
- ■工夫して遊ぶ 極めて前傾姿勢になるレーシーなカマキリハンドルのチャリンコ
- ■映画 SINGS ネクストステージ 声優初挑戦 SHAFT SILVER WORKS<FE12-SP edition>
- ■SHAFT SILVER WORKS 9周年記念品<GRIT> ホワイトハートのビーズを組み込んで(2024年9月13日写真差し替え)
- ■SHAFT SILVER WORKS ネックレスのメンテナンス(修理・磨き)
- ■NIKE <Dri-FIT UV チャレンジャー ハイブリッド ランニングパンツ>と<GYAKUSOU GIRA[NIKE×UNDERCOVER]>
- ■Odloのウインドブレイカー ¥13200が¥999で
- ■ペルセウス座流星群を観に <奇妙な晩>
- ■甘いのが好きな残念な先輩
- ■路上押し売り <時計あげますよ>アゲイン
2014 4/18
『80年代 CASIO EXW-50 (CALORIE PEDOMETER カロリーペドメーター)からGPSへ新旧交代』
高価な時計が欲しいということもあまりなく...
というか、お気に入りだった革のベルトにカスタムしたクロノグラフを、
上野で呑んだ帰りに紛失して凹んでいたところに、
たまたまその頃ランニングをしはじめて、
22年前から使っていたCASIO EXW-50というランニングウォッチをまた引っぱりだしてベルトと電池交換をして使うことになって...
時計は携帯でよくてつけないのがラクだし、時計にはあまり興味がなかった。
ランニング時も普段の生活にもいつもつけていたcasioはランニング時にはもう新旧交代、よく持ったな〜
でも普通につけるのには変わらないので、この先あと何年持つのだろうか。
あと10年はいけたりして。
このcasioのはeBayとかによく出ている。
アメリカで70年代〜80年代ブームだったランニングが定着してきて、90年代初期の日本にも浸透してきた頃だったように思う。
しきりにエクササイズ関係のテレビや雑誌を目にしていたし。
「その時計G-SHOCK?、じゃないんだへぇ」と揶揄されぎみだった時計だけども、楽しい機能があっていいデザインの時計なのにって。
歳相応の時計もまた買うかと思うも、好きなのがずっと変わらないのだから...
って、ネマキで着ている古着で買った赤いTシャツは25年着ていたりする。
大きさが倍以上にでっかくなったけど、22年前に買ったcasioのよりも安く買えたのには変なかんじ。
こう見比べても昔の80年代のデザインの香りがするcasioの方がやはり好みだけど、それぞれの良さがありますね。
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ここをクリックすると下に【過去記事3<四方山話など>】のリストが展開します。
- ■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟<幸世>を重ねて
- ■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り<米屋伊勢五などの出桁造り> 90年代中頃の新中山道(国道17号線)を走る大型三輪トラック(オート三輪)
- ■北区立西ヶ原みんなの公園(東京外国語大学跡地)<御薬園 谷田川の水源となる湧水>と下瀬坂 巣鴨庚申塚にあったファイト餃子<学生多数参加の大食い早食い大会>
- ■板橋区立大山小学校廃校<様々な家庭の子と色んな先生たち> そして板橋区高島平から大山へ半年間の通学
- ■板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道) 補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備(2022年2月22日加筆・写真追加)
- ■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 【2023年3月10日 加筆:<「何か落したのですか?」と、奇妙なことを尋ねる日傘の女性>】
- ■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
- ■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■池袋駅 東口五叉路(グリーン大通り)<キリン堂薬局>
- ■ルポ アンダーワールド池袋 <守られた私たち 〜池袋駅東口乗用車暴走事故〜> わたしのランニングコース&パークドランカーズ
- ■板橋区加賀 帝京大学医学部附属病院前 都市計画道路補助第87号線 北区上十条3丁目<本郷通り(本郷赤羽線)>へ開通 十条駅西口再開発と補助73号線
- ■十条銀座商店街にかつてやってきていた、屋号は分からない名店<屋台のおでん屋さん>
- ■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
- ■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災
- ■東日本大震災から11年 当時のこと今のこと
- ■防災グッズ1
- ■防災グッズ2 バックパック
- ■防災グッズ3 キャンピングツール
- ■東海道本線 特急型車両185系普通列車と仕事の思い出
- ■醤油電車(東武東上線)<東上鉄道記念碑> 玉淀<荒川橋梁 樋の下>
- ■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
- ■古いものに惹かれるのは幼い頃から 東武東上線<うるさい爺さん電車7300系>
- ■<さようなら 東武熊谷線> 最期の姿と乗車券(硬券)
- ■豊島区西巣鴨 旧中山道沿い かつてあったパチンコ天国
- ■千石自慢らーめん<閉業> 通学往復路で「いただきま〜す」
- ■さようなら<ホープ軒本舗 大塚店>
- ■ボリュームがこだわりの名店の唐揚げ弁当
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■形から ランニングの場合
- ■楽しいことでラクになる
- ■苦境
- ■80年代 CASIO EXW-50 (CALORIE PEDOMETER カロリーペドメーター)からGPSへ新旧交代
- ■結果、42.3km ビルドアップ
- ■走る理由 「母の分まで、母のために」 ランニングバッグは介護用に
- ■母を訪ねて1里28町 大分県豊後高田市呉崎から<すいか>の贈り物
- ■電話番号の表札 ◯◯方・◯◯◯◯◯呼出 ◯◯ 電報
- ■検査 青いフィルムを使う時の姿勢
- ■大山 大山小学校跡地 交通公園に来ていた駄菓子屋とポルノ(ピンク)映画館
- ■身に着けるのが苦手な子は多い 初めての時計
- ■「母さん、僕のあの友達 どうしたでせうね?」 池袋マンモスプールへ
- ■家族が好きなミートソース 母へ<ひじきと厚揚げの煮物>を
- ■母の日、栄養をつけて痛みよ飛んで行け<超大盛り豚汁 (豚バラ、にんじん、大根、ごぼう、たまねぎ、ジャガ、きゃべつ、もやし、油あげ...味付けは適当、出汁はよくきかせて味噌うすく)・大盛りにんじんしりしり・カブの浅漬け・大盛りサラダ・キャベツ焼き
- ■たんこぶが出来るほど頭をど突く意地悪な可愛い女性保育士 「ぼく、ウルトラ警備隊の<ポインター>もってるもん!」
- ■ありがとう、さようなら実家
- ■アパレルとスケートとランニング <原宿HECTIC PKGのシャカパン 四半世紀を経て介護用に役にたつ>
- ■栄養を摂ってもうひと踏ん張り
- ■怒濤のごとく過ぎた長月神無月霜月
- ■文房具マニアではないが文房具が好き <高齢の親の為の介護日記手帳>
- ■さようなら 東急ハンズ池袋店 母との思い出の町
- ■怒濤のごとく過ぎつつある師走
- ■1982年 監督 柳町光男 <さらば愛しき大地> と幼い頃の茨城の思いで
- ■寂しさを埋めるために母がくれた<としまえん 木馬の会>会員証
- ■幸せな園でのボクの楽しいお絵描き ありとあらゆるモノを残しておいてくれた母 「お母さん、ありがとうね」
- ■履き潰したランニングシューズの処分 <介護を担う靴になったランニングシューズ>
- ■盆踊りや花火大会 3〜4年ぶりに開催 <積年の様々な荷がおりた日々>
- ■値上げは続くよ <付加介護用品>
- ■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)
- ■7〜8年ぶりのかつての日常
- ■自分のルーツ1 <鞆淵荘(鞆渕荘)和歌山県紀の川市[鞆淵八幡神社 国宝 沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじらでんこんどうそうしんよ)]〜大阪市都島区友渕町>
- ■自分のルーツ2 <武士の活躍と信仰 鞆淵動乱[鞆淵氏と神人・高野山]>
- ■自分のルーツ3 <京都府福知山市三和町友渕 友渕川と別名 友渕城(東ノ古城跡、西ノ古城跡)>
- ■弘法大師にまつわる伝説の水 弘法水 大分県豊後高田市黒土<椿堂 遍照院>
- ■お‐つげ【御告げ】 「親指ペッタンコの団扇状態で扇げちゃうよってならないように」
- ■声が出ない・・・ → ■9月26の朝4時半に子供が悲しそうに涙をこぼしている姿の夢を見て
- ■ス〜っと・・・狙われているのか 2
- ■二年前の夏の君たちと今の僕たち
- ■喫煙ウォーキング、あたられる蛇口
- ■警戒して・・・スリーピースに革靴イガグリ頭パワーストーンのブレスのあんちゃんに道を訊ねられて
- ■工夫して遊ぶ 極めて前傾姿勢になるレーシーなカマキリハンドルのチャリンコ
- ■人に声をかけられる case2 「ずーっと見てたからねー。どんな本買ったか知ってるからね!良いのかなぁいいのかなぁ〜?!そんなの買っちゃってもぉ〜」
- ■映画 SINGS ネクストステージ 声優初挑戦 SHAFT SILVER WORKS<FE12-SP edition>
- ■SHAFT SILVER WORKS 9周年記念品<GRIT> ホワイトハートのビーズを組み込んで(2024年9月13日写真差し替え)
- ■SHAFT SILVER WORKS ネックレスのメンテナンス(修理・磨き)
- ■鎌倉 静雨庵
- ■NIKE <Dri-FIT UV チャレンジャー ハイブリッド ランニングパンツ>と<GYAKUSOU GIRA[NIKE×UNDERCOVER]>
- ■NIKE PRO 70%OFFのタイツ
- ■Odloのウインドブレイカー ¥13200が¥999で
- ■Spot-bilt Saucony
- ■4スタンス理論 ランニング
- ■首を手に入れた今
- ■ご主人、走る人ですよね?
- ■黄色 KD'sバイカーズシェード
- ■あなたの知らない世界 ベジタリアンナイト
- ■稲村 腰越中学から鎌倉高校までの急な峠の坂路、日坂
- ■大量のマヨネーズを被ったコンビーフ
- ■パン一(パンイチ:パンツ一枚)で食べるとさらにおいしい焼きそば みっちゃん総本店
- ■耳栓レビュー
- ■ペルセウス座流星群を観に <奇妙な晩>
- ■甘いのが好きな残念な先輩
- ■「お腹いっぱいにしてあげる」 ボリュームがこだわりの名店の唐揚げ弁当
- ■大勝軒の中華そばとお持ち帰りチャーシュー
- ■丼もの <つくね玉子とじ丼・まぐろ漬け丼>
- ■ホワイト餃子を家で焼く
- ■ホワイト餃子アディクト
- ■ホワイト餃子(ファイト餃子)と肉まん
- ■本田のバイク
- ■他者にとっては夜中のスーパームーン 酷い暑さだった8月のランニングと日々の生活
- ■変換して保存 <なるべくシンプルに> ー思うことー
- ■上野不忍池<駅伝の歴史はここに始まる>の碑 十代の頃の運動靴
- ■マルジューベーカリー 駒込<丸十ベーカリー(パン)>
- ■18284km
- ■バブル期のチューンドカー・チューンナップカー<ケーニッヒ KOENIG SPECIALS>
- ■路上押し売り <時計あげますよ>アゲイン
- ■HIDDEN CHAMPION #71 <HITOTZUKI -KAMI->@UNIque
2014 4/17
『硬化』
左足首ぐねって2週間経過...
90%回復だけど、若干こわばっているような感じになるのでゆっくり負荷かけずにストレッチを。
そして軽くマッサージをして、一日一日と、あ"っ!ここの筋痛くなくなってきてる〜、ここまで曲げても痛くないっ!、ってよく分る。
栄養をたくさんとってなるべく安静が一番いいんだろう、怪我の治りががぜん遅くなってくる中年だしな。
ねんざはすえ恐ろしい。。
歩くのはもう大丈夫で、昨日300mほどおそるおそるゆっくり走ってみた。
よし、ずいぶんイイなと。今週末にはやはり走れそうだー
足首や膝に体重の何倍もの負荷がかかるのが、こう怪我してみてよくわかる。
2週間も走らずにいるのは4年ぶりで、風呂2週間入っていない感覚だ。
と、室内に1台、駐輪場に6段ギアママチャリ1台を置いている。
しょっちゅう空気を入れないと抜けるし、空気圧が低いとペダルがとても重い。
虫ゴムもすぐ劣化するしめんどいなと、数年前に長持ちバルブを見つけて交換。
ゆっくり空気が抜けていくのでたまにしか空気入れを使わずに済んでいるけど、経年変化でバルブの中のゴムだかプラスチックかが硬化して、手押しの空気入れ使ってもぜんぜん入らなくて腕ぱんぱん、コンプレッサーの空気入れでやっと漏れながらも入る。それが難点でもあるけど、2年位は持っているんだからすごい。...空気入れで汗だくで具合わるくなるって交換時なんでしょう。
と、昨日また近い人で、というか親族がバイク事故にあった。
幸いにして脚ではなかったけど...鎖骨。
なかなかくっつかなかった友もいるけど、まだよかったのではないかと思う。
ちょっとあまりにもバイクで事故に遭う人が多過ぎなので、何だかとても怖い。
車道に出る時はより慎重にしようと思う...
ランニングシューズをはけなくなるのは辛いから。
2014 4/16
『不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)』
今から6000年前の縄文時代は、世界的に温暖で、今よりも海面が2−4m高かったことが分っている。いわゆる縄文海進と言われて、海が内陸まで進んで入り込んでいた。
貝塚が丘や崖の上、つまり台地の端っこに多数発見されているのは、かつての人々がそこは生きていくにはとても便利だった証し。崖(台地)の下はすぐ海で、降りて貝を獲って台地の上で食べて生活していたということ。
不忍池は地図からも分るように上野台地と本郷台地にはさまれた谷の底部にあって高低差は10m以上もある。
縄文時代は海が内陸の奥まで入り込んでいて、海水が引いていって、取り残されたのが不忍池だという。武蔵野台地をがっつり削った古石神井川から土砂も運ばれてこの不忍池付近の入江にたまっていったのも、不忍池が取り残された原因のひとつかもしれない。
その後東京湾の入江となって、江戸時代以前の不忍池付近は沼地だったそうで...
池の名の由来は、男女が忍んで逢っていたという説もあるという。
愛し合う男女は沼地で何をしていたのだろうか。
浅草海苔は有名だけど、なんで浅草に海苔?と思う人も多いけど、徳川が入る江戸時代以前は浅草も海だったから。
昔の神田川は日比谷付近の東京湾の入江にそそいでいたけども、徳川が神田川の流れを変えて日比谷を埋め立てた。
...そして、海水はどんどん後退していき、現在の姿になった。
芝浦を通る海岸通りや旧海岸通りは海が後退していった証し。
由比ガ浜大通りが海岸通りと言われるのも、そういうことだろう。
現在の不忍池の水は、自然湧水の他に京成上野の地下ホームやJR上野駅新幹線地下ホームから沸きだす地下水を放流しているとのこと。
今都内ではあちこちで地下水の水位上昇が問題になっていて、地下ホームが浮いちゃうからホームの下にはアンカー(おもり)打って、ホーム(構内)の上昇を抑えてその対策が大変だと聞いたことがある。
じゃんじゃん沸きだす地下水が不忍池を支えていて、鉄道会社も下水道料金がかからないとは一石二鳥なんですね。
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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
- ■谷端川(源泉から池袋本町)
- ■谷端川 2(池袋本町から小石川)
- ■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
- ■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
- ■谷端川(小石川、礫川) 生きている江戸の歴史 東京の坂道 文京区白山<網干坂>
- ■谷端川のお多福弁天(板橋区板橋1丁目)
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■谷端川 大塚にある瀧不動(豊島区北大塚2)
- ■谷端川下水道幹線 SPR工法
- ■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
- ■谷端川(千川・小石川・礫川) 猫又坂(猫貍坂、猫股坂)と猫又橋
- ■宮仲(巣鴨村) 谷端川 上池袋支流(瓢箪池支流) 滝と呼ばれた洗い場跡 瓢箪池跡(山玉(やまたま)の池)
- ■谷端川 雲雀ヶ谷支流(名も無き小川)とお多福弁天沼(お多福弁天様・橋かけ弁天様)
- ■谷端川と上池袋支流(瓢箪池支流)の落ち合い地点にある防災用ポンプ
- ■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
- ■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件
- ■谷端川ほとりにある<魚がし寿司 板橋総本店>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■池袋二丁目(池袋二・池袋三業地<百軒店>) 御嶽神社前 谷端川 境井田支流(御嶽支流) 上流
- ■池袋二丁目(池袋二・池袋三業地<百軒店>) 御嶽神社前 谷端川 境井田支流(御嶽支流) 下流〜合流
- ■谷端川 出端川支流(湧水地:板橋区大山町 千川上水 旧川越街道に架かる大山橋そば)
- ■谷端川 赤羽線 矢畑川自由通路地下道ガード(板橋駅地下通路)
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■巣鴨の名の由来<古池> 府中藩松平播磨守抱地・下屋敷跡 旧宍戸子爵邸<その後廃兵院(改称されて傷兵院)> 現 巣鴨公園
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
- ■池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚
- ■池袋東貝塚遺跡(<谷端川>舌状台地)
- ■石神井川 河川争奪 音無渓谷
- ■かつての石神井川
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■石神井川 金剛寺(滝野川城)にある松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■王子七滝 松橋弁財天洞窟跡 桜並木 音無もみじ緑地の小さな滝
- ■北区滝野川 金剛寺(滝野川城跡)冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
- ■桜も見事な金剛寺(紅葉寺/滝野川城跡)と松橋弁財天洞窟 跡 千川上水 王子分水沿いにある岩屋弁天への道標(庚申塔)
- ■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
- ■石神井川 割烹音無川<音無川温泉> 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 石神井川沿いにあった紅葉園(滝野川園と楓楽園)
- ■石神井川 板橋東いこいの森
- ■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の豊富な湧水 カラッカラ乾燥の都内
- ■石神井川 2021年3月末 音無こぶし緑地の豊富な湧水
- ■石神井川 2024年2月末 枯渇した音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 染井吉野の桜並木と谷端川下水道幹線<千川上水の放流(停止)>の吐口
- ■石神井川 滝野川 稚児ヶ淵跡(ちごがふち)
- ■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
- ■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
- ■王子七滝 名主の滝
- ■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
- ■王子七滝 名主の滝公園の湧水 (2020年8月8日)
- ■王子七滝 名主の滝公園 <今様文覚上人の群れ?ー名主の瀧でグロな刺ヨ競べ>
- ■王子七滝 王子 権現の滝
- ■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
- ■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
- ■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
- ■王子七滝 王子稲荷神社 稲荷の滝跡 いなり幼稚園
- ■王子七滝 王子稲荷神社 消滅した稲荷の滝の今 <本郷台中腹 湧水点上部 “後ろ姿”>
- ■王子七滝 見晴の滝跡の湧水と芝坂
- ■王子七滝 見晴の滝の名の由来
- ■王子十五滝 醸造試験所の滝
- ■王子十五滝 料亭扇屋 末広の滝
- ■王子十五滝に加えて 旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘跡)下 今も残る飛鳥山の小さな滝(十六滝)
- ■王子十五滝 新潟会館の段差のある滝(十七滝)
- ■板橋区加賀 旧理化学研究所板橋分所跡から石神井川に落ちる雨水
- ■2020年秋 コロナ禍の音無川(石神井川)音無渓谷
- ■音無川(石神井川)音無渓谷 <かわどこかふぇ 三〇〇年の歴史に思いを馳せる>
- ■音無渓谷 音無川(石神井川)に架かる舟串橋と扇屋の洋食部の洋館 ー絵葉書よりー
- ■マツコ&有吉 かりそめ天国 王子<扇屋>の卵料理
- ■<王子に生まれて>石鍋商店 石鍋秀子 “石神井川の思い出”
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■王子神社東側の崖線と上郷用水(石神井用水)に架かる三本杉橋の親柱
- ■王子神社のイチョウと王子大坂のおっぺし(立ちんぼ)
- ■王子神社 末社 関神社<髪の祖神>と毛塚
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 銭湯浴室に掛けられた[つり堀り 加賀園]の看板(旧 加賀浴場だろうか?)
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 昭和54年 岸町2丁目〜中十条2〜3丁目<崖線からの湧水>
- ■北区田端 不動の瀧(道灌山の滝)・不動坂 谷田川沿い水神稲荷神社
- ■田端駅構内 武蔵野台地の崖下にあった鑑賞池 崖線からの湧水
- ■あらかわ(荒川)遊園にあった男滝・女滝 小台の渡しの渡し場にあった料亭・清水滝
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■昭和の石神井川
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋
- ■石神井川 沼
- ■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
- ■石神井川の付け替え
- ■石神井川飛鳥山ずい道(生物の遡上不可と言われている) 久保田橋・緑橋付近<令和3年の生物調査の概要>
- ■石神井川 東宮降誕植桜之碑
- ■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷 エンガ堀支流<向原の溜池> 釣堀跡
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷[スケーター心をくすぐる急坂] エンガ堀支流<向原の溜池> 上流方向
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷[自立支援から独立の地] エンガ堀支流<向原の溜池> 下流方向
- ■板橋区栄町 板橋競馬場跡 石神井川沿い<愛光舎牧場> 現 牛乳販売店<愛光舎>
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 上流
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 下流 <上板橋 遊泉園と水神さま(水神寓)>
- ■石神井川 板橋区氷川町 氷川神社近くにかつてあった氷川沼(弁天沼)と白なまずの伝承
- ■石神井川 田柄川用水とも呼ばれた安養院境内に残る “あげ堀” 跡
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
- ■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
- ■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
- ■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神(稲荷社 2021年4月7日加筆)
- ■江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) <王子 扇屋「狂句合 扇屋へ馴染になつた三の午」> 歌川広重
- ■飛鳥山公園 飛鳥明神<飛鳥山の隠れ狛犬>・<飛鳥大坂(飛鳥山坂)と六石坂>
- ■王子 飛鳥山 さくら新道 共同洗い場
- ■古石神井川の流路 逆川
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■石神井川上流 下野谷遺跡
- ■石神井川の緑橋にある水車の説明板<加賀藩下屋敷にあった水車 [その後は火薬製造や製紙などの軍事・工業用の動力へ ]>と川底から沸き出すのは自噴水か?
- ■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■豊島区駒込六 染井稲荷神社<染井の泉跡>と<恩賜上野動物園 ソメイヨシノの原木)
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■谷田川通り 中里用水架道橋・山手電車 中里用水ガード 谷田川暗渠 <欄干>
- ■北区西ヶ原三丁目 西谷戸新道の石碑 谷戸川(谷田川・逆川/古石神井川流路)と鎌倉街道(浅草道)の外輪橋 千川上水(王子分水)に架かる観音橋
- ■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
- ■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
- ■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
- ■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
- ■上野恩賜公園 不忍池のほとりにあったお茶屋
- ■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■北区西ヶ原 王子脳病院跡地の飛鳥中学校 西ヶ原遺跡群(西ヶ原貝塚) 住宅地にも広範囲に分布する縄文時代の貝殻 中里貝塚
- ■北区西ヶ原 西ヶ原遺跡(西ヶ原<西ケ原>貝塚)
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区十条仲原 稲付川に架かっていた游鯉園橋
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
- ■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■北区上十条 姥ヶ橋の延命地蔵尊に添えてある小さな角柱型文字庚申塔道標
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)
- ■北区 中里遺跡出土丸木舟
- ■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※河口側
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※東十条側 大坊橋(デッカンボウ<誤 -大防橋 だいぼうはし->)と上郷用水に架けられた<桜橋> 大蛇伝説
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀の主<ヌシ>の大蛇がまつり込まれている庚申さま(<庚申塔>神谷橋庚申通り商店会) 古墳 観音塚
- ■北区神谷三丁目 自性院前の庚申塔(道標)
- ■北区豊島8丁目 豊島馬場遺跡公園<ガラス小玉鋳と方形周溝墓>
- ■板橋区 根ノ上遺跡
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■板橋区 稲荷台遺跡
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
- ■令和5年1月 武蔵野台地(本郷台地・十条台)北区岸町二丁目の湧水
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区清水坂公園の湧水(井戸)
- ■赤羽自然観察公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■田柄川の水源と茂呂遺跡
- ■田柄川 石神井川との合流地点
- ■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
- ■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
- ■池袋の川 弦巻川<丸池跡・現 元池袋史跡公園>
- ■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
- ■豊島区の湧き水と池 <弦巻川の水源である丸池跡の元池袋公園の思い出>
- ■弦巻川の水源 池袋丸池<成蹊池>から北西の西池袋公園・立教通り方向へ延びる水路 元池袋公園から元池袋史跡公園へ
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて 湧水は<美久仁小路>付近
- ■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線)
- ■水窪川の擁壁 小日向台の崖線から滲み出す水 八幡坂 江戸切絵図より
- ■水窪川が削った深い谷と階段 旧大塚坂下町(大塚五丁目)
- ■巣鴨プリズンの遺構 水窪川<排水口> イケ・サンパークに移設・復元)
- ■水窪川跡沿いにある家屋 日出優良商店会 <ミート&デリカ なりたや>の黒毛和牛入り一個五十円のメンチカツ
- ■水窪川 鳩山会館隣りの水路の遺構 今宮神社前に残る石橋(橋桁) 小日向台の崖からの湧き水
- ■豊島岡墓地(豊島岡御陵)の蛇池から護国寺の湧水池に注いでいた水窪川支流に架けられた橋
- ■護国寺 音羽富士塚(音羽富士)<富士浅間神社>
- ■<昭和二十年 東京地図><続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■文京区小日向 茗荷坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■本郷給水所公苑
- ■東京都水道歴史館
- ■文京区小日向一・二丁目南遺跡 神田上水旧白堀跡 東京都水道歴史館に移築復原
- ■神田上水 関口大洗堰の由来碑の碑文
- ■神田上水石樋の碑
- ■関口の大洗堰(目白下大洗堰)<神田上水取水口の石柱>
- ■椿山荘 古香井
- ■目白台の湧水を生かした回遊式泉水庭園<肥後細川庭園>と胸突坂(別名 水神坂)
- ■肥後細川庭園と椿山荘の間 関口水門(大洗堰)の守護神<水神社> 細川家 永青文庫
- ■江戸川(現 神田川)の治水事業 江戸川公園<大井玄洞翁の胸像>
- ■複合遺跡 東池袋遺跡 旗本中西家の屋敷地と御鷹方御役屋敷
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川<前谷津川と宮下大山不動明王> スケートボードに寝そべって暗闇の急坂を下る少年スケーター達<池袋からの帰路、日曜日の楽しみ>
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流 梶谷津川
- ■前谷津川の支流 梶谷津川の源流付近と暗渠蓋
- ■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
- ■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
- ■前谷津川(前谷津川緑道) <赤塚しのがやと公園(篠ヶ谷戸)>と<橋ぎわ>
- ■2024年7月31日 東京・埼玉 1時間に100ミリを超える記録的短時間大雨 <板橋区徳丸 前谷津川暗渠氾濫(前谷津川緑道)> <谷頭部にあった食べ放題のすたみな太郎と東武練馬駅改札入口横にあった立ち食いスタイル 名店ジョーイハンバーガーという100円バーガ>ー
- ■板橋区 赤塚不動の滝と大根
- ■板橋区赤塚 不動の滝<記念物(史跡)> 令和3年
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■板橋区赤塚四丁目 板橋区No.135遺跡<赤塚氷川神社富士塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚四丁目(成増) 蓋をされた23区内最大の崖 <成増露頭>と貝の化石 板橋区板橋一丁目・加賀一丁目からはナウマンゾウの化石
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区泉町 出井の泉跡(出井の泉公園)〜出井川跡 “清水講中<大山不動明王>石碑”
- ■<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校 清水稲荷神社“出井泉(酒泉渓)”と“清水氏・板橋氏”
- ■板橋区宮本町 出井の泉跡から清水稲荷神社へ移設された“清水講中<大山不動明王>石碑” 消滅した最東端の有力な支流の谷頭
- ■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
- ■板橋区東坂下 出井川<新中山道(国道17号)に架かる新小袋橋>
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
- ■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
- ■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
- ■統計開始以来初 史上最短6月中の梅雨明け直前の<志村清水坂緑地の湧水>
- ■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■板橋区 志村古墳群<お伊勢塚古墳> 2022年1月13日加筆
- ■板橋区志村 熊野神社 志村古墳群 板橋区No_159遺跡<塚(古墳)上に建てられた社殿>
- ■板橋区志村 志村古墳群 板橋区No_157遺跡<塚or古墳>
- ■板橋区志村 志村古墳群<1号墳・2号墳>跡
- ■板橋区 小豆沢公園の湧水
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #1
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #2
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
- ■板橋区若木 中台馬場崎貝塚
- ■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
- ■板橋区大山西町の用水路
- ■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
- ■分水嶺、千川上水調節池跡
- ■千川上水 喜内古屋水車跡
- ■千川上水 板橋宿(仲宿・中宿) 割烹・待合<喜内古家>跡にある出汁の自動販売機 <遊郭 岡蔦楼と岡蔦山>
- ■千川上水 水神様 <大山西町発展史>
- ■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■千川上水分水 石神井川氷川町・栄町支流 旧河道の氷川つり堀公園
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区大山西町 千川上水跡<河川管理地>
- ■板橋競馬場内の水路 <板橋区栄町(養育院跡)の暗渠 暗渠道>
- ■千川上水から分水した貯水池跡 <王子駅前公園>
- ■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■玉川上水
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
- ■渋谷川 氾濫危険水位
- ■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
- ■河骨川(春の小川)
- ■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
- ■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
- ■明治神宮 穩田川(渋谷川)の支流
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■穩田川(渋谷川) 表参道に残る参道橋の親柱
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■猿楽古代住居跡(代官山)
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■目黒元富士跡 上目黒1―8
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■富士塚古墳<十条冨士塚(冨士神社)> 調査後の現在の姿 鳥大の一個十円のチキンボール
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■豊島長崎の富士塚
- ■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
- ■駒込富士神社と古墳群
- ■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
- ■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
- ■北区王子 飛鳥山1号墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区赤羽西5 大塚古墳 周辺の古墳(天王塚古墳、稲付台古墳群など)
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■北区滝野川3 滝野川古墳(都立王子総合高等学校敷地/旧王子工業高等学校跡地)
- ■上野恩賜公園 摺鉢山古墳
- ■北区中十条 日光御成道(鎌倉街道 中道 旧岩槻街道) 清水坂(清水坂遺跡)
- ■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
- ■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
- ■新宿区 赤城元町の崖
- ■神楽坂ラン 赤城坂
- ■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
- ■新宿歴史博物館
- ■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
- ■豊島区 のぞき坂
- ■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
- ■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■北区西ヶ原 鎌倉道につながる熊野坂 豊島郡衙へ
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
- ■北区赤羽西 真正寺坂 「しんしょう昇る」と庚申塔
- ■北区滝野川 消防署建設の際に潰した狐塚の狐の祟り<滝野川伏見稲荷神社> 狐塚の坂と岩屋弁天(松橋弁財天洞窟)・正受院(滝不動)への道標
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
- ■消える富士見坂と豆まき
- ■消えた日暮里富士見坂
- ■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
- ■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
- ■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
- ■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
- ■蓮根川緑道 ヘビ公園
- ■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■板橋区高島平8丁目 徳丸ヶ原公園 <平太郎沼と呼ばれた沼を模した名残の親水設備>
- ■スケートボードは構成要素
- ■メイク
- ■オールドスクール
- ■JT
- ■スケートボード道
- ■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■板橋区・北区 御代の台
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■北区中十条3(東十条駅北口) 石神井坂
- ■北区岸町 三平坂
- ■玉手山古墳群<前方後円墳を利用した墳丘墓地> 大阪府柏原市
2014 4/15 #2
『サッカニー』
今まで目にすることはほぼなかったサッカニーのランニングシューズ。
日本の総代理店であるABCマートによって、店頭でも目にするようになったのは最近のことだったかな。
おっ!と思って手にとったけど、やはりカラーが派手。。
ブラック基調で大人しめがこんな感じ。
横からみるときれいなフォルムだけど、自分の足に合うかどうか...
米国ではなかなか人気があるという記事を目にする。NAVER
...20数年前、水道橋の靴屋で長いこと売れていない状態で隅っこにあったサッカニーのランニングシューズ(名前わすれた)を格安で見つけて即購入。
実際に走ったりしてその良さに満足してニューバランスとサッカニーを交互にはいていた。
高校の体育祭や身体測定や身体能力の記録会でも、軽くていいシューズで活躍していたけども、大切にビニール袋に入れて保管してたのが仇となって、実母に捨てられてしまってかなり凹んだっけな。
そして同時期にデッドストックだっただろうか...一番下の赤いスポットビルトのバスケットシューズを見つけて、これもよくはいていた。
赤いスポットビルトにライダースという組み合せも好きで、よくバイクに乗っていたっけかな。
サイドがこすれているのはオーリーの痕(スケートボードのジャンプのこと)。
サッカニーは昔から好きなブランドなので気になる。
って、昔と比べると今のロゴはずいぶんと前方に寝てよりシャープになって、なんだか速そうな感じになってますね。
はいているランナーをあまり見かけないサッカニー、なかなかいいかも。
2014 4/15 #1
『大黒天』
清須会議を読んでいたら大黒天のシールがはさまっていた。
前の持ち主がしおりとして使っていたのだろう。
歌川国芳の浮世絵、開運出世合体七福神を飾っているので、そんな思わぬ出現に気持ちよし。
無類の猫好きだった国芳さん、だいぶ前に話題になったけど、東部三ツ股の圖の絵にスカイツリーらしきものが描かれている!ってのと、既川岸之図には自分が亡くなる年が描かれているって。こちらが詳しい。ま、そういう解釈をしてもおもしろいんでないのと思う。
毎週楽しみにしている大河ドラマ軍師官兵衛、清須会議ともだぶるので二度楽しいのでゆっくり読んでいる。
...足首グネって10日目、80%回復。今週末には2週間ぶりにJOGできそうな感じ。はやくGPS試したい。。。
2014 4/13
『GPSランニングウォッチ #3』
計測中に屋内に20分程いて、屋外に出たらまた受信したら一気に3km計測されるエラーが出たけど、そういう場合は終了させて新しく計測するのがいいということなんだろう。
で、マンションや3階建てくらいのビル、商店が立ち並ぶ幅員がそれほどない商店街では受信がとぎれとぎれになって、首都高が通っている国道でもときたま受信がとぎれる。片側2−3車線の国道だとばっちりキャッチ。
あたり前だけど障害物(高い建物群や幅員があまりない道、高速が上空を通っているところ)がなければないほど調子よし。
皇居だったらかなり正確に計測されるとよく耳にするのはそういうこと。
昨日は様々な環境の道を通って試して6.8km、とぎれとぎれも多かったので、時計は6.6km。とぎれない環境だったらほぼ誤差なしというところだろう。
どこを走ったかルートは頭で憶えておけばいいので、とりあえず今のところ十分にたのしい。あとは足首の回復を待つばかり。
2014 4/12
『GPSランニングウォッチ #2』
日本のカーナビメーカーが作ったランニングウォッチが届いた。
精密機械は安心の日本製で。
スマホ(GPS)のアプリを使っている人も多いですよね。
ランニングウォッチとスマホの2台持ちにならず便利だし。
今使っているランニングウォッチはボタンが接触不良をたまに起こすし、買え時かなというところにいいタイミングで、逆に奥目になるぐらいのセール価格と。
ちょっと大きめかなという印象だけど、
ダイバーズのようなぶっといベルト、
現場で使うデジカメやPC、
高所から落としてもぜんぜん壊れない携帯のような、
そんな無骨で強い感じで...
きゃしゃなボディよりもよし...ってすぐ壊れたりして。
もろもろ設定して受信させて。
足首ねんざ回復待ちなので、パブロフの犬的な気持ち。
辛い...
ま、歩けるので、セッティング兼ねてウォーキングを。
インターバルの設定や使い方はまだわからないけど、だいたいのことを把握。
日に日によくなる足首、気持ちよく走りたいので今はガマン。
いやぁ、今日はだいぶよくなってきて70%回復といったところか。
アイテムひとつで気持ちもがっつりよくなる。
少しずつ物を増やしていくのは楽しい。
8時間くらい持つし、2−3年は使えるだろうか。
暖かいし、あ”ぁ早くあちこち走りたい。
来週には完治かな。
ビタミンEをとったらいいので早く治れと願いつつアーモンドをつまみつつ、
今これを書いている。
2014 4/11
『大正大学 すがも鴨台観音堂(さざえ堂)<鴨台観音結縁御手糸>』
建造されてからしばらく経つ大正大学のサザエ堂、西巣鴨のタワーにお参りによってみた。
螺旋状の回廊になっているスロープを昇って途中でお参りして、
頂上に着いてお参りして、すぐ下りになって出てくるという建物。
日本では現存する数少ない螺旋状の建築。
堂内を進むだけで巡礼できるという仏堂です。
未来の住職がたくさん学ぶ大正大学、お金持っていますね。
すごくおもしろい構造なので参拝が探検のような気分になります....
...サザエのしっぽ?の緑色部分においしさを感じることはないので、
伊豆の旅館の女将が「おいしい新鮮なサザエですよーたくさん召し上がってくださいね〜」と、夕食んときにごっそりとだしていただいて必死にがんばって食べたな。。
って、昇って参拝している時に思いだして、ここらへんからサザエのウ◯コ?内臓部分?緑色んとこかなぁ...苦っ、って。
堂内は撮影禁止だったけど、すごくきれいでした。
きれいな結びの糸を頂いて。
あまり体験できないお堂、なかなかいいですよ。
余談だけど、
このサザエ堂の斜め向いの明治通り沿いの公園が“千川上水”の終点です。
遠くからひっぱってきた水をろ過して、上水は木の樋の中を通って江戸の中心へと流れて、江戸の人々にとってはたいへん大切だった上水。
あまり知られていないかもしれない千川上水のろ過施設、街道筋には見どころがたくさんあっておもしろいです。
2014 4/10
『通電火災』
実母が....「ブレーカーにとりつけて自動で切れる¥3000くらいの器械があって欲しいから調べておいて」....とわけが分からないことを言ってて。
調べたら←こういうものだと初めて知りました。
ものすごくアナログでシンプルな作りになるほどと思って。
確かにこういうことだな〜と。
通電火災については阪神淡路大震災の時に注目されて多くの方に認知されたと思う。
ブレーカーを落とさずに避難して、電気が復旧して通電した時に、使ってた暖房器具や調理器具などがまた作動して近くにあるものに引火したり、家具などの重いものに踏まれて断線したコードがショートを起こして出火。
そういうことを通電火災という。こちらが詳しい。
自分はこの火災のことを知っていたけど、まわりで知らない人も意外といる。
大きな地震がきて家の中が荒れて避難する際にはブレーカーを落とせばいいけども、高いところにあって高齢者などは手が届かなかったりする。手が不自由だったりする方もいるので、ブレーカーを落とせないのは困ること。
実母は手が痛みブレーカーへ手も届かないために、この製品に興味をもったようだ。
ただ、地震が比較的多くなってきて、しかも大きい地震がぐっと増えてきたので、震度いくつで作動するようにセットするかがムツカしいかもしれない。
お住まいの建物が低層高僧、RCや木造などによっても揺れかたが違うし、地域の地盤にもよる。例えば昔海だった武蔵野台地の崖下とすぐ上の崖上つまり台地だと建物に伝わる揺れが違うので注意が必要だと思う。
ブレーカーが一回落ちると家電の再セッティングが大変だったりしますからね。
実母の方だと震度6弱にセッティングがいいかもしれない。
まだまだ大きめの地震もあるだろうから、慌てずに行動したいですしね。
2014 4/9
『GPSランニングウォッチ』
facebookの広告欄でたまたまみっけて。
オドロキの価格、14日までのとこと。
さまざまなメーカーが発売しているけど、安くても¥12000-15000くらいからあって上は4−5万だろうか。売れ筋は2万くらいのや、NIKEも人気ありますね。
まぁ精度もちがうだろうし、機能の充実度もそれぞれだからどれがどうと言うのはその人の走りに依りますね。
と、これはメーカー直販サイトだから安心ですね。
キャンペーンだけど、新しいモデルのために在庫をさばくって感じかな??
駆動時間は8時間でファンランナーにはいいのではと。
アプリケーションはMac非対応なので管理ソフトは使えないけど、まぁいいじゃない?という人にはよし。
ACアダプター充電、説明書を読んでみてもシリアスじゃない人には十分かも。
足首グネッて4日目、まだ少し腫れて違和感はあるけど、もうふつうに歩ける。
用心でまだ走らないけど。
腫れがひいたらこんどは温めて...
って、こういう時にお世話になる保冷材、ちいさくてもパワーある。
捨てずにとっておいてくれててよかった。
要らねっ、って男だったら捨てるような物だし。
2014 4/8 #2
『緩めたら方々から圧力が』
生活習慣病予防、メタボ防止の為に?国民を長生きさせてもっと税金を納めてもらわないとならないから?....大丈夫だよ〜の数値が昔よりも厳しくなってきているというが。
今の数値が厳しいのかもしれないから緩める“べき”とけっこう強めの言葉を使っている人間ドック学会。
数値の上限下限を様々緩めたらあちこちから圧力がかかりそうだけど。
...ま、あくまでも持病ががなくて健康な人のデータを解析しているのだけど。
先日も久しぶりにあった友と健康の話にもなったんだけど、
いわゆる自営業、個人事業主の友らはほぼみな健康診断に行っていないと、株式会社の社長の友らも受けていないと...義務だからだめなんだけど。。
「早ければもう逝く人もいるよね...」という会話にちょっとドキッとしてたけど。
自分はビビリで自分のことが怖いので受けているし、それが家族のため、義務だと思う。はっきり思うけど病院は大好きくない。。
胃がんで亡くなった人の胃にはほぼ100%って言ってたけかな、ピロリ菌がいるとのこと。欧米では胃がんになる人は少ないという。それは日本人が昔井戸水をよく飲んでいて、親から子へと口から感染したり、40−50代の人も昔は井戸水をのむことが多かった世代だからだと。
雨上がりの宮迫さんは受けるつもりはなかった胃検診をやっぱりやっておこうということで、間一髪で助かったようで。受けていなかったら半年後には亡くなっていたかもしれない。。
まぁいつどうなるか分らないけど...
善玉に悪玉コレステロール中性脂肪血圧γ値、ゆるんでくれたらそれはそれでいいかも〜しれないけど、まっいいかとなるような気も...
脂肪肝に肝不全腎不全心筋梗塞、糖尿痛風に注意して。
皇居をタッタッタッとゆっくり走る大先輩の背中が言ってた...
“走に勝る薬なし”
ハッとして痺れた、その背中を見つめて大事なことを学んだと思った。
2014 4/8 #1
『必然の出会い』
家族との思い出がつまった宝物を見せてもらうという番組の取材中、
主婦に街頭インタビューをお願いした際に、
「父が古美術商から“坂本龍馬直筆の手紙”を買った」という話が出たため、
家庭のちゃぶ台の下に保管されていた、
本物か半信半疑であった手紙を預かり、鑑定を依頼。
その結果、21世紀の大発見といえる貴重な書物であることが発覚した。
直筆の手紙は、2010年以来4年ぶりの発見となる。
当時1,000円で古美術商から購入した“越行の記”、
「龍馬の手紙」として毎年何本も持ち込まれる中、本物はほぼ出てこない。
出会えて凄く驚いている。
140通ほど存在するといわれている坂本龍馬の手紙の中でも、
“越行の記”は、その存在すら想定されていなかった幻の手紙といえる。
大政奉還後の新政府のあり方を検討している中、
龍馬と後藤象二郎は、越前福井藩の前藩主である松平春嶽の上京は必須と考えていた。
松平春嶽との面会のため、越前へ派遣された龍馬が、
その旅の内容を報告する後藤への復命書といえるものが“越行の記”である。
内容から、徳川家から権力を奪い、朝廷を中心とした国づくりを行うという龍馬の意思が見える。
今後様々な龍馬研究に用いられるだろう。
*高知県立坂本龍馬記念館
東京国立の家のちゃぶ台の下から故郷へと戻ったと。
鑑定金額はいかに、そしてその全容は...
via
今週末はまたおいしく晩酌ができそうだ...ねんざで遠出もできないし。。
おりょうさん、龍馬の死後点々と生活の場をかえて生きた。
そして安住の地として横浜の料亭田中屋で住み込みの仲居として働き、
晩年は横須賀に住んだと。
神奈川宿 広重の東海道五十三次 神奈川・台之景にも描かれている、
料亭さくらやが田中屋の前身で初代が買い取って現在にいたるという。
きれいですよね、おりょうさん。
龍馬が愛した女性・楢崎龍の生涯、
こちらのページがとても詳しく書かれている。
偶然の出会いはなく...
今の政府にもの申す、
そう言いたくて手紙として現れたのではないのだろうか。
そう思えて仕方がない。
2014 4/7 #3
『修復』
ねんざしたのはいつぶりだろうか...高校生の頃、ニューバランスのシューズをよくはいていたけど、その時も何回かぐねったことがある、それ以来か??
今回のはふらついてやったので反省中。。
と言っても、少し腫れてるくらいで2日目の今日は痛みもだいぶひいて普通に歩けるというののちょい手前な具合。
初テーピングだけど、テーピングってすごいことがよく分った。
アイシングのおかげもあるんだろうけど、テーピングしたら最初は歩きにくいけど、固定してワルいテンション、負荷が靭帯にかからないからどんどん痛くなくなるんですね。
左股関節の違和感やらゆたんぽでの低温ヤケド、ランナーズニーというちょうけい靭帯炎はどっちだったか忘れたけど、今回のねんざも左側。
バイク事故で転倒して脚を負傷するいやぁ〜な夢をみたけど、歩いていてぐねっただけでとよかったと思うようにしよう。
しかしまぁ普通に身体が動かせることはあたり前のことではないと本当に思う。感謝です。
低温ヤケドの患部は治るのに実に2ヶ月くらいかかった。湿潤療法でやるも、どんどんぐずる患部にこわくなってやめて乾燥へとシフト。それからかさぶたが取れるまで2週間はゆうにかかった。かつての大人達が「キズがなかなか治らないのよ」って言ってたけど、本当にそうなんだと実感。
と、呑んだ次の日はお腹をくだすことがほとんどなので、ビオフェルミンがかかせないのだけど、最近隣でおいしそうに食べてたヨーグルトをたまたま奪取して飲んだ後に食べたら翌朝一日中調子よくて、おどろきのちがいを実感している。
呑む前の方がいいというけど、ヨーグルトのパワー、腸内環境をこんなにも整えられるとはおどろきで、かかせないビオフェルミンをほぼ飲まずにいるから。
というか、酒呑まなきゃいいのにって、おじさんの汚い脚と腹のことでした。
楽しくも痛い週末でした。
2014 4/7 #2
『お花見』
毎年お花見は代々木公園で、早朝場所取りからはじまって夕刻にお開きで、河岸を移して2次会−3次会へと流れるけど、って、2次会の時にはだいたいお眠でになってほぼ呑まずに入店退店をくり返す。
今年のお花見は友の豪邸にて開催。
ぼくらは桜の名所をずーっと歩いて向って腹ぺこ。
遠くは西海岸、N.Y.C.帰りの久しぶりの友らも。
7−10年ぶりといったところだろう。
久しぶりの会話は弾む。
チキンナゲット、タコス、
ぶっといソーセージ各種、ラム、焼き鳥などを焼いてくれて。
手作りおいなりさんもうまかった。
まぶしい太陽に桜、強い日射しに暑いけど空気は少し冷たくて、缶ビールをポンポンあけていく。
って、昼酒、酔いはすぐまわり夜の帳が下りる頃にはウッドデッキも寒寒だけど、ハンモックでチビ7人とおもいっきり遊んで元気の氣をもらって。
この邸ふきんはうちから結構はなれているけどよくJOGで通るところで、
かつてこの邸が建つ前の草ぼーぼーの更地の時から知っていたからなんだか不思議な感じで。
と、夜も深まってお疲れに。
暑くなってきたらプールでビールもいいものですね。
来年もまたラクにお花見ができたらなと思う。
たのしい花見でした。
....帰りにふらついて足ぐねってねんざしちゃって。
あまり呑めないようになってきたなと反省。。
今週末にはもうお花見はムリだろうけど、桜の葉が乱れ舞う中をもうちょい走れるかもしれないから、早くねんざを治そうとアイシングにテーピング。
WLK 10kmのお花見ウォーキングでした。
2014 4/7 #1
『未知の領域』
急に毛を切ってもらいたくて速攻でお邪魔しに恵比寿西にあるUNIqueへ。
すぐ先は代官山なので恵比寿と代官山の中間かな。
いつもお任せでお願いしているので、前もってどんな感じにしてあげようかなと考えてくれているからとても嬉しい。
スッコリいっちゃう未知の領域の髪型にするか、
伸びっぱなしでもうまいことに長くなってくれるジャッキリな感じにするか...
勇気がないので短めで後者を選択。
カット中はすばらしいカットさばきに毎度毎度ガン見、どんな手仕事の技術でもじっくりみとれてしまう...
耳を丸だしにすると若い感じすぎちゃうというので、少し掛かるくらいのショートになりました。
ずいぶん前には年齢よりも老けてみられることが多かったけど、
最近は年齢が追いついてきたみたいだ。
15cm以上はカットしたかな。
まぁすごい毛玉で。
白髪も増えて。
断髪、すっきりしました。
でも早く長くなれっても思う。
何も言わずにカットしにいったので、
帰って家族が悲鳴あげてすごくビックリ成功。
カットしたあとは妻がいつも言うけど、
「
オーナー、うまいよね、よく分ってくれているね」って。
もう15年以上にはなるかな、いい先輩に面倒みてもらっていて嬉しいかぎり。
TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB
なかなかフェスとか行けないし、
だったら、公園でピクニックなのは出来るじゃないのって企画したクラブ。
あちっの家族こっちの家族、そろってスケートできるピクニック。
いいですね。
ロゴのウッドベンチがすごくいい雰囲気です。
2014 4/3 #2
『花椒の実入ラー油』
餃子の時くらいにしかあまり使わないラー油。
辛いのはそれほど得意ではないので、辛い料理はあまり好んで食べない。
けど、七味とか辛いのに香辛料が加わると俄然おいしいな〜と思う。
クサいの....パクチー、セロリ、山椒、クミン、オレガノ、ナツメグ...たくさんあるけどどれもすごく好きで。
この前初めて買って使ってみたラー油、すごく出来るやつだなと思っている人も多いような気がする四川風ラー油。
目を引いた“花椒の実入”ってことでより本格的な風味になるだろうと思って、麻婆豆腐を作ってブシュブシュブシュ仕上げに投入してみたら、まぁ辛い辛い...でもグッと本格的に旨くなってびっくりだった。ずごく便利だなと。
大辛い麻婆豆腐に白いご飯とサワーがススムススム。
そんな花椒の実入ラー油を使って、一風堂のナムルみたいなのを作ってみたらこれまたなかなかおいしく仕上がってサワーがすすむすすむ。
ニラともやし1袋を1分弱かるくゆでで、
砂糖、ニンニクすりおろし、塩、味の素、コショウ、ガラスープの素をちょっとに
ごま油とこのラー油に多めのすりゴマにしょうゆひとまわし適当に、豆板醤適当でタレを作ってゆでもやしニラ入れてまぜて完成。味みて塩入れてもガラでも。
もやし19円、ニラ一束40円+調味料、5分くらいかな、うまくてかんたんでした。
日曜日によくランニングした夕刻は、こんなつまみを作って呑んでまったりしているけど、なかなかいいものです。
2014 4/3 #1
『生命の言葉』
“幸”というものは、直接つかめるものではない。
人を幸せにすることの反応として、自分が幸せを感じる。
周囲がすべて幸せになっていれば当然、自分もいつのまにか幸せになっていく。
オムロン創業者 立石さんの人生訓とのこと。
作用反作用、情けは人の為ならず。
...朝走る時、だいぶ寒さも遠のきつつグローブもいらなくなって。
葉桜になりつつある桜並木、今週末は友の家でお花見。
お花見朝JOGはまだもう少し楽しめる。
と、あっという間に春が通りすぎる。
2014 4/2
『ザ・ノンフィクション』
かの有名な新宿思い出横丁の中にあるソイ丼で有名な“つるかめ食堂”
沢山の飲食店が連なって歴史あるところゆえに、三代目店主も多いようだ。
建物も築60年と躯体も設備もくたびれてきたつるかめさんの建物、三代目が改築を決意。いざ工事がはじまってみると、構造体のあちこちダメになってて...
2Fの建物で柱や床も解体し更地に。。その時、奥様が倒れて実家に療養で戻ることに。建物を新築しようも許可がおりずにどうにもならず、途方に暮れる店主。
横丁は大きな土地に私道を縦横に通して、それに面して建物を建てていったようで、つるかめさんの建物は私道に面し、法律で建物は道(公道)に2m面していないと建てられないので、新築はムリで。ならば、隣の建物の増築で再建を試みるも、権利と税の問題でそれもムリに。そうですよね、自分の建物が隣の人の建物になるのだから。隣の人にもかなりお金がかかることになるし。
で、建てられないというともう営業はムリということで...その時に二代目からの右腕の店長がガンで他界...人も店舗も失った店主。。
で、役所からは“仮設”の建物ならいいよと打開策が、しかし、屋根は架けてはいけないと。野外店舗状態ならOKだと。。と、アイデアが...ビニルシートの蛇腹開閉式を屋根とすることでOKだと!早速工事にとりかかるも東日本大震災が起きて、被災地復興優先のために建築資材は東北へと送られて資材は全然手に入らず工事が不可能に....一時閉店から実に7ヶ月以上経っているだけに精神も資金も枯渇でもうどうにもこうにも。これでもかっ!と辛いことが起きるが、さすがの店主はへこたれずに無事に仮設店舗として許可を得て再オープンとなるが、再始動を見届けるかのように二代目の実父が他界。そしてお店の看板娘である実母が怪我をしてお店に立てない日が続いく。youtube
でもなぜ....あの法律が厳しだろう場所での改築で接道義務しかり、構造体を解体する前に工事を一旦止めて、新築にする為の確認と話合いがなかったのだろうか。。というかそもそも改築ではなく許可がいらない改装だったけど予想以上に主要な構造部がダメで急きょ解体して、様々な確認と話合いがあまりなくタイムラグも発生して結果改築になったように思うけど...無事再開し涙腺がゆるみました。
2014 4/1
『古石神井川の支流 谷戸川源流の長池跡』
長池はかつての谷戸川に水源にて、古地図(幕末期)によれば巣鴨の御薬園と藤堂家抱え屋敷にまたがる広大なもので長さは八十八間(約158m)幅が十八間(約32.4m)もあったという。
この池は現存していないが、この案内板下のくぼ地の一帯がその跡池(約半分で残り半分は道路部分)と思われる。
かつては清らかな湧水が池を満たし、清流となって染井霊園沿いに流れていた。
池から西ヶ原あたりまでは“谷戸川”、駒込の境あたりで“境川”、北区に入り田端付近で“谷田川”、さらに下流の台東区根津付近からは“藍染川”と呼ばれて不忍池に流れこんでいた。(全長約5.2km)
明治末期には周辺の開発等もあり、湧水も減少して池も小さくなり大正に入って埋め立てられた。
ここに、在りし日の湧水清らかな“長池”とその清流“谷戸川”をしのび記念の一文を残すものである。
平成十四年三月 ソメイヨシノの咲き乱れる佳日に 東京都染井霊園
案内板にはそう書かれている。
1枚目の地図、かつての石神井川は現在の王子飛鳥山付近で武蔵野台地の崖を切り裂いて低地へと流れて音無渓谷を作り、そして隅田川へと流れを変えた。河川争奪という大事件。
2枚目の地図、流れが一気に変わった石神井川は一部消滅したが、染井霊園にあった長池を源泉として名前を変えて生き残った。それが谷戸川(谷田川とも藍染川とも呼ばれる)。
1枚目の写真、現在の長池跡にかつての湧水をイメージしてみた。ものすごく大きな池であることが分る。ここから流れ出た水は水量も豊富だったと思われるので、石神井川が流れを変えて流れは分断されたけども生き残れたのだろう。
2−3−4枚目の写真、窪んでいるのがよく分りますね。
5−6−7枚目の写真、流れ出た水はくねくねと流れ落ちて、西ヶ原の低地へとむかい、向きをぐっと変えて現在の霜降銀座へと流れて、かつての石神井川と合流していた。
石神井川が王子飛鳥山付近で武蔵野台地を切り裂、流れを変えなければ、駒込や根津一帯は今はどうなっていったんだろうと...
水量も豊富な一級河川、駒込、根津、上野、不忍池...今とはまったく違う景色、町になっていたことだろう。
余談だが、
2枚目の地図、点線の石神井川が途絶えた川筋がある一帯の地形を歩いてみてみたが、窪んでいるのがよくわかる。
河川争奪前の石神井川は飛鳥山でせき止められてこの窪んだ一帯で少し溜まって、また下流へと流れでていたのではないかと、
飛鳥山の薄い崖部分に石神井川がぶつかり、この窪んでいる一帯は大きな池のような沼のようになって存在して、水が留まることで薄い崖を決壊させることができたと説明がつくんでないかと思いつつ。
しかし、便利でよく通る道はかつて川だったというのが調べると本当に多い。
水があるところに人は集ると、魂が記憶していて無意識に通っているように思うのは気のせいだろうか。
*国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用。
霜降銀座さんのサイトや染井霊園からも画像を使わせていただきました。
興味がある方は下記の過去記事も。
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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
- ■谷端川(源泉から池袋本町)
- ■谷端川 2(池袋本町から小石川)
- ■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
- ■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
- ■谷端川(小石川、礫川) 生きている江戸の歴史 東京の坂道 文京区白山<網干坂>
- ■谷端川のお多福弁天(板橋区板橋1丁目)
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■谷端川 大塚にある瀧不動(豊島区北大塚2)
- ■谷端川下水道幹線 SPR工法
- ■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
- ■谷端川(千川・小石川・礫川) 猫又坂(猫貍坂、猫股坂)と猫又橋
- ■宮仲(巣鴨村) 谷端川 上池袋支流(瓢箪池支流) 滝と呼ばれた洗い場跡 瓢箪池跡(山玉(やまたま)の池)
- ■谷端川 雲雀ヶ谷支流(名も無き小川)とお多福弁天沼(お多福弁天様・橋かけ弁天様)
- ■谷端川と上池袋支流(瓢箪池支流)の落ち合い地点にある防災用ポンプ
- ■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
- ■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件
- ■谷端川ほとりにある<魚がし寿司 板橋総本店>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■池袋二丁目(池袋二・池袋三業地<百軒店>) 御嶽神社前 谷端川 境井田支流(御嶽支流) 上流
- ■谷端川 赤羽線 矢畑川自由通路地下道ガード(板橋駅地下通路)
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■巣鴨の名の由来<古池> 府中藩松平播磨守抱地・下屋敷跡 旧宍戸子爵邸<その後廃兵院(改称されて傷兵院)> 現 巣鴨公園
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
- ■池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚
- ■池袋東貝塚遺跡(<谷端川>舌状台地)
- ■石神井川 河川争奪 音無渓谷
- ■かつての石神井川
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■石神井川 金剛寺(滝野川城)にある松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■王子七滝 松橋弁財天洞窟跡 桜並木 音無もみじ緑地の小さな滝
- ■北区滝野川 金剛寺(滝野川城跡)冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
- ■桜も見事な金剛寺(紅葉寺/滝野川城跡)と松橋弁財天洞窟 跡 千川上水 王子分水沿いにある岩屋弁天への道標(庚申塔)
- ■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
- ■石神井川 割烹音無川<音無川温泉> 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 石神井川沿いにあった紅葉園(滝野川園と楓楽園)
- ■石神井川 板橋東いこいの森
- ■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の豊富な湧水 カラッカラ乾燥の都内
- ■石神井川 2021年3月末 音無こぶし緑地の豊富な湧水
- ■石神井川 2024年2月末 枯渇した音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 染井吉野の桜並木と谷端川下水道幹線<千川上水の放流(停止)>の吐口
- ■石神井川 滝野川 稚児ヶ淵跡(ちごがふち)
- ■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
- ■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
- ■王子七滝 名主の滝
- ■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
- ■王子七滝 名主の滝公園の湧水 (2020年8月8日)
- ■王子七滝 名主の滝公園 <今様文覚上人の群れ?ー名主の瀧でグロな刺ヨ競べ>
- ■王子七滝 王子 権現の滝
- ■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
- ■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
- ■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
- ■王子七滝 王子稲荷神社 稲荷の滝跡 いなり幼稚園
- ■王子七滝 王子稲荷神社 消滅した稲荷の滝の今 <本郷台中腹 湧水点上部 “後ろ姿”>
- ■王子七滝 見晴の滝跡の湧水と芝坂
- ■王子七滝 見晴の滝の名の由来
- ■王子十五滝 醸造試験所の滝
- ■王子十五滝 料亭扇屋 末広の滝
- ■王子十五滝に加えて 旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘跡)下 今も残る飛鳥山の小さな滝(十六滝)
- ■王子十五滝 新潟会館の段差のある滝(十七滝)
- ■板橋区加賀 旧理化学研究所板橋分所跡から石神井川に落ちる雨水
- ■2020年秋 コロナ禍の音無川(石神井川)音無渓谷
- ■音無川(石神井川)音無渓谷 <かわどこかふぇ 三〇〇年の歴史に思いを馳せる>
- ■音無渓谷 音無川(石神井川)に架かる舟串橋と扇屋の洋食部の洋館 ー絵葉書よりー
- ■マツコ&有吉 かりそめ天国 王子<扇屋>の卵料理
- ■<王子に生まれて>石鍋商店 石鍋秀子 “石神井川の思い出”
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■王子神社東側の崖線と上郷用水(石神井用水)に架かる三本杉橋の親柱
- ■王子神社のイチョウと王子大坂のおっぺし(立ちんぼ)
- ■王子神社 末社 関神社<髪の祖神>と毛塚
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 銭湯浴室に掛けられた[つり堀り 加賀園]の看板(旧 加賀浴場だろうか?)
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 昭和54年 岸町2丁目〜中十条2〜3丁目<崖線からの湧水>
- ■北区田端 不動の瀧(道灌山の滝)・不動坂 谷田川沿い水神稲荷神社
- ■田端駅構内 武蔵野台地の崖下にあった鑑賞池 崖線からの湧水
- ■あらかわ(荒川)遊園にあった男滝・女滝 小台の渡しの渡し場にあった料亭・清水滝
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■昭和の石神井川
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋
- ■石神井川 沼
- ■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
- ■石神井川の付け替え
- ■石神井川飛鳥山ずい道(生物の遡上不可と言われている) 久保田橋・緑橋付近<令和3年の生物調査の概要>
- ■石神井川 東宮降誕植桜之碑
- ■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷 エンガ堀支流<向原の溜池> 釣堀跡
- ■板橋区栄町 板橋競馬場跡 石神井川沿い<愛光舎牧場> 現 牛乳販売店<愛光舎>
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 上流
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 下流 <上板橋 遊泉園と水神さま(水神寓)>
- ■石神井川 板橋区氷川町 氷川神社近くにかつてあった氷川沼(弁天沼)と白なまずの伝承
- ■石神井川 田柄川用水とも呼ばれた安養院境内に残る “あげ堀” 跡
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
- ■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
- ■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
- ■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神(稲荷社 2021年4月7日加筆)
- ■江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) <王子 扇屋「狂句合 扇屋へ馴染になつた三の午」> 歌川広重
- ■飛鳥山公園 飛鳥明神<飛鳥山の隠れ狛犬>・<飛鳥大坂(飛鳥山坂)と六石坂>
- ■王子 飛鳥山 さくら新道 共同洗い場
- ■古石神井川の流路 逆川
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■石神井川上流 下野谷遺跡
- ■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
- ■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
- ■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
- ■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
- ■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■北区西ヶ原 王子脳病院跡地の飛鳥中学校 西ヶ原遺跡群(西ヶ原貝塚) 住宅地にも広範囲に分布する縄文時代の貝殻 中里貝塚
- ■北区西ヶ原 西ヶ原遺跡(西ヶ原<西ケ原>貝塚)
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区十条仲原 稲付川に架かっていた游鯉園橋
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
- ■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■北区上十条 姥ヶ橋の延命地蔵尊に添えてある小さな角柱型文字庚申塔道標
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)
- ■北区 中里遺跡出土丸木舟
- ■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※河口側
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※東十条側 大坊橋(デッカンボウ<誤 -大防橋 だいぼうはし->)と上郷用水に架けられた<桜橋> 大蛇伝説
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀の主<ヌシ>の大蛇がまつり込まれている庚申さま(<庚申塔>神谷橋庚申通り商店会) 古墳 観音塚
- ■北区神谷三丁目 自性院前の庚申塔(道標)
- ■北区豊島8丁目 豊島馬場遺跡公園<ガラス小玉鋳と方形周溝墓>
- ■板橋区 根ノ上遺跡
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■板橋区 稲荷台遺跡
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
- ■令和5年1月 武蔵野台地(本郷台地・十条台)北区岸町二丁目の湧水
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区清水坂公園の湧水(井戸)
- ■赤羽自然観察公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■田柄川の水源と茂呂遺跡
- ■田柄川 石神井川との合流地点
- ■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
- ■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
- ■池袋の川 弦巻川<丸池跡・現 元池袋史跡公園>
- ■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
- ■豊島区の湧き水と池 <弦巻川の水源である丸池跡の元池袋公園の思い出>
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて 湧水は<美久仁小路>付近
- ■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線)
- ■水窪川の擁壁 小日向台の崖線から滲み出す水 八幡坂 江戸切絵図より
- ■水窪川が削った深い谷と階段 旧大塚坂下町(大塚五丁目)
- ■巣鴨プリズンの遺構 水窪川<排水口> イケ・サンパークに移設・復元)
- ■水窪川跡沿いにある家屋 日出優良商店会 <ミート&デリカ なりたや>の黒毛和牛入り一個五十円のメンチカツ
- ■水窪川 鳩山会館隣りの水路の遺構 今宮神社前に残る石橋(橋桁) 小日向台の崖からの湧き水
- ■豊島岡墓地(豊島岡御陵)の蛇池から護国寺の湧水池に注いでいた水窪川支流に架けられた橋
- ■護国寺 音羽富士塚(音羽富士)<富士浅間神社>
- ■<昭和二十年 東京地図><続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■文京区小日向 茗荷坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■本郷給水所公苑
- ■東京都水道歴史館
- ■文京区小日向一・二丁目南遺跡 神田上水旧白堀跡 東京都水道歴史館に移築復原
- ■神田上水 関口大洗堰の由来碑の碑文
- ■神田上水石樋の碑
- ■関口の大洗堰(目白下大洗堰)<神田上水取水口の石柱>
- ■椿山荘 古香井
- ■目白台の湧水を生かした回遊式泉水庭園<肥後細川庭園>と胸突坂(別名 水神坂)
- ■肥後細川庭園と椿山荘の間 関口水門(大洗堰)の守護神<水神社> 細川家 永青文庫
- ■江戸川(現 神田川)の治水事業 江戸川公園<大井玄洞翁の胸像>
- ■複合遺跡 東池袋遺跡 旗本中西家の屋敷地と御鷹方御役屋敷
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川<前谷津川と宮下大山不動明王> スケートボードに寝そべって暗闇の急坂を下る少年スケーター達<池袋からの帰路、日曜日の楽しみ>
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流 梶谷津川
- ■前谷津川の支流 梶谷津川の源流付近と暗渠蓋
- ■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
- ■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
- ■前谷津川(前谷津川緑道) <赤塚しのがやと公園(篠ヶ谷戸)>と<橋ぎわ>
- ■板橋区 赤塚不動の滝と大根
- ■板橋区赤塚 不動の滝<記念物(史跡)> 令和3年
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■板橋区赤塚四丁目 板橋区No.135遺跡<赤塚氷川神社富士塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚四丁目(成増) 蓋をされた23区内最大の崖 <成増露頭>と貝の化石 板橋区板橋一丁目・加賀一丁目からはナウマンゾウの化石
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区泉町 出井の泉跡(出井の泉公園)〜出井川跡 “清水講中<大山不動明王>石碑”
- ■<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校 清水稲荷神社“出井泉(酒泉渓)”と“清水氏・板橋氏”
- ■板橋区宮本町 出井の泉跡から清水稲荷神社へ移設された“清水講中<大山不動明王>石碑” 消滅した最東端の有力な支流の谷頭
- ■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
- ■板橋区東坂下 出井川<新中山道(国道17号)に架かる新小袋橋>
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
- ■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
- ■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
- ■統計開始以来初 史上最短6月中の梅雨明け直前の<志村清水坂緑地の湧水>
- ■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■板橋区 志村古墳群<お伊勢塚古墳> 2022年1月13日加筆
- ■板橋区志村 熊野神社 志村古墳群 板橋区No_159遺跡<塚(古墳)上に建てられた社殿>
- ■板橋区志村 志村古墳群 板橋区No_157遺跡<塚or古墳>
- ■板橋区志村 志村古墳群<1号墳・2号墳>跡
- ■板橋区 小豆沢公園の湧水
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #1
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #2
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
- ■板橋区若木 中台馬場崎貝塚
- ■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
- ■板橋区大山西町の用水路
- ■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
- ■分水嶺、千川上水調節池跡
- ■千川上水 喜内古屋水車跡
- ■千川上水 板橋宿(仲宿・中宿) 割烹・待合<喜内古家>跡にある出汁の自動販売機 <遊郭 岡蔦楼と岡蔦山>
- ■千川上水 水神様 <大山西町発展史>
- ■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■千川上水分水 石神井川氷川町・栄町支流 旧河道の氷川つり堀公園
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区大山西町 千川上水跡<河川管理地>
- ■千川上水から分水した貯水池跡 <王子駅前公園>
- ■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■玉川上水
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
- ■渋谷川 氾濫危険水位
- ■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
- ■河骨川(春の小川)
- ■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
- ■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
- ■明治神宮 穩田川(渋谷川)の支流
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■穩田川(渋谷川) 表参道に残る参道橋の親柱
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■猿楽古代住居跡(代官山)
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■目黒元富士跡 上目黒1―8
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■富士塚古墳<十条冨士塚(冨士神社)> 調査後の現在の姿 鳥大の一個十円のチキンボール
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■豊島長崎の富士塚
- ■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
- ■駒込富士神社と古墳群
- ■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
- ■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
- ■北区王子 飛鳥山1号墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区赤羽西5 大塚古墳 周辺の古墳(天王塚古墳、稲付台古墳群など)
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■北区滝野川3 滝野川古墳(都立王子総合高等学校敷地/旧王子工業高等学校跡地)
- ■上野恩賜公園 摺鉢山古墳
- ■北区中十条 日光御成道(鎌倉街道 中道 旧岩槻街道) 清水坂(清水坂遺跡)
- ■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
- ■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
- ■新宿区 赤城元町の崖
- ■神楽坂ラン 赤城坂
- ■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
- ■新宿歴史博物館
- ■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
- ■豊島区 のぞき坂
- ■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
- ■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■北区西ヶ原 鎌倉道につながる熊野坂 豊島郡衙へ
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
- ■北区赤羽西 真正寺坂 「しんしょう昇る」と庚申塔
- ■北区滝野川 消防署建設の際に潰した狐塚の狐の祟り<滝野川伏見稲荷神社> 狐塚の坂と岩屋弁天(松橋弁財天洞窟)・正受院(滝不動)への道標
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
- ■消える富士見坂と豆まき
- ■消えた日暮里富士見坂
- ■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
- ■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
- ■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
- ■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
- ■蓮根川緑道 ヘビ公園
- ■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■板橋区高島平8丁目 徳丸ヶ原公園 <平太郎沼と呼ばれた沼を模した名残の親水設備>
- ■スケートボードは構成要素
- ■メイク
- ■オールドスクール
- ■JT
- ■スケートボード道
- ■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■板橋区・北区 御代の台
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■北区中十条3(東十条駅北口) 石神井坂
- ■北区岸町 三平坂