Content
line2021年1月 12|2月 123
|3月 123|4月 12|5月 123
|6月 123
line
2020年1月2月|3月 12|4月 123
|5月 123|6月 123 |7月 123
|8月 1234|9月 123
|10月 123||11月 123
|12月
12
line
2019年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
line
2018年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
line
2017年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2016年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2015年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2014年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2013年1月-2月3月-4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2012年1月-2月3月-5月6月-7月
8月-9月10月11月12月

line
2011年1月-2月3月-4月5月-6月
7月-8月9月-10月11月-12月

line
2010年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2009年1月-3月3月-5月6月-7月
8月-9月9月-10月10月-11月12月

line
2008年1月-3月4月-5月6月-9月
9月-10月11月-12月

line
2004年3月〜
  • ABOUT
  • INFORMATION
  • COLUMN
  • WORK
  • CONTACT
  • logo4
photo

2014 7/29
『池袋 四面塔尊』

繁華街には事件はつきもの。
池袋は幼い頃から馴染みのある町だから、物騒だ、怖いとそれほど思わないが、最近何かと痛ましい事件が起きている。

駅の西口、東口、北口、それぞれまた違った顔を持つ池袋。
北口は中華街構想のようなものもあったが、今はどうなったのだろうか。
四半世紀前、西口のロサ会館や公園にはたくさんのチーマーが集っていた。
100円バーガーのSHOPもまだ健在だった。
高校生だったボクらは南池袋で、昼もそうだし、夜な夜な集って遊んでいた。
浪人時、代ゼミにも毎日トライアルバイクで通って、遊びはなるべく抑えて、受験勉強道に邁進していた。毎日のバイク通学が心の拠り所だったように思う。

池袋の通り魔事件、池袋駅構内大学生殺人事件...発砲事件も多かったように記憶している。
今にはじまったことではないが、かつても多くの事件があったようだ。
現在の池袋駅周辺はかつては池袋村のはずれのところに位置していた。
そんな場所で辻斬りも頻発していたという。

引用
今から約280年前の享保の頃(徳川幕府八代将軍吉宗の頃)
高田雑司ヶ谷と板橋を結ぶ街道(現 平和通りが高田道)と礫川(文京区 小石川)と東長崎を結ぶ街道との四ツ辻付近(現在の西武線池袋駅東口)は、夕方になると追はぎや辻斬りが出没し、夜はその難を逃れる為通行する人が途絶えました。
享保六年の夏、1晩で17名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志64人が雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺第二十二世日相上人に供養をお願いし、享保六年九月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏を供養した。
正面にはお題目、右側面には北方板ばしみち、左側面には南方高田雑司ヶ谷道が記され、道標としても使われました。
この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消されました。
平成十二年九月吉日  池袋四面塔尊奉賛会

この四面塔尊は、P'パルコの横の線路沿いの公園の入口にある。黒●が四面塔。
一番下の地図の赤丸部分が↑この四ツ辻付近だと思われる。

辻斬りとは...ようは通り魔のようなものだろう。
中世から見られるが、特に戦国時代から江戸時代前期にかけて頻発した。
1602年(慶長7年)徳川家が辻斬を禁止し、犯人を厳罰に処することにした。
辻斬りをする理由としては、刀の切れ味を実証するため(試し斬り)や、単なる憂さ晴らし、金品目的、自分の武芸の腕を試す為などがある。
また、1000人の人を斬る(千人斬り)と悪病も治ると言われる事もあった。

引用
明治時代になり池袋周辺は近代化の開発の波が襲いました。
東武鉄道と西武鉄道の開業により四面塔が在った場所は 区画整理を受けて塔は駅前に強制移動されました。
移動に関った作業員が相次いで事故死したため、 毎年四面塔を秦じる祭が在りましたが、しかし太平洋戦争の 勃発により祭は中断し周辺は空襲や戦後混乱で荒廃して行きました。戦後混乱も終息し再び駅周辺は開発が始まりました。
1955年(昭和30年)駅前に丸物デパートの建設により、駅前から現在の土地にまた強制移動されました。しかし丸物デパートの建設中事故が頻発した為、 デパート関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願しました。 時に1955年(昭和30年)5月。
しかしその後、デパートは完成したものの丸物デパートは 潰れました。人々は噂しました…「塔を動かしたから」と。

斬られた人々、村の有志の人々の想いがこの塔に入っているからそういう障りがあるのだろうか。
物でも人でも事でも粗末にしてはいけないと、今は亡き先祖がいつも言っていた。チビの頃、大人たちからたくさんそう言われたように...たまにすっかり忘れることもあるけど、物人事は大切にしたいですね。
野良猫がぐっすり休んでいる四面塔尊を撮っていて、改めてそう思いました。

警ら中のパトカーがわんさか通る四面塔尊があるこの公園、窓越しにジッと観察する本官ら、職務質問もかなり多い...それだけさまざまな人が集って事件につながるようなことが多くあるのだろう。

【過去記事】
■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
■復活 上野清水観音 堂月の松
■上野東照宮
■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■印刷博物館<武士と印刷> 徳川慶喜終焉の地
■文京区春日二丁目(小石川小日向第六天町) 徳川慶喜邸と新坂(今井坂) “徳川おてんば姫” 井出久美子
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■“青天を衝け” 高島秋帆 松月院<高島秋帆先生紀功碑>と西洋砲術の演習地 徳丸ヶ原
■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡>)
■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
■上野公園 時忘れじの塔
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■文京区目白台 腰掛稲荷神社
■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板箸一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■板橋区仲宿 文殊院 子の権現
■板橋遊郭 新藤楼
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍と加賀藩下屋敷の裏御門だった山門
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺の寛文の庚申塔 加賀藩前田家下屋敷の裏御門にあり移設された山門 平尾一里塚
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
■板橋区蓮沼町 古道 稲付道に立っている庚申塔
■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■中仙道か中山道か
■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋)のトンネルの湧水
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所
■王子新道の由来と花月通
■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
■加賀藩と黒作り
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
■加賀藩前田家の駕篭
■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
■中山道 平尾一里塚(板橋一里塚) 一里塚まんじゅうと史跡
■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■板橋区志村 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔
■板橋区志村2丁目(志村坂上)の住宅にある庚申塔
■体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔
■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
■練馬区田柄二丁目 (旧)川越街道と所沢道の追分に立つ庚申塚(庚申塔・道標) 鎌倉街道
■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
■練馬区 ふじ大山道
■清戸道の名家
■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
■新宿に縄文人現る
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■鎌倉街道 中道 北区中十条
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂
■文京区小日向 切支丹坂に間違えられた庚申坂
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
■板橋区弥生町 上板橋宿 豊敬稲荷神社の玉垣に刻まれた瀬戸川牧場
■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
■田端 東覚寺 赤紙仁王
■本郷肴町 棒兼
■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨薬園跡 <豊島市場>
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
■北区十条四軒道路にある出桁造り
■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
■北区王子3・4丁目の出桁造り
■北区王子本町の出桁造り
■目白通りにある出桁造り
■渋谷川 庚申橋供養碑
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
■JR貨物北王子線と廃線跡
■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
■JR貨物北王子線の廃線跡 線路撤去工事
■東十条駅 下十条運転区検修庫解体
■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
■北区中十条3丁目の出桁造り
■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
■本郷追分と追分一里塚跡
■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■電話番号の表札
■谷中、上野桜木の出桁造り
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
■北区西ヶ原の出桁造り
■文京区根津の出桁造り
■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘跡
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■滝乃川学園跡 三代目理事長 渋沢栄一
■西池袋 自由学園明日館
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) その後7月・10月と“おふじ道”
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
■豊島区駒込(染井) 西福寺への道標<大師道> 染井の泉と谷田川(谷戸川)の源泉の長池 染井吉野
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック
■江戸城 松の大廊下跡
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
■経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
■同潤会 上野下アパート
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■北区滝野川 三軒家 御代の台仲通り商店街の出桁造り
■駒込名主屋敷
■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
■護国寺惣門
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
■北区上十条2丁目の出桁造り
■北区上十条にある出桁造りと再開発により撤退した創業110年の八百市 橋本青果店
■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災
■東海道本線 特急型車両185系普通列車と仕事の思い出
■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地

photo

2014 7/28
『母を訪ねて7km』

クルクル◯ーになるほどの酷い暑さが続いていた先週...
紙ヤスリかのようにザリザリと皮膚をこする日射しに、チッと舌打ち。

午後は母が欲しいという荷物を背負って往復7kmの介護的ウォーキング。
ちょうど電車もバスも通っていない縦の道のりなので、電車で遠回りするよりも脚を使って向うほうが便利で、はやいのが歩く理由。
最大高低差約28m、高低差20mを2回と15mを2回上って下るので平坦な7kmよりもずっとキツく、自転車でも上り下りが大変だからやはり脚を使ったほうがラクというなんだか妙な感じだけど、ランニングしていけば15分ほどなので、近いっちゃ近い。
台地と低地、起伏が豊かな地形に辟易するのはかつての人々も今の人もそう変わらない。

あれこれ世話して、クタクタになって...暑さには恨みのような感覚さえ芽生えるも、強い日射しを浴びていると気持ちいいっちゃ気持ちいい。
からっぽになったバッグには代わりに大分のスイカを入れて...
どっしり重い大きなスイカは祖母の代からの村人からの贈り物。
曾祖母と祖母は、沖縄でいうところの“ユタ”のような存在だった。
違うところは生業ではなく、百姓と野良仕事をしながらお役目でたくさんの村人を救っていたと。
祖母の家のアルバムに写る人々はみな知らない人、みな写真を持ってきてみてもらうからで、家族が写った写真なんか数枚くらいなもんだ。
2人には卓越した能力があったみたいで、祖母は自分が13歳の頃に亡くなったからよく憶えているけど、いろんなことがわかったりみえたりしているんだなと思うことばかりだった。
祖母がテレビに出ているそういう人をみて、「わしもテレビに出られるわ」とよく言っていた。
出かける時は真っ黒い石を持って、不調を訴える人をその石でさすって和らげていた。チビにお母さんがする痛いの痛いの飛んでけーというのと同じようなことだろうし、ヒーリングなんだろうなと。身体の痛いところを無意識にさするのは自分自身で自分を治そうとするからだと聞いたことがある。
そんなものあるかと思う人も多いけど、よくわからないから自分は否定も肯定もしないし、勘がとても鋭い人には分るかもしれないけど、そんな感覚がより鋭いのかもしれない。
先頭をひつぱるリーダーは感覚がするどい人が多いですよね。似たような感じだろうか、ちがうか。。ま、色んな人がいますね。
...村の人とその家族、曾祖母と祖母の想いがつまったスイカの重さがその想いと比例しているかのようで。

ストアでボールを買って、呑みながら復路の3.5kmをウォーキング。
速攻でぬるくなる黄色いボールをゴクゴクと、至福。
汗だくのドロドロで、重い足どりはより重く、速度をゆるめて、脳みそも脚もふんわりと。

体質改善をして、暑さにもなるべく強くなろうとして10年くらいが経った。
そうしてなかったら今頃動けていたのか?そう思うとばっこりと怖くなった。

...晩飯はまたメバチマグロの漬け丼大盛り。いやぁ本当にうまいわ。
なんだか安すぎにもほどがあるけど、20個で¥100のピーマン、エノキ一袋入れておひたし?にして大量に摂取。
ク◯蒸暑いのに、豆腐と溶き卵入れたとろっとろのナメコのみそ汁も。
だいぶ前に、オクラと納豆とナメコのみそ汁作ったら飲むゼリーのようになって飲めたもんじゃなかったな。

ドロっとしたものを無意識に食べているけど、身体が欲しているんだろうか。
夏バテとは皆無の日々にしたい。

日射しにべっこり凹みますが、皆様もご自愛ください。

photo

2014 7/24
『ポテトドラッグ』

脱法から危険へと呼び名がかわった。
喫緊の問題として、新たに薬物が何種類指定されたというが、かなり遅いですね。
警視庁なんちゃらの番組を久しぶりにみたら、奇妙奇天烈な身体の動きをしている人に本官が「何か吸ったか?」と言った。画面に映るソコも副都心のような気がした...
それほど街には蔓延して容易く入手できるということだろう。
注意だけでいいんではないかと思うようなことでも、陰に隠れてばんばん取り締まるよりも、もっとちがう現場に多くの本官を投員する方がいいのではと。

多用して効きがあまくなって、量が増えるのはどの中毒でも同じ。
酒、たばこ、ギャンブル、FX、BIKE、ランニング...
ほどほどというのが一番ムツカしいとはよく言ったものだと。

自分は食に関してはまちがいなくグルテン中毒(でんぷん)だろう。
何の料理にでも、お味噌汁の代わりにたぬきうどんを付けようといつも思う。
うどんにおかずは何をつけようかなと、優先順位もそんなことになる。
こだわりは全くないが、パンも好きだし、呑んだ後のハムサンドは最高だ。
って、そんなことしてたらあれよあれよと77kgにまで増加したのは10年前...
この10年で、いったん60kg台になったことがあったけど、その後また71-2kgのいつもの平均に戻った。

あぁポテト食べたいな...とだいたいの人はそう思うことも多々ありますね。
いちばん好きなポテトは東武デパートの屋上スナックランドで食べたラスポテトだけど、やはりマックのはキングだろう。
初めて食べて感動したハッシュドポテト、いつしか冷凍庫には常備するようになったほどだ。
Lサイズをおいしそうに食べるあんちゃん、お手拭きは自分の社員証がかかった自身のワイシャツとスラックスだったのは、大好きなものを食べている証しなのだろう。

そんなポテト...

いいジャガが手に入ったら、どっさり揚げ焼きにしてよく作る。
プレーンな時はケチャップやマスタードで。
仕上げにアンチョビ入れて混ぜてもうまい。

身体にあまりよくないといわれるポテトサラダもよくつくる。

サラダ買ってきたからと言った友、それは...
スパゲティサラダ、マカロニサラダ、ペンネサラダだった。

ウォーキング後のLサイズで腹ごしらえ。
半分こしてちょうどいい。

ポテトはドラッグと揶揄されるのも意味がわかる。

photo

2014 7/23
『帽子』

帽子が好きで色んな種類のを持っているけど、特にハットが。
16歳の頃にプレゼントでもらったのが一番最初のハットで、すごくシンプルなスエードのカウボーイハット、今でも持っている。
同じく16歳からかぶっていたお気に入りのキャップはもうだめになって、先日処分したばかりだけど、パッチは剥がした。
17歳の頃に、バケットハット(ツバがあまりひろくない)を初めて買って、お尻のポッケにたたんで入れていた...アメ横ヤヨイで買ったトレーナーに501、原宿オッシュマンズで買ったニューバランスのシューズ、動きやすく気に入っていた。
去年、ZARAでみかけて欲しかったツバが浅い編み込んだキャップをかぶってみると日本兵のような佇まいにしか見えないので、ダメだと言われて手を放した...
ニットキャップにいたってはどのくらい買ってどのくらい処分したかわからないけど、今はツバ付きのも合わせて6つあって、全部で12個。

ヒゲ鼻メガネ帽子というもう誰だか分らないようなある種の“変装”が好きなのかもしれなかったのだろうか...大人っぽくなった気分だったからだろうか...昔の写真をみるとそんなことを思う。ま、一番はヘルメットで髪の毛がちんちくりんな型になるから帽子でかくす、そういう人も多いですね。
...この頃はメガネさえうっとうしく帽子もあまりかぶらないようになったので、ランニングキャップもない。汗どめや頭や目の保護には必要だけども...

ある時、実母が言った。
「あんたは帽子が好きねぁ...おじいちゃんも好きでねぇ、ひょいと帽子をかぶって出かけていたんだよ。」
おじいちゃんには会ったことはないし、話もそんなに聞いたことがないけど、そんなところは似ているようだ。

photo

2014 7/22
『夏詣』

買い物にでたらひどいゲリラ豪雨に遭遇してびしょびしょになったりと、えらい週末でした。
一雨降ると涼しくなるのでいいこともあるけど、大変なことがそれ以上に起きる。

6月の頭から暑くなって、まだ1−2回しかエアコンをつけていない。
じゃっかん寝苦しいような晩もあるけど、大きさと高さが秀逸な扇風機のおかげさまもあり、一雨後の涼しい晩があけるとちょっと寒いくらいで目覚める。
エアコンをあまり使わない+ランニングも相まって、年々と身体がラクになっていくけど、エアコンがばっちり効いた室内がどうにもこうにも寒くて...

と、
そんな涼しい海の日の早朝、ベランダに出ると曇りで過しやすい。
パン一枚ほおばって、ストレッチして身支度を。
表に出ると、なかなか涼しいので、10kmの予定を変更して、浅草神社へ夏詣へ。
最短距離の往復で約18km、途中で陽が出て暑くてバテたら電車に乗ればいいので、こういうのも気楽なランニング。

なんだか脚もよく動くのは昨晩あまり酒を呑まなかったからっていうのと、涼しいのと、いつもはしない腸腰筋(ちょうようきん)の筋トレをしたからかな?
*上半身と下半身をつなぐインナーマッスルのことで、鍛えると骨盤の位置を安定させ、正しい姿勢を保てるという。股関節を動かす時に使う筋肉なので、脚を動かしやすくさせるのだと。

あまりアップダウンがない道を選んで進んでいく。
寛永寺橋には新しくエレベーターも設置されたけど、鴬谷と昭和通りは車優先の作りになっているので、走りにくいといつも思う。
で、浅草神社に到着。
浅草寺や浅草神社にいる人のほとんどが外国人観光客。
朝も早くから満喫されている。
彼らが使っていくお金はどのくらいになるのだろうか...

混みだす前にあとにする。
不忍池の蓮をちょっと見て。
生命力の強さの象徴のような蓮。
どうにもこうにも、蓮のまんなかのぶつぶつにはぞわぞわするけど。。

あっという間に到着。
寄り道したので、22.1km 2時間10分02秒(05'53 /km)  1203kcal

昼には陽も出てきたので、シューズを久しぶりに洗ったり干したり。
どうなんでしょう、意外とシューズって洗わないような...
そんな午前中の3時間...走った後は角砂糖十何個も入っている炭酸清涼飲料水をロックで。

photo

2014 7/16
『ウォーキングで』

「行きは歩いて、帰りは電車にしよう。」
....もうあたり前のような会話になった。

豊島区の新しいインフラの“道”と、高田にある激坂“のぞき坂”をアテンドしてテクテクと。ある意味、名所と難所。
ヒザを曲げて、後ろに体重をかけてないと下れないほどのすごい角度で、女性だとちょっとコワイくらいかもしれない....ヒザのコンディションがよろしくない方ならば下れないと思う。

さほど暑くはなかったけどびしょびしょ。
なかなか良い運動です。
「昨日は10kmくらい歩いたでしょ、今日は7kmでしょ、土日で20kmくらい歩いているんだもんね〜」と...「だね、ウォーキングする人も多いけど、どうなんだろうな、このくらいは皆ふつうに歩いているのかね。」

レディースなんかショートパンツ¥300とか叩き売り状態...
シンプルだけどカットがいいTシャツと7年ぶりに短パンを。

なんだかんだで9kmくらいは歩いた一日でした。

これだけ町を歩いたり走ったりしていると都内の距離感がずいぶんと変わった。
メッセンジャーの友が前にそんなことを言ってたけど、まさにその通りに。
その時は運動はほぼ0状態で、移動はほぼバイクだったので、何のことかさっぱり分らなかったけど、今よく分った。

何かしら運動をしている近しい友も多い。
スケート、サーフィン、ジョグ、ウォーキング、通勤自転車、仕事で自転車、野球、水泳、ジム、ポタリング。
なるべく階段を使うとか、一駅手前で降りて家まで1−2km歩くとか、なんなら歩きながらビール呑むとか...そういうことをしている人も多いですよね。
通勤の時に兼ねて運動も手っ取り早いですね。
厳しい表情で向こうからウォーギングしてくるお兄さん、ウェアはサッカー用なので、かつてはサッカーをしていたのだろうか...手にはたばこが。

←運動らしきことほぼ0の時、このようなことをほぼ感じなかったけど...
感じなくても身体に負担がかかっていたのだろうか。
なるべく歩かないようにしてたくらいだったなぁと。
でも今は、なるべく歩こうと180℃変わった。

たまに運動するくらいがいいと言っている。matome
しなきゃしなきゃって、それがいけないのだろう。
でも、こんなにもク◯暑いとそんな気になれないですかね。
好きなブランドのウェアやシューズを身につけるのもモチベーションが上がりますね。

photo

2014 7/15
『池袋富士塚と池袋貝塚』

山手通りと川越街道の交差点にドンキホーテがあります。
その裏あたりに交通短大があって、その付近に池袋氷川神社があります。
神社があるあたりは池袋本町という町名で、この“本町”という名が示すとおりに、かつてはこの地域が池袋村の中心だった。
池袋駅が開業してからは池袋の中心は、現在の駅周辺へと移っていき、現在の池袋本町は住宅街となっている。
池袋での事件は昔から多いが、この10年くらいでまた変わってきたように思う。
安全な町であることを願うばかり。

氷川神社の参道前を通る道は“高田道(雑司ヶ谷道)”という古道で、板橋宿から雑司ヶ谷・高田をむすんでいた重要な道だった。
高田道を板橋宿とは逆に進んでいくと、追分(おいわけ、分かれ道)があり、右にいくと新川越街道で分断されているが、平和通りという道がそれで、ウイロードという池袋駅の東口と西口をむすぶ地下道あたりをとおって、現在の明治通りとほぼ同じ道筋をとおっていた。
追分をまっすぐいくと小石川方面へと行くことができた。
3枚目の地図の黄色い道が高田道です。

氷川神社には有名な富士塚があり、たしか、7月のあたまに山開きがされる。
普段は立ち入り禁止なので、富士山には登れないのが残念。
なかなか立派な富士塚です。
そういえば、境内に土俵もあります。
(富士塚とは、江戸の頃は富士山にお参りをする信仰が盛んだったが、一般の人は簡単に行くことができなかったので、身近な場所に小さい人造の富士山を築き、誰でも簡単にお参りできるようにした。)

そんな氷川神社と池袋本町...
神社がある場所はちょうど台地の先端で高台になっている。
4枚目の標高を見ていただくと分るかと思います。緑が濃いところが台地。
氷川神社の裏あたりに池袋貝塚があって、一面にアサリ・ハマグリ・シジミの貝類が散らばっていたという。
なんでこんな内陸部に貝塚があるのかという疑問が湧いてくるけども、かつてのこの貝塚付近は湿地帯、幅の広い沼のようなところだったようで、その先には川が流れていた。
その川は谷端川とよばれて、暗渠になり消滅し下水道になった川。
おだやかに流れる川では魚もとれて、川や沼ではシジミがとれて、王子の方の海っぺりからアサリ・ハマグリを運んできたとも言われている。
縄文時代は温暖な気候で海水面が上昇して、海が内陸部へと入り込んでいた。
ここでも縄文人は台地にすんで、川へと下りて食料をとって生活をしていたわけで。
そして、同時に土偶や石棒や斧、玉類も発見されことから、多くの人が住んで繁栄していたことが分ったという。

氷川神社の創建は定かではありませんが、もしかするとそういう集落の中に神さまに祈りを捧げる場所ができ、今の氷川神社につながるのかもしれません...
神社サイト引用
人々が集り繁栄するところには必ず祈りがありますから、そうつながっているのかもしれないですね。

駅周辺ではわからない池袋の歴史を、池袋本町で知るのもいいかなと思います。

【過去記事】
■谷端川(源泉から池袋本町)
■谷端川 2(池袋本町から小石川)
■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
■谷端川のお多福弁天
■谷端川 田楽橋の橋桁
■谷端川 大塚にある瀧不動
■谷端川下水道幹線 SPR工法
■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
■谷端川(千川・小石川・礫川) 猫又坂(猫貍坂、猫股坂)と猫又橋
■宮仲(巣鴨村) 谷端川 上池袋支流(瓢箪池支流)
■谷端川 雲雀ヶ谷支流(名も無き小川)とお多福弁天沼(お多福弁天様・橋かけ弁天様)
■谷端川と上池袋支流(瓢箪池支流)の落ち合い地点にある防災用ポンプ
■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場
■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
■池袋富士塚と池袋貝塚
■池袋東貝塚遺跡
■石神井川 河川争奪 音無渓谷
■かつての石神井川
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
■石神井川 金剛寺(滝野川城)にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆
■王子七滝 松橋弁財天洞窟跡 桜並木 音無もみじ緑地の小さな滝
■北区滝野川 金剛寺 冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
■石神井川 割烹音無川<音無川温泉> 音無さくら緑地
■石神井川 板橋いこいの森
■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
■石神井川 音無こぶし緑地の豊富な湧水 カラッカラ乾燥の都内
■石神井川 2021年3月末 音無こぶし緑地の豊富な湧水
■石神井川 染井吉野の桜並木と谷端川下水道幹線<千川上水の放流(停止)>の吐口
■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・木滝)
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
■王子七滝 名主の滝
■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
■王子七滝 名主の滝公園の湧水 (2020年8月8日)
■王子七滝 名主の滝公園 <今様文覚上人の群れ?ー名主の瀧でグロな刺ヨ競べ>
■王子七滝 王子 権現の滝
■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
■王子七滝 見晴の滝跡の湧水と芝坂
■王子七滝 見晴の滝の名の由来
■王子十五滝 醸造試験所の滝
■王子十五滝 料亭扇屋 末広の滝
■王子十五滝に加えて 今も残る飛鳥山の小滝(十六滝)
■王子十五滝 新潟会館の段差のある滝(十七滝)
■板橋区加賀 旧理化学研究所板橋分所跡から石神井川に落ちる雨水
■2020年秋 コロナ禍の音無川(石神井川)音無渓谷
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
■王子神社東側の崖線と上郷用水(石神井用水)に架かる三本杉橋の親柱
■王子神社のイチョウと王子大坂のおっぺし(立ちんぼ)
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋)のトンネルの湧水
■田端 不動の瀧・不動坂 谷田川沿い水神稲荷神社
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■昭和の石神井川
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋
■石神井川 沼
■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
■石神井川の付け替え
■石神井川 東宮降誕植桜之碑
■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
■石神井川 田柄川用水とも呼ばれた安養院境内に残る “あげ堀” 跡
■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡>)
■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神(稲荷社 2021年4月7日加筆)
■飛鳥山公園 飛鳥明神 飛鳥山の隠れ狛犬(2021年3月12日加筆)
■王子 飛鳥山 さくら新道 共同洗い場
■古石神井川の流路 逆川
■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
■石神井川上流 下野谷遺跡
■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
■豊島区駒込(染井) 西福寺への道標<大師道> 染井の泉と谷田川(谷戸川)の源泉の長池 染井吉野
■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■北区西ヶ原 西ヶ原遺跡(西ヶ原<西ケ原>貝塚)
■北区西ヶ原 王子脳病院跡地の飛鳥中学校 西ヶ原遺跡群(西ヶ原貝塚) 住宅地にも広範囲に分布する縄文時代の貝殻
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■北区十条仲原 稲付川に架かっていた游鯉園橋
■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■北区上十条 姥ヶ橋の延命地蔵尊に添えてある小さな角柱型文字庚申塔道標
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)
■北区 中里遺跡出土丸木舟
■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟
■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※河口側
■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※東十条側 大坊橋(デッカンボウ<誤 -大防橋 だいぼうはし->)と上郷用水に架けられた<桜橋> 大蛇伝説
■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀の主<ヌシ>の大蛇がまつり込まれている庚申さま(<庚申塔>神谷橋庚申通り商店会) 古墳 観音塚
■北区神谷三丁目 自性院前の庚申塔(道標)
■板橋区 根ノ上遺跡
■板橋区 稲荷台遺跡
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区清水坂公園の湧水(井戸)
■赤羽自然観察公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■田柄川の水源と茂呂遺跡
■田柄川 石神井川との合流地点
■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
■池袋の川 弦巻川
■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
■豊島区の湧き水と池
■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線)
■水窪川の擁壁 小日向台の崖線から滲み出す水 八幡坂 江戸切絵図より
■水窪川が削った深い谷と階段 旧大塚坂下町(大塚五丁目)
■巣鴨プリズンの遺構 水窪川<排水口> イケ・サンパークに移設・復元)
■複合遺跡 東池袋遺跡 旗本中西家の屋敷地と御鷹方御役屋敷
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
■板橋区 赤塚不動の滝と大根
■板橋区泉町 出井の泉跡(出井川)
■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
■志村城山公園の湧水と志村城跡
■板橋区 小豆沢公園の湧水
■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #1
■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #2
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区若木 中台馬場崎貝塚
■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■板橋区大山西町の用水路
■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
■分水嶺、千川上水調節池跡
■千川上水 喜内古屋水車跡
■千川上水 水神様
■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■玉川上水
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
■渋谷川 氾濫危険水位
■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
■河骨川(春の小川)
■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
■明治神宮 穩田川(渋谷川)の支流
■渋谷川 庚申橋供養碑
■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
■鎌倉街道 中道 並木橋
■猿楽古代住居跡(代官山)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■目黒元富士跡 上目黒1―8
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
■新宿区 花園神社 復活した井戸
■池袋富士塚と池袋貝塚
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) その後7月・10月と“おふじ道”
■豊島長崎の富士塚
■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
■駒込富士神社と古墳群
■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
■北区王子 飛鳥山1号墳
■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
■北区中十条 日光御成道(鎌倉街道 中道 旧岩槻街道) 清水坂(清水坂遺跡)
■秋葉原 神田柳森神社 力石
■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
■新宿区 赤城元町の崖
■神楽坂ラン 赤城坂
■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
■新宿歴史博物館
■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
■豊島区 のぞき坂
■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
■墨田区 都立横網町公園
■本郷給水所公苑
■東京都水道歴史館
■文京区小日向一・二丁目南遺跡 神田上水旧白堀跡 東京都水道歴史館に移築復原
■神田上水 関口大洗堰の由来碑の碑文
■椿山荘 古香井
■東京の坂道 文京区白山 網干坂
■北区西ヶ原 鎌倉道につながる熊野坂 豊島郡衙へ
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
■北区赤羽西 真正寺坂 「しんしょう昇る」と庚申塔
■北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標(2020年9月18日写真追加)
■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
■文京区小日向 茗荷坂
■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
■消える富士見坂と豆まき
■消えた日暮里富士見坂
■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■蓮根川緑道 ヘビ公園
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■板橋区・北区 御代の台
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
■北区中十条3(東十条駅北口) 石神井坂
■北区岸町 三平坂

photo

2014 7/14
『自分のルーツ2 武士の活躍と信仰 鞆淵氏と高野山』

結婚指輪のストッパーのリングは、大分県の黒土にある椿堂という弘法大師ゆかりの名刹のもので、赤ん坊の頃に祖母がこの子は“早死にせずに成長できるように”と願掛けをした、母方の祖母と曾祖母が修行をしていたお寺。
うちの家系は男があまりいなくて、いてもすぐになくなったりだったという。
町で気になって立ち寄った寺が真言宗(高野山 弘法大師)の寺であることが実に多いのは偶然かどうなのか...
先祖は、自分の名前でもあるけど、大阪と和歌山の町の名前にもなっている。
和歌山の人ではない曾祖母も祖母も弘法大師(高野山)に縁があって、寺で修行をし、九州の大分で村の人々のために生業ではなく役目として生きた。
一方の先祖は高野山と非常にふかい縁があって歴史がある。
弘法大師空海がまるで引き合わせたかのように、長い長い時を経て、それぞれの先祖をつなげて今の自分がいることがよく分った。
その歴史が下記です。
------------------------------------
鎌倉時代の終わりころから、荘園(しょうえん) や村では惣(そう) と呼ばれる農民たちの自治的な組織が作られ、生活や生産、祭礼などに関わるさまざまな取決めが、住民たち自身により決められていくようになりました。
中でも鞆淵荘の惣では、高野山や鞆淵(ともぶち) 氏一族との間で「鞆淵動乱」と呼ばれる激しい闘いを繰り広げたことでよく知られています。
鎌倉時代の終わりから室町時代にかけて、鞆淵荘には2つの勢力が存在していました。
ひとつは、荘園領主であった石清水八幡宮に奉仕する神人(じにん) とよばれる特権集団を中心にした勢力で、石清水八幡宮から送られてきた神輿を心の拠り所とし、鞆淵荘内で最大規模の用水路を開発するなど、水田開発にも積極的に取り組んでいました。
一方もうひとつの勢力は、後に鞆淵氏を名乗る武士の一族を中心に、それに従う農民たちをも含み込んだ勢力で、鞆淵氏の本拠地周辺で綿や苧麻の栽培などに取り組んでいました。

鞆淵氏を中心とする勢力は、南北朝時代に入るころから急速に力を伸ばしはじめ、同じころ、鞆淵荘の新しい荘園領主となった高野山と協力して、検注と呼ばれる土地調査を行うことによって年貢徴収を強化しようとしました。
これに対し、古くから鞆淵荘で生活を営んできた神人を中心とした勢力は、石清水八幡宮領時代の年貢額以上の納入には応じない姿勢を貫き、「八人御百姓(はちにんおんびゃくしょう) 」と呼ばれるリーダーたちを中心に激しく反発しました。
これが鞆淵動乱です。
高野山はこの「八人御百姓」を動乱の首謀者と認定し、処罰するためにその身柄を拘束しましたが、神人たちは惣のために勇敢に戦い、また日ごろから人望もあつかった彼ら八人の身柄を取り戻すため、巨額の身代金を支払って彼らを解放させたのです。結局、高野山は、彼ら神人勢力の主張を認め、鞆淵荘につかの間の平和がおとずれました。

鞆淵動乱がおさまると、鞆淵氏は紀伊国の守護である畠山氏の家臣としての活動が多くなり、次第に高野山との関係も悪くなっていきました。
高野山は、鞆淵氏を通じて守護からかけられる夫役などの税が、鞆淵荘の農民たちを苦しめていると判断し、1424(応永31)年、もとの神人勢力を中心とする農民たちが一斉に荘内を逃散したことを受けて、鞆淵範景(のりかげ) の追放を決定しました。
しかし、追放の決定を受けた後も、鞆淵範景は何度も鞆淵荘内に出入りしていたばかりでなく、その後も高野山に対して綿・苧麻の納入を請け負うなど、鞆淵荘内で一定の地位を保ち続けます。
高野山にとっても、鞆淵荘の円滑な支配のためには、地域社会に深く根を下ろした鞆淵氏の力は不可欠のものとなっていました。
鞆淵の惣は、鞆淵動乱とその後の逃散事件を経て、新たな領主である高野山ではなく、地元に深く根を下ろした鞆淵氏やその配下の人々と共存する道を選んだのです。
現在でも鞆淵氏の城跡に祀られている神社の祭りが、毎年4月に静かに続けられています。
------------------------------------
今でも神社と寺にご縁があって、名前にさんずいが2つもあるし、とにかく川が気になってしょうがないし、水にもご縁があるけども、こんな昔のことから続いているのだろうか。
この歴史を知って、点と点がつながるとはこういうことだとよく分ったのです。

過去記事
『自分のルーツ1』
『自分のルーツ2 武士の活躍と信仰 鞆淵氏と高野山』
『自分のルーツ3 川と城』

photo

2014 7/11
『カラーリングで』

名作M996を履いてランニングしている欧米人ランナーをごく稀に見かけるけど、似合っているし、すごいなと思う。

ニューバランスのM980というちょっと変わったデザインのシューズ。

・ふんわり軽い
・足の裏が包まれているような感覚
・かっちりしている
・クッション性が高い
・柔らかい中でも安定感がある
・スピードを上げても受け止めてくれる
・どんどん脚が出る感じ
・しなる感じが逆に走りやすい
・フラットなソールだけどそれをあまり感じない
・前から人に引っぱられている感覚
・踵から入ってつま先に出るのがスムース
・とにかく走りやすい

アスリートの反応は抜群のようなシューズのM980

ちょっと独特なミッドソールのハニカム構造がとてもいいらしい。
けど、カラーリングが....
上から3枚目のアウトドア用(トレイル用)は巧く合っていると個人的には思うので、タウンユースでも馴染むと思う。

そんなにいいなら履いてみたくなりますね。
多少の違いは分るようになってきたかもしれないので。
フラットなソールのシューズも履いているけど、つま先があまり反らないので、走っているとどうしても、足の指の付け根あたりを路面にザッと擦ってしまうことがよくある。
フラットじゃないふつうのシューズだとつま先にいくに従って反っているので、ほとんど擦ることはない。
よく分からないですね....うまく書けないけど、足の指の付け根あたりを擦るを大きく言うと“つまずく”ような感覚で。
なので、フラットなソールの新しいシューズは、他の部分はまだまだ全然減ってないけど、もうその部分だけ特に減りが早くて....これは走ってみて初めて分ったこと。

そんな変わったデザインのシューズだけど、
ブラックカラーになるとがぜん良く見えてくる。
すごくいいと思って。
ブラックはブラックでも、濡羽色のような、角度によってカラーが変わる玉虫色のようなブラックもとてもイイなと。
これは日本未展開だと思うけど、欲しい人も結構いると思うんだけども...
マジランナーやファッションでという人にも、門戸が広がるんではと。
ランニングウェアもシューズも、派手ではないのが圧倒的に少ないから、余計に欲しくなってきます。
ウェアなんて、黒いので好きなデザインだったら即買いだし。
あちこち町を走るから、冬や秋や春先は暖かくていいけど、ただ真夏は一段と暑く感じる。。
今朝も黒い上下、ランニングシャツ+ショーツ....台風一過で綺麗な青空だったけど、蒸暑さも相まって不快度倍増。
でも、走った後がとっても気持ちがいいのです。

photo

2014 7/10
『うさ脳』

今朝知った脳の分類。
両手のひらを組んで下に右親指があれば右脳の“う”で、 これは情報を右脳で感覚的にインプットするんだと。
両腕を組んで下に左腕があれば左脳の“さ”で、これは動作行動する時に論理的にアウトプットするんだと。
なので、“うう”、“うさ”、“さう”、“ささ”の4つに分けられて、自分がどういう性格なのかわかるという。

自分は“うさ脳”だという。
直感的に情報を自分にとりいれて学び、論理的に動作行動するんだそうだ。
電話は左耳か右耳かでもわかると思うけど(左耳の情報はクロスして右脳で処理していると聞いたことがある)、自分は左耳なので、電話の向こうの人の情景を思い浮かべて、音声や内容を脳みそで可視化させているような感じなのでまさに。
説明書をあまり読まないような人だとインプットは“右脳”なのかもな。
書いてあるのを読むとまんま自分のような感じだけど、他のタイプのにも当てはまるような感じもする。

よく言われるけど、冷静だとか何格好つけてとか....どろどろに泥臭い方なんだけどなと、そう言われるたびに思う。。
ま、ほとんどの人がそうだと思うけど、必要とされて良い報酬を得る、これが嬉しいしやりがいですね。
ひとりで行動することも多いし、あまり群れないよねと、これもよく言われるけど、一致団結して大変なことを乗り越えて仕事をおさめることに幸せを感じる。
ってまぁ、これもそうな人も多いですよね。。
エグザイルなんかとても素敵な組織だと思っている。

物事をイメージで捉えることがいつものことなので、論理的に捉えるということがよく分らない...感覚的にアウトプットするというのも...
ずっと続けているペン字もある時から字を画として認識するとぐっと書きやすくなると分ったし。
字を画として取り入れて書く時には、その画を一線々バランスよく論理的に繋いで字を完成させる....まさにこの“うさ脳”のやり方だと思った。
4スタンス理論しかり、自分をうまくインプットにアウトプットするには、自分がどういうタイプの人間かを知ることが大切なのだと、こういう情報からも分る。でも実はぜんぜん確証がなかったりして。こちらから

見かけではなく、付き合いの長さでもなく、何気ないひと言が本心で本質。
ずっと守ってくれてきている人の寝首をかこうかこうと実はしているのをみて、人は見かけによらずとはよくいったものだと...
「敵は本能寺にあり」...いよいよ日曜日に放送、どっちの人間もこわい。

photo

2014 7/9
『暑中お見舞い』

暑中お見舞い申し上げます。
昨日は朝からなかなか暑かったですね。
日がもうでちゃった朝のJOGは、滝汗をかきます。
そんな大汗でストアやマックに入っても、爽やかなすてきな笑顔で女性スタッフに、「いつもありがとうございます」とか「お気をつけて」なんて言われるとものすごく照れるけど、うれしいですね。
と、今朝のJOGん時、小道で写真を一枚撮ってたら、おじいさんに声をかけられて、地面までも濡れるかのような滝汗かきながら、おじさいさんの終わらないお話を聞いてて.....会話するのはもちろんうれしいしいいけど、激暑だとなかなかで...
「時間がないからもう行くね、気をつけてね、いつまでも元気でね」
「おぉありがとうね」と、色々説明してくれた親切なじいさんとお別れ。
まぁ本当に声をかけられることが多いけど、かけやすいのかな....なんでだろうか???

photo

2014 7/7
『気楽に、刺激を』

日曜日の昼にちょいと皇居へ。
“走る”って、どこでも走れるからこそたまに行きたくなる皇居。
色んな人がいるからおもしろいし、刺激にもなるから。

走って行くか、それとも自転車で行って走るかをいつも悩む...昨日は気持ちよく自転車で。
たまに皇居へ行くようになってから早いもので4年が経つ。
ベースとするのは小さい広場の平川門で、たくさんのレースが開催されて、人でごったがえすことも多かったけど、事故防止にマナー向上のために、今は広場が大きい桜田門の一ヶ所のみでレース開催が許されていると聞いた。
この日は人も少なく、桜田門にも人はあまりおらず。

街を5km走るのと皇居一周するのでは後者の方がとても距離を短く感じる。
街だと信号につかまるから、一周5kmの信号がないコースだと、今の身体の調子具合を時々変えるペースでもってよく分るのがいい。

ばんばん追い抜かされて2周、街路樹から今年初のセミが鳴いている。
照り返しの強い歩道と坂に疲労してくるけど、どんどんスッキリしてきてとても気持ちが良くなる。生地に吹き出した白い結晶がそれを物語っている。その証しに走る“量”がどんどん増えてくる。

汗だくだくでストレッチしているランナーのところだけに鳥たちがどっさり群がっている。人懐っこい皇居の“すずめ”は、休憩している自分のすぐそばでピッピッと何かくれと言ってくる。時には手やひざに乗るほどだ。

汗をふいた小さいハンカチタオルは“台拭き”の香りを漂わせている。
“台拭き”とドリンクをゴムでフレームにくくって...
「さ、家に帰ろう」、熱いアスファルトをゆっくりと進んで...
神保町で信号待ち、外から見える刺激と慰めのエ◯SHOPの熟女コーナーには、おじさんや初老のお父さんらが落ちついた雰囲気の女性が座った表紙を手にしてじっと見ている。
実年齢よりも少し年下のアラウンドフォーティの女性がお好みなのだろうなと、そりゃそうかと。
チェーンとスプロケットの小気味よい器械音を聞きながらふと思った...
初めて自転車に乗れて楽しくて楽しくて町内を漕ぎまくったあの頃。
いつもは電車で行く遠い所へ、自転車で初挑戦してクタクタになったあの頃。
それからもう30、20年と経ったけど、あらためて気楽ないいツールだなと。
今は幅が広くなったような感がある中年世代や引退したお父さん方のいい健康管理運動ツールとしても人気がある自転車...ハンドルまわりの完璧な装備は長距離を走ることを物語っている。
歳を重ねてゆくとある種のいい“子供がえり”をするようになるのだろうか。

photo

2014 7/4
『まさかの展開』

エンジン付き車両なら起伏が激しいと猛烈に楽しいけど、それが...ない車両やランニングシューズだと、ただつらいだけ...地形をみて、なるべく起伏がないところを、バイクで通っていた道を記憶をたよりに通るようにして。

トイレにこもる時、地図を“読み”ながら奮闘していたくらい道などのインフラが好きで、ゆっくりしたスピードであちこち町を走ったりペダルをふんだりしていくうちに、なるべく起伏がなくてラクな道を探して、土地・地形を調べていくと、その歴史も知ることになり、歴史に名が残るさまざまな人物が登場して、その土地がなりたってきたと分り、消滅した川も出現して。

なにげなく通っている道、実はその下には江戸時代にひいてきた上水が流れたいたから、わずかな高低差をいかすためにこんもりとしていたり、わざわざ道路を逃がしていたとか....道と水と地形、一気にリンクできて、その歴史を知る楽しさも度を増してくるということで、むさぼり喰うように本を読んだりするようになって。
旧石器時代、縄文人から江戸時代、そして激動の幕末に明治、大火や震災によって安全な郊外へと一気に人々がやってきて宅地化が進み、栄えて、一方では邪魔になった川が消えていく。
今では、気になる道にある庚申塔をガン見するようになった。
刻まれている字が読めるようになりたい。

身近な公園や川沿いや道を、なんとなくの健康管理でウォーキング、ジョグしてみるのもいいものです。
ただたんに歩く走るだと飽きて続かないし、いつもは見えてはいなかった何かを見つけると、新しい発見ですごく楽しさも増しますし。

中学の頃から今まで何一つも興味がなかったし全く知らなかったようなレベルの歴史という分野が、ジョグをはじめてから180℃変わって好きな分野になったのも、“走る”という行為と反応してすごくいい作用としてあらわれたのだろう。
怪我の功名じゃないけど、思わぬ作用が嫌いを好きに変えてくれたのだから、ランニングが身体ばかりにいいだけではなく、脳みそにもいいと、学習させてくれたのだと思う。
走って学ぶというなんか変な感じだけども、それも良し。
って、まぁ、走ると何しろメシと酒がうまいし、身も心もスッキリしますから。

医師にメタボだ、運動不足だと指摘され、改善をという方も多いと思います。
飲みすぎ食べすぎによる中性脂肪に悪玉コレステロールや血糖値や尿酸値やγ値が高いとか...
なんにも一切楽しくなさそうな歩くことや走ること、それで何かが反応を起こして、良い作用が出るかも?ですね。

こちらの独り言ブログに歩くハーレー乗りが。
お店が駒沢にあった時もたまにウォーキング出勤されていましたと思いだし。

ハーレーの旧車やホットロッドにも乗るヒゲ眼鏡な方が実は市民ランナーだとか、格闘技をされている方は結構いらっしゃいますね、そういうイイ意外性、ギャップには目をひかれる...清楚な女性なのに実はとか。

走りはじめてちょうど5年の今、SNSのトリップメーターはラン 6080kmを刻んでいる。

photo

2014 7/3
『池袋の川 弦巻川』

ホテルメトロポリタンの向いに元池袋史跡公園があります。
かつて池袋にいくつかあった川のうちのひとつ、
弦巻川の源泉である丸池があった場所で、
丸い形をしたタイルが丸池があったことを忍ばせている。
休憩することがあまりできないような敷地なので、
人々はただ通りすぎるだけのなんだか寂しい史跡公園という印象です。
自分もよく通る道にこの公園があるけれども、
この数年で地域史や地形を調べていくうちに初めて知ったので、
興味がない人にはまったくだろうと思う。

そんな水が豊富な丸池の姿を古い豊島区の資料の写真にみることができます。

湧きだした水は明治通りを渡って、鬼子母神方面へと流れていて、
ちょっと見にくけども、
3−4枚目、江戸名所図会の雑司谷鬼子母神堂にも描かれています。
明治通りを神田川から池袋方面へ長い坂を上りきって、
その先はまたちょい坂で下って、また坂を上るという地形なのは、
ちょっと下った底に弦巻川が流れていたから。
大鳥神社横を流れ、都電をこえて、護国寺の参道に沿って神田川へと注いでいた。

昭和初期に早くも暗渠化工事が行われて弦巻川は下水道となって、
今も地域の人々の役にたっていますが、
記憶に新しい2008年に下水道工事中に豪雨がおきて、
作業員が5名も流され死亡したことがありました。
行き場を失った水は一気に流れこむことがよくわかるけれども、
ほんの一瞬の出来事だったのだろうと思います。
水は生活を潤すけれども豹変する...
“弦巻川がきえちゃったよ”という紙芝居が、その歴史を知る上でとても分りやすくおもしろいです。こちら

弦巻川が注いでいたのが神田川で、現在の護国寺の交差点のところです。
写真下の2枚が神田川に注いでいる現在の姿の水窪川と弦巻川だと思われます。
この時、弦巻川の方はちょろちょろ下水が流れていました。

音羽では紙すき業が盛んだったのはこの川が流れていたからだと。
現在でも首都高5号線の下の地域には紙関連の工場があったように思うのだが。

上から5枚目、地形図にうすく赤い線で左が弦巻川で右がもうひとつの池袋の川、水窪川です。(水窪川については下記にある 過去記事を)
川の流れの跡、ざっくり削ったことがよくわかりますね。
地形図の下の地図を見比べてもらえば現在の町のどの場所か、
その流れがわかるかと。
下に流れるのが神田川、ぐねぐねと暴れて台地を削りに削った力強い流れだとよくわかりますね。
右上から下に流れているのは谷端川(小石川)です。
池袋をこえて、王子方面へ向うと、だらだらと長い下り坂になって、西巣鴨へは上りになっているのは、その底に谷端川が流れていたから。
都内を南北に縦断する明治通りや山手通りを走ると、起伏が豊なので川の存在を感じるけども、エンジンがない車両だとうんざりします....
地形、標高がわかると、身の回りには支流なども含めてたくさんの川が流れていて今は消滅したんだなと分ります。

【過去記事】
■谷端川(源泉から池袋本町)
■谷端川 2(池袋本町から小石川)
■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
■谷端川のお多福弁天
■谷端川 田楽橋の橋桁
■谷端川 大塚にある瀧不動
■谷端川下水道幹線 SPR工法
■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
■池袋富士塚と池袋貝塚
■池袋東貝塚遺跡
■石神井川 河川争奪 音無渓谷
■かつての石神井川
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
■石神井川 金剛寺(滝野川城)にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆
■北区滝野川 金剛寺 冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
■石神井川 板橋いこいの森
■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・木滝)
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■昭和の石神井川
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋
■石神井川 沼
■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
■石神井川の付け替え
■石神井川 東宮降誕植桜之碑
■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神(稲荷社 2021年4月7日加筆)
■飛鳥山公園 飛鳥明神 飛鳥山の隠れ狛犬(2021年3月12日加筆)
■王子七滝 名主の滝
■王子七滝 王子 権現の滝
■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋)のトンネルの湧水
■古石神井川の流路 逆川
■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
■石神井川上流 下野谷遺跡
■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■北区 中里遺跡出土丸木舟
■板橋区 根ノ上遺跡
■板橋区 稲荷台遺跡
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
■赤羽自然観察公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■田柄川の水源と茂呂遺跡
■田柄川 石神井川との合流地点
■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
■池袋の川 弦巻川
■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
■豊島区の湧き水と池
■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線)
■複合遺跡 東池袋遺跡 旗本中西家の屋敷地と御鷹方御役屋敷
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
■板橋区 赤塚不動の滝と大根
■板橋区泉町 出井の泉跡(出井川)
■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区若木 中台馬場崎貝塚
■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■板橋区大山西町の用水路
■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
■分水嶺、千川上水調節池跡
■千川上水 喜内古屋水車跡
■千川上水 水神様
■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■玉川上水
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
■渋谷川 氾濫危険水位
■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
■河骨川(春の小川)
■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
■明治神宮 穩田川(渋谷川)の支流
■渋谷川 庚申橋供養碑
■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
■鎌倉街道 中道 並木橋
■猿楽古代住居跡(代官山)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■目黒元富士跡 上目黒1―8
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
■池袋富士塚と池袋貝塚
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■豊島長崎の富士塚
■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
■駒込富士神社と古墳群
■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
■秋葉原 神田柳森神社 力石
■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
■新宿区 赤城元町の崖
■神楽坂ラン 赤城坂
■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
■新宿歴史博物館
■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
■豊島区 のぞき坂
■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
■墨田区 都立横網町公園
■本郷給水所公苑
■東京都水道歴史館
■椿山荘 古香井
■東京の坂道 文京区白山 網干坂
■北区西ヶ原 鎌倉道につながる熊野坂 豊島郡衙へ
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
■北区赤羽西 真正寺坂 「しんしょう昇る」と庚申塔
■北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標(2020年9月18日写真追加)
■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
■文京区小日向 茗荷坂
■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
■消える富士見坂と豆まき
■消えた日暮里富士見坂
■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■板橋区・北区 御代の台
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
■北区岸町 三平坂