2014 7/29
『池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 【2023年3月10日 加筆:「何か落したのですか?」と、奇妙なことを尋ねる日傘の女性】』
繁華街には事件はつきもの。
池袋は幼い頃から馴染みのある町だから、物騒だ、怖いとそれほど思わないが、最近何かと痛ましい事件が起きている。
駅の西口、東口、北口、それぞれまた違った顔を持つ池袋。
北口は中華街構想のようなものもあったが、今はどうなったのだろうか。
四半世紀前、西口のロサ会館や公園にはたくさんのチーマーが集っていた。
100円バーガーのSHOPもまだ健在だった。
高校生だったボクらは南池袋で、昼もそうだし、夜な夜な集って遊んでいた。
浪人時、代ゼミにも毎日トライアルバイクで通って、遊びはなるべく抑えて、受験勉強道に邁進していた。毎日のバイク通学が心の拠り所だったように思う。
池袋の通り魔事件、池袋駅構内大学生殺人事件...発砲事件も多かったように記憶している。
今にはじまったことではないが、かつても多くの事件があったようだ。
現在の池袋駅周辺はかつては池袋村のはずれのところに位置していた。
そんな場所で辻斬りも頻発していたという。
案内板より引用ーーーーーーーーーー
今から約280年前の享保の頃(徳川幕府八代将軍吉宗の頃)
高田雑司ヶ谷と板橋を結ぶ街道(現 平和通りが高田道)と礫川(文京区 小石川)と東長崎を結ぶ街道との四ツ辻付近(現在の西武線池袋駅東口)は、夕方になると追はぎや辻斬りが出没し、夜はその難を逃れる為通行する人が途絶えました。
享保六年の夏、1晩で17名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志64人が雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺第二十二世日相上人に供養をお願いし、享保六年九月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏を供養した。
正面にはお題目、右側面には北方板ばしみち、左側面には南方高田雑司ヶ谷道が記され、道標としても使われました。
この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消されました。
平成十二年九月吉日 池袋四面塔尊奉賛会
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この四面塔尊は、P'パルコの横の線路沿いの公園の入口にある。黒●が四面塔。
一番下の地図の赤丸部分が↑この四ツ辻付近だと思われる。
辻斬りとは...ようは通り魔のようなものだろう。
中世から見られるが、特に戦国時代から江戸時代前期にかけて頻発した。
1602年(慶長7年)徳川家が辻斬を禁止し、犯人を厳罰に処することにした。
辻斬りをする理由としては、刀の切れ味を実証するため(試し斬り)や、単なる憂さ晴らし、金品目的、自分の武芸の腕を試す為などがある。
また、1000人の人を斬る(千人斬り)と悪病も治ると言われる事もあった。
引用ーーーーーーーーーー
明治時代になり池袋周辺は近代化の開発の波が襲いました。
東武鉄道と西武鉄道の開業により四面塔が在った場所は 区画整理を受けて塔は駅前に強制移動されました。
移動に関った作業員が相次いで事故死したため、 毎年四面塔を秦じる祭が在りましたが、しかし太平洋戦争の 勃発により祭は中断し周辺は空襲や戦後混乱で荒廃して行きました。戦後混乱も終息し再び駅周辺は開発が始まりました。
1955年(昭和30年)駅前に丸物デパートの建設により、駅前から現在の土地にまた強制移動されました。しかし丸物デパートの建設中事故が頻発した為、 デパート関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願しました。 時に1955年(昭和30年)5月。
しかしその後、デパートは完成したものの丸物デパートは 潰れました。人々は噂しました…「塔を動かしたから」と。
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斬られた人々、村の有志の人々の想いがこの塔に入っているからそういう障りがあるのだろうか。
物でも人でも事でも粗末にしてはいけないと、今は亡き先祖がいつも言っていた。チビの頃、大人たちからたくさんそう言われたように...たまに忘れることもあるけど、物人事は大切にしたいですね。
野良猫がぐっすり休んでいる四面塔尊を撮っていて、改めてそう思いました。
警ら中のパトカーがわんさか通る四面塔尊があるこの公園、窓越しにジッと観察する本官ら、職務質問もかなり多い...それだけさまざまな人が集って事件につながるようなことが多くあるのだろう。
豊島区史跡散歩より引用ーーーーーーーーーー
四面塔
さて、東口から四面塔の方へ歩いてみよう。そこへは、パルコの北側から住友信託銀行の裏の道へ出ればよい。交番があり、西口へ行くガードを左に見て、銀行の裏の道を行くと、すぐに赤い鳥居が見える。右に池袋温泉とある公園の隅である。鳥居があるのは、そこに稲荷が祀られているからで、向かって左が稲荷大明神、右が四面塔である。
四面塔は昭和三一年五月一八日にここに移されたが、もとは西武デパートと、パルコの中間ぐらいの駅前にあった。松の木があり、井戸があった。
この四面塔は、享保六年(一七二一)九月にこの地元の人が建立したもので、「池袋村六十四人講中」の文字が刻まれている。正面に「南無妙法蓮華経」とある。これは、このあたりで、追いはぎなどのために命を落とした人たちの供養をこめたものだからである。由来記には、そばにあった松の木で首をくくる人もあって、その供養もかねている、とあるがそんなこともあったであろう。
ここに辻斬りが出たりしたのは、板橋宿へ通じる道があったからである。宿場へ遊びに行くには当然財布に銭を入れていたから、これを賊がねらったのである。あたりは、そんな賊の出やすいようなうっそうたる茂りだった。今の駅前のところは六郷社の森といわれていて、明治三六年池袋駅ができたころでも、狐の鳴くのが聞こえたそうである。
だから四面塔は道しるべでもあった。左側に「武州豊島郡池袋村」とその土地を刻んで、「南方高田雑司谷道:とあり、右側面にはその建立の日と、「北の方 板橋みち」と刻んである。
四面塔から池袋温泉の右側の道を通ってももとの池袋に出て、広い明治通りを通ってもいいが、北に向かって歩いて行く。
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【2023年3月10日 加筆】
この四面塔尊と四面塔稲荷大明神の前を通った時にはいつも手を合わせて頭を下げている。2022年の春か秋頃だったか忘れたが、いつものように手を合わせた時に、四面塔稲荷大明神の隣りに座っていた日傘をさした身なりの綺麗な中年女性が立ち上がり、私の目の前に立った。その時に女性は私の顔をじっと見つめて「何か落したのですか?何か失ったのですか?」と尋ねてきた。何か奇妙に思ったので、「何、ん?」と女性の顔を注視したら、再び「いや、何か落して探しているのかと思ったから。落しました?」と聞いてきた。私は怪訝な表情だったのだろう、女性は元の場所、四面塔稲荷大明神の隣りに戻り座って視線を外した。
何だか不思議な気持ちになって、何かを拾って渡したかったのかな?もしくは場所柄、新興宗教の勧誘かな?とか思った。
家に戻ってからも奇妙な感覚が残っていたのだが、ふと「えっ?」と思ったのは、この場所は前述の通り、多くの村人が斬られて命を<落した>場所なので、女性は私が<落した人>に見えたのだろうか?と。綺麗な婦人のあの鋭い目つきが蘇ったと同時に、この女性が何かを<落して>何かを探しているのか?とも思った。
この場所を今も通るたびに、奇妙な感覚を憶える。
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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
- ■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
- ■経王寺 彰義隊を攻撃した山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
- ■復活 上野清水観音 堂月の松
- ■上野東照宮
- ■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
- ■上野公園 時忘れじの塔
- ■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野 <闇市 残飯シチュー>
- ■戦没者を哀悼し平和を祈念する日 ー浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たちー 九段下<昭和館>建設時の仕事
- ■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
- ■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■印刷博物館<武士と印刷> 徳川慶喜終焉の地(文京区春日(小日向))
- ■文京区春日二丁目(小石川小日向第六天町) 徳川慶喜邸と新坂(今井坂) “徳川おてんば姫” 井出久美子
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区千石 簸川神社(氷川明神) 氷川下町会史<小石川区俯瞰図(鳥瞰図)>
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
- ■高島平の名の由来 高島流
- ■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
- ■“青天を衝け” 高島秋帆 松月院<高島秋帆先生紀功碑>と西洋砲術の演習地 徳丸ヶ原
- ■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
- ■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
- ■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
- ■江戸城 松の大廊下跡
- ■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
- ■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
- ■仙がい義梵(仙p和尚) <東輝庵> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■横浜市歴史博物館 横浜の禅 近世禅林のルーツ<東輝庵展> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■板橋区東山町 板橋城跡の候補地のひとつ長命寺 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
- ■板橋区 志村城山遺跡・志村城址 <熊野神社に残る空濠>
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■志村熊野神社所蔵絵馬・扁額・付寄進札 <絵馬殿>
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区前野町 <常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)>と板橋区小豆沢 <龍福寺建長七年板碑>
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板橋一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
- ■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
- ■北区滝野川・JR板橋駅前 新選組隊長 近藤勇が葬られた無縁塚(無縁塔) <近藤勇隊長の死と無縁塚> 寿徳寺住職 新井慧誉 著 (現住職 新井京誉) [近藤勇の墓と寿徳寺]
- ■新選組の局長 近藤勇が着用したと伝わる甲冑発見 富山県高岡市 徳川家ゆかりの古刹・国泰寺<山岡鉄舟が寄進>
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
- ■北区西ヶ原三丁目 西谷戸新道の石碑 谷戸川(谷田川・逆川/古石神井川流路)と鎌倉街道(浅草道)の外輪橋 千川上水(王子分水)に架かる観音橋
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
- ■板橋区仲宿 文殊院 子の権現 遊女の墓
- ■板橋遊郭 新藤楼
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
- ■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
- ■板橋宿(上宿) “諸国道中商人鑑”江戸時代のファストフード 即席 御休泊所 御料理 [旅籠<吉野屋>] その先岩の坂を上ると縁切榎と稲付川
- ■板橋区本町 旧中山道 <榎大六天神 縁切榎> ー絵馬は自動販売機へー
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍と加賀藩下屋敷の裏御門だった山門
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺の<寛文の庚申塔> 平尾一里塚附近にあった<加賀藩前田家下屋敷 裏御門>を移設した<山門>
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏(庚申塔・馬頭観音など)
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■板橋区蓮沼町 古道 稲付道に立っている庚申塔
- ■中仙道か中山道か
- ■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
- ■旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道 清水種苗店の本家 清水権右衛門・清水金蔵商店 <清水夏大根とその種>
- ■旧中山道<種子屋街道のあゆみ 滝野川三軒家の町並み 日本農林社のあゆみ>
- ■旧中山道 大正大学校内 日本農業を支えた種子屋街道 <中山道の種子屋[滝野川三軒家の一つ榎本家 屋号“枡屋”]>と<江戸東京野菜> <江戸・東京の農業 滝野川ニンジンとゴボウ>
- ■旧中山道はタネ屋街道 <創業明治五年 滝野川種苗株式会社>解散
- ■旧中山道 西巣鴨 庚申塚商栄会 出桁造り<伊勢屋紙店>閉業
- ■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
- ■いまむかし旧中山道 <巣鴨地蔵通り商店街>
- ■大正大学 すがも鴨台観音堂(さざえ堂)<鴨台観音結縁御手糸>
- ■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟<幸世>を重ねて
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨薬園跡 <豊島市場>
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■巣鴨遺跡 巣鴨の町屋跡 既調査地点か
- ■都電庚申塚駅 旧中山道 延命地蔵堂の石造物群
- ■豊島区巣鴨5 将軍徳川綱吉より建てる許可を受けたョ禅寺(總禅寺/そうぜんじ)の赤門 朝日通り
- ■旧丹羽家腕木門と蔵 染井霊園<藤堂家の墓所>
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■巣鴨 染井霊園 彫刻家 <高村光雲墓所(高村家)>
- ■豊島区駒込六 染井稲荷神社<染井の泉跡>と<恩賜上野動物園 ソメイヨシノの原木の候補)
- ■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
- ■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
- ■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り<米屋伊勢五などの出桁造り> 90年代中頃の新中山道(国道17号線)を走る大型三輪トラック(オート三輪)
- ■豊島区南大塚一丁目<東福寺 疫牛供養塔> 巣鴨の牧場(豊島区の牧場)
- ■豊島区南大塚一丁目<東福寺 道標 二基> 真性寺、護国寺へ 巣鴨監獄道・大塚道(折戸通り)
- ■北区立西ヶ原みんなの公園(東京外国語大学跡地)<御薬園 谷田川の水源となる湧水>と下瀬坂 巣鴨庚申塚にあったファイト餃子<学生多数参加の大食い早食い大会>
- ■文京区千石 簸川神社(氷川明神) 氷川下町会史<小石川区俯瞰図(鳥瞰図)>
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
- ■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
- ■旧中山道 平尾宿(板橋宿<上宿・中宿・平尾宿>)創業107年の銭湯 花の湯
- ■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
- ■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
- ■秋葉原 神田柳森神社 力石
- ■板橋区立大山小学校廃校<様々な家庭の子と色んな先生たち> そして板橋区高島平から大山へ半年間の通学
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
- ■板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道) 補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備(2022年2月22日加筆・写真追加)
- ■東武東上線 大山駅 駅前木造密集地域 飲屋街<闇市(ヤミ市)の名残り> 駅前広場整備事業
- ■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
- ■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
- ■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
- ■東京第二陸軍造兵廠の石碑
- ■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■JR板橋駅前 木造密集地域<ほろよい横丁>と昭和20年代初め頃<板橋駅前の闇市(ヤミ市)> ラーメンストリート
- ■王子駅前 飲食店街<柳小路商店会>
- ■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
- ■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
- ■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第二陸軍造幣廠(板橋火薬製造所)と陸軍兵器補給廠を結ぶ軍用トロッコが環七(富士見通り)をくぐっていたトンネルの遺構
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
- ■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡1 <旧野口研究所1>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡2 <旧野口研究所2>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡3 <旧理化学研究所 板橋分所1>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡4 <旧理化学研究所 板橋分所2>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡5<旧理化学研究所 板橋分所3 東京第一・第二陸軍造兵廠 電気鉄道(トロッコ) 戦前のレール跡(線路跡) >
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡6<旧野口研究所[燃焼実験室と爆薬製造実験室]>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡7<旧理化学研究所 板橋分所[物理試験室C・D・E棟]その他>
- ■王子新道の由来と花月通<千川上水に架かる花月橋>
- ■花月通りとその付近図<昭和十年前後の町並み> 花月通<千川上水に架かる花月橋>現在の花月橋跡
- ■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
- ■加賀藩と黒作り
- ■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
- ■加賀藩前田家の駕篭
- ■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
- ■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
- ■中山道 平尾一里塚(板橋一里塚) 一里塚まんじゅうと史跡
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■加賀藩江戸下屋敷 御表御門道(旧中山道入口)と宇喜多一族 小字(下板橋)浮田
- ■東光寺 加賀藩下屋敷跡 宇喜多秀家の子孫が供養の為に建立した秀家の墓(移設された供養塔) 宇喜多秀家とその一族
- ■東光寺 平尾一里塚上に造立された石造地蔵菩薩坐像
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
- ■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 【2023年3月10日 加筆:<「何か落したのですか?」と、奇妙なことを尋ねる日傘の女性>】
- ■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
- ■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■板橋区板橋2丁目・大山金井町 高田道 金井窪の峠(高稲荷山の切通し)
- ■東京府北豊島郡金井窪村 今も残る金井窪村の痕跡
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■昭和29年の雑司が谷隧道(東京都豊島区西池袋一丁目 現 ウイ・ロード) 古道<高田・雑司ヶ谷道>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■豊島区目白三・西池袋三 西武池袋線<V型 二股踏切> 廃止された長崎道踏切(古道 長崎道)と第二中里踏切
- ■古道<長崎道> 板橋区“子易神社前 高田道の辻〜熊野町 熊野神社前”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“要町一丁目〜高松二丁目 出桁造りと延命地蔵尊 ”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り<庚申通り商店会>“高松一丁目〜板橋区南町 出桁造りと南町の庚申塔(大辻の庚申塔)”
- ■古道<長崎道> 板橋区熊野町 白昼堂々男4人組の強盗 現金約900万円奪取 そして3ヶ月後逮捕
- ■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
- ■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
- ■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■TOKYO MX<江戸東京野菜の雑司ヶ谷ナスと雑司が谷の関係は?> 江戸東京野菜と種屋
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■池袋環状第5の1号線(雑司が谷・雑司ヶ谷)/明治通り(池袋駅前)迂回ルート
- ■歌川広重 [江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) 雑司ケ谷之図 茗荷屋] 豊島区雑司が谷 鬼子母神参道 欅並木<雑司ケ谷之図 茗荷屋 考>
- ■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
- ■文京区目白台 腰掛稲荷神社
- ■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
- ■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
- ■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
- ■池袋駅 東口五叉路(グリーン大通り)<キリン堂薬局>
- ■ルポ アンダーワールド池袋 <守られた私たち 〜池袋駅東口乗用車暴走事故〜> わたしのランニングコース&パークドランカーズ
- ■豊島区東池袋4丁目 再開発でも残った住宅密集地にある小さな木造集合住宅<松風荘> 昔の日出町(現 東池袋)
- ■西池袋 自由学園明日館
- ■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
- ■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
- ■板橋区志村2丁目 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔
- ■板橋区志村2丁目(志村坂上)の住宅にある庚申塔
- ■練馬区 ふじ大山道
- ■体の中にいる虫 旧川越街道にある庚申塔・板橋宿観明寺の青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔・千川上水と中丸川の分水地点の庚申塔
- ■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
- ■旧川越街道 下練馬宿
- ■板橋区上板橋2 下練馬宿近く 馬頭観世音
- ■練馬区田柄二丁目 (旧)川越街道と所沢道の追分に立つ庚申塚(庚申塔・道標) 鎌倉街道
- ■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
- ■文京区音羽一丁目 目白通り(清戸道) 目白坂(別名 不動坂)
- ■清戸道の名家
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■新宿に縄文人現る
- ■日本人のルーツ
- ■縄文人の核DNA解析
- ■2024年8月 人類はどこから来て、どこに向かうのか <人類学に起きた革命など>
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■新宿区 花園神社 内藤新宿<下宿茶屋中>の石碑
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
- ■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■旧鎌倉街道 中道編
- ■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
- ■鎌倉街道 中道 北区中十条
- ■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■板橋区赤塚 鎌倉古道
- ■板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂
- ■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
- ■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
- ■鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)
- ■上板橋宿と大山福地蔵尊
- ■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
- ■瀬田家跡地 集合住宅新築工事に伴う大山福地蔵尊改修工事
- ■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■板橋区弥生町 上板橋宿 豊敬稲荷神社の玉垣に刻まれた瀬戸川牧場
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■文京区小日向 切支丹坂に間違えられた庚申坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■現存する都内の一里塚
- ■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
- ■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
- ■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
- ■北区十条四間道路にある出桁造り
- ■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
- ■北区中十条3丁目 出桁造りを改装したセブンイレブン
- ■北区上十条2丁目の出桁造り 木田酒店
- ■北区上十条にある出桁造り<川端商店>と再開発により撤退した創業110年の<八百市 橋本青果店>
- ■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
- ■北区王子3・4丁目の出桁造り
- ■北区王子本町の出桁造り
- ■北区滝野川 三軒家 御代の台仲通り商店街の出桁造り
- ■北区西ヶ原の出桁造り
- ■目白通りにある出桁造り
- ■谷中・上野桜木の出桁造り<旧吉田屋酒店 [台東区指定有形民俗文化財]>
- ■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
- ■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
- ■文京区根津の出桁造り
- ■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
- ■文京区大塚5丁目 坂下通りにある出桁造り
- ■王子稲荷神社 御石様
- ■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
- ■北区王子二丁目 装束稲荷神社<王子の狐火と装束榎>
- ■JR貨物北王子線と廃線跡
- ■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
- ■JR貨物北王子線の廃線跡 線路撤去工事
- ■東十条駅 下十条運転区検修庫解体
- ■都営トロリーバス 東京都北区王子<王子駅前 飛鳥大坂>
- ■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
- ■文京区向丘二 光源寺境内<庚申待百万遍講中庚申塔>
- ■本郷肴町 棒兼
- ■本郷追分と追分一里塚跡
- ■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
- ■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
- ■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘(あいいそんそう)跡
- ■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
- ■滝乃川学園跡 三代目理事長 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 上板橋宿 下頭橋六蔵祠の扁額<博愛> 子爵 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 養育院の始まりと渋沢栄一
- ■洋紙発祥の地<洋紙発祥の碑> 王子 <武陽王子飛鳥山真景>
- ■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■北区上十条四丁目 姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■板橋区加賀 帝京大学医学部附属病院前 都市計画道路補助第87号線 北区上十条3丁目<本郷通り(本郷赤羽線)>へ開通 十条駅西口再開発と補助73号線
- ■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
- ■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災
- ■東日本大震災から11年 当時のこと今のこと
- ■醤油電車(東武東上線)<東上鉄道記念碑> 玉淀<荒川橋梁 樋の下>
- ■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地
- ■同潤会 上野下アパート
- ■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
- ■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
- ■駒込名主屋敷
- ■田端 東覚寺 赤紙仁王
- ■護国寺惣門
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚 泉福寺所蔵板碑
- ■板橋区成増4丁目 <愛される身代わり庚申>と<みその果樹園>
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)
- ■渋谷駅〜恵比寿駅 八幡通り<猿楽橋>の架け替えによる長期工事期間中の渋滞 迂回路と抜け道・<四反道跨線人道橋>の移動架替
2014 7/28
『母を訪ねて1里28町 大分県豊後高田市呉崎から<すいか>の贈り物』
クルクル◯ーになるほどの酷い暑さが続いていた先週...
紙ヤスリかのようにザリザリと皮膚をこする日射しに、チッと舌打ち。
午後は母が欲しいという荷物を背負って往復7kmの介護的ウォーキング。
ちょうど電車もバスも通っていない縦の道のりなので、電車で遠回りするよりも脚を使って向うほうが便利で、はやいのが歩く理由。
最大高低差約28m、高低差20mを2回と15mを2回上って下るので平坦な7kmよりもずっとキツく、自転車でも上り下りが大変だからやはり脚を使ったほうがラクというなんだか妙な感じだけど、ランニングしていけば15分ほどなので、近いっちゃ近い。
台地と低地、起伏が豊かな地形に辟易するのはかつての人々も今の人もそう変わらない。
あれこれ世話して、クタクタになって...暑さには恨みのような感覚さえ芽生えるも、強い日射しを浴びていると気持ちいいっちゃ気持ちいい。
からっぽになったバッグには代わりに大分のスイカを入れて...
どっしり重い大きなスイカは祖母の代からの村人からの贈り物。
曾祖母と祖母は、沖縄でいうところの“ユタ”のような存在だった。
違うところは生業ではなく、百姓と野良仕事をしながらお役目でたくさんの村人を救っていたと。
祖母の家のアルバムに写る人々はみな知らない人、みな写真を持ってきてみてもらうからで、家族が写った写真なんか数枚くらいなもんだ。
2人には卓越した能力があったみたいで、祖母は自分が13歳の頃に亡くなったからよく憶えているけど、いろんなことがわかったりみえたりしているんだなと思うことばかりだった。
祖母がテレビに出ているそういう人をみて、「わしもテレビに出られるわ」とよく言っていた。
出かける時は真っ黒い石を持って、不調を訴える人をその石でさすって和らげていた。チビにお母さんがする痛いの痛いの飛んでけーというのと同じようなことだろうし、ヒーリングなんだろうなと。身体の痛いところを無意識にさするのは自分自身で自分を治そうとするからだと聞いたことがある。
そんなものあるかと思う人も多いけど、よくわからないから自分は否定も肯定もしないし、勘がとても鋭い人には分るかもしれないけど、そんな感覚がより鋭いのかもしれない。
先頭をひつぱるリーダーは感覚がするどい人が多いですよね。似たような感じだろうか、ちがうか。。ま、色んな人がいますね。
...村の人とその家族、曾祖母と祖母の想いがつまったスイカの重さがその想いと比例しているかのようで。
ストアでボールを買って、呑みながら復路の3.5kmをウォーキング。
速攻でぬるくなる黄色いボールをゴクゴクと、至福。
汗だくのドロドロで、重い足どりはより重く、速度をゆるめて、脳みそも脚もふんわりと。
体質改善をして、暑さにもなるべく強くなろうとして10年くらいが経った。
そうしてなかったら今頃動けていたのか?そう思うとばっこりと怖くなった。
...晩飯はまたメバチマグロの漬け丼大盛り。いやぁ本当にうまいわ。
なんだか安すぎにもほどがあるけど、20個で¥100のピーマン、エノキ一袋入れておひたし?にして大量に摂取。
ク◯蒸暑いのに、豆腐と溶き卵入れたとろっとろのナメコのみそ汁も。
だいぶ前に、オクラと納豆とナメコのみそ汁作ったら飲むゼリーのようになって飲めたもんじゃなかったな。
ドロっとしたものを無意識に食べているけど、身体が欲しているんだろうか。
夏バテとは皆無の日々にしたい。
日射しにべっこり凹みますが、皆様もご自愛ください。
- ■形から ランニングの場合
- ■楽しいことでラクになる
- ■苦境
- ■結果、42.3km ビルドアップ
- ■走る理由 「母の分まで、母のために」 ランニングバッグは介護用に
- ■母を訪ねて1里28町 大分県豊後高田市呉崎から<すいか>の贈り物
- ■電話番号の表札 ◯◯方・◯◯◯◯◯呼出 ◯◯ 電報
- ■検査 青いフィルムを使う時の姿勢
- ■家族が好きなミートソース 母へ<ひじきと厚揚げの煮物>を
- ■母の日、栄養をつけて痛みよ飛んで行け<超大盛り豚汁 (豚バラ、にんじん、大根、ごぼう、たまねぎ、ジャガ、きゃべつ、もやし、油あげ...味付けは適当、出汁はよくきかせて味噌うすく)・大盛りにんじんしりしり・カブの浅漬け・大盛りサラダ・キャベツ焼き
- ■たんこぶが出来るほど頭をど突く意地悪な可愛い女性保育士 「ぼく、ウルトラ警備隊の<ポインター>もってるもん!」
- ■栄養を摂ってもうひと踏ん張り
- ■怒濤のごとく過ぎた長月神無月霜月
- ■怒濤のごとく過ぎつつある師走
- ■文房具マニアではないが文房具が好き <高齢の親の為の介護日記手帳>
- ■1982年 監督 柳町光男 <さらば愛しき大地> と幼い頃の茨城の思いで
- ■寂しさを埋めるために母がくれた<としまえん 木馬の会>会員証
- ■幸せな園でのボクの楽しいお絵描き ありとあらゆるモノを残しておいてくれた母 「お母さん、ありがとうね」
- ■履き潰したランニングシューズの処分 <介護を担う靴になったランニングシューズ>
- ■盆踊りや花火大会 3〜4年ぶりに開催 <積年の様々な荷がおりた日々>
- ■値上げは続くよ <付加介護用品>
- ■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)
- ■7〜8年ぶりのかつての日常
2014 7/24
『ポテトドラッグ』
脱法から危険へと呼び名がかわった。
喫緊の問題として、新たに薬物が何種類指定されたというが、かなり遅いですね。
警視庁なんちゃらの番組を久しぶりにみたら、奇妙奇天烈な身体の動きをしている人に本官が「何か吸ったか?」と言った。画面に映るソコも副都心のような気がした...
それほど街には蔓延して容易く入手できるということだろう。
注意だけでいいんではないかと思うようなことでも、陰に隠れてばんばん取り締まるよりも、もっとちがう現場に多くの本官を投員する方がいいのではと。
多用して効きがあまくなって、量が増えるのはどの中毒でも同じ。
酒、たばこ、ギャンブル、FX、BIKE、ランニング...
ほどほどというのが一番ムツカしいとはよく言ったものだと。
自分は食に関してはまちがいなくグルテン中毒(でんぷん)だろう。
何の料理にでも、お味噌汁の代わりにたぬきうどんを付けようといつも思う。
うどんにおかずは何をつけようかなと、優先順位もそんなことになる。
こだわりは全くないが、パンも好きだし、呑んだ後のハムサンドは最高だ。
って、そんなことしてたらあれよあれよと77kgにまで増加したのは10年前...
この10年で、いったん60kg台になったことがあったけど、その後また71-2kgのいつもの平均に戻った。
あぁポテト食べたいな...とだいたいの人はそう思うことも多々ありますね。
いちばん好きなポテトは東武デパートの屋上スナックランドで食べたラスポテトだけど、やはりマックのはキングだろう。
初めて食べて感動したハッシュドポテト、いつしか冷凍庫には常備するようになったほどだ。
Lサイズをおいしそうに食べるあんちゃん、お手拭きは自分の社員証がかかった自身のワイシャツとスラックスだったのは、大好きなものを食べている証しなのだろう。
そんなポテト...
いいジャガが手に入ったら、どっさり揚げ焼きにしてよく作る。
プレーンな時はケチャップやマスタードで。
仕上げにアンチョビ入れて混ぜてもうまい。
身体にあまりよくないといわれるポテトサラダもよくつくる。
サラダ買ってきたからと言った友、それは...
スパゲティサラダ、マカロニサラダ、ペンネサラダだった。
ウォーキング後のLサイズで腹ごしらえ。
半分こしてちょうどいい。
ポテトはドラッグと揶揄されるのも意味がわかる。
2014 7/23
『帽子』
帽子が好きで色んな種類のを持っているけど、特にハットが。
16歳の頃にプレゼントでもらったのが一番最初のハットで、すごくシンプルなスエードのカウボーイハット、今でも持っている。
同じく16歳からかぶっていたお気に入りのキャップはもうだめになって、先日処分したばかりだけど、パッチは剥がした。
17歳の頃に、バケットハット(ツバがあまりひろくない)を初めて買って、お尻のポッケにたたんで入れていた...アメ横ヤヨイで買ったトレーナーに501、原宿オッシュマンズで買ったニューバランスのシューズ、動きやすく気に入っていた。
去年、ZARAでみかけて欲しかったツバが浅い編み込んだキャップをかぶってみると日本兵のような佇まいにしか見えないので、ダメだと言われて手を放した...
ニットキャップにいたってはどのくらい買ってどのくらい処分したかわからないけど、今はツバ付きのも合わせて6つあって、全部で12個。
ヒゲ鼻メガネ帽子というもう誰だか分らないようなある種の“変装”が好きなのかもしれなかったのだろうか...大人っぽくなった気分だったからだろうか...昔の写真をみるとそんなことを思う。ま、一番はヘルメットで髪の毛がちんちくりんな型になるから帽子でかくす、そういう人も多いですね。
...この頃はメガネさえうっとうしく帽子もあまりかぶらないようになったので、ランニングキャップもない。汗どめや頭や目の保護には必要だけども...
ある時、実母が言った。
「あんたは帽子が好きねぁ...おじいちゃんも好きでねぇ、ひょいと帽子をかぶって出かけていたんだよ。」
おじいちゃんには会ったことはないし、話もそんなに聞いたことがないけど、そんなところは似ているようだ。
2014 7/22
『夏詣』
買い物にでたらひどいゲリラ豪雨に遭遇してびしょびしょになったりと、えらい週末でした。
一雨降ると涼しくなるのでいいこともあるけど、大変なことがそれ以上に起きる。
6月の頭から暑くなって、まだ1−2回しかエアコンをつけていない。
じゃっかん寝苦しいような晩もあるけど、大きさと高さが秀逸な扇風機のおかげさまもあり、一雨後の涼しい晩があけるとちょっと寒いくらいで目覚める。
エアコンをあまり使わない+ランニングも相まって、年々と身体がラクになっていくけど、エアコンがばっちり効いた室内がどうにもこうにも寒くて...
と、
そんな涼しい海の日の早朝、ベランダに出ると曇りで過しやすい。
パン一枚ほおばって、ストレッチして身支度を。
表に出ると、なかなか涼しいので、10kmの予定を変更して、浅草神社へ夏詣へ。
最短距離の往復で約18km、途中で陽が出て暑くてバテたら電車に乗ればいいので、こういうのも気楽なランニング。
なんだか脚もよく動くのは昨晩あまり酒を呑まなかったからっていうのと、涼しいのと、いつもはしない腸腰筋(ちょうようきん)の筋トレをしたからかな?
*上半身と下半身をつなぐインナーマッスルのことで、鍛えると骨盤の位置を安定させ、正しい姿勢を保てるという。股関節を動かす時に使う筋肉なので、脚を動かしやすくさせるのだと。
あまりアップダウンがない道を選んで進んでいく。
寛永寺橋には新しくエレベーターも設置されたけど、鴬谷と昭和通りは車優先の作りになっているので、走りにくいといつも思う。
で、浅草神社に到着。
浅草寺や浅草神社にいる人のほとんどが外国人観光客。
朝も早くから満喫されている。
彼らが使っていくお金はどのくらいになるのだろうか...
混みだす前にあとにする。
不忍池の蓮をちょっと見て。
生命力の強さの象徴のような蓮。
どうにもこうにも、蓮のまんなかのぶつぶつにはぞわぞわするけど。。
あっという間に到着。
寄り道したので、22.1km 2時間10分02秒(05'53 /km) 1203kcal
昼には陽も出てきたので、シューズを久しぶりに洗ったり干したり。
どうなんでしょう、意外とシューズって洗わないような...
そんな午前中の3時間...走った後は角砂糖十何個も入っている炭酸清涼飲料水をロックで。
2014 7/16
『ウォーキングで』
「行きは歩いて、帰りは電車にしよう。」
....もうあたり前のような会話になった。
豊島区の新しいインフラの“道”と、高田にある激坂“のぞき坂”をアテンドしてテクテクと。ある意味、名所と難所。
ヒザを曲げて、後ろに体重をかけてないと下れないほどのすごい角度で、女性だとちょっとコワイくらいかもしれない....ヒザのコンディションがよろしくない方ならば下れないと思う。
さほど暑くはなかったけどびしょびしょ。
なかなか良い運動です。
「昨日は10kmくらい歩いたでしょ、今日は7kmでしょ、土日で20kmくらい歩いているんだもんね〜」と...「だね、ウォーキングする人も多いけど、どうなんだろうな、このくらいは皆ふつうに歩いているのかね。」
レディースなんかショートパンツ¥300とか叩き売り状態...
シンプルだけどカットがいいTシャツと7年ぶりに短パンを。
なんだかんだで9kmくらいは歩いた一日でした。
これだけ町を歩いたり走ったりしていると都内の距離感がずいぶんと変わった。
メッセンジャーの友が前にそんなことを言ってたけど、まさにその通りに。
その時は運動はほぼ0状態で、移動はほぼバイクだったので、何のことかさっぱり分らなかったけど、今よく分った。
何かしら運動をしている近しい友も多い。
スケート、サーフィン、ジョグ、ウォーキング、通勤自転車、仕事で自転車、野球、水泳、ジム、ポタリング。
なるべく階段を使うとか、一駅手前で降りて家まで1−2km歩くとか、なんなら歩きながらビール呑むとか...そういうことをしている人も多いですよね。
通勤の時に兼ねて運動も手っ取り早いですね。
厳しい表情で向こうからウォーギングしてくるお兄さん、ウェアはサッカー用なので、かつてはサッカーをしていたのだろうか...手にはたばこが。
←運動らしきことほぼ0の時、このようなことをほぼ感じなかったけど...
感じなくても身体に負担がかかっていたのだろうか。
なるべく歩かないようにしてたくらいだったなぁと。
でも今は、なるべく歩こうと180℃変わった。
たまに運動するくらいがいいと言っている。matome
しなきゃしなきゃって、それがいけないのだろう。
でも、こんなにもク◯暑いとそんな気になれないですかね。
好きなブランドのウェアやシューズを身につけるのもモチベーションが上がりますね。
2014 7/15
『池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚』
山手通りと川越街道の交差点にドンキホーテがあります。
その裏あたりに交通短大があって、その付近に池袋氷川神社があります。
神社があるあたりは池袋本町という町名で、この“本町”という名が示すとおりに、かつてはこの地域が池袋村の中心だった。
池袋駅が開業してからは池袋の中心は、現在の駅周辺へと移っていき、現在の池袋本町は住宅街となっている。
池袋での事件は昔から多いが、この10年くらいでまた変わってきたように思う。
安全な町であることを願うばかり。
氷川神社の参道前を通る道は“高田道(雑司ヶ谷道)”という古道で、板橋宿から雑司ヶ谷・高田をむすんでいた重要な道だった。
高田道を板橋宿とは逆に進んでいくと、追分(おいわけ、分かれ道)があり、右にいくと新川越街道で分断されているが、平和通りという道がそれで、ウイロードという池袋駅の東口と西口をむすぶ地下道あたりをとおって、現在の明治通りとほぼ同じ道筋をとおっていた。
追分をまっすぐいくと小石川方面へと行くことができた。
3枚目の地図の黄色い道が高田道です。
氷川神社には有名な富士塚があり、たしか、7月のあたまに山開きがされる。
普段は立ち入り禁止なので、富士山には登れないのが残念。
なかなか立派な富士塚です。
そういえば、境内に土俵もあります。
(富士塚とは、江戸の頃は富士山にお参りをする信仰が盛んだったが、一般の人は簡単に行くことができなかったので、身近な場所に小さい人造の富士山を築き、誰でも簡単にお参りできるようにした。)
そんな氷川神社と池袋本町...
神社がある場所はちょうど台地の先端で高台になっている。
4枚目の標高を見ていただくと分るかと思います。緑が濃いところが台地。
氷川神社の裏あたりに池袋貝塚があって、一面にアサリ・ハマグリ・シジミの貝類が散らばっていたという。
なんでこんな内陸部に貝塚があるのかという疑問が湧いてくるけども、かつてのこの貝塚付近は湿地帯、幅の広い沼のようなところだったようで、その先には川が流れていた。
その川は谷端川とよばれて、暗渠になり消滅し下水道になった川。
おだやかに流れる川では魚もとれて、川や沼ではシジミがとれて、王子の方の海っぺりからアサリ・ハマグリを運んできたとも言われている。
縄文時代は温暖な気候で海水面が上昇して、海が内陸部へと入り込んでいた。
ここでも縄文人は台地にすんで、川へと下りて食料をとって生活をしていたわけで。
そして、同時に土偶や石棒や斧、玉類も発見されことから、多くの人が住んで繁栄していたことが分ったという。
氷川神社の創建は定かではありませんが、もしかするとそういう集落の中に神さまに祈りを捧げる場所ができ、今の氷川神社につながるのかもしれません...
神社サイト引用
人々が集り繁栄するところには必ず祈りがありますから、そうつながっているのかもしれないですね。
駅周辺ではわからない池袋の歴史を、池袋本町で知るのもいいかなと思います。
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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
- ■谷端川(源泉から池袋本町)
- ■谷端川 2(池袋本町から小石川)
- ■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
- ■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
- ■谷端川(小石川、礫川) 生きている江戸の歴史 東京の坂道 文京区白山<網干坂>
- ■谷端川のお多福弁天(板橋区板橋1丁目)
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■谷端川 大塚にある瀧不動(豊島区北大塚2)
- ■谷端川下水道幹線 SPR工法
- ■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
- ■谷端川(千川・小石川・礫川) 猫又坂(猫貍坂、猫股坂)と猫又橋
- ■宮仲(巣鴨村) 谷端川 上池袋支流(瓢箪池支流) 滝と呼ばれた洗い場跡 瓢箪池跡(山玉(やまたま)の池)
- ■谷端川 雲雀ヶ谷支流(名も無き小川)とお多福弁天沼(お多福弁天様・橋かけ弁天様)
- ■谷端川と上池袋支流(瓢箪池支流)の落ち合い地点にある防災用ポンプ
- ■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
- ■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件
- ■谷端川ほとりにある<魚がし寿司 板橋総本店>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■池袋二丁目(池袋二・池袋三業地<百軒店>) 御嶽神社前 谷端川 境井田支流(御嶽支流) 上流
- ■池袋二丁目(池袋二・池袋三業地<百軒店>) 御嶽神社前 谷端川 境井田支流(御嶽支流) 下流〜合流
- ■谷端川 出端川支流(湧水地:板橋区大山町 千川上水 旧川越街道に架かる大山橋そば)
- ■谷端川 赤羽線 矢畑川自由通路地下道ガード(板橋駅地下通路)
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■巣鴨の名の由来<古池> 府中藩松平播磨守抱地・下屋敷跡 旧宍戸子爵邸<その後廃兵院(改称されて傷兵院)> 現 巣鴨公園
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
- ■池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚
- ■池袋東貝塚遺跡(<谷端川>舌状台地)
- ■石神井川 河川争奪 音無渓谷
- ■かつての石神井川
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■石神井川 金剛寺(滝野川城)にある松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■王子七滝 松橋弁財天洞窟跡 桜並木 音無もみじ緑地の小さな滝
- ■北区滝野川 金剛寺(滝野川城跡)冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
- ■桜も見事な金剛寺(紅葉寺/滝野川城跡)と松橋弁財天洞窟 跡 千川上水 王子分水沿いにある岩屋弁天への道標(庚申塔)
- ■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
- ■石神井川 割烹音無川<音無川温泉> 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 石神井川沿いにあった紅葉園(滝野川園と楓楽園)
- ■石神井川 板橋東いこいの森
- ■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の豊富な湧水 カラッカラ乾燥の都内
- ■石神井川 2021年3月末 音無こぶし緑地の豊富な湧水
- ■石神井川 2024年2月末 枯渇した音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 染井吉野の桜並木と谷端川下水道幹線<千川上水の放流(停止)>の吐口
- ■石神井川 滝野川 稚児ヶ淵跡(ちごがふち)
- ■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
- ■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
- ■王子七滝 名主の滝
- ■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
- ■王子七滝 名主の滝公園の湧水 (2020年8月8日)
- ■王子七滝 名主の滝公園 <今様文覚上人の群れ?ー名主の瀧でグロな刺ヨ競べ>
- ■王子七滝 王子 権現の滝
- ■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
- ■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
- ■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
- ■王子七滝 王子稲荷神社 稲荷の滝跡 いなり幼稚園
- ■王子七滝 王子稲荷神社 消滅した稲荷の滝の今 <本郷台中腹 湧水点上部 “後ろ姿”>
- ■王子七滝 見晴の滝跡の湧水と芝坂
- ■王子七滝 見晴の滝の名の由来
- ■王子十五滝 醸造試験所の滝
- ■王子十五滝 料亭扇屋 末広の滝
- ■王子十五滝に加えて 旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘跡)下 今も残る飛鳥山の小さな滝(十六滝)
- ■王子十五滝 新潟会館の段差のある滝(十七滝)
- ■板橋区加賀 旧理化学研究所板橋分所跡から石神井川に落ちる雨水
- ■2020年秋 コロナ禍の音無川(石神井川)音無渓谷
- ■音無川(石神井川)音無渓谷 <かわどこかふぇ 三〇〇年の歴史に思いを馳せる>
- ■音無渓谷 音無川(石神井川)に架かる舟串橋と扇屋の洋食部の洋館 ー絵葉書よりー
- ■マツコ&有吉 かりそめ天国 王子<扇屋>の卵料理
- ■<王子に生まれて>石鍋商店 石鍋秀子 “石神井川の思い出”
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■王子神社東側の崖線と上郷用水(石神井用水)に架かる三本杉橋の親柱
- ■王子神社のイチョウと王子大坂のおっぺし(立ちんぼ)
- ■王子神社 末社 関神社<髪の祖神>と毛塚
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 銭湯浴室に掛けられた[つり堀り 加賀園]の看板(旧 加賀浴場だろうか?)
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 昭和54年 岸町2丁目〜中十条2〜3丁目<崖線からの湧水>
- ■北区田端 不動の瀧(道灌山の滝)・不動坂 谷田川沿い水神稲荷神社
- ■田端駅構内 武蔵野台地の崖下にあった鑑賞池 崖線からの湧水
- ■あらかわ(荒川)遊園にあった男滝・女滝 小台の渡しの渡し場にあった料亭・清水滝
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■昭和の石神井川
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋
- ■石神井川 沼
- ■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
- ■石神井川の付け替え
- ■石神井川飛鳥山ずい道(生物の遡上不可と言われている) 久保田橋・緑橋付近<令和3年の生物調査の概要>
- ■石神井川 東宮降誕植桜之碑
- ■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷 エンガ堀支流<向原の溜池> 釣堀跡
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷[スケーター心をくすぐる急坂] エンガ堀支流<向原の溜池> 上流方向
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷[自立支援から独立の地] エンガ堀支流<向原の溜池> 下流方向
- ■板橋区栄町 板橋競馬場跡 石神井川沿い<愛光舎牧場> 現 牛乳販売店<愛光舎>
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 上流
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 下流 <上板橋 遊泉園と水神さま(水神寓)>
- ■石神井川 板橋区氷川町 氷川神社近くにかつてあった氷川沼(弁天沼)と白なまずの伝承
- ■石神井川 田柄川用水とも呼ばれた安養院境内に残る “あげ堀” 跡
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
- ■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
- ■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
- ■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神(稲荷社 2021年4月7日加筆)
- ■江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) <王子 扇屋「狂句合 扇屋へ馴染になつた三の午」> 歌川広重
- ■飛鳥山公園 飛鳥明神<飛鳥山の隠れ狛犬>・<飛鳥大坂(飛鳥山坂)と六石坂>
- ■王子 飛鳥山 さくら新道 共同洗い場
- ■古石神井川の流路 逆川
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■石神井川上流 下野谷遺跡
- ■石神井川の緑橋にある水車の説明板<加賀藩下屋敷にあった水車 [その後は火薬製造や製紙などの軍事・工業用の動力へ ]>と川底から沸き出すのは自噴水か?
- ■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■豊島区駒込六 染井稲荷神社<染井の泉跡>と<恩賜上野動物園 ソメイヨシノの原木)
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■谷田川通り 中里用水架道橋・山手電車 中里用水ガード 谷田川暗渠 <欄干>
- ■北区西ヶ原三丁目 西谷戸新道の石碑 谷戸川(谷田川・逆川/古石神井川流路)と鎌倉街道(浅草道)の外輪橋 千川上水(王子分水)に架かる観音橋
- ■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
- ■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
- ■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
- ■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
- ■上野恩賜公園 不忍池のほとりにあったお茶屋
- ■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■北区西ヶ原 王子脳病院跡地の飛鳥中学校 西ヶ原遺跡群(西ヶ原貝塚) 住宅地にも広範囲に分布する縄文時代の貝殻 中里貝塚
- ■北区西ヶ原 西ヶ原遺跡(西ヶ原<西ケ原>貝塚)
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区十条仲原 稲付川に架かっていた游鯉園橋
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
- ■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■北区上十条 姥ヶ橋の延命地蔵尊に添えてある小さな角柱型文字庚申塔道標
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)
- ■北区 中里遺跡出土丸木舟
- ■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※河口側
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※東十条側 大坊橋(デッカンボウ<誤 -大防橋 だいぼうはし->)と上郷用水に架けられた<桜橋> 大蛇伝説
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀の主<ヌシ>の大蛇がまつり込まれている庚申さま(<庚申塔>神谷橋庚申通り商店会) 古墳 観音塚
- ■北区神谷三丁目 自性院前の庚申塔(道標)
- ■北区豊島8丁目 豊島馬場遺跡公園<ガラス小玉鋳と方形周溝墓>
- ■板橋区 根ノ上遺跡
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■板橋区 稲荷台遺跡
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
- ■令和5年1月 武蔵野台地(本郷台地・十条台)北区岸町二丁目の湧水
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区清水坂公園の湧水(井戸)
- ■赤羽自然観察公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■田柄川の水源と茂呂遺跡
- ■田柄川 石神井川との合流地点
- ■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
- ■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
- ■池袋の川 弦巻川<丸池跡・現 元池袋史跡公園>
- ■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
- ■豊島区の湧き水と池 <弦巻川の水源である丸池跡の元池袋公園の思い出>
- ■弦巻川の水源 池袋丸池<成蹊池>から北西の西池袋公園・立教通り方向へ延びる水路 元池袋公園から元池袋史跡公園へ
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて 湧水は<美久仁小路>付近
- ■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線)
- ■水窪川の擁壁 小日向台の崖線から滲み出す水 八幡坂 江戸切絵図より
- ■水窪川が削った深い谷と階段 旧大塚坂下町(大塚五丁目)
- ■巣鴨プリズンの遺構 水窪川<排水口> イケ・サンパークに移設・復元)
- ■水窪川跡沿いにある家屋 日出優良商店会 <ミート&デリカ なりたや>の黒毛和牛入り一個五十円のメンチカツ
- ■水窪川 鳩山会館隣りの水路の遺構 今宮神社前に残る石橋(橋桁) 小日向台の崖からの湧き水
- ■豊島岡墓地(豊島岡御陵)の蛇池から護国寺の湧水池に注いでいた水窪川支流に架けられた橋
- ■護国寺 音羽富士塚(音羽富士)<富士浅間神社>
- ■<昭和二十年 東京地図><続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■文京区小日向 茗荷坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■本郷給水所公苑
- ■東京都水道歴史館
- ■文京区小日向一・二丁目南遺跡 神田上水旧白堀跡 東京都水道歴史館に移築復原
- ■神田上水 関口大洗堰の由来碑の碑文
- ■神田上水石樋の碑
- ■関口の大洗堰(目白下大洗堰)<神田上水取水口の石柱>
- ■椿山荘 古香井
- ■目白台の湧水を生かした回遊式泉水庭園<肥後細川庭園>と胸突坂(別名 水神坂)
- ■肥後細川庭園と椿山荘の間 関口水門(大洗堰)の守護神<水神社> 細川家 永青文庫
- ■江戸川(現 神田川)の治水事業 江戸川公園<大井玄洞翁の胸像>
- ■複合遺跡 東池袋遺跡 旗本中西家の屋敷地と御鷹方御役屋敷
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川<前谷津川と宮下大山不動明王> スケートボードに寝そべって暗闇の急坂を下る少年スケーター達<池袋からの帰路、日曜日の楽しみ>
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流 梶谷津川
- ■前谷津川の支流 梶谷津川の源流付近と暗渠蓋
- ■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
- ■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
- ■前谷津川(前谷津川緑道) <赤塚しのがやと公園(篠ヶ谷戸)>と<橋ぎわ>
- ■2024年7月31日 東京・埼玉 1時間に100ミリを超える記録的短時間大雨 <板橋区徳丸 前谷津川暗渠氾濫(前谷津川緑道)> <谷頭部にあった食べ放題のすたみな太郎と東武練馬駅改札入口横にあった立ち食いスタイル 名店ジョーイハンバーガーという100円バーガ>ー
- ■板橋区 赤塚不動の滝と大根
- ■板橋区赤塚 不動の滝<記念物(史跡)> 令和3年
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■板橋区赤塚四丁目 板橋区No.135遺跡<赤塚氷川神社富士塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚四丁目(成増) 蓋をされた23区内最大の崖 <成増露頭>と貝の化石 板橋区板橋一丁目・加賀一丁目からはナウマンゾウの化石
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区泉町 出井の泉跡(出井の泉公園)〜出井川跡 “清水講中<大山不動明王>石碑”
- ■<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校 清水稲荷神社“出井泉(酒泉渓)”と“清水氏・板橋氏”
- ■板橋区宮本町 出井の泉跡から清水稲荷神社へ移設された“清水講中<大山不動明王>石碑” 消滅した最東端の有力な支流の谷頭
- ■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
- ■板橋区東坂下 出井川<新中山道(国道17号)に架かる新小袋橋>
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
- ■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
- ■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
- ■統計開始以来初 史上最短6月中の梅雨明け直前の<志村清水坂緑地の湧水>
- ■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■板橋区 志村古墳群<お伊勢塚古墳> 2022年1月13日加筆
- ■板橋区志村 熊野神社 志村古墳群 板橋区No_159遺跡<塚(古墳)上に建てられた社殿>
- ■板橋区志村 志村古墳群 板橋区No_157遺跡<塚or古墳>
- ■板橋区志村 志村古墳群<1号墳・2号墳>跡
- ■板橋区 小豆沢公園の湧水
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #1
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #2
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
- ■板橋区若木 中台馬場崎貝塚
- ■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
- ■板橋区大山西町の用水路
- ■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
- ■分水嶺、千川上水調節池跡
- ■千川上水 喜内古屋水車跡
- ■千川上水 板橋宿(仲宿・中宿) 割烹・待合<喜内古家>跡にある出汁の自動販売機 <遊郭 岡蔦楼と岡蔦山>
- ■千川上水 水神様 <大山西町発展史>
- ■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■千川上水分水 石神井川氷川町・栄町支流 旧河道の氷川つり堀公園
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区大山西町 千川上水跡<河川管理地>
- ■板橋競馬場内の水路 <板橋区栄町(養育院跡)の暗渠 暗渠道>
- ■千川上水から分水した貯水池跡 <王子駅前公園>
- ■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■玉川上水
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
- ■渋谷川 氾濫危険水位
- ■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
- ■河骨川(春の小川)
- ■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
- ■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
- ■明治神宮 穩田川(渋谷川)の支流
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■穩田川(渋谷川) 表参道に残る参道橋の親柱
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■猿楽古代住居跡(代官山)
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■目黒元富士跡 上目黒1―8
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■富士塚古墳<十条冨士塚(冨士神社)> 調査後の現在の姿 鳥大の一個十円のチキンボール
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■豊島長崎の富士塚
- ■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
- ■駒込富士神社と古墳群
- ■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
- ■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
- ■北区王子 飛鳥山1号墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区赤羽西5 大塚古墳 周辺の古墳(天王塚古墳、稲付台古墳群など)
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■北区滝野川3 滝野川古墳(都立王子総合高等学校敷地/旧王子工業高等学校跡地)
- ■上野恩賜公園 摺鉢山古墳
- ■北区中十条 日光御成道(鎌倉街道 中道 旧岩槻街道) 清水坂(清水坂遺跡)
- ■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
- ■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
- ■新宿区 赤城元町の崖
- ■神楽坂ラン 赤城坂
- ■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
- ■新宿歴史博物館
- ■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
- ■豊島区 のぞき坂
- ■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
- ■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■北区西ヶ原 鎌倉道につながる熊野坂 豊島郡衙へ
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
- ■北区赤羽西 真正寺坂 「しんしょう昇る」と庚申塔
- ■北区滝野川 消防署建設の際に潰した狐塚の狐の祟り<滝野川伏見稲荷神社> 狐塚の坂と岩屋弁天(松橋弁財天洞窟)・正受院(滝不動)への道標
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
- ■消える富士見坂と豆まき
- ■消えた日暮里富士見坂
- ■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
- ■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
- ■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
- ■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
- ■蓮根川緑道 ヘビ公園
- ■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■板橋区高島平8丁目 徳丸ヶ原公園 <平太郎沼と呼ばれた沼を模した名残の親水設備>
- ■スケートボードは構成要素
- ■メイク
- ■オールドスクール
- ■JT
- ■スケートボード道
- ■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■板橋区・北区 御代の台
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■北区中十条3(東十条駅北口) 石神井坂
- ■北区岸町 三平坂
- ■玉手山古墳群<前方後円墳を利用した墳丘墓地> 大阪府柏原市
2014 7/14
『自分のルーツ2 <武士の活躍と信仰 鞆淵動乱[鞆淵氏と神人・高野山]>』
結婚指輪のストッパーのリングは、大分県の黒土にある椿堂という弘法大師ゆかりの名刹のもので、赤ん坊の頃に祖母がこの子は“早死にせずに成長できるように”と願掛けをした、母方の祖母と曾祖母が修行をしていたお寺。
うちの家系は男があまりいなくて、いてもすぐになくなったりだったという。
町で気になって立ち寄った寺が真言宗(高野山 弘法大師)の寺であることが実に多いのは偶然かどうなのか...
先祖は、自分の名前でもあるけど、大阪と和歌山の町の名前にもなっている。
和歌山の人ではない曾祖母も祖母も弘法大師(高野山)に縁があって、寺で修行をし、九州の大分で村の人々のために生業ではなく役目として生きた。
一方の先祖は高野山と非常にふかい縁があって歴史がある。
弘法大師空海がまるで引き合わせたかのように、長い長い時を経て、それぞれの先祖をつなげて今の自分がいることがよく分った。
その歴史が下記です。
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鎌倉時代の終わりころから、荘園(しょうえん) や村では惣(そう) と呼ばれる農民たちの自治的な組織が作られ、生活や生産、祭礼などに関わるさまざまな取決めが、住民たち自身により決められていくようになりました。
中でも鞆淵荘の惣では、高野山や鞆淵(ともぶち) 氏一族との間で「鞆淵動乱」と呼ばれる激しい闘いを繰り広げたことでよく知られています。
鎌倉時代の終わりから室町時代にかけて、鞆淵荘には2つの勢力が存在していました。
ひとつは、荘園領主であった石清水八幡宮に奉仕する神人(じにん) とよばれる特権集団を中心にした勢力で、石清水八幡宮から送られてきた神輿を心の拠り所とし、鞆淵荘内で最大規模の用水路を開発するなど、水田開発にも積極的に取り組んでいました。
一方もうひとつの勢力は、後に鞆淵氏を名乗る武士の一族を中心に、それに従う農民たちをも含み込んだ勢力で、鞆淵氏の本拠地周辺で綿や苧麻の栽培などに取り組んでいました。
鞆淵氏を中心とする勢力は、南北朝時代に入るころから急速に力を伸ばしはじめ、同じころ、鞆淵荘の新しい荘園領主となった高野山と協力して、検注と呼ばれる土地調査を行うことによって年貢徴収を強化しようとしました。
これに対し、古くから鞆淵荘で生活を営んできた神人を中心とした勢力は、石清水八幡宮領時代の年貢額以上の納入には応じない姿勢を貫き、「八人御百姓(はちにんおんびゃくしょう) 」と呼ばれるリーダーたちを中心に激しく反発しました。
これが鞆淵動乱です。
高野山はこの「八人御百姓」を動乱の首謀者と認定し、処罰するためにその身柄を拘束しましたが、神人たちは惣のために勇敢に戦い、また日ごろから人望もあつかった彼ら八人の身柄を取り戻すため、巨額の身代金を支払って彼らを解放させたのです。結局、高野山は、彼ら神人勢力の主張を認め、鞆淵荘につかの間の平和がおとずれました。
鞆淵動乱がおさまると、鞆淵氏は紀伊国の守護である畠山氏の家臣としての活動が多くなり、次第に高野山との関係も悪くなっていきました。
高野山は、鞆淵氏を通じて守護からかけられる夫役などの税が、鞆淵荘の農民たちを苦しめていると判断し、1424(応永31)年、もとの神人勢力を中心とする農民たちが一斉に荘内を逃散したことを受けて、鞆淵範景(のりかげ) の追放を決定しました。
しかし、追放の決定を受けた後も、鞆淵範景は何度も鞆淵荘内に出入りしていたばかりでなく、その後も高野山に対して綿・苧麻の納入を請け負うなど、鞆淵荘内で一定の地位を保ち続けます。
高野山にとっても、鞆淵荘の円滑な支配のためには、地域社会に深く根を下ろした鞆淵氏の力は不可欠のものとなっていました。
鞆淵の惣は、鞆淵動乱とその後の逃散事件を経て、新たな領主である高野山ではなく、地元に深く根を下ろした鞆淵氏やその配下の人々と共存する道を選んだのです。
現在でも鞆淵氏の城跡に祀られている神社の祭りが、毎年4月に静かに続けられています。
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今でも神社と寺にご縁があって、名前にさんずいが2つもあるし、とにかく川が気になってしょうがないし、水にもご縁があるけども、こんな昔のことから続いているのだろうか。
この歴史を知って、点と点がつながるとはこういうことだとよく分ったのです。
【関連記事】
■自分のルーツ1 <鞆淵荘(鞆渕荘)和歌山県紀の川市[鞆淵八幡神社 国宝 沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじらでんこんどうそうしんよ)]〜大阪市都島区友渕町>
■自分のルーツ2 <武士の活躍と信仰 鞆淵動乱[鞆淵氏と神人と高野山]>
■自分のルーツ3 <京都府福知山市三和町友渕 友渕川と別名 友渕城(東ノ古城跡、西ノ古城跡)>
2014 7/11
『カラーリングで』
名作M996を履いてランニングしている欧米人ランナーをごく稀に見かけるけど、似合っているし、すごいなと思う。
ニューバランスのM980というちょっと変わったデザインのシューズ。
・ふんわり軽い
・足の裏が包まれているような感覚
・かっちりしている
・クッション性が高い
・柔らかい中でも安定感がある
・スピードを上げても受け止めてくれる
・どんどん脚が出る感じ
・しなる感じが逆に走りやすい
・フラットなソールだけどそれをあまり感じない
・前から人に引っぱられている感覚
・踵から入ってつま先に出るのがスムース
・とにかく走りやすい
アスリートの反応は抜群のようなシューズのM980。
ちょっと独特なミッドソールのハニカム構造がとてもいいらしい。
けど、カラーリングが....
上から3枚目のアウトドア用(トレイル用)は巧く合っていると個人的には思うので、タウンユースでも馴染むと思う。
そんなにいいなら履いてみたくなりますね。
多少の違いは分るようになってきたかもしれないので。
フラットなソールのシューズも履いているけど、つま先があまり反らないので、走っているとどうしても、足の指の付け根あたりを路面にザッと擦ってしまうことがよくある。
フラットじゃないふつうのシューズだとつま先にいくに従って反っているので、ほとんど擦ることはない。
よく分からないですね....うまく書けないけど、足の指の付け根あたりを擦るを大きく言うと“つまずく”ような感覚で。
なので、フラットなソールの新しいシューズは、他の部分はまだまだ全然減ってないけど、もうその部分だけ特に減りが早くて....これは走ってみて初めて分ったこと。
そんな変わったデザインのシューズだけど、
ブラックカラーになるとがぜん良く見えてくる。
すごくいいと思って。
ブラックはブラックでも、濡羽色のような、角度によってカラーが変わる玉虫色のようなブラックもとてもイイなと。
これは日本未展開だと思うけど、欲しい人も結構いると思うんだけども...
マジランナーやファッションでという人にも、門戸が広がるんではと。
ランニングウェアもシューズも、派手ではないのが圧倒的に少ないから、余計に欲しくなってきます。
ウェアなんて、黒いので好きなデザインだったら即買いだし。
あちこち町を走るから、冬や秋や春先は暖かくていいけど、ただ真夏は一段と暑く感じる。。
今朝も黒い上下、ランニングシャツ+ショーツ....台風一過で綺麗な青空だったけど、蒸暑さも相まって不快度倍増。
でも、走った後がとっても気持ちがいいのです。
2014 7/10
『うさ脳』
今朝知った脳の分類。
両手のひらを組んで下に右親指があれば右脳の“う”で、
これは情報を右脳で感覚的にインプットするんだと。
両腕を組んで下に左腕があれば左脳の“さ”で、これは動作行動する時に論理的にアウトプットするんだと。
なので、“うう”、“うさ”、“さう”、“ささ”の4つに分けられて、自分がどういう性格なのかわかるという。
自分は“うさ脳”だという。
直感的に情報を自分にとりいれて学び、論理的に動作行動するんだそうだ。
電話は左耳か右耳かでもわかると思うけど(左耳の情報はクロスして右脳で処理していると聞いたことがある)、自分は左耳なので、電話の向こうの人の情景を思い浮かべて、音声や内容を脳みそで可視化させているような感じなのでまさに。
説明書をあまり読まないような人だとインプットは“右脳”なのかもな。
書いてあるのを読むとまんま自分のような感じだけど、他のタイプのにも当てはまるような感じもする。
よく言われるけど、冷静だとか何格好つけてとか....どろどろに泥臭い方なんだけどなと、そう言われるたびに思う。。
ま、ほとんどの人がそうだと思うけど、必要とされて良い報酬を得る、これが嬉しいしやりがいですね。
ひとりで行動することも多いし、あまり群れないよねと、これもよく言われるけど、一致団結して大変なことを乗り越えて仕事をおさめることに幸せを感じる。
ってまぁ、これもそうな人も多いですよね。。
エグザイルなんかとても素敵な組織だと思っている。
物事をイメージで捉えることがいつものことなので、論理的に捉えるということがよく分らない...感覚的にアウトプットするというのも...
ずっと続けているペン字もある時から字を画として認識するとぐっと書きやすくなると分ったし。
字を画として取り入れて書く時には、その画を一線々バランスよく論理的に繋いで字を完成させる....まさにこの“うさ脳”のやり方だと思った。
4スタンス理論しかり、自分をうまくインプットにアウトプットするには、自分がどういうタイプの人間かを知ることが大切なのだと、こういう情報からも分る。でも実はぜんぜん確証がなかったりして。こちらから
見かけではなく、付き合いの長さでもなく、何気ないひと言が本心で本質。
ずっと守ってくれてきている人の寝首をかこうかこうと実はしているのをみて、人は見かけによらずとはよくいったものだと...
「敵は本能寺にあり」...いよいよ日曜日に放送、どっちの人間もこわい。
2014 7/9
『暑中お見舞い』
暑中お見舞い申し上げます。
昨日は朝からなかなか暑かったですね。
日がもうでちゃった朝のJOGは、滝汗をかきます。
そんな大汗でストアやマックに入っても、爽やかなすてきな笑顔で女性スタッフに、「いつもありがとうございます」とか「お気をつけて」なんて言われるとものすごく照れるけど、うれしいですね。
と、今朝のJOGん時、小道で写真を一枚撮ってたら、おじいさんに声をかけられて、地面までも濡れるかのような滝汗かきながら、おじさいさんの終わらないお話を聞いてて.....会話するのはもちろんうれしいしいいけど、激暑だとなかなかで...
「時間がないからもう行くね、気をつけてね、いつまでも元気でね」
「おぉありがとうね」と、色々説明してくれた親切なじいさんとお別れ。
まぁ本当に声をかけられることが多いけど、かけやすいのかな....なんでだろうか???
2014 7/7
『気楽に、刺激を』
日曜日の昼にちょいと皇居へ。
“走る”って、どこでも走れるからこそたまに行きたくなる皇居。
色んな人がいるからおもしろいし、刺激にもなるから。
走って行くか、それとも自転車で行って走るかをいつも悩む...昨日は気持ちよく自転車で。
たまに皇居へ行くようになってから早いもので4年が経つ。
ベースとするのは小さい広場の平川門で、たくさんのレースが開催されて、人でごったがえすことも多かったけど、事故防止にマナー向上のために、今は広場が大きい桜田門の一ヶ所のみでレース開催が許されていると聞いた。
この日は人も少なく、桜田門にも人はあまりおらず。
街を5km走るのと皇居一周するのでは後者の方がとても距離を短く感じる。
街だと信号につかまるから、一周5kmの信号がないコースだと、今の身体の調子具合を時々変えるペースでもってよく分るのがいい。
ばんばん追い抜かされて2周、街路樹から今年初のセミが鳴いている。
照り返しの強い歩道と坂に疲労してくるけど、どんどんスッキリしてきてとても気持ちが良くなる。生地に吹き出した白い結晶がそれを物語っている。その証しに走る“量”がどんどん増えてくる。
汗だくだくでストレッチしているランナーのところだけに鳥たちがどっさり群がっている。人懐っこい皇居の“すずめ”は、休憩している自分のすぐそばでピッピッと何かくれと言ってくる。時には手やひざに乗るほどだ。
汗をふいた小さいハンカチタオルは“台拭き”の香りを漂わせている。
“台拭き”とドリンクをゴムでフレームにくくって...
「さ、家に帰ろう」、熱いアスファルトをゆっくりと進んで...
神保町で信号待ち、外から見える刺激と慰めのエ◯SHOPの熟女コーナーには、おじさんや初老のお父さんらが落ちついた雰囲気の女性が座った表紙を手にしてじっと見ている。
実年齢よりも少し年下のアラウンドフォーティの女性がお好みなのだろうなと、そりゃそうかと。
チェーンとスプロケットの小気味よい器械音を聞きながらふと思った...
初めて自転車に乗れて楽しくて楽しくて町内を漕ぎまくったあの頃。
いつもは電車で行く遠い所へ、自転車で初挑戦してクタクタになったあの頃。
それからもう30、20年と経ったけど、あらためて気楽ないいツールだなと。
今は幅が広くなったような感がある中年世代や引退したお父さん方のいい健康管理運動ツールとしても人気がある自転車...ハンドルまわりの完璧な装備は長距離を走ることを物語っている。
歳を重ねてゆくとある種のいい“子供がえり”をするようになるのだろうか。
2014 7/4
『まさかの展開』
エンジン付き車両なら起伏が激しいと猛烈に楽しいけど、それが...ない車両やランニングシューズだと、ただつらいだけ...地形をみて、なるべく起伏がないところを、バイクで通っていた道を記憶をたよりに通るようにして。
トイレにこもる時、地図を“読み”ながら奮闘していたくらい道などのインフラが好きで、ゆっくりしたスピードであちこち町を走ったりペダルをふんだりしていくうちに、なるべく起伏がなくてラクな道を探して、土地・地形を調べていくと、その歴史も知ることになり、歴史に名が残るさまざまな人物が登場して、その土地がなりたってきたと分り、消滅した川も出現して。
なにげなく通っている道、実はその下には江戸時代にひいてきた上水が流れたいたから、わずかな高低差をいかすためにこんもりとしていたり、わざわざ道路を逃がしていたとか....道と水と地形、一気にリンクできて、その歴史を知る楽しさも度を増してくるということで、むさぼり喰うように本を読んだりするようになって。
旧石器時代、縄文人から江戸時代、そして激動の幕末に明治、大火や震災によって安全な郊外へと一気に人々がやってきて宅地化が進み、栄えて、一方では邪魔になった川が消えていく。
今では、気になる道にある庚申塔をガン見するようになった。
刻まれている字が読めるようになりたい。
身近な公園や川沿いや道を、なんとなくの健康管理でウォーキング、ジョグしてみるのもいいものです。
ただたんに歩く走るだと飽きて続かないし、いつもは見えてはいなかった何かを見つけると、新しい発見ですごく楽しさも増しますし。
中学の頃から今まで何一つも興味がなかったし全く知らなかったようなレベルの歴史という分野が、ジョグをはじめてから180℃変わって好きな分野になったのも、“走る”という行為と反応してすごくいい作用としてあらわれたのだろう。
怪我の功名じゃないけど、思わぬ作用が嫌いを好きに変えてくれたのだから、ランニングが身体ばかりにいいだけではなく、脳みそにもいいと、学習させてくれたのだと思う。
走って学ぶというなんか変な感じだけども、それも良し。
って、まぁ、走ると何しろメシと酒がうまいし、身も心もスッキリしますから。
医師にメタボだ、運動不足だと指摘され、改善をという方も多いと思います。
飲みすぎ食べすぎによる中性脂肪に悪玉コレステロールや血糖値や尿酸値やγ値が高いとか...
なんにも一切楽しくなさそうな歩くことや走ること、それで何かが反応を起こして、良い作用が出るかも?ですね。
こちらの独り言のブログに歩くハーレー乗りが。
お店が駒沢にあった時もたまにウォーキング出勤されていましたと思いだし。
ハーレーの旧車やホットロッドにも乗るヒゲ眼鏡な方が実は市民ランナーだとか、格闘技をされている方は結構いらっしゃいますね、そういうイイ意外性、ギャップには目をひかれる...清楚な女性なのに実はとか。
走りはじめてちょうど5年の今、SNSのトリップメーターはラン 6080kmを刻んでいる。
2014 7/3
『池袋の川 弦巻川<丸池跡・現 元池袋史跡公園>』
ホテルメトロポリタンの向いに元池袋史跡公園があります。
かつて池袋にいくつかあった川のうちのひとつ、
弦巻川の源泉である丸池があった場所で、
丸い形をしたタイルが丸池があったことを忍ばせている。
休憩することがあまりできないような敷地なので、
人々はただ通りすぎるだけのなんだか寂しい史跡公園という印象です。
自分もよく通る道にこの公園があるけれども、
この数年で地域史や地形を調べていくうちに初めて知ったので、
興味がない人にはまったくだろうと思う。
そんな水が豊富な丸池の姿を古い豊島区の資料の写真にみることができます。
湧きだした水は明治通りを渡って、鬼子母神方面へと流れていて、
ちょっと見にくけども、
3−4枚目、江戸名所図会の雑司谷鬼子母神堂にも描かれています。
明治通りを神田川から池袋方面へ長い坂を上りきって、
その先はまたちょい坂で下って、また坂を上るという地形なのは、
ちょっと下った底に弦巻川が流れていたから。
大鳥神社横を流れ、都電をこえて、護国寺の参道に沿って神田川へと注いでいた。
昭和初期に早くも暗渠化工事が行われて弦巻川は下水道となって、
今も地域の人々の役にたっていますが、
記憶に新しい2008年に下水道工事中に豪雨がおきて、
作業員が5名も流され死亡したことがありました。
行き場を失った水は一気に流れこむことがよくわかるけれども、
ほんの一瞬の出来事だったのだろうと思います。
水は生活を潤すけれども豹変する...
“弦巻川がきえちゃったよ”という紙芝居が、その歴史を知る上でとても分りやすくおもしろいです。こちら
弦巻川が注いでいたのが神田川で、現在の護国寺の交差点のところです。
写真下の2枚が神田川に注いでいる現在の姿の水窪川と弦巻川だと思われます。
この時、弦巻川の方はちょろちょろ下水が流れていました。
音羽では紙すき業が盛んだったのはこの川が流れていたからだと。
現在でも首都高5号線の下の地域には紙関連の工場があったように思うのだが。
上から5枚目、地形図にうすく赤い線で左が弦巻川で右がもうひとつの池袋の川、水窪川です。(水窪川については下記にある 過去記事を)
川の流れの跡、ざっくり削ったことがよくわかりますね。
地形図の下の地図を見比べてもらえば現在の町のどの場所か、
その流れがわかるかと。
下に流れるのが神田川、ぐねぐねと暴れて台地を削りに削った力強い流れだとよくわかりますね。
右上から下に流れているのは谷端川(小石川)です。
池袋をこえて、王子方面へ向うと、だらだらと長い下り坂になって、西巣鴨へは上りになっているのは、その底に谷端川が流れていたから。
都内を南北に縦断する明治通りや山手通りを走ると、起伏が豊なので川の存在を感じるけども、エンジンがない車両だとうんざりします....
地形、標高がわかると、身の回りには支流なども含めてたくさんの川が流れていて今は消滅したんだなと分ります。
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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
- ■谷端川(源泉から池袋本町)
- ■谷端川 2(池袋本町から小石川)
- ■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
- ■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
- ■谷端川(小石川、礫川) 生きている江戸の歴史 東京の坂道 文京区白山<網干坂>
- ■谷端川のお多福弁天(板橋区板橋1丁目)
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■谷端川 大塚にある瀧不動(豊島区北大塚2)
- ■谷端川下水道幹線 SPR工法
- ■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
- ■谷端川(千川・小石川・礫川) 猫又坂(猫貍坂、猫股坂)と猫又橋
- ■宮仲(巣鴨村) 谷端川 上池袋支流(瓢箪池支流) 滝と呼ばれた洗い場跡 瓢箪池跡(山玉(やまたま)の池)
- ■谷端川 雲雀ヶ谷支流(名も無き小川)とお多福弁天沼(お多福弁天様・橋かけ弁天様)
- ■谷端川と上池袋支流(瓢箪池支流)の落ち合い地点にある防災用ポンプ
- ■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
- ■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件
- ■谷端川ほとりにある<魚がし寿司 板橋総本店>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■池袋二丁目(池袋二・池袋三業地<百軒店>) 御嶽神社前 谷端川 境井田支流(御嶽支流) 上流
- ■谷端川 赤羽線 矢畑川自由通路地下道ガード(板橋駅地下通路)
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■巣鴨の名の由来<古池> 府中藩松平播磨守抱地・下屋敷跡 旧宍戸子爵邸<その後廃兵院(改称されて傷兵院)> 現 巣鴨公園
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
- ■池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚
- ■池袋東貝塚遺跡(<谷端川>舌状台地)
- ■石神井川 河川争奪 音無渓谷
- ■かつての石神井川
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■石神井川 金剛寺(滝野川城)にある松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■王子七滝 松橋弁財天洞窟跡 桜並木 音無もみじ緑地の小さな滝
- ■北区滝野川 金剛寺(滝野川城跡)冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
- ■桜も見事な金剛寺(紅葉寺/滝野川城跡)と松橋弁財天洞窟 跡 千川上水 王子分水沿いにある岩屋弁天への道標(庚申塔)
- ■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
- ■石神井川 割烹音無川<音無川温泉> 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 石神井川沿いにあった紅葉園(滝野川園と楓楽園)
- ■石神井川 板橋東いこいの森
- ■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の豊富な湧水 カラッカラ乾燥の都内
- ■石神井川 2021年3月末 音無こぶし緑地の豊富な湧水
- ■石神井川 2024年2月末 枯渇した音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 染井吉野の桜並木と谷端川下水道幹線<千川上水の放流(停止)>の吐口
- ■石神井川 滝野川 稚児ヶ淵跡(ちごがふち)
- ■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
- ■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
- ■王子七滝 名主の滝
- ■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
- ■王子七滝 名主の滝公園の湧水 (2020年8月8日)
- ■王子七滝 名主の滝公園 <今様文覚上人の群れ?ー名主の瀧でグロな刺ヨ競べ>
- ■王子七滝 王子 権現の滝
- ■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
- ■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
- ■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
- ■王子七滝 王子稲荷神社 稲荷の滝跡 いなり幼稚園
- ■王子七滝 王子稲荷神社 消滅した稲荷の滝の今 <本郷台中腹 湧水点上部 “後ろ姿”>
- ■王子七滝 見晴の滝跡の湧水と芝坂
- ■王子七滝 見晴の滝の名の由来
- ■王子十五滝 醸造試験所の滝
- ■王子十五滝 料亭扇屋 末広の滝
- ■王子十五滝に加えて 旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘跡)下 今も残る飛鳥山の小さな滝(十六滝)
- ■王子十五滝 新潟会館の段差のある滝(十七滝)
- ■板橋区加賀 旧理化学研究所板橋分所跡から石神井川に落ちる雨水
- ■2020年秋 コロナ禍の音無川(石神井川)音無渓谷
- ■音無川(石神井川)音無渓谷 <かわどこかふぇ 三〇〇年の歴史に思いを馳せる>
- ■音無渓谷 音無川(石神井川)に架かる舟串橋と扇屋の洋食部の洋館 ー絵葉書よりー
- ■マツコ&有吉 かりそめ天国 王子<扇屋>の卵料理
- ■<王子に生まれて>石鍋商店 石鍋秀子 “石神井川の思い出”
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■王子神社東側の崖線と上郷用水(石神井用水)に架かる三本杉橋の親柱
- ■王子神社のイチョウと王子大坂のおっぺし(立ちんぼ)
- ■王子神社 末社 関神社<髪の祖神>と毛塚
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 銭湯浴室に掛けられた[つり堀り 加賀園]の看板(旧 加賀浴場だろうか?)
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 昭和54年 岸町2丁目〜中十条2〜3丁目<崖線からの湧水>
- ■北区田端 不動の瀧(道灌山の滝)・不動坂 谷田川沿い水神稲荷神社
- ■田端駅構内 武蔵野台地の崖下にあった鑑賞池 崖線からの湧水
- ■あらかわ(荒川)遊園にあった男滝・女滝 小台の渡しの渡し場にあった料亭・清水滝
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■昭和の石神井川
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋
- ■石神井川 沼
- ■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
- ■石神井川の付け替え
- ■石神井川飛鳥山ずい道(生物の遡上不可と言われている) 久保田橋・緑橋付近<令和3年の生物調査の概要>
- ■石神井川 東宮降誕植桜之碑
- ■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷 エンガ堀支流<向原の溜池> 釣堀跡
- ■板橋区栄町 板橋競馬場跡 石神井川沿い<愛光舎牧場> 現 牛乳販売店<愛光舎>
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 上流
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 下流 <上板橋 遊泉園と水神さま(水神寓)>
- ■石神井川 板橋区氷川町 氷川神社近くにかつてあった氷川沼(弁天沼)と白なまずの伝承
- ■石神井川 田柄川用水とも呼ばれた安養院境内に残る “あげ堀” 跡
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
- ■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
- ■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
- ■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神(稲荷社 2021年4月7日加筆)
- ■江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) <王子 扇屋「狂句合 扇屋へ馴染になつた三の午」> 歌川広重
- ■飛鳥山公園 飛鳥明神<飛鳥山の隠れ狛犬>・<飛鳥大坂(飛鳥山坂)と六石坂>
- ■王子 飛鳥山 さくら新道 共同洗い場
- ■古石神井川の流路 逆川
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■石神井川上流 下野谷遺跡
- ■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
- ■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
- ■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
- ■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
- ■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■北区西ヶ原 王子脳病院跡地の飛鳥中学校 西ヶ原遺跡群(西ヶ原貝塚) 住宅地にも広範囲に分布する縄文時代の貝殻 中里貝塚
- ■北区西ヶ原 西ヶ原遺跡(西ヶ原<西ケ原>貝塚)
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区十条仲原 稲付川に架かっていた游鯉園橋
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
- ■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■北区上十条 姥ヶ橋の延命地蔵尊に添えてある小さな角柱型文字庚申塔道標
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)
- ■北区 中里遺跡出土丸木舟
- ■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※河口側
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※東十条側 大坊橋(デッカンボウ<誤 -大防橋 だいぼうはし->)と上郷用水に架けられた<桜橋> 大蛇伝説
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀の主<ヌシ>の大蛇がまつり込まれている庚申さま(<庚申塔>神谷橋庚申通り商店会) 古墳 観音塚
- ■北区神谷三丁目 自性院前の庚申塔(道標)
- ■北区豊島8丁目 豊島馬場遺跡公園<ガラス小玉鋳と方形周溝墓>
- ■板橋区 根ノ上遺跡
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■板橋区 稲荷台遺跡
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
- ■令和5年1月 武蔵野台地(本郷台地・十条台)北区岸町二丁目の湧水
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区清水坂公園の湧水(井戸)
- ■赤羽自然観察公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■田柄川の水源と茂呂遺跡
- ■田柄川 石神井川との合流地点
- ■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
- ■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
- ■池袋の川 弦巻川<丸池跡・現 元池袋史跡公園>
- ■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
- ■豊島区の湧き水と池 <弦巻川の水源である丸池跡の元池袋公園の思い出>
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて 湧水は<美久仁小路>付近
- ■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線)
- ■水窪川の擁壁 小日向台の崖線から滲み出す水 八幡坂 江戸切絵図より
- ■水窪川が削った深い谷と階段 旧大塚坂下町(大塚五丁目)
- ■巣鴨プリズンの遺構 水窪川<排水口> イケ・サンパークに移設・復元)
- ■水窪川跡沿いにある家屋 日出優良商店会 <ミート&デリカ なりたや>の黒毛和牛入り一個五十円のメンチカツ
- ■水窪川 鳩山会館隣りの水路の遺構 今宮神社前に残る石橋(橋桁) 小日向台の崖からの湧き水
- ■豊島岡墓地(豊島岡御陵)の蛇池から護国寺の湧水池に注いでいた水窪川支流に架けられた橋
- ■護国寺 音羽富士塚(音羽富士)<富士浅間神社>
- ■<昭和二十年 東京地図><続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■文京区小日向 茗荷坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■本郷給水所公苑
- ■東京都水道歴史館
- ■文京区小日向一・二丁目南遺跡 神田上水旧白堀跡 東京都水道歴史館に移築復原
- ■神田上水 関口大洗堰の由来碑の碑文
- ■神田上水石樋の碑
- ■関口の大洗堰(目白下大洗堰)<神田上水取水口の石柱>
- ■椿山荘 古香井
- ■目白台の湧水を生かした回遊式泉水庭園<肥後細川庭園>と胸突坂(別名 水神坂)
- ■肥後細川庭園と椿山荘の間 関口水門(大洗堰)の守護神<水神社> 細川家 永青文庫
- ■江戸川(現 神田川)の治水事業 江戸川公園<大井玄洞翁の胸像>
- ■複合遺跡 東池袋遺跡 旗本中西家の屋敷地と御鷹方御役屋敷
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川<前谷津川と宮下大山不動明王> スケートボードに寝そべって暗闇の急坂を下る少年スケーター達<池袋からの帰路、日曜日の楽しみ>
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流 梶谷津川
- ■前谷津川の支流 梶谷津川の源流付近と暗渠蓋
- ■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
- ■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
- ■前谷津川(前谷津川緑道) <赤塚しのがやと公園(篠ヶ谷戸)>と<橋ぎわ>
- ■板橋区 赤塚不動の滝と大根
- ■板橋区赤塚 不動の滝<記念物(史跡)> 令和3年
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■板橋区赤塚四丁目 板橋区No.135遺跡<赤塚氷川神社富士塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚四丁目(成増) 蓋をされた23区内最大の崖 <成増露頭>と貝の化石 板橋区板橋一丁目・加賀一丁目からはナウマンゾウの化石
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区泉町 出井の泉跡(出井の泉公園)〜出井川跡 “清水講中<大山不動明王>石碑”
- ■<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校 清水稲荷神社“出井泉(酒泉渓)”と“清水氏・板橋氏”
- ■板橋区宮本町 出井の泉跡から清水稲荷神社へ移設された“清水講中<大山不動明王>石碑” 消滅した最東端の有力な支流の谷頭
- ■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
- ■板橋区東坂下 出井川<新中山道(国道17号)に架かる新小袋橋>
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
- ■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
- ■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
- ■統計開始以来初 史上最短6月中の梅雨明け直前の<志村清水坂緑地の湧水>
- ■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■板橋区 志村古墳群<お伊勢塚古墳> 2022年1月13日加筆
- ■板橋区志村 熊野神社 志村古墳群 板橋区No_159遺跡<塚(古墳)上に建てられた社殿>
- ■板橋区志村 志村古墳群 板橋区No_157遺跡<塚or古墳>
- ■板橋区志村 志村古墳群<1号墳・2号墳>跡
- ■板橋区 小豆沢公園の湧水
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #1
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #2
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
- ■板橋区若木 中台馬場崎貝塚
- ■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
- ■板橋区大山西町の用水路
- ■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
- ■分水嶺、千川上水調節池跡
- ■千川上水 喜内古屋水車跡
- ■千川上水 板橋宿(仲宿・中宿) 割烹・待合<喜内古家>跡にある出汁の自動販売機 <遊郭 岡蔦楼と岡蔦山>
- ■千川上水 水神様 <大山西町発展史>
- ■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■千川上水分水 石神井川氷川町・栄町支流 旧河道の氷川つり堀公園
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区大山西町 千川上水跡<河川管理地>
- ■千川上水から分水した貯水池跡 <王子駅前公園>
- ■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■玉川上水
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
- ■渋谷川 氾濫危険水位
- ■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
- ■河骨川(春の小川)
- ■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
- ■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
- ■明治神宮 穩田川(渋谷川)の支流
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■穩田川(渋谷川) 表参道に残る参道橋の親柱
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■猿楽古代住居跡(代官山)
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■目黒元富士跡 上目黒1―8
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■富士塚古墳<十条冨士塚(冨士神社)> 調査後の現在の姿 鳥大の一個十円のチキンボール
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■豊島長崎の富士塚
- ■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
- ■駒込富士神社と古墳群
- ■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
- ■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
- ■北区王子 飛鳥山1号墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区赤羽西5 大塚古墳 周辺の古墳(天王塚古墳、稲付台古墳群など)
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■北区滝野川3 滝野川古墳(都立王子総合高等学校敷地/旧王子工業高等学校跡地)
- ■上野恩賜公園 摺鉢山古墳
- ■北区中十条 日光御成道(鎌倉街道 中道 旧岩槻街道) 清水坂(清水坂遺跡)
- ■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
- ■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
- ■新宿区 赤城元町の崖
- ■神楽坂ラン 赤城坂
- ■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
- ■新宿歴史博物館
- ■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
- ■豊島区 のぞき坂
- ■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
- ■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■北区西ヶ原 鎌倉道につながる熊野坂 豊島郡衙へ
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
- ■北区赤羽西 真正寺坂 「しんしょう昇る」と庚申塔
- ■北区滝野川 消防署建設の際に潰した狐塚の狐の祟り<滝野川伏見稲荷神社> 狐塚の坂と岩屋弁天(松橋弁財天洞窟)・正受院(滝不動)への道標
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
- ■消える富士見坂と豆まき
- ■消えた日暮里富士見坂
- ■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
- ■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
- ■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
- ■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
- ■蓮根川緑道 ヘビ公園
- ■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■板橋区高島平8丁目 徳丸ヶ原公園 <平太郎沼と呼ばれた沼を模した名残の親水設備>
- ■スケートボードは構成要素
- ■メイク
- ■オールドスクール
- ■JT
- ■スケートボード道
- ■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■板橋区・北区 御代の台
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■北区中十条3(東十条駅北口) 石神井坂
- ■北区岸町 三平坂