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2014 7/29
『池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 【2023年3月10日 加筆:「何か落したのですか?」と、奇妙なことを尋ねる日傘の女性】』

繁華街には事件はつきもの。
池袋は幼い頃から馴染みのある町だから、物騒だ、怖いとそれほど思わないが、最近何かと痛ましい事件が起きている。

駅の西口、東口、北口、それぞれまた違った顔を持つ池袋。
北口は中華街構想のようなものもあったが、今はどうなったのだろうか。
四半世紀前、西口のロサ会館や公園にはたくさんのチーマーが集っていた。
100円バーガーのSHOPもまだ健在だった。
高校生だったボクらは南池袋で、昼もそうだし、夜な夜な集って遊んでいた。
浪人時、代ゼミにも毎日トライアルバイクで通って、遊びはなるべく抑えて、受験勉強道に邁進していた。毎日のバイク通学が心の拠り所だったように思う。

池袋の通り魔事件、池袋駅構内大学生殺人事件...発砲事件も多かったように記憶している。
今にはじまったことではないが、かつても多くの事件があったようだ。
現在の池袋駅周辺はかつては池袋村のはずれのところに位置していた。
そんな場所で辻斬りも頻発していたという。

案内板より引用ーーーーーーーーーー
今から約280年前の享保の頃(徳川幕府八代将軍吉宗の頃)
高田雑司ヶ谷と板橋を結ぶ街道(現 平和通りが高田道)と礫川(文京区 小石川)と東長崎を結ぶ街道との四ツ辻付近(現在の西武線池袋駅東口)は、夕方になると追はぎや辻斬りが出没し、夜はその難を逃れる為通行する人が途絶えました。
享保六年の夏、1晩で17名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志64人が雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺第二十二世日相上人に供養をお願いし、享保六年九月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏を供養した。
正面にはお題目、右側面には北方板ばしみち、左側面には南方高田雑司ヶ谷道が記され、道標としても使われました。
この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消されました。
平成十二年九月吉日  池袋四面塔尊奉賛会
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この四面塔尊は、P'パルコの横の線路沿いの公園の入口にある。黒●が四面塔。
一番下の地図の赤丸部分が↑この四ツ辻付近だと思われる。

辻斬りとは...ようは通り魔のようなものだろう。
中世から見られるが、特に戦国時代から江戸時代前期にかけて頻発した。
1602年(慶長7年)徳川家が辻斬を禁止し、犯人を厳罰に処することにした。
辻斬りをする理由としては、刀の切れ味を実証するため(試し斬り)や、単なる憂さ晴らし、金品目的、自分の武芸の腕を試す為などがある。
また、1000人の人を斬る(千人斬り)と悪病も治ると言われる事もあった。

引用ーーーーーーーーーー
明治時代になり池袋周辺は近代化の開発の波が襲いました。
東武鉄道と西武鉄道の開業により四面塔が在った場所は 区画整理を受けて塔は駅前に強制移動されました。
移動に関った作業員が相次いで事故死したため、 毎年四面塔を秦じる祭が在りましたが、しかし太平洋戦争の 勃発により祭は中断し周辺は空襲や戦後混乱で荒廃して行きました。戦後混乱も終息し再び駅周辺は開発が始まりました。
1955年(昭和30年)駅前に丸物デパートの建設により、駅前から現在の土地にまた強制移動されました。しかし丸物デパートの建設中事故が頻発した為、 デパート関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願しました。 時に1955年(昭和30年)5月。
しかしその後、デパートは完成したものの丸物デパートは 潰れました。人々は噂しました…「塔を動かしたから」と。
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斬られた人々、村の有志の人々の想いがこの塔に入っているからそういう障りがあるのだろうか。
物でも人でも事でも粗末にしてはいけないと、今は亡き先祖がいつも言っていた。チビの頃、大人たちからたくさんそう言われたように...たまに忘れることもあるけど、物人事は大切にしたいですね。
野良猫がぐっすり休んでいる四面塔尊を撮っていて、改めてそう思いました。

警ら中のパトカーがわんさか通る四面塔尊があるこの公園、窓越しにジッと観察する本官ら、職務質問もかなり多い...それだけさまざまな人が集って事件につながるようなことが多くあるのだろう。

豊島区史跡散歩より引用ーーーーーーーーーー
四面塔

さて、東口から四面塔の方へ歩いてみよう。そこへは、パルコの北側から住友信託銀行の裏の道へ出ればよい。交番があり、西口へ行くガードを左に見て、銀行の裏の道を行くと、すぐに赤い鳥居が見える。右に池袋温泉とある公園の隅である。鳥居があるのは、そこに稲荷が祀られているからで、向かって左が稲荷大明神、右が四面塔である。
四面塔は昭和三一年五月一八日にここに移されたが、もとは西武デパートと、パルコの中間ぐらいの駅前にあった。松の木があり、井戸があった。
この四面塔は、享保六年(一七二一)九月にこの地元の人が建立したもので、「池袋村六十四人講中」の文字が刻まれている。正面に「南無妙法蓮華経」とある。これは、このあたりで、追いはぎなどのために命を落とした人たちの供養をこめたものだからである。由来記には、そばにあった松の木で首をくくる人もあって、その供養もかねている、とあるがそんなこともあったであろう。
ここに辻斬りが出たりしたのは、板橋宿へ通じる道があったからである。宿場へ遊びに行くには当然財布に銭を入れていたから、これを賊がねらったのである。あたりは、そんな賊の出やすいようなうっそうたる茂りだった。今の駅前のところは六郷社の森といわれていて、明治三六年池袋駅ができたころでも、狐の鳴くのが聞こえたそうである。
だから四面塔は道しるべでもあった。左側に「武州豊島郡池袋村」とその土地を刻んで、「南方高田雑司谷道:とあり、右側面にはその建立の日と、「北の方 板橋みち」と刻んである。
四面塔から池袋温泉の右側の道を通ってももとの池袋に出て、広い明治通りを通ってもいいが、北に向かって歩いて行く。
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【2023年3月10日 加筆】
この四面塔尊と四面塔稲荷大明神の前を通った時にはいつも手を合わせて頭を下げている。2022年の春か秋頃だったか忘れたが、いつものように手を合わせた時に、四面塔稲荷大明神の隣りに座っていた日傘をさした身なりの綺麗な中年女性が立ち上がり、私の目の前に立った。その時に女性は私の顔をじっと見つめて「何か落したのですか?何か失ったのですか?」と尋ねてきた。何か奇妙に思ったので、「何、ん?」と女性の顔を注視したら、再び「いや、何か落して探しているのかと思ったから。落しました?」と聞いてきた。私は怪訝な表情だったのだろう、女性は元の場所、四面塔稲荷大明神の隣りに戻り座って視線を外した。 何だか不思議な気持ちになって、何かを拾って渡したかったのかな?もしくは場所柄、新興宗教の勧誘かな?とか思った。
家に戻ってからも奇妙な感覚が残っていたのだが、ふと「えっ?」と思ったのは、この場所は前述の通り、多くの村人が斬られて命を<落した>場所なので、女性は私が<落した人>に見えたのだろうか?と。綺麗な婦人のあの鋭い目つきが蘇ったと同時に、この女性が何かを<落して>何かを探しているのか?とも思った。 この場所を今も通るたびに、奇妙な感覚を憶える。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2014 7/28
『母を訪ねて1里28町 大分県豊後高田市呉崎から<すいか>の贈り物』

クルクル◯ーになるほどの酷い暑さが続いていた先週...
紙ヤスリかのようにザリザリと皮膚をこする日射しに、チッと舌打ち。

午後は母が欲しいという荷物を背負って往復7kmの介護的ウォーキング。
ちょうど電車もバスも通っていない縦の道のりなので、電車で遠回りするよりも脚を使って向うほうが便利で、はやいのが歩く理由。
最大高低差約28m、高低差20mを2回と15mを2回上って下るので平坦な7kmよりもずっとキツく、自転車でも上り下りが大変だからやはり脚を使ったほうがラクというなんだか妙な感じだけど、ランニングしていけば15分ほどなので、近いっちゃ近い。
台地と低地、起伏が豊かな地形に辟易するのはかつての人々も今の人もそう変わらない。

あれこれ世話して、クタクタになって...暑さには恨みのような感覚さえ芽生えるも、強い日射しを浴びていると気持ちいいっちゃ気持ちいい。
からっぽになったバッグには代わりに大分のスイカを入れて...
どっしり重い大きなスイカは祖母の代からの村人からの贈り物。
曾祖母と祖母は、沖縄でいうところの“ユタ”のような存在だった。
違うところは生業ではなく、百姓と野良仕事をしながらお役目でたくさんの村人を救っていたと。
祖母の家のアルバムに写る人々はみな知らない人、みな写真を持ってきてみてもらうからで、家族が写った写真なんか数枚くらいなもんだ。
2人には卓越した能力があったみたいで、祖母は自分が13歳の頃に亡くなったからよく憶えているけど、いろんなことがわかったりみえたりしているんだなと思うことばかりだった。
祖母がテレビに出ているそういう人をみて、「わしもテレビに出られるわ」とよく言っていた。
出かける時は真っ黒い石を持って、不調を訴える人をその石でさすって和らげていた。チビにお母さんがする痛いの痛いの飛んでけーというのと同じようなことだろうし、ヒーリングなんだろうなと。身体の痛いところを無意識にさするのは自分自身で自分を治そうとするからだと聞いたことがある。
そんなものあるかと思う人も多いけど、よくわからないから自分は否定も肯定もしないし、勘がとても鋭い人には分るかもしれないけど、そんな感覚がより鋭いのかもしれない。
先頭をひつぱるリーダーは感覚がするどい人が多いですよね。似たような感じだろうか、ちがうか。。ま、色んな人がいますね。
...村の人とその家族、曾祖母と祖母の想いがつまったスイカの重さがその想いと比例しているかのようで。

ストアでボールを買って、呑みながら復路の3.5kmをウォーキング。
速攻でぬるくなる黄色いボールをゴクゴクと、至福。
汗だくのドロドロで、重い足どりはより重く、速度をゆるめて、脳みそも脚もふんわりと。

体質改善をして、暑さにもなるべく強くなろうとして10年くらいが経った。
そうしてなかったら今頃動けていたのか?そう思うとばっこりと怖くなった。

...晩飯はまたメバチマグロの漬け丼大盛り。いやぁ本当にうまいわ。
なんだか安すぎにもほどがあるけど、20個で¥100のピーマン、エノキ一袋入れておひたし?にして大量に摂取。
ク◯蒸暑いのに、豆腐と溶き卵入れたとろっとろのナメコのみそ汁も。
だいぶ前に、オクラと納豆とナメコのみそ汁作ったら飲むゼリーのようになって飲めたもんじゃなかったな。

ドロっとしたものを無意識に食べているけど、身体が欲しているんだろうか。
夏バテとは皆無の日々にしたい。

日射しにべっこり凹みますが、皆様もご自愛ください。

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2014 7/24
『ポテトドラッグ』

脱法から危険へと呼び名がかわった。
喫緊の問題として、新たに薬物が何種類指定されたというが、かなり遅いですね。
警視庁なんちゃらの番組を久しぶりにみたら、奇妙奇天烈な身体の動きをしている人に本官が「何か吸ったか?」と言った。画面に映るソコも副都心のような気がした...
それほど街には蔓延して容易く入手できるということだろう。
注意だけでいいんではないかと思うようなことでも、陰に隠れてばんばん取り締まるよりも、もっとちがう現場に多くの本官を投員する方がいいのではと。

多用して効きがあまくなって、量が増えるのはどの中毒でも同じ。
酒、たばこ、ギャンブル、FX、BIKE、ランニング...
ほどほどというのが一番ムツカしいとはよく言ったものだと。

自分は食に関してはまちがいなくグルテン中毒(でんぷん)だろう。
何の料理にでも、お味噌汁の代わりにたぬきうどんを付けようといつも思う。
うどんにおかずは何をつけようかなと、優先順位もそんなことになる。
こだわりは全くないが、パンも好きだし、呑んだ後のハムサンドは最高だ。
って、そんなことしてたらあれよあれよと77kgにまで増加したのは10年前...
この10年で、いったん60kg台になったことがあったけど、その後また71-2kgのいつもの平均に戻った。

あぁポテト食べたいな...とだいたいの人はそう思うことも多々ありますね。
いちばん好きなポテトは東武デパートの屋上スナックランドで食べたラスポテトだけど、やはりマックのはキングだろう。
初めて食べて感動したハッシュドポテト、いつしか冷凍庫には常備するようになったほどだ。
Lサイズをおいしそうに食べるあんちゃん、お手拭きは自分の社員証がかかった自身のワイシャツとスラックスだったのは、大好きなものを食べている証しなのだろう。

そんなポテト...

いいジャガが手に入ったら、どっさり揚げ焼きにしてよく作る。
プレーンな時はケチャップやマスタードで。
仕上げにアンチョビ入れて混ぜてもうまい。

身体にあまりよくないといわれるポテトサラダもよくつくる。

サラダ買ってきたからと言った友、それは...
スパゲティサラダ、マカロニサラダ、ペンネサラダだった。

ウォーキング後のLサイズで腹ごしらえ。
半分こしてちょうどいい。

ポテトはドラッグと揶揄されるのも意味がわかる。

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2014 7/23
『帽子』

帽子が好きで色んな種類のを持っているけど、特にハットが。
16歳の頃にプレゼントでもらったのが一番最初のハットで、すごくシンプルなスエードのカウボーイハット、今でも持っている。
同じく16歳からかぶっていたお気に入りのキャップはもうだめになって、先日処分したばかりだけど、パッチは剥がした。
17歳の頃に、バケットハット(ツバがあまりひろくない)を初めて買って、お尻のポッケにたたんで入れていた...アメ横ヤヨイで買ったトレーナーに501、原宿オッシュマンズで買ったニューバランスのシューズ、動きやすく気に入っていた。
去年、ZARAでみかけて欲しかったツバが浅い編み込んだキャップをかぶってみると日本兵のような佇まいにしか見えないので、ダメだと言われて手を放した...
ニットキャップにいたってはどのくらい買ってどのくらい処分したかわからないけど、今はツバ付きのも合わせて6つあって、全部で12個。

ヒゲ鼻メガネ帽子というもう誰だか分らないようなある種の“変装”が好きなのかもしれなかったのだろうか...大人っぽくなった気分だったからだろうか...昔の写真をみるとそんなことを思う。ま、一番はヘルメットで髪の毛がちんちくりんな型になるから帽子でかくす、そういう人も多いですね。
...この頃はメガネさえうっとうしく帽子もあまりかぶらないようになったので、ランニングキャップもない。汗どめや頭や目の保護には必要だけども...

ある時、実母が言った。
「あんたは帽子が好きねぁ...おじいちゃんも好きでねぇ、ひょいと帽子をかぶって出かけていたんだよ。」
おじいちゃんには会ったことはないし、話もそんなに聞いたことがないけど、そんなところは似ているようだ。

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2014 7/22
『夏詣』

買い物にでたらひどいゲリラ豪雨に遭遇してびしょびしょになったりと、えらい週末でした。
一雨降ると涼しくなるのでいいこともあるけど、大変なことがそれ以上に起きる。

6月の頭から暑くなって、まだ1−2回しかエアコンをつけていない。
じゃっかん寝苦しいような晩もあるけど、大きさと高さが秀逸な扇風機のおかげさまもあり、一雨後の涼しい晩があけるとちょっと寒いくらいで目覚める。
エアコンをあまり使わない+ランニングも相まって、年々と身体がラクになっていくけど、エアコンがばっちり効いた室内がどうにもこうにも寒くて...

と、
そんな涼しい海の日の早朝、ベランダに出ると曇りで過しやすい。
パン一枚ほおばって、ストレッチして身支度を。
表に出ると、なかなか涼しいので、10kmの予定を変更して、浅草神社へ夏詣へ。
最短距離の往復で約18km、途中で陽が出て暑くてバテたら電車に乗ればいいので、こういうのも気楽なランニング。

なんだか脚もよく動くのは昨晩あまり酒を呑まなかったからっていうのと、涼しいのと、いつもはしない腸腰筋(ちょうようきん)の筋トレをしたからかな?
*上半身と下半身をつなぐインナーマッスルのことで、鍛えると骨盤の位置を安定させ、正しい姿勢を保てるという。股関節を動かす時に使う筋肉なので、脚を動かしやすくさせるのだと。

あまりアップダウンがない道を選んで進んでいく。
寛永寺橋には新しくエレベーターも設置されたけど、鴬谷と昭和通りは車優先の作りになっているので、走りにくいといつも思う。
で、浅草神社に到着。
浅草寺や浅草神社にいる人のほとんどが外国人観光客。
朝も早くから満喫されている。
彼らが使っていくお金はどのくらいになるのだろうか...

混みだす前にあとにする。
不忍池の蓮をちょっと見て。
生命力の強さの象徴のような蓮。
どうにもこうにも、蓮のまんなかのぶつぶつにはぞわぞわするけど。。

あっという間に到着。
寄り道したので、22.1km 2時間10分02秒(05'53 /km)  1203kcal

昼には陽も出てきたので、シューズを久しぶりに洗ったり干したり。
どうなんでしょう、意外とシューズって洗わないような...
そんな午前中の3時間...走った後は角砂糖十何個も入っている炭酸清涼飲料水をロックで。

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2014 7/16
『ウォーキングで』

「行きは歩いて、帰りは電車にしよう。」
....もうあたり前のような会話になった。

豊島区の新しいインフラの“道”と、高田にある激坂“のぞき坂”をアテンドしてテクテクと。ある意味、名所と難所。
ヒザを曲げて、後ろに体重をかけてないと下れないほどのすごい角度で、女性だとちょっとコワイくらいかもしれない....ヒザのコンディションがよろしくない方ならば下れないと思う。

さほど暑くはなかったけどびしょびしょ。
なかなか良い運動です。
「昨日は10kmくらい歩いたでしょ、今日は7kmでしょ、土日で20kmくらい歩いているんだもんね〜」と...「だね、ウォーキングする人も多いけど、どうなんだろうな、このくらいは皆ふつうに歩いているのかね。」

レディースなんかショートパンツ¥300とか叩き売り状態...
シンプルだけどカットがいいTシャツと7年ぶりに短パンを。

なんだかんだで9kmくらいは歩いた一日でした。

これだけ町を歩いたり走ったりしていると都内の距離感がずいぶんと変わった。
メッセンジャーの友が前にそんなことを言ってたけど、まさにその通りに。
その時は運動はほぼ0状態で、移動はほぼバイクだったので、何のことかさっぱり分らなかったけど、今よく分った。

何かしら運動をしている近しい友も多い。
スケート、サーフィン、ジョグ、ウォーキング、通勤自転車、仕事で自転車、野球、水泳、ジム、ポタリング。
なるべく階段を使うとか、一駅手前で降りて家まで1−2km歩くとか、なんなら歩きながらビール呑むとか...そういうことをしている人も多いですよね。
通勤の時に兼ねて運動も手っ取り早いですね。
厳しい表情で向こうからウォーギングしてくるお兄さん、ウェアはサッカー用なので、かつてはサッカーをしていたのだろうか...手にはたばこが。

←運動らしきことほぼ0の時、このようなことをほぼ感じなかったけど...
感じなくても身体に負担がかかっていたのだろうか。
なるべく歩かないようにしてたくらいだったなぁと。
でも今は、なるべく歩こうと180℃変わった。

たまに運動するくらいがいいと言っている。matome
しなきゃしなきゃって、それがいけないのだろう。
でも、こんなにもク◯暑いとそんな気になれないですかね。
好きなブランドのウェアやシューズを身につけるのもモチベーションが上がりますね。

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2014 7/15
『池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚』

山手通りと川越街道の交差点にドンキホーテがあります。
その裏あたりに交通短大があって、その付近に池袋氷川神社があります。
神社があるあたりは池袋本町という町名で、この“本町”という名が示すとおりに、かつてはこの地域が池袋村の中心だった。
池袋駅が開業してからは池袋の中心は、現在の駅周辺へと移っていき、現在の池袋本町は住宅街となっている。
池袋での事件は昔から多いが、この10年くらいでまた変わってきたように思う。
安全な町であることを願うばかり。

氷川神社の参道前を通る道は“高田道(雑司ヶ谷道)”という古道で、板橋宿から雑司ヶ谷・高田をむすんでいた重要な道だった。
高田道を板橋宿とは逆に進んでいくと、追分(おいわけ、分かれ道)があり、右にいくと新川越街道で分断されているが、平和通りという道がそれで、ウイロードという池袋駅の東口と西口をむすぶ地下道あたりをとおって、現在の明治通りとほぼ同じ道筋をとおっていた。
追分をまっすぐいくと小石川方面へと行くことができた。
3枚目の地図の黄色い道が高田道です。

氷川神社には有名な富士塚があり、たしか、7月のあたまに山開きがされる。
普段は立ち入り禁止なので、富士山には登れないのが残念。
なかなか立派な富士塚です。
そういえば、境内に土俵もあります。
(富士塚とは、江戸の頃は富士山にお参りをする信仰が盛んだったが、一般の人は簡単に行くことができなかったので、身近な場所に小さい人造の富士山を築き、誰でも簡単にお参りできるようにした。)

そんな氷川神社と池袋本町...
神社がある場所はちょうど台地の先端で高台になっている。
4枚目の標高を見ていただくと分るかと思います。緑が濃いところが台地。
氷川神社の裏あたりに池袋貝塚があって、一面にアサリ・ハマグリ・シジミの貝類が散らばっていたという。
なんでこんな内陸部に貝塚があるのかという疑問が湧いてくるけども、かつてのこの貝塚付近は湿地帯、幅の広い沼のようなところだったようで、その先には川が流れていた。
その川は谷端川とよばれて、暗渠になり消滅し下水道になった川。
おだやかに流れる川では魚もとれて、川や沼ではシジミがとれて、王子の方の海っぺりからアサリ・ハマグリを運んできたとも言われている。
縄文時代は温暖な気候で海水面が上昇して、海が内陸部へと入り込んでいた。
ここでも縄文人は台地にすんで、川へと下りて食料をとって生活をしていたわけで。
そして、同時に土偶や石棒や斧、玉類も発見されことから、多くの人が住んで繁栄していたことが分ったという。

氷川神社の創建は定かではありませんが、もしかするとそういう集落の中に神さまに祈りを捧げる場所ができ、今の氷川神社につながるのかもしれません...
神社サイト引用
人々が集り繁栄するところには必ず祈りがありますから、そうつながっているのかもしれないですね。

駅周辺ではわからない池袋の歴史を、池袋本町で知るのもいいかなと思います。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2014 7/14
『自分のルーツ2 <武士の活躍と信仰 鞆淵動乱[鞆淵氏と神人・高野山]>』

結婚指輪のストッパーのリングは、大分県の黒土にある椿堂という弘法大師ゆかりの名刹のもので、赤ん坊の頃に祖母がこの子は“早死にせずに成長できるように”と願掛けをした、母方の祖母と曾祖母が修行をしていたお寺。
うちの家系は男があまりいなくて、いてもすぐになくなったりだったという。
町で気になって立ち寄った寺が真言宗(高野山 弘法大師)の寺であることが実に多いのは偶然かどうなのか...
先祖は、自分の名前でもあるけど、大阪と和歌山の町の名前にもなっている。
和歌山の人ではない曾祖母も祖母も弘法大師(高野山)に縁があって、寺で修行をし、九州の大分で村の人々のために生業ではなく役目として生きた。
一方の先祖は高野山と非常にふかい縁があって歴史がある。
弘法大師空海がまるで引き合わせたかのように、長い長い時を経て、それぞれの先祖をつなげて今の自分がいることがよく分った。
その歴史が下記です。
------------------------------------
鎌倉時代の終わりころから、荘園(しょうえん) や村では惣(そう) と呼ばれる農民たちの自治的な組織が作られ、生活や生産、祭礼などに関わるさまざまな取決めが、住民たち自身により決められていくようになりました。
中でも鞆淵荘の惣では、高野山や鞆淵(ともぶち) 氏一族との間で「鞆淵動乱」と呼ばれる激しい闘いを繰り広げたことでよく知られています。
鎌倉時代の終わりから室町時代にかけて、鞆淵荘には2つの勢力が存在していました。
ひとつは、荘園領主であった石清水八幡宮に奉仕する神人(じにん) とよばれる特権集団を中心にした勢力で、石清水八幡宮から送られてきた神輿を心の拠り所とし、鞆淵荘内で最大規模の用水路を開発するなど、水田開発にも積極的に取り組んでいました。
一方もうひとつの勢力は、後に鞆淵氏を名乗る武士の一族を中心に、それに従う農民たちをも含み込んだ勢力で、鞆淵氏の本拠地周辺で綿や苧麻の栽培などに取り組んでいました。

鞆淵氏を中心とする勢力は、南北朝時代に入るころから急速に力を伸ばしはじめ、同じころ、鞆淵荘の新しい荘園領主となった高野山と協力して、検注と呼ばれる土地調査を行うことによって年貢徴収を強化しようとしました。
これに対し、古くから鞆淵荘で生活を営んできた神人を中心とした勢力は、石清水八幡宮領時代の年貢額以上の納入には応じない姿勢を貫き、「八人御百姓(はちにんおんびゃくしょう) 」と呼ばれるリーダーたちを中心に激しく反発しました。
これが鞆淵動乱です。
高野山はこの「八人御百姓」を動乱の首謀者と認定し、処罰するためにその身柄を拘束しましたが、神人たちは惣のために勇敢に戦い、また日ごろから人望もあつかった彼ら八人の身柄を取り戻すため、巨額の身代金を支払って彼らを解放させたのです。結局、高野山は、彼ら神人勢力の主張を認め、鞆淵荘につかの間の平和がおとずれました。

鞆淵動乱がおさまると、鞆淵氏は紀伊国の守護である畠山氏の家臣としての活動が多くなり、次第に高野山との関係も悪くなっていきました。
高野山は、鞆淵氏を通じて守護からかけられる夫役などの税が、鞆淵荘の農民たちを苦しめていると判断し、1424(応永31)年、もとの神人勢力を中心とする農民たちが一斉に荘内を逃散したことを受けて、鞆淵範景(のりかげ) の追放を決定しました。
しかし、追放の決定を受けた後も、鞆淵範景は何度も鞆淵荘内に出入りしていたばかりでなく、その後も高野山に対して綿・苧麻の納入を請け負うなど、鞆淵荘内で一定の地位を保ち続けます。
高野山にとっても、鞆淵荘の円滑な支配のためには、地域社会に深く根を下ろした鞆淵氏の力は不可欠のものとなっていました。
鞆淵の惣は、鞆淵動乱とその後の逃散事件を経て、新たな領主である高野山ではなく、地元に深く根を下ろした鞆淵氏やその配下の人々と共存する道を選んだのです。
現在でも鞆淵氏の城跡に祀られている神社の祭りが、毎年4月に静かに続けられています。
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今でも神社と寺にご縁があって、名前にさんずいが2つもあるし、とにかく川が気になってしょうがないし、水にもご縁があるけども、こんな昔のことから続いているのだろうか。
この歴史を知って、点と点がつながるとはこういうことだとよく分ったのです。

【関連記事】
■自分のルーツ1 <鞆淵荘(鞆渕荘)和歌山県紀の川市[鞆淵八幡神社 国宝 沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじらでんこんどうそうしんよ)]〜大阪市都島区友渕町>
■自分のルーツ2 <武士の活躍と信仰 鞆淵動乱[鞆淵氏と神人と高野山]>
■自分のルーツ3 <京都府福知山市三和町友渕 友渕川と別名 友渕城(東ノ古城跡、西ノ古城跡)>

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2014 7/11
『カラーリングで』

名作M996を履いてランニングしている欧米人ランナーをごく稀に見かけるけど、似合っているし、すごいなと思う。

ニューバランスのM980というちょっと変わったデザインのシューズ。

・ふんわり軽い
・足の裏が包まれているような感覚
・かっちりしている
・クッション性が高い
・柔らかい中でも安定感がある
・スピードを上げても受け止めてくれる
・どんどん脚が出る感じ
・しなる感じが逆に走りやすい
・フラットなソールだけどそれをあまり感じない
・前から人に引っぱられている感覚
・踵から入ってつま先に出るのがスムース
・とにかく走りやすい

アスリートの反応は抜群のようなシューズのM980

ちょっと独特なミッドソールのハニカム構造がとてもいいらしい。
けど、カラーリングが....
上から3枚目のアウトドア用(トレイル用)は巧く合っていると個人的には思うので、タウンユースでも馴染むと思う。

そんなにいいなら履いてみたくなりますね。
多少の違いは分るようになってきたかもしれないので。
フラットなソールのシューズも履いているけど、つま先があまり反らないので、走っているとどうしても、足の指の付け根あたりを路面にザッと擦ってしまうことがよくある。
フラットじゃないふつうのシューズだとつま先にいくに従って反っているので、ほとんど擦ることはない。
よく分からないですね....うまく書けないけど、足の指の付け根あたりを擦るを大きく言うと“つまずく”ような感覚で。
なので、フラットなソールの新しいシューズは、他の部分はまだまだ全然減ってないけど、もうその部分だけ特に減りが早くて....これは走ってみて初めて分ったこと。

そんな変わったデザインのシューズだけど、
ブラックカラーになるとがぜん良く見えてくる。
すごくいいと思って。
ブラックはブラックでも、濡羽色のような、角度によってカラーが変わる玉虫色のようなブラックもとてもイイなと。
これは日本未展開だと思うけど、欲しい人も結構いると思うんだけども...
マジランナーやファッションでという人にも、門戸が広がるんではと。
ランニングウェアもシューズも、派手ではないのが圧倒的に少ないから、余計に欲しくなってきます。
ウェアなんて、黒いので好きなデザインだったら即買いだし。
あちこち町を走るから、冬や秋や春先は暖かくていいけど、ただ真夏は一段と暑く感じる。。
今朝も黒い上下、ランニングシャツ+ショーツ....台風一過で綺麗な青空だったけど、蒸暑さも相まって不快度倍増。
でも、走った後がとっても気持ちがいいのです。

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2014 7/10
『うさ脳』

今朝知った脳の分類。
両手のひらを組んで下に右親指があれば右脳の“う”で、 これは情報を右脳で感覚的にインプットするんだと。
両腕を組んで下に左腕があれば左脳の“さ”で、これは動作行動する時に論理的にアウトプットするんだと。
なので、“うう”、“うさ”、“さう”、“ささ”の4つに分けられて、自分がどういう性格なのかわかるという。

自分は“うさ脳”だという。
直感的に情報を自分にとりいれて学び、論理的に動作行動するんだそうだ。
電話は左耳か右耳かでもわかると思うけど(左耳の情報はクロスして右脳で処理していると聞いたことがある)、自分は左耳なので、電話の向こうの人の情景を思い浮かべて、音声や内容を脳みそで可視化させているような感じなのでまさに。
説明書をあまり読まないような人だとインプットは“右脳”なのかもな。
書いてあるのを読むとまんま自分のような感じだけど、他のタイプのにも当てはまるような感じもする。

よく言われるけど、冷静だとか何格好つけてとか....どろどろに泥臭い方なんだけどなと、そう言われるたびに思う。。
ま、ほとんどの人がそうだと思うけど、必要とされて良い報酬を得る、これが嬉しいしやりがいですね。
ひとりで行動することも多いし、あまり群れないよねと、これもよく言われるけど、一致団結して大変なことを乗り越えて仕事をおさめることに幸せを感じる。
ってまぁ、これもそうな人も多いですよね。。
エグザイルなんかとても素敵な組織だと思っている。

物事をイメージで捉えることがいつものことなので、論理的に捉えるということがよく分らない...感覚的にアウトプットするというのも...
ずっと続けているペン字もある時から字を画として認識するとぐっと書きやすくなると分ったし。
字を画として取り入れて書く時には、その画を一線々バランスよく論理的に繋いで字を完成させる....まさにこの“うさ脳”のやり方だと思った。
4スタンス理論しかり、自分をうまくインプットにアウトプットするには、自分がどういうタイプの人間かを知ることが大切なのだと、こういう情報からも分る。でも実はぜんぜん確証がなかったりして。こちらから

見かけではなく、付き合いの長さでもなく、何気ないひと言が本心で本質。
ずっと守ってくれてきている人の寝首をかこうかこうと実はしているのをみて、人は見かけによらずとはよくいったものだと...
「敵は本能寺にあり」...いよいよ日曜日に放送、どっちの人間もこわい。

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2014 7/9
『暑中お見舞い』

暑中お見舞い申し上げます。
昨日は朝からなかなか暑かったですね。
日がもうでちゃった朝のJOGは、滝汗をかきます。
そんな大汗でストアやマックに入っても、爽やかなすてきな笑顔で女性スタッフに、「いつもありがとうございます」とか「お気をつけて」なんて言われるとものすごく照れるけど、うれしいですね。
と、今朝のJOGん時、小道で写真を一枚撮ってたら、おじいさんに声をかけられて、地面までも濡れるかのような滝汗かきながら、おじさいさんの終わらないお話を聞いてて.....会話するのはもちろんうれしいしいいけど、激暑だとなかなかで...
「時間がないからもう行くね、気をつけてね、いつまでも元気でね」
「おぉありがとうね」と、色々説明してくれた親切なじいさんとお別れ。
まぁ本当に声をかけられることが多いけど、かけやすいのかな....なんでだろうか???

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2014 7/7
『気楽に、刺激を』

日曜日の昼にちょいと皇居へ。
“走る”って、どこでも走れるからこそたまに行きたくなる皇居。
色んな人がいるからおもしろいし、刺激にもなるから。

走って行くか、それとも自転車で行って走るかをいつも悩む...昨日は気持ちよく自転車で。
たまに皇居へ行くようになってから早いもので4年が経つ。
ベースとするのは小さい広場の平川門で、たくさんのレースが開催されて、人でごったがえすことも多かったけど、事故防止にマナー向上のために、今は広場が大きい桜田門の一ヶ所のみでレース開催が許されていると聞いた。
この日は人も少なく、桜田門にも人はあまりおらず。

街を5km走るのと皇居一周するのでは後者の方がとても距離を短く感じる。
街だと信号につかまるから、一周5kmの信号がないコースだと、今の身体の調子具合を時々変えるペースでもってよく分るのがいい。

ばんばん追い抜かされて2周、街路樹から今年初のセミが鳴いている。
照り返しの強い歩道と坂に疲労してくるけど、どんどんスッキリしてきてとても気持ちが良くなる。生地に吹き出した白い結晶がそれを物語っている。その証しに走る“量”がどんどん増えてくる。

汗だくだくでストレッチしているランナーのところだけに鳥たちがどっさり群がっている。人懐っこい皇居の“すずめ”は、休憩している自分のすぐそばでピッピッと何かくれと言ってくる。時には手やひざに乗るほどだ。

汗をふいた小さいハンカチタオルは“台拭き”の香りを漂わせている。
“台拭き”とドリンクをゴムでフレームにくくって...
「さ、家に帰ろう」、熱いアスファルトをゆっくりと進んで...
神保町で信号待ち、外から見える刺激と慰めのエ◯SHOPの熟女コーナーには、おじさんや初老のお父さんらが落ちついた雰囲気の女性が座った表紙を手にしてじっと見ている。
実年齢よりも少し年下のアラウンドフォーティの女性がお好みなのだろうなと、そりゃそうかと。
チェーンとスプロケットの小気味よい器械音を聞きながらふと思った...
初めて自転車に乗れて楽しくて楽しくて町内を漕ぎまくったあの頃。
いつもは電車で行く遠い所へ、自転車で初挑戦してクタクタになったあの頃。
それからもう30、20年と経ったけど、あらためて気楽ないいツールだなと。
今は幅が広くなったような感がある中年世代や引退したお父さん方のいい健康管理運動ツールとしても人気がある自転車...ハンドルまわりの完璧な装備は長距離を走ることを物語っている。
歳を重ねてゆくとある種のいい“子供がえり”をするようになるのだろうか。

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2014 7/4
『まさかの展開』

エンジン付き車両なら起伏が激しいと猛烈に楽しいけど、それが...ない車両やランニングシューズだと、ただつらいだけ...地形をみて、なるべく起伏がないところを、バイクで通っていた道を記憶をたよりに通るようにして。

トイレにこもる時、地図を“読み”ながら奮闘していたくらい道などのインフラが好きで、ゆっくりしたスピードであちこち町を走ったりペダルをふんだりしていくうちに、なるべく起伏がなくてラクな道を探して、土地・地形を調べていくと、その歴史も知ることになり、歴史に名が残るさまざまな人物が登場して、その土地がなりたってきたと分り、消滅した川も出現して。

なにげなく通っている道、実はその下には江戸時代にひいてきた上水が流れたいたから、わずかな高低差をいかすためにこんもりとしていたり、わざわざ道路を逃がしていたとか....道と水と地形、一気にリンクできて、その歴史を知る楽しさも度を増してくるということで、むさぼり喰うように本を読んだりするようになって。
旧石器時代、縄文人から江戸時代、そして激動の幕末に明治、大火や震災によって安全な郊外へと一気に人々がやってきて宅地化が進み、栄えて、一方では邪魔になった川が消えていく。
今では、気になる道にある庚申塔をガン見するようになった。
刻まれている字が読めるようになりたい。

身近な公園や川沿いや道を、なんとなくの健康管理でウォーキング、ジョグしてみるのもいいものです。
ただたんに歩く走るだと飽きて続かないし、いつもは見えてはいなかった何かを見つけると、新しい発見ですごく楽しさも増しますし。

中学の頃から今まで何一つも興味がなかったし全く知らなかったようなレベルの歴史という分野が、ジョグをはじめてから180℃変わって好きな分野になったのも、“走る”という行為と反応してすごくいい作用としてあらわれたのだろう。
怪我の功名じゃないけど、思わぬ作用が嫌いを好きに変えてくれたのだから、ランニングが身体ばかりにいいだけではなく、脳みそにもいいと、学習させてくれたのだと思う。
走って学ぶというなんか変な感じだけども、それも良し。
って、まぁ、走ると何しろメシと酒がうまいし、身も心もスッキリしますから。

医師にメタボだ、運動不足だと指摘され、改善をという方も多いと思います。
飲みすぎ食べすぎによる中性脂肪に悪玉コレステロールや血糖値や尿酸値やγ値が高いとか...
なんにも一切楽しくなさそうな歩くことや走ること、それで何かが反応を起こして、良い作用が出るかも?ですね。

こちらの独り言ブログに歩くハーレー乗りが。
お店が駒沢にあった時もたまにウォーキング出勤されていましたと思いだし。

ハーレーの旧車やホットロッドにも乗るヒゲ眼鏡な方が実は市民ランナーだとか、格闘技をされている方は結構いらっしゃいますね、そういうイイ意外性、ギャップには目をひかれる...清楚な女性なのに実はとか。

走りはじめてちょうど5年の今、SNSのトリップメーターはラン 6080kmを刻んでいる。

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2014 7/3
『池袋の川 弦巻川<丸池跡・現 元池袋史跡公園>』

ホテルメトロポリタンの向いに元池袋史跡公園があります。
かつて池袋にいくつかあった川のうちのひとつ、
弦巻川の源泉である丸池があった場所で、
丸い形をしたタイルが丸池があったことを忍ばせている。
休憩することがあまりできないような敷地なので、
人々はただ通りすぎるだけのなんだか寂しい史跡公園という印象です。
自分もよく通る道にこの公園があるけれども、
この数年で地域史や地形を調べていくうちに初めて知ったので、
興味がない人にはまったくだろうと思う。

そんな水が豊富な丸池の姿を古い豊島区の資料の写真にみることができます。

湧きだした水は明治通りを渡って、鬼子母神方面へと流れていて、
ちょっと見にくけども、
3−4枚目、江戸名所図会の雑司谷鬼子母神堂にも描かれています。
明治通りを神田川から池袋方面へ長い坂を上りきって、
その先はまたちょい坂で下って、また坂を上るという地形なのは、
ちょっと下った底に弦巻川が流れていたから。
大鳥神社横を流れ、都電をこえて、護国寺の参道に沿って神田川へと注いでいた。

昭和初期に早くも暗渠化工事が行われて弦巻川は下水道となって、
今も地域の人々の役にたっていますが、
記憶に新しい2008年に下水道工事中に豪雨がおきて、
作業員が5名も流され死亡したことがありました。
行き場を失った水は一気に流れこむことがよくわかるけれども、
ほんの一瞬の出来事だったのだろうと思います。
水は生活を潤すけれども豹変する...
“弦巻川がきえちゃったよ”という紙芝居が、その歴史を知る上でとても分りやすくおもしろいです。こちら

弦巻川が注いでいたのが神田川で、現在の護国寺の交差点のところです。
写真下の2枚が神田川に注いでいる現在の姿の水窪川と弦巻川だと思われます。
この時、弦巻川の方はちょろちょろ下水が流れていました。

音羽では紙すき業が盛んだったのはこの川が流れていたからだと。
現在でも首都高5号線の下の地域には紙関連の工場があったように思うのだが。

上から5枚目、地形図にうすく赤い線で左が弦巻川で右がもうひとつの池袋の川、水窪川です。(水窪川については下記にある 過去記事を)
川の流れの跡、ざっくり削ったことがよくわかりますね。
地形図の下の地図を見比べてもらえば現在の町のどの場所か、
その流れがわかるかと。
下に流れるのが神田川、ぐねぐねと暴れて台地を削りに削った力強い流れだとよくわかりますね。
右上から下に流れているのは谷端川(小石川)です。
池袋をこえて、王子方面へ向うと、だらだらと長い下り坂になって、西巣鴨へは上りになっているのは、その底に谷端川が流れていたから。
都内を南北に縦断する明治通りや山手通りを走ると、起伏が豊なので川の存在を感じるけども、エンジンがない車両だとうんざりします....
地形、標高がわかると、身の回りには支流なども含めてたくさんの川が流れていて今は消滅したんだなと分ります。

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