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2021 3/30 『王子七滝 松橋弁財天洞窟跡 桜並木 音無もみじ緑地の小さな滝』

石神井川下流域にある緑地の桜は、今年も綺麗に咲いて楽しませてくれている。
かつての石神井川は、写真の手前に真っ直ぐに流れていたのではなく、桜並木のところを湾曲して流れていた。
その湾曲したところに松橋弁財天洞窟があり、石神井川の直線化の工事によって消滅してしまったが、その当時には絵図に描かれているような姿ではなく、滝もなく寂れてしまっていたという。洪水による水害に悩む下流域の住人にとっては、この松橋弁財天洞窟の保存は望まれることではなかったのだろう。

下記に映像もリンクさせているが、緑地になった跡でも、親水公園として水を溜めて、その水を石神井川に落している。
この歴史を知っているととても小さな滝の姿に見えるが、これは意図して造ったのではないかなと思うがどうだろうか。

この先、流れついた桜の葉が留まり、水面が桜色になる姿も見事なんです。

※ 映像はこちら(mp4、36.9MB、1280×720)

【関連記事】

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2021 3/27 『豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池』

駒込駅前を通る日光御成道から分れて、染井霊園に向かって真っ直ぐにのびる道がある。それが染井通りと呼ばれている。
その染井通りをしばらく進んで行くと、右手の塀に埋まった“大師道”と刻まれた道標が建っている。
この道標を進むと真言宗 西福寺がある。
弘法大師からの由来で、大師をとって“大師道”と呼んだとわかる。
新しくも見える道標だが、いつ頃建てられたのだろうか。
通りがかった時に、ん? と思った道標だった。

この西福寺は古くからあり、染井村の鎮守でここに染井という泉があり、染井という地名の由来でもあるが、すでに枯れて消滅してしまった。
流れ出た水は北側を流れていた谷田川(谷戸川)に注いでいたことだろう。尾張屋板“江戸切絵図<染井王子巣鴨辺絵図>”には、この染井の泉は描かれていなかったことから、一八五四年(安政元年)には枯渇していたようだ。
また、西福寺を西へ進むと現 染井霊園になり、ここにも湧き水があり、長池と呼ばれ、上記の絵図には太く描かれていることから、染井の泉より若い長池の源泉は豊富だったことがわかる。この水の流れが谷田川(谷戸川)で、不忍池に注いで隅田川へと流れこんでいた。
地図の右上の端に<霜降橋>交差点があり、霜降り銀座通りと書かれている道が谷田川(谷戸川)跡になる。

※巣鴨絵図 23-135 藤林山西福寺染井稲荷 link

染井霊園の染井吉野も見頃を迎えていることだろう。
※写真は2016年4月の染井霊園で、上から3枚目が長池から溢れ出した谷田川の流れの跡。

【関連記事】
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所

■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋
■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)

■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2021 3/25 『板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>』

豊島氏一族である滝野川氏から分れた板橋氏が築いた板橋城ではないかと思われる場所が7つあるという。

板橋氏と板橋城 浅沼政直/著 より引用ーーーーーーー

1:板橋区仲町専称院説(板橋信濃守忠康墓あり)
2:板橋区中山道の旧乗蓮寺跡説(板橋忠康が専称院説から移墓された説故)
3:板橋区東山町の上板橋小学校説(各史に板橋城は御東山にありと記す)
4:板橋区東新町の安養院説(北条時頼墓伝)
5:板橋区根ノ上辺り説
6:板橋区小茂根の整肢療護園説
7:板橋区稲荷台説(日暮里山)

・・・数ある板橋城説の中で有力なのが、御東山の長命寺辺りである。これは新編武蔵風土記稿や北豊島郡誌、豊島氏の研究などは板橋城はこの地を唱えている。

・・・・・・・

・・・また、戦前にこの稲荷台辺りを所有していた日本化工(株)で技師をしていた故鈴木久エ門は、この地を測量した時には今の稲荷台小学校辺りからJRアパートにかけて、三段になった幅五間、深さ三間程の城郭跡があり、その城跡は今の帝京大学から本町、大和町付近の一部まであり、東は姥ヶ橋辺りまで続いていたと、私に地図を書いてくれた。
また旧岩の坂の居住跡も明らかに城郭跡で、水路跡とは全く違っていたと証言し、その図も作成してくれた。

・・・・・・・

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一部を抜粋して引用させていただきました。
伏せている内容の前後を読むと、なるほどと腑に落ちる内容だった。

地図上から二枚目、7:板橋区稲荷台説(日暮里山)は黒楕円部分より南、東西へと広範囲に及び、城郭は幅広く深かったと書かれており、また空壕もあったが今はその痕跡も存在せずとのことだ。

一番上の広域の地図を見ていただくとわかるが、中程にある楕円2つを描いている<推定 板橋城>が、上記7:板橋区稲荷台説(日暮里山)で、上野公園からJRの線路沿いから続いている武蔵野台地の東側端にあたり、その少し上の北東に位置するのが稲付城で、この辺りの赤羽付近から武蔵野台地の崖線は北側に変わっていき、志村城は北側の端に築城され、西北の端に赤塚城が築城されてた。
そして地図の一番下、南に位置する長命寺の<推定 板橋城>は、上記3:板橋区東山町の上板橋小学校説(各史に板橋城は御東山にありと記す)と同じで、他の城跡とは唯一違う立地、つまり武蔵野台地の奥まった場所に築城されたということになる。
7の稲荷台説と3の御東山説の共通項としては、石神井川が削った谷の上に位置するということ。

築城された位置を拓かれた道からアプローチすると、稲付城は鎌倉街道・日光御成道、志村城は川越街道・中山道・大山道、赤塚城は鎌倉街道・川越街道、3の御東山説は川越街道、7の稲荷台説は中山道・鎌倉街道・日光御成道となる。
主要な鎌倉街道(日光御成道)と川越街道と中山道の中間に位置しているのが7の稲荷台説となり、これらの道を結び重要な場所とも言える。
地図には描ききれなかったが、稲付城から武蔵野台地の崖線を南に下って行くと、王子付近(上中里)にある平塚城は鎌倉街道(日光御成道など)、平塚城と7の稲荷台説の中間に位置するのが滝野川城で石神井川沿い、鎌倉街道・中山道という立地になる。

地形から読み解くとこのようになり、それを裏付ける古老の話が『板橋氏と板橋城』には書かれている。
板橋氏の子孫は板橋宿の内の上宿(石神井川から現 本町、清水町付近。上宿の脇本陣家を務めた。)付近に多く、智清寺にある板橋氏の祖先代々のお墓を守っていることもあり、明確な資料は存在しないということだが、7の稲荷台説が有力なのではないかと個人的には今思うが果たしてどうだろうか。

2021年8月25日加筆:御東山(稲荷台)にかつてあった、この板橋城と見られる城郭跡は、稲荷台小学校(現 加賀小学校)から帝京大学、板橋本町、大和町の一部まで続いて、東は姥ヶ橋あたりまで続いていたという。古墳を利用した城はいくつもあるので、稲荷台に板橋城があった可能性もより高くなるのではないかと思う。
城郭跡は三段になっていて幅五間、深さ三間程だったという。
※一間は約1.82m

【関連記事】
■板橋区東山町 板橋城跡の候補地のひとつ長命寺 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡>)
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡

■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)

■板橋区 稲荷台遺跡

■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>

■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■北区上十条 姥ヶ橋の延命地蔵尊に添えてある小さな角柱型文字庚申塔道標

■志村城山公園の湧水と志村城跡

■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓

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