Content
line
2020年1月2月|3月 12|4月 123
|5月 123|6月 123 |7月 123
|8月 1・2・3 |9月10月11月12月

line
2019年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
line
2018年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
line
2017年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2016年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2015年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2014年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2013年1月-2月3月-4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2012年1月-2月3月-5月6月-7月
8月-9月10月11月12月

line
2011年1月-2月3月-4月5月-6月
7月-8月9月-10月11月-12月

line
2010年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2009年1月-3月3月-5月6月-7月
8月-9月9月-10月10月-11月12月

line
2008年1月-3月4月-5月6月-9月
9月-10月11月-12月

line
2004年3月〜
  • ABOUT
  • INFORMATION
  • COLUMN
  • WORK
  • CONTACT
  • logo4
photo

2015 6/30 『危機管理』

今朝は神奈川県西部で地震が頻発していた。
箱根山、大丈夫か心配していたところ、新幹線の白煙....油をかぶった男が車内で自殺をしたとニュースが流れた。
新幹線のニュースが流れている合間に、今度は箱根山が噴火したと発表された。時間が経つにつれ、どうやら気象庁はやっと噴火と認めた?というが..
東日本大震災以来、いやもっと前からだろう、日本列島は本格的に活動期に入ったようだ。大きな地震のあとにはもれなくその周辺の火山が活発になり噴火するというが、西ノ島の噴火で新しい島ができたり、御嶽山、浅間山、口永良部島の噴火、そして今回の箱根山の噴火と、あちこち動きはじめてきたことになるのだろう。
今後どう活動するか気になるところで、被害がないようにと願うばかりだ。
小笠原付近ので深いところでの巨大地震や、小笠原から一直線状つながる箱根山や富士山、伊豆半島は元々は島で、プレートが動いて日本列島にぶつかりくっ付いて伊豆半島になったのだから何かしら関係があるのだろう。

新幹線の事件は自殺と言うが、高速で走る密室での焼身自殺、さらに運転席のすぐ後ろで火を放ったのはテロと同じようなものだと思う。飛び火によって1人亡くなられたし、重軽傷者、多数被害に遭われたのだから。
新幹線もこれからは持ち物検査が必要になるのだろうか。

これから経験するであろう自然災害など、改めて危機管理を持とうと思った一日だった。

photo

2015 6/29 『STRONG』

梅雨の晴間の日曜日にはランニングで根津神社へ。

ランニングでどこそこ...,という書き方、意識しているわけではないが、ふと思うとやはり、シューズを履きシューレースをギュっと結んで向うことはシューズが移動のツールとなっているんだなと思う。
自転車でどこそこへ、バイクでどこそこへ、電車でどこそこへ....エンジンがついてるかついてないか、走っている人でも走ってない人でも、何だかよくわからないかもしれないが、自分にとってはそんな感覚に近い。

さて、昼すぎに出て、2−3kmくらいでもうバテバテ。
まぁ息があがって辛い。
日影をゆっくりと走るも暑い。。
帰りは電車で良いからと、脚を進める。
何とか到着、半年ぶりかな。
家族がもう何年も近くの病院にかかっているので、お礼を。
感謝しかありません。

巨大なオレンジ色の鯉を見下ろし、しばし休憩。
鳥居、ここは前は有料だったような気が....
写真2枚目...境内には「徳川家宣胞衣塚」として、第6代将軍・家宣の胞衣(胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めた塚がある。当地が甲府藩邸であった時に家宣が生まれたことに由来する。
写真を撮るのを忘れたが、本郷通りと旧中山道(国道17号)が分れる交差点、本郷追分にあった道祖神がこの根津神社に移されて祀られている。
日本橋から一里目(約4km)が本郷追分、二里目が板橋駅手前、三里目が志村坂上、四里目が荒川をこえてすぐの蕨....
日頃からランニングをしていると、距離というものが身近に感じるようになる。
ど真ん中の日本橋からわずか16kmほど旧中山道をテクテク走っていくとそこはもう埼玉県だ。歩くと3−4時間かかるけど、ムリせずにリズムよく走っていけば一時間半くらいだ。って言っても、信号があるので2時間半くらいだろうか。

あとにして、上野へ向うも、ヘトヘトになりつつで、谷中へ。
ストアでSTRONG ZEROペプシを。激しい運動をすると最初は糖分をエネルギー源にするので、本当はZEROではない砂糖たっぷりのオリジナルが良かったんだけど、はんぱない強さの炭酸でちょい元気になる。
信号でちょいちょい脚をとめて、戻ってこれた。
なかなか疲れて、こんなの久しぶり。
運動時の暑さにまだ身体がなれてきていないのだろう。
公園で、STRONG ZERO 9%と共に休憩を、これまたウマイんだわ。

NIKE + runningのアプリケーションでは12.52km、時計では11.05kmと1.5kmほど差がある。
前者はゆっくり歩く時も計測されるが時計はされない....にしても、だいぶ差がでたのは精密さのちがいもあるのだろう。
前者のルートのログをマップでみると、かなりざっくりしてて、そこは走ってないけど、みたいなのもあるし。
時計の方は、計測スタートして最初の1kmはだいたい1分ほど速く計測される。6分/kmくらいで走っているのに、5分/kmくらいで記録されて、そのあとはほぼ正確に計測されるんだけども。
走っている人だったら、そのスピードの差はなかなかのものだから体感でいやいやいやぁ〜ちがうちがうと分るんだけど...感覚的には車を運転してて、40km/hと60km/hの目やスピード感覚の体感でわかるように、そんな感じにちかいんですよね。
NIKE + runningのアプリケーションはエラーもたまに出て計測が止まる。
ま、どれもこれも個性があってちがうものなので、壊れにくければまぁいいや。

photo

2015 6/23 『香り』

コウヤマキ(高野槙)
高野山真言宗の総本山である高野山に多く生えていることに由来する。また、高野山では霊木とされる。wiki

高野槙から調製した線香を戴いた。爽やかで独特で、とてもいい香りだ。
寝落ちる前に、パカッと開ける....なんとも心地がいい。

...たばこを手放して丸6年が経った。
1日の喫煙本数×年数=ブリンクマン指数....自分の場合は20本〜30本だったので、少なく見積もって25本×24年=600となり、600以上:肺がん・肺気腫(COPD)の危険大、に当るという。
毎日擦っていたライター、今はお香専用となった。

-------6/25 加筆
エッセイストの国井さんのブログより。こちらこちらに詳細が掲載。
もうどうだろうか...10年以上かな、彼女のブログを読んでいるが、掌蹠膿疱症 (しょうせきのうほうしょう)でとても大変な生活をしていたと、いつかの記事で告白された。痛いし膿みがでるしで、良い先生がいると知れば全国を飛び、食生活から何から改善して、治療に励んでいたと。
それでも一向に治らずで、本当のこれ以上はもう改善ムリの最後の最後の唯一残ったのがマルボロメンソール、つまりたばこだったのだ。
この病気の80%が喫煙者というので、思い切ってやめたらなんと2週間で簡単に病気が治ったのだという、あんなに辛くて悩んでいたのに。まぁそれはもちろん人によるが、彼女にとっては悪さをしてたのがマルメンだったのだ。
身体が不調だとか、持病を抱えているとか、発症したとか、何かある人で喫煙者なら、一旦手放すのも良いかもしれない。それで調子がよくなったら万々歳だ。
自分もたばこを手放して、かつての辛い身体の不調はもうすっかりない....ま、それも人それぞれだけど。
ケースには思い入れのある大切なすぐに使えないジッポが4つ眠っている。

photo

2015 6/17 『スケートボード道』

30年近く前、学校から帰宅後〜晩飯食べてそして時には夜錬まで、毎日滑っていた。日曜日は朝から池袋へ、時には光が丘や所沢航空公園へと遠征に行った。

13歳のその当時、何をするにも何も楽しくなく、生きている実感を持つことができなかった頃に、自分はスケートボードに出会った。
一気に目の前の視界が晴れて、この生活が楽しい、定時制高校も入れない学力だったけども、もっと色々がんばろう!とスケートボードと勉学の両立、14歳の頃に勉強にも着手したのだ。
学年でもビリの方、偏差値は30いくつかだったけど、優等生や先生を拘束して分らないところを、というか全部だけど、徹底的に学んだ。
職員室では毎日自分の話題が飛び交っていて「あいつが変わった」と逆にえらい良い問題として賑やかだったと、だいぶ後になって当時担任だった若い女教師と実母とのその後のやりとりで、実母はそのことを知って自分に教えてくれた。
学年でも上位の方になり、結果的に偏差値は63くらいまで上げられて、絶対に私立には行けないので....無事に中堅の都立高校に進学ができた。
先生の目もそうだが、優等生やかつて所属していた素行不良グループの目、女子の目が変わったのをよく感じた。

高校では環境ががらっと変わり、新しい目標も持ち、スケートは生活からはほぼ消えて、ほとんど滑らなくなった。
大学に進学しようと懸命に勉強をするも思うように学力があがらず、とても苦戦する3年間だった。全部落ちて浪人生活が....不動車だったトライアルバイクをまずは直すことから初めて、トライアルバイクで予備校に通う毎日だ。
不思議だったが、春がちょっと過ぎた頃の模試で点と点がつながったかのように問題がスラスラ解けて、ぐんぐん成績が上がり、いつしか70になって、志望校別模試では目標にしてた芝浦工業大学ではなんと全国で2位にもなった。
で、実際の芝浦の試験は理系なのにまさかのデッサンと英語の受験に挑戦し、100倍の倍率をくぐり抜けられた。ちなみに、リンゴと花瓶だったかな....1年間で2枚描いたくらいで、デッサンの対策はとっておらず、ほぼ一発本番で挑んだのだが、それはチビの頃から絵をかくのが好きで、よく舟や電車などを図画用紙に描いたり、企業やブランドのロゴをよく模写したり、スケートボードにも絵を入れてギンギンに強くなった気分で....絵を習ったことはないが、それが19歳の春に功を奏したのだろうと。
デッサン試験は急須とプッシュ式電話を詳細に描きなさいと。急須は毎日の仏様のお供えで母が使っていたのでよく思いだして描いて、で問題なのが電話でその当時うちはまだダイヤル式の黒電話だったから、プッシュ式を感でなんとなく思いだして描いてフィニッシュ。
美大じゃないし理系の大学の試験、難題はないだろうと。で、すんごいうまい猛者はほぼいないだろうと、ある種、無謀でもあるがそんな気持ちで挑んだのも逆に気楽で良かったのかもしれない。デッサンで受かった友2人に聞いたら、美大コースの予備校に通ってデッサンを習って対策をしていたと。。

その後、大学生の頃に何回かスケートして、社会人ではちゃんと滑ることはほぼなくて、11年前に数回ほどレクチャー役でちゃんと滑ったきり。
また気持ちよく滑りたいなと、この春に整備して、5月に実に11年ぶりに滑りはじめたのだ。プッシュするだけでよろけるわ、オーリー(ジャンプ)するも、ぜんぜん飛べずもうふらっふら状態.....で、4回、5時間ほど練習して、だんだん感を取り戻し動けるようになってきた。
もうちょい脚が上がるようになればオーリーもまだ高さをだせると思うが、ケガが怖いのでムリはしないし、過信もしない。

スケートボードが沢山のことを学ばせてくれて、救ってくれたと思っている。
自分の構成要素、自分にとってスケートボードは楽しいし最高なんだけど、遊びという感覚は今でもなくて、“道”という感覚に近い。
気持ちよく滑れる生活習慣病予防スケート、良いもんです。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド
■GET RAD
■マドンナエア
■YouTube 作ってから1年半
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB

photo

2015 6/17 『旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑』

35年前、大山町に数年間住んでいたことがあって、先日懐かしさもあってこの地域をあちこち見て、歴史を調べてみた。
かつて住んでいた家2つはもうどちらも今はなくなっている。
川越街道沿いにある山中交番(現 大山交番)の横をとおる山中通り睦会にある金魚屋さんは今でも健在で、よく買ってもらっていた。
ハッピーロード大山商店街、かつてはチンドン屋がよく練り歩いていて、孔雀の羽やサトウキビもよく売りにきていて、初めて食べた時になんて甘い木なんだろうかと不思議だった。
イトーヨーカドーの火災は夜中に凄まじいほどのサイレンではっきり憶えている。可燃物が多く消火が困難で長い間燃えて全焼し、商店街はいつまでも焦げた臭いが漂っていた。

ま、それはさておき。

地図1枚目の黒い点、ハッピーロード大山商店街の横道を入ってすぐに、大きなケヤキがあって、その袂に“命”の碑があった。命?何だろうか??....
住んでいた当時、この“命”の碑の前を毎日通っていたことになるけど、まるっきり憶えていない。ひょっとしたらその当時には無かったのかもしれない。
命、意味深....比較的新しいようにみえる。
石を彫ったものではなく、コンクリートで作ったようだ。
個人のお宅の敷地内に建てられているので、このうちの方がかつてつくられたのかもしれない。

調べていくと、この“命”の碑が建っている道は旧中山道に繋がっている古道だとわかった。
その名は小松屋横丁道というのだそうで、仲宿の酒屋 小松屋の脇道が名の由来だという。
中山道 仲宿から川越街道 大山(山中)へと抜ける便利な道だったのだろう。
また、大山詣に行く人々も通ることから大山道とも言われていたと。
商店街の会長もこの碑がなぜあるのか詳しくは分らないというが、ひょっとすると鎌倉道につながる道だから目印として使われていたのかもしれないと。
旧川越街道手前の交差点、その先は鎌倉街道との交差点、たしかに道標のような、ロードサイン的なものかもしれない。
江戸時代、宿場から物資を運ぶ人々、大山詣に行かれる人々、信仰、大山で地域の人々や街道を旅する人々や馬を癒していた行者のおふくさん....何か命にまつわることも多くあったのだろうか、そういうことも関係しているのだろうか。

不思議な“命”の碑が佇むその場所その道は、かつての人々にとっては重要な道で、今では商店街の脇道となったが、住民にとってはなくてはならない生活道路として今も機能している。
そして道もアップデートしつづけている。
東京都道420号鮫洲大山線(都市計画路線補助26号線)の計画で、旧川越街道(ハッピーロード)の一部は開発で道は拡幅され、踏切をこえて東京都健康長寿医療センター前を通る道と接続、そして山手通り・R17号の交差点につながる。
それ故に、商店街はバッサリ分断されて、道も町並みもがらっと変わってしまうことになる。
この道路の開発で、かつて親しんだ大山西銀座商店街も消滅した。
一番下の地図の大谷道に商店街はあった。
幅員も広くなくてこじんまりとした商店街で、よく駆け抜けて遊んだのを憶えている。もうすっかりその姿を変えてとても残念だ。
その交差点にあった吉野家は毎晩の夕食で、嫌いになるほどだった。忙しい親だったのでそれは致し方なかったんだけど。
割ばし綿菓子をくわえて走っていて、アスファルトの凹みに足を引っかけて転倒、割ばしがノドに突き刺さり、血まみれになって田崎病院にかつぎこまれ、たいへんな手術になるために、日大板橋病院に転送されて、緊急手術。突き刺さりどこが悪ければ早死にしてたかもしれなかった。

とまぁたくさんの思い出が詰まっている町、たまに寄ってみるととてもいいもので、地域史を調べてみると昔と今、点と点がつながって、ご縁があって今があるのだなと驚くことが多い。

【過去記事】
■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
■復活 上野清水観音 堂月の松
■上野東照宮
■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
■上野公園 時忘れじの塔
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■近藤勇と新選組隊士供養塔
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■板橋区仲宿 文殊院 子の権現
■板橋遊郭 新藤楼
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 重蓮寺跡 参道
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道
■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■中仙道か中山道か
■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
■加賀藩と黒作り
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
■加賀藩前田家の駕篭
■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚跡
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔
■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
■練馬区 ふじ大山道
■清戸道の名家
■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
■新宿に縄文人現る
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
■切支丹屋敷跡地からシドッティ
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
■田端 東覚寺 赤紙仁王
■本郷肴町 棒兼
■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■巣鴨遺跡 町屋跡
■庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
■北区十条四軒道路にある出桁造り
■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
■北区王子3・4丁目の出桁造り
■北区王子本町の出桁造り
■目白通りにある出桁造り
■渋谷川 庚申橋供養碑
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
■JR貨物北王子線と廃線跡
■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
■北区中十条3丁目の出桁造り
■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
■本郷追分と追分一里塚跡
■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■電話番号の表札
■谷中、上野桜木の出桁造り
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
■北区西ヶ原の出桁造り
■文京区根津の出桁造り
■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■滝乃川学園跡
■西池袋 自由学園明日館
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック
■江戸城 松の大廊下跡
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
■経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
■同潤会 上野下アパート
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り
■駒込名主屋敷
■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
■護国寺惣門
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
■北区上十条2丁目の出桁造り
■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地

photo2015 6/11 『東池袋』

サンシャインや造幣局の裏あたりの東池袋4−5丁目は開発の真っただ中。
とても細い路地が入り組んでいて、住宅がひしめき合っている。
ここは空襲でも焼けずに残ったために、昔ながらのそのままの状態が残っているという。
空き家も放置されているし、ひとたび火が出るととても大変な地域だ。
都電の線路際にはこれから高層のマンションがあちこち建つ予定だという。

そんな東池袋4−5丁目、中央図書館は新しいビルの中4−5階に移転して、とても立派になっているが、いかんせん通常はEVのみでしかアクセス出来ないのが使いにくい。こういう新しいビルはしょうがないけど、階段は非常時に使うものになっているので、立ち入り禁止の貼り紙が。
EVが地震で止まっちゃったらイヤだからなんだけど、7階くらいだったらあまりEVを使わない。東日本大震災以降、特にそう意識するようになった。
先日の立て続けに大きな地震が起きたが、六本木ヒルズ 森タワー 52F、EVが止まって来場者がしばらく下りることが出来なかった。非常階段も安全が確認できないから使えないというなんだか意味がないことが起きた。
EVに1−2時間も閉じこめられるのはほんとゴメンだ。

話がそれたが、東池袋5丁目に日の出優良商店会があってその中に『ミート&デリカ なりたや』さんがある。食べログ
ココは庶民の味方....久しぶりに通ったら、ショウケースに佇むブラウンなぶ厚いビジュアルの 名物だという 黒毛和牛入りメンチは、なんとおどろきの50円!と目に入る....えっ?!と立ち止まる....そりゃ頂きますよね。ずっしり重くてさらにびっくり。
商店会の活性化、街の再開発で大変なことが多くあるのだろうか、抗う強い意思のような想いを感じて。
って、そりゃそうだ、肉肉しいぎっちりなメンチではなかったけど、これはこれでヘルシーな味がして美味しかった。

そして、東池袋一丁目はブランズウイック付近(ボーリング場などが入った複合施設)、ビルしかなくて人通りも激しくて、特に若い子らがたくさん闊歩する通りに、ただ一軒だけ一戸建て住宅が建っている。
周囲は立ち退きだと思うが、駐車場になっていて、住宅へは10m以上の長いアプローチを通らないとならず、緑が印象的だ。
もちろん現在も生活をされている。
池袋駅前にまだ闇市がどっさりあった頃からおそらくお住まいなのだろう。
なんだか力強さを感じて、いつまでもお元気でといつも思って通る。

豊島区役所も移転し、今後は造幣局も移転しまた町の姿が変わっていく。
よく買い物に行っていたスポーツアパレルのBODY MAKER池袋店が撤退して不便になったが....
なにかと物騒な事件も多い池袋だが、中心よりちょいと外れたところにとても良いものがあります。

photo2015 6/8 『検査』

ワシがかつてチビだった頃、朝一で四つんばいでケツを実母差し出し、青いフィルムを転写....妙に恥ずかしかったのを憶えている。
検査にひっかかる子らは、虫くだしのチョコを食べるのが日課になるのだ。
30年以上前、毎日遊んだ砂場にはブラウン地雷がどっさり潜んでボクらを攻撃してきた。それはそれはしょっちゅうキャッチしたもんだ。
夜、銭湯できれいになろーぜ!と徒党を組んで団地の横道を闊歩して、たびたび大きめワンコか?の巨大なのを踏んで、縁石や小石を巧みに使い除去し、公園の蛇口でうまいことソール部分だけに水を当てて総仕上げだ....って言っても、帰宅すると顔を歪めて「あ”ぁ〜踏んだなぁ〜お前!」と実姉。帰宅した実母はそんなのを見てクタクタ顔、今でも忘れない。
...今の公園の砂場にはフェンスが張り巡らされて、小動物は、ってもほぼ野良ニャンコだろうが、だいたい立ち入りができなくなっている。校庭にある砂場にはシートがかけられてディ〜フェンスをしている。何でもかんでも抗菌抗菌の時代、これからはもう青いフィルムは消滅するという。
今でも忘れないこのふざけた天使の笑顔を、ありがとう。

photo

2015 6/9 『東池袋遺跡』

案内チラシより引用...

現在のあうるすぽっと周辺は東池袋遺跡として、豊島区の遺跡に指定されています。
この東池袋遺跡は、江戸時代のはじめ頃の旗本中西家の屋敷地をおおむねその範囲としていますが、1719年(享保4)に屋敷地は東西に分割され、「御鷹方御役屋敷」が1864年(元治元)まで設けられました。
屋敷地が分割された享保年間といえば、徳川吉宗が将軍となり鷹狩を盛んに行うようになった時期です。
文献資料によれば、この屋敷地には、20戸前後の鷹匠の屋敷と、鷹匠同心の長屋が建っていました、
鷹を飼育している「御鷹部屋」は、現在の雑司ヶ谷霊園にあり、職場として住まいは区別されていました。
東池袋遺跡では、これまで幾つかの発掘調査が行われていますが、主なもの簡保検診センター地区、東池袋4丁目再開発地区の2つです。
これらの発掘調査では、御鷹方の屋敷地であった時代の遺構や遺物のほか、旧石器時代や縄文時代の遺物もみつかっています。

....地図をみると、広大な屋敷があったのはグリーン大通り、豊島岡女子学園、東京福祉大学池袋キャンパスらへんのようだ。
写真撮ってしばらく見続けていたら、人だかりが。
若いパパママさんが、覗き込んで「めっちゃ色ちがう!」って。

かつて、東急ハンズ裏あたりから水が溢れ出し、東池袋から護国寺そして神田川へと水窪川が流れ、メトロポリタンホテルあたりから水が溢れ出し、雑司ヶ谷をから護国寺そして神田川へと弦巻川が流れていた。台地を流れる川のそばにホモサピエンスが集り生活を営んでいた。
開発で区役所にタワマンが立ち並び、ガラッと姿を変えた地域だが、縄文時代から現在まで、ココら辺はとても住みやすいということだ。

【過去記事】
■谷端川(源泉から池袋本町)
■谷端川 2(池袋本町から小石川)
■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
■谷端川のお多福弁天
■谷端川 田楽橋の橋桁
■谷端川 大塚にある瀧不動
■谷端川下水道幹線 SPR工法
■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
■池袋富士塚と池袋貝塚
■池袋東貝塚遺跡
■石神井川 河川争奪
■かつての石神井川
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
■石神井川 金剛寺にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
■北区滝野川 金剛寺 冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
■石神井川 板橋いこいの森
■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・木タキ
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■昭和の石神井川
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■霜降銀座 古石神井川と谷田川
■石神井川 沼
■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
■石神井川の付け替え
■石神井川 東宮降誕植桜之碑
■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神
■飛鳥山公園 飛鳥明神 飛鳥山の隠れ狛犬
■王子七滝 名主の滝
■王子七滝 王子 権現の滝
■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
■王子十六滝 現存するのは名主の滝のみ
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋)のトンネルの湧水
■逆川(古石神井川の流路)
■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
■石神井川上流 下野谷遺跡
■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■北区 中里遺跡出土丸木舟
■板橋区 根ノ上遺跡
■板橋区 稲荷台遺跡
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
■赤羽自然観察公園の湧水
■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水
■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■田柄川の水源と茂呂遺跡
■田柄川 石神井川との合流地点
■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
■池袋の川 弦巻川
■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
■豊島区の湧き水と池
■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川の崖)
■東池袋遺跡
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
■板橋区 赤塚不動の滝と大根
■板橋区泉町 出井の泉跡(出井川)
■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区若木 中台馬場先貝塚
■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■板橋区大山西町の用水路
■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
■分水嶺、千川上水調節池跡
■千川上水 喜内古屋水車跡
■千川上水 水神様
■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■巣鴨遺跡 町屋跡
■庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢家
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■玉川上水
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
■渋谷川 氾濫危険水位
■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
■河骨川(春の小川)
■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
■穩田川(渋谷川)の支流
■渋谷川 庚申橋供養碑
■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
■鎌倉街道 中道 並木橋
■猿楽古代住居跡(代官山)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■目黒元富士跡 上目黒1―8
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘
■池袋富士塚と池袋貝塚
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■豊島長崎の富士塚
■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
■駒込富士神社と古墳群
■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
■北区赤羽北 稲成の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
■秋葉原 神田柳森神社 力石
■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
■新宿区 赤城元町の崖
■神楽坂ラン 赤城坂
■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
■新宿歴史博物館
■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
■豊島区 のぞき坂
■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
■墨田区 都立横網町公園
■本郷給水所公苑
■東京都水道歴史館
■椿山荘 古香井
■東京の坂道 文京区白山 網干坂
■北区西ヶ原 熊野坂
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
■北区赤羽西 真正寺坂
■北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標
■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
■文京区小日向 茗荷坂
■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
■消える富士見坂と豆まき
■消えた日暮里富士見坂
■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■板橋区・北区 御代の台
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
■北区岸町 三平坂

photo 2015 6/8 『運動を兼ねた日曜日の買い物』

日曜日、朝一でウォーキングで家電屋へ。
実家のエアコンが壊れたので、なるはやでとの連絡、代わりに見て買って欲しいと。
3つ見てまわってよーく話を聞いて、連絡とってその製品でいいと了解を得て、一旦家へまたウォーキングで戻って、途中でムラサキでスケートボードに使う部品を買って、帰宅。
で、駅まで荷物ピックアップして、今度は電車で家電屋へ。
3日後に工事OKとのこと。
買って、お会計....これまた時間がかかって。
その足で、今度はシーリングライトを買って、デパ地下で甘エビとメバチマグロとビンナガマグロとメンチカツを買って、クタクタ気味で電車に揺られ帰宅。

遅い昼メシを食べて、ここからは別行動で妻は結局、工事当日に業者に渡さないとならない券を渡しに電車にゆられて実家へ。
自分はスケートボードを組み直して....足りないビスを買いにホームセンターへ。
買いに行く途中に、図書館へ“アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人”を返しに。前に借りてた人が一ヶ月返却してくれなくて、待ちに待って....って、この本、4時間で読み終えたけども。なかなかおもしろい本だったけど、アメリカのプリズンはめっちゃくちゃなんだと信じられない内容だった。
で、走って向うこと4km、ホームセンターに到着。
5本欲しかったビス、この手のことはよくあるけど、4本入りで結局8本買うことに。ナットは要らないんだけどセット売りなんですよね。。DOITだったらバラ売りで買えるんだけど。

で、帰路へ。
運動を兼ねる買い物はいいものです。
時間を有効に使える。

レモンサワーを飲みながらスケートボードを組んで。
飲まなきゃ滑れるけど、優位はノドを潤すことだわな。
脚に優しい仕様で滑るのが楽しみだ。

そうこうしているうちに晩飯だ。
甘エビ30尾とメバチとビンナガが¥1000という、日曜日のタイムサービスはめちゃくちゃ安くていいもんだ。
たまにビンナガを食べたくなるんだよなぁ。
とても美味しかったなぁ〜

この日はウォーキングを約7−8km、ランニング9kmで、いい運動になった。

2015 6/4 『古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)』

板橋区 川越街道、日大病院入口交差点にバス通りとはさんだ狭小地にほそ〜い建物がある。
その右側に細い道があって、それが鎌倉道で椎名町道ともいわれ、古くから人々が使ってきた古道だという。あちこちにある古道は今でも不思議と人通りが多く、住民にとっては今でも便利で主要な道だということなのだろう。
その名のとおり、昔は鎌倉までつながっていた道で、豊島区椎名町駅や南長崎と板橋区大山〜石神井川を渡って〜小豆沢〜北区赤羽〜へと続く。
この鎌倉道が石神井川を渡る橋が本来の板橋だという説もあり、山中橋という。山中橋から下流へ10番目が旧中山道にかかる現在の名所 板橋だ。
川越街道の日大病院入口交差点付近(パッピーロード大山商店街の川越街道側入口あたり)、現 大山町・中板橋・栄町・仲町の一部の地域をかつては山中と呼んでいて、板橋宿(上宿、仲宿、平尾宿の3つで構成。)の仲宿と平尾宿は、この山中という地域の農家の次男や三男がかり出されて移り住んでつくったという。
山中と言われていた地域は旧川越街道と鎌倉道、大山道(大山詣で人々が通った道)と交わっていたために賑わっていたという。
あっちへ行く人、こっちへ行く人....かつても今も、渋谷のスクランブル交差点もそう、それは変わらず人々があつまりわかれる要衝だ。
幼い頃に何年かこの山中地域、現 大山町に住んでいたのでとても懐かしくて、当時を思いだしてあちこち巡って歴史を調べてみた。
地図1枚目:鎌倉道と黒線で囲まれた地域は山中、地図2枚目:椎名町道 約3km

先日この鎌倉道(椎名町道)を通ってみた。
A地点の日大病院入口交差点からスタートし、C地点は毎日遊んでた大山の交通公園で、かつて流れていた千川上水を椎名町道は渡っていて、そこはかち橋と言われていたと。兵隊さんの訓練にもよく使われていたようで、兵隊道とも言われて、このかち橋で大砲を落としたと伝えられている。
D地点は豊島長崎の富士塚があり、国指定重要有形民俗文化財に指定されていて、とても立派だ。
E地点は要町通りを渡るところで、出桁造りの立派な商家が建っていて、古道ならではの風景だ。
そしてF地点には御嶽神社があり、終点の椎名町駅前には長崎神社がある。
古道の特徴である微妙な幅員と出桁造りや比較的立派な造りの木造住宅、そして神社や寺が面している。
古道は一方通行のところも多いので、自転車や徒歩で通る方が便利だけども、なるほどなぁ〜こんな細い道をたどっていくとこんなところまで繋がっているんだ、便利だなと、なんだか感慨深いものがある。現代の裏道的に思うし、実際に裏道?抜け道なのかもしれないが、インフラ好きにはそれにも魅力を感じる。

photo

【過去記事】
■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
■復活 上野清水観音 堂月の松
■上野東照宮
■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
■板橋区東山町 板橋城跡 赤塚城跡
■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
■仙がい義梵(仙p和尚) 東輝庵
■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
■上野公園 時忘れじの塔
■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
■墨田区 都立横網町公園
■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
■近藤勇と新選組隊士供養塔
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■板橋区仲宿 文殊院 子の権現
■板橋遊郭 新藤楼
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏
■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 重蓮寺跡 参道
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
■旧中山道はタネ屋(種屋)街道
■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■中仙道か中山道か
■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大山町山中通り商店街(大谷道) 補助第26号
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■都電庚申塚駅 延命地蔵堂の石造物群
■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
■東京第二陸軍造兵廠の石碑
■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
■加賀藩と黒作り
■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
■加賀藩前田家の駕篭
■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚跡
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
■体の中にいる虫 旧川越街道にある青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔
■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
■練馬区 ふじ大山道
■清戸道の名家
■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養
■新宿に縄文人現る
■日本人のルーツ
■縄文人の核DNA解析
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り 米屋伊勢五などの出桁造り
■切支丹屋敷跡地からシドッティ
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
■田端 東覚寺 赤紙仁王
■本郷肴町 棒兼
■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
■現存する都内の一里塚
■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■巣鴨遺跡 町屋跡
■庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
■北区十条四軒道路にある出桁造り
■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
■北区王子3・4丁目の出桁造り
■北区王子本町の出桁造り
■目白通りにある出桁造り
■渋谷川 庚申橋供養碑
■王子稲荷神社 御石様
■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
■JR貨物北王子線と廃線跡
■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
■北区中十条3丁目の出桁造り
■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
■本郷追分と追分一里塚跡
■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
■電話番号の表札
■谷中、上野桜木の出桁造り
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区前野町 常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)
■北区西ヶ原の出桁造り
■文京区根津の出桁造り
■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■滝乃川学園跡
■西池袋 自由学園明日館
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック
■江戸城 松の大廊下跡
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
■経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
■同潤会 上野下アパート
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り
■駒込名主屋敷
■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
■護国寺惣門
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
■北区上十条2丁目の出桁造り
■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地

photo

2015 6/2 『新宿歴史博物館』

今日6月2日は本能寺の変が起きた日。
諸説あるが、他者の気持ちが分らないサイコパスだったのだろうと言われる信長に対して、原因は様々あるだろうが、これ以上は生かしておいてはだめだという気持ちがあったのだろう。
信長も秀吉も戦戦の連続で、いつあいつに殺されるか、身内にいつ寝首かかれるかで、頭がおかしくなってきたのだろう。

ま、それはおいといて...

新宿歴史博物館に縄文人のガイコツを見に行った時に、常設展示もついでに見た。
なかなか立派な展示、施設で見応えがあった。

新しい宿場として、栄えた内藤新宿。
一番上の写真は江戸時代の現在の新宿三丁目交差点と甲州街道ふきんのジオラマだ。
T字の交差点が現 新宿三丁目交差点で縦に通る道が現 明治通りだ。
かつての甲州街道は新宿三丁目で90度曲がっていた。
それはジオラマからもわかるが、江戸市内に供給していたとても貴重な上水は、少しでも低いところを通さないと水が流れないので、本当は真っすぐに道を通したかったけども、玉川上水があるために甲州街道が道をゆずったかたちになったのだ。ジオラマの縦の道と玉川上水のV字部分は現 FOREVER 21 が入居するビルで、かつての京王電鉄の新宿駅はここにあったと。

江戸時代の新宿の商家は火に対して強いつくりが奨励されていたと。
一番こわいのは火だからだ。

昭和6年製造のチンチン電車。
内装は木でできている。

文化住宅。

昭和初期に急速に発達した新宿駅周辺の風俗と娯楽の展示も。
自分よりも上の先輩にはとても懐かしいコーナーだ。
60歳前後の手を繋いだ仲の良いご夫妻が懐かしいと連呼していた。

受付の横には往年の名車である小田急ロマンスカーの座席と運転席が展示。
運転席に座ってみたが、中肉中背の自分でもとても小さく、窮屈に感じた。
運転士は大変だっただろうなと思った。たぶん皆身体は大きくない運転士だったのだろうと。
小学生の頃はまぁ〜よく小田急線に乗ったなぁ。
妙に懐かしかった。

と、なかなか立派な施設、大企業も多いし、どでかい繁華街もありますしね、新宿区はお金持ちだなと後にした。
新宿区の歴史は縄文時代から江戸時代から現在まで、見どころ満載なので、とてもおもしろい。
新宿歴史博物館、いいとこです。

【過去記事】
■谷端川(源泉から池袋本町)
■谷端川 2(池袋本町から小石川)
■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
■谷端川のお多福弁天
■谷端川 田楽橋の橋桁
■谷端川 大塚にある瀧不動
■谷端川下水道幹線 SPR工法
■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
■池袋富士塚と池袋貝塚
■池袋東貝塚遺跡
■石神井川 河川争奪
■かつての石神井川
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
■石神井川 金剛寺にある板松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
■北区滝野川 金剛寺 冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
■石神井川 板橋いこいの森
■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・木タキ
■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
■板橋宿 上宿跡はスラム街になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
■昭和の石神井川
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
■霜降銀座 古石神井川と谷田川
■石神井川 沼
■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
■石神井川の付け替え
■石神井川 東宮降誕植桜之碑
■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神
■飛鳥山公園 飛鳥明神 飛鳥山の隠れ狛犬
■王子七滝 名主の滝
■王子七滝 王子 権現の滝
■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋)のトンネルの湧水
■逆川(古石神井川の流路)
■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
■石神井川上流 下野谷遺跡
■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■北区 中里遺跡出土丸木舟
■板橋区 根ノ上遺跡
■板橋区 稲荷台遺跡
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
■赤羽自然観察公園の湧水
■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水
■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
■文京区千駄木 大聖寺藩下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
■田柄川の水源と茂呂遺跡
■田柄川 石神井川との合流地点
■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
■池袋の川 弦巻川
■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
■豊島区の湧き水と池
■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川の崖)
■東池袋遺跡
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
■板橋区 赤塚不動の滝と大根
■板橋区泉町 出井の泉跡(出井川)
■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
■板橋区若木 中台馬場先貝塚
■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
■板橋区大山西町の用水路
■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
■分水嶺、千川上水調節池跡
■千川上水 喜内古屋水車跡
■千川上水 水神様
■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■巣鴨遺跡 町屋跡
■庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢家
■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代の巣鴨
■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
■玉川上水
■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
■渋谷川 氾濫危険水位
■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
■河骨川(春の小川)
■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
■穩田川(渋谷川)の支流
■渋谷川 庚申橋供養碑
■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
■鎌倉街道 中道 並木橋
■猿楽古代住居跡(代官山)
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■目黒元富士跡 上目黒1―8
■内藤新宿 天龍寺の時の鐘
■池袋富士塚と池袋貝塚
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■豊島長崎の富士塚
■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
■駒込富士神社と古墳群
■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
■北区赤羽北 稲成の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
■秋葉原 神田柳森神社 力石
■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
■新宿区 赤城元町の崖
■神楽坂ラン 赤城坂
■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
■新宿歴史博物館
■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
■豊島区 のぞき坂
■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
■墨田区 都立横網町公園
■本郷給水所公苑
■東京都水道歴史館
■椿山荘 古香井
■東京の坂道 文京区白山 網干坂
■北区西ヶ原 熊野坂
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
■北区赤羽西 真正寺坂
■北区滝野川 狐塚の坂と岩屋弁天・正受院(滝不動)への道標
■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
■文京区小日向 茗荷坂
■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
■消える富士見坂と豆まき
■消えた日暮里富士見坂
■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■板橋区・北区 御代の台
■北区中十条(東十条) 地蔵坂
■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔
■北区岸町 三平坂