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2020 3/17 『東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10』

5年前の記事から引用----------------
3/15(日) 10時05分〜10時53分
---震災直後、東北は激しいガソリン不足に見舞われた。
そこで新潟経由で郡山に石油を運ぶ案が浮上。使うのは旧式の大型ディーゼルカー。_
担当機関士は定年直前のベテランや旧式機関車に経験の無い若手ら。
保線担当は80箇所近い線路の修復を4日間で完了する。
ようやく出発した一番列車。
しかし雪の急坂で立ち往生してしまう。それを救ったのは・・・。郡山にガソリンを運ぼうと困難に立ち向かった鉄道マンたちの証言記録。
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あの日から9年が経った....1波の揺れに耐えて、ダッシュで階段を駆け下り、バイクのエンジンをかけて、家族の元へとアクセルをひねり、2波だったか、地面が大きく揺れてバイク共々転倒しそうになったけど持ちこたえて、とにかく急いだ。
TVも吹っ飛んだめちゃくちゃな室内に、辛い病を抱えた家族が居た。家具などの転倒にも遭わずにヘルメットを被って椅子に座っていた。
それからは眠れぬ晩をいくつも過した。
つい最近のことのように憶えている。

油がすぐに無くなったというニュースを連日目にして、何とかならないかと思っていたところ、被災した太平洋側ではなく山を越えて、日本海側経由で油の輸送が始まった。よし!うまくいってくれと! と食い入るようにニュースなどを見ていた。
お世話になっているご自身が電気機関車のようなボディのお友達であり先輩が、この時に貨車タキをたくさん引っぱって運転していた。
via....JR貨物の意地を懸けた緊急燃料輸送列車。東日本大震災石油輸送振り返り
雪で立ち往生した時にケツ持ちをしたのが、一番下のDE10だったと。

←アスペクト比が16:9とかではないので昔の映像....だいぶ昔にデアゴスティーニから鉄道ファイルコレクションだったかな?DVD付きの雑誌が発売されていた。確か第一弾がDD51というディーゼル機関車だった。
この油で走る機関車の登場によって、世代交代となって蒸気機関車が次々と姿を消していった。蒸気機関車好きな方には憎き機関車だろう。
しかし、全国あちこち電化されていく中で、今度はこのディーゼル機関車が電気機関車に取って代われていくようになり、今では貴重な機関車となっているという。
しかし、架線を通すことが出来ない地域や場所など、ディーゼル機関車は今でも活躍していると・・・・そんな内容のDVDだった。ディーゼル機関車には興味がなかったが、このような内容だったので、すごいな、たくましいなこの機関車と思ったもので。

一番上のNゲージのタキは、だいぶ昔に友から貰ったもので、40年近く前の製品....他にも色々貨車を貰ったけど、このタキだけはなぜか手元に置いておこうと思って今でも大切にしている...他の貨車たちは友の息子に全部あげたら喜んでくれた。

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2020 3/13 『北区岸町 三平坂』

地図の名主の滝公園に沿ったクランク状の坂道が三平坂。
三平坂の下から高低差約18mを上ると武蔵野台地(十条台)となる。

案内板より引用----------------------
名主の滝公園の北端に沿って台地へ登る曲がりくねった坂道である。
坂名の由来は、江戸時代の絵図にある三平村の名からとも、室町時代の古文書である十条郷作人三平の名からともいわれている。
農家の人が水田へ下る遍路であったが、名主の滝への道としても利用されたようである。
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【過去記事】
王子七滝

ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2020 3/12 『免疫力を高めて』

今日の深夜にパンデミックが宣言された。
この一ヶ月の推移をずっとチェックしてましたが....

今回のウイルスはとても怖いと感じたので、皮膚が弱く免疫力が低い家族に、マスクとアルコール手拭き、使い捨てのビニル手袋も1月に用意して備えていた。これで回避できるかはどうにもこうにも分らないが、とにかく手洗いをこまめにすることと伝えている。
これから病や経済などどうなっていくのだろうか。。

テレワークが可能な方は籠ってデスクワークにつとめていることは、とても良い環境。
街は人手がぐっと減り、人混みをなるべく避けてランニングを...お持ち帰りの焼き鳥を片手に“おうちへ帰ろう”家飲みの方も今は多いことだと思う。
ランニングをしていると、広場にはたくさんのちびっ子が元気よく遊んでいる。

免疫力を高めてディフェンスを。
中国人が大量のふりかけをグラブしてレジへ進行していったが、本国へと送るのだろうか。

さて、一番下の炊き込みご飯は、舞茸とシメジ丸ごと一房、油揚げに人参にファミマのボリュウムがある焼き鳥ももタレもインして。
下から二番目、サニーレタスチャーシュー味風炒飯はよくできている冷凍のに、メンマとチャーシュー風の味付けをした豚小間と卵にサニーレタスと少し白飯をインして炒める.....仕上げに松屋の紅生姜を。

よく食べよく動きよく寝て免疫力を高めて。
普段から亜鉛とタウリンはよく摂っているのもよいことなのだろうか。
ただ年齢を重ねると、睡眠時間がぐーんと減るのが難で。。

糖質制限はほぼしない。
食ったら走れ。

大事にならないように祈るばかり。

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2020 3/11 『北区上十条2丁目の出桁造り 木田酒店』

地図の黒丸部分にある酒屋が出桁造り。
1925年(大正14年)創業とのことで、築95年の堂々たる姿ではあるが、正面向って右側が部分のコンディションが悪くなりつつあるようにみえる。
この酒屋部分は補助第73号線の整備に引っかかるように思われるが、今後立ち退き解体となるのだろうか。
周辺や十条駅前は去年一昨年あたりから閉店立ち退き解体が進み、今年から一気に進んでいる。

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2020 3/10 『北区 中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>』

地図の黒丸部分に地蔵坂の子育地蔵尊がある。

案内板から引用--------------------
地蔵坂の子育地蔵尊

地蔵堂は、以前は地蔵坂の中腹にありましたが、昭和六年(一九三一)の下十条駅(現東十条駅)開通、昭和十二年の道路拡張により現在地に移されました。
地蔵堂の中には、大小の地蔵尊と二基の石像が納められています。
このうち、中央の大型の地蔵尊(高さ九五センチ、丸彫立像)が子育地蔵尊です。
背面に「世話人 弥八、願主 善光」と刻まれています。本地蔵尊の建立年代は不明ですが、安永二年(一七七三)成立の『新編江戸誌』には「地蔵坂 往古ハ此坂の辺に地蔵尊ありしゆへに名つく」とあり、江戸時代には地蔵尊が存在していたことがわかります。

地蔵信仰は、平安時代中期以降、子どもを守護し身近な願いをかなえるものとして全国的に広まりました。
本地蔵尊は、北向きに供養され、家内安全と子どもの健やかな成長を祈願する方々のお参りが絶えません。
昭和四八年に地蔵堂を寄進した高木家と近隣の有志によつて子育地蔵尊奉賛会が結成され、毎年九月二四日法要が行われています。
地蔵堂の前面には、「当主 願主 高木兵助」の名が刻まれた花立と、寛政三年(一七九一)の文字庚申塔があります。
[左側面]武州豊島郡下十条邑 請中
     寛政三庚亥三月吉日
[正面]庚申塔
[右側面]右より練馬みち
     左より豊島みち

平成三十年三月
東京都北区教育委員会
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<北区の古い道とみちしるべ>より引用ーーーーーーー

練馬道(豊島練馬道)

豊島の方から西に進んで地蔵坂を登り、日光御成道を横切ってさらに西進し、王子稲荷道に合いする道で、練馬への通路として利用されたので練馬道と呼ばれたようである。
この道の地蔵坂下の一部は明治以降、工場用地となったために昔の道筋が失われてしまった。
残っている旧道は昔ながらの狭い道幅であるが、低地でも台地でも、それぞれ賑やかな商店街に変貌して繁栄を続けている。恐らく昔は田圃道に続く細道という淋しい野道だったと考えられるので今昔の感が深い。
この道の道標は、現在地蔵坂上の子育地蔵の祠堂の前にあるが、その本体は寛政三年(一七九一)造立の角柱型文字庚申塔で、向って左の側面に二行に分けて「右練馬みち」「左豊島みち」と彫ってあり、この道の両端の行き先を示している。旧位置は恐らく日光御成道との交差点のあたりではなかったかと考えられる。(2021年5月18日加筆)
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案内板はつい最近、平成三十年三月に設置したと。
昔からこの地蔵堂はよく目立つ立派なもので、ずっと大切にされてきている。

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一番下の写真を追加

2020年8月3日 写真追加


【過去記事】
北区 中十条(東十条) 地蔵坂

【過去記事】
東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
JR貨物北王子線と廃線跡

上記もあわせて。

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2020 3/9 『北区 中十条(東十条) 地蔵坂』

案内板から引用--------------------
江戸時代の地誌「新編武蔵風土起稿」には「地蔵坂 往還ヨリ東二丁程ニアリ」との記載がみえます。
往還とは、日光御成道のことで、この坂を上っていくと日光御成道につきあたりました。
坂名はこのあたりに地蔵尊があったことに由来します。
現在の地蔵堂は、東十条駅の開設にともなう跨線橋の設置や道路の拡幅により今の位置に移転したものです。
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JR線が通る低地から武蔵野台地を上がる坂はいくつもあるが、東十条駅前の坂のうちのひとつの坂は、かつて坂下に子育地蔵があったので地蔵坂といわれ、現在は坂の上に移設されている。
一番上の黒丸部分とその下の重ね地図というアプリの黒丸部分で、高低差が15mくらいはあるだろうか。急坂となっている。

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「江戸名図誌」には「地蔵坂 往古この辺りに地蔵ありしゆえに名づく。」とあり、また「遠藤塚、地蔵坂の辺りにありしとぞ。天正の頃この所の城主遠藤何某の墳(つか)なり。大森松しるしとして塚の上のありしを、近世松を切とり臼としなし、墓こぼちて畑とかはり、今は跡もなし。名のみ残るといえども所のさだかならずとなり・・・」とある。

夕焼の坂の小道の石地蔵面も赤し胸も赤しも 太田水穂

『生きている江戸の歴史 東京の坂道 石川悌二』より引用
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余談だが、駅前の跨線橋も立派な鉄橋です。

【過去記事】
東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
JR貨物北王子線と廃線跡

上記過去記事もあわせて。

ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2020 3/6 『東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡』

東京第一陸軍造兵廠(とうきょうだいいちりくぐんぞうへいしょう)は、大日本帝国陸軍の陸軍造兵廠のひとつ。略称一造。主に東京都北区十条にあった本部を指す。すぐ隣の板橋側は東京第二陸軍造兵廠となっている。wikiより
この近辺(北区、板橋区に渡って)には多くの軍事工場があり、各施設は鉄道で結ばれて物資を運んでいたという。
電気鉄道は狭軌よりも狭く、トロッコ電車、チンチン電車とも言われていたと。詳しくはこちらのサイトを。
故に、この付近にはあちこちに遺構が現存している。

地図の黒丸部分、南大橋の下にちんちん山児童公園があり、トンネルの石積みの一部が保存されている。
頂部の要石が何かのマークになっているのは、陸軍のものなのだろうか。
園内にある説明板に、ちんちん山のトンネルのことが描かれているが、このアーチなのだろう。
自分が高校生の頃、 一番下の昔の航空写真というアプリをみると、1989年にはまだ南大橋は完成しておらず....岸町(この一帯)に住んでいた友が、昔トロッコ電車が通っていたんだってよ、トンネル跡もあるんだよと、聞いたことがあったが、これのことだったのだろうか。ふと思った。
余談だが、ここの周辺は武蔵野台地の縁なので、今でも台地から湧水が溢れ出ているところがいくつかある。

【過去記事】
東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
JR貨物北王子線と廃線跡

上記過去記事もあわせて。

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2020 3/5 『東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座』

東京第一陸軍造兵廠(とうきょうだいいちりくぐんぞうへいしょう)は、大日本帝国陸軍の陸軍造兵廠のひとつ。略称一造。主に東京都北区十条にあった本部を指す。すぐ隣の板橋側は東京第二陸軍造兵廠となっている。wikiより
この近辺(北区、板橋区に渡って)には多くの軍事工場があり、各施設は鉄道で結ばれて物資を運んでいたという。
電気鉄道は狭軌よりも狭く、トロッコ電車、チンチン電車とも言われていたと。詳しくはこちらのサイトを。
故に、この付近にはあちこちに遺構が現存している。
【過去記事】
東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
JR貨物北王子線と廃線跡

地図の黒四角部分に電気鉄道(トロッコ)の跨線橋の台座の遺構がある。
明治38年のものだと。上記リンクのサイトに貴重なかつての写真も掲載されています。
この跨線橋を通って、赤丸部分の現 加賀公園先にある陸軍板橋火薬製造所跡に繋がっていた....上記過去記事も参照に。
一番下の“旧東京第二陸軍造兵廠火薬研究所 近代化遺産群調査報告書”も読んでみると詳しく分ってきます。
水(石神井川)と火薬製造は密接....当たり前ですが。

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2020 3/4 『王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱』

石神井川の王子神社付近で堰をつくり(現 音無親水公園)、東へと引いた用水路を石神井用水という。王子から日暮里へは武蔵野台地の縁、鉄道に沿って流れ、三ノ輪付近でいくつかに分れて流れていた。
その石神井用水で北側に分水されるのが、根村用水(稲付川、中用水、北耕地川とも言われる)と上郷用水。
【過去記事】
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
王子稲成神社 御石様

この上郷用水に架かっていた橋が“三本杉橋”で、名のとおり袂に三本の杉があったという。
地図の赤い表示の“現在地”に、三本杉橋の親柱が保存されているが、特に説明はない。
写真三枚目、二手に分かれた道方向にかつての流れであった石神井川(現 音無親水公園)が流れていてたので、この道が上郷用水跡なのだろうか。
写真四枚目は権現坂の上り方向、五枚目は下り方向をみる。
一番下、歌川広重 名所江戸百景 “王子音無川 堰堤世俗大瀧ト唱”(おうじおとなしがわえんたいせぞくおおたきととなう)は、現在の音無親水公園の少し上流にあった王子大堰を描いたものだという。

ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2020 3/2 『暑かった日曜日』

半袖短パンのちびっ子が出現したり、Tシャツ姿の兄ちゃんを何人も見た今週の日曜日....着替える時に何度もバルコニーに出て、ウエアのチョイスチェックを。
というのも、この時季の暖かいような寒いような日は、ずーっと速く走っていれば、少しの薄着でも良いんだけど、あちこちうろつくようなジョグだと、じっとり汗をかくわ、冷えるわ、暑いわ寒いわで、ウエアのチョイスが難しいんです。

副都心のパークは、ファミリーや恋人たちがたくさんで賑やかだった。
色々と思いながらパークを後にし、あちこち寄ってローカルのパークへ。
スポドリを飲みながらでちょうど良しの散歩ジョグ....三日ぶりのサワーを一杯引っ掛けて休憩していると、2〜3際くらいのちびっ子が笑顔で真隣に座って来て、何となくのお話を。どこかの何かに興味を持ったのだろうか。

そして晩飯は、好きなショップに食べに行くのが面倒なので、ファミマの冷凍醤油ラーメンを。
チャーシューがないので、冷蔵庫にあったエリンギを醤油1酒1みりん1で炒めて、コク出しを....これがなかなかおいしい味になるんですよね。大盛りチャーシューならぬ、大盛りエリンギってのもいいかも。
そして+100ccの水と、ほうれん草にメンマ増しで丸ごと卵をイン。
ファミマの冷凍醤油ラーメン、¥200くらいで簡単で、これ結構おいしいんです。
不健康に晩飯は15分でフィニッシュ。。

ぐんぐん感染者が増えてきています。
大事にならないように。。