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2017 9/29 『千川上水 水神様』

---------------案内板より
この水神様の下には千川上水が流れています。

割愛....『千川上水 喜内古屋水車跡』を参照。

昭和に入り、岸辺に家が建ち始め、上水に人が落ちたり、子供がおぼれて亡くなったりと水難事故が起きて、直径六尺(1.8m)のコンクリート管で暗渠化し、住民は喜びました。
当時、水難事故供養の為、自然の恵みと上水の安全を祈り、水神様が祭られました。
平成19年5月30日水神様が修復され、地域の人々の安心と幸せを見守り下さっています。平素の水神様御参拝に御礼申し上げ、これからも地域の文化財を後世に伝えて行きたいと思います。
平成19年7月 吉日 千川上水水神様世話人一同
---------------

川越街道の田崎病院がある交差点を大谷口方面へ少し行くと、左手にこの水神様が祭られている。
祭られているこの道は、かつて大山西銀座商店街というこじんまりとした商店街だったのだが、補助第26号線の事業によって、事実上消滅してしまった。
道路が拡幅されて相互通行になり、交通上はとても便利になったが寂しい限り....子供の頃はこの商店街を走りまくって遊んでいたから。

会長で区議会議院であった鈴木氏が出版した“大山西町発展史”を読んだところ、千川上水で亡くなられた子供がどこに住まわれていたかも書かれていた。
昭和27−28年頃、水神様が祭られているこの場所で引き上げられたが、すでに亡くなっていたという。そういう経緯があったのだと、大山西町発展史で知った。
千川上水は、年に一度、水を止めて掃除をしてたというが、その時に水たまりや側面の穴のようなところにフナやナマズのような種々の魚がバケツ一杯位、手づかみで獲れたという。
また、大山西町区域を流れていたところは、高台の為、工場の道路より水面のところまで、2.3m位あり、深さは二尺(約60cm)位だったが、流れが早く、深いところで落ちたら上るのには大変だったという。
幼少期、8年ほど住んだ大山西町、この本を読んで感慨深いものがあった。

今では千川上水は地中に消えたが、地域の人々の想いや願いは今もなお、こうして手厚く守られ引き継がれている。

(写真は約3年前のもの)

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来
神田川に注ぐ谷端川
谷端川のお多福弁天
谷端川 田楽橋
谷端川 大塚にある瀧不動
板橋区大山西町の用水路
石神井川
かつての石神井川
石神井川 旧河道
石神井川 旧河道の露頭
昭和の石神井川
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川に佇む不動明王 安全の祈願
石神井川の付け替え
石神井川 東宮降誕植桜之碑
石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
逆川(古石神井川の流路)
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)
中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
下野谷遺跡
王子七滝
長池跡(谷田川源流)
谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
不忍池
池袋の川 水窪川
田柄川
ボクらのホームグラウンド、前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
玉川上水
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
水無橋 神南2丁目1番先
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
鎌倉街道 中道 並木橋
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
新選組 沖田総司 逝去の地
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
秋葉原 神田柳森神社 力石
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
神楽坂ラン 赤城坂
赤塚不動の滝と大根
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
新宿歴史博物館
のぞき坂
宝竜寺坂と念仏坂
本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
駒込富士神社と古墳群
猿楽古代住居跡(代官山)
東池袋遺跡
法明寺 威光稲荷堂
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
須藤公園
横網公園
本郷給水所公苑
東京都水道歴史館
椿山荘 古香井
根ノ上遺跡
田柄川の水源と茂呂遺跡
豊島区の湧き水と池
稲荷台遺跡
赤羽自然観察公園の湧水
公開された茂呂遺跡
栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 游鯉園の坂
今宮神社駐車場の湧水
赤羽台第3号古墳石室
巣鴨遺跡 町屋跡
庚申塚 巣鴨遺跡
巣鴨遺跡 柳沢家
出井の泉跡(出井川)
板橋区 清水坂
北区 道音坂
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々
北区赤羽西 真正寺坂
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区滝野川 狐塚の坂
庚申塔 恵比寿西二丁目11番7号
弥生式土器の発見地
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
消える富士見坂と豆まき
消えた日暮里富士見坂
いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地)
健さん 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区・北区 御代の台
古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)

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2017 9/26 『千川上水 喜内古屋水車跡』

千川上水とは....
1696年に将軍 徳川綱吉により上水開削が命じられる。
公の目的は、小石川御殿(綱吉の別荘)、湯島聖堂(幕府学問所)、上野寛永寺(徳川家菩提寺)、浅草浅草寺(幕府祈願所)等への給水だが、六義園(綱吉の寵臣・柳沢吉保の下屋敷)内の池へも大量に引水された。
明治以降は、工業用水として王子製紙や大蔵省紙幣寮抄紙局などにも利用されていた。
飲料用水としては、明治13年に岩崎弥太郎が設立した「千川水道会社」により開始されたが、東京市の改良水道の普及で明治41年に千川水道会社は解散した。
その後、千川上水の氾濫、幼児の水死事故、および都市計画樹立の障害を主たる事由として暗渠化が求められ、練馬区・豊島区・板橋区内では、昭和40年代前半には暗渠化が完了し、昭和46年には大蔵省印刷局抄紙部への給水を止め、千川上水は上水としての使命を終えた。

板橋区の板橋区役所付近、地図の青い線が千川上水跡で、かつて左から右下へと流れていた。

------------- 第60号 ねりまの文化財(千川上水特集号)より引用
水路の本流は山手通りを渡り、板橋区役所を右手に見て、国道17号を横断します。
ガソリンスタンドの先の旧道を左に入り、半円状に迂回しながら(地図の青丸で囲った部分)再び17号に戻ります。
この迂回地点のちょうど中ほど、駐車場になっている場所が、料亭文豪屋敷跡であり、その前が喜内古屋水車跡だそうです。
-------------

写真1枚目、奥が国道17号の板橋区役所前の交差点で、千川上水の流れは奥から手前へ。この付近に喜内古屋水車があったのだろう。

写真2−4枚目、地図の青丸で囲った部分の半円状になっている場所で、奥が駐車場になっていて、立派な広葉樹が2本そびえている。終車場のさらに奥が旧中山道。

写真一番下、道(千川上水跡)が半円状になっているのが分るかと思う。
大山西町付近の千川上水の深さは2m位あったと記録に残っているが、この喜内古屋水車跡付近ではどのくらいだったのだろうか。
この先西巣鴨まで、千川上水は旧中山道とほぼ平行に流れている。

千川上水にはこの他にもいくつもの水車があったと記録に残っている。

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
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古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)

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2017 9/26 『徳川慶喜家にようこそ』

最後の将軍 徳川慶喜公のひ孫にあたる徳川慶朝さんが亡くなったというニュースが。
何年か前に、彼が書いた本を読んだことがあった。
慶喜公が構えた巣鴨や小日向の屋敷の写真や見取り図(平面図)などたいへん興味深い写真が多数あった。
中でも、靖国神社にある大村益次郎像を慶喜公が写真に収めているのが何とも言えなく印象的だった。
また、慶喜公は板橋も好きだったようで、板橋区大和町にある日曜寺や、付近を流れる石神井川と架かる橋、滝野川の紅葉橋などいくつも写真に収めている。

そんな慶喜公のひ孫の徳川慶朝さんの存在を知ったのは、谷中霊園にある慶喜公のお墓の前で、徳川慶喜公の生い立ちを個人的にガイドしているおじさんから聞いたのが初めてだった。

慶朝さんの死去により、徳川慶喜家は途絶えてしまうのだろうか。

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2017 9/20 『板橋遊郭 新藤楼』

かつて板橋宿(上宿・中宿・平尾宿と3つで構成されていた)には遊郭があり、その中で最大規模を誇った新藤楼の玄関が、郷土資料館に保存されている。
社寺建築に用いられている、唐破風造りを取り入れた豪華なつくりとなっている。

詳しくは下記を.......板橋の史跡探訪、板橋の街道めぐりより。

板橋宿が中山道の首駅として繁栄していた時代、宿場の中核をなした旅籠には、ほとんどっていってよいくらい飯盛女をおいて、往還の客に娼を売らせていた。俗に宿場女郎と呼ばれ、宿場繁栄の重要な役割を果たしていた。

江戸から明治へと時代が移っても行客のある間は繁昌していたようである。
ある記録に明治維新後には32軒の飯盛宿があったという。
しかし、これも明治17年の板橋大火によりことごとく焼失し、しかもこの前年の16年には、板橋宿で通過反対を続けていた日本鉄道会社の汽車が、王子・赤羽を通って熊谷まで走るこにとなって、中山道の徒歩客は皆無の有様となった直後の出来事だけに、宿場は再起不能の最悪の事態を招来した。
明治19年、豊島郡役所が現在の板橋3−5に新築、移転することとなり、加えて、その前年の18年3月には山手線が開通し、板橋停車場が開業したことも理由のひとつであろうが、焼け出されて苦境にあえぐ業者が、郡区役所周辺に集り旅客相手の旅籠から、遊客相手の遊郭に業態を変更して営業を開始することとなった。
明治18年8月の時事新報の記事をみると、板橋には妓楼15軒、娼妓103人、1軒あたり7人半とある。明治20年には16軒、大正3年には12軒が軒をならべ、その料理の仕出屋として料亭きなこ家なども中宿から移転したと伝えられている。なお主な遊客は川口の鋳物師と赤羽工兵隊の兵士であった。

新藤楼は明治30年頃には31人の遊女を抱え、板橋遊郭中最大を誇っていた。(地図の赤く塗ったところ)
この店は昭和19年、戦争が激しくなるまで営業していたが、寄宿舎や都病院(写真下から2枚目)と姿を変えて、旧遊郭唯一の遺構として昭和40年代後期までその偉姿を誇っていたが、取り壊され、玄関部分が郷土資料館に移築保存されている。

写真が2枚ならんだ箇所、左は大正初期の中宿の妓楼で、手前から藤本楼(抱娼妓12人)、中は藤万楼(同25人)、先が金泉楼(同10人)で、昭和30年代に取り壊された。
右は遊郭遺影で、昭和27年の遺構で、手前が金泉楼(引揚者寄宿舎 啓明寮)、その先が藤万楼(鉄道寮)

新藤楼があった場所は、現在集合住宅となっており、玄関部分の意匠が唐破風造りを踏襲しているようにも思える。
右の店舗の屋号はミヤコフォートとなっているが、前に営業していた都病院(写真下から2枚目)と同じ一族の方が経営しているのだろうか。
新藤楼は約40年数年前まで残っていたというが、その当時の不動通り(旧中山道のこのあたり)や中宿・上宿もずいぶんと姿を変えたのだろう。
自分が8年ほど育った大山(板橋町と大山町は隣みたいなもので、仲町や大山あたりを昔は山中という町名だった)も40年ほど前は、クラシックなエ◯映画館などがあったのが懐かしい。母には目をそらせとよく言われたもので。
母と姉と小さい自分が、日曜日には笑顔が絶えない楽しい買い物のことなどを思いだす。
商店街にはサトウキビ売りや孔雀の羽売りなども来ていて、今でもよく憶えている。

【過去記事】
幕末を巡って
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散歩JOG
身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
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薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
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縄文人の核DNA解析
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
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鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
中山道 齋藤商店
本郷肴町 棒兼
池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
現存する都内の一里塚
散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
千石緑地
延命地蔵堂の石造物群
観明寺 左甚五郎作の龍
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
王子稲成神社 御石様
JR貨物北王子線と廃線跡
醤油電車(東武東上線)
陸軍板橋火薬製造所跡
加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜
加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
旧中山道 縁切榎
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
蓮根馬頭観音縁起
四ツ又馬頭観音
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
電話番号の表札
小松屋横町道
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡
板橋区赤塚 鎌倉古道
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
西池袋 自由学園明日館
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック
江戸城 松の大廊下跡
中仙道か中山道か
醤油電車(東武東上線)
下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
同潤会 上野下アパート

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2017 9/14 『板橋区 清水坂』

志村坂上交差点の交番横にのびる道が旧中山道で、地図の赤いライン。
清水坂は武蔵野台地から低地へと一気に下る坂で、地図で急カーブになっている場所で、写真1枚目から分るように、十数メートルの高低差がある。
坂を下った先は、三田線が地下から飛び出してくるのが見える。

日本橋を旅立つと旧中山道で最初の難所。
隠岐殿坂、地蔵坂、清水坂と、時とともにその呼び名を変えてきた。
この坂は急で途中大きく曲がっており、中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所であったという。
坂の下には(地図の青丸で囲ったあたり)板橋・蕨両宿をつなぐ合の宿があり、昭和40年代まで茅葺きの二階建ての茶屋が建っており、旅人が休憩をとったり、食事をとったりしていた。
合の宿は休憩を目的とした場所で宿泊の施設ではなく、戸田の渡しが増水で利用出来ない時の控えの場所でもあった。
この辺りは昭和30年代頃まで、旧街道の面影を残していたが、地下鉄三田線の開通などの都市化の波によってその姿を変えた。
また明治40年まで、志村の名主大野藤左衛門の屋敷があり(地図の青丸で囲ったあたり)、大名や公家などの身分が高い者が昼食などの休憩をとった。
明治元年と同3年の二度明治天皇が大宮氷川神社に行幸した際、大野家で休憩をとっている。
(いたばしの史跡探訪から引用)

【過去記事】
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ボクらのホームグラウンド、前谷津川
ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流
前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
千川上水 喜内古屋水車跡
千川上水 水神様
豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑
玉川上水
玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
渋谷川 氾濫危険水位
渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
水無橋 神南2丁目1番先
穩田川(渋谷川)の支流
渋谷川 庚申橋供養碑
鎌倉街道 中道 並木橋
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
新選組 沖田総司 逝去の地
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
池袋東貝塚遺跡
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
秋葉原 神田柳森神社 力石
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
神楽坂ラン 赤城坂
赤塚不動の滝と大根
四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
新宿歴史博物館
のぞき坂
宝竜寺坂と念仏坂
本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
駒込富士神社と古墳群
猿楽古代住居跡(代官山)
東池袋遺跡
法明寺 威光稲荷堂
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
須藤公園
横網公園
本郷給水所公苑
東京都水道歴史館
椿山荘 古香井
根ノ上遺跡
田柄川の水源と茂呂遺跡
豊島区の湧き水と池
稲荷台遺跡
赤羽自然観察公園の湧水
公開された茂呂遺跡
栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
東京の坂道 網干坂
北区西ヶ原 熊野坂
北区十条仲原 游鯉園の坂
今宮神社駐車場の湧水
赤羽台第3号古墳石室
巣鴨遺跡 町屋跡
庚申塚 巣鴨遺跡
巣鴨遺跡 柳沢家
出井の泉跡(出井川)
板橋区 清水坂
北区 道音坂
赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々
北区赤羽西 真正寺坂
板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
北区滝野川 狐塚の坂
庚申塔 恵比寿西二丁目11番7号
弥生式土器の発見地
文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
消える富士見坂と豆まき
消えた日暮里富士見坂
いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地)
健さん 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
板橋区・北区 御代の台
古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)

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2017 9/6 『原色日本刺青大鑑』

品揃えが好きでたまに立ち寄る、南池袋の古書 往来座で見かけた原色日本刺青大鑑、プレミアがついてお値段¥38000。
約40年前に発売されて、刺青に携わる方々には有名な本だという。
わりかし早くに売りきれたので、人気があるんですね。

この本の監修は劇作家の飯沢匡、そして刺青博士とも言われる福士政一で、病理学者・教授で文身の研究でも知られ、収集したコレクションは東京大学医学部標本室に収蔵されているんだと。
読んでみたかったので地域の図書館で検索しても出てこず....もちろん国会図書館にはあるが。
そういえば、アメリカのポリスなどは和彫りを背負っている人には異常に警戒すると聞いたことがある。
だいぶ前だが、ダウンタウンの松ちゃんがラジオで、刺青を入れたいと言っていた。で、おじいちゃんは二の腕に妻ではない女の人の名前が刺青として入っていたという。

刺青を彫る行為は医業であるとして医師法に抵触するということから、現在彫師の摘発が相次いでいる。
日本伝統刺青は評価がとても高いと言われるが、彫師であるならば医師免許が必要ということになれば、日本伝統刺青は日本からほぼ消えてしまうだろう。

しかしまぁ、飛脚が走り回っているのを見てみたい。
時代が時代なら、職業を飛脚にしていたかもなと、ふと思ったりする。

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2017 9/4 『観明寺 左甚五郎作の龍』

板橋宿、旧中山道に室町時代の創建と伝わる真言宗寺院の観明寺がある。
加賀藩下屋敷の通用門だった赤門が目を引く。
そして、加賀藩下屋敷から遷されたといわれる豊川出世稲荷社があり、龍の彫刻は名人 左甚五郎の作品だと言われている。
彫刻は網で覆われているので、写真だとよく見えないのが残念。
---------------------引用
日光東照宮の眠り猫をはじめ、甚五郎作といわれる彫り物は全国各地に100ヶ所近くある。しかし、その製作年間は安土桃山時代〜江戸時代後期まで300年にも及び、出身地もさまざまであるので、左甚五郎とは一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞としても使われたようである。
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この付近の旧中山道は不動通りと呼ばれている。
明治6年、当時の住職が町の繁栄祈願のために、千葉の成田山新勝寺から不動尊の分身を勧請したことに由来し、縁日はとても賑わったそうだ。
規模は小さくなったが、今でも朝市やお祭りなどを行なっていて、賑わっている。

【過去記事】
幕末を巡って
復活 上野清水観音 堂月の松
散歩JOG
身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
榎本武揚から緒方洪庵へ
高島流
大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
千葉周作の墓 木戸孝允の駒込別邸
板橋城跡 赤塚城跡
遺されたものが語ること#2 石神井城跡
仙がい義梵
赤穂浪士ゆかりの寺
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
時忘れじの塔
浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
板橋宿平尾脇本陣豊田家
新選組 沖田総司 逝去の地
雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
日本人のルーツ
縄文人の核DNA解析
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
旧鎌倉街道 中道編
鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
鎌倉街道 中道 並木橋
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
補助第26号 板橋区大山 山中通り商店街
江戸橋通り 出桁造り

板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡』案内板
切支丹屋敷跡地からシドッティ
江古田古戦場
ふじ大山道
雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
上板橋宿と大山福地蔵尊
町民を癒し見守る大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
中山道 齋藤商店
本郷肴町 棒兼
池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
現存する都内の一里塚
散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
千石緑地
延命地蔵堂の石造物群
観明寺 左甚五郎作の龍
板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑
王子稲成神社 御石様
JR貨物北王子線と廃線跡
醤油電車(東武東上線)
陸軍板橋火薬製造所跡
加賀藩と黒作り
加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
加賀藩前田家の駕篭
加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜
加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
北区中十条3丁目の出桁造り
文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
旧中山道 縁切榎
根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
蓮根馬頭観音縁起
四ツ又馬頭観音
北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
北区王子3・4丁目の出桁造り
電話番号の表札
小松屋横町道
谷中、上野桜木の出桁造り
板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡
板橋区赤塚 鎌倉古道
北区西ヶ原の出桁造り
文京区根津の出桁造り
国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間)と環状八号線の開通
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
西池袋 自由学園明日館
十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
旧丹羽家の門と蔵 藤堂家の墓所
板橋区高島平 六の橋のグラフィック
江戸城 松の大廊下跡
中仙道か中山道か
醤油電車(東武東上線)
下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
同潤会 上野下アパート

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2017 9/1 『走る?』

去年の8月は137kmで、今年の8月は30kmしか走れなかった。
暑さには強いけど、この夏は身体に熱がこもって、気持ちが悪くなるのが原因。なのでムリせずウォーキングを。

一気に夏が過ぎて行ったように感じるが、去年の11月から今がとにかく一気に過ぎて行っている、そう感じている。
そんな酷い暑さも落ち着き、8月最後の日は涼しい一日となった。
久しぶりに走ってみるかと、シューズを履き、ゆっくりと脚を進めた。
1km、2km、3km....体も大丈夫だったから、4km、5kmと距離をのばしていった。
熱もこもらず、じゃぁ久しぶりに10kmにトライ。
NIKEのアプリは、10kmほど走ると誤差がなかなかあるので、11kmと計測されているけど、たぶん10kmちょいだと思う。
ほどよい脚の疲労が心地よい....やっぱり走れるのって心身共にとても気持ちがいい。
公園で夜風に当たりながら体を冷やし、一杯ひっかけて帰宅。
ちょっと寒いくらいだった。
夏生まれなので、夏が終わるのは少し寂しいけど、もう少し涼しくなってほしい。

そんな走れない間に、文春文庫の様々な作家による短編集“走る?”を。
人生は走ることに似て、走ることは人生に似ている......走るというキーワードを元にした短編集で、特に恒川光太郎の“リスタート”と、桜井鈴茂木の“誰にだって言いぶんはある”がおもしろかった。
走らない人でも楽しめる作品だと思う。

走りはじめて8年になるが、疲れにくい身体になったことが一番の収穫。
今日は久しぶりにハムストリングス(太もも裏)がほんのわずかに筋肉痛を感じるのがそれも心地がいい。
今晩も涼しいようなので走ろう。