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image   2013 2/28
『もうすぐ春、さむい』

朝いつも走っているコースに河津桜が一樹あります。

今朝のぞいてみると、
二つ咲いていました。

メジロも飛来、
とてもきれいです。

鶏も好きですし、
鳥も好き。

そういえば、メジロはもう飼育は全面的にダメに
なったようなニュースを読んだ記憶が...

 

そんなさむい朝、
セットアップを持っていないので、
真冬でもタイツとショーツにウインドブレイカーというウェアで、
どうしても脚がさむい...
ま、走ってれば暑くなるので、まぁガマンと。

しかし、ここんとこの寒さにはうんざり走る気にもならずいましたが、
いつも送られてくるショップのメールに目がとまり、
レビューをみてもなかなかよい評判、
ヒートなんとかよりもぜんぜん暖かいとか、
発熱製品のわりには激安なので、試しに。

待つこと4日くらい、
せっかちには長いこと...

裏起毛でも薄目の生地!、なかなかいい、
はいてみるとあたたか〜い。
ちょっとおどろきでしたので、
寒く暗いなか一っ走り...まぁあたたかいこと。
身体がどんどん熱をだしてさらに暖かい。

 

と、暖かいしごわつかないので、
走る時ではなく普段着の下使いに。

もうヒートなんとか系には戻れません。

スーツの下でもOKだし、
バイクのる人にもぴったりではないかと。
現場に出る仕事の人にも。

28インチの自分にはSでぴったしでした。

990円、おそるべし。via


image   2013 2/27
『地域シリーズ』

ペダル踏んで踏んで...
すぐそこは埼玉県との境、赤塚へ

地域シリーズ展。

 

板橋地域は豊島氏によって開発され、
豊島氏は太田道灌に滅ぼさたれものの、
士族板橋氏が北条氏の支配下において命脈を保ち、
江戸時代には旗本と板橋宿上宿の名主となった。

板橋には本当に板の橋が架けられておったそうで、そこから命名。

 

...来場者では最年少だったような気がします。

遺跡から近代まで、コンテンツぎっしりでとてもおもしろかった。

 

二枚目、
徳川家茂んとこに和宮が降嫁する際の列はなんと50km、
東海道筋を避けて中山道で...
旧中山道にある縁切り榎を大きく迂回し板橋宿に御泊まりに(休憩かな?)
図録より。
中山道は姫街道とも言われたらしいです。

 

...前のコラムでも少し触れましたが、
近世初期の板橋地域は鷹狩りの場でもあった。
なもんで、鷹匠も多く住んでいたとのこと。
目黒に鷹番という地域がありますが、由来は鷹狩り。

 

宿場町とし発展し、
旅籠には150人くらいいて、とても華やかだったようです。

その後は遊郭としても賑わい、
明治に作られた新藤楼という三階建ての立派な造りのがあった。
最盛期には30人の遊女がいたそうで、他の料理店などをあわせると十軒弱が
営業していたと。
今ではそのおもかげすらないところですが、
吉原と同規模のそれはそれは大きな遊郭だったようです。
その後は寮や病院などに転用されていって、
戦後も復活することなく終焉、
板橋には赤線がないのはその経緯があったからだと知りました。
昭和47年に解体、そして惜しむ声が多く、
区の郷土資料館に玄関が保存されています。
その当時のこの建物を知る方のブログを読んでいると、
近寄りがたい存在だったようで。

昭和50年代の子供の頃に住んでいた町、
じっと見てはいけない、家族はみなそっぽを向いて通らざるを得なかった建物があった...
新藤楼の手前、中山道と分かれて川越街道になる商店街(遊座大山商店街)に
どーんとドでかく、おっ◯いポロリしてような記憶があるが...
ポルノ映画館が二軒ほどあったと記憶しています。
お母ちゃんには見るなと言われて手を引かれていましたが、目だけ上げてガン見していました。
...土曜の夜の番組、エロ満載のウイークエンダーの再現フィルムは薄目をあけてよ〜くみていました、みな一緒ですかね?
男の子は元気があるほうがいい。

話がそれましたが...
無縁仏となった遊女のお墓、
手厚く供養されているお墓もあります。

幕末、
新選組、近藤勇が処刑されるまで幽閉されていた板橋宿平尾町脇本陣跡もすぐ近くにあります。

と、
巣鴨地蔵通りから板橋本町までの約5kmの旧中山道、
その中心である板橋〜仲宿、とても興味深いところです。

こんどは東海道筋、4大宿場町のひとつ品川宿を巡ってみよう。


image  

2013 2/25 『町民を癒し見守る大山福地蔵尊』

37年前から10年の間住んでいた町へ

そこには福地蔵尊があります。

その当時の笑いあり泣きありのできごとや他者からの愛情、
他者に育てられた時期もあり、
少し大きくなってからは数軒先のお父さんお母さんにたくさんお世話になり、
赤の他人にそこまでしくださるものでしょうか、というくらいのことをしてくださったことで僕ら家族が再び前を向いて生きて行けたのだと思います。

一方、懸命に生きている家族らに対してさげすむ大人達やその子供達、
まざまななことを経験し良いこともつらいことも今も忘れることはありません。

それぞれ違えど糧となる人生勉強になったこと、とても感謝してます。

母はいまだにその当時のお世話になった町の人のことを嬉しそうに話します。
心からの親切、他者からの無償の愛情は変わることなく大切な宝ものです。

と、
そんな町の地蔵尊、今から150年も前に、おふくさんという行者がいて、
街道筋の人々の難病苦病を癒して住民に大変慕われていたそうな。
死後、おふく地蔵としてまつられて現在にいたっているという。
徳を積み神様仏様になったということですね。

この日は東京マラソンが開催され、風がとても強くて真っすぐに走れないくらい、
今世紀に入り一番の「最強クラスの寒波」冬大将軍のせいで極寒....
ガクガクしながら手を合わせ、お水をかけて身体をシャコシャコ、
家族の健康をお祈りさせてもらいました。

 

そして、日大があるところは鎌倉街道だったんだ、と知る。
...子供の頃、水飴がついている割り箸をくわえたまま走っていたら、
道路の凹に足をひっかけ転倒、割り箸がノドに刺さり、血まみれ...
日大で緊急手術をしてもらったことを思い出しました。

 

...大分からながれにながれて、住んでお世話になった土地、
その土地土地を改めて回ってみるのも楽しいものです。

この日は13kmくらいのJOG。

この4年くらいでつらかった花粉症の症状はほとんど出なくなりました。
走っているおかげだと思います、たぶん。

【過去記事】

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。

image   2013 2/22
『デュクセル』

土曜日の昼メシにデュクセルソースを流用してパスタを作ってみました。

(シャンピニョンのみじん切りをタマネギ、エシャロットのみじん切りとともにバターで炒めて水分を蒸発させ、旨みを凝縮させたもの。料理の詰め物やソースのベースなどに使う。via

のばしてものばしてもなかなかずっしりと重い...

おいしかったけども濃いわ。


image   2013 2/20
『長く使える、使えない』

広島電鉄の750形は60−70年前に製造された車輛。
まだ十分にその役目をはたしています。
シンプルで丈夫な作りゆえに現存しているのだろうと思います。
さほどスピードを出さないから痛みにくいこともあるのでしょうか。
かつては扇風機だけだったが、エアコンディショナーを屋根に搭載し、
車体は古くとも快適な空間に乗客をのせて走っている。

...オレンジ色の昔の中央線も省エネですっごく丈夫で、
長く使われていましたよね、 とてもよいことです。

一方、電化製品しかり...
建物もそう、
長く使えません、使わない。
今解体中の赤プリ新館は30年でお役目終了。
かつて不忍池のほとり池之端にそびえていたソフィテル東京(ホテル)は、
たったの14年で解体でした。
菊竹さん(設計者)の思想(メタボリズム)を上野に行く度に下から眺めていました。
今は高層マンションになっており、そのまま建物を使うよりも、解体費つんで、
居室を十分に確保した高層マンションの方がずっと利益が...
赤プリもソフィテル東京も十分に利益をあげることができないのが、 解体の理由でしょうね。
建物の寿命としては実にもったいないと思いますよね。
商業施設のスクラップアンドビルドが多いのはオーナーの交代、利益の問題。
一般的な集合住宅(団地やマンション)など40年ものに住んでいる方はたくさんいます。
建物をたくさん建てると皆が豊かになる、という考えはこれからもずっとでしょうか。
これからは人口減によって空き物件もどっと増えるだろうし、
長く使える建物が多くあって欲しいと思う。

 

存在目的が違えど、
古い物
がまだ現役なのを見ると
そう思うのです。

30何年も前に流行った
セミドロップハンドル、ごっついライト
荷台の側面には折りたたみ式のカゴ付き
の自転車をまだ大切に乗っているセピア色のおじさんをみかけると、
子供が乗ってたのかな?と思われるBMXにうまいことカゴを付けて
買い物をしている元気の源赤い服おばちゃんをみかけると、
お〜すごいな〜!と思うのです。


image   2013 2/19

『赤穂浪士ゆかりの寺』

文京区は文豪と教育と坂と寺のまち。
坂をのぼってしばらくすると...

ここは谷中の観音寺。
赤穂浪士ゆかりの寺だそうで。

走っててインフォメーションサインがあると、楽しくてしかたがない。

四十七士に名を連ねる三兄弟のうちの長男と三男。
その次男がこの観音寺で修行をしておったそうな。
で、次男は浪士らに対してできるだけの便宜をはかり、
寺内ではしばしば彼らの会合が(秘密の会合ですね)開かれたという。

どうやって攻め入るか、命をかけて仇をとる。

赤穂浪士というと泉岳寺ですが、
こんな下町にもゆかりがありました。

 

愛と欲望と裏切りの街、
たくましく懸命に生きている人々、
絆は強固か儚いか。

 

...2時間くらいぷらっと走ろうと思うも、+1時間はかかりますね。。

【過去記事】

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。

image   2013 2/18
『補修アーカイブス』

お役御免になられるまで

しっかりと補修などをして物を大切にを心がけています。

...12年前に買ったPowerbookG4チタニウム、OS9(初代)は
今でも年に数回使っています。
ブラウザが古いために崩れた表示になることが多いし、SNSはできませんが、
重いデータでなければ、結構サクサクと作業できます。

そんなbook、ボディもパカパカしたりしてきますので、
秀逸なボンド、SUの登場です。しかもプレミアムverのハードタイプをチョイス。
固い物同士によいって、なので検証を。
ハードタイプといっても完全硬化後でもカッチカチにはならないので、
様々な補修に使えると思いました。
エポキシの接着剤よりも使い勝手がいいこともありそうです。

一家に一つあれば多用多用多用できますので、
やわらかverとハードverの常備を。小さいのだと¥400くらいです。

ということで、ほっそい隙間にうまいこと
入れこんで今回もばっちりつきました、すばらしい。

と、
オーバーオールのケツから肩ひもになっているところを引っ掛ける、
ムネ部分の超重要なボタンがとれましたが、
これはもう直せないので
新しいボタンを買って打ち込む補修を。

道具はともだち。

溶接とミシンの技術を得られれば実に楽しいだろう。

 

あとはバイクの整備を。
身体が元気になってきたのと引き換えに...


image   2013 2/15
『巡って』

先日書いた日暮里の富士見坂、

そのすぐ近くに諏訪神社があります。

眺望の良い諏訪台地の際にあるので、
2枚目〜3枚目の写真...
かつての人々はきつい階段から
神社へと参拝に
眺望を楽しむために
虫の声を楽しむために
のぼってきたことでしょう。

今でも遠くを見渡せるのですが、
建物があまりない当時は
それはすばらしい眺望だったのだろうと
想像できます。

今は一服休憩の人、
一眼を構えた少年達がいます。

そんな諏訪神社、
二月の生命の言葉...

「知る者は言わず 言うものは知らず」老子
道を体得している者は、決して知識をひけらかさない。
知識をひけらかす者は、実際には道を体得していないのである。

というお言葉。

 

見栄と虚栄心の儚さ、
先生とよばないで欲しいと言う名門一家の巨匠。
挫折を経験したことがない教え子に、
挫折を経験せよ言う連戦連敗の成り上がりの巨匠。

連戦連勝の太田道灌、
主人の能力を凌駕したがゆえに...

 

と、
諏訪神社の別当寺だったという
浄光寺が隣にあります。
眺望がよく雪見にもバツグンだったようで別名は雪見寺。
台地から深々と降る雪、さぞかしきれいだったことだったでしょうね。

建立は太田道灌とか豊島経康とか言われているみたいですが、
どうなんでしょうか、
因縁めいたものを感じます。

その浄光寺には“将軍腰かけの石”というものがあります。
ウロウロしましたが、ぜんぜん見当たらなかった...
鷹狩りは将軍の娯楽以外にも土地や民衆の視察などさまざまな目的があったと。
鷹狩りで将軍が立ち寄ったお寺や神社などたくさんありますね。
かつて板橋区の仲宿にあった乗蓮寺は徳川家康から朱印地が寄進され、
その後も歴代将軍から朱印地が与えられ、格式ある寺院となった。
徳川吉宗の鷹狩りの際には、休憩所としても使われたそうな。
その乗蓮寺は中山道と首都高5号線開通による拡張により、
板橋の赤塚に移転、みなの知る東京大仏のお寺さんでも有名になっています。

それましたが、浄光寺の境内には江戸六地蔵(再建)があります。
これは“始めの”方とのこと。

(後の六地蔵)」は、江戸に出入りする六つの街道の入口に、
それぞれ一体ずつ安置されました。via

一番下の写真、巣鴨の地蔵通り(旧中山道)入口にある江戸六地蔵。
巣鴨というととげぬき地蔵が有名ですが、
本来は旅人の無事を祈るこの大きなお地蔵さんの方がメインなのでしょう。

 

...近場での太田道灌の足跡を巡り、

点と点が結ばれて

繋げて巡り、

おもしろい。

馬に跨がった太田道灌、日暮里に駆ける。via


image  

2013 2/13 『身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂』

白山通りのつきあたりは皇居の平川門

そこにでっかい石があります。

それは太田道灌追慕の碑。

スポドリやらランニングバッグ置き場にもなっているのをみかける。

ま、興味のない人は素通りですな。

建国記念日のこの日は、レースへ向けて走り込んでいる方が多かった。

汗かいて、風も強いので一周だけ走って。5km (05'09 /km)
4分台/kmはまだ脚への負担も大きいし、
心肺が口から出そうになるので、まだまだ
20.70 km 1:52'04'' 11.1 km/h (05'24 /km)
...フルを走れる耐体力はまだまだだろうか。
サブフォーなど遥か遠い目標、か。

 

 

別の日、

場所は都電の早稲田駅のひとつ手前、面影橋。

文字通り、
面影橋という橋があり、そこに山吹の里の碑があります。

“七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき”

太田道灌が鷹狩りにでかけ、
雨に遭い、
蓑 (みの 雨具)を貸して欲しいと
近くの家にかけこんだところ
娘が出てきてヤマブキを差し出した。
意味が分からなかった太田道灌、
家来に「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」
という歌があるが、
娘は蓑もないほどの貧しさをヤマブキに例えたのではと言われ、
己の不明を恥じて歌の道に精進するようになったと、そいう言い伝え。

ヤマブキの花は幾重にも花をつけるけれども、実はひとつもつかない、
うちには蓑ひとつさえないのでお貸しできません...ということ。

それを知った太田道灌はその娘、紅皿を城に招き、歌の友とした。

太田道灌死後、紅皿は大久保に庵を建て、尼になったと。

紅皿のお墓と言われている碑が大久保にあるとのこと。via

対面同席五百生、
対面し同席した人とは輪廻転生の中で500回も共にしてきたのだよ、
というお釈迦様の言葉をふと思い出した。
「何かあったことがあるような」
とか
「すぐ意気投合して」
とか
「あっ、なんか知っているこの人」
そういうことなのかもしれないですね。

実際によくあるし。

 

 

と、
次は面影橋の近くにある
胸突坂(むなつきざか)

とてもきつい坂ゆえに、
自分の胸を突くようにしなければ上れないことから
つけられたとのこと。

上から見下ろした一番下の写真が分かりやすかも。

とてもきつい坂です。

ダッシュして駆け上ったら具合わるくなりそうな坂です。

ここらへんは目白台という台地、
今はもう見られない富士見坂もすぐ近く。

 

いかにエンジンがありがたいかがよくわかります。

そして
自転車やRUNであちこちいけると
普段は通り過ぎるだけのところでも
とてもたのしい発見があります。


ただ、なっかなか家に戻れない。

【過去記事】

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image  

2013 2/4 『消える富士見坂と豆まき』

このページでも何回か富士が見られた坂を書いてきました。

日曜日の朝、一っ走りして日暮里の富士見坂へ、
谷中銀座の夕焼けだんだんのそば。
この日の朝もきれいにみられました。

 

先月末、ダイヤモンド富士が見られるということで、
また多くの人々が訪れた。

ニュースなどにもたびたび取り上げられる富士見坂ですが、
もうすぐでここの眺望は終焉します。

上から2枚目、1990年にはまだ大きく姿をみせていた富士、
上から3枚目、2012年。

上から4枚目、どんと隠してしまうマンションが建設されている。
(こういう経緯があったのですね。)

残念ながら富士見坂は諏訪台の普通のひとつの坂になる。

また再び姿を現すのはRCの寿命がきた時だろう。

(資料はこちらから使わせて頂きました。)

 

と、素晴らしい眺望で昔から人々を魅了してきたここ諏訪台。
上から5枚目、道灌山ともいうようですが、
安藤広重の江戸百景日暮里諏訪の台にも描かれています。
上から6枚目、なかなかの高低差。
5年前の自分だったら、口から心臓がでるくらいキツイ坂です。

台地、崖、坂は今も昔も人々を魅了する、ということでしょうか。

坂は健康、体力のバロメーターでしょうか。

 

前に住んでいた家、十数年間毎日窓からみていた富士山、
みなを元気にさせてくれます。

 

 

と、
午後は節分で、折しも日曜日っうことで、
じゃぁ豆まきに参加しようということで、
お参りに。

 

待つこと一時間、大臣も登場。
宮司さんにお祓いをしていただきまして、ありがとうございます。

始まるや鬼の形相の餓鬼となる皆...
後ろのおじさん、こっちの胸に飛び込んで奪い取る、がんがん押す...
じいちゃんばあちゃんとチビは落ちたのをひらっている。
鬼の形相の餓鬼におじけづいて打たれ耐えるボクサーのような妻をそっちのけ、
必死にいただきました。

わ〜いわーい、と楽しいような感じを想像していたという妻は両腕を抱えて絶句、
ちぃこいロール菓子一本がスーパーの袋に入っていました。
後ろからガンガン殴られて、笑顔が消えた真顔のおじさんがこわかったと。

我が鬼が内から現れるその姿、鬼祓え。
我が鬼が出てゆきすっきりしました。

夜、笑ってぽつりと
「役立たず」って初めていわれたよ、と。
...口がすぎました。

 

五重の五の、めでたいご縁
そして
二十円。

またお参りした時に。

 

直談判、
ねだりまくるチビ達がかわいかった。

いい経験でした。

 

立春、
もう春です。

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image   2013 1/31
『ネイキッド』

「裸の状態」・「向き出しの状態」

朝のお勤め、正しいペン字の書き方を約2週間し続けています。
すこしばかりうまくなったような気がしないでもないが、
はやく一人前な字を習得したい。

ま、こうして載せているのは裸状態でとてもはずかしいのですが、
あえて....
ガンバルぞ。
肌を隠したいというような心理ににているような。
女性だけでなく、男でもイヤなことがありますからね。

と、続くのかな?と思って...
コピーもせずにそのまま書いていたので、
とうぜん消す作業が必要になってきます。

再購入をすすめるかのごとく、ぜんぜん消えない紙質...のような、
紙のせいにしてはいけなく、
一向にきえない文字に腕もパンパン、筋トレしているような状態ですので、
スキャニング、データ化してしまえと。

Photoshopを使って、
delete,
delete,
delete,
消しゴムるよりもはるかにラクですが、これまた根気のいる作業で...
スキャニングすると、本の厚みもあるので、どうしても斜めってしまう。
斜めったところをページごと選択して、-0.4とか真っすぐになるいい塩梅の
角度をいれて全部修正していきます、そして要らないところをdelete。
そして全体をトリミングして、A4横に入るようにする。

手っ取り早く代替の新しい本を買えばいいけども、
受験生の時のように、同じ問題集をアホみたいに繰り返し*2
やることによって、型ができる。
この先生の文字をまんまいただくようにしたい、それをbaseに。

ギンギンに自信のある字を習得する道はそうとう長い。

人生には無駄はなし。
心にも元気を。

ネイキッド。

...と、関東では、貝塚以外からはまずありえないと言われているガイコツが
このたび、新宿区の市谷加賀町からたくさん発見されたニュース、
4000年前の市ヶ谷は水が豊富で緑が豊かな土地だったのだろうと。

関東の土は酸性で、骨が溶けてしまってこういう風に
古代人のガイコツが残っていて発見されることは極めて稀。
貝塚は字のごとく貝を獲って食べてゴミになった貝殻を、
集めたいわるゆゴミ集積所、そのところはカルシュウムが溶け出して、
酸性の土が中和されてアルカリ性になります。
なので、貝塚からガイコツが発見されることは多々あるとのこと。

この場所はなんらかがあって酸性ではない土壌だった為に
今回の発掘とあいなったわけです。

超ネイキッド。

遺跡は語る。
賢者は歴史に学ぶ。

1万年も人々が近づけない、人が死んでしまうほどの放射線を出し続ける物質...
掘り返したらたった4000年前の人々、過去の彼らが私達に教えてくれること、
掘り返したら過去の人が発見されるのではなく、未来の人が死んでしまう遺跡になってはいけない。


image   2013 1/28
『OMAIRI RUNNING ADDICT』

日曜日の午後は思い立って浅草へ。

そうだと思い出し、
浅草に向い途中の入谷 小野照崎神社へもお参りに。

この神社は、
渥美清が「たばこをやめるかわりに...」と願掛けして、
寅さん役の話が舞い込んだという...
ひとつひとつの小さな積み重ねの努力以外に他ならないと思うけど、
神様も援護してくださったのでしょうか、
様々なコトの時期が合ったのでしょうか。

神様のおかげでとか、ご利益がとか...
そういうこともあるのかもしれないし、
けれども、
何かをすてて、何か新しいものを得る、
なんでもかんでもよいことばっかりは持つことはできない
という教えなのだろうか。

現世利益だけを望む人に
手を差し伸べてくれる神はいるのだろうか。

学問と芸能の神さま、とのこと。
その道の方の参拝者も多いことでしょう。

 

...と、浅草はもうすぐそこ。
言問通りの一本裏を進む、北上していけば吉原。
次は浅間神社へ。
富士山に対する信仰の神社。

ここから真っすぐ進むと、浅草神社。

いつ参拝してもとても清々しい気持ちになります。
やはりこの浅草は一種独特な華がある町です。

 

境内を抜けると、
昼間っから呑んででろんでろんのおじさんがごっそりといます。
座った目にろれつがまったくまわらない、
肩をみなで組んで大声で闊歩。

モツ煮込みは得意ではないけど、
正ちゃんのは食べてみたいなと。
一汗かいて、呑んでつまむのは最高でしょう。


そんなお参りランニング。
20km 1:53'32" 10.6 km/h (05'40 /km)

jognote


image   2013 1/25

『首を手に入れた今』

さて、あまりの寒さに朝ランをさけていましたが、
今朝は2週間ぶりに7kmほど、だいたい40分くらい。
汗どっとかくくらいなので、全身の血行がはんぱなくよくなる為、
午前中はずーっと温かいまんま、日によっては夕刻まで温かかったりします。

誠 Biz.ID:Re:Work !:トップビジネスパーソンはなぜ「走る」のか
via....すごい方のすごい走りの話。。。

慰めと整え、刺激と癒しで気持ちいい、つぅのが自分の場合。

ところで、
4500gで生まれ、首が埋没してたあの頃、
真冬でも靴下ははかず、短パンという子供の頃、
ネルシャツ&カーディガン+手に持ったライダース、という薄着だった15年前、首なしで過ごした青春時代...タートルネックはアゴにかぶるので2回折り、いや、亀のネック部分はいらなかったあの頃、
...9年前から、油物を少しひかえることをしはじめ、
ネギトロの食中りでげっそり少し痩せたのをきっかけに、紆余曲折..少しずつ改善してきて、今やっと首が露出!!してきたので、
タートルネックの存在理由を確かに味わっています。
ようやく首に逢えた。

....右、なんとか男優みたいに黒いのは夏の皇居だったから。


image   2013 1/22

『遺されたものが語ること#2 石神井城跡』

次の史跡は石神井城跡へ...

平安時代末期から室町時代中期まで、
現在の台東区・文京区・豊島区・北区・荒川区・板橋区・練馬区など
その周辺地域を支配していた豊島氏の居城のひとつ。

ボスである豊島泰経は太田道灌に降伏を願い出るも、
条件であった城の破却を行わなかった為に、
偽りの降伏とみなされ、太田道灌に攻められて落城。

追われて今の飛鳥山公園近くの平塚神社あたりにあったという
平塚城へ逃げ込むも攻められ落城。
さらに追われた先の城...
それ以後は行方知れずとなり、
豊島本宗家は歴史上から姿を消すことになった。

 

...本郷通りに面した平塚神社
JOGしている時に気になってふらっと立ち寄って、
参拝したことがあります。
その時は城跡だとは知りませんでした。

...太田道灌はこの戦いの前、
戦勝祈願に参詣したといわれている神社は
駒込にある妙義神社。
JOG途中に参拝したときの画はこちら
勝負の神様...受験や試合などの前に訪れる参拝者が多いとのこと。

...太田道灌と父が築いた川越城(本丸御殿)へも昔に行ったことがありますが、
とても立派な佇まいで現存しています。
ちなみに、童謡の“通りゃんせ”は
本丸御殿隣にある三芳野神社の参道が舞台と言われおり、
当時の人はまぁ行きも帰りも大変だったんだなと思いながら参拝しました。

 

 

...日影にひっそりと佇む石神井城石碑、
地面は雪でカッチカチ...
夏は虫がはんぱないことでしょう。
と、ようやくこれたのと、なかなかの距離を走って来たのも相まって、
極寒で縮みあがっていますが、うれしいものです。

上へとのぼると、少し小高くなって、

空堀、土塁...高低差10mくらいあったそうなので、
なかなか立派だったのではないでしょうか。
CG via

石神井公園、跡以外もなかなか見所がある素敵なところでした。

帰りの距離と日暮れの時間が気になり、ぐるっと一周して公園をあとにする。
園内にある豊島屋という休憩茶屋は豊島氏からいただいたのだろうな、と...

 

今も昔も戦いの元になるのは人事が大きくからむということでしょうか。
主人の能力を凌駕する優秀な下の者は消されることが多々あるのも今もそうでしょうか。

遺跡、史跡などが語ること、とても楽しい。
今の時代にも役に立つことが多いことでしょうか。
ビジネスはクールではなく、結局は人対人、小さなことの積み重ね、
義理と人情と説いたリーダーらの言葉も思い出します。

 

健康麺、、あ、チッ、、
健康面の改善から...耐力と体力の向上へと、
そしてトレーニングの一部にもしつつある、

と、兼ねて。
JOG 30.8km 3:03'17" (05'57/km) , WLK 3.2km

走りっぱではないが、だいぶ走れてきている。
(前に30km走った時

【過去記事】

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。

image   2013 1/21
『遺されたものが語ること』

日曜日の午後、残雪をさけながら、
石神井川を延々と走って、
マラニック
LSDともいえるのかな。

どでかい公園、川をはさんで向こうにモロ、茂呂遺跡があった。
ふむふむと、
縄文時代前の旧石器時代(後期)の日本は火山活動が活発で、
火山灰だらけで、人はほとんど?住んでいなかなったんではという説だったが、
群馬県の遺跡、関東ローム層から石剥片がみつかり、
日本にも旧石器時代が存在することが確認された。

そしてこの茂呂遺跡でも発見され、
南関東でも旧石器時代(1万年前〜3万年前?)が
存在していたということがわかったということ。

それより以前の日本には人は住んでいなかったというのが今の定説らしいが、
ある愛好家の発掘により、
旧石器時代がどんどんさかのぼり、
中期・前期石器時代、70万年前までいってしまったことは
まだ記憶に新しいところでしょうか。

氷河期が終わって気候も穏やかになり、稲づくりがはじまってくる。
弥生後期が2000年前のこと。

...遺跡の説明を読んでり調べたりしていると、
数万年前のこと、
数千年前のことすらよく分っていないのに、
使用済み核燃料に含まれるプルトニウムの半減期は2万4000年...
生物にとって安全なレベルまで放射能が下がるには
およそ10万年の月日がかかると言われていますが、
人が扱いきれないものをどんどん残し、
今は記録を残すことが容易になってきたとはいえ、
都合のわるい記録は消えることが多い。
これからもずっと管理出来るのだろうか....
未来の人はどう向き合っていくのだろうか...
...遺跡をみると改めてそう考えます。

 

ただただひたすら走って、
環八こえて、笹目通りこえて、
ようやく石神井公園に到着。

人工池も凍ります寒さです。
日影の雪は氷。
汗かいてるし、風も強いので極寒。。
ぽっくりクライシス。

 

と、道をはさんで向こうの三法寺池へ。

 

鶏はともだち

...鳥はともだち
野鳥観察スポットで有名。

と、止まり木にカワセミが(赤丸んとこ)
とてもきれい。

 

むこうでもお父さんお母さん方がすごい一眼を、
見せあっているモニターをついでに盗み見、
野鳥、まぁなんときれいなことでしょうか。

鳥の魅力がわかってきたような。

 

この時点で14km走って、2km歩いている。

日が暮れるまであと2時間半....
寒いし雪あぶないしと、
帰り、なんだか面倒になってきて電車で帰るかなと思いつつ、
次の史跡へ。

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image   2013 1/17
『冷静に』

8年前に買って、練習していた“正しいペン字の書き方”

久しぶりにチャレンジ、というかワルなところを是正したいと...
言葉を大切にしたいなという思いもあって。

字にはまったく自信がないので、
ついついなんでもかんでもプリンターに頼っていますが、
きれいな字への憧れは昔から...
長年のクセはほんとなかなかなおりませんねぇ...

ほんとに綺麗に書けるようになんのか?...という思いがあるけど...
400m走っただけで心臓がろっ骨を突き破って出てくるかの勢いで
バテバテだった3年半前...
今は 3時間半とかみっちりと本当に走れるようになったように、
ねちねち、いや、ちまちま、いや、
地道にやればたぶん綺麗に書ける日がくるはず。

明朝体だかゴシック体だか製図文字みたいな間の子でもない
とりえもないという個性の字...
習ったこともない絵で大学受験成功したように、
字は画として描けばいいのかもしれない。
(上:8年前、下:今)

 

話は飛んで、
オグシオのシオさんが披露宴で着てらした斉藤上太郎氏作の着物。
赤が似合うようなイメージだったけど、青がとても合っていて。via

きれいな青と柄

 

字、なんとかしてがんばろっ。

 

・・・今でも一番得意な画は、
小学生低学年の頃に担任への年賀状にも描いていたという画、
ガイコツ&クロスボーンです。


image   2013 1/15
『ぶらり』

繁忙期や人手が足りない時...
成人式の受付、着付けを手伝ってお疲れなので、いいのか悪いのか知りませんが、
あぶらをとって乗り切ってありものパスタを作ってあげました。
トマト入れた方が少しさっぱりするでしょうね。

ナポリタン、ボロネーゼ、アンチョビやオイルサーディンを使ったもの、
義姉にいただくジェノベーゼで、ツナとトマトの冷製パスタ、ナスやベーコン・ソーセージ・鶏肉とトマトソース、今作れるパスタの種類は10くらいだろうか。

 

そんな日曜日、早朝から調べものをしてたら石神井公園にでも走っていってみようと思い立ち、午後出発。

太田道灌vs豊島氏

としまえんは練馬城跡にあります。
石神井川は園内を突っ切っているので、川っぺりの測道は分断されます。
向こうに見えるのはフライングパイレーツ、大きな乗り物が出来たと四半世紀以上前によく乗ったものです。
当時、木馬の会という会員だったので、まぁ〜通いました。
連続乗りで顔面真っ白オエッ、よく辛い思いをして帰路に。。
...ア◯みたいにグルグル回るアトラクション、あれだけは今も乗らない、見ているだけで横になりそうだ。

向こうで人々を揺さぶり続ける今では小さく感じるパイレーツを懐かしんで。

ここから川をのぼってゆくと石神井公園(石神井城)へ、
向おうかと思うも時間がないのでここで終わり。

豊島氏は今の東京北西部を支配していたのはご存知のとおり。
武蔵国豊島郡は、現在の千代田、中央、台東、文京、荒川、北、板橋、練馬、豊島、新宿にまたがる広大な土地だったそう。via

もしも太田道灌に破れることなく繁栄していたら、今とはガラッと違ったことでしょうね。
皇居ランは練馬・石神井公園ランだったかも、とか。

21km 2:06'30" 10.0 km/h (06'01 /km)


image   2013 1/10
『カメラ』

ダグラム(ガンダムみたいの yahoo画) みたいな、
ウェポンみたいです。

RED かっこいいです。

 

このパーツひとつで...豪遊できるな視点からみてはいけない。

と、
このカメラでの様々なワアートワークを次回はみさせていただきたいな、と。

 

・・・デジカメ3台、テープのカメラ2台...
天袋には湾岸戦争の時に活躍したモデル、バズーカーのようなすごいのが静かに眠っています。

 

...商店街、乳母車にかけたたいそうなレンズの一眼、
我が子の日常のシーンを逃さぬように。

・・・三十数年前、母がボーナスで買ったカメラは110フィルム。
速攻でなくなる電池にはまいどまいど困ったものでした。

褪せたフィルムに写る今の自分と同い年の母の姿をみていると、
その当時の母のさまざまな苦労や喜びをはっきりと思い出します。

共に生きてゆくなかでの尊い経験や感動にシャッターをきる。
枚数の多さではなく愛情の多さに、深さにありがとう。


image   2013 1/5
『謹賀新年』

今年もよろしくお願いいたします。

最高だった人、どん底だったひと、フラットだった人、
人それぞれ...さまざまありますが、
良いことがあったら同じぐらいにつらいことも
つらいことがあったら同じくらいに良いことも

 

言葉をもっと大切にしたいです。
身体も養生。

支えて下さっている方々、家族に感謝の気持ちを忘れずに...
ありがとうございます。

はいつくばってのぼる

 

 

...2日の朝はホームグラウンドを気持ちよく10km。

3日の午後も気持ちよく14km、
巣鴨江戸六地蔵尊にお参りして上野の森へ。
小さなお地蔵さん、
生まれてこれなかった年子の弟を重ねて想いいつも行っている。
少し前に母がポツリと、
「洋二(自分)、お母さんはね、幸世(弟)のことを想ってお参りしているの」と...
びっくりしたけども、弟が家族をかわらずに繋げてくれている、
俺も一緒に生きているよ〜って言っているような気がして、
改めてうれしく思ったんです。

二、2、
弟と自分、二人分の2。