2018 4/25 『最近のジョグ』
今年に入ってから......と言うか、もうGWだ......
月に20−30kmくらいしか走れておらず、走れてもゆっくりと流すような感じでちょうどいい。と言うか、少しキツいとも感じる。
なので、走ったり歩いたりということも多々アリで。
それでも、走れれば十分に精神的に気持ちがいい。
ラン歴はもう少し暑くなる季節になれば、9年続いているということで。
続くものだわ。
さて、待っていた図書が届いたので、ぐびぐび読んでみた。
ここ最近の技術の発達によって、アップデートが激しい人類史を一気読み。
奇蹟というか、偶然とも言うか....弱者であるヒトが生き残って現在繁栄しているという事実。我々以外に他のヒトは絶滅してしまったけども、ネアンデルタール人の遺伝子の約2%は我々に受け継がれている。(一部のアフリカの人は除く)
人類みな兄弟....と、子供のによく聞いたけども、人類史を知るとよく分る。
自分が死ぬまでには、もっと色々とアップデートがされていくのだろう。
おもしろいものです。
そうそう、この前の日曜日の副都心はなんと29℃。
身体が保つかちょっと不安だったけど、暑い中ゆっくりペースでジョグを。
一年振りの全身塩まみれでざらっざら....これがまた気持ちがいいもんで。
ランでもジョグでも、ウォーキングでも歩けることが本当に気持ちがいい。
と言うのも、どんどん歩けなくなる家族がいると、本当にそう思うし、ありがたいと思うのです。
走った後の屋外でのアルコールもおいしい季節になりました。
2018 4/19 『板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集』
ご子息の方が、自費出版だっただろうか....で作ったもので、地域史のコーナーにあり、志村という町と大野家ということから、気になったので手にしてみた。
というのも、志村には志村名主屋敷がかつてあり、当主は大野藤左衛門という方で、本陣代わりを務めていて、大名や公家などの身分が高いものが、休息に使ったという。
地図の赤丸で囲ったあたりに、志村名主屋敷や、合の宿(立場茶屋)があったそうで、戸田の渡しが増水で渡れない時には、休息場としても利用されていたという。
写真一番下、この左側あたりに志村名主屋敷や立場茶屋があったようだ。(都営三田線が地下から地上に現れてくる場所)
志村名主屋敷は、明治元年と明治3年に二度明治天皇が大宮氷川神社に行幸した際に、大野家で休息をとったと記録されている。
そして、昭和40年代まで茅葺きの二階建ての立場茶屋があったそうだ。
昭和30年代、都営三田線が開通する前までは、昔の街道の面影を残していたようで、立派な長屋門も残されていたが、都市化の影響や開通に伴い、解体されてしまったという。
清水坂は武蔵野台地の縁、崖になっているので、かつては水が湧きだしており、ヘビもたくさん出ていたという。
一時代を生き抜いた、志村名主の大野家の子孫の方による(おそらく)、かつてを知ることが出来る貴重な本だった。
この付近の過去記事
板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
案内標識と庚申塔
板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
現存する都内の一里塚
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
- ■谷端川(源泉から池袋本町)
- ■谷端川 2(池袋本町から小石川)
- ■谷端川と池袋の名の由来 古道 高田道
- ■神田川に注ぐ谷端川 市兵衛河岸
- ■谷端川(小石川、礫川) 生きている江戸の歴史 東京の坂道 文京区白山<網干坂>
- ■谷端川のお多福弁天(板橋区板橋1丁目)
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■谷端川 大塚にある瀧不動(豊島区北大塚2)
- ■谷端川下水道幹線 SPR工法
- ■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場
- ■谷端川(千川・小石川・礫川) 猫又坂(猫貍坂、猫股坂)と猫又橋
- ■宮仲(巣鴨村) 谷端川 上池袋支流(瓢箪池支流) 滝と呼ばれた洗い場跡 瓢箪池跡(山玉(やまたま)の池)
- ■谷端川 雲雀ヶ谷支流(名も無き小川)とお多福弁天沼(お多福弁天様・橋かけ弁天様)
- ■谷端川と上池袋支流(瓢箪池支流)の落ち合い地点にある防災用ポンプ
- ■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
- ■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件
- ■谷端川ほとりにある<魚がし寿司 板橋総本店>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■池袋二丁目(池袋二・池袋三業地<百軒店>) 御嶽神社前 谷端川 境井田支流(御嶽支流) 上流
- ■池袋二丁目(池袋二・池袋三業地<百軒店>) 御嶽神社前 谷端川 境井田支流(御嶽支流) 下流〜合流
- ■谷端川 出端川支流(湧水地:板橋区大山町 千川上水 旧川越街道に架かる大山橋そば)
- ■谷端川 中丸川支流 上流<幸町・南町>
- ■谷端川 赤羽線 矢畑川自由通路地下道ガード(板橋駅地下通路)
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■巣鴨の名の由来<古池> 府中藩松平播磨守抱地・下屋敷跡 旧宍戸子爵邸<その後廃兵院(改称されて傷兵院)> 現 巣鴨公園
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■本郷 菊坂 樋口一葉旧居跡と井戸
- ■池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚
- ■池袋東貝塚遺跡(<谷端川>舌状台地)
- ■石神井川 河川争奪 音無渓谷
- ■かつての石神井川
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■石神井川 旧河道 音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■石神井川 金剛寺(滝野川城)にある松橋弁財天洞窟への道標と音無もみじ緑地 王子七滝 松橋弁財天洞窟跡
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■王子七滝 松橋弁財天洞窟跡 桜並木 音無もみじ緑地の小さな滝
- ■北区滝野川 金剛寺(滝野川城跡)冨士講先逹の安藤冨五郎顕彰碑
- ■桜も見事な金剛寺(紅葉寺/滝野川城跡)と松橋弁財天洞窟 跡 千川上水 王子分水沿いにある岩屋弁天への道標(庚申塔)
- ■石神井川 旧河道の露頭 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 攻撃斜面からの湧水(2020年6年22日映像追加)
- ■石神井川 割烹音無川<音無川温泉> 音無さくら緑地
- ■石神井川 音無さくら緑地 石神井川沿いにあった紅葉園(滝野川園と楓楽園)
- ■石神井川 板橋東いこいの森
- ■石神井川 赤羽線(埼京線)際 板橋四丁目の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 音無こぶし緑地の豊富な湧水 カラッカラ乾燥の都内
- ■石神井川 2021年3月末 音無こぶし緑地の豊富な湧水
- ■石神井川 2024年2月末 枯渇した音無こぶし緑地の湧水
- ■石神井川 染井吉野の桜並木と谷端川下水道幹線<千川上水の放流(停止)>の吐口
- ■石神井川 滝野川 稚児ヶ淵跡(ちごがふち)
- ■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
- ■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■石神井川 不動の滝跡(瀧不動の碑)付近の調査(2014年11月28日 9時頃)
- ■王子七滝 名主の滝
- ■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
- ■王子七滝 名主の滝公園の湧水 (2020年8月8日)
- ■王子七滝 名主の滝公園 <今様文覚上人の群れ?ー名主の瀧でグロな刺ヨ競べ>
- ■王子七滝 王子 権現の滝
- ■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
- ■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
- ■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
- ■王子七滝 王子稲荷神社 稲荷の滝跡 いなり幼稚園
- ■王子七滝 王子稲荷神社 消滅した稲荷の滝の今 <本郷台中腹 湧水点上部 “後ろ姿”>
- ■王子七滝 見晴の滝跡の湧水と芝坂
- ■王子七滝 見晴の滝の名の由来
- ■王子十五滝 醸造試験所の滝
- ■王子十五滝 料亭扇屋 末広の滝
- ■王子十五滝に加えて 旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘跡)下 今も残る飛鳥山の小さな滝(十六滝)
- ■王子十五滝 新潟会館の段差のある滝(十七滝)
- ■板橋区加賀 旧理化学研究所板橋分所跡から石神井川に落ちる雨水
- ■2020年秋 コロナ禍の音無川(石神井川)音無渓谷
- ■音無川(石神井川)音無渓谷 <かわどこかふぇ 三〇〇年の歴史に思いを馳せる>
- ■音無渓谷 音無川(石神井川)に架かる舟串橋と扇屋の洋食部の洋館 ー絵葉書よりー
- ■マツコ&有吉 かりそめ天国 王子<扇屋>の卵料理
- ■<王子に生まれて>石鍋商店 石鍋秀子 “石神井川の思い出”
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■王子神社東側の崖線と上郷用水(石神井用水)に架かる三本杉橋の親柱
- ■王子神社のイチョウと王子大坂のおっぺし(立ちんぼ)
- ■王子神社 末社 関神社<髪の祖神>と毛塚
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 銭湯浴室に掛けられた[つり堀り 加賀園]の看板(旧 加賀浴場だろうか?)
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 音無川(石神井川)<音無橋と音無渓谷 改修前の王子大堰>
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 昭和54年 岸町2丁目〜中十条2〜3丁目<崖線からの湧水>
- ■北区田端 不動の瀧(道灌山の滝)・不動坂 谷田川沿い水神稲荷神社
- ■田端駅構内 武蔵野台地の崖下にあった鑑賞池 崖線からの湧水
- ■あらかわ(荒川)遊園にあった男滝・女滝 小台の渡しの渡し場にあった料亭・清水滝
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■昭和の石神井川
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋
- ■石神井川 沼
- ■石神井川の大橋たもと 不動明王座像と敷石供養塔 安全の祈願〜臨済宗大徳寺派 廣徳寺
- ■石神井川の付け替え
- ■石神井川飛鳥山ずい道(生物の遡上不可と言われている) 久保田橋・緑橋付近<令和3年の生物調査の概要>
- ■石神井川 東宮降誕植桜之碑
- ■石神井川とエンガ堀の合流地点にかつてあった積田牧場大谷口搾乳所
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷 エンガ堀支流<向原の溜池> 釣堀跡
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷[スケーター心をくすぐる急坂] エンガ堀支流<向原の溜池> 上流方向
- ■上板橋三池 板橋区大谷口・向原の深い谷[自立支援から独立の地] エンガ堀支流<向原の溜池> 下流方向
- ■板橋区栄町 板橋競馬場跡 石神井川沿い<愛光舎牧場> 現 牛乳販売店<愛光舎>
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 上流
- ■板橋区弥生町・中板橋 石神井川 <弥生町・中板橋支流> 下流 <上板橋 遊泉園と水神さま(水神寓)>
- ■石神井川 板橋区氷川町 氷川神社近くにかつてあった氷川沼(弁天沼)と白なまずの伝承
- ■石神井川 田柄川用水とも呼ばれた安養院境内に残る “あげ堀” 跡
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■旧石神井川(古石神井川)の跡 飛鳥山・滝野川付近
- ■石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)
- ■古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)
- ■王子の料理屋・扇屋 石灯籠と屋敷神(稲荷社 2021年4月7日加筆)
- ■江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) <王子 扇屋「狂句合 扇屋へ馴染になつた三の午」> 歌川広重
- ■飛鳥山公園 飛鳥明神<飛鳥山の隠れ狛犬>・<飛鳥大坂(飛鳥山坂)と六石坂>
- ■王子 飛鳥山 さくら新道 共同洗い場
- ■古石神井川の流路 逆川
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■石神井川上流 下野谷遺跡
- ■石神井川の緑橋にある水車の説明板<加賀藩下屋敷にあった水車 [その後は火薬製造や製紙などの軍事・工業用の動力へ ]>と川底から沸き出すのは自噴水か?
- ■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■豊島区駒込六 染井稲荷神社<染井の泉跡>と<恩賜上野動物園 ソメイヨシノの原木)
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■谷田川通り 中里用水架道橋・山手電車 中里用水ガード 谷田川暗渠 <欄干>
- ■北区西ヶ原三丁目 西谷戸新道の石碑 谷戸川(谷田川・逆川/古石神井川流路)と鎌倉街道(浅草道)の外輪橋 千川上水(王子分水)に架かる観音橋
- ■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
- ■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
- ■文京区弥生町 弥生式土器の発見地
- ■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
- ■上野恩賜公園 不忍池のほとりにあったお茶屋
- ■台東区池ノ端 境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸 暗闇坂
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■北区西ヶ原 王子脳病院跡地の飛鳥中学校 西ヶ原遺跡群(西ヶ原貝塚) 住宅地にも広範囲に分布する縄文時代の貝殻 中里貝塚
- ■北区西ヶ原 西ヶ原遺跡(西ヶ原<西ケ原>貝塚)
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区十条仲原 稲付川に架かっていた游鯉園橋
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
- ■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
- ■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■北区上十条 姥ヶ橋の延命地蔵尊に添えてある小さな角柱型文字庚申塔道標
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)
- ■北区 中里遺跡出土丸木舟
- ■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※河口側
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀跡(神谷堀) 上郷用水・上十条用水の排出 製紙産業と水運 ※東十条側 大坊橋(デッカンボウ<誤 -大防橋 だいぼうはし->)と上郷用水に架けられた<桜橋> 大蛇伝説
- ■北区王子五丁目(王子神谷) 甚兵衛堀の主<ヌシ>の大蛇がまつり込まれている庚申さま(<庚申塔>神谷橋庚申通り商店会) 古墳 観音塚
- ■北区神谷三丁目 自性院前の庚申塔(道標)
- ■北区豊島8丁目 豊島馬場遺跡公園<ガラス小玉鋳と方形周溝墓>
- ■板橋区 根ノ上遺跡
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■板橋区 稲荷台遺跡
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区岸町2丁目の湧水
- ■令和5年1月 武蔵野台地(本郷台地・十条台)北区岸町二丁目の湧水
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3丁目 荒澤不動(荒沢不動)の湧水と馬坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂
- ■武蔵野台地東部(十条台地) 北区清水坂公園の湧水(井戸)
- ■赤羽自然観察公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■北区赤羽西 かなくさ坂と湧水 隣接する赤羽自然公園の湧水(陸上自衛隊十条駐屯地跡)
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #1
- ■旧松澤家住宅 附 倉屋 #2 徳丸ヶ原(西台、高島平)の思い出
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■田柄川の水源と茂呂遺跡
- ■田柄川 石神井川との合流地点
- ■石神井川 公開された茂呂遺跡(旧石器時代が日本に普遍的に広まっていたことを証明した遺跡・黒曜石製 茂呂型ナイフ形石器の発見)
- ■板橋区 栗原遺跡の竪穴住居跡と長嶋茂雄
- ■池袋の川 弦巻川<丸池跡・現 元池袋史跡公園>
- ■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
- ■豊島区の湧き水と池 <弦巻川の水源である丸池跡の元池袋公園の思い出>
- ■弦巻川の水源 池袋丸池<成蹊池>から北西の西池袋公園・立教通り方向へ延びる水路 元池袋公園から元池袋史跡公園へ
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて 湧水は<美久仁小路>付近
- ■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線)
- ■水窪川の擁壁 小日向台の崖線から滲み出す水 八幡坂 江戸切絵図より
- ■水窪川が削った深い谷と階段 旧大塚坂下町(大塚五丁目)
- ■巣鴨プリズンの遺構 水窪川<排水口> イケ・サンパークに移設・復元)
- ■水窪川跡沿いにある家屋 日出優良商店会 <ミート&デリカ なりたや>の黒毛和牛入り一個五十円のメンチカツ
- ■水窪川 鳩山会館隣りの水路の遺構 今宮神社前に残る石橋(橋桁) 小日向台の崖からの湧き水
- ■豊島岡墓地(豊島岡御陵)の蛇池から護国寺の湧水池に注いでいた水窪川支流に架けられた橋
- ■護国寺 音羽富士塚(音羽富士)<富士浅間神社>
- ■<昭和二十年 東京地図><続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■文京区小日向 茗荷坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■本郷給水所公苑
- ■東京都水道歴史館
- ■文京区小日向一・二丁目南遺跡 神田上水旧白堀跡 東京都水道歴史館に移築復原
- ■神田上水 関口大洗堰の由来碑の碑文
- ■神田上水石樋の碑
- ■関口の大洗堰(目白下大洗堰)<神田上水取水口の石柱>
- ■椿山荘 古香井
- ■目白台の湧水を生かした回遊式泉水庭園<肥後細川庭園>と胸突坂(別名 水神坂)
- ■肥後細川庭園と椿山荘の間 関口水門(大洗堰)の守護神<水神社> 細川家 永青文庫
- ■江戸川(現 神田川)の治水事業 江戸川公園<大井玄洞翁の胸像>
- ■複合遺跡 東池袋遺跡 旗本中西家の屋敷地と御鷹方御役屋敷
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川<前谷津川と宮下大山不動明王> スケートボードに寝そべって暗闇の急坂を下る少年スケーター達<池袋からの帰路、日曜日の楽しみ>
- ■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流 梶谷津川
- ■前谷津川の支流 梶谷津川の源流付近と暗渠蓋
- ■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
- ■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷
- ■前谷津川(前谷津川緑道) <赤塚しのがやと公園(篠ヶ谷戸)>と<橋ぎわ>
- ■2024年7月31日 東京・埼玉 1時間に100ミリを超える記録的短時間大雨 <板橋区徳丸 前谷津川暗渠氾濫(前谷津川緑道)> <谷頭部にあった食べ放題のすたみな太郎と東武練馬駅改札入口横にあった立ち食いスタイル 名店ジョーイハンバーガーという100円バーガ>ー
- ■板橋区 赤塚不動の滝と大根
- ■板橋区赤塚 不動の滝<記念物(史跡)> 令和3年
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■板橋区赤塚四丁目 板橋区No.135遺跡<赤塚氷川神社富士塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚四丁目(成増) 蓋をされた23区内最大の崖 <成増露頭>と貝の化石 板橋区板橋一丁目・加賀一丁目からはナウマンゾウの化石
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区泉町 出井の泉跡(出井の泉公園)〜出井川跡 “清水講中<大山不動明王>石碑”
- ■<郷土清水>板橋区志村第一尋常小学校 清水稲荷神社“出井泉(酒泉渓)”と“清水氏・板橋氏”
- ■板橋区宮本町 出井の泉跡から清水稲荷神社へ移設された“清水講中<大山不動明王>石碑” 消滅した最東端の有力な支流の谷頭
- ■板橋区前野町 出井川の水源のうちのひとつ 見次公園(自然湧水池)
- ■板橋区東坂下 出井川<新中山道(国道17号)に架かる新小袋橋>
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
- ■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集
- ■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
- ■統計開始以来初 史上最短6月中の梅雨明け直前の<志村清水坂緑地の湧水>
- ■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■板橋区 志村古墳群<お伊勢塚古墳> 2022年1月13日加筆
- ■板橋区志村 熊野神社 志村古墳群 板橋区No_159遺跡<塚(古墳)上に建てられた社殿>
- ■板橋区志村 志村古墳群 板橋区No_157遺跡<塚or古墳>
- ■板橋区志村 志村古墳群<1号墳・2号墳>跡
- ■板橋区 小豆沢公園の湧水
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #1
- ■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #2
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
- ■板橋区若木 中台馬場崎貝塚
- ■千川上水跡(豊島区立千川親水公園) 桜並木と五基の庚申塔
- ■板橋区大山西町の用水路
- ■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
- ■分水嶺、千川上水調節池跡
- ■千川上水 喜内古屋水車跡
- ■千川上水 板橋宿(仲宿・中宿) 割烹・待合<喜内古家>跡にある出汁の自動販売機 <遊郭 岡蔦楼と岡蔦山>
- ■千川上水 水神様 <大山西町発展史>
- ■豊島区 千川上水公園と千川上水分配堰碑 千川上水の放流(谷端川下水道幹線)
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■千川上水分水 石神井川氷川町・栄町支流 旧河道の氷川つり堀公園
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区大山西町 千川上水跡<河川管理地>
- ■板橋競馬場内の水路 <板橋区栄町(養育院跡)の暗渠 暗渠道>
- ■千川上水から分水した貯水池跡 <王子駅前公園>
- ■江古田川 不動橋と垢離取不動尊
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■玉川上水
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■玉川上水 旭橋の石柱と下水用石樋
- ■渋谷川 氾濫危険水位
- ■渋谷川の再生と白根記念 渋谷郷土博物館
- ■河骨川(春の小川)
- ■自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
- ■渋谷区神南2丁目1番先 水無橋
- ■明治神宮 穩田川(渋谷川)の支流
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■穩田川(渋谷川) 表参道に残る参道橋の親柱
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■猿楽古代住居跡(代官山)
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■目黒元富士跡 上目黒1―8
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■富士塚古墳<十条冨士塚(冨士神社)> 調査後の現在の姿 鳥大の一個十円のチキンボール
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■豊島長崎の富士塚
- ■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
- ■駒込富士神社と古墳群
- ■赤羽台古墳群 赤羽台第3号古墳石室
- ■北区赤羽北 稲荷の坂と赤羽台古墳群(赤羽台4丁目)
- ■北区王子 飛鳥山1号墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区赤羽西5 大塚古墳 周辺の古墳(天王塚古墳、稲付台古墳群など)
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■北区滝野川3 滝野川古墳(都立王子総合高等学校敷地/旧王子工業高等学校跡地)
- ■上野恩賜公園 摺鉢山古墳
- ■北区中十条 日光御成道(鎌倉街道 中道 旧岩槻街道) 清水坂(清水坂遺跡)
- ■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標
- ■急傾斜地 板橋区小豆沢・北区赤羽西・新宿区赤城元町
- ■新宿区 赤城元町の崖
- ■神楽坂ラン 赤城坂
- ■四谷荒木町 策の池、紅皿の墓
- ■新宿歴史博物館
- ■新宿区弁天町 宝竜寺坂(幽霊坂)と住吉町 念仏坂
- ■豊島区 のぞき坂
- ■豊島区南池袋(雑司が谷) 法明寺 豊島氏の墓
- ■豊島区 法明寺 威光稲荷堂
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■北区西ヶ原 鎌倉道につながる熊野坂 豊島郡衙へ
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
- ■北区赤羽西 真正寺坂 「しんしょう昇る」と庚申塔
- ■北区滝野川 消防署建設の際に潰した狐塚の狐の祟り<滝野川伏見稲荷神社> 狐塚の坂と岩屋弁天(松橋弁財天洞窟)・正受院(滝不動)への道標
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■北区西ヶ原 大炊介坂(おおいのすけざか)
- ■消える富士見坂と豆まき
- ■消えた日暮里富士見坂
- ■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
- ■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
- ■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
- ■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
- ■蓮根川緑道 ヘビ公園
- ■蓮根川緑道に白い大蛇の遊具があるのはなぜか 志村の原 消滅した川島の丸池
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■板橋区高島平8丁目 徳丸ヶ原公園 <平太郎沼と呼ばれた沼を模した名残の親水設備>
- ■スケートボードは構成要素
- ■メイク
- ■オールドスクール
- ■JT
- ■スケートボード道
- ■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■板橋区・北区 御代の台
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■北区中十条3(東十条駅北口) 石神井坂
- ■北区岸町 三平坂
- ■玉手山古墳群<前方後円墳を利用した墳丘墓地> 大阪府柏原市
2018 4/16 『リストランテ × バール ラ ロッカ』
ファサードとインテリアの写真を掲載。
前店舗はこちら。
変える良さと変えない良さがある。
湘南まるごと魅力ガイドに掲載されている広告も掲載した。
変わらずに、地域の皆様に愛され続けるお店ですね。
料理の写真を整理してたら、また食べたくなってきたなぁ。
2018 4/12 『特定整備路線 補助73号』
国道17号線と下板橋駅に至る交差点、下板橋までは幅員が広くなっている。これが補助73号線。
地図の下板橋駅より北側が広く、駅を越えた方の幅員は狭いままだが、このこの何年かで用地買収も進んでいるようで、商店や住宅があった空き地があちこちに出現している。
この補助73号線は、赤羽駅前から清水坂公園そばを通り、十条富士見銀座商店街と十条銀座商店街と平行して住宅街を抜けて、さらに住宅街を貫き、東京家政大学の横を通り、石神井川を渡り、国道17号線と交差し、下板橋駅前を通り、池袋本町住宅街を抜けて、川越街道と交差し、劇場通りとなる。
下板橋駅を越えた73号線は地図の赤いラインにあたり、池袋本町商店街と一部重複しているのだが、たまに通ると、商店主と買い物客との会話が聞こえて来て、立ち退かなければならないのよぉ....えっ?!そうなんですか、寂しいですねぇ、もう食べられなくなるんですねぇ....と言った会話が聞こえてくる。
73号線は川越街道とも交差するが、その地点(地図の黒丸部分)に土佐っ子の流れをくむ、名店 韃靼ラーメン 一秀があるのだが、3月末に閉店した。
これは推測だが、73号線の用地買収によることでの撤退かと思われる。
いい場所が見つかったら再開して欲しいですね。
というのも、中学生や高校・大学、社会人になってからもちょいちょい、環七 土佐っ子に通っていた。
スケート仲間のお父ちゃんに、海に連れて行ってもらった帰りに、ごちそうになったのが初めてで、けっこうな衝撃を受けたもので....なんだ?この脂は?!って。
ぬるっぬるのオイリーな床が懐かしい...夜もふけた頃に食べるとおいしかったなぁ。
土佐っ子が撤退してから、いつぐらい経ったか忘れたが、板橋本町付近の環七に平太周という、土佐っ子の流れをくむラーメン屋ができて、こちらにもちょいちょい通った。
年齢を重ねていって、胃が受け付けなくなり、最近、特製は食べられないような気がして、この一秀には一回も行ったことがなかった。しょっちゅうお店の前は通っているのだが。
土佐っ子の流れをくむお店はいくつかあるようだけど、血液サラサラだったんラーメン....またこの近くで再開してくれたら、挑戦してみようかな。
話を戻すが、この73号線は池袋警察署付近まで開通していて、その先は住宅街となり、ぷっつりと切れている。付近の住民の方々から大反対を喰らっているようで。
この73号線はある種、壮大な道で、赤羽から池袋を抜けて、新宿までつながるらしいが、便利になる方もいるし、立ち退かないとならない方もいるし、様々な問題を抱えていることは確か。
2018 4/5 『リストランテ × バール ラ ロッカ』
神奈川県二宮町、駅から徒歩2分の国道一号線沿いに、名も新たにRistorante × Bar la ROCCAとして移転、新装開店した。
以前は東海道本線二宮駅から徒歩10分だったので、とても便利になり、より多くのお客様が来店されることだろう。
3月末、レセプションに招待されたので、団体でお邪魔してきた。
オーナーの挨拶が始まり、乾杯。
喉がカラッカラだったので、まぁ〜ビールがおいしかった。
....と言っても、向う前に10kmジョグして、ビール3缶飲んでいたけども。
久しぶりのオーナーの料理は変わらずにとてもおいしかった。
まったく足りないくらい。
最高でした。
料理の写真は¥3000のハーフコース(キャビアは除く)とのこと。
都内からは距離があるので、頻繁にはなかなか行けないのが残念。
プチ旅行的な感じで食べに行くのがいいのだろう。
....帰りはグリーンカーでもう一杯。
とにかく、おめでとうございます!