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2018 4/25 『最近のジョグ』

今年に入ってから......と言うか、もうGWだ......
月に20−30kmくらいしか走れておらず、走れてもゆっくりと流すような感じでちょうどいい。と言うか、少しキツいとも感じる。
なので、走ったり歩いたりということも多々アリで。
それでも、走れれば十分に精神的に気持ちがいい。
ラン歴はもう少し暑くなる季節になれば、9年続いているということで。
続くものだわ。

さて、待っていた図書が届いたので、ぐびぐび読んでみた。
ここ最近の技術の発達によって、アップデートが激しい人類史を一気読み。
奇蹟というか、偶然とも言うか....弱者であるヒトが生き残って現在繁栄しているという事実。我々以外に他のヒトは絶滅してしまったけども、ネアンデルタール人の遺伝子の約2%は我々に受け継がれている。(一部のアフリカの人は除く)
人類みな兄弟....と、子供のによく聞いたけども、人類史を知るとよく分る。
自分が死ぬまでには、もっと色々とアップデートがされていくのだろう。
おもしろいものです。

そうそう、この前の日曜日の副都心はなんと29℃。
身体が保つかちょっと不安だったけど、暑い中ゆっくりペースでジョグを。
一年振りの全身塩まみれでざらっざら....これがまた気持ちがいいもんで。
ランでもジョグでも、ウォーキングでも歩けることが本当に気持ちがいい。
と言うのも、どんどん歩けなくなる家族がいると、本当にそう思うし、ありがたいと思うのです。
走った後の屋外でのアルコールもおいしい季節になりました。

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2018 4/19 『板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集』

ご子息の方が、自費出版だっただろうか....で作ったもので、地域史のコーナーにあり、志村という町と大野家ということから、気になったので手にしてみた。

というのも、志村には志村名主屋敷がかつてあり、当主は大野藤左衛門という方で、本陣代わりを務めていて、大名や公家などの身分が高いものが、休息に使ったという。

地図の赤丸で囲ったあたりに、志村名主屋敷や、合の宿(立場茶屋)があったそうで、戸田の渡しが増水で渡れない時には、休息場としても利用されていたという。

写真一番下、この左側あたりに志村名主屋敷や立場茶屋があったようだ。(都営三田線が地下から地上に現れてくる場所)
志村名主屋敷は、明治元年と明治3年に二度明治天皇が大宮氷川神社に行幸した際に、大野家で休息をとったと記録されている。
そして、昭和40年代まで茅葺きの二階建ての立場茶屋があったそうだ。

昭和30年代、都営三田線が開通する前までは、昔の街道の面影を残していたようで、立派な長屋門も残されていたが、都市化の影響や開通に伴い、解体されてしまったという。

清水坂は武蔵野台地の縁、崖になっているので、かつては水が湧きだしており、ヘビもたくさん出ていたという。

一時代を生き抜いた、志村名主の大野家の子孫の方による(おそらく)、かつてを知ることが出来る貴重な本だった。

この付近の過去記事
板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
案内標識と庚申塔
板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
現存する都内の一里塚

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2018 4/16 『リストランテ × バール ラ ロッカ』

ファサードとインテリアの写真を掲載。
前店舗はこちら
変える良さと変えない良さがある。

湘南まるごと魅力ガイドに掲載されている広告も掲載した。
変わらずに、地域の皆様に愛され続けるお店ですね。

料理の写真を整理してたら、また食べたくなってきたなぁ。

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2018 4/12 『特定整備路線 補助73号』

国道17号線と下板橋駅に至る交差点、下板橋までは幅員が広くなっている。これが補助73号線。
地図の下板橋駅より北側が広く、駅を越えた方の幅員は狭いままだが、このこの何年かで用地買収も進んでいるようで、商店や住宅があった空き地があちこちに出現している。
この補助73号線は、赤羽駅前から清水坂公園そばを通り、十条富士見銀座商店街と十条銀座商店街と平行して住宅街を抜けて、さらに住宅街を貫き、東京家政大学の横を通り、石神井川を渡り、国道17号線と交差し、下板橋駅前を通り、池袋本町住宅街を抜けて、川越街道と交差し、劇場通りとなる。
下板橋駅を越えた73号線は地図の赤いラインにあたり、池袋本町商店街と一部重複しているのだが、たまに通ると、商店主と買い物客との会話が聞こえて来て、立ち退かなければならないのよぉ....えっ?!そうなんですか、寂しいですねぇ、もう食べられなくなるんですねぇ....と言った会話が聞こえてくる。
73号線は川越街道とも交差するが、その地点(地図の黒丸部分)に土佐っ子の流れをくむ、名店 韃靼ラーメン 一秀があるのだが、3月末に閉店した。
これは推測だが、73号線の用地買収によることでの撤退かと思われる。
いい場所が見つかったら再開して欲しいですね。
というのも、中学生や高校・大学、社会人になってからもちょいちょい、環七 土佐っ子に通っていた。
スケート仲間のお父ちゃんに、海に連れて行ってもらった帰りに、ごちそうになったのが初めてで、けっこうな衝撃を受けたもので....なんだ?この脂は?!って。
ぬるっぬるのオイリーな床が懐かしい...夜もふけた頃に食べるとおいしかったなぁ。
土佐っ子が撤退してから、いつぐらい経ったか忘れたが、板橋本町付近の環七に平太周という、土佐っ子の流れをくむラーメン屋ができて、こちらにもちょいちょい通った。
年齢を重ねていって、胃が受け付けなくなり、最近、特製は食べられないような気がして、この一秀には一回も行ったことがなかった。しょっちゅうお店の前は通っているのだが。
土佐っ子の流れをくむお店はいくつかあるようだけど、血液サラサラだったんラーメン....またこの近くで再開してくれたら、挑戦してみようかな。

話を戻すが、この73号線は池袋警察署付近まで開通していて、その先は住宅街となり、ぷっつりと切れている。付近の住民の方々から大反対を喰らっているようで。
この73号線はある種、壮大な道で、赤羽から池袋を抜けて、新宿までつながるらしいが、便利になる方もいるし、立ち退かないとならない方もいるし、様々な問題を抱えていることは確か。

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2018 4/5 『リストランテ × バール ラ ロッカ』

神奈川県二宮町、駅から徒歩2分の国道一号線沿いに、名も新たにRistorante × Bar la ROCCAとして移転、新装開店した。
以前は東海道本線二宮駅から徒歩10分だったので、とても便利になり、より多くのお客様が来店されることだろう。

3月末、レセプションに招待されたので、団体でお邪魔してきた。
オーナーの挨拶が始まり、乾杯。
喉がカラッカラだったので、まぁ〜ビールがおいしかった。
....と言っても、向う前に10kmジョグして、ビール3缶飲んでいたけども。

久しぶりのオーナーの料理は変わらずにとてもおいしかった。
まったく足りないくらい。
最高でした。
料理の写真は¥3000のハーフコース(キャビアは除く)とのこと。

都内からは距離があるので、頻繁にはなかなか行けないのが残念。
プチ旅行的な感じで食べに行くのがいいのだろう。

....帰りはグリーンカーでもう一杯。

とにかく、おめでとうございます!