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2023 12/25 『豊島区南大塚一丁目<東福寺 道標 二基> 真性寺、護国寺へ 巣鴨監獄道・大塚道(折戸通り) 』

地図の黒丸部分に東福寺がある。前記事には疫牛供養塔について書いたが、山門手前には他に道標があり該当場所(名所)を地図に書き加えた。

山門の説明板より引用ーーーーーーーーーー

東福寺 
真言宗豊山派に属し、観光山と号す。創建の年代は明らかでないが、永禄五年(一五六二)に良賢和尚が中興したと伝えられている。初め小石川大塚にあったが、元禄四年(一六九一)に当地へ移ってきた。本尊は十一面観世音菩薩であり、ほかに薬師如来がある。
山門前石段の左右には道標の役割をも兼ねる明治三十七年の庚申塔、明治四十三年の疫牛供養塔などがあり、境内には山門脇に十羅刹女神を祀る堂がある。これは江戸時代、現在の天祖神社の地に祀られ、巣鴨の総鎮守であった。しかし、明治の神仏分離令によって十羅刹女神は福蔵寺の所有となり、その後、福蔵寺が火災で焼失し東福寺に合併したので、東福寺のものとなった。これは昭和三十年まで天祖神社に隣接した場所に置かれていたが、同年、東福寺の境内に移された。
墓地には守山藩(陸奥田村郡)の儒学者戸崎淡園の墓があり、甲冑帯刀した武士が床几に腰をおろした像を刻んだ遅塚九二八の碑もある。
昭和五十七年一月
東京都豊島区教育委員会
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門前、正面から見て左側の道標。
左に<左 真性寺>
右に<右 護国寺>
と刻まれている。

門前、正面から見て右側の道標。
正面に
<左 巣鴨庚申塚>
<向 巣鴨監獄道>
<右 大塚道>
と刻まれている。

左に<東福寺道>
と刻まれている。
右に建立年月日などが刻まれている。

どちらも<當村 山口萬五郎>さん?が寄進(奉納)。
※當村とは当村で巣鴨村のことだろう。

大塚道は<現 折戸通り>で、大塚道を北上すると旧中山道の巣鴨庚申塚に着くことができる。絵図にも描かれている名所。
江戸名所図会 巣鴨庚申塚 <4巻13冊15>】
※豊島郡巣鴨村図では庚申塚を堺にして北が王子道、南が大塚道と言われていた。また尾張屋版 染井王子巣鴨辺絵図では、庚申塚を起点にして北が岩屋弁天道、南が大塚波切不動道と記されている。

巣鴨監獄道は現在のどの道に該当するかは不明だが、東福寺向かいの西南へのびる道があり、谷端川を越えて千川通り(旧癌研通り)と交わり、谷を超えると現 春日通りへ繋がるので、その道が巣鴨監獄道と呼ばれていたのではないか。(今昔マップon the web 1896〜1909年

現在は道がいくつも出来てて建物しか見えないが、明治時代の東福寺からはこの道標でも道先がよくわかったのだろうと、地図の方角や所在地を見て思う。分かりやすいですね。
真性寺は江戸六地蔵があることでよく知られている名所で、とても大きな地蔵菩薩坐像が目を引く。そして隣りに子育地蔵尊が寄り添って建っている。

【関連記事】
■豊島区南大塚一丁目<東福寺 疫牛供養塔> 巣鴨の牧場(豊島区の牧場)

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■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■都電庚申塚駅 旧中山道 延命地蔵堂の石造物群

■巣鴨の名の由来<古池> 府中藩松平播磨守抱地・下屋敷跡 旧宍戸子爵邸<その後廃兵院(改称されて傷兵院)> 現 巣鴨公園

■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件

■護国寺惣門

■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2023 12/21 『豊島区南大塚一丁目<東福寺 疫牛供養塔> 巣鴨の牧場(豊島区の牧場)』

地図の黒丸部分に東福寺があり、山門の前に疫牛供養塔の碑が建てられている。
これは当時流行っていた感染症に罹患し死亡した牛を供養する為に建立されたものだと思われる。疫牛供養塔には<明治四拾三年七月十六日 牛乳搾取業巣鴨支部志之>と刻まれている。
この地域巣鴨をはじめ、現在の豊島区にはたくさんの牧場があったことが知られている。牧場の運営には水も多く使うために、河川流域に拓かれることが多く、豊島区では谷端川(小石川、礫川)や支流、板橋区では石神井川などの近くにかつて牧場があった。
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豊島区立郷土資料館だより<かたりべ19>1990年8月20日発行より引用

上の油絵は、昭和一〇年頃の桜木舎(現、南大塚一丁目)の牧場風景を描いたものです。
・・・昭和八年の『東京牛乳畜産組合員名簿』によると、当時豊島区には七ヶ所の牧場やその関連施設がありましたが、最盛期の大正八年頃には”牛屋横町”と呼ばれた西巣鴨町の二六ヶ所を筆頭として、計四二ヶ所の牧場が点在し、東京市民の重要な牛乳供給地となっていました。
この絵のモデルとなった桜木舎は、区内で最後まで経営を続けていましたが、昭和二〇年四月十三日の空襲にあり、約二年後に廃止されました。

<ミルク色の残像ー東京の牧場展ー>・・・ところで、明治中期から第二次世界大戦直後まで豊島区にはいくつかの牧場があったかご存じでしょうか。高層ビルが立ち並び、人口密度が日本一高い今日の豊島区からは想像もつきませんが五〇年程前までは、区内のあちこちで乳牛の姿を見ることができたのです。
豊島区における牧場の創始者といえば、千葉から来た前田喜代松の名を忘れることはできません。一八八八(明治二一)年、前田が鬼子母神前に「北辰社」牧場を開いたのが豊島の牧場の始まりとされています。そしてこれ以降、区内には、角倉賀道の「愛光舎」や田村貞馬の「強国舎」など日本の牛乳搾取業を代表する牧場が、巣鴨・池袋地域を中心に次々と開設されました。そして一九四七(昭和二二)年に「桜木舎」が経営に終止符を打つまで、のべ六〇ヶ所の牧場が、東京市民に牛乳を供給し続けたのです。
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人々の生活にはかかせなかった馬と牛、牛の供養や馬の供養のために建立された供養塔は町のあちこちにあるが、その存在に気づく人はあまり多くはないのが現状だろう。
築年数が経っている建物だと牛乳(瓶)受けが玄関扉自体や玄関近くの壁に設けられているのを未だによく見かける。私が幼い頃にも牛乳配達は健在だったが、現在60歳以上の人々には親しみのあるものだろう。

また、疫牛供養塔の他に山門前には道標がいくつかある。

【関連記事】
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■巣鴨の名の由来<古池> 府中藩松平播磨守抱地・下屋敷跡 旧宍戸子爵邸<その後廃兵院(改称されて傷兵院)> 現 巣鴨公園

■谷端川流域 大塚 折戸通り入口付近の湧き水と洗い場 石材店のきれいな泉(湧き水)
■谷端川 西巣鴨1-2 洗い場跡<都立文京高等学校隣り 巣鴨新田停留所近く>と暗渠 谷端川沿い 巣鴨子供置き去り事件

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。