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2017 5/31 『上板橋宿と大山福地蔵尊』

板橋区の弥生町の旧川越街道に豊敬稲荷神社がある。
境内に教育委員会が設置した上板橋宿概要図があり、1823年の記録だそうだ。

地図でいうと、3枚目の赤い線が旧川越街道でかつてあった上板橋宿。
上板橋宿は3つの宿に分れていて、上から上宿〜中宿〜下宿となっている。
下宿の先をすすんでゆくと板橋宿があり、こちらの上板橋宿(上板橋村)の方が上(京都)にあるので、上板橋宿と名付けられたようだ。
板橋宿も上から上宿〜仲宿〜平尾宿と3つからなっていて、下板橋宿(下板橋村)ともいわれる。

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豊敬稲荷神社の案内板に、「この旧道は江戸時代から明治初年にかけ川越と江戸を結ぶ主要な街道で川越道又は脇往還とも呼ばれていた。弥生町一帯は当時伝馬役を負担していたため上板橋宿といい、宿内は三宿に分かれていた。伝馬とは街道の貨客を運ぶ際宿から人夫や馬を提供するもので、江戸から上板橋また次の宿下練馬村までが上板橋宿の負担であった」と書かれている。
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名主屋敷
高札場
お代官と呼ばれた醍醐宅
上板橋宿世話役 栗原佐左ェ門宅
上板橋宿副戸長 榎本家
かぎやの屋号 栗原宅(公共の蔵の鍵の管理をしていたという)
かがいの屋号 大村家(加賀藩下屋敷に出入りしていたことから“かがい”と言われる)
はくらくの家号 大野家(馬の鉄蹄を作る店)
馬つぎ場.....これらはもう無い。

今では宿場の面影はほぼないが、唯一面影を残しているのは、中宿にある明治10年頃に建てられた住宅で、概要図には三春屋(お米屋)と描かれている。
ここは大正時代に説教強盗が侵入して捕われたそうだ。
「この戸が不用心だ」とか「番犬を置いた方がいい」など、主に説教をしたのだろうか。
そういえば、豊島区の落合の方でも説教強盗が出たというが、同じ犯人なのだろうか。
威風堂々とした佇まいで街道沿いに建っている。
そして今でもお住まいになられている。

上宿から一本道が石神井川方面へと描かれているが、これは薬師道と呼ばれていて、中野区にある新井薬師への参詣道で、かつては多くの参詣人で賑わったそうだ。
特に目の病気に御利益があったという。
古い道である薬師道は今では抜け道と機能していて、中板橋駅から日大板橋病院に向う職員と思われる女性の姿がよく見られる。
どこの古道も生活道路として、抜け道として機能していることが多い。

下頭橋の袂に祀られている六蔵祠と下頭六蔵菩薩之塔
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下頭橋は、寛政10年(1798)に石橋に架け替えられました。
名の由来については、諸説があります。
一つ目は、旅僧が地に突き刺した榎の杖が、やがて大木に成長した“逆さの榎”がこの地にあったから。
二つ目は、川越城主が江戸に出入りする際、江戸屋敷の家臣がここまで来て頭を下げて見送り出迎えたから。
三つ目は、橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに石橋が架け替えられたからというものです。また、六蔵祠はこの六蔵の遺徳を讃えて建てられました。

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お隣で飼われているブラックキャットがこんにちは。
ここら辺の石神井川は水の流れが速かったようで、瀬田水車小屋があったというが、地主である瀬田家と関係があるのだろう。
水車はとても大きく、直径は7.2mもあったという。

名主河原家が明治に入ってから離散したために、宿場の史料はほとんど遺されていないそうで残念だ。

室町時代、太田道灌によって川越城と江戸城をつなぐために整備された川越街道....地図の緑色の道が鎌倉街道で交通の要衝のために、この周辺は古くから拓けて栄えていたのだろう。

江戸時代後期、通りかかったお福さんという人(加持祈祷、霊能者のような方だったようだ.....昔はこういう方が多くいたという)が、この鎌倉街道の下宿付近で、亡くなった人馬を手厚く葬ったことから、住民にいたく慕われて、ついにはこの地に住むようになったという。
その後、恩田家の祖先の方が、お福地蔵様としてお祀りになったそうだ。
祀られている通りは、福地蔵尊通りという名称もつけられているように、その存在はとても大きかったのだろう。
お福地蔵様に付けられているノートがある。これは日大板橋病院に通う人々の想いがたくさん詰まっていて、読んでいると鼻の奥がツンとする。全快を祈るばかりだ。
そういえば、子供の頃に、割ばし棒綿アメをくわえて走っていたところ、つまずいて転けてしまい、ノドの奥にぐっさりと刺さって血だらけになって、日大板橋病院で緊急手術をしてもらったことがあった。突き刺さった場所がもっと深く場所が悪ければ、早死していたかもしれなかった。
そんなこともあって、今でも近くを通るとお福さんにお参りをしている。

上板橋宿の話からちょっと飛んだが....40年弱前だが、かつて大山町(宿場の隣)の施設で生活をしていた自分にとっては、やっぱりとても落ちつく地域。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2017 5/24 『雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道』

豊島区南池袋のあずま通りを抜けて、都電の線路を渡って進むと、その道は御鷹方御組屋敷道と呼ばれている。地図の青い線。

-------------------------------------引用
この道は明和九年(1772年)『武蔵国豊島郡雑司谷村絵図』によれば、御鷹方御組屋敷道と記されており、霊園西側約九千坪の敷地に徳川八代将軍吉宗が鷹狩りのための鷹の飼育調練に用いた御鷹部屋があったことと、その北方約四百メートルに鷹匠や同心などの住まう約一万五千坪の組屋敷があったことに由来する。
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そして霊園内には、組屋敷があったかつてを彷彿とさせる松の木がある。

住宅街や、なんでこんなところに交番があるのか?という細い道は、古道だったりすることが多く、歴史があったりする。
この御鷹方御組屋敷道も、細い道で雑司が谷交番がある。

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2017 5/22 『三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門』

30℃になるという日曜日は、浅草神社へ。
炎天下のなかランニングで向うも、同行者が2km弱でギブアップ。
山手線にライドオン....鴬谷で下車し、歩いて向う。
言門通りにあるコンビニの敷地は毎年盛り上がっている。
浅草の路上で友にばったり会う。
浅草神社は1年ぶり。
参拝者はそれほど多くもなく、スムースにお参り。
家族のことを報告し後にする。
混んでいるところを避けて、上野へと向い、上野の山を越えて鴬谷へ。

いやぁしかし暑かった。
ランニング5km、ウォーキング11km。

浅草神社の宮頭は新門の末裔 via
新門辰五郎は徳川慶喜公を警護したことでも有名ですね。via
写真にうつる新門辰五郎、衣装と脇差は徳川家からもらったものだという。
今でも交流があるのだろうか。

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2017 5/9 『北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂』

引用
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十条仲原の台地から稲付川(現在は暗渠 あんきょ)に下る坂です。大正時代から戦前まで、坂下の川下にあった川魚料亭が遊鯉園(ゆうりえん)で、この坂の名前は、その料亭の名に因んで付けられた俗称です。明治の頃、坂下に水車小屋があり、旧稲付村(ほぼ、現在の赤羽西、西が丘、赤羽南にあたります)の農家がよく利用していました。
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稲付川とは.....過去記事

戦前の游鯉園は政財界の要人が集う場として有名だったそうだ。
検索しても游鯉園の写真は出てこないのが残念。
たいそう立派な建物と庭だったのだろう。

この付近は深い谷になっていて、気持ち湿度が高いような印象を受けた。
一番下の写真がかつての稲付川で、姥ヶ橋付近(環七と本郷通りの交差点付近)の切り通しではないかと思うがどうだろうか。

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2017 5/8 『誤差』

暖かかったGW....
10kmも走れば全身塩まみれでザラッザラになる。

普段はNIKE+ RUN CLUBというランニングアプリを使うことが多くて、誤差がなかなかあるなとは思っていたけど、ここまであるとは。
同時に使ってみて10km走ると、アプリの方は1km以上も長く計測されていた。計測時間(走った時間)も10分くらい違う。

そういうものなんですね。

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2017 5/2 『KAWS X PEANUTS』

KAWS X PEANUTS、店頭でチェックしたけど、やはり人気がある。
XSサイズがあまりなかったのは女性が求めているのだろう。
で、欲しかったスケートボードに乗っているグラフィックを入手。
デッキはオールドスクールでいい雰囲気。
しばらく寝かせておこうか、すぐ着ようか....

そろそろスケートボードを再開しよう。
半年スケートできていないから、また脚が動かないだろうなぁ。
怪我に注意で...コワイので消極的なスケートになるけど、それで十分。
スケート後の一杯は格別にうまいんですよ。