2019 8/29 『COOLOMG』
COOLOMGの七分丈のXSサイズのコンプレッションタイツ.....これは両サイドに大きなポッケが2つ付いている優れもので、財布や携帯電話も余裕で入るから、アームバンドやウエストベルトなどを付ける必要がない。
これがホント便利で圧着具合も良いし、しかも安い。 via (Amazon)
最近、晩も暑いながらも涼しく感じるようになってきたので、久しぶりに22:00の副都心をぐるぐるジョグを。
酒を呑んでいつもの公園でいつもの場所に横たわる腹を出したおばさんやスースー眠るおじさんを横目に通りすぎる。
駅前では路上宴会を楽しむ呂律が回らないおじさんと注意する若いポリスをみて、ある意味平穏な世かもなと思いつつ、繁華街の雑踏を通り抜ける。
涼しいとはいえ、走りだすと汗だくで、背中もびっしょびしょ。
エアコンディショナーがガンガン効いたストアに寄って、透明のパケ袋に入れた千円札と小銭をサイドのポッケから取り出し、スポーツドリンクを。
オープンエアな23時過ぎのラーメン屋には並ぶ列が....飲んだ後なんだろうな、うまいよね。
もう一軒ストアに寄り、冷凍のほうれん草500gとブロッコリ500gの重いブツを買って、腕と脇にグラブして、一路自宅へと脚を送り出す。
途中、都道をパトカーが目の前を通り過ぎる。
しばらく住宅街を走り続け、信号待ちを....するとパトカーが細い住宅街の路地から出現....車内のポリス2人が首を伸ばしじっとこちらの顔とグラブしているほうれん草とブロッコリを凝視。
パトカーはわざわざ国道から住宅街へと入り、迂回してこちらの進路へと向ってきたようだ....そんな怪しく見えるか??となんだか嫌な気持ちにもなり、それはそれで治安のためにはご苦労様でありがたいことだが、他に不法滞在者や不良が跋扈しているから、そっちの者を付け回した方がどんなにもっと平和になるか、その方が適切な職務行為なんでないのかな?と思いつつ、ダッシュで彼らを振り切る....大切なグリーンが溶けちゃうから。
新しいナイキのシューズはキロ5分ちょいのスピードで2km走ってみたけど、やはりスピードが出しやすい。
心拍数をあまりあげたくないので、基本ゆっくり走るが、スピードを出すには良いシューズだ。
びっちょびちょ後の本麒麟は格別に旨いことは言うまでもなし。
2019 8/28 『ナイキ ズーム ライバル フライ』
NIKEのランニングシューズって長くてややこしい名称のモデルが多いような気がするが...
このはったりかましたような弱いカメレオンのようなカラーのシューズは、様々なレースで1−2位を独占している有名なズームヴェイパーフライ4%などに使われている“エアロソール”が使われていて一万円を切るコストパフォーマンスに優れたモデルで、“ズームスピードライバル”シリーズのフルモデルチェンジ最新版だという.....ややこしいのでよく分からないが、ざっくりと言うと、エントリーモデルだが、それでいて結構、本格的、専門的なスパイクっていう感じで、学生アスリートイメージの商品だという。
日本市場向けに作られた商品で、まさに部活生シューズ....トレーニングシューズではなく、走りにくせがないレーシングシューズだと。
市民ランナーのスピード練習にも良いらしい。
自分みたいなものにはよくわからないが、少しゆっくりめに走ってみたところ、とても走りやすくてソールもやわらかく心地良かった。
もっとスピードを出したらこのモデルの良さが分るらしいので、もうちょい涼しくなったら、スピードを出してみようと思う。
ちなみに、この前身モデルの機能性が証明されたエピソードとして、リオオリンピック銀メダリスト、エチオピアのフェイサ・リレサ選手が2016年東京マラソン優勝したとき、の足元は、なんと“ズームスピードライバル“でした。日本に来日してから、購入したそのシューズで本番のレースを走り、2時間6分56秒とまさかのパフォーマンスで走ってしまいました。(アルペンマガジンから引用)
・・・そんなことで、なかなか良いモデルだそうだ。
初めてのナイキのランニングシューズ.....ちなみに、底値で60%オフのオドロキ価格¥3980でアマゾンで買えた。コスト的にもさらにお得だった。
シュータンが短くて少し硬いので、足首前面部分に干渉して少し痛むのが良くないが、他は概ね履きやすい。
2019 8/26 『家系』
セブンイレブン、神奈川県限定発売の横浜六角家の袋麺。
ちょっと食べてみたかったので、神奈川の人に買ってもらった。
これ、なかなかよく出来ていて、風味も思ったよりもあるし、麺もいい。
オススメ。
都内でも置いてくれたらいいのに。
2019 8/15 『板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道) 補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備』
環状7号線と環状6号線(山手通り)の間を同心円状に通る道が都道420号線大山鮫洲線といい、環状6.5号線とも言われ、起点は品川区の八潮交差点からで終点は板橋区仲宿交差点を結ぶ道。
この道は一方通行や幅員が狭い道がいくつもあり、幹線道路としてはまだ不完全で機能していないのだが、今全面開通に向けて工事が買収が行われている。
地図でいうと、真ん中を東西に通る黒い線と黒い破線(現在買収中、工事中)で、川越街道の西側の黒い道は、かつて大山西銀座商店街と言われた、こじんまりとした商店街だった。しかし、何十年もかけて買収、工事を行って事実上、大山西商店街(大谷道)は消滅してしまった.....約40年前に住んでいた頃は、この大山西商店街(大谷道)を走りまわって遊び、向原に引っ越した親友の家に行くのによく通った思い入れのある商店街、通りであった。
川越街道まで開通したのは、何年か前だったが、すっかり前の面影は無くなってしまった。
そして現在、川越街道より東側の楕円部分と破線部分が買収・工事中で、楕円部分は、かつて大山西銀座商店街と繋がっていたであろう山中通り商店街が、この補助第26号の計画によって、失われつつある。(写真1〜3枚目)
もう40年近く前だが、この山中通り商店街には水生動植物屋(メダカとか金魚や両生類、水草やイトミミズなどを買った記憶がある)があったが、数ヶ月前に無くなってしまった....寂しい限り。(写真1枚目、山中通り商店街から川越街道をみる)そしていち早く、前は山中交番といわれていた大山町交番は解体されて、近くに移設された。
余談だが、この大山町付近はかつては山中という地名で、この山中の住民が板橋宿(上宿・仲宿・平尾宿、現在の板橋本町〜仲宿〜板橋駅付近)を拓いたと伝えられている。すぐそばには鎌倉街道が通っていることからも、古くから山中は拓かれていたのだろう。
山中通り商店街はこの計画によって、一部が失われてしまうことになる。
また、この商店街は神奈川県丹沢の“大山、阿夫利神社”に参詣する“大山詣”の街道でもあり、大山道とも言われていた。旧中山道の宿場町の仲宿にあった酒屋の小松屋さん横から続く道でもあるので、小松屋横町道とも言われ、大谷口方面に進むと大谷道とも言われている歴史のある古い道で、かつては白装束に身をまとった大山講の人々が行きかっていたが、地域史を知らない人にはただの狭い道、商店街にしか写らないだろう。
小松屋横町道と赤文字で書いた写真、旧川越街道が左右に通ってこの道は少しクランクしているのが何か意味がありそうだが、どうだろうか。
奥の黄色い建物は、かつてはヨシオカヤというおもちゃ屋で、近隣住民のちびっ子にはとても大切なおもちゃ屋だったが、もう営業は終えている。約40年も前だが、その当時のヨシオカヤの職員さんの顔は今でもはっきりと思いだせるし、風邪から復活した時にや誕生日に買ってもらったおもちゃも憶えている。ウルトラマンや怪獣が凸版(エンボス)のプラスティックに彫られて、バランのような物をでこすると、凸版印刷のような絵が出来上がる。プラレールの小さい版のようなアブト式ジェットコースタのおもちゃは、鉛直や天井など縦横無尽に走ることが出来て、外れない溝が付いた真ん中のレールが途切れた垂直降下レールに進むと天井から床へと一気に高速で下りる。あとは初期のガンプラやゲームウオッチ、風呂で遊べる戦艦や潜水艦のプラモデル、ミクロマンや何かの超合金のヒーロー、ヤッターマンのヤッターワンのおもちゃ(中から色々出てくる)、ロボダッチのプラモデル....切りがないですね。ヨシオカヤの屋外横にあった(階段下だったかな)アーケードゲームコーナーのディグダグは半端無くやっていたので、自爆しないと一向に終わらないレベルにまで腕を上げ、他のちびっ子に迷惑になるのでやめてしまった。
小学校に上がる前はの幼い頃は、このゲームコーナー
があったこの大山道(小松屋横町道)をもうちょい進んだ道沿いに住んでいた。
かつては、ハッピーロード商店街によくサトウキビ屋やチンドン屋、孔雀の羽屋などがよく来ていて、サトウキビをむしゃむしゃ食べるのが楽しみのひとつでもあった。その当時、ハッピーロードの真ん中(今のパチンコ屋あたり)にイトーヨーカ堂があったのだが、歴史に残る大火災で全焼してしまい、しばらくの間、商店街には焼けこげた臭いが漂い、通る人々は皆鼻をつまんで抑えていた。傷痍軍人のような人が駅前にたまにいたような記憶がうっすらある。
商店街をたまに通るシスターの姿をしきりに目で追っていて、何だかあたたかいような寂しいような気持ちになっていたのは、後に母から聞いて分かったことだが、1歳くらいの頃に一時期シスターの所(江古田だっただろうか...カトリック教会)に自分だけ預けられて育てられていたと。その時に旅立ったのが年子の弟で、家族が生きていけるために短い生涯を終えた。その後、小学三年生くらいの時に、一番下の板橋カトリック教会の2階で開かれていた公文に通っていて、教会から流れる教会音楽や教会の雰囲気がとても懐かしく感じたり、一方なぜか悲しい思いや楽しい感じもして、複雑な感情を抱いたが、公文と教会に行くのが楽しみで仕方がなかったのも、前記のとおり、母から預けていたことを知って合点したのを今もよく憶えている。
大山駅を渡った遊座大山商店街には一般的な映画館やじっと見てはいけない、家族は皆そっぽを向いて通らざるを得なかった建物があった...どーんとドでかく、おっ◯いポロリしてような記憶があるが...ポルノ映画館が二軒ほどあったと記憶している。
お母ちゃんには見るなと言われて手を引かれていたが、目だけ上げてガン見していた。そんなポルノ映画館もあり、とても賑やかだった。
...土曜の夜の番組、エロ満載のウイークエンダーの再現フィルムは薄目をあけてよ〜くみていた。皆一緒ですかね?男の子は元気があるほうがいい。
あと、姉とよく買いに行ったサーティーワンではジャモカアモンドファッジのあまりのおいしさにひっくり返った。
仕事で忙しい母は、平日の夕食を作ることがあまり出来なかったので、家の近くのそば屋さんの店屋物の鍋焼きうどんか、大山西銀座商店街と川越街道の交差点のあたり田崎病院の向かいあたりにあった吉野家の牛丼、このふたつがルーティーンの夕食だった。こんなに牛を食べていると嫌いになるもので、牛丼はあたまを除けてつゆがかかった白飯と玉ねぎだけを食べていた。夕食後はたまにハッピーロードにある本屋へ立ち読みに行っていて、<魔太郎がくる>、<シャドウ(ブラック)商会変奇郎>などの漫画を読むのが楽しかった。休みの前の日には、板橋二中の向かいにあった<まるみ堂>で画用紙や大きな白い紙を買ってもらい、夜な夜な絵を描いたり、工作物を作って遊んでいた。
それから時を経て、ビーバップハイスクールが流行り出した頃には、確か、ミノリヤ(みのるや?)といっただろうか、ボンタン屋(変形学生服というやんちゃな子が着ていた制服)もあったりして、高島平へ引っ越した自分は遠方からわざわざこのお店に、神風特攻と印刷された裏ボタンを買いに行ったことがあるが、速攻で生活指導の先生に没収された....色のついたTシャツを学ランの下のワイシャツの下に着ることもダメだったり、靴下は白でデッキシューズも白という、かなり厳しい時代だった。校内治安が改善した中三の頃はコンバースで通っていた。
少し上の大山の先輩は、原付で中学校に登校し、校内を走り回っていたりしてたから、そりゃぁ地域が違えど時代が時代、引っ越した先の西台の下級生の指導にはきつくなるわなと。
・・・大山のあちこちの商店街での母と姉との買い物がとても楽しかったし、他者の家と比べると厳しい生活だったかもしれないが、何不自由ない生活だと思わせてくれた母には、ありがとうの気持ちしかなかった。
この補助第26号の計画によって、ハッピーロード大山商店街は分断されることになる。
そして商店街の中心にはビルも建ち、大山駅は高架化されて、100mほど中板橋方面に移設され、駅前は広場とビルが建つという。
地図の破線部分、千川上水と補助26号の重複区間はどうなるのだろうか。
千川上水の清流復活事業が行われていたが、この付近で千川上水は逆勾配になっていたり、破裂してほとんどの水が地面へと流れ消えていると分り、事業は事実上凍結されているが、この計画によって復活は不可能となるのだろうか。
人の流れがかなり変わり、経済の流れも滞ることも懸念されて、近隣住民やとある政治の党も活発に運動をしている。
これから時間をかけてがらっと変わる大山駅周辺だが、あちこちどこにもある古くからの商店街を、いじくるのもどうなのかなと思うこともあるが、住民の安心安全、経済のことなどを考えると致し方がないのかとも思うがなんとも言えない。
町や道などのインフラはアップデイトしてゆくものでもあるから....大山駅の踏切横にある闇市の名残も消滅するのだろうか。
ただ、大山西銀座商店街の事実上の消滅や山中商店街の一部消滅、ハッピーロード大山商店街の分断は、個人的にはなんとも切ない気持ちになる。
これはこの大山で幼いころ育ったからでもあるが。
大山という町の古くからの近隣の他者に育てられて成長できたようなものだから。 2022年2月22日加筆.写真追加
【過去記事】
■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟を重ねて
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
ふじ大山道
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
■電話番号の表札 ◯◯方・◯◯◯◯◯呼出 ◯◯ 電報
■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
■板橋区大山西町の用水路
■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)
千川上水 水神様
■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
■醤油電車(東武東上線)
■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視>
■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
- ■幕末を巡って 徳川慶喜巣鴨屋敷跡〜彰義隊の墓〜経王寺
- ■経王寺 彰義隊を攻撃した山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾
- ■復活 上野清水観音 堂月の松
- ■上野東照宮
- ■別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
- ■上野公園 時忘れじの塔
- ■浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち 上野 <闇市 残飯シチュー>
- ■戦没者を哀悼し平和を祈念する日 ー浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たちー 九段下<昭和館>建設時の仕事
- ■哀しみの心をいつまでも 海老名香葉子 建立有志一同
- ■墨田区 都立横網町公園
- ■豊島区 南池袋公園(根津山) 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
- ■散歩JOG 谷中霊園の徳川慶喜墓・焼失した五重塔〜博物館動物園駅〜旧岩崎邸庭園〜加賀藩上屋敷跡
- ■文京区春日(小日向) 徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
- ■印刷博物館<武士と印刷> 徳川慶喜終焉の地(文京区春日(小日向))
- ■文京区春日二丁目(小石川小日向第六天町) 徳川慶喜邸と新坂(今井坂) “徳川おてんば姫” 井出久美子
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■文京区千石 簸川神社(氷川明神) 氷川下町会史<小石川区俯瞰図(鳥瞰図)>
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚の墓
- ■文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ
- ■高島平の名の由来 高島流
- ■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
- ■“青天を衝け” 高島秋帆 松月院<高島秋帆先生紀功碑>と西洋砲術の演習地 徳丸ヶ原
- ■台東区谷中 全生庵 幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
- ■台東区谷中 全生庵 山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑
- ■台東区谷中 観音寺 赤穂浪士ゆかりの寺
- ■江戸城 松の大廊下跡
- ■一石橋迷子しらせ石標 迷子センター
- ■薩摩義士 平田靫負(ひらたゆきえ)
- ■仙がい義梵(仙p和尚) <東輝庵> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■横浜市歴史博物館 横浜の禅 近世禅林のルーツ<東輝庵展> 臨済宗円覚寺派 永田山 寳林寺
- ■板橋区東山町 板橋城跡の候補地のひとつ長命寺 赤塚城跡(築城主は千葉自胤)
- ■上板橋役場跡と古道 台橋道(茂呂遺跡・栗原遺跡 お東山<板橋城跡の候補地のひとつ 長命寺>)
- ■板橋氏の板橋城はどこに築城されたのか お東山か御東山か<オヒガシヤマかオトウヤマか>
- ■板橋区南常盤台 天祖神社の西にあった<猫塚>と<狐塚>、小茂根四丁目の<猫塚(ねこ塚)>、大和町(根村)の<狐塚>
- ■遺されたものが語ること#2 石神井城跡
- ■板橋区 志村城山遺跡・志村城址 <熊野神社に残る空濠>
- ■志村城山公園の湧水と志村城跡
- ■志村熊野神社所蔵絵馬・扁額・付寄進札 <絵馬殿>
- ■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物
- ■板橋区 前野町地区の遺跡と前野町熊野北遺跡 常楽院収蔵の土器(前野町式土器<弥生土器>)
- ■板橋区前野町 <常楽院年不詳阿彌陀三尊種子板碑(じょうらくいんねんふしょうあみださんぞんしゅじいたび)>と板橋区小豆沢 <龍福寺建長七年板碑>
- ■石神井川 中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
- ■北区上中里 平塚神社(平塚城伝承地) 鎧塚古墳/甲冑塚古墳
- ■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板橋一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
- ■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい
- ■北区滝野川・JR板橋駅前 新選組隊長 近藤勇が葬られた無縁塚(無縁塔) <近藤勇隊長の死と無縁塚> 寿徳寺住職 新井慧誉 著 (現住職 新井京誉) [近藤勇の墓と寿徳寺]
- ■新選組の局長 近藤勇が着用したと伝わる甲冑発見 富山県高岡市 徳川家ゆかりの古刹・国泰寺<山岡鉄舟が寄進>
- ■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)
- ■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
- ■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
- ■北区西ヶ原三丁目 西谷戸新道の石碑 谷戸川(谷田川・逆川/古石神井川流路)と鎌倉街道(浅草道)の外輪橋 千川上水(王子分水)に架かる観音橋
- ■北区滝野川 正受院本堂前所在 石造近藤守重坐像と目黒富士(元富士・新富士)のひとつである目黒元富士
- ■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
- ■板橋区仲宿 文殊院 子の権現 遊女の墓
- ■板橋遊郭 新藤楼
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎 政略結婚と女性救済の場と和宮が降嫁する際に通った迂回路
- ■旧中山道 板橋宿(上宿) 縁切榎
- ■皇女 和宮一行が降嫁の際に通った迂回路(古道 根村道)にある出桁造りとそれを見守った清水稲荷神社の御神木のイチョウ
- ■板橋宿(上宿) “諸国道中商人鑑”江戸時代のファストフード 即席 御休泊所 御料理 [旅籠<吉野屋>] その先岩の坂を上ると縁切榎と稲付川
- ■板橋区本町 旧中山道 <榎大六天神 縁切榎> ー絵馬は自動販売機へー
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍と加賀藩下屋敷の裏御門だった山門
- ■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺の<寛文の庚申塔> 平尾一里塚附近にあった<加賀藩前田家下屋敷 裏御門>を移設した<山門>
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 )伊勢孫跡 レンガの塀と車輪除けの石
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の石仏(庚申塔・馬頭観音など)
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿) 宿場時代は馬つなぎ場でもあった遍照寺の絵馬
- ■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
- ■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
- ■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
- ■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
- ■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
- ■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
- ■板橋宿 上宿跡はスラム街(貧民窟)になった岩の坂(いやな坂) 板橋貰い子殺し事件
- ■板橋宿(中宿) 高野長英ゆかりの地(旧水村長民宅)
- ■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)
- ■板橋区蓮沼町 古道 稲付道に立っている庚申塔
- ■中仙道か中山道か
- ■旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
- ■旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道 清水種苗店の本家 清水権右衛門・清水金蔵商店 <清水夏大根とその種>
- ■旧中山道<種子屋街道のあゆみ 滝野川三軒家の町並み 日本農林社のあゆみ>
- ■旧中山道 大正大学校内 日本農業を支えた種子屋街道 <中山道の種子屋[滝野川三軒家の一つ榎本家 屋号“枡屋”]>と<江戸東京野菜> <江戸・東京の農業 滝野川ニンジンとゴボウ>
- ■旧中山道はタネ屋街道 <創業明治五年 滝野川種苗株式会社>解散
- ■旧中山道 西巣鴨 庚申塚商栄会 出桁造り<伊勢屋紙店>閉業
- ■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通
- ■いまむかし旧中山道 <巣鴨地蔵通り商店街>
- ■大正大学 すがも鴨台観音堂(さざえ堂)<鴨台観音結縁御手糸>
- ■巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩(子育地蔵尊) 実弟<幸世>を重ねて
- ■巣鴨遺跡 町屋跡
- ■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
- ■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
- ■巣鴨薬園跡 <豊島市場>
- ■巣鴨に住んでいた徳川慶喜 明治時代の巣鴨邸と江戸時代後期の巣鴨
- ■巣鴨遺跡 巣鴨の町屋跡 既調査地点か
- ■都電庚申塚駅 旧中山道 延命地蔵堂の石造物群
- ■豊島区巣鴨5 将軍徳川綱吉より建てる許可を受けたョ禅寺(總禅寺/そうぜんじ)の赤門 朝日通り
- ■旧丹羽家腕木門と蔵 染井霊園<藤堂家の墓所>
- ■豊島区駒込(染井)染井吉野 植木屋・庭師 伊藤伊兵衛家の菩提寺 西福寺への道標<大師道>と染井の泉 谷田川(谷戸川)の源泉の長池
- ■巣鴨 染井霊園<東洋のナイチンゲールと呼ばれたロダスカ ワイリックのお墓> 染井よしの桜の里公園<ソメイヨシノ発祥の地> 専修院<伊藤伊兵衛の屋敷跡>
- ■巣鴨 染井霊園 彫刻家 <高村光雲墓所(高村家)>
- ■豊島区駒込六 染井稲荷神社<染井の泉跡>と<恩賜上野動物園 ソメイヨシノの原木の候補)
- ■明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
- ■豊島区巣鴨 本妙寺 千葉周作の墓〜豊島区駒込 木戸孝允の駒込別邸
- ■豊島区巣鴨 旧中山道と平行に続く江戸橋通り<米屋伊勢五などの出桁造り> 90年代中頃の新中山道(国道17号線)を走る大型三輪トラック(オート三輪)
- ■豊島区南大塚一丁目<東福寺 疫牛供養塔> 巣鴨の牧場(豊島区の牧場)
- ■豊島区南大塚一丁目<東福寺 道標 二基> 真性寺、護国寺へ 巣鴨監獄道・大塚道(折戸通り)
- ■北区立西ヶ原みんなの公園(東京外国語大学跡地)<御薬園 谷田川の水源となる湧水>と下瀬坂 巣鴨庚申塚にあったファイト餃子<学生多数参加の大食い早食い大会>
- ■文京区千石 簸川神社(氷川明神) 氷川下町会史<小石川区俯瞰図(鳥瞰図)>
- ■文京区小石川 吹上坂(禿坂) 宗慶寺<極楽水>・<隣接する常陸国府中藩松平家の上屋敷内の湧水> <高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡>
- ■一橋徳川家 屋敷跡の千石緑地
- ■一橋徳川家 屋敷跡の徳川マンション
- ■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
- ■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)
- ■旧中山道と旧川越街道をつなぐ小松屋横町道
- ■旧中山道 平尾宿(板橋宿<上宿・中宿・平尾宿>)創業107年の銭湯 花の湯
- ■神田明神参道隣り 旧中山道(日光御成街道)の枡型道路 江戸御府内<朱引・墨引>“本郷もかねやすまでは江戸の内
- ■本郷台地の端 神田明神の明神男坂 安房上総 小湊鐵道のディーゼルカー
- ■秋葉原 神田柳森神社 力石
- ■板橋区立大山小学校廃校<様々な家庭の子と色んな先生たち> そして板橋区高島平から大山へ半年間の通学
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑
- ■旧川越街道 ハッピーロード大山商店街 小松屋横町道に佇む“命”の碑 撤去
- ■板橋区大山町 山中通り商店街(大山道・小松屋横町道) 補助第26号 むかしの大山西銀座商店街(大谷道) とハッピーロード大山商店街・大山サンロード(遊座大山商店街)の町並みと思い出 山中の村人と板橋宿の開拓と整備(2022年2月22日加筆・写真追加)
- ■東武東上線 大山駅 駅前木造密集地域 飲屋街<闇市(ヤミ市)の名残り> 駅前広場整備事業
- ■板橋区大谷口 古道 大谷道と薬師道の交差点 豊島八十八ヶ所巡礼の道標
- ■東京第二陸軍造兵廠 板橋火薬製造所跡 弾道検査管(爆速測定管)の標的
- ■千川上水から東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へ取水した分水口と水路跡
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠電気鉄道の遺構 跨線橋の台座
- ■東京第二陸軍造兵廠 加賀公園 電気軌道(トロッコ)線路敷跡
- ■東京第二陸軍造兵廠の石碑
- ■東京第一陸軍造兵廠 陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一陸軍造兵廠 軍用鉄道軽便線(ちんちん電車)トンネル跡
- ■東京第一陸軍造兵廠の軍用鉄道 ちんちん山(南橋<王子スラム・王子バラック跡>)のトンネル跡の湧水
- ■1979年 柳町光男監督 映画<十九歳の地図>より 王子スラム(王子バラック)と岸二町内案内図<東京第一陸軍造兵廠の遺構 土手に掘られたトンネルの出入口に使用されていた石のアーチ>
- ■王子駅西口の石神井川氾濫と<石神井川(音無川)沿いにあったバタ屋(バタヤ)部落>・<板橋区大谷口上町・大山と豊島区要町・千川のバタ屋部落 ースラム・貧民窟 バラックー>
- ■板橋区大谷口上町 <上板橋三池/上板橋村三溜池>のひとつ 石神井川 エンガ堀支流 大谷口の溜池を埋め立て建てた<大谷口バラック> 木造密集地域跡
- ■JR板橋駅前 木造密集地域<ほろよい横丁>と昭和20年代初め頃<板橋駅前の闇市(ヤミ市)> ラーメンストリート
- ■王子駅前 飲食店街<柳小路商店会>
- ■東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の憲兵詰所
- ■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
- ■国指定史跡 東京第二陸軍板橋火薬製造所跡
- ■東京第二陸軍造兵廠 境界壁(支柱)
- ■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)
- ■東京第二陸軍造幣廠(板橋火薬製造所)と陸軍兵器補給廠を結ぶ軍用トロッコが環七(富士見通り)をくぐっていたトンネルの遺構
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳
- ■北区滝野川3 四本木稲荷神社/四本木稲荷古墳 火薬製造の圧輪を用いた<忠魂碑>と圧磨機圧輪記念碑
- ■陸上自衛隊 練馬駐屯地 連隊門哨所
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡1 <旧野口研究所1>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡2 <旧野口研究所2>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡3 <旧理化学研究所 板橋分所1>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡4 <旧理化学研究所 板橋分所2>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡5<旧理化学研究所 板橋分所3 東京第一・第二陸軍造兵廠 電気鉄道(トロッコ) 戦前のレール跡(線路跡) >
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡6<旧野口研究所[燃焼実験室と爆薬製造実験室]>
- ■特別公開 国史跡 陸軍板橋火薬製造所跡7<旧理化学研究所 板橋分所[物理試験室C・D・E棟]その他>
- ■王子新道の由来と花月通<千川上水に架かる花月橋>
- ■花月通りとその付近図<昭和十年前後の町並み> 花月通<千川上水に架かる花月橋>現在の花月橋跡
- ■加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
- ■加賀藩と黒作り
- ■加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな
- ■加賀藩前田家の駕篭
- ■加賀藩上屋敷跡 東京大学 赤門
- ■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡
- ■中山道 平尾一里塚(板橋一里塚) 一里塚まんじゅうと史跡
- ■北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔
- ■加賀藩下屋敷にあった山々 現存する大山(築山)
- ■加賀藩江戸下屋敷 御表御門道(旧中山道入口)と宇喜多一族 小字(下板橋)浮田
- ■東光寺 加賀藩下屋敷跡 宇喜多秀家の子孫が供養の為に建立した秀家の墓(移設された供養塔) 宇喜多秀家とその一族
- ■東光寺 平尾一里塚上に造立された石造地蔵菩薩坐像
- ■文京区千駄木 大聖寺藩(加賀藩支藩)下屋敷跡 大名庭園の旧態を保つ須藤公園
- ■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
- ■池袋 四面塔尊 辻斬残骸 無縁仏の供養 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 【2023年3月10日 加筆:<「何か落したのですか?」と、奇妙なことを尋ねる日傘の女性>】
- ■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
- ■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)
- ■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
- ■板橋区板橋2丁目・大山金井町 高田道 金井窪の峠(高稲荷山の切通し)
- ■東京府北豊島郡金井窪村 今も残る金井窪村の痕跡
- ■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
- ■昭和29年の雑司が谷隧道(東京都豊島区西池袋一丁目 現 ウイ・ロード) 古道<高田・雑司ヶ谷道>
- ■池袋一丁目(旧 西巣鴨町池袋) 平和通り商店街<古道 高田・雑司谷道>沿いにある池袋の森(島田牧場跡地) ユリノキとトンボ池(湧水)/谷端川 島田牧場支流・島田屋敷支流
- ■豊島区目白三・西池袋三 西武池袋線<V型 二股踏切> 廃止された長崎道踏切(古道 長崎道)と第二中里踏切
- ■古道<長崎道> 板橋区“子易神社前 高田道の辻〜熊野町 熊野神社前”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“要町一丁目〜高松二丁目 出桁造りと延命地蔵尊 ”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”
- ■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り<庚申通り商店会>“高松一丁目〜板橋区南町 出桁造りと南町の庚申塔(大辻の庚申塔)”
- ■古道<長崎道> 板橋区熊野町 白昼堂々男4人組の強盗 現金約900万円奪取 そして3ヶ月後逮捕
- ■雑司ヶ谷霊園 ジョン万次郎墓
- ■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
- ■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
- ■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>
- ■TOKYO MX<江戸東京野菜の雑司ヶ谷ナスと雑司が谷の関係は?> 江戸東京野菜と種屋
- ■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
- ■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
- ■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>
- ■池袋環状第5の1号線(雑司が谷・雑司ヶ谷)/明治通り(池袋駅前)迂回ルート
- ■歌川広重 [江戸高名会亭尽(えどこうめいかいていづくし) 雑司ケ谷之図 茗荷屋] 豊島区雑司が谷 鬼子母神参道 欅並木<雑司ケ谷之図 茗荷屋 考>
- ■目白台 富士見坂 台地の屋敷(田中角栄邸・山縣有朋邸・近衛篤麿邸・徳川義親邸
- ■文京区目白台 腰掛稲荷神社
- ■身近なところに 太田道灌追慕の碑 山吹の里の碑 胸突坂
- ■池袋御嶽神社 ふくろうの像(梟の像 親子)
- ■<昭和二十年 東京地図> <続・昭和二十年 東京地図 周縁のこと> ー終戦後40年前の東京 そして今から40年前の東京ー 王子スラム(王子バラック)や池袋二丁目 三業町<百軒店>(三業地)など
- ■豊島区東池袋 六つ又 子育地蔵尊
- ■池袋駅 東口五叉路(グリーン大通り)<キリン堂薬局>
- ■ルポ アンダーワールド池袋 <守られた私たち 〜池袋駅東口乗用車暴走事故〜> わたしのランニングコース&パークドランカーズ
- ■豊島区東池袋4丁目 再開発でも残った住宅密集地にある小さな木造集合住宅<松風荘> 昔の日出町(現 東池袋)
- ■西池袋 自由学園明日館
- ■豊島区上池袋 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
- ■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標
- ■板橋区志村2丁目 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔
- ■板橋区志村2丁目(志村坂上)の住宅にある庚申塔
- ■練馬区 ふじ大山道
- ■体の中にいる虫 旧川越街道にある庚申塔・板橋宿観明寺の青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔・千川上水と中丸川の分水地点の庚申塔
- ■旧川越街道 下練馬宿の北町観音堂
- ■旧川越街道 下練馬宿
- ■板橋区上板橋2 下練馬宿近く 馬頭観世音
- ■練馬区田柄二丁目 (旧)川越街道と所沢道の追分に立つ庚申塚(庚申塔・道標) 鎌倉街道
- ■練馬区高稲荷公園内の庚申塔 埼玉道(旧埼玉道、都道442号線)
- ■文京区音羽一丁目 目白通り(清戸道) 目白坂(別名 不動坂)
- ■清戸道の名家
- ■江古田古戦場(江古田・沼袋原の戦い 江古田原合戦)
- ■新宿に縄文人現る
- ■日本人のルーツ
- ■縄文人の核DNA解析
- ■2024年8月 人類はどこから来て、どこに向かうのか <人類学に起きた革命など>
- ■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
- ■内藤新宿 天龍寺の時の鐘 かつて境内にあった池は穩田川(渋谷川)の源流のうちのひとつ
- ■金王八幡宮 <澁谷城 砦の石>渋谷川支流 黒鍬谷の湧水
- ■新宿区 花園神社 内藤新宿<下宿茶屋中>の石碑
- ■新宿区 花園神社 復活した井戸
- ■新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐
- ■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
- ■渋谷区猿楽町 重要文化財 旧朝倉家住宅
- ■地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
- ■渋谷川 庚申橋供養碑
- ■渋谷区恵比寿西二丁目11番7号 庚申塔
- ■旧鎌倉街道 中道編
- ■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
- ■鎌倉街道 中道 北区中十条
- ■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
- ■鎌倉街道 中道 並木橋
- ■板橋区赤塚 鎌倉古道
- ■板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂
- ■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
- ■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
- ■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
- ■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
- ■鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)
- ■上板橋宿と大山福地蔵尊
- ■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
- ■瀬田家跡地 集合住宅新築工事に伴う大山福地蔵尊改修工事
- ■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
- ■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札
- ■板橋区弥生町 上板橋宿 豊敬稲荷神社の玉垣に刻まれた瀬戸川牧場
- ■切支丹屋敷跡地からシドッティ 切支丹坂 2022年1月31日写真追加・加筆
- ■文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)
- ■文京区小日向 切支丹坂に間違えられた庚申坂
- ■文京区小日向 鼠坂<森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂> 鼠坂下は江戸有数の盛り場<岡場所(私娼窟)> 昔は一種の貧民窟(スラム街)
- ■文京区小日向一丁目23と25の間 蛙坂(復坂)
- ■文京区小日向二丁目19と21の間 鷺坂
- ■現存する都内の一里塚
- ■散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社
- ■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
- ■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
- ■北区十条四間道路にある出桁造り
- ■北区中十条2丁目、(篠原)演芸場通りの出桁造り
- ■北区中十条3丁目 出桁造りを改装したセブンイレブン
- ■北区上十条2丁目の出桁造り 木田酒店
- ■北区上十条にある出桁造り<川端商店>と再開発により撤退した創業110年の<八百市 橋本青果店>
- ■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
- ■北区王子3・4丁目の出桁造り
- ■北区王子本町の出桁造り
- ■北区滝野川 三軒家 御代の台仲通り商店街の出桁造り
- ■北区西ヶ原の出桁造り
- ■目白通りにある出桁造り
- ■谷中・上野桜木の出桁造り<旧吉田屋酒店 [台東区指定有形民俗文化財]>
- ■文京区西片 菊坂下 言問通りと北区滝野川 飛鳥山 本郷通りの出桁造り
- ■谷根千 よみせ通りと谷中四丁目の出桁造り
- ■文京区根津の出桁造り
- ■文京区本駒込 吉祥寺側の出桁造り
- ■文京区大塚5丁目 坂下通りにある出桁造り
- ■王子稲荷神社 御石様
- ■王子稲荷神社 火防の凧(ひぶせのたこ)
- ■北区王子二丁目 装束稲荷神社<王子の狐火と装束榎>
- ■JR貨物北王子線と廃線跡
- ■JR貨物北王子線と廃線跡と映像
- ■JR貨物北王子線の廃線跡 線路撤去工事
- ■東十条駅 下十条運転区検修庫解体
- ■都営トロリーバス 東京都北区王子<王子駅前 飛鳥大坂>
- ■文京区 大円寺 ほうろく地蔵と吉祥寺の比翼塚
- ■文京区向丘二 光源寺境内<庚申待百万遍講中庚申塔>
- ■本郷肴町 棒兼
- ■本郷追分と追分一里塚跡
- ■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
- ■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
- ■北区王子 飛鳥山 渋沢栄一邸庭園 曖依村荘(あいいそんそう)跡
- ■板橋区栄町(大山)養育院 渋沢栄一
- ■滝乃川学園跡 三代目理事長 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 上板橋宿 下頭橋六蔵祠の扁額<博愛> 子爵 渋沢栄一
- ■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 養育院の始まりと渋沢栄一
- ■洋紙発祥の地<洋紙発祥の碑> 王子 <武陽王子飛鳥山真景>
- ■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り
- ■板橋区上板橋 旧川越街道沿いの出桁造り2
- ■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) 2020年7月・10月と“おふじ道”
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 2022年11月 遺物の出土<勾玉?・土師器など 防空壕跡>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社) 中十条公園<冨士講と冨士塚>
- ■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)2023年9月9日撮影 竣工
- ■北区上十条四丁目 姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
- ■北区中十条(東十条) 地蔵坂
- ■北区中十条(東十条駅南口前) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔・道標<練馬道(豊島練馬道)>
- ■板橋区加賀 帝京大学医学部附属病院前 都市計画道路補助第87号線 北区上十条3丁目<本郷通り(本郷赤羽線)>へ開通 十条駅西口再開発と補助73号線
- ■東日本大震災石油輸送 EH200・DD51+タキ+DE10
- ■3月10日東京大空襲 湘南二宮町のガラスのうさぎ像 3月11日東日本大震災
- ■東日本大震災から11年 当時のこと今のこと
- ■醤油電車(東武東上線)<東上鉄道記念碑> 玉淀<荒川橋梁 樋の下>
- ■下板橋駅ミニ写真展 東武東上線特急とマンモスプール
- ■東武東上線 下板橋駅前 <谷端川暗渠沿いに立ち並ぶ駅前飲食店> 下板橋通り(補助第73号線 かつては“弁天前道”と呼ばれた)と<池袋東貝塚・谷端川 お多福弁天>
- ■台東区東上野五丁目 永昌寺 講道館柔道発祥の地
- ■同潤会 上野下アパート
- ■三社様 浅草神社 被官稲荷神社 新門
- ■台東区元浅草 誓教寺 葛飾北斎墓
- ■駒込名主屋敷
- ■田端 東覚寺 赤紙仁王
- ■護国寺惣門
- ■大塚原(板橋区赤塚一丁目、赤塚新町一丁目) 赤塚大塚原遺跡 <消滅した八つ程の大きな塚>と<地名 馬喰谷戸> 赤塚・成増での母との思い出と激安洋品店<のとや>での良品発掘
- ■板橋区赤塚六丁目 板橋区No_139遺跡 古墳<塚>の上に造営された八幡神社
- ■板橋区赤塚八丁目 松月院門前 赤塚明神の山<荒れ墓・荒れ塚 板橋区No.141遺跡(141)[古墳]>と<二つの塚>
- ■湧き水のビオトープ<赤塚トンボ池> 赤塚不動の滝向いの崖からの湧水<赤塚公園斜面の湧水> 2022年1月15日<赤塚 不動の滝>
- ■板橋区赤塚 泉福寺所蔵板碑
- ■板橋区成増4丁目 <愛される身代わり庚申>と<みその果樹園>
- ■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
- ■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
- ■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば
- ■徳丸ヶ原 <弁天塚>と西洋砲術の実射訓練の際に高島秋帆が指揮した弁天塚に建てられた<記念碑> 三田線と昭和50〜60年代の高島平の出来事
- ■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)
- ■渋谷駅〜恵比寿駅 八幡通り<猿楽橋>の架け替えによる長期工事期間中の渋滞 迂回路と抜け道・<四反道跨線人道橋>の移動架替
2019 8/8 『ミニ財布』
キャッシュレス化が推奨、進んでいる現在、大きな財布よりも小さな財布を各メディアでよく見るようになった。
電子マネーって便利だけど、自分はSuicaくらいかな、使っているのは。
Suicaは電車賃以外ほとんど使わない....そういえば家電屋さん以外のポイントカードも持っていない。
なんでもかんでもスマホにて一本化も好きではないのは、バッテリーがきれたら使い物にならないから。便利ですけどね。
振込もアプリではなく、ワンタイムパスワードカード。
オール電気化の住宅も、電気が止まったら何も出来ないから興味なし。
便利にスマートに一本化もとても良いが、アナログなものも混在させてた方が便利だと思うのだが、どうだろうか。リスク分散的な感じだろうか。
話がそれたが、今使っているミニ財布はショルダーベルトをつけて、ポシェットのようにして使っている。不用心のような感じだけど、ポッケに物をあまり入れたくないのと、逆に、酔ってて紛失するリスクも減るから。
携帯を忘れたとかたまにあるし。
色んな物を身にジャラジャラつけている人をたまに見かけるけど、“紛失防止”という観点から、今はなんとなくその気持ちがわかるような気がする。これは加齢だろうか。
このミニ財布はとても便利で、カードも10枚は入るし、小銭もお札も結構入って、外側にはSuicaを入れることが出来る。
ランニングする時は、ベルトを外して、スマホと財布をウエストベルトに入れれば邪魔になることもない。
長財布よりもミニ財布....これからの主流となるのだろうか。
2019 8/2 『続き』
じめっとした7月。
それほど暑くもなかったけど、一転して激暑な日々が襲来。
昨日の暑さで身体も慣れたので、昨日よりも暑い今日はさほど暑くも感じない....15年くらいかけて体質改善をして、暑さには強い方になったと思うが、水分補給はこまめに。
と、もうお盆。。
悲しいことが続いているけど....やすらかに。そして何とか快方に向かって欲しい。
さて、この手帳は3年ほど中身を足してアップデートをして使っている。(仕事やその他のことは、Macのカレンダーと携帯のカレンダーを同期させて使っている)
バッサーと広げて見て、時系列で過去のことを細かく振り返ることが出来るので、他者にいつどこで何がどう起きたかを説明がしやすいからで。
細かく記載してて良かったとつくずく思うの。
ひと一人分の命がかかっていたから。
それは今もだけど。
走り始めてもう10年....耐力をつけておかなかったら、この3年は乗り越えられなかったんではないかなと思う。
振り返っても、あんなによく動けたなと思うことがいっぱい思いだされる。
強度なランニングはオススメできないけど、ゆるいジョグなどを普段の生活にとりいれていると、とても役にたつことがあると思い知った。
ランニングウエアと運動に向いている普段着の組み合せをして楽しむこともできるし....良いものですよ、ランニング。そしてスケートボードも。
酷い暑さ....ご自愛ください、